気持ちの悪いスマイルの話
しんと静まり返った人の気配のないダイニングやリビングはいつも以上に寒々しく感じる。
城主や他の住人たちが居ないだけで
何処か別の空間に放り出されたかのような気分にさえなってくる。
普段城主がふんぞり返っているソファーに身を沈めて耳を澄ましてみるも…当然ながらキッチンからの音は聞こえてこない。
包丁がリズミカルにまな板を叩く音も
クッキーやケーキの甘い香りも
そして何より
金糸雀の囀りの如く澄んだ話し声も
鈴を鳴らすかのような愛らしい笑い声も。
…そーいえば…独りになるのって
イツぶり…?
そんな風に考えながらごろりと寝返りを打ったが、ベッド程の広さはないソファーゆえ…ごどんっと床に落っこちた。
「いっっったぁ…っ…」
厚手のカーペットが敷かれているおかげで幾分マシだがそれでもある程度の高さから受け身も取らずに落ちればそれなりに痛い。
オマケにテーブルにもぶつかったらしい。
「もぉぉぉ〜〜〜…」
徐に身体を起こして胡座をかきながら、打った尻やぶつかった腕を摩る。
『全く…何をしているのだ、お前は。』
『そんなとこでゴロゴロしてるからっしょ。』
『…だっ、大丈夫ですか…??
今、頭をぶつけたんじゃ…』
住人達…否、家族の声が耳の奥に響いた。
「……はぁ……
早く、帰ってこないカナ〜……。」
こんなにも独りが寂しいと思うなんて。
溜息と共に吐き出した一言が静寂に支配された空間に溶けて消えた。
耳に届いた微かな音が沈んでいた意識を一気に引き上げた。
目を開くとリビングの天井が見える。
アレ…寝てた…??
ぼんやりとした頭でそんな風に思いながら身体を起こすとどうやらカーペットの上に横たわっていた様で…薄手の毛布がかけられていた。
意識と共に惰眠に沈んでいた聴覚を刺激した音の発生源はキッチンの様だ。
のそりのそりと立ち上がってかかっていた毛布を頭からすっぽりと被り、欠伸を噛み殺しながらドアを開いた。
「アッシュ〜…おかえりぃ……
なんか甘いモノなぁ〜い〜?」
碌に見もしないでそう告げた自分に返ってきた返事はアッシュのそれではなく…。
「アッシュさんなら、まだお帰りになってませんよ。」
「ふえ!?」
予想していなかったその声に思わず変な声が出てしまって、声の主は苦笑している。
…そんな顔も大変可愛らしいのだが。
「アレ、姫…???
え?早くない!?!?」
「ええ、予定が変わって…
早くなっちゃいました。」
「えと…まさか独りで帰ってきたの?」
「いいえ。お兄ちゃんが送ってくれたんです。」
「そ、そうなんだ…良かった…」
ほっとした自分に彼女はまた苦笑を浮かべる。
何処か申し訳なさそうな、そんな様子を滲ませて。
「で、姫はナニしてたノ?」
「お夕飯の仕込みに入ろうかと。
アッシュさん、今日は長引くかもって…」
彼女の言葉の途中で背後から抱きすくめる。
…なんだか、少しばかり元気がない気がして。
「…あ、あの…スマイルさん??」
「……。」
「えっと…これだと動けない、です…」
彼女もこうすることに随分と耐性がついたのか、唐突なハグもバックハグもここへ来た当初ほどの動揺は見せなくなった。
それでもまだ恥じらいはよく見える。
今、この時も頬が赤く染まって…堪らなく可愛らしい。
「あ、あのっ…スマイルさん…?」
「……………。」
「す…っ…スマイル…お兄ちゃん!
聴いてますかっ!?」
「…ウン。聴こえてル。」
「…も…もぉぉぉ〜〜〜〜!!!」
「だって姫が、呼んでくれないんだモ〜ン。」
いつも言ってるのに…と小さく拗ねたように零せば、彼女は益々困った様子でうぅぅ〜…と唸る。
「そ、外でもうっかり言っちゃったら…
困るじゃないですか…!」
「えー、困る?ナンデ?」
「な、何で…って…」
「困るのはボクらが?それとも姫が?」
「もちろん皆さんが!ですっ!」
「困んないヨ。」
「え、えぇ…即答…?」
「ウン、だってホントだし。
全然困んないヨ?
ボクもアッシュも喜ぶだけダヨ。
…寧ろテンションアゲアゲで更に頑張っちゃうネ〜。」
「…うそだぁ…」
「嘘じゃナイヨォ。」
ダカラさ、今度試してミテヨ。と耳元に囁けば彼女は更に顔を赤くして両手で顔を覆った。
「…スマイルお兄ちゃんは、こうやって女の子引っ掛けてるんですもんね。
…ずるい…」
「今はしてないってばァ。
いつも言ってるデショ〜?
今のボクは姫一筋ナノ。」
「全っっ然、信じられません。」
「………姫って…ボクにはいつも手厳しいヨネ…」
顔を覆う両手の指の隙間からチラリとこちらを睨みながら彼女は小さく放つ。
「そりゃあ…しっかり洗礼、受けましたからね…。忘れてないですよ。」
「うっ…あ、アレは…ッ
ホントに反省してるってば…。」
ネ〜?と再び抱きすくめればぷいっと顔を背けてもうっ!と可愛らしい怒りの表現をした。
「……ねェ姫、またなんかあった?」
わざと低く静かな声で確信を突いてみる。
すると彼女は一瞬動きを止めた。
「……ナルホド。
今度はどんなコト?
内容によってはお兄チャンが処すケド。」
「…そんな物騒な事を言うお兄ちゃんにはお話しません。」
「何かあったことは否定しないんだネ?」
「…否定したところで…
結局すぐ分かるでしょう?」
「じゃあ、言ってヨ。
調べる手間も省けるカラ。」
「…言わないもん…。」
「へぇ…強情ダナー。」
「…大したことでは無いし…
あっ!下手に何か動いたら怒りますからね?
本当に口聞いてあげませんからね!」
「…わ……わかったヨ…。
それだけはマジ勘弁。ユルシテ…」
「分かってくれればいいです。
…ところで…」
「ん?」
「いつまでこうしてるんですか?
動けないんですけど…」
「ん〜もう少しダメ〜?」
「ダメです。」
ぴしゃりと言い切られてしまい、えぇ…と漏れる。
彼女はこちらを一瞥するとくすくすと笑って甘いもの食べたいんじゃないんですか?と問うた。
「おやつ用意しますから一緒にティータイムしませんか、お兄ちゃん♡」
語彙を失う程愛くるしいそのお誘いは
どう足掻いても断れるはずもない。