イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    ビジネスか恋か、それが問題だ 前編大前春子が去って約一年、そして里中賢介がS&Fを辞めて約一年が経つ。
    その間一人分空いた穴を埋めるべく、営業課は残業も惜しまず毎日必死で働いていた。
    業績も少しずつだが回復していると、月一の部長会議が終わる度に報告を受けては、仲間と祝杯をあげていた。そんなめくるめく毎日の中、少しずつ前へ進もうと東海林はある決心をしていた。



    「あぁ…また失敗した」
    「どうしたんです、東海林課長」
    「浅野か……お前には言いたくない」
    「何でですか、教えてくださいよ」
    浮かない顔をしながらビールを飲み、独り言をぶつぶつ呟いていた東海林に浅野は付き合っている。
    子供も一年で大きくなり、少し余裕が出来て
    門限も九時に延びたそうだ。
    左手薬指には銀色の輪が光っている。
    今の東海林にはそれがとても眩しく見える。

    「婚活サイトに登録してるんだけどさ、また断られたんだよ…やっぱり40代過ぎると男も厳しいんだな」
    東海林は泡の抜けたビールを一気に飲み干す。
    「婚活サイト!?意外ですね…東海林さんは大前さんのことをずっと思って独身を貫くのかと思いました」
    「やめてくれよ、その名前は!!あいつは魔女なんだよ、魔女。俺に呪いをかけて幸せを奪う悪魔だよ」
    東海林は焼き鳥を一気に引きちぎり口をもぐもぐさせながら、大前春子への愚痴を吐き出す。

    浅野はこれでもう何回目かわからないよ…と思いながら、東海林の恋話に付き合っていた。



    数日後、小山田社長から「黒豆ビスコッティを海外にも売り出そうと思っている」という話を持ちかけられた。社長室に呼ばれて直々と話を受け、東海林は威勢よく「はい!!お願いします!!」と深々と頭を下げる。
    「ただし、失敗したら君は即クビだからね。AIは君を最も会社に不要な人間と判断した。それをまだここに残してあげているのはこの私だ」
    淡々と話す様に東海林は苛つきを覚えたが、やはり社長には逆えず、とにかく結果を出すことに必死で過ごしてきた。
    今は成功させることしか考えない。


    デスクに戻ると、ある封筒が一枚置かれていた。
    郵便物の整理担当のハケンの女子に尋ねてみる。
    「宛名がなかったんですけど、東海林課長宛にきていたので封を開けずに置いておきました」
    そう言われて、ハサミで先を切り中身を取り出す。
    三つ折りにされた紙を開くと中は縦書き便箋でびっしりと文字が書かれていた。

    東海林はそれをゆっくり読み上げていくが、どんどん表情が曇っていく。
    そして便箋を持ったまま一人で給湯室へ向かった。



    「嘘だろ……」
    テーブルに肘をつき倒れそうになる体と心を何とか押さえつける。
    一年前、データ改竄で窮地に追い込まれた時の事が脳から溢れ出してきた。
    あの時、全て自分が悪いと一人で罪を背負ってきた。
    だからこそ挽回しようと頑張れた、今もここで働く事ができる。
    そんな自分のプライドが今歪んで来ているのが自分でもわかった。


    もしこの手紙に書かれていることが本当ならー。

    絶対に許せない。








    「東海林さん、お久しぶりです。旭川でお世話になった田中です。
    今回筆を取ったのは東海林さんにどうしても謝りたくて、今更勝手だとは思いますがどうか最後まで読んで頂けたらと思います。
    一年前に黒豆ビスコッティについて成分表のデータ改竄を行なったのは僕です。しかし、それは指示されて仕方なくやったものです。あの時からずっと罪悪感に襲われて、毎日辛かったです。でも東海林さんのほうがきっと何倍も辛かったと思います。信頼している部下だと僕の事を言ってくれたと、ほかの社員から聞きました。僕のことを信頼してくれていた東海林さんを僕は裏切った、本当に最低な人間です。

    あれは、小山田社長に指示されたやったものです。教授への接待もダイエット効果を売りにするため黒豆の成分だけやたら高く表示させろというのも小山田社長から言われて、その後ほかの会社に就職を斡旋されて、S&Fを急に辞めさせられました。
    あの時の謝罪会見はずっと泣きながら見ていました。僕を責めることなく真剣に商品の良さを語る東海林さんを見ていると、自分が情けなくて…。いつか本当の話したい、そう思いながらも、家庭を持っているということもあり、失業してしまうのではという不安でずっと言えずにいました。
    でも、時間が経ちこのままではいけないとやっと筆を取ることができました。
    あの時は本当に申し訳ありませんでした。僕のことは二度と許さなくていいです。ずっと最低な男だと思ってください。

    ただ、小山田社長には気をつけて下さい。あの人は東海林さんを潰そうと企んでいると思います。どうか、どうか頑張って下さい。」




    数カ所文字が滲んでいる。
    想像だがこれは泣きながら書いたのではないだろうか。
    東海林は何度も読み上げては、やり場のない悲しみと怒りでしばらくその場に佇んでいた。



    感情的になると、周りが見えなくなる性格だと自分でもよくわかっている。
    だから手紙を読んだあと、真っ先に社長の元へ向かった。
    ところが、社長は急な出張で明日までいないと秘書に告げられて、アンガーゲージが少しずつ下がると同時に少し客観的に自分を見ることができた。


    今日は仕事に集中できる状態ではないと、東海林は定時で帰ることにした。
    いつも残業しているせいか周りから体調が悪いのかなどと心配されたが、頭痛がするとごまかして家まで帰ってきた。


    テーブルに便箋を広げて、腕組みをしながら考える。
    たしかに筆跡は田中と同じだと思う、だが確証がない。そして封筒を手にして裏返すが宛名や住所も書かれていない。
    そして切手の部分を見ると消印は一昨日で札幌という文字。

    近くにあった水道工事のお知らせが書かれた用紙をひっくり返して、頭の中のことを書き綴り整理する。

    黒豆ビスコッティのデータ改ざん、データ分析は田中、漆原教授に依頼、黒豆の成分アントシアニンだけを異常に高く表示させる、ダイエット効果がある…

    そう書いた時にふとペンが止まった。

    あの時、朝礼で社長から直々に指示を受けた時に言われた言葉を思い出した。
    小山田社長から「ダイエット効果があるんだね」と切り出されて、ダイエット効果を前面に出すように指示されたことを。

    あの時は売り出すための戦略だと思ったが、今は不自然な押しに感じる。黒豆がダイエットにいいとなぜ男性の、しかも高齢の小山田社長が知っているのか。しかも素材の良さを売り出したいと言っても聞く耳持たずとにかくダイエットにいいとばかり言っていた。
    あの時は本社に返り咲いて浮かれていたので深く考えなかったのだ。
    そのせいで謝罪会見まで開く羽目になった。

