イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  •  目覚めたとき、最初に目に入ったのは傷ついた床だった。身を起こそうと手を床につき、自分が拘束されていることに気が付く。私は、枷を壊そうと両腕に力を籠めた。しかし枷はびくともせず、鎖がじゃらじゃらと忌々しい音を立てるばかり。数回破壊を試みるが罅も入りはしない。そこでようやく、枷が銀で出来ていることに気が付いた。重く深い息を吐く。気だるさから壁にもたれた。ここは、どこ?なぜこのようなことになっているの。記憶を引き出す。私は、そう、誘拐されるレイツを助けようとして失敗した。なぜレイツが誘拐されるのだろう。素性の分からない、ただの男だというのに。素性の分からない、素性の……
     記憶の霧が晴れていくような感覚に、思わず瞬きをする。レイツという男は、義弟のロートにそっくりだ。それに気が付いた瞬間、ぱらぱらと落ちる雨粒のように、今まで忘れていた昔の記憶が次々と呼び覚まされた。どうせ今できることは無い。暇潰しに、記憶の水溜りを覗き込んだ。

     昔暮らしていた屋敷は広く、父と数多くの兄弟が住んでいたらしい。らしい、と言うのは、私が会ったことがあるのは父と一番歳の近い赤い目の弟、そして父に付き従う緑の兄だけだからだ。彼らとも、数える程しか会った覚えがない。同じ血を身の内に流す以外、何の繋がりも持たない者たちがあの家には沢山蠢いていた。周囲の者は皆私を「ゴルト嬢」と呼び、畏れ敬った。我が父、「クラール様」の子供だからだ。あそこに住んでいた者は皆、良くも悪くも血脈への意識が高かった。あそこでは、誰がどんなに優れた行いをしても、置物の「クラール様」より価値ある存在にはなれない。心より敬愛する「クラール様」の為に何ができるか。価値はそれだけ。
     退屈な日々だった。起きたら動きづらい布の嵩張るドレスを着せられ、決まったあいさつと食事をする。代わる代わる自室にやってくる教師の面白い知識を活用する機会は与えられず、屋敷の外に出ることも許されない。窮屈な箱に押し込められ、体が腐っていくようだった。窓から見える空はあんなに広くとめどなく流れ続けているのに、私が動けるのは同じ天井の下だけ。得た知識を、技術を、使ってみたい。私たちと同じ姿をした弱い生き物を、時には追い回し、時には甘言で誘惑してみたい。この牙で柔らかな肉を貫き、新鮮な血を味わってみたい。この手で、「狩り」をしてみたい。手心の無い殺し合いを、してみたい。淑やかな動きを求められるようになるにつれ、その欲は高まるばかりだった。
     勉強部屋から私室に戻るため、中庭を通り掛かった時のことだ。ぱん、と耳慣れない音が聞こえてきた。興味が湧き、庭を覗く。そこには赤い目をした兄弟と、その付き人が居た。兄弟の手の中で、拳銃が月の光を冷たく反射している。
     あれが、銃。
     もっとよく見たい。気が付いたら中庭に飛び降りていた。突然現れた私に目を丸くする弟。小さな手の中のそれを強奪し、じっくりと観察する。銃口の奥がよく見えない。月の光で照らそうと掲げると、白い手袋にそれを取り上げられた。従者服を着ている。足元に先の弟がしがみ付いているところを見ると、弟付きの者のようだ。
    「ゴルト様、私の主君を困らせるのはお止めください。後で私がお叱りを受けてしまうではありませんか」
    「あら、自力で取り返そうとしない主人の叱責など聞かなくていいのではなくて?貴方も御付きの者なら、家臣の中でも優秀な方なのでしょう?私のもよく言ってるわ、『貴女の振る舞いは私の評価に直結しているのです。私の自尊心と買われている能力にかけて何としてても主人らしい振る舞いをしていただきます』って」
