千日白々 天高く馬肥ゆる秋。未だ残る残暑に畑の作物はやや萎びかけているし馬は我ら同様仮の肉体なので特に肥えることはないが、風も穏やかな良い秋の日である。
こんな日には倉庫の虫干しがぴったりだということで今朝方早く募集がかけられ、非番で暇が確定していた俺はせっせと働いた。褒美にもらった団子の包みを手に、一振り部屋に帰り着こうとしている。
兄者も手伝うよう声をかけたが、今日は上杉の短刀と遊ぶと言って断られた。前から約束していたと言うのだから仕方ない。
団子は一振り一串で働いたものにのみ配られたが、せっかくだから分けてやりたかった。兄者は団子が好きなので。春夏秋冬いつでも団子の食べられる機会は逃さない。褒美が団子と分かっていたらどうだったろう。約束を違えるひとではないから結局俺が一振りで行ってこうして持ち帰っていただろうな。俺は虫干しが嫌いではないし。
「いま戻った」
「おかえり」
障子を開けると、部屋中央に置いているちゃぶ台に伸びた兄者がこちらも見ずに返事をした。居ると思わなかったので驚く。団子は置いておくと固くなるので居てくれて良かったが、ふつうに外で遊んでいると思っていた。
伸ばした腕に頭を置いて、兄者は怠惰に本を読んでいた。だらしがない。しかも頭に花がついたままだ。赤詰草に似た丸い花が均等に髪に挿してある。どこかで見た気がする。
「兄者、花が……」
「あ、だめだめ」
払おうとした俺の手を遮るように後頭部で手がぱたぱたする。取るなということらしい。ちゃぶ台をぐるりと回ると、兄者は目をくりくりさせてそれを追った。動くつもりも無いらしい。
「何をしているんだ」
「木の実のケーキ」
名詞で返さないでほしい。今に始まったことではないが。
「ケーキ? 何が」
「僕」
「木の実?」
「花」
俺はもう一度ちゃぶ台を回った。内番服の兄者は全体的に白っぽく髪だけが柔らかそうな鳥の子色をしている。そのふんわりとした色かたちに紅色の花がぽつ、ぽつと。言われてみれば桑の実などのように見えなくもない。桑の実のケーキというのは聞いたことがないが。
兄者はとにかく今は木の実のケーキなので動けないとのことだった。団子は目ざとく見つけ懐紙を広げて眺めている。「食べていい?」虫干しの褒美だぞと言うと、そうかあ、と答えて頬張った。
「今にあの子らが皿を持ってくるから、もう少し待ってね」
「何を」
「え? だからケーキ」
そういう、ままごとのようなものをしているらしかった。歌仙が切り花を桶に入れて置いているところから一本くすね、それで兄者を飾り、ケーキとして食べるらしい。なるほど歌仙の花だったか。それなら確かに見た。これは千日紅だ。
この遊びは面白いのか?と聞くと、面白いんじゃない?と疑問形で返ってくる。ものすごく面白くないということはない、という微妙な意味合いがそこに込められている。もしくは短刀らへの慈愛とか、そういう柔らな綿菓子のような感情が。兄者は年若いものを相手にするのが好きだ。
「兄者はこのあと切り分けて食われるのか」
返事が無くなった。ちゃぶ台を回って戻ると団子を咀嚼している。食べているときに口を開くなと顕現初日から耳にたこができるほど言われているが、喋れなくなるほど口にものを含むなという意味でもあった。
だめだと言われたが、耳の横辺りに刺さっている千日紅を一つ抜き取った。萼の下できれいに切られ、確かに果実のようにころんとしている。千日褪せぬというその色は、ケーキにのせる果実のそれよりよほど野趣を感じる。重く、濃く、深い紅。
たとえば俺が歌仙の桶から千日紅をくすねてきて、兄者に贈って髪に飾って、切り分けて食いたいと言ったら、兄者はやだと言うに違いない。それくらいは分かる。兄者は相手が年若い短刀だから許しているのであって、こう何だかよく分からない遊びに身体を提供するようなことは無い。
でも言ったら本当に嫌がるだろうか? 嫌がるだろうな。嫌がってるところを見たいわけじゃないのだ、本当に。あと別に短刀に嫉妬をしているわけでもない。ただ俺はこのひとに千年冷めやらぬ恋をしているので、俺が千年想ってもできぬようなことをここ半年で親しくなった刀はできるというのを目の当たりにし、ほほおそうか、ふうんなるほどなと思う。こんなことしようとは思いつかなかったが。
切り分けて食うのか。
兄者は半眼で俺を見ていた。俺は千日紅を兄者の耳の横に返した。落ちずにきちんと挿さった。
「では、遊びの邪魔になるといけないので……書庫にでも行っていよう」
「ああ……じゃあついでにこれ、返しておいてくれるかな」
先程まで読んでいた本を手渡して兄者は目を眠った。花の精みたいだな。西洋の絵物語で見たぞ。
渡された本はめくってみると植物のポケット図鑑だった。試しに千日紅を探してみる。こういうのは索引から見ると早い。あ行から書いてある。
「……兄者、どれだけ待たされているんだ」
「んん、そこそこ」
せんだん、ぜんていか、せんとうそう、せんにちこう。花言葉まで載っている。……いやいいんだそういうのは。さっきのは無しだ。絶対に兄者に贈ったりしない。
「団子を食べたのだから、これ以上の間食は控えるようにな」
「ちょっと無理かも」
「無理ではないだろう」
部屋を出る間際振り返る。木の実のケーキと分かると、なるほど可愛らしく見えるものだ。待たされすぎてクリームが溶けているところも良いと思う。状態としては。俺は自分の欲が巡り巡って露呈したような気がするのでしばらくあの花は見たくない。歌仙が活けて玄関に置くだろうが。その度兄者にあの半眼を向けられると思うと、いや向けないが。これもまた俺の願望だ。このひとは俺の恋心など知らないので。
「兄者」
「なあに」
呼びたくなって呼んでしまったが特に何も考えていなかった。「……五虎退たちを呼んでこようか」
「書庫に行って、帰りに?」
「いや、書庫に行く前に」
「呼んで、書庫に行って……ああそう」
兄者はゆっくり振り向いた。
「ケーキ食べないでいいの?」
天高く馬肥ゆる秋。仰いだ空にはいわし雲がたなびいていている。馬は肥えていないがケーキワンホール食べたら俺のこの身は肥えるのだろうか。ワンホールはつまみ食いどころの話ではないが、まるまる消えてなくなったら不思議な話で終わってくれるんじゃないかという気がする。
ここにケーキなんて無かった。中途半端に残すからいけない。
「兄者は」
「うん」
「ケーキではないだろう」
五虎退を探してくる、と言いおいて障子を閉めた。果たして五虎退と謙信景光は厨に居て、小豆長光にケーキを切り分けてもらっていた。ケーキだ。……。
「兄者が待っているから、早く戻ってやってくれ」
「あ、お、お待たせしてます、よね……」
「あつきがいないから、けーきのばしょがわからなかったんだぞ」
「むしぼしをすると、いっておいただろう」
「そうだな、小豆とはさっきまで倉庫で一緒だった。まあとにかく伝えたので俺はこれで」
ちょっと大変なことになった気がするが恐らくすれ違った会話をしていたので大丈夫だろう。多分。大丈夫だから千年も懸想していられるのだ。さて書庫に本を返しに行こう。夕餉前に戻って、おそらく兄者は寝ているだろうから起こして、それでまた元通りだ。兄者は寝たら忘れるので!