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    子供の里のお茶の話菅波がその日の勤務を終えて、診療所の準備室を施錠していると、森林組合の事務所からサヤカが顔を出した。ひょいひょいと菅波を手招きしていて、そちらに足を向けると事務所の応接セットに招き入れられる。なにか相談事か、とサヤカの顔を見ると、ご明察、という表情である。

    「先生、前に私が手を怪我した時に取引先の接待にお点前してくれたの、覚えてます?」
    「えぇ。無事受注なさったんですよね」
    「はい。その節は本当にありがとうございました」

    それでね、とサヤカが身を乗り出す。
    「幼稚園の園舎に、当初は予定がなかった和室が作られたんですよ。日本の文化に触れられる空間をってことで。そこに炉も切って、お茶のお稽古もできるように」
    「はぁ。それで…?」
    「来月頭の日曜日、落成を記念して園児たちを招いたお茶会をしたいのだけど、ぜひあの時のお医者様にお点前をお願いできないか、と言われましてね」

    なるほど、と菅波はうなずきつつ、悩んだ表情である。
    「なぜ僕が?」
    「あの時のお点前が印象に残ってるんでしょうね。お医者さんがお点前、というのも園児たちにとっても印象に残るんじゃないか、とも」
    「うーん。僕は正式な入門もせずにかじっただけの人間ですし、以前のあれは緊急事態ということでお受けしましたが…。それにその日は予定がありまして…」

    あれこれと答えあぐねる様子の菅波に、サヤカはずばっと二の句を継ぐ。
    「あぁ、モネが来るんですもんね」
    「へっ?あ、ご存じでしたか…?」
    一か月に一度会えるか、という大切な逢瀬と知りながら…?と菅波がいぶかし気に言うと、サヤカが身を乗り出した。
    「先にモネに相談してみたんですよ。こんな話来てるんだけどどう思う?って。そしたら、先生がいいなら自分は構わないし、先生がお茶してるところもう一回見てみたいからお手伝いもします、って」

    その言葉に菅波は沈黙する。百音が自分の点前をもう一度見たいと…。
    そこにサヤカが、それでねぇ、とさらに言葉を続ける。

    「前回の接待と違って、子供たちもたくさんのある意味気楽な会だから、モネが手伝ってくれるって言うなら着物着てお運びしてもらうかと思ったんですよねぇ。ほら、成人の年に着た私の振袖あるでしょ。華やかでいいだろうし、」
    「やります」
    サヤカの言葉を遮る勢いで、菅波が勢い込んで返事をする。百音の成人の年の振袖姿の写真に文字通り東奔西走した菅波である。あの着物姿の百音をこの目で見られるなら、大寄せで点前をするぐらいなんでもない。

    「ありがとうございます、先生。あちらとは今後とも長いお付き合いをしていきたいので、助かります」
    菅波が百音の着物姿につられたことなど微塵も気づいていませんよ、という顔でサヤカが礼を言うので、菅波もそのまま頭を下げる。前の茶席道具一式はお持ちですか?と聞かれ、そのまま持っています、と菅波が答えれば、じゃあ、着物も前と同じものを支度しておきますね、とサヤカがおおよその段取りを話して、その場は解散となった。

    その日の夜、菅波が百音に電話をかけ、翌月初に点前をすることになった、と報告すると、百音からは弾んだ声が聞こえてきた。
    「サヤカさんから聞きました!先生のお茶してるとこ見られるの楽しみです!前回はお洋服の練習を一度見せてもらいましたけど、お着物の時には見れなかったから」
    自分の着物での点前を百音が楽しみにしてくれている様子に、菅波の口許が緩む。その緩みを悟られないように口を開く。

    「百音さんも今回は表のお手伝いをするんですって?」
    「はい。サヤカさんがお茶碗を運ぶぐらいなら、やり方覚えられるだろうし、お着物着せてくれるって」
    「楽しみですね」
    「先生と一緒に森林組合のお手伝いできるの、楽しみです」
    屈託のない百音の言葉に、菅波も笑顔である。

    「僕もです。まぁ、百音さんと二人きりの時間が減るな、とは思ってしまいましたが」
    ぽつりとこぼれた後半の言葉に、百音が赤面したのが電話越しにも分かるようで。
    「じゃあ、おやすみなさい」
    電話を切った菅波は、来月の楽しみが増えた、と壁掛けのカレンダーにつけた印に目をやるのだった。