    「ゴルト様の御付きの方は立派な方なのですね。その方は全ての従者が主人に望むように、ゴルト様が文句の付けようのない立派な主人となることを願っているのですよ。もちろん、私もロート様の立派に成長なされた姿を見ることの出来る日を待ち望んでいます。私が理想とする主君は、弱者にも慈しみの心を持つ方なのです。ですから、生きた見本としてゴルト様という強者に挫かれる弱者のロート様を見捨てるわけにはいかないのです」
     従者とは思えない発言に、思わず銃から注意が逸れる。その隙に弟が従者の手から銃を掠め取り、従者の背に身を隠した。素早い。従者はあまりの早業に気付けなかったのか、緑の目を見開き自らの背後に視線を向けた。後ろで一纏めにされた金の長髪が目前で揺れる。……髪で隠され見えなかったが、服の下に硬く重い、銃のようなものがもうひとつ、隠されている。盗ろうと手を伸ばした。
    「ゴルト様、お止めください。それが淑女の振舞いですか?」
     聞き慣れた声に阻まれる。かつかつと接近する者に目を向けると、予想通り、見慣れた私の従者の姿。忌々しい。ほら、私の表情が歪んでいることを見咎め固く結んだ口を開く。
    「淑女たるもの表情には気を付けるよう忠告申し上げていたはずです。他人と良い関係を築く基礎は節度と微笑みから。何故わざと無視なさるのですか」
     他でもないその小言が私の表情を歪めている事に、この男はいつになったら気付くのかしら?他人との繋がりなんて要らないわ。私、いつか絶対此処を出て一人で旅をするのだもの。お前も兄弟も門番も、お父様だって、阻む者は全員殺してやるんだから。そう言ってやろうと睨み上げた時、私の前に再び金の波が寄せた。
    「ルーガ様、貴方は確か、銃の名手でしたよね?ロート様に銃の手解きをお願いできませんか。私より、やはり腕の良い方にご教授いただく方が得るものが多いでしょう。その間のゴルト様の指導は私に任せていただきたい」
    「!貴方はアプト様。……願ってもございません。お願いいたします」
     そう言うと、大人しく弟の元に駆けて行った。大人しく口を噤むなんて珍しいわね。自分も何か私の指導について思うところでもあるのかしら。弟を指導する従者を見ていると、私も男になれば自由に生きることができるのかしら、などとくだらない事を考えてしまう。目を逸らす。
    「ゴルト様。貴女の強かさを見込んで取引をしたいことがあります」
     ロートの従者が耳元で囁く。目をやると従者はいたずらっ子のように笑っている。へえ、こんな従者も居るのね。私の表情を見て従者は笑みを深め、続きを話す。
    「もし無事達成されましたら、報酬として私のお下がりですが銃を一丁差し上げます。決して悪い品ではありません。今ロート様が手にしている物と同じ工房のものです」
    「いくら良い物をいただけたとしても、対価がそれより高ければ意味がありませんわ」
     それを聞くと、従者の声が踊り出した。取り繕う気は無いらしい。
    「やはりゴルト様はロート様より抜け目が無いようですね。ご想像の通り、私にとってはゴルト様に頂く対価の方が遥かに高くつきます。……もし、この屋敷が襲撃に遭い、迎撃に出た従者が帰って来なければ。屋敷を脱出しなければならなくなったら。ロート様を生きて、屋敷の外に連れ出していただきたいのです。脱出した後の世話まではお願いしません。森まで連れ出してくださるだけでいいのです」
    「どうやって銃を渡すつもりですの?それに、そのような自分の命が掛かっている状況なら、わたくしが連れ出さなくても勝手に脱出しているのではなくて?」
    「そう気軽に言えるゴルト様だからこそ、私はお願いしたいのです。銃のことならご安心を。果たされれば必ず貴女の手に渡るよう手配しておきます」