    東海林は再びペンを走らせて今思ったことを書き殴る。

    そしてもう一つ不思議だったことも思い出した。

    おやつクラブのライターから取材を受けた時、なぜか成分表を写真で撮らせてくれと頼まれた事だ。
    あの時も違和感を覚えたが、もしかしたら最初からデータが改ざんされているのを知っていたのかもしれない。しかもライターは元社長の奥さんが気に入っている人物だと言っていた。
    それに、週刊誌でもない情報誌が会社の不正を暴く記事なんて載せるものだろうか。


    考えれば考えるほど腹立たしく、いつのまにか文字が蛇のようにクネクネとしてきた。

    「はぁー…考えるのしんどくなってきたな」
    ペンを置き、髪をいじりながらため息をつく。
    もう一年前のことを今更穿り返しても仕方ない気もする。
    だが、もし自分が嵌められたとするならそこはハッキリとさせておきたい。なんせあの日から謝罪会見までの時間はとにかく死にたいほど苦しくて、一睡もできず、未来はブラックホールのように真っ暗だった。
    でも、そこで救いの手を差し伸べてくれたのは、間違いなく大前春子と里中賢介、そして浅野だった。

    「あー、また思い出しちまった…」
    春子が記者会見に乗り込んできて、スピーチの文章を渡された時の顔、あの顔が忘れられない。あんなに優しくて晴れやかな表情を
    見せたのは、再会してたった一度きりだ。

    自分のために、徹夜でアンケートを復元させてモニターの女性たちをリモートで繋ぎ直接感想を伝えるようにセッティングしてくれた。
    あの時、ここまで自分のことを思ってくれているのだと胸に込み上げるものが強すぎて思わず涙が出たのは今でも覚えている。



    それなのに、それなのにー。


    結局自分の気持ちは受け入れてもらえず何もないまま終わってしまった。


    あの行動がなければ今の自分はないことはわかっている、でもその気がないのにあそこまでされるとこちらも辛い。



    「あー…やっぱり好きだって言ったあとにごまかさないで押し倒すなりすればよかったな…」
    いや、でもその直後に里中たちが店に来ていたのでそれも無理だっただろう。きっと昔のように冗談はやめてくださいと跳ね除けられていたかもしれない。


    結局春子のことまで思い出してしまい、気分が落ち込みそうになったので、一旦考えることはやめてシャワーを浴びようと席を立つ。
    そしてふと目に止まったカレンダーの文字。

    【賢ちゃんの店オープン】

    よく見たら明後日じゃないか、お祝いの花輪でも贈ろう、とびきり派手なやつを。
    せっかく親友の門出を祝うんだから、それまではモヤモヤした気持ちは封印するかー。

    東海林はそう自分に言い聞かせ、メモをテレビ横のレターケースにしまい、脱衣所に向かった。



    まさかその門出の日にまたモヤモヤした気持ちになるとは知らずに。

    【Aji】というおしゃれな文字が木目調の看板に描かれている。
    これは千葉小夏がデザインしたらしい。
    やはり若いと感性も今どきだなと感心しながら、東海林は浅野と一緒に
    里中の店の開店祝いに駆け付けた。
    仕事の合間なので、昼を食べて少し話したら帰るつもりだ。
    親友の門出を邪魔してはいけないと思ったから。

    そんなめでたい場所で、思わぬ再会が起こりまた心が乱される。
    店の小さなステージの上に立ち、気持ちよさそうにこぶしをきかせている女。
    龍善寺アキ子と名乗る、大前春子。

    東海林はみんなが盛り上がる中、後ろの壁にもたれて
    春子の顔を見つめていた。
    ハケンの時とは180度違う生き生きとした人間の笑顔。
    あれが本当の春子なんだ、でも自分の前ではあんな顔一度もなかった。
    里中の店のオープンに駆け付けたということは、そういうことなんだろう。
    東海林は自分に言い聞かせて、呪いにかからないよう必死で自己防衛していた。


    ステージが終わる前に東海林は気づかれないよう、テラスに出て日差しの下でしゃがみこんだ。
    6月の晴れている空を見上げて、ため息をつく。
    「なんでまた会うんだよ…」
    春子の記憶を呼び起こすかけらをいつも無理やり捨てていたのに、大きな塊で来られるとどうしようもない。
    太陽の眩しさを右手で遮りながらボーッとしていると、視界に黒い影が出来た。
    「何してはります?」
    「うわぁっっ、とっくりか!?」
    不意打ちで春子が東海林の前に現れた。
    左目下のホクロが少し色っぽい、とっくりではない着物姿は今までと違い大人の女という印象だった。
    こんなに色気を出されて近づいて来られてしまうと、また気にかけてしまう。
    「…もうあんたはとっくりじゃないな。龍善寺アキ子さん」
    「あなたは髪が抜けるまでくるくるパーマですね」
    「まだ元気だよ俺の髪の毛は!!………って、金持ち喧嘩せずだな」
    東海林はポケットに手を突っ込み春子から目線を逸らした。
    「俺今婚活サイトに登録してんだよ、いい加減バツイチ独身じゃ親も心配だしな。あんたも早く賢ちゃんに逆プロポーズでもしろよ」
    「どうして私が元里中課長に逆プロポーズするんですか?」
    「お前、1年前にプロポーズされたと勘違いしてガッカリしてただろ?お前がちゃんと言わないから賢ちゃんは気がつかないんだよ」
    「私は誰も好きではありません、あなたこそ婚活サイトだなんてモテないからとよっぽど焦っているようですね。…だったら最初の結婚の時に離婚なんてしなければよかったのに」
    さっきの笑顔はどこに置いてきたのか、昔と変わらない辛辣な言葉と攻撃的な目線で、春子は東海林のHPを奪うよう仕向けてくる。
    それが今の東海林には傷口に塩をすりこまれているような気分になり、痛さのあまり思わず声を荒げてしまう。

    「うるさいな、演歌歌手が俺の人生に口出しするなよ!俺は好きな女に何度も逃げられて…傷ついてんだよ!!」
    これじゃただの八つ当たりだ、そう思っていても口が勝手に動いてしまった。
    一年ぶりに会えて嬉しいはずなのに、また好きになってしまう呪いをかけられる不安に襲われる。
    春子は少し動揺しているような表情で、口を閉じたまま東海林をじっと見ていた。

    「…悪い、仕事に戻る」
    東海林は呟き春子の横を通り過ぎて店内に戻る。
    「悪い、賢ちゃん。仕事でもう帰らないといけないからまた今度改めてお祝いに来るわ」
    「え…そうなの?大前さ、龍善寺さんのステージもう一回あるそうなんだけど」
    「浅野はまだいていいぞ、じゃまたな」
    東海林は鞄を手にして足早に店を出た。