    そして待ちに待った翌月初。金曜日の仕事明けの足で登米に来た百音は、菅波の退勤まで椎の実で懐かしい顔に囲まれて過ごした。菅波が準備室から中庭に姿を現すと、周囲は示し合わせたように三々五々帰り支度にとりかかる。百音も自分の荷物をまとめると、里乃がいつものように皆がめいめい持ち寄った総菜が詰まった紙袋を渡す。それに加えて、今日はサヤカも、持って行きな、と持ち重りのする紙袋を渡してきた。いずれも受け取って掃き出し窓から中庭の菅波の元に出ると、二人でぺこりと頭を下げて登米夢想を辞した。

    今回はサメ太朗連れてこなかったんですね、と運転しながら菅波が言うと、助手席の百音が、仕事から直行だったので、と笑う。お留守番だよ、って言い聞かせてきました、と生真面目に言う百音がかわいらしい。

    菅波の家に着いて、いつも通りのハグとキス。その後、持たされた総菜で夕食にしようとして、百音がサヤカに持たされた紙袋を思い出した。これ、何でしょう、と開けてみると、中には複数の紙の箱や盆と和柄の布でできたポーチのようなものが入っている。紙の箱をひとつ取り出して開けてみると、菊・竹・梅・蘭のいわゆる四君子の色絵が鮮やかな抹茶椀が出てきた。

    「あぁ、サヤカさんが貸してくれたんですね」
    と菅波が訳知りの様子に、百音が首を傾げる。箱の中から抹茶椀を取り上げて、菅波が言う。
    「お運びの練習をここでできるように、って言ってました。多分、明後日に僕たちを引っ張り出す詫びに、明日は家で2人で過ごせるようにと考えてくれたんだと思います」

    紙袋の中身を全部取り出してみると、扇と流水の仁清写の茶碗がもう一つに、茶筅・茶杓・茶巾につぼつぼの棗、缶入りの抹茶に主菓子と干菓子。運びの練習だけでなく、家でお茶を楽しめるようにというサヤカの心配りに、百音も菅波もそれをありがたく受け取るのだった。

    翌日の朝は、いつも通りの後朝の寝坊。最近菅波が腕をあげたクロックムッシュと椎の実ブレンドの朝食を終えて、仲良く片づけをした後、さて、と百音が手を打った。
    「先生、お運び?の練習お願いします!」
    さっそくやる気満々な様子に、菅波は笑顔でうなずく。
    「じゃあ、やりますか。ウチに畳がないのでそのあたりは多少想像力が必要だけど、普段畳の部屋で過ごしてるし、イメージはつくかと」

    まずは、と菅波がサヤカがもたせた道具一式から、正倉院有栖川裂の帛紗ばさみを取り上げ、中から朱色の帛紗を取り出した。そこで、ああそうだ、と思い出したように、寝室のクローゼットから自分の帛紗ばさみを持ちだしてきた。前回の時にサヤカがもたせてくれたもので、露芝の意匠が菅波に似合う。菅波が、床にクッションを置いて、ぽんぽんと百音を床に座るように促す。百音が座ると、菅波もその隣に正座した。

    「先生、足痛くないです?」
    「ひとまずは。えっと、まずですね。これを帛紗と言います」
    「先生がいろんな形にしてたのですね」
    「そう。で、今回は百音さんはそれは覚えなくてよいのだけど、茶席で亭主側、つまり何かのお手伝いの人はこれを左腰にずっと着けている必要があるんです。仕事をする人ですよ、というサインですね。なので、左腰につけるやり方は覚えておきましょう」

    百音に真新しい朱の帛紗を両手で持たせ、菅波も自分の紺の帛紗を体の前に構える。一カ所だけ縫ってなくて「わ」になっている辺があるから、それが右側になるようにもって…そう、で、向こう側に折り返して、折れたら持ち換えて真横にして、またむこうに折って…と懐中する畳み方をまず教える。菅波がすいすいとやる動きが、百音には分かりにくく、ん?ん?となるところを、菅波が百音の両手を取ってそっと導く。三度ほどやって、百音が得心すると、できた!と笑顔になり、すぐそばのその笑顔に菅波の相好はくずれっぱなしである。

