Eの扉 リプレイ 名前を呼ばれた。まるで転寝から目が覚めたときのような心地がした。周囲は白く四角く、床の中央には黒に近い茶褐色が広がる。ほとんど何もない部屋だ。壁には扉が一つだけあり、声はその向こうからした。誰かがいる気配もある。
そういった判別はできるが、それは眼球を通して見えたのではなかった。声も鼓膜を通して聞こえたのでは、なかった。
五感の全てはどこに行ったのかと思い――ああ、自分は死んだのだと思い出した。それを端緒に、一気に記憶が明滅する。雪、風、星、獣、熱、痛、血、死……。ここにない、心臓が凍えて震えた気がした。もうとっくに活動を止めているはずなのに。
「……俺は……何でここに……」
よくよく思い出しても、確かに死んだ。体は灼熱染みた痛みと共に裂け、噴き出した血と共に体温が失われた。意識が、自分自身が、夜の暗闇から更なる暗闇に落ちていったのをまざまざと覚えている。
その証拠なのか、今の自分には体がないようだった。どういう状態なのかは自分でもよく分からない。ただ、存在はしていた。幽霊、魂、あるいはそれに似た何かなんだろうか。あまりに受け入れがたい現状に頭を抱えようにも、手も、肝心の頭もない。
「夏樹さん……? 夏樹さんそこにいるんスか? 俺わかります? 正義です!」
また声がして、ハッとする。呼ばれた、と思った。そう、先ほどもそうやって。
「正義……? お前、何で……俺は……」
「……ッ!! 夏樹さん!!!」
思わず応えると扉は簡単に開け放たれ、そこにいたのはやけに軽装の従弟だった。あの雪山で着ていたスキーウェアではない。直感する。
こいつの時間は先へ進んだのだ。
急激に、どうしようもなく、生への恋しさを感じた。生きている、生きている、俺は死んだ、まだ生きていたかった、あんなところで死にたくはなかった……。まるで飢えだ。叫びたくなるような気持ちだった。
しかし、グッと無い腹に力を込め、無い喉に言葉を押し込める。そんなものは言ってもどうにもならない。正義にぶつけても八つ当たりにしかならない。だから、搾り出すのはただ、何故か俺を呼ぶ――呼んだ従弟の名前だ。
「ッ正義……!」
「は、あれ? えっでも声が……。俺を呼んでるのは誰だ!? 出てこい!!!」
身構えて周囲を見渡している従弟が警戒して叫ぶ。どうも自分の体は見えていないらしい。やはり幽霊か何かになっているのか……最悪でも一縷の希望だった、俺が自分の体を認識できないくらい頭がおかしくなった、というのではなく。
思わず、溜息のような声が……口以外のどこからか漏れる。
「ああ……見えないんだな……」
「声は聞こえるぞ……誰だ!?」
――誰。
「俺だよ、夏樹だ。……でももう、死んだから、俺だって言っていいのかな」
死んだはずの自分。こうして存在する自分は本当に長谷川夏樹なのかと思い至る。この状態でもまだ、長谷川夏樹なのか。何をもって俺は俺なんだ。一瞬だけ、そんな考えが過ぎり、これ以上は答えがないと戒めた。滑稽な一人相撲だ。
「な 夏樹さん……!? で、でも――俺も……夏樹さんの死体は、見た……本当にそこにいるんですか」
あからさまに動揺した従弟に、さもあらんと声にせずに笑む。笑んだ気になる。
そうだ、お前たちが見つけた死体、俺の体はきっともう灰と砕けた骨になって骨壷に納まり、墓の下にあるだろう。
「いるよ。ここにいる。――それよりお前、何でこんなところに……」
自分にも正義にも言い聞かせて話を切り替える。幽霊より生者のほうがよっぽど大事だ。どうしていまお前はここにいて、俺の名前を呼んだのか。どうして呼ばれただけで俺はここにいるのか。どうして俺とお前が話をできているのか。そもそもここは何なんだ。
「いやなんか昨日わけわかんない手紙が来て……亡くなった人に会えるっていうから俺、半信半疑で来たんスけど!」
ああ――つまりこの従弟はどうも、思った以上に自分に懐いてくれていて、そこを何か、世界の常識から外れたものに突かれたらしい。そういうものが実在するということを、知ってしまったがゆえに気付いてしまう。
