【FGO】エドシロ礼装パロ春 普段の町の喧噪とは異なった不穏なざわめきに気づき、エドモンは通りの向こうを透かし見るように目を細めた。
うららかな陽気に誘われて昼日中から酒に飲まれた者でも出たか、などと思うも、人々が遠巻きにしているのは、エドモンも何度か足を運んだことのある古書店であった。
老婆が店番をしているなんの変哲もないその店に一体なにがあったのか。
ふむ、と顎を一撫でし、買い物途中とおぼしきご婦人に声をかけ、あの店がどうかしたのかと単刀直入に切り出せば、最初こそは驚いた顔を見せたご婦人も、相手がこの界隈ではいろいろな意味で有名な探偵だと思い至ったか、実はね、と若干声を潜めて話し始めた。
さすがにこのご婦人も一部始終を見ていたわけではなく憶測や想像が含まれていたが、要点だけを押さえるならば『刃物を持った男が店に入った直後に別の客が店に入り、運良く逃げ出すことができた店主が今憲兵を呼びに行っている』といったものであった。
刃物を持っていることが本当であるならば、もう一人の客の身の安全を思い迂闊なことはできないと、遠巻きに見守ることしかできないのは理解した。はてさて賊の目的は単純に金銭であろうか、とエドモンが再度店に目をやったその時、あっけないほどあっさりと店の扉が開かれた。
するする、と磨りガラスのはまった引き戸が横に滑り、ひょこり、と現れた白髪にエドモンの片眉が反射的に跳ね上がる。
ぱたぱた、と袴の膝あたりを軽くはたいていた男は、店を遠巻きにしている人々に気づいたか、おや? と言わんばかりに首を傾げた。
「みなさんどうかされましたか?」
緊張感の欠片もない穏やかな声音に集まっていた人々の方が戸惑い、困惑の表情を浮かべながら顔を見合わせ、なんだデマか、人騒がせな、などと口にしながら三々五々散っていく。それを横目に見ながらエドモンが足を踏み出せば、遠離る人々を見ていた少年は柔和な笑みを浮かべたまま「こんにちは名探偵」と会釈を寄越してきた。
「また貴様か、天草四郎」
「また、とはご挨拶ですね。俺だって好きこのんで渦中にいる訳じゃありません」
肝心な部分が抜けているが互いに言わんとすることはわかっているらしい。
「それで今回はなんだ」
「大したことではありませんよ」
ちら、と店内に目をやった天草に倣ってエドモンも目だけで窺えば、そこには床に長々と伸びた男の姿があり、思わず深い息が漏れた。それが感心からではなく呆れからきたものだとわかっているであろうに、天草はまったく気にした様子もなく自分と同じ書生服を着ている男を視界の端に捉えたまま、ぽつり、と漏らした。
「ちょっと魔が差したんでしょう」
皆が皆、恵まれた環境下で勉学に励めるわけではない。
「できることなら穏便に済ませたかったのですが、落ち着いてお話を聞いていただける様子ではなかったので致し方なく」
一体どのような手段を取ったのかは敢えて言及せず、エドモンは「荒事には向いていない」とことあるごとに口にする書生を眇めた目で見やる。物腰は柔らかで見た目の印象は確かにおとなしく善良そうな男だが、複数人相手の大立ち回りを実際に目にしたことがある身としては、「どの口がそれを言うのか」と漏らしたくもなるものだ。
だが、武術の心得があり圧倒的に強いという訳ではない。恐らく目やカンが良いのだろう。基本的に自分から仕掛けることはせずあくまで回避に専念し、その間にも言葉での説得を試みているが相手の神経を逆撫でするだけで、状況が好転することはまずないといっていい。
そもそも多少なりとも天草の言葉に耳を傾ける者ならば、穏やかな語りと言葉選びの妙から徐々に冷静な思考を取り戻すのか、暴力沙汰に発展する前に事はおさまるのだ。
そういった行動から天草は平和主義、博愛主義だと思われがちだが、エドモンの見立てではそうではない。手荒な真似は極力避けるが、一度こうと決まれば即座に思考を切り替え、一切の躊躇なく行動に移すところが一番恐ろしいと思っている。
