一堂零と幼馴染のチャコがコタツで雑魚寝している話コタツで眠りこけたチャコの横に、私がいる。
町内会の火の用心を、鈍ちゃんやチャコと終えたあと、寒さに託けて、私の自室のコタツで、三人で暖を取り、お酒なんかも飲んだりした。三人とも二十歳は過ぎているのだ。体を中から温めるためだなんて言ってみて、少しはアルコールで理性と言うものを薄めたかったのか。ひとしきり馬鹿騒ぎをしたあと、一人がコタツでうたた寝しだしたから、おひらきにしそびれ、結局三人ともコタツで寝てしまった。
子供の頃は良かったな。コタツで寝ていたら、優しかった母が抱きかかえて、布団まで連れて行ってくれたのだ。今では、こんなに大きくなった子供を誰も抱き抱えてはくれやしない。
大の大人が三人もコタツで寝ていたら、寒さに託けて身を寄せ合っていたはずなのに、コタツ布団を剥ぎ取りたくなるくらいに暑苦しいなる。おかげで砂漠のオアシスの水が干上がった夢を見て、目が醒めてしまった。じっとりと汗ばんだ襟元に、汗で張り付いた前髪、籠もった熱を冷やすための汗で、水分が外に出ていってしまった分、乾いた喉。ゆっくり目を開けると、豆電球の薄紅の灯りに照らされた女の子の顔と寝息。
「まあ、いいけどさ」
無防備すぎる幼馴染を見て、私は軽くため息をついた。
コタツが布団と見立てるなら、これは同衾って奴なのかな。寝ていることだし、髪の毛に触れるくらいは罰が当たるまいと、私はチャコの頭を撫でる。鈍ちゃんは、チャコと私が見えない角度で寝ている。別にこんなことをしているのを見られたところでどうってことないけれど。
チャコと鈍ちゃんと一緒に遊ぶおままごとは、ご飯食べてお風呂に入っておねんねしましょうまでがセットだった。おねんねも真似事だけで、直ぐ朝になる設定だったが、今、目の前にいるチャコは、真似事だけでなく、ずっと眠りこけている。
私はまだまだ、チャコの頭を撫で続ける。豆電球の赤が、チャコの汗ばんだ額や皮膚に張り付いた髪を朱色に照らし出す。可愛らしいという感情はあるけれど、彼女をどうこうしたいわけではない。無防備に私の隣で寝てくれていることに、妙なくすぐったさを感じているだけだ。コタツで呑んだアルコールは、まだ私の体から出ていってはいないようだ。灯りをつけて他の二人を起こすのも可哀想だし、かと言って、起きているのも退屈だし。それなら、横で寝ている女の子を触るくらい、いいじゃないか。鈍ちゃんでも構わないけれど、触るなら女の子のほうがいい。
私の母は、私が母を恋しがる年齢で、死んでしまった。チャコの父も、生きてはいるのだけれど、チャコとは暮らしていない。おままごとの時は、チャコの母親役で、私は母性を補充させてもらっているし、チャコはチャコで、私でうっすらと父性を感じてくれているのかもしれない。おままごとの時は必ず私が父で、チャコが母で、鈍ちゃんが子供で。役割が代わったことは一度も無かったな、妙なことに。おねんねの時間は、チャコは調子っぱずれな子守唄を歌って寝かしつける真似をする。鈍ちゃんという子供がいる手前、大人の時間なんてものはすっ飛ばしているし、子供時代から知っている仲である我々は、今更、男女を意識するのも馬鹿げた話だった。おままごとに付き合ったあとは、今度はこちらの言うことを聞いてもらうとばかりに、こちらの遊ぶペースに巻き込んでいた。怪獣ごっことか、鬼ごっことか、刑事と泥棒とか。おままごとでチャコに母性を感じるよりも、そちらの方がドキドキしたな。取っ組み合ったり、捕まえたり。チャコの骨の細さに、女の子というものを感じてしまったから。試しに軽くチャコの手首を掴むと、私の手首の骨より、一回り細いのだ。……おっと、何やってるんだ、私。
ここは私の部屋で、私のコタツの中で、鈍ちゃんからは見えない角度で、私とチャコは寝ていて。おままごとで、二人はお父さんとお母さんをやっているんだから、お父さんはお母さんに触れるくらいなら、許されはするのかな。多分、私の体からアルコールは抜け切っていない。お酒は楽しい。仲良しと飲むともっと楽しい。普段の私とチャコは、楽しいふりをするのが他の誰より上手なんだ。自分の前から去っていった、親を思い出して寂しがるよりも、胡散臭く大げさに、父性と母性を与え合う方が、よっぽど私たちらしいし、失くした過去に泣くよりは馬鹿騒ぎで紛らわせることが、文字にも言葉にもしない、私たちの約束だったのだ。チャコは亡くした私の母となり、私はチャコの失くした父となり、自分よりも贔屓する妹も弟もいなくて、自分だけを可愛がってくれる親ならこんな風なんだろうなと、私たちはおままごとを演じ切る。
「つまり、戦友なのだな。私と君は」