     あの時は力強い語調に疑い半分で約束したが、今にして思えば、ロートの従者は近々屋敷が襲撃に遭うことを感付いていたのだろう。頬杖をつき、宙に浮いた足をぶらぶら揺らす。襲撃者の掃除に、従者が狩り出されたから気楽だ。
    「『此処で課題をしてお待ちください』なんて言っていたけれど、とっくに終わってしまいましたわ」
     部屋の扉が叩かれる。従者のものとは程遠い乱暴な叩き方。返事も待たないうちに扉が破られる。ずらりと並ぶ、お勉強でしか見たことのない衣装の面々。天敵の、聖職者の衣装。優雅に立ち上がり、カーテシーをする。
    「随分乱暴なノックですのね。でも、お上品なノックより好感が持てますわ。ようこそ素敵なお客様たち。おもてなしいたしますわ。邪魔者を殺して、刺激をわたくしにまで持ってきてくださったのだもの」
     不思議なことに、自然と微笑むことができた。

     金に換えることのできそうなものを見繕いトランクに詰める。服の裾が血でベトベトでも、初めての狩りやこれから始まる外での生活を想うと気持ちが弾んだ。
    「外でこの格好は不便ね」
     びらびらと重いドレスを破り捨て、たった今私に殺された人間から衣服を剥ぎ取る。私にはかなり大きいが、外で調達すればいい。荷物を持ち、部屋を出る。人間も人ならざるものも重なり合い転がる廊下をスキップで駆ける。遠くで未だ騒々しい物音が聞こえるが私には関係無い。人間が火を放ったのか、黒い煙が天井を覆っている。こんなところに好き好んで長居する者は馬鹿だ。さっさと外に出て私は血筋にも性別にも縛られない世界で生きていくの。血と煙と死体の花道が私を外へ誘う。表にはまだ人間が居るだろうと、地下通路へ足を向ける。薄暗い廊下。転がった死体の中に見慣れたものを見つけ、足を止めた。
    「あら、帰って来ないと思っていたら。こんなところで死んでいましたのね」
     頭部が無いその死体の腰には革のベルトが巻かれている。いつも私の目の前にあった銃は見当たらないが、くたびれ具合に傷までそのままだ。何度銃を掠め取ろうとしてかわされたことだろう。数刻前を想いを馳せながら、死体からベルトを剥ぎ取る。自分の腰に巻く。一番内側の穴に通しても余裕があった。指先で撫で、革の感触を楽しむ。喧騒は遠い。バックルから指を滑らせると銃のホルダーに触れた。中身は無い。生者は居ないことをいいことに、うろうろと周辺を歩き回る。手近には見当たらなかった。誰かが持ち去ったのだろう。腹が熱い。これが、獲物を横取りされた感覚。喉を焼く熱された空気より、臓腑を焼くものの方が熱い。ベルトに新しい傷ができる。あれは、あの銃は、私のものだったのに。乱雑に荷物を取り、地下通路へ向かう。後ろを振り返ることは無かった。

     地下通路の入り口が隠されている部屋へ差し掛かると、近くから耳障りな子供の泣き声が聞こえてきた。思わず舌打ちをする。大きくはないが、よく通る声だ。この辺りはまだ火の手が回っていないためか、子供の他にも複数の気配がある。地下通路の出口が人間に張られていても動き回る空間があれば突破できる。だが、私が通路から出る前に子供の声で人間が集まり、地下通路の入り口が発見されれば挟み撃ちになる。狭い地下通路に板挟みになった状態で魔術をかわす空間は無い。子供を殺すため駆け出した。
     子供の声が大きく感じなかったのは、子供が死体に縋り付いていたかららしい。子供が私に気付く前に頭と肩を掴み、引き千切ろうと力を籠める。しかし片手が機能しない。頭を掴んだまま片手に目をやった時には、私の片手は手首から消えていた。子供が何かを投げ捨て、後頭部に手を伸ばす。爪先が手に触れる前に子供を投げ捨てた。距離を取るため後退すると柔らかいものを踏みつけた。私の片手だった。
    「……何のつもりですか、ゴルトお姉さま」