    ここ最近は色々ありすぎる。
    元部下からデータ改竄の真相を知らされるわ
    1年ぶりに会った春子が演歌歌手になって現れるわ、頭の中が混乱してまるでこんがらがった毛糸のようだった。


    会社に戻った東海林は机の上にあった書類を拾い上げ目にする。
    午前中にハケンの青森へ依頼していた先月の売り上げデータだった。
    今は仕事に集中しようと、椅子に腰掛けそれを1枚ずつチェックしていく。
    すると1箇所だけエクセルの関数エラーになっている所を見つけた。
    東海林はそこに付箋をつけて、書類作成を頼んだ青森のもとへ向かう。

    「青森くん、悪いけどここ直してくれるか?関数エラーになってる」
    すると青森は申し訳なさそうに
    「すみません、東海林課長。すぐに直してプリントアウトします」
    そう言いながら書類を受け取る。
    「頼んだよ、よろしく」
    東海林はハケンの肩を叩き、席に戻る。
    どんなに早く出来ても愛想の悪いハケンより
    ミスがあっても素直に謝ってくれるハケンの方が全然仕事がしやすい。
    そう自分に言い聞かせていた。



    「ハケンも仲間だと思ってる」

    ハケン嫌いだった自分の考えを覆してくれたのは紛れもなく大前春子だ。
    そして春子がいなくなってからも、数々の出会いと別れを経験して、どんな雇用形態でも一緒に働くことは一緒に生きることだということを知ることができた。

    本社から左遷されなければ一生そんなことも知らずあぐらをかいて生きていたかもしれない。

    自分の決断を100%後悔していない、わけではないが今の自分があるのはきっと過去の自分が、あの時プレゼンを里中に譲ったおかげで、そして会社に残るという決断に背中を押してくれたのは大前春子だった。

    どんなに冷たくても、嫌いでも、やっぱり大前春子という女は自分の中で一生消えない大きな存在なんだ。

    春子と再会した日の夜、東海林は1人ベッドの上でずっと考え込んでいた。
    そんな春子を手に入れることができないもどかしさと葛藤しながら。

    (ああ、もう疲れる…なんでこんなに好きなんだ。いっそのこと記憶喪失にでもならねーかな)


    東海林は自分の気持ちの重さに耐え切れずこのまま底無し沼にドロドロと沈んでしまいそうな気分だった。


    時計を見ると、22時を過ぎていた。
    家に帰り何も食べず背広だけ放り投げてずっとベッドで悶々としていたので、少しだけ胃が音を鳴らしている。
    でも気分的に食べ物が喉を通るような感じがしない、ならせめて水でも飲もう。

    東海林はベッドから起き上がり冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注ぐ。
    それを一気に飲み干すと、冷えた水が喉を潤し体も引き締まった気がした。


    このまま気持ちを切り替えてシャワーでも浴びようとネクタイを外して、ワイシャツのボタンを外しているとー。
    テーブルに置いたままの携帯が震えだす。
    こんな時間に誰なんだ、と画面を覗くとそこには浅野の名前があった。




    「こんな時間にすみません…」
    電話から1時間後、東海林の家のソファーに浅野は腰掛けている。
    「気にすんなよ、それにしても奥さんと喧嘩したって大丈夫なのか?」
    「まぁ…今は嫁も感情的になってるだけだと思うので、離れて冷静になれば落ち着くかなと」
    あの時電話を取ると、弱々しい声で浅野が状況説明をしてくれた。
    里中の店でパーティーがらあるからと仕事を早く切り上げて参加していた浅野に嫁が憤慨し、喧嘩になったらしい。
    そのパーティーには東海林も誘われたが、春子も参加すると聞いたためわざと遠慮していた。

    「俺だって働いてるんだから、たまには気分転換してもいいじゃないですか…そりゃ嫁のほうが子育てもあって大変だと思いますよ?でも僕だってやれることはやってますし…」
    既婚者の愚痴を聞いていると、独身の自分はまだ気楽だなと感じることがある。
    やはり赤の他人が一生一緒に暮らすとなると、結婚というものはそう簡単にできることではないと思う。

    東海林は缶ビールを2本取り出して1本は浅野に、もう1本は自分の前に置いた。
    「とりあえず飲めよ、明日は休みだしさ。朝まで語ろうぜ」
    「東海林課長…東海林課長も、大前さんとの事で悩んでいるなら話を聞きますよ」
    浅野はプルタブを押してプシュっと音を立てた缶を持ち上げぐいっとビールを飲む。
    「いいんだよ、俺のことは……とっくりなんて、俺より賢ちゃんのことが好きなんだから」
    「そうですか?僕たちから見ると明らかに大前さんは東海林さんが好きだと思いますけどね、お互い何でも言い合える仲っていうか…うちは溜め込んで爆発しちゃうタイプだから」
    「好きなわけないだろ、あいつはなぁ…俺が告白しようとするといっつも逃げてるんだよ」
    「東海林課長、告白ってやっぱり好きなんじゃないですか」
    「そうだよ、片想いだよどうせ。こんないい年で片想いってさ…」
    「でも、大前さんも何か理由があって逃げてるんじゃないですか?今日も東海林課長の話になって、大前さんがクビになった日…東海林課長が社長に反論してたじゃないですか、大前さんは生きてる人間だ、最高の仲間だって。その話をみんなでしていたら『そんなことを言う人だと昔から知っています』なんて言うんですよ」


    浅野のその言葉が、東海林の心の扉の鍵を開けたかのように、春子への気持ちが身体中に放出された気がした。

    「ちょっと涙ぐんでたし、やっぱり東海林課長の気持ちが嬉しかったんじゃないですかね…って東海林課長?泣いてるんですか??」

    「泣いてねーよ!これは汗だ、汗が目から流れてるんだ」

    やっぱり好きだ、また会ってしまったのもきっと運命なんだ。あいつが他の誰かを好きでも、自分の気持ち受け入れてくれなくても、きっとこの呪いは一生解けないまま生きていく。そんな人生になってもきっと後悔しない。
    曇り空から一筋の光が溢れて、一気に青空が広がったような気分だった。今日の6月の晴れた空のように。


    その後、浅野と丑三つ時まで飲み、浅野をソファーで寝かせて寝る前にやることがあると、東海林はノートパソコンを開く。
    そして、婚活サイトのページに飛ぶと『退会手続き』のボタンをクリックして今までの記録を全部消去した。


    忘れるために結婚するのはもうやめる、それで過去に一度失敗してるのだから。もう同じ間違いは繰り返したくないし、相手にも失礼だー。
    そうしてパソコンを閉じようとした時、メールが1通届いていたことに気がついた。

    自宅用のアドレスにメールが届くのは久しぶりで、outlookを起動させる。
    そして件名を目にした時、東海林の手がびくっと震えてそのあとフリーズしてしまった。