面映い気持ちと心配が綯い交ぜになり、かえってこちらが少し落ち着いた。こういう、やつだった。
そういうものを簡単に、半分でも信じるなと叱るべきかとも思うが、信じて死んだ自分では含蓄がなさそうだった。
「それより俺がお化けダメだっての夏樹さん知ってるでしょ!! せめて出てきてくれないッスか!!」
「おいおい、呼んだのはお前じゃないか?」
というか見えさえすればいいのか、と思わず続けて言いそうになりながら、苦笑したつもりになる。姿を現すなんて真似ができるほうが怖いのではないだろうかとも思うが、知り合いの姿なら平気なんだろうか。どちらにしろ、できるならとうにやっている。
からかうと、正義は半泣きで困ったように眉根を寄せた。
「な 夏樹さん~~! でも俺、呼んだっていうか、俺も何もわかんなくて……! いま知らないとこからメールが届いて、誰もいない部屋ノックしたら出るとかあったけど……」
「そうか……」
「ていうか俺、店の女の人から酒っぽいのもらったら気が付いたらここにいて。夏樹さんは赤いローブ来た女性とか見ました?ていうかこっちは見えるんッスよ、ね?」
そういったものを簡単に飲むなよ、という言葉は飲み込む。ともかく何も分からなくても、その通りやれば簡単に呼び出せた、ということだった。赤いローブの女性なんてあからさまに怪しい。呼び出すためのちょっとした仕掛けといい、そういう演出をするのが好きな何かもいるんだろうか。
「幽霊に目はないんじゃないか? ……なんにしろ、お前は早くここから出たほうがいい」
おそらくは、長居してもいいことはない。
「えっ、え、でもここ密室ッスよ。俺自身どうやってここに連れてこられたかもまったくわかんなくて。出口とかも……」
「何か……出る方法を探そう。何しろ俺は、体がないからどうしようもできないが。お前だけでも帰るんだ。お前は生きてるんだから」
昔から、素直に感情を表す年下の従弟にはどうにも甘い。それでも、体も無い死人の自分には今はもう手を貸してやることはできないし、それによって自分がここから出られるとも思えなかった。ただ、やはり正義はどうにかここから出してやりたい。生きていて、帰る場所があるのに、俺のことに囚われる必要はないのだから。
「うっ……夏樹さん……。俺夏樹さんと一緒に帰りたいッスよ……」
「…………」
――黙り込めばいないのと同じになるのだから、姿が無いというのも便利なこともある。
*****
黙り込んだ俺をどう思ったのか、何やら隣の部屋に行った正義が、手に何かを持って戻ってきた。流し雛や夏越の祓に使う紙の人形(ひとがた)のような……。
まさか、と思った。
「夏樹さんに会わせてください!!!!」
止めようと声をかけるより先に、パンッと音をたてて正義が合掌すると、その紙にずるりと引き摺りこまれ、一気に五感が戻ってきた。どういう理屈か紙が紙でなくなり、体が構成されたのを感じとる。
思わぬことに意識がついていけず、ヒュ、と思わず息をして、知る。喉に穴が開いて、肩の辺りも裂けている――これは、死んだときの、俺の体だった。どうしてか痛みはなく血も出ない、しかし自分の心臓の鼓動も血の巡りも体温も感じない。何なら呼吸も、本当は必要はないのだろう。
どうしてこんな、あまりにも悪趣味だ。これではただの、動くだけの。
「誰や!!!」
「見るな」
惑乱する俺に鋭い声が飛んだ。呻くように言って、身構えている従弟に反射的に背を向ける。気管も食道も声帯も抉りとられているのに、声は何事もなく出たことに気付き、ぐらぐらと目が眩む。
生きてはいたかった、死にたくはなかった、でも。
――こんな気味の悪い自分を見せるわけにはいかなかった。会いたいと願ってくれた従弟にはなおさらだ。どうしてか服だけは死んだときと違う、全身を覆う白いローブを纏っているのは幸いだったが、それがこの状況を作っている何かの慈悲とは到底思えない。何故ならローブだけでなく、覚えのない首輪が裂けた首に嵌っているからだ。