    たたみ方を覚えたら、次は吊り方。たたんだ帛紗を手の上に載せて、ね、やっぱり「わ」は右側です、左から右に本を開けるように広げて、右上をつまんで、パラリと落としたら三角になるでしょ…ってなぜならない…あぁ、指は伸ばさないで良くて…そう、そこをつまんで、きゅっとひきながら横にして…

    文字通りの手取り足取りで、百音が朱色の帛紗を腰に吊ると、菅波のほっとしたため息と百音の嬉しそうな顔が行きかう。
    「なんか、これ着けてるだけで、お茶の人って感じがします!」
    「まぁ、第一歩、ですね。本番では着物なので、もう少し位置は上になります。お運びでそれは使わないので、一回着ければ最後までそのままでいいですよ」

    クッションから腰を浮かせて、体をひねって帛紗を眺める百音がかわいい、と二人で何かを新しいことをする楽しさを菅波はかみしめるのだった。じゃあ、運びの練習の最初に、茶碗の持ち方をやりましょう、と抹茶椀をテーブルから運んでくる。百音の前に扇の茶碗を置き、菅波は四君子の茶碗を自分の左の手のひらにのせた。

    「こうして、茶碗を左の手のひらにしっかりのせて、右手はこう親指とそのほかの指を離して包むように支えます。これで安定して扱うことができます」
    「その後、回すんですね!」
    「あの、茶碗を回す、というのがすごくよくあるイメージなんですが、別に目的もなく回すものではないので、一旦忘れてください。まずはこうやって持ってみて」

    えっと、と百音が茶碗を両手で持ち上げようとするので、持ちあげる時は右手だけで、親指を上のへりにかけて、他の指を下に回して、そう、それで、左の手のひらにのせて、右手の位置を変えて…、そうそう、それを『割りで持つ』と言います、と菅波がまたナビゲートする。ふむふむ、と茶碗をホールドした百音が、できた、とまたうれしげである。自分の目の高さまで上げて、持ち方をためつすがめつし、菅波を見上げた。

    「で、このあとどうやって回すんですか?」
    「…一回、回すのから離れてもらってもいいですか?」
    さっきの動きのリバースで、床に置いてみましょう、と言われ、右手の持ち方を変えて左手のひらから床に置いて、とゆっくりやってみると、菅波が頷く。茶碗を置く時と運ぶときの動作はこの通りです、と言われ、百音もはい、と両手を膝にこっくりとうなずいた。

    お茶の入った茶碗を運ぶときには、これにのせます、と菅波がそれぞれの帛紗ばさみから古帛紗を取り出した。それぞれの帛紗ばさみと同じ裂で、百音の手に珊瑚色の布が渡された。菅波が紺地のそれを広げて見せる。

    「これを『古帛紗』といいます。道具や茶碗をのせるのに使います。さっきの帛紗と同じように、三辺が縫ってあって、一辺が「わ」になってるので、その「わ」が右側になるようにして使います。左手のひらに「わ」を右になるようにのせて、その上にお茶碗を…そうそう」
    菅波の説明をふんふん、と聞きながら、百音が先ほど教わった動きで茶碗を古帛紗にのせ、割りで持ってみせて、息の合った師弟ぶりである。

    「そこで、お待ちかねの茶碗を回す、が登場です。今、茶碗で一番きれいなところが自分の方を向いているでしょう。それを『正面』と言いますが、それを出すときにはお客にむけて出すので、180度回さないといけないんです」
    「どうやるんですか?」
    「茶碗を置く時の持ち方に右手を変えて、2時の位置を持ちます。そう。そして茶碗をちょっとだけ持ち上げて、右手を4時の位置まで手前に動かします。それを2回。2時、4時。2時、4時。ね、そうすると『正面』が向こう側になりました」

    言われた通りに茶碗を動かした百音が、ほんとだ!と手元を見て感心した声をあげる。うわー、不思議-、と楽しそうなその様子が菅波にはたまらない。
    「そうしたら、3時の位置で持ち直して、お客に出します。出したら、古帛紗は半分にたたんで持ち帰ります」
    百音は、ふむふむ、なるほどなるほど、と教わった動きを二度三度と繰り返して確認をして、新しく何かを知る喜びを楽しんでいる。