    そこには「田中です」とだけ書かれていた。

    「田中さんて人の言う事、結局どっちなんですかねぇ?」
    白い茶碗に入ったご飯を口に運びながら浅野は東海林に疑心を投げかけた。
    「わかんねぇよ、急にあれは嘘でしたって言われてもはいそうですかって納得はできないし…」
    煮え切らない気持ちで納豆を混ぜている。
    土曜の朝は小雨で湿度も高く部屋も湿気ていた。
    浅野を7時に起こして簡単な朝食を用意して2人で食べている。
    そこで浅野に田中から送られてきた手紙と昨晩届いたメールついて説明した。1人で抱え込むにはキャパオーバーだと思ったからだ。本当は里中にも相談したかったが、店をオープンしたばかりで慌ただしい時に相談するのは気が引けるし、彼はもう会社の人間ではない。

    昨晩東海林に届いた田中からのメールは
    『あの手紙は嘘です、本当は全部自分がやったことです。嘘をついて申し訳ありませんでした。』
    と言うことが記されていた。
    急いでそのメールに返事をしたが、捨てアドだったようでエラーで返ってきてしまった。
    一方的なやりとりにモヤモヤしながらも、やはり小山田社長が何か絡んでいるのではないかと疑惑の目を持ってしまう、

    「東海林課長、混ぜすぎて泡吹いてますよ」
    「あっ、いけね」
    考え混んでいたせいでひたすら納豆をこねていたようで、東海林は慌てて手を止めて醤油をかけて口にかきこんだ。
    「でも、どっちにしろ田中って人のしたことは会社の信用を損なうことですからね、見つけ出して裁判にかけることもできると思いますよ。そもそもあの謝罪会見も何で東海林課長に責任を押し付けるのか、ちょっと不思議に思ってたんですよね…」
    「裁判ってオーバーだよ、でも…確かにあの時は自分のせいだと思い込んでたけど、普通は改竄した張本人に責任を取らせるよな…?」
    改竄があったと知った時、あまりにものショックで目の前が真っ暗になった。そして会社の言う通りごまかし切ろうと開き直っていた時に、春子から言われた一言で迷いが生まれ、翌朝シュレッダーにかけられたアンケートを復元されていたものを見て、嘘をつかず真実を告げようと決意した。
    あの時春子がいなければ、東海林は今もこの会社で働くことはできなかっただろう。
    「あの時は浅野にも世話になったな」
    「そうですよ、家に帰ったら嫁に大目玉くらって」
    「マジで!?じゃあこの目玉焼きも食べていいぞ、大目玉だけに」
    「いや、ダジャレも胃袋もお腹いっぱいです。…話を戻しますけど、とりあえず田中さんって人を探してみたらどうですか?興信所に依頼して」
    浅野は箸を置きお茶を飲みながら言った。
    「興信所……って、探偵ってことか?」
    東海林は何だかややこしいことに巻き込まれそうな予感を抱きつつも、浅野の言う通り人を探すのなら専門家に委ねるべきだと、浅野が帰ったあとネットで検索して近くの探偵事務所を訪ねてみた。

    そこは普通のビルの中にある普通の事務所で、一見どこにでもある営業所のように見えた。
    だが応接室で話を聞いていると、やはり探偵は話しやこちらからの情報からねずみ算のように細かい手がかりを拾っていく。ひとまず田中の居場所を調査してもらうよう依頼して、前金を渡して契約を結んだ。

    わかり次第連絡しますと言われて、何だか心強い味方ができたと思った。東海林は安堵して事務所を後にして連絡を待つことにした。


    それから1週間がたった、まだ返事はない。やはり人探しにはそれなりに時間がかかるものなのだろうか。
    東海林は一度連絡して状況を伺おうかと迷っていた。
    (急かしてるように捉えられたら嫌だしな…でも前金も払ってるんだからどのくらい進んでるか聞く権利はあるよな…)
    東海林はスマホを取り出し、探偵事務所の電話番号に発信しようとした。
    と、同時に家のチャイムが響いた。
    東海林は手を止めて、玄関の方に目をやった。
    こんな休日に誰だろうか、それとも宅急便でも届いたのか。
    ちょうど玄関に程近い位置にいたのでモニターを見ずにそのままドアを開けにいく。
    「どなたですかー…」
    東海林は、言葉に詰まってロボットが一時停止されたように固まってしまった。


    その理由は、目の前に大前春子がいたからだ。
    白いとっくりセーターにグレーのジャケット、グリーンのタータンチェックのスカートを履いている。
    この暑い時期にそんな恰好をしているなんて大前春子らしい、と東海林は思ったが
    なぜ春子がここにいるのか理由が分からずしばらく目を泳がせていた。
    そんな東海林をよそに、春子は口を開いて言葉を述べる。

    「あなたのお手伝いをしに来ました、大前春子です」
    お手伝い?こいつは家政婦にでもなりに来たのだろうか?
    東海林は言葉の意図がくみ取れずに春子へ問いかけた。
    「そもそもなんで俺の家知ってるんだよ、しかも手伝いなんて頼んだ覚えないぞ」
    「玄関では話しにくいことなので、上がらせて頂きます」
    春子は東海林を押しのけて中に入り、丁寧に靴を脱いで一人リビングに向かった。
    「ちょ…勝手に上がるなよ」
    そう言いながらも春子が自分から会いに来てくれたという真実に
    喜びを隠せず、顔がほころんでしまう。

    春子はテーブルに腰掛け、東海林にも向かいに腰掛けるよう促した。
    東海林はしぶしぶと腰掛けるが、ソファーにかけっぱなしの寝間着が残っていたのが
    恥ずかしく、一度立ち上がり脱衣所の洗濯籠に投げ入れてから
    再び腰かけた。