「結局のところ目的は金ではなく本そのものということか」
「貧乏学生にはなかなか手が出せないシロモノですから。高いですよねぇ本」
値段を見るだけで気が遠くなります……、としみじみ口にする天草を見下ろし、エドモンは二度三度と顎を撫でてから「本ならなんでもいいのか?」と問いかけた。
「え? あ、はい。読めるものならなんでも読みたいです」
とにかく知識を詰め込みたいのだと言わんばかりの天草に、クハ、と小さく嗤い、エドモンは羽織を翻した。
「ならば着いてこい」
こちらへ向かって駆けてくる運のない将校の姿に再度嗤いを漏らし、エドモンは大きく足を踏み出したのだった。
ガラス戸の向こうに収まっている本を前に天草は小さくも感嘆の声を上げ、本当にいいんですか? と肩越しに確認を取れば、ソファに落ち着いたエドモンはカップ片手に頷いて見せた。
「読めるものがあれば好きなだけ持っていけ」
若干、引っ掛かる物言いに天草が首を傾げるも、エドモンはそれ以上口を開くことはなく、折りたたまれた新聞に目を落としている。改めて本棚へと向き直り背表紙に刻まれた文字を目で追い、天草はそこで、あぁなるほど、と合点がいった。
キィ……、と微かな軋みを上げる戸を開き、一冊を手にする。
「フランス語と……こっちはイタリア語ですか」
新たに一冊を手に取り何事かを、ぶつぶつ、と呟いてから棚へ戻し、また他の本を手に取り、戻すを繰り返した後、最終的に四冊を手に天草もソファへと腰を下ろした。名探偵は博識ですね、と賞賛の言葉を口にする天草が選んだものは英語とオランダ語の本だ。
「通訳として同行していたのは伊達ではないということか」
「本当は通訳の必要はないんですけどね」
軽く肩を竦める天草に「貴様の主人は人が悪いな」と冗談交じりの言葉を投げれば、「これも駆け引きのひとつだそうですよ」と涼しい顔で返された。
現在、天草が世話になっている貿易商のキャメロット商会の頭首は、見目麗しい女性であるが故に少々軽んじられている節がある。表だって口にする者はそうそういないが、その手の空気を読み取ることに長けた彼女は、それを逆手に取り日本語がわからないフリをして相手の本音を聞いているのだという。
天草に初めて会ったときのことを思い出し、エドモンは僅かに口角を吊り上げる。撫でつけられた髪とスーツ姿、落ち着いた受け答えは非の打ち所もなかったが、年齢ばかりは如何ともし難く。若いツバメかはたまたヒモかと、口さがない者達が影で囁き合っていたのを実際に耳にしている。それに気づいていながらも動じることなく、柔和な笑みを絶やすことのなかった天草の肝の据わりに、内心では拍手喝采であったのだ。
「あの時は酷い目に遭いましたが、名探偵が居てくれて本当に助かりました」
膝に置いた本に両の手を重ね、はー、と深く息を吐く天草に「貴様の間の悪さは神がかっていたな」とエドモンは愉快そうに、くつり、と喉を鳴らす。
華やかなパーティの裏で行われた殺人未遂事件の犯人に仕立て上げられそうになった天草を救ったことが縁で、エドモンは天草とも彼の主人であるアルトリア・ペンドラゴンとも懇意にしている。
「そうだ。『モンテ・クリスト伯』は週末のパーティには参加されるんですか?」
国へ戻れば爵位持ちであるという噂のある探偵はふたつの名前を持っており、どちらが本当の名であるのか、あるいはどちらも偽名であるのか天草にはわからない。上流階級の者や有力者には『モンテ・クリスト』の方が通りが良いようだが。
「ヴラド公経由で招待状は来たが……そちらはどうなのだ」
「久しぶりにエミヤさんが帰ってこられるのでお断りしたそうですよ」
ぽちゃぽちゃ、とカップに角砂糖を落としながら天草が答えれば、そうか、と納得したようにエドモンは小さく頷いた。
「貴様が世話になっているのはあの将校の生家だったな」