     子供が気だるそうに問う。不思議だ。煙に巻かれた様子でもないのに、声が掠れている。
    「貴方が騒がしくするのがいけませんのよ。私だって一刻も早く此処を立ち去りたいのです」
     目の前の「吸血鬼」を殺すつもりで構え直す。目の前の吸血鬼が目を見開いた。
    「弟を殺すつもりなの」
    「生憎、私は兄弟に会ったことなんてありませんわ。貴方が私を見たことがあると言うなら一方的にでしょう」
    「服をよく見てください!先日お会いしたロートです!庭で銃の練習をしていた!」
    「銃……」
     「中庭」「銃」という単語で、兄弟の従者と「主人を助ければ銃を贈る」という約束をしたことを思い出す。主人の容姿は覚えていないが、赤い瞳に「ロート」という雑な名に自分と通じるものを感じた。服をよく見れば釦にゲシュプの紋章が刻まれている。なるほど、兄弟らしい。もしやと思い横の死体に目をやれば、件の従者が事切れていた。ベルトに触れる。なるほど。そうなると、私がやることは一つだ。
    「放して!アプトを置いて行くなんてできない!」
    「黙れと言っているでしょう。人間が来れば貴方の従者の死体が見るも無残な姿になりますわよ」
     びくりと震え、肩の上の子供が大人しくなる。再生した手で荷物を持ち地下通路へ足を向け、止めた。数人の足音が近付いてくる。一度持ち上げた荷物を置く。子供は降ろさないまま、煙の張り始めた天井付近へ跳躍した。来るのは三人。他にも気配はあるが、向かってくる様子は無い。目の前に来た所で子供を投げつけ、素早く全員の首をかき切った。ああ、折角服を変えたのに。子供の方を見ると、人間の一人に噛み付いている。空腹だったのかしら。立ち上がった後、こちらの視線に気が付くと俯いて「まだ、生きてたから」と言い訳のように呟いた。噛まれていた人間が子供の眷族として立ち上がる。子供も、此処を脱出する覚悟を決めたらしい。私たちは地下通路へ繋がる部屋に向かった。
     部屋に入った瞬間から、どこか様子がおかしいことには気が付いていた。第一に、新しい靴痕が妙に多い。この部屋は物置だったはずなのだけど。第二に、普段は上に物が置かれて見えないはずの地下通路の扉が露になっていること。第三に、点々と廊下まで落ちている血痕が、地下通路へ続いていること。子供が扉に耳をつける。
    「外までは分からないけど、十数人居る。他の出口を当たる?」
     少し、考える。人間がこの通路を使っているということは、魔術罠は仕掛けられていないだろう。銃を手に入れるにはこの子供を外まで生かして連れ出さなければならない。眷属と子供を利用すれば、一人の時より地下通路を突破するのは容易かもしれない。しかしそれは子供が死ぬ危険性が高まるということだ。人間も出入り口は手練で固めているだろうし、何より自分の前に足手纏いが居たらこちらの命も危ない。此処で待機させている間に館内の人間が戻ってきたら元も子も無いが、お荷物を護りながら突破できるだろうか。それに、通路の出口は森の中だからすぐに日の光を浴びる危険は無いと聞いていたが、人間がこの通路を使っているなら日陰は無くなっているかもしれない。懐中時計を取り出す。午前四時。まずい、じきに夜が明ける。他の通路に移動している時間は無い。子供に荷物を押し付け、両手の感覚を確かめた。
    「突っ切りますわ。私、眷属、貴方の順で通るけれど、戦闘の邪魔だから私とは一定の距離を保ちなさい」
    「分かった。魔術で援護するよ」
    「……腕は確かなのでしょうね?半端なら自分の身を護ることを優先して欲しいわ」
    「大丈夫。簡単なものしか使わないし、ゴルトお姉さまくらいの速さなら当てないよ。盾もあるしね」