    「では簡潔に説明させて頂きます。先日あなたが探偵事務所へ入っていくところを
    偶然、偶然拝見しました。その後また偶然元浅野主任に会い、あなたが探偵事務所へ
    入っていったことを話すと、人探しをしているとだけ教えて下さりました」
    「おい、偶然多くないか?」
    「ただあの探偵事務所は金額が高いわりに依頼に対してずさんな対応をするので
    個人的にお勧めできません」
    「え!?ずさん??いやいや、ちょっとまてよ。なんでお前がそんなこと知ってるんだよ」
    「私も探偵の仕事をしていたからです。探偵調査士の、大前春子です!!」
    春子はいつものように認定書を鞄から取り出し東海林に見せた。
    「探偵って…お前色々手出ししすぎだろ!!」
    「私ならあなたが探している人物を3日で探し出します、それで料金は
    2万円でお引き受けします」
    春子はピースサインを東海林に向けた、実際は2万という意味だが。
    そんな格安でいいのか?先週の探偵事務所は前金だけで1万2千円取っていったというのに。
    しかし、田中を探しているということを話すのであればデータ改ざんが小山田社長の
    陰謀かもしれないということも話さなければいけない。
    今はS&Fに勤めていない春子をこの件に巻き込んでいいのだろうか。
    東海林の中で迷いが生まれ、返事に戸惑っていると
    「私は誰を探しているのか知りませんが、推測するに旭川で信頼していた元部下ではないですか?」
    なぜかピタリと当ててみせた。
    「何でわかんだよ!怖えよ!!…そうだよ、田中っていう奴だよ」
    「ついでに言うと、田中という方が以前データ改ざんをしたのは誰かに支持されたからではないですか?」
    「いやいや、お前うちに盗聴器かけてないか???何で知ってるんだよ!!」
    「私もあのことはずっと気がかりでした、明らかにおかしいデータ分析でしたから
    私があれだけ不祥事の匂いがすると警告したのに…」
    「だったらその時になんかやってくれよ」
    「私は当時ハケンだったのでそこまではできません」
    「まぁ…あのときの事は感謝してるよ、その後の行動は未だに根に持ってるけどな」
    お礼を言ったのになぜかハエだと叩かれたことを思い出して東海林は不機嫌になった。
    自分のためにあんなに尽くしてくれたのは名古屋の時以来で、春子への思いが
    再び燃え上がったのに、平手打ちで一気に鎮火させられた気分だった。
    でも、またこうして自分のために力を貸してくれようとしている。
    もしかしたら危ない目に合わせてしまうかもしれない、でも春子のようなスーパーハケンがいれば
    解決の糸口が見えてくるかもしれないし、本当に3日で田中を探してくれそうだ。
    東海林は覚悟を決めて、春子に事情をすべて話した。
    その話を聞きながら、春子は熱心にメモをとる。
    田中のフルネームや手紙の封筒や消印なども写真に撮り、送られてきたメールも
    パソコン画面をカメラで撮る。
    そしておやつクラブの編集の不審な態度や、教授への過剰な接待なども説明した。
    春子は目を見開きながらメモを見つめ考え出し、その様子を東海林は息を飲んで見ていた。
    「田中という方は、北海道にいる可能性が高いということですね。では今から北海道へ行きます。
    費用はあなたが持ってください」
    突然北海道に行くといわれ、思いもよらない展開にあっけにとられた東海林は
    「おいおい、北海道がどれだけ大きいか知ってるのか?そんなすぐ行って見つかるものでも…」
    「大丈夫です、私なら見つけられます。そしてあなたは今から依頼人であり私の助手です」
    「は?何でお前の助手なんだよ!!」
    「私一人では限界があるからです、取りあえず先日依頼した探偵事務所への依頼はお断りください
    今ならギリギリ返金されます」
    「俺に指図するなよ、わかったよ、とりあえず連絡するからお前は今から俺のプライベートアイズな!」
    「そんな英語でカッコよく言わないでください」


    そうして、東海林は再び春子と「探偵と助手」として特命係を結成することになった。

    この時期の北海道はカラッとしていて気温が30度近くあるものの、東京よりも過ごしやすいと思った。
    新千歳に着いた東海林と春子は空港内のカフェに入りこれからの行動について話し合う。
    コーヒーを2つ頼み手狭なテーブルに向かい合って座る。
    「いいですか、いまからあなたにやってほしいことを説明します」
    春子は鞄からA4ノートを取り出して1枚ちぎってボールペンと共に東海林の前に置いた。
    「あなたは旭川支所に連絡してとにかく田中さんの情報を集めてください、実家や出身校など総務課で所要なんだとごまかしてでもかまいません。それと経理担当に、当時の接待の記録を調べてもらってください。キャバクラで接待したということは通常なら経費で落とすはずです。でももし、経費ではなかったとしたら田中さんが第三者からキャバクラ代を接受した可能性が高いということです」
    「ちょっと待て、一息に言われてもわかんねぇよ。ひとまず旭川支社に連絡すればいいんだな?」
    東海林はメモを取りながらもう1度確認していく。春子の強気で周りの空気を変える仕切りっぷりにいつのまにか飲み込まれていた。
    「私はその間スマホで札幌市内の田中という家を片っ端から探していきます」
    「探すって…どうやってだよ」
    「それは企業秘密です」
    「教えねーのかよ!まぁいい、とりあえずこっちはこっちで調べてみるから」
    2人ともコーヒーが冷めるまで一口も手をつけずに、何か手がかりになるものを手探り状態で探していた。


    「経理に調べてもらったが、キャバクラの接待は経費で申告されていなかったそうだ。お前の読み、当たったな」
    1時間後に旭川支社の経理から連絡があり、そう返事が来た。東海林はなぜか自分も探偵になったような気分で春子に低い声で話しかける。
    「松田優作のモノマネでもしてるんですか?それはさておき、やっぱり裏がありそうですね」
    「お前のほうはどうなんだ?田中は??」
    「札幌市内で254軒ありました…たしかに日本人に多い名前とはいえ、厳しいですね」
    「あ、田中の出身校分かったぞ。白石区の大門高校らしい」
    「何年卒ですか?」
    「えーっと、36歳だから…平成15年卒か??」
    「じゃあその高校で手がかりを見つけましょう」
    「あ、あと急に仕事辞めた後に源泉徴収を送ってくれって頼まれて1度連絡が来たらしい。でも私書箱で送ったらしくて…札幌中央郵便局だってさ」
    「中央郵便局…白石……ちょうど千歳線で繋がってますね、ではまず高校へ向かいましょう」
    春子はコーヒーを一気飲みして席を立つ。東海林も釣られてコーヒーを飲みながらメモなど整理して春子を追いかけた。

    札幌行きのエアポート快速に乗り、自由席に横並びで腰掛ける。さっきの飛行機よりも至近距離で少し緊張した。東海林は黙ったままの春子に戸惑いつつも声をかけた。
    「そういえばさ、今日はどこに泊まるんだ?さすがに日帰りは無理だろ」
    「宿は適当でかまいません、今のうちにスマホで探しておいて下さい。もちろんシングルふた部屋で。私は疲れたので寝ます」
    そう言うと、気絶するかのように一気に背もたれに体を委ねて寝息を立てた。
    「おまっ…飛行機でも寝てたじゃねーかよ!」
    目を閉じて、ゆっくりと呼吸する春子の寝顔を東海林は愛しそうに見つめる。
    寝ているなら少しだけ、と、自分の肩に春子の頭を寄せてみた。春子の匂いがさっきよりも強く伝わってきた。どこか妖艶で甘い香りがする。そうだ、昔会社でやりあっていた時もこんな匂いがしていた。なんだか懐かしく感じるけれど、まだ1年前のことなのか。
    東海林は自分も春子にもたれて目を閉じた。
    こんなに近くにいる時くらい、甘えてもいいだろう。どうせまたこの女はどこかへ逃げてしまうのだから。
    そんな予感を抱えながら。