「えぇ、エミヤさんのご飯が食べられると、みなさん今からそわそわしてますよ」
かく言う俺もそうですが、とはにかむ天草に軽く鼻を鳴らし、宿舎住まいで滅多に戻らぬ彼は休暇中だというのにおさんどんに追われるのか、とエドモンは先ほど顔を合わせたばかりの将校に僅かだが同情する。
「いい機会だから聞くが、貴様はあの女頭首とどのような関係なのだ?」
「ツバメでもヒモでもないですよ」
「わかっていて敢えてそのような物言いとは。見かけによらず性根の悪い男だ」
手中の新聞を、ばさり、と放り投げエドモンが芝居がかった仕草で天を仰いでみせれば、天草は銀の匙で、くるくる、とカップの中身を混ぜていた手を止め、はは、と軽い笑いを漏らした。
「どうとでも捉えられる聞き方をする貴方がいけないんですよ。それで望む答えが得られないと嘆かれてもこちらが困ってしまいます」
澄まし顔でカップの縁に口を付け、直ぐさま角砂糖をもうひとつ落とした天草に、今度はエドモンが軽く嗤う番だ。
「子供の舌には合わないか」
「コーヒーも悪くはありませんが、紅茶の方が好みではありますね」
ぽちゃん、と更に落とされた立方体に、次があればミルクも出してやるか、とエドモンは自分のカップを傾けつつ胸中で漏らす。
「話を戻しますが、ペンドラゴン氏と俺は直接の関係はありませんよ。更に言えば先の主人であった衛宮切嗣氏とも面識はありませんでしたし、紹介の紹介の紹介、といったちょっと説明が面倒なヤツですね」
それでも聞きます? と天草が確認すればエドモンは暫し考えた後、では聞こうか、と頷いて見せた。
「言いたくないことは飛ばして構わんがな」
「お気遣い痛み入ります」
まぁ隠すことでもないんですが、と前置いて天草は淡々とした口調で身の上を明かし始める。
親兄弟はいないこと。
養父が教会の神父であること。
「養父の知り合いがこちらにいて俺のことをお願いできないか話をしたそうなんですが、年頃のお嬢さんも居るし、それにあまり他人を家に入れたくない事情があるということで、その話は白紙になったんです」
普通ならここで終わりだが、その知り合いが商談相手にこの話をしたところ、相手が「それならうちでお預かりしましょう」ということになったのだという。
「切嗣氏の奥方は宝石商で、アインツベルンって聞いたことありますか? 遠坂氏とは個人的なお付き合いもあるようで、よくお屋敷にいらしてました」
「……遠坂にアインツベルンだと? 知らぬ訳があるか。地元の名士と複数の鉱山を所有している一族ではないか」
有名な方なんですね、などととぼけたことを口にする天草がどこまで本気なのか図りかね、エドモンは隠すことなく渋面になる。
「奥方はあまり身体が丈夫ではないので、家のことをいろいろ出来る人手が欲しかったみたいですね。切嗣さんも家事はからっきしでしたし。半年前に仕事絡みで長期間家を空けることになったので、ちょうどこちらに来ていたペンドラゴン氏にお屋敷を任せて、俺は運良く雑用係続投というわけです」
「アインツベルンはペンドラゴンとも親交があったな」
話に出てきた人物の交友図を脳内で描き、エドモンは感心を通り越して天草の強運に空恐ろしいモノを感じている。
「貴様の養父はいったい何者だ」
「片田舎のただの神父ですよ」
さらり、と柔い笑みと共にエドモンの言葉を受け流し、天草はカップに半分ほど残っていたコーヒーを飲み干すと、そろそろお暇します、と頭を下げた。
袂から取り出した風呂敷で包んだ本を胸に抱えて立ち上がった天草を見上げれば、無意識にか嬉しそうに目を細めており、滅多に見せぬ年相応の緩んだ顔につられたかエドモンの口角も僅かに上がる。
「返すのはいつでもいいが間違っても売り飛ばしたりはするなよ」
「そんなことしませんよ」
軽口だとわかっているからか応じる天草の声音は穏やかで柔い。少しも動じない少年にエドモンは軽く舌打ちをし、ひらり、と手を振ることで別れの挨拶としたのだった。