ゆりきゃすカイすば小ネタログ2■夏の日とアイス
カイトさんの、「そういう気分になるスイッチ」がどこにあるのか、じつをいうとあたしはまだよくわかっていない。
たとえば、並んで立って話してたキッチン。
たとえば、ふたりで帰ってきたばっかりの家の玄関。
たとえば、まんまるの月がきれいな窓際。
こうしてぱっと思い浮かべてみても、いわゆるキソクセイ、みたいなものはあたしには見つけられなくて――それから、いまもそうだったりする。
片手で持ったままの、半分に折って食べるタイプのシャーベットアイスが、身じろぎした拍子にこぼれて、お風呂上がりのあたしの手首を濡らす。
あ、冷たい。あとべたべたする、と思ったときには、つめたいのにあついカイトさんの舌とくちびるがそこをなぞっていて、あたしのほうもあっという間にそれどころじゃなくなってしまう。
キソクセイとか駆け引きとか、そういう難しいことはやっぱりあたしにはよくわからないけど、……とりあえず、自分はさきに全部食べ終わったからってそういうスイッチ入れるのはずるいと思います、カイトさん。
***
20180703Tue.
■スポブラと体操服
胸元に名字の刺繍が入った体操服の内側、引き締まった脇腹をするりとなぞりあげた先に行き当たった感触に、新堂カイトは思いきり眉根を寄せてその手を止めた。
「昴」
「へ?」
「お前、こないだ私が買ったやつどうした」
「あれは、ええと、その、……持っては、来てます」
カイトに腹の上を明け渡したまま、決まり悪そうに答える昴は、詰問から逃れるように視線を横に逸らしながらちいさく身じろいで寝間着代わりの体操服の裾を掴む。拒絶の色が含まれているわけではないものの、カイトの手のひらの動きをおずおずと阻むしぐさにますます険しく顔を顰め、カイトは次の言葉を落とす。
「言ったよな、オフの日くらいはまともなブラつけろって」
「う……」
「せっかく私が用意してやったのに、っつーか持ってきてるならなんで着ないんだよ」
カイトが、オンオフ問わずスポーツ用の下着ばかり着ている彼女を見かねて数着の下着を贈ったのはしばらく前のことになる。運動量の多い普段であればともかくも、オフ日前夜である今夜なら着用したところでなんら問題はないはずだ。だというのにたったいまカイトの指先が探り当てたのは触り慣れたスポーツブラの感触だったのだから、顔を顰めもするというものである。
体操服そのものが地厚な布地で作られているうえ素肌とのあいだにキャミソールが一枚挟まっていたせいで、この状況になるまで気付かなかった。持ってきているなら着てこいと寝室から放り出すにもやや遅く(なぜならいまから寝間着ごと衣服を脱がせようとしているわけなので)、あとで絶対に着せると決意を新たにしながらうすく汗ばんだやわらかな首筋に歯を立てる。裾を掴む申し訳程度の逡巡ごと胸元まで押し上げた体操服とシーツの絹擦れの音に、嗅ぎ慣れたボディソープと汗のにおいがあまく絡んで、じわりと思考回路を浸す。
「お前、やたらでけーんだからなるべくちゃんとしたの着ないとそのうち垂れるぞ」
「えっ、そッ、それはイヤ!ですけど!」
「けど?」
「………………だって、なんか、かわいいののほうが、着るの、恥ずかしいじゃないですか」
「…………、」
「せっかくカイトさんがくれたから、着てみようかなって、思ってたんですけど、……やっぱり、はずかしくて」
お前な、という呆れの声さえ取り落として、カイトは珍しくも消え入りそうな声量でたどたどしくそう答えた恋人を改めて見る。彼女の顎の下まで押し上げられているのは胸元に名字の刺繍が入った高校時代の体操服で、そこから露わになったのは色気のひとつもないスポーツタイプの下着だというのに、――その下に覗くあわく色づいて濡れた素肌だけが場違いなほどなまめかしく映って目眩がした。
「……ッ、カイ、トさ……っ」
鳩尾のあたりから指先を差し入れて伸縮性の良い生地をぐいと引き上げれば、下着からこぼれおちたゆたかな双丘がやわらかな輪郭を寝室の明かりに晒す。熱い肌の温度と感触を手のひらで感じながら、微熱を含んで揺れるティーブラウンを覗き込む。
「そんな申し訳なさそーな顔するくらいならあとでちゃんと着て見せろよ、このバカ」
「だって」
「だっても何もねえ。この私がお前のために選んだ下着だぞ、間違いなんかあるか」
「…………っ!」
普段より随分大人しくしていると思えば、どうやら贈りものを身に着けなかったことを律儀に気にしていたらしい。カイトの言葉にか頭の中を見透かされたからか、あるいはそのどちらもか。兎角まるい紅茶色のひとみがいままでとは別ものの羞恥に塗り替わったのを確かめて、カイトは上機嫌に熱い耳朶へと歯を立てた。
***
20181027Sat.
