あたりが出たらもう一本◆
「お前、くじ運悪いわりにそれだけは好きだよな」
ばり、がさがさ、しゃぐしゃぐしゃぐ。キッチンに並び立つ男の口にかろやかに消えてゆく夏の音を聞きながら、新堂カイトはアイスココアを注いだマグカップを傾ける。数欠け放り込まれた氷が、カップのふちで弾んで涼しげに鳴いた。
「子どものとき、一回だけ当たったことがあるんすよ」
窓の外に広がる青空と同じ色をしたシャーベットアイスをごくんと飲み込んで、日課のランニング後のシャワーを終えた男が答える。半ばほどまで食べ進めれば、その棒に当たり外れが書いてあるのがわかるはずだ。
「オレ、ちっちゃいころからあんまりくじ運よくなかったから、スゲー嬉しくて!駄菓子屋のおばちゃんにもう一本もらって食べたアイスのおいしさが忘れられないっていうか、コンビニで見るとつい思い出して買っちゃうっていうか……」
「あー……」
「あはは、まあ、当たったって言っても、あれっきりなんですけどね」
自らのくじ運の悪さをこれまでの経験で思い知っているらしく初詣での御籤すら引くのを渋る男が、唯一身構えずにいるのが棒付きアイスの当たりくじだった。懐かしげに表情を和らげながら微苦笑混じりに紡がれた答えに、ゆるく頷く。
「べつに、いいんじゃねーの、一生分の当たりくじ引いてんだから」
「へ、」
「んだよ。俺様ひとりじゃ足りねえってか」
「…………っ!」
新堂カイトの隣を得ることと、一生分の当たりくじ。どちらが価値のあるものかなど、考えるまでもないだろう。
そう続けて口角を吊り上げれば、湯上がりにうすく濡れたティーブラウンが愉快なほどにまるく瞠られてカイトを映す。アイスを持っていないほうの手のひらで口元を覆ってしばらくむぐむぐと喉を鳴らしたあと、呻くような呟きがこぼれて落ちてゆく。
「……お、おつりが来すぎて困ります……」
「しょーがねーな、チップにでもしとけ」
「……っ、か、カイトさんのばか!セレブ!」
「はあ?!んだよそれ!」
「なんででもですっ!」
しゃぐしゃぐしゃぐ!
たいそう素直に首筋までもを朱色に染めたのを誤魔化すように勢いよくアイスを食べ進め、男はしばらく口をぴたりと閉ざす。夏の昼下がりをひんやりと包むエアコンの音だけが遠かった。
……しゃぐ。
「……オレもちゃんと、カイトさんのあたりくじになれるように頑張ります」
「……、」
ややして沈黙をやぶって届いたその声は、あまりに真剣きわまりないもので――本当に、これだから、この男はたちが悪い。マグカップを流しに置いて、カイトは溜息をひとつ。リビングにあるペン立てから油性マジックを一本掴み、キッチンへ再び足を向けた。
「おい体力バカ、手ェ貸せ」
「へ?」
「いーから。あと動くんじゃねーぞ」
ぱちぱちと幼くまばたく男に有無を言わせぬままに太いマジックのキャップを外す。アイスを持っていない左手を捕まえて、手首の内側にペン先を滑らせた。
「――、」
リストバンドに隠れる位置に書き込んだ三文字を、紅茶色のひとみがまっすぐに映してゆらりと揺れる。視線を噛み合わせて、ほんのわずか高い位置にある熱い額に自分の額を押し当てた。
「“あたり”が出たら?」
「…………も、もういっぽん…………?」
「セーカイ」
相変わらずの素直さはこの男の長所である。促されるまま合言葉のように返されたフレーズに、もう一度口角を吊り上げた。
ひどく心地好いこの距離と温度を、放しはしない。言葉にする代わりにがぶりと唇に噛みつけば、「んむ」と色気のない声がひとつ上がって甘やかに耳朶を打つ。引き締まった腰を捕まえてメッシュ地のTシャツの裾から指先を滑り込ませると、逞しい背がむずがるようにわずかに反った。
「……っ、あ、え、カイトさん?」
「良かったなァ真っ昼間で。もう一回風呂入って昼寝もできるぜ」
「いやあのやっぱりそういうことなんですか!ぎゃー!」
「だからお前ギャーはやめろっつってんだろ!」
「だってまだアイス途中なんですもん!」
「てめっ、食い意地張るのも大概にしろよ!?そーゆー雰囲気じゃねえだろいま!」
「いっ、いきなりそーゆー雰囲気にしたのはカイトさんでしょ!」
――っていうか心の準備ができてないんですよ!だからちょっと待ってください!
そんなことを言われて素直に待つ男が一体世界のどこにいるものか。……否、眼前のこの男ならば馬鹿正直に若干待ちもしそうだが、それはそれというものだ。
「うるせえ、誰が待つか!」
「あー!」
男がインターバルの口実にしようとした数口ぶんのソーダアイスを容赦なしに齧り取り、シンクに棒を投げ捨てる。この期に及んで子どものように不服を訴えてくる男の喉笛にやわく歯を立てた。真正面から、まるい両目を覗き込む。
「寄越せよ、もう一本」
「……あげないなんて、言ってないじゃないですか」
拗ねたように言いながら、夏のひかりに透けたひとみがカイトを捉える。窓の外に切り離したはずの熱を思い出させるそれに、ぞくり、背が震えた。
***
20180806Mon.