    それに続いて、お辞儀の仕方や立ち座りの所作に移り、そこそこ百音のキャパに近づいたところで、一度お昼にしましょうか、と菅波が百音の頭をぽんぽん、と撫でた。二人で卵を落としたインスタントラーメンを作って食卓に運ぶ。昨日の総菜の残りも出して、簡単だがそれも楽しい昼食である。百音の卵の好みは固め、菅波の好みは半熟で、お互いの好みももうすっかりお互いの知るところ。先生が半熟好きなのって、ちょっと冷めて食べやすくなるからでしょ?と百音が言い、端先で卵の黄身を崩しながら、お見通しですね、と菅波は照れ笑いである。

    「それにしても、テレビのニュースとかでは簡単にやってそうな動作でも、やってみるといろいろ決まり事があって、難しいんですね」
    固めに仕上がった黄身を口に運ぶ百音に、麺に息を吹きかけて冷ましながら菅波が答える。
    「最初はやっぱり難しいですよ。一度身に着けば、自然とできるようになると思うけど。一定の考え方の上で決まっている所作だから、それが分かれば応用も効くし」
    「そんなものなんですね」
    ふむふむと百音が頷き、さっきのあの動きは…?と聞けば、菅波も自分の推論を交えつつそれに答える。

    「そういえば、先生はどこでお茶を覚えたんですか?」
    「最初は高校の課外授業で。高校1年の時に学校の夏休み留学プログラムに参加するにあたって、希望者は点前を習えたんですよ。向こうで交流の一助になるように、って。そして、それを聞きつけた叔母が自分が通っている教室の先生の会の助っ人に何度か僕を連れ出すようになり、そのついでに基本をその先生から再度教わって。その後しばらくは受験で離れていましたが、同期から大学茶道部に駆り出されるようになり…でつかず離れず」

    ある意味いかにも菅波らしい巻き込まれっぷりに、百音の頬が緩む。そんな中でも、やるとなったら一生懸命だったんだろうなぁ、となかなか想像がつかない菅波の高校生・大学生時代に思いを馳せる。菅波はと言えば、はるか昔に感じられる自分の学生時代に言及しつつ、今の百音がまさに医学生だったころの自分と同じ年頃だという事実からそっと目をそらすのだった。

    食後、仲良く並んで片づけをした後は、先ほどやった一連の運びの所作の復習をみっちりと。段々と百音も考えずに体の動作がついてくるようになり、菅波もこれならなんとかなりそうですね、と安堵を漏らした。じゃあ、一区切りつけてサヤカさんがもたせてくれたお茶を飲みますか、という話になり、百音が先生のお点前見たいです!と身を乗り出した。

    「サヤカさんも、百音さんがそういうだろうと見越してましたね」
    と菅波が笑いながら、持たされた道具の中から山道盆を取り出した。黒い漆が一面に塗られた丸い盆で、盆の周囲の縁の一番上だけ赤く塗られている。これを使うと、略式の点前ができるんですよ、と菅波が言うと、百音がやった、と小さくガッツポーズである。

    点前の道具一式を持って台所に向かう菅波の後ろをほてほてと百音もついていく。湯茶用のケトルに水を入れて火にかけた菅波は、百音に茶こしで抹茶を漉すように依頼する。百音が作業に取り掛かる横で、茶碗を洗って拭き上げ、茶巾を畳み、茶筅も軽く濡らして、と茶碗を組む準備を進めた。百音が漉し終えた抹茶を棗に入れ、盆の上にセットする頃合いで湯も沸く。ケトルをテーブルまでお願いします、と百音に頼んで、菅波が山道盆をテーブルまで運ぶ。百音が矢羽材の鍋敷きと共にケトルをテーブルに置くと、椅子に座った菅波が盆の向こう側に置きなおした。

    「あ、お菓子は…まぁ、いいか。適当な皿を出してのせてもらえますか?」
    盆の横に建水を置きながらの菅波の言葉に、百音はいそいそと言われた通りの準備をする。愛想のない白い小皿だが、桃色と萌黄色が混ざったきんとんが装われると、なんだかいっぱしの姿になる。その間に帛紗を腰に吊った菅波が、百音が向かいに座りなおしたのを見て、一服差し上げます、と頭を下げた。

    腰から帛紗をとってさばく菅波の手許を、百音はとても興味深そうに見入っていて、その様子がまた菅波にはかわいくてたまらない。棗を清め、茶杓を清め、と点前が進むと百音が口を開いた。
    「それって、置く場所は全部決まってるんですか?」
    「場所も向きも決まってますよ。ちゃんと次の動作を踏まえて決まってるので、意外と合理的ですよ」
    答えながらも菅波の手は止まらずに茶筅通しを進め、茶巾で茶碗を清める。茶杓をとったところで、菅波が百音にお菓子をどうぞ、と声をかけた。