「こっち見ちゃ……駄目だ」
「夏樹さん……! 夏樹さんッスよね!!」
叶うなら他人のふりでもと思ったが、騙されてくれるわけはなかった。フードを深く被り直し、そんな必要もないのに重い息を吐く。生前の仕草というのは思ったよりも染み付いているものだなと、思考が現実逃避する。夢ではない。死人が夢を見るわけがないのだから。
「正義……何で……分かってるだろう? こんなこと……しなくてもよかったんだぞ。お前たちが死体を見つけてくれただけで充分だったのに」
「夏樹さん……! 俺、俺でもやっぱり夏樹さんがあんな死に方したとか信じられなくて! ねっね、まさかこんな紙人形みたいなので本当に夏樹さんに会えるなんて思ってなかったけど、本当に夏樹さんッスよね?」
喜びの声に背を向けたまま奥歯を噛む。ただ会おうとしただけか、生き返らせようとしたのかは、分からない。どちらにしろ世界の、理の埒外に踏み込んだのは間違いない。でも正義はただ俺のために望んでくれただけで、それを詰ることは俺にはできそうになかった。
「一緒に帰りましょうよ!! 赤崎さんもすげー驚くだろうなあ!」
俺が完全に生き返った、無事に蘇ったと思っていることが、ただただ辛い。それでも、現実をきちんと知ってもらうためには、俺の口から言わなければならなかった。あれは幻でもトリックでもなく、自分は、確かに。
「……死んだんだよ」
死人のアイデンティティがあるとしたら、自分がどう死んだかという自覚こそがそうなのかもしれない。
「俺は死んだんだ。ここから帰るのは……お前だけだよ、正義」
「なんでそんなこと言うんスか……せっかくこうやって会えたってのに! ――そうだ、あの女性にもお礼しなきゃっすよね、っていうか金も何も払ってないんスけど……。これ法外な金額の請求きたりするんスかね!」
「…………」
「まあそんなことは後にして、出口! 探すの手伝ってくださいよ! お化けパワーとか使えるんスか?」
「使えたらよかったのになあ。……うん、会えたのは、嬉しい、けどな……」
背の後ろで正義が無邪気に続ければ続けるほど、いたたまれない。また重い息を吐いた。とはいえ、嬉しいという気持ちは何にせよ本当だ。
「……お前が、帰れないのは困る」
今はそのことを考えようと、ローブのフードを更に深くかぶり、首元が見えないように隠してから、正義に向き直った。
「出口を探すのは……手伝うよ。でも、このフードの下は……見ないでくれ」
「なんかさっきも言ってたッスよね。水臭い気もするんスけど……夏樹さんがヤなら了解ッス」
「そうしてくれ」
怪訝そうな顔と声に、納得はしないだろうがと頷くしかなかった。
「役者は揃ったわね」
そしてどこからともなく、そんな艶冶な女の声が響いて、何もなかった壁に3つの――桃、葡萄、筍の描かれた扉が現れた。
「さあ、ゲームを始めましょう」
*****
そうして順当に正義は葡萄の部屋と桃の部屋を調べた。しかし日本刀と豪勢な食事しか今のところ見つかっておらず、ゲームとはいったい何を指すのかよく分からないままだ。
いや、葡萄の部屋には日本刀以外にもう一つ、「三つのうち一つはパンドラの箱。絶望の先にしか希望はない」という警句めいた言葉が刻まれていた。あれがヒントなら三つは部屋の数とすると……パンドラの箱は残る一つの筍の部屋のことなのだろうか。
「ここも無音……開けます」
筍の部屋へ扉越しに耳を澄ましていた正義が、そのままそっと扉を開ける。
そこは一面が血塗れで、棘だらけの部屋だった。見た瞬間に何故か分かってしまい、思わず胸を押さえて一歩後退る。――このゲームは、やっぱり悪趣味だ。
「ッ……」
だってここは、俺そのものだ。無残に死んで、悔いで傷ついた、俺の心そのものだった。
「うっわ何だこの部屋……。なんかチョロいゲームと思ったんスけど油断大敵かな?」