     先の臆病さはどこへ行ったのか、子供は自信に満ちた表情で眷属を前に出した。もしかしたら、乗せられやすいタイプかもしれない。一抹の不安を覚えたが、言及する時間も惜しい。奈落へ続く、鉄の扉を引き上げた。
     地上より冷えた空気を切る。階段を降りきる前に、影から通路を探った。やはり人間が一箱ほど居る。腕に自信があるのか、皆緊張感はあるもののどこか熱い闘志を感じた。自然と持ち上がる口の端。これだ。私が待っていたのは、これだ。互いの命を懸けた闘争だ。互いの血を干す、夜を彩る華だ。人間の持つ十字がぎらぎらと私を誘惑する。吸血鬼の出現を知っているのは、煉瓦の隙間から覗く苔のみ。通路を満たす静寂を、数多の悲鳴で裂きたい。そう思った時には、誰かの心臓を握り潰していた。喉に血が絡まったのか、上がったのはくぐもったうめき声。残念。
    「出たぞ!!」
     弾かれたように人間どもが構え始める。完全に構え終わる前に手近な奴の腕を折る。脱力した手から剣を奪い取り、持ち主の首に突き立てた。間髪置かず斜め後ろから振り下ろされる剣。腕で貫いた人間で受ける。肩から上が落ちて驚く。人間ってかなり脆いのね。先ほど奪った剣で再び向かってくる剣を弾き、胸を深く一文字に斬った。肩に何かが刺さる衝撃。続いてナイフが数本飛んで来る。剣で叩き落とした直後、急に体が重くなった。魔術だ。ナイフを投げる人間の背後に数人詠唱する者を確認する。邪魔だ。荷物を減らそうと死体から腕を引き抜くと中身も出た。ナイフ使いに投げる。叩き落すナイフ使いの頭上を飛び越える。天井スレスレに通り抜け、術者どもの首を爪で引き裂く。しかし軌道が変わり皮一枚も切れなかった。大きく空振りし、背後からナイフが迫る。わざとナイフを腕で受け、頭を鷲掴みにした。頭に爪を立て、握り潰すよう力を籠める。新たなナイフを取り出そうとしたので背後の詠唱途中の術者に叩きつけた。
    術者の後ろから剣士が出てくる。舌打ちをし、背に刺さったままだったナイフを投げた。
     イライラする。体が重いから?脆いくせにわらわらと湧く人間が目障りだから?ぶかぶかの服が纏わりついて動きづらいから?……全部違うわ。やり辛いからよ。時間を気にして。背後を気にして。お行儀を気にして。もう縛られる必要の無いものにまで縛られている。心の底から、楽しめてない。邪魔ね。要らないわ。もう誰の生死もどうでもいい、捨てましょう。裸になって、命煌く死のワルツを踊りましょう。私は上半身に重く纏わりつく服を脱ぎ、赤く染まった靴を捨てた。
     地下通路を抜けた先にも、やはり人間は待ち受けていた。しかし数人殺すと敵わないと踏んだのか、数十人居たのが蜘蛛の子を散らすように逃げていったのだった。周囲の気配を探っても、もう私の背後にしか生者は居ない。なんだ、もう終わりなのね。ため息をつくと、急に空腹を覚えた。手頃なのを探す。これでいいか。子供の眷属に食らいついた。子供が何か言うかと思ったが、何も言わず震えているだけだ。殺してしまってもいいだろう。血を飲み干す。外に出て一人ひとりの人間の死を確認する子供に視線を向ける。用心深いわね。通路に居た人間だって、一人として生き残っていなかったでしょうに。ふと頭上を見上げる。そこに天井は無く、どこまでも広がる星空があった。その壮大さに息を呑む。思わず手を伸ばした。
    「ああ、夜空ってこんなに眩しいものでしたのね!これがどこまでも続いているなんて、どんなに沢山の宝石が連なったシャンデリアだって敵いませんわ!土の感触も面白いわ。息をしているみたい。石もいろいろな形をしていて個性的だわ!」
     眷属の体を捨て、駆け回る。これが森の土の香り。これが石を踏む感触。これが手入れされていない木々。木の葉のざわめきや鼠の声も新鮮に聞こえる。
    「ゴルトお姉さま、全員、死んでました」