    帛紗ばさみに菓子切りが入ってるから、と言われ、それを取り出して、きんとんを口に運ぶ。しっとりした甘さが口中に広がり、練習の疲れがとれるようだ、と百音の頬が緩む。嬉しそうに主菓子を食べる百音の様子を愛でながら、菅波は棗から抹茶を掬い入れて湯を注ぎ、茶筅を手に取る。シャカシャカと小気味よい音と共に抹茶が点てられる様子を百音がまた興味深そうに見る。

    ふわりと抹茶を点て終わると、菅波が茶碗を取り上げ、百音に指導した通りに茶碗を回して『正面』を百音に向けて、どうぞ、と差し出した。いただきます、と百音が言って、右手で茶碗を持ちあげて自分の前に置く。
    「えっと、どうやっていただけば…。これも回す…んですよね?」
    「まず、左手にのせて、一度『割り』で持って軽く持ち上げて一礼してください。感謝の表明に。そう。で、右手で『正面』をちょっとだけ左にずらします。数センチずつ2回で。そんなにたくさん回さなくていいです。あくまで『正面』に口をつけないようにするだけなので」

    「どうして『正面』をよけるんです?」
    「相手へのリスペクト、ですかね」
    ふむふむ、と百音が言われた通りにして抹茶を一口飲むと、苦さと甘さが絶妙に混ざった味が先ほど菓子を食べた口にピッタリで、その温かさと香りも練習の疲れをいやしてくれる気がする。ほっとして美味しい、と百音の顔がほころび、菅波もそれにつられて笑顔である。

    飲み終わりは、飲み終わったことを明示するように、軽く音をたてて啜るように、と言われ、すすっと音を立てる。飲み終わったら軽く飲み口を指でふいて、『正面』を元の位置に戻すように右にずらして。そうそう。で、茶碗を返す時には『正面』を相手に向けたいので、さっきの2時4時の2回で回して、置いて。菅波の丁寧なインストラクションをうれしく聞きながら、百音が慎重に言われた所作をなぞると、よくできてる、と菅波の笑顔がうれしい。

    返された茶碗を取り込んで清めた菅波が、そうだ、と百音の顔を見た。
    「僕の分のお茶、百音さんが点ててみますか?」
    「いいんですか?」
    「ぜひ」
    「やってみたいです!」

    持ち前の好奇心を発揮する百音に、じゃあ、ここに座って、と菅波は自分の座っていた椅子を譲る。百音が早速に座ると、菅波が隣に立ってやり方を説明する。すべての道具を初めて触る百音はおっかなびっくりだが、一生懸命に説明についていき、何とか抹茶を点てることができた。

    「じゃあ、僕に出してみてください」
    と正面に座った菅波が言い、百音が茶碗を手に取って回して出すと、ばっちりです、と菅波が笑う。百音が小さく自分の前で拍手して、うれしげである。手早く主菓子を口に放り込んだ菅波が、百音の点てた茶を一口のんで顔をほころばせる。
    「うまいですね」
    その一言に、百音はせんせい、ほんとに?と身を乗り出す。
    ほんと、ほんと、と言いながら、菅波は心底うまそうにその茶を飲み干した。

    その後はまた菅波が盆の前に座って、点前の後半にあたる終いですべての道具の位置が元通りになって点前を終えた。おそまつさまでした、と菅波が頭をさげて、百音もぺこりと頭をさげた。菅波がふと百音の顔を見ると、百音がとてもしみじみと自分の方を見ていることに気づく。菅波が首をかしげて見せると、百音が軽く首を振った。

    「やっぱり、先生の仕草って、素敵だなぁって思って。私、先生の手がいろんなお仕事してるとこ見れるとうれしいんですけど、お茶の仕草も素敵だなって」
    にこにこと言う百音の破壊力に菅波は撃沈寸前で、口許を覆いながら、もう10年以上も前に茶道を選択した高校生の自分を今更ながら褒める。

    緑茶も淹れて、干菓子も食べますか、と菅波が盆を持って台所に向かう。百音さんは座ってて、と言われ、百音は使わなかったもう一つの茶碗を手に取って、2時、4時、3時、と扱いの練習をするのだった。
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    2023/01/29 2:23:11

    子供の里のお茶の話

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