この部屋が何なのか、正義には分かっていないらしい。惨状に驚きつつも部屋の中をきょろきょろ見回している。その様子は頼もしいし、気付いていないのは不幸中の幸いだが、どちらにしてもあまり覗き込んでもらいたくはない気分だ。もっとも、そうは言っていられないし、言いたくないから言わないが。
「おっ、なんかあるッスね。ん~、棘が邪魔でよく見えない……。夏樹さんも見えます?」
「ええと……」
言われた通りに正義が示すものを見て、思わず顔を顰めた。
「あれは……俺の、時計だ」
「えっ夏樹さんの!? なんでこんなとこに……」
「社会人になって二度目のボーナスで買った……。一番、大事にしてたやつ」
趣味で集めている時計の中でも、あれは特に気に入っていて、イベントごとのときによく身につけていた。お守りのようなものだったかもしれない。あの雪山に行く何か月か前に別れた彼女と付き合い始めたのも、ちょうどあの時計を買った頃だったことを思い出す。
「ええっ盗まれたんスか!?」
「いや……どうなんだろうな。そもそもこんなところだし……」
「ううん……まあそもそも夏樹さんとこうやって一緒にいれる自体がもうおかしいから……何があっても不思議じゃない、ッスかね」
あれを見てしまうと、生きていた頃のことが、もう死んだあとなのに走馬灯のように過ぎる。そっと目を逸らした。
きっとこのゲームを仕掛けたやつが、罠として置いただけだ。そう思いたかった。
「まあどっちにしろ、こんな棘と血の部屋なんて入らないほうがいいと思うぞ」
気にする必要はないと示すように、あえて軽い声音で言う。この部屋に入って無事に行き来するのは、どう見ても難しい。俺が入ってもローブが破けかねないし、正義は怪我をするだろう。――何より、親しい相手にも、自分のこんなひどい心の内を現す場所に、すすんで踏み入ってほしいわけもない。
「えっ、でも一番大事な時計なんでしょ?!」
「そうだけど……危ないだろ」
ごにょごにょと口籠る俺を見て何と思ったのか、正義がにかっと笑う。
「も~いっすよいっすよ、そんな俺に気遣わなくたって!」
「えっ」
「男、勝割正義! 夏樹さんのためなら一肌脱ぎますって! やくざより怖くねーっすよこんなもん!」
明らかに遠慮と勘違いしていると分かったが、正義は止める間もなく部屋の奥に入って行ってしまった。案の定、無数の棘が正義を傷つける。さっきここで正義を初めて見たときの、生への飢えのような気持ちがあの棘一つ一つだ。どうしようもなく、打ち消すことはできないまま、ただ拳を握って待つしかなかった。
「いってて……。ほら時計! 取ってきました!」
「お前……また無茶して!! 昔っからそうだったけどな!」
時計をしっかり取って戻ってきた正義に、いたたまれない気持ちになると同時に八つ当たり混じりの怒りが沸く。血を流してまで俺の気持ちを守らなくてもいいのに。初めに言った通り、俺は、俺の死体を見つけてくれただけで充分だと思っていた。
「夏樹さんには俺昔っから世話になってますもん! これくらい、ね!」
「すまない……」
でも、そう言って差し出された時計が、救いなのは確かなことだった。このままもし蘇ることができなくても、今度こそ別れを告げたとしても、悔いは残らないと思える。きっとそのときは、筍の部屋の棘も血も消えるだろう。
「……いや。ありがとな」
言い直して、時計を受け取った。ひんやりとした縁をなぞる。死んでいたからついこないだのように思えるが、その実、半年ぶりに触る自分の生の感触だった。
「ほら、ちょっと怪我したとこ見せてみろ」
それはさておきと、時計を腕に嵌めて、正義の怪我を手当てしようと試みる。しかし、ごちゃごちゃといじった割には上手くいかない。悪化させなかっただけまし、という様相に見える。
「へへ お気持ちだけもらっときます!」
「うん……」
「やっぱそんな優しいところは変わらないっすね。こうやってまた俺の前に来てくれただけで御の字ッスから!」