     足を止め、子供を見る。俯いている為表情は分からない。何が言いたいのかしら。
    「当たり前ですわ。殺したのだもの」
    「……そうですね。最後までお手伝いできず、申し訳ありませんでした」
    「最初からあてにしてなかったから構いませんわ。あら、山の端が明るくなり始めてますわね。そろそろ失礼しようかしら。荷物を返してくださる?」
    「その前に襟を正してください。人間に血で染まった肌を見られたら、吸血鬼だと知られてしまいます」
    「あら、でもこの服ももう血で染まっていますわ。また死体から見繕い……」
     急いで腰にベルトがあることを確認する。ベルトを紛失していないことに安堵すると同時に、ホルダーに見慣れない銃が収まっている事に驚く。いつの間に持っていたのかしら?手に取ってまじまじと眺める。月の光を反射する銃身に、独特のシルエットを象る撃鉄や銃把。以前ロートの持っていたものと似ている。ロートの方を見ると、ロートの手には以前と同じものが収まっている。
    (ああ、そういえば、そういう約束だったわね)
     なるほど、するとこれがあの従者のお古らしい。自由に戦える喜びですっかり忘れていた。お古と言う割には使われた形跡があまり無い。あいつと違い銃の腕が良くなかったのか、新品のまま仕舞い込まれていたようだ。地下道に戻り、死体から損傷の少ない服を見繕っていると、外で呆然と銃を眺めていたロートが自分の銃を押し付けてきた。
    「差し上げます」
    「あら、貴方も銃に興味があったのではなくて?ナイフや剣はその辺の奴を襲えば幾らでも手に入るけど、質の良い銃を持っているのはそうそう居ませんわよ」
     子供は癇癪を押さえ込むように目線を足元に落とし、硬く手を握る。地下道の煩い静けさに溶け込みそうな声で、こう言った。
    「持っていると、つらいのです。自分が奪った命を思い出してしまう。だから、私の目の届かないところまで持ち去ってください。あの日よりずっとずっと、遠くへ。さようなら、ゴルトお姉さま。二度と会わないことを願います。さようなら」

     扉の前の気配に、意識を現実に引き戻す。重そうな音を立てて開いた扉から現れたのは、修道服を着た子供だった。私の意識が戻っていることに気付いても、驚いた様子は無い。こういった事態に慣れているようだ。
    「おはようございます。……夜中だけど、僕たちには朝だろう」
    「おはようございます。ご機嫌いかがかしら?」
     にこやかに笑ったが、子供の顔は不快そうに歪んだ。
    「良いわけないだろ。僕たちの家族を殺そうとしておいて、どの口が言ってるんだ。カイメン様が偶然助けなければ死んでいたそうじゃないか。お前が吸い殺そうとした祭司様は、もう何日も部屋で眠り続けてる。僕、お前のこと今までのどの吸血鬼より嫌いだ。僕だけじゃない、この教会に居る奴は皆、お前のことが嫌いだ。お前みたいな吸血鬼が居るから、何の罪も無い半吸血鬼や吸血鬼が人間に殺されるんだ。カイメン様に殺すなと言われていなければ、お前なんて街の皆の前で僕たち吸血鬼の手で処刑して、吸血鬼にも悪い奴と善い奴が居るってことを教えてやるのに……!」
    「あら、吸血鬼の癖に人間ごときに殺されるなんて。寝てたのではないかしら?そもそも貴方達は何故人間と共に生きようなんて思うの?確かに食料がすぐ横にあれば楽だけれど、街へ行けば簡単に狩れるわよ?他のどの動物より狩りやすいんじゃないかしら。だから普段は別の場所で暮らして、お腹が空けば街に降りて目に付いたのを狩ればいいのよ」
     先輩吸血鬼として提案をすると、子供の顔が更に歪み、赤く染まった。なんとなく、ロートに似ている気がする。どこが似ているのかしら。子供なところ?無力なところ?