おかしいな。アルコールが入っている方が、自分の心にいやに正直じゃないか。
私は、握ったチャコの手首に軽く口づけをした。手の甲のキスは敬愛の印と聞いた事がある、手首もまあ似たようなものかな。親指側には大きな動脈が通ってる。私の母がご臨終を告げられた時に、お医者さんが触った場所だった。今でもそれは忘れられない。脈を打つ場所はと、私はチャコの左胸を見つめる。まだ、チャコは寝息を立てている。誰かと一緒に眠りにつくのがこんなに心地よいとは思わなかった。人肌恋しいってやつか。私はチャコの手をそっと私の肩に載せ、私は私で、チャコの心音近くに頭を近づけた。
豆電球の薄紅の灯り、乾いた喉、昔嗅いだことがある、女の人の汗の匂いと胸の匂い、近くに聞こえるチャコの寝息と遠くに聞こえる鈍ちゃんの寝息。思い出したよ、母ちゃん。妹が生まれる前、母ちゃんと一緒に寝てたのに、たまに父ちゃんのところに行ってた時があったよね。テレビのドラマでチューしているところを大慌てで消してたくせに、父ちゃんと母ちゃんが似たようなことしているのを、こっちは何度か見てるのさ。子供は子供で、役割はわかっているよ。何も知らないふりをするの、父ちゃんと母ちゃんがどんなに頑張ってもどうにもならないことに黙っておくのも。母ちゃんの胸で縋り付いたのは私だけじゃないし、母ちゃんだって愛を与えっぱなしだったわけじゃないんだろう。
「どうしようもないことをどうにかしようと思っても、無理なことは無理で。それなら、少しでも幸せなふりをしていることの何が悪い。踏みとどまらないと投げ出したくなるのは、私も君も鈍ちゃんも一緒さ。おままごとのつもりでも、家族だよ、私たちは」
この感情を分け与えるにはどうしたらいいかわからない。いまこうして、こたつで寝ているチャコも、私の恋人というわけではないし、鈍ちゃんも他に居場所を見つけるかもしれない。
私はチャコの心音近くに置いた頭を、そっとチャコの首元に近づけた。恐る恐る首筋に口付ける真似をする。私が自分の肩に載せたチャコの手は、私の肩を掴んだままだ。これは恋じゃない。チャコ、君がそばで寝ている今が、もうこれで人生最後なのかもしれないなと思うと、感極まっただけだ。
「……!」
私の肩に載せてあっただけのチャコの手が、グッと私を引き寄せて、抱きしめた。
「ブラジャー外して寝ているから、あたしの胸、触っていいよ。零」
「チャコ、ごめん、その、私……」
首筋に軽くキスの真似事をした恥ずかしさと申し訳なさでしどろもどろと弁解する私の唇に、チャコが自分の唇を押し当てた。テレビで見た時よりも激しく、舌まで私の口の中にねじ込んで来て、一通り、私はチャコに蹂躙された。
「こっちこそ、ごめんね。零、お父さん役じゃなくて、赤ちゃんになりたかったんじゃない?」
まさか、一連の不埒な行動を、チャコは寝たふりして、されるがままになっていたんじゃないか?
突然のことに、私は戸惑いを隠せず、唇を酸欠になった金魚のように、パクパクと唇を開閉した。
「チャコ、君いつから?」
「しっ!鈍ちゃんが起きちゃうよ?」
悪戯っ子のように、チャコは人差し指を唇に当てて微笑んだ。私は軽くため息をつくと、声を潜めていった。ずるいことに、身体はチャコの腕の中に預けたままだ。
「……こたつで雑魚寝だもんな。君が起きていたなら、鈍ちゃんだって……」
「起きないって。こういう時はそういう約束だって」
「おい」
「だって、雑魚寝でもしなきゃ、零とこういう事出来ないでしょ」
「酔ってるな?」
「零じゃなきゃ、イヤなんだからね」
かつて、甘やかされることを望んだ女の人の胸がそこにある。私は女の人を甘やかしてあげることができるのだろうか。
「ひとつくらい、なにかを変えようと思って見たけど、無理だったかな」
幸せなふりが得意なチャコの手は、思っていたより冷たく、私の額をひんやりと冷やした。されるがまま、額を撫でる私に愛想が尽きたのか、チャコは私から身体を離し、コタツから出た。
豆電球の薄紅の灯りの下に、曲線が見事な女の子の身体があった。
「何処行くの、チャコ」
「喉が渇いたから、飲み物買ってくるね」
「……私、台所に行って、お茶取って来ようか?」
「炭酸が飲みたいの。外の自販機なら売ってるでしょ」
さっき、私の口中を掻き回し唾液を微かに移しあった仲になったチャコは、私の瞳を見て呟いた。
「さっきの続きや、他にお話をしたいなら、一緒に買いに行かない?」
鈍ちゃんは、子供の頃の私と同じく寝息を立てていた。その先を決めるのは、他の誰でもなく、自分自身なわけだけれど。
女の子に殺し文句を言われた時の交わし方を、私は知らない。