やや消沈したところに、照れながらもそういう言葉をかけてくれるお前のほうが優しいよ、とは言わなかった。俺も照れ臭かったからだ。時計を受け取ったせいもあるのか、最初よりは随分穏やかな気持ちだ。
「他なんもなさそうですし戻りましょっか」
戻った元いた部屋での出来事が、また心を荒らすとはこのときはまだ知らずにいた。
*****
元いた部屋に戻ると、いつの間に現れたのか、部屋の中央に赤いローブで全身を隠した誰かがいる。俺が纏っているものをそっくりそのまま赤くしたようなローブだ。――いや、ローブだけじゃない。
「ハ!?」
正義が驚きの声をあげたのは無理もなかった。その誰かがフードを払うと、そこにあったのは俺の顔だ。俺が、にっこりと微笑んで立っている。けれどその首には俺とは違って何の傷跡もなく、首輪もない。思わず自分の首元に手をあてた。
「えっ、は!?」
俺ともう一人の俺を交互に見ている正義に、何を言うこともできないまま呆然とする。俺は、ここにいる俺は何なんだろう。あちらが誰なのかを考えるよりも先に、自分が死んだという自覚が先に立ってしまう。
「そいつは偽者だよ、正義」
俺の迷いを見抜いているのかどうか、赤いローブの俺が突きつけるように言葉を発した。声までもが当然のように俺と同じだ。
「騙されないでくれ。俺と一緒に……帰ろう」
柔らかな声音は正義への誘惑だと思った。差し出された手も。けれど、それを否定しようにも喉が詰まる。分かっているからだ。自分が死人だということを。動いていない心臓、意味のない呼吸、冷えきった体温。何より、死んだ記憶と喉の致命傷が証明だというのに、どうして自分が木偶か何かでないと胸を張って言えるだろう。
あちらの心臓は動いていて、体温もあるかもしれない。抉り取られてなんかいない声帯も、その役割をきちんと果たしているかもしれないのに。
確かに生きているのはあちらかもしれないのに。
「ちょ ちょっとタンマ!! あれ!? じゃあずっと一緒にいた夏樹さんは……?」
正義が混乱したように俺からもそいつからも距離をとり、俺とそいつの違いを見定めようとするようにきょろきょろと見比べる。
「フード、取ってくれますか」
「……とらないと、駄目か?」
「だって だって長谷川さんが二人って 赤いほうが偽物って言うんだから顔見せるぐらい! それに否定も、しないんスか」
あちらがフードをとっている以上は顔を見せろと言われるだろうと思った。見せたくないのは顔ではなく喉で、否定ができないのは正義だけでなく俺も俺じゃない俺がいることに揺さぶられているせいだ。
ジレンマに、フードの下で思わず顔が歪む。
「言っただろ……俺は死人だって。死んだ人間が、どうやって自分だって言えばいいんだ? それに……」
「ハッキリ言ってくださいよ! 俺のこと最初っから騙してたんスか!!」
「騙してない。……でもお前は信じてくれるのか?」
自分すら自分を信じられていない俺を、正義は俺だと信じてくれるのか。
「俺もう夏樹さんに騙されるのこりごりなんですよ!」
その言葉にハッとする。そうだ、あの雪山で正義たちは対峙したはずだった。俺の姿をした化け物と。
「こんな、二度もこんなの……!」
「…………」
いったい何と言えばいいのか、分からない。そんな俺と正義を見てなお、赤いローブの俺は悠々と笑みを浮かべている。
「だから俺が本物だって言ってるだろ?」
「――騙してないってんなら、フード取って顔、見せてください」
赤いローブのほうの言葉を無視して、正義は言い切る。心を決めたような、この顔には勝てない。梃子でも動かない目をしていることは、長年の付き合いのおかげで分かった。このままでは堂々巡りか、業を煮やしてフードを毟られる予感がする。
「……わかっ、た」
そろそろとフードを捲る。――息を飲む音がした。
「あっああ…!うん、うん……ありがとう……」
喉の傷をしっかりと見てしまったのだろう、傷付いた顔のあとの納得したような声に、いたたまれなさが蘇る。