■はちみつは入浴中
ざーっ、しゃわしゃわしゃわ、わしゃわしゃわしゃ。
素足の裏で踏みしめたバスルームの床はすっかりシャワーからの湯で濡れていて、寝間着代わりのTシャツやジャージの裾も、じわじわ濡れはじめている。まあ、最初から濡れるつもりで入ってるからべつにいいけど。
「ったく、なんでこーなるんだよ」
「うー……。す、すみません……」
私と同じように服を着たまま、しかし私とは違って思いきりシャワーで頭を洗われている大型犬が、私の声にそう言って肩を縮こまらせた。
事は五分ほど前に遡る。
ベッドルームへ行く前の一腹としてはちみつ入りのホットミルクをふたりぶん(私ひとりの夜ははちみつを落としたホットワインを拵えるのがこのごろの流行りだが、ふたりの夜はホットミルクのほうが甘くて好きだ)用意するために、昴をキッチンへ向かわせた。
そこにはちょうど新しく出したばかりの、未開封のはちみつの瓶がひとつ。……ここまで話せば、そのあとなにが起こったか、なんとなく察しはつくだろう。
――うーん?あれ、なんか、ちょっと固いですねこのフタ、……うわっ!!
――がちゃん!
そんな悲鳴と金属質な音が同時に聞こえ、座っていたソファからぱっと立ち上がってキッチンへ駆け込んだ私が見たのは、もはや言わずもがな。
器用に頭にひっくり返したボトルをのせた、はちみつまみれの昴だった。
「よくもまあこんだけお約束にひっくり返したよな」
「あたしもびっくりです……」
スプーンですくって落としやすいようになめらかな液状のものを選んでいたのが裏目に出て、昴は頭から胸元の辺りまで思いきりはちみつを引っかぶっている。べたべたする!目に入る!ごめんなさい!とジタバタ慌てる昴の腕を捕まえて、服を着たままバスルームに放り込みシャワーの湯をかぶせたのが先ほどのことだ。
これだけべたついてると服を脱ぐにも脱げない。ひとまずできるだけ湯で流したあと丸洗いしてやろうと、はちみつでべたついた紅茶色の癖毛を少しずつかき混ぜて湯を通していく。当然ながら、いつもよりずいぶんと指通りが悪い。梳くようにする指先の感触がくすぐったかったのか、先ほどとはまた別の意味で肩を竦めた昴を、大人しくしろと窘めてやろうとして、――手を止めた。
「……?」
カイトさん?と、間の抜けた声が風呂場に響く。湯を吐き出し続けるシャワーヘッドをバスタブへ逸らせば、ぽたぽたと頭から顔の輪郭をつたって次々落ちる雫と琥珀色の名残が、濡れて完全に透けたシャツ越しにやわらかいそこへとたっぷり染みをつくっているのが確かに見えた。
「……、……まあ、見間違いじゃ、ないよなァ……」
「……はい?」
「いいや、なんでも」
自分の状態がまるで理解できていない昴の腕を捕まえ直して、代わりにシャワーから手を離す。このまましばらく放っておけば、程よく湯が張れるだろう。
「ところでお前、あのはちみつの値段知ってるか」
「へっ!? そ、そんなにするんですか!?」
「まあな」
誤魔化しがてら値段を耳打ちしてやると、ガキみたいなまるい瞳がもっと真ん丸に見開かれて素直な驚きを口にする。べつに私としてはこだわるほどの値段でもないし、瓶が割れて怪我をしたわけでもないから特に責めてもないんだが、小生意気な大型犬をほんのすこし大人しくさせる口実には持ってこいだ。
「もったいないな」
「う……はい……すみません……」
「つーわけで」
「は?」
いただきます。
しっかり食事作法に則った挨拶をしたあと、琥珀味のあまい肌に思うさま噛みついた。
***
20190225Mon.