    白石に着き、タクシーで大門高校に向かった。
    そこは住宅街の中に狭苦しそうに佇んでいて、手前の校舎は古いのに体育館は真新しく、どこかアンバランスな印象を受けた。
    そして門を潜ろうとすると、春子は東海林に忠告した。
    「あなたはこの先黙っていてください、何があっても」
    「はぁ?黙るって何をするつもりなんだよ」
    「それは私に任せてください」
    そう言いながら、通用口へと歩いていく。

    守衛のような人物に話しかけると、突然笑顔になる。

    「お疲れ様です、私2年2組の田中の母ですがうちの子が体調を崩したようで…夫と迎えにきたのですが」
    明らかに嘘だとわかっているが、夫扱いされて東海林は少し嬉しくなってしまった。それにしてもよくあんな嘘八百を笑顔で話せるなと色んな意味で感心していた。
    守衛はすっかりだまされて、どうぞどうぞとスリッパを用意してくれ
    春子は笑顔でお礼を言い、東海林も後をついて中に入った。
    春子は初めて入った校舎の中を迷うことなくスタスタと歩く。それが東海林は不思議でならなかった。
    「おい、どこいくんだよ」
    「卒業アルバムのある所といえば図書室です。さっき守衛室の奥に地図がありこっそりチェックしました」
    「すごいなお前…」
    「静かに、バレたら不法侵入で捕まりますよ」
    そう脅され東海林は口を噤んだ。
    二階の図書室に入ると誰もおらずしんとしている。
    知らない学校とはいえ、図書室に入るなんて何十年ぶりだろうか。なんだか懐かしい記憶が蘇ってくる。
    「さぁ、卒業アルバムを探してください。卒業は平成15年ですがアルバムの年数は平成14年度ですよ」
    「わかってるよ」
    東海林と春子は本棚を順番に目を通して探していく。
    化学、歴史、小説…並んでいるものが多くて気が遠くなるような作業だったがいつのまにか春子が見つけ出して東海林の前に差し出してきた。

    「これです、では田中という人をこの中から見つけ出して下さい」

    東海林は1組から順番に男子生徒の顔写真をなぞっていく。そして6組目にしてやっと田中を見つけ出した。
    「いた!!これだ!!」
    すると春子は指した写真をスマホで撮影した。
    「はい、終了です」
    「え??これだけ??」
    「顔写真があれば大分手がかりが掴めます、早く片付けて逃げますよ」
    「ああそうだ、こんなところで捕まるわけにはいかないんだから」
    東海林は慌てて卒業アルバムを片付けて図書室から出た。守衛に気づかれないよう靴を取りこっそりと外に出ると、安心感からか大きなため息をついた。


    「あ〜心臓に悪い…」
    「それでは今からこの辺りをくまなく聞き取りますから、あなたにも写真を送ります」
    「え?LINEかメアド教えてくれんの?」
    「電話番号のSMSで送ります」
    「電話番号って…まだ残してくれてたのか?」
    「番号が変わっていなければですが」
    「変わってねーよ、ずっと」
    それはいつか春子から連絡が来た時のためだーと、言いたかったけれど、今は探偵と相棒だからと、余計な気持ちは吐き出さないようにした。

    聞き込みだなんて、それこそ探偵や刑事みたいでちょっとわくわくしてしまった。ところが、予想以上にたいへんなことを東海林はこの後身をもって知ることになる。



    「疲れた……マジでもう帰りたい」
    公園のベンチにもたれて、東海林は缶コーヒーを飲みながらボヤいた。
    「まだまだですよ、さしずめ今日はホテルで休みます」
    春子は姿勢を正しペットボトルの緑茶を飲んでいた。
    あのあと2人で近所や店など色んな場所へきき込みに行ったが、知らないとばかり言われた上にあからさまに嫌な顔をされたり、怪しいと警察に連絡すると脅されそうになったりと、身を削られる思いだった。
    ドラマだとすぐに手がかりが見つかっているのに現実は厳しかった。数時間だけでも心が折れそうなのに何日もこんなことをやっている人間は実に凄いと尊敬の意を感じた。

    「お前も、手がかりなしだったのか?」
    「そうですね、中学の時の同級生という人はいましたが、実家や消息は知らないとの事でした」
    「同級生!?それならもうすぐ友人にたどりつくんじゃね?」
    「そう簡単にはいきません、所詮こういった人探しは忍耐と運です」
    春子はすくっと立ち上がり、東海林の予約したホテルを地図で探して歩き出した。
    「1人で先に行くなよ、おいとっくり!!」

    12階建てのシティホテルの前に到着した2人は自動ドアをくぐって中に入る。フロントは広くシャンデリアが飾られて横のロビーにはフリードリンクの機械が並び、ソファーでくつろぐビジネスマンや旅行客が数名いた。

    「受付は俺がするから、お前は座って待ってろ」
    東海林はキャリーケースを春子の前に置いてフロントの女性に話しかけた。
    宿泊書に必要事項を記していると、奥の方から声が少し聞こえてきた。
    「お世話になります、今日は5ケースでお願いします」
    何かの業者だろうか、東海林はあまり深く考えずペンを走らせていたが、相手の声を聞いた瞬間、手がピタリと止まった。

    「わかりました、じゃあこれ伝票です」
    「田中さん、いつもありがとうございます」


    間違いない、田中だーー。


    東海林はペンを置きフロントを飛び越えスタッフルームに入り込んだ。
    「お、お客様…?」
    奥の通用口から出ようとした背中に思い切り怒鳴る。
    「おい、田中!!」


    その声に反応して振り向いた人物は、紛れもなく2人が探していた田中だった。


    せっかく札幌に来たというのに全国チェーンのファミレスで夕飯を取ることになるなんて。
    でも、北海道に来た最大の目的が思わぬところで落ちていて、東海林はミラクルって本当にあるんだなと感動を覚えた。

    目の前には田中が俯いたまま黙って座っている。
    東海林の横には同じく黙ったままの春子がいた。

    この微妙な組み合わせをどうしたらいいものか、東海林は場の空気を和ませようとメニューを取りテーブルに広げた。
    「まぁ腹が減っては何とかって言うし、とりあえずオーダー決めようぜ。ほら、とっくりと田中も」
    「私はサバ味噌で結構です」
    メニューも見ずに春子は注文ボタンを押した。
    「おい、まだ決めてないのに押すなよ!!」
    ウエイトレスが駆けつけてくると待たせるのも申し訳ないと思い、表紙に載っていたジンギスカンハンバーグを2つ頼みサバ味噌定食ありますか?と尋ねた。
    「サバ味噌ではなくサバの塩焼きならございますが…」と言われてしまった。
    「では塩焼きでお願いします」
    春子が東海林を遮り返答し、ウエイトレスは確認したのちまた別の場所に移動した。