    「そんな気軽さでミットライトを襲ったのか……!お前は家族を、いや多くの言葉を交わした大切な存在を食えるのか?!お前は吸血鬼としか接してこなかったかもしれないが、人間に囲まれて育った吸血鬼だって居るんだよ!大切な人間が居る吸血鬼だって居るんだ!」
    「家族?血縁者や多くの言葉を交わした者なら居たわ。でもきっと、よほど空腹なら食べるわね。なぜ共に多くの時を過ごすだけで『大切な者』になるのかしら?自分に益があるならまだしも、無い者をどうして殺してはいけないの?」
    「死んで悲しいからだよ!!!」
     子供が叫ぶ。何かを必死で我慢するような表情に、既視感を覚えた。銃を渡してきたロートだ。そうか、あの時のロートは従者が死んで悲しかったのね。でも、この吸血鬼の子供が言っている意味は分からない。もしかして、気が付いていないのかしら。教えてあげないと。
    「吸血鬼の一生は人間より、この世の大部分の生物より遥かに長いって分かってますわよね?眷属にしない限り、死別は自然の摂理よ」
    「そんなこと分かってるよ!!」
     二度目の叫び声に外から他の修道士が飛び込んできた。私に目もくれず、子供を牢から連れ出そうとする。子供は抵抗しているが、他も全員吸血鬼のようでついに扉の外まで連れ出された。扉が勢いよく閉められ、鍵が掛かる。扉の外から、子供の声が聞こえてきた。
    「いつか死に別れるから一緒に過ごしたいんだよ!せめて幸せになってから死んで欲しいんだよ!それが大切ってことなんだよ!好きってことなんだよ!人間が恐怖を、吸血鬼が空腹を少し我慢すれば、一緒に生きていけるんだよ!幸せになれるんだ!人の幸せを壊すなよ!ただでさえ短い間しか一緒に居れないのに、時間を奪うんじゃねえ!!」
     最後の方は何を言っているのか分からなかったが、子供の声も騒々しい足音と共に扉の前からも気配が消え、静寂が戻った。つまり次からは一族郎党全員殺せということでいいのかしら?子供が置いて行ったコップに目を向ける。ほんの少しだけ血が入っていた。ゆっくりと飲み干す。腹は膨れない。コップを置くと、床石にできた涙の染みに気が付く。撫でると少し指先が湿る。指先を擦り合わせ、濡れた感触を確かめると笑いが込み上げてきた。
     涙を流すなんて人間みたいで、その可笑しさに月が落ちるまで笑い明かした。
    ======================
    お借りしたお子さんが居ないぞ!!

    ライセンは人間も吸血鬼も喋るご飯としてしか見てないぞ!&ライセンが銃を手に入れる経緯の話でござった
    あと「吸血鬼としての記憶」を取り戻したことで人間として過ごすうちに芽生えかけた人間らしい感情が消えうせる冒頭と最後のライセンの変化が分かったら嬉しい
    碧_/湯のお花 Link Message Mute
    2016/11/10 18:49:19

    【閑話】記憶の雨が降る

    【吸血鬼ものがたり】金色の記憶 ##吸血鬼ものがたり ##復讐編
    話リスト(http://galleria.emotionflow.com/20316/537486.html

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