    ホテルでチェックインの手続きをしていた時に、偶然田中と遭遇した東海林はとにかく話をしようと近くのファミレスに連れて行った。田中は実家の酒屋を手伝っていてちょうど最後の配達だったようなので、ホテルからそのまま一緒に連れて行くことになった。
    逃げられたりしないだろうかと思ったが、意外と大人しく言うことを聞いてくれ、正直嬉しく感じる。
    旭川で一緒に働いていた時も素直に指示に従ってくれて、信頼していたからこそ、データ改竄を知った時は何かの間違いじゃないかと思わずにいられなかった。

    だからこそ何から話したらいいのかまだ戸惑ってしまい東海林もなかなか話を切り出すことができずにいた。

    そんな空気を読み取ったのか、逆に空気を読んでいないのか春子が突然喋り出した。

    「田中さん、私たちはあなたを探すためにここまで来ました。まさかあんな形で偶然会うとは驚きです。今日一日私たちはあなたを探すため必死で聞き込みをしていました。あなたが東海林課長に送った手紙やメールについて、本当のことをお話しして下さいますか?」
    相変わらずの鉄仮面で淡々と話す春子に田中は怯えていた。
    「おいとっくり、威圧的な話し方するなよ。怯えてるだろ」
    東海林が春子を宥めると、春子は東海林に目線を落として声のトーンを少し下げてこう言った。
    「…そうですね、とりあえず説明の前にこの人に謝罪して下さい。この人がどれだけ辛かったか私は近くで見ていたからこそまだあなたのことを許せません」

    その言葉を聞いた瞬間、東海林は目頭が熱くなり泣きそうになった。

    いつも冷たい言葉で突き放すくせに、本当に辛い時には寄り添ってくれる。そんな春子の情の熱さにずっと惹かれている自分がいることに改めて気付かされた。

    「本当に、申し訳ありませんでした…」

    東海林に頭を下げて声を絞り出すような声で田中は謝罪をした。
    それをしばらく黙って見ていると、ウエイトレスがサバの塩焼き定食を運んできた。

    それを春子が口にするのは冷えて身が少し硬くなった頃だった。




    「あなたの奢りならチョコバナナサンデーも頼めばよかったです」
    「そんなの食べてたら太るぞ」
    「余計なお世話です、あなたこそジンギスカンハンバーグだなんて…羊のような頭をして羊の肉を食べるだなんて共食いですか?」
    「誰が羊だ!!俺の髪はまだ白髪は生えてねーぞ!!」

    ファミレスからホテルへ向かうまでの帰り道、いつものように2人は幼稚な言い合いをしていた。
    田中から話が聞けて、胸のつかえが下りたような気がした。
    結局最初に届いた手紙の中身は本当の事だと言っていた。ただ働いていた会社が急に不渡りを起こして倒産してしまい、手紙を送ったことがバレてしまったのではないかと思い、あれは全部嘘だったとメールしたらしい。
    ただ、小山田からのメールなどは全て削除するよう指示されてはっきりとした証拠はないらしい。
    けれどキャバクラ接待の時に、田中個人の口座に振り込みがあったそうなので、明日通帳のコピーを渡してもらう約束を取り付け、連絡先も交換した。

    今日一日色々なことがありすぎて疲れもあるが、2人で何かを成し遂げた達成感のようなものを得た気がして、ふと名古屋で頑張ったで賞を受賞した時を思い出す。あの時も春子は自分のために縦横無尽に走り回ってくれた。

    「とっくり…大前さん、ありがとう。さっき、謝罪してほしいって言ってくれてさ」

    東海林が春子に向かって告げると、春子は足を止めて振り返った。

    「私は思うことを伝えただけですか?」


    「好きだよ」


    まるでシャツのボタンをかけるように、自然と言葉が溢れた。

    春子は東海林を見つめたままこちらに顔を向けていた。東海林はその瞳に近づいていく。


    バシッ


    距離が15センチほどになった時、東海林は頬に痺れを感じた。春子が頬を叩いたからだ。
    「いてっ、また叩くのかよ!」
    「ハエが飛んできたので」
    「同じネタ何度も使ってんじゃねーよ!!」

    東海林は唇を尖らせて、先に進む。春子はその後ろを着いて行った。
    「なぁ、俺の部屋で飲まないか?」
    「お断りします」
    「じゃあお前の部屋に行っていい?」
    「セコムに通報します」
    「不審者扱いするなよ、ばか!」
    あっさり断られたが、明日も一緒にいられるのだからまぁいいか、もし時間が余ったらどこか観光でもして帰りたいな。

    そんな期待を膨らませながら東海林はホテルの向かいにある札幌駅のネオンを見上げていた。






    だが、そんな期待はあっさりと打ち砕かれる。
    なぜなら翌朝春子が姿を消していたからだ。

    「お連れさまはお帰りになられました…お手紙をお預かりしております」
    朝起きて朝食に誘おうと隣の部屋にいるはずの春子に声をかけたら全く応答せず、心配になったのでフロントで問い合わせたら、こんな返事が来た。
    「帰った!?」
    東海林は手紙を受け取り中を開いた。
    『演歌歌手の営業が入ったのでお先に失礼します』
    まだ演歌歌手の仕事をやっていたのか、いやそれよりも何も言わずに消えるのはもうデフォルトになっている気がした。
    電話をかけても電源が入っていない、東海林はイライラしつつも約束の時間が迫っており、仕方ないと田中との約束の時間に間に合うよう身支度をして、チェックアウトをする。


    田中とは昨日のファミレスでまた待ち合わせをしていた。
    中に入るともうすでに田中が窓側のテーブルで座っていた。
    「今日は、1人なんですか?」
    「ああ、昨日の女は用があるからって先に帰ったよ」
    「…あの人って、東海林さんの奥さんか彼女ですか?」
    「いや、ないない。ただの探偵と助手だよ」
    東海林は首を横に振りながらコーヒーを頼み運ばれてきた水を一口飲んだ。
    田中は早速通帳のコピーを差し出した。個人情報になるので必要なところ以外はマジックで塗りつぶしてくれと伝えていたので、1箇所以外は真っ黒だ。

    そのおかげで目的のものがすぐ目につく、振込先を見るとS&Fではなく「デリープテント(株)」と書かれていた。金額を見ると650,820円も振り込まれている。
    「何だこれ、キャバクラってこんなにかかるのかよ」
    「教授が何度も強請ってくるので…大変でした」
    東海林も過去に上司の奢りでキャバクラへ連れて行ってもらったことはあるが、自分で支払ったことがなかったので相場は知らなかった。まさかこんな高額なものだったとは。ふと、桐島部長の顔が運ばれてきたコーヒーの琥珀色に浮かんできた。昔よく世話になってキャバクラに連れて行ってくれたのも部長だった。
    気前がよくて豪快で人生の先輩として尊敬していた。部長に逆らって左遷されてからは全く音沙汰なしのまま、5年前に亡くなったと連絡があり葬儀へ参列した。

    「東海林さん、どうしました?」
    思い出を引き出していた東海林を呼び戻すように田中は話しかける。
    「悪い、ちょっと色々思い出していてさ」
    東海林はコーヒーを飲み、思い出を一旦かき消した。
    「そうだ、僕ももらったメールの内容を思い出してメモにしてみたんです、なにか手がかりになるかな?と思って…」
    そして手書きのメモを差し出された。
    丁寧な字で箇条書きにしたためられたそれはとても見やすい。
    そういえば旭川の時も田中は几帳面でメモもちゃんとラインに沿ってまっすぐ書いていた。
    そんなメモを見ていると、1つ気になるワードが見えた。

    「オオマエハルコには気を付けろ」

    「大前春子って……これ、とっくりのことを話していたのか???」
    「とっくり…?じゃあ、あの人がオオマエハルコさんだったんですか!?」
    田中は驚嘆していたが、東海林は俺の方がびっくりするわと思った。
    なぜ小山田がそんなことを田中に話していたのか、そもそも大前春子のことなどよくしらないのに気を付けろとはどういう意味なのか。
    ただ、その言葉に既視感があり、どこかで聞いたことがあるとまた記憶の引き出しをあける。すると思ったよりも早く思い出せた。

    「桐島部長か…!?」

    そうだ、昔ハケン弁当の担当を変われと命令されたときに、桐島部長が「大前春子には気を付けろ」と言ってきた。確か当時桐島部長は大前春子をえらく贔屓して、大前春子が働く店にも連れて行ってくれた。何か繋がりがあるのかと思いきやその後は名古屋に行ってしまったのでわからないままだ。
    S&Fの上層部が恐る女大前春子、彼女は一体何者なんだ。
    東海林は気がかりなことが多いため、田中と別れるとすぐさま東京へ戻ることにした。
    田中には実家の手伝いを頑張れよと励まし別れた。田中のおかげで少しずつ謎が解けていきそうな気がした。

    帰りの飛行機で雲を見下ろしながら考える。
    何か失念していることがある、桐島部長のことを思い出した時に13年前に落としたままの記憶があることに気がついた、それなのに落とし物がなんなのかわからない。

    それは今回の件に関して肝要なことになるはずだ、なぜかそんな気がする。根拠はないが自分の勘は当たる気がしていた。

    すると飛行機が乱気流に入ったのか少し揺れ始めた。その影響でアナウンスが流れ出す。「只今気流の乱れた場所を飛行しております…」と、日本語でCAは話したあと、英語でも話し出す。
    「The plane so moving in turbulence……」

    「ああーーーーっ!!!」

    英語のアナウンスを聴いて突然思い出してしまい、声が出てしまった。乗客は東海林の叫びに反応して振り向く人もいればお茶を溢しそうになる人、寝ていたのに飛び起きてしまった人など様々だった。

    「お客様、どうされましたか?」
    CAも心配そうに東海林の前に来た、このCAのアナウンスのおかげで思い出せたせいかなぜか
    「いえ、ありがとうございます」と、話が噛み合ってないような返事をしてしまった。



    思い出したことは、13年前のふとした会話。
    春子がハケンで来たばかりの頃に、春子はその前にも総務部にハケンとして来ていたということ。


    もしかしたら、その時から小山田社長は春子のことを知っていたのかもしれない。


    どうして総務部の事を思い出したのか。

    その理由は、機内でのCAの英語のアナウンスだ。
    「so moveing…」「ソームービング…」「ソームブ…」「総務部」
    という、何とも無理やり感が否めないが、空耳アワー的なきっかけで喉のつかえがとれたので
    結果オーライだと思おう。
    東海林は羽田につくと、真っ先に春子に電話をかけた。
    だがまだ電話は電源が切られたままだ。
    「携帯の電源つけておけよ、ばか!!」
    このままもやもやして待っている暇はない。
    東海林はキャリーバッグを受け取るのも忘れて、会社の休日担当の受付に電話をかけ
    ある人物とアポを取ることで躍起になっていた。


    「どうしたの、こんな休日に呼び出して。あんた独身だからって熟女にまで
    手を出そうって魂胆なの?」
    冗談交じりで明るくふるまう女性は総務部のお局と呼ばれる安田さんだ。
    子供が5人もいながら長年総務部を仕切っている女性で
    東海林も新人の頃1年ほど世話になった、それでも時々会社で会えば
    挨拶するくらいの関係だったので、突然の呼び出しに応じてくれるか正直不安だった。
    だが意外とあっさりYESの返事をもらい、安田さんが指定してきた下町のもんじゃ焼きの
    店に待ち合わせて、安田さんおすすめの高菜明太子もんじゃを焼いてもらっている。
    「安田さんのような美魔女、俺も誘いたい気は満々なんですけどね…今日はお聞きしたいことがあって。
    お忙しい中お時間いただきありがとうございます」
    「何かしこまってるんだよ、あんた会社たらいまわしにされてからすごく丸くなったね。
    まぁ昔の前しか見えない猪突猛進な感じもよかったけどさ」
    安田さんは頬杖をついて東海林を息子を見るような目でみつめた。
    昔の面倒見のいい安田さんのことがふとよみがえる。そう言えば安田さんはチャキチャキの
    江戸っ子で、東海林も大好きな寅さんシリーズをコンプリートしており
    どの話が一番か悩みに悩んだけど選べないなんて話を2人でしていた。
    この少し古びたもんじゃの店も安田さんは常連らしく実にらしいなと感じた。

    雑談を少しかわした後に話を切り出そうとしたら、もんじゃが焼けたから食べようと言われ
    2人でヘラを使ってフーフーと息を吹きかけ頬張る。
    「うまっ、ちょっと辛いのがいいですね」
    「でしょ、昼間じゃなければビール飲みたいほどだよ」
    安田さんに会うまでずっと気負いすぎていた感情が、この食事で小休止できた気がした。
    あっという間に食べてしまい、ピリピリする舌を冷水で整えると
    気持ちを切り替えてやっと本題に入る。

    「それで本題なんですけど…まず大前春子というハケンが総務部にいたことを
    覚えているか確認させてほしいんです」
    「大前…春子?ああ、去年あんたの部署に来てた子ね。覚えてるよそりゃ。
    私が2か月もかかって作った戦略立案を覆して2週間で新しいのを作って即採用だったからね。
    3か月で社員のプライドズタボロにして出ていったのよ」
    「マジですか!?あいつ…安田さんにまで盾つくなんて」
    「まぁ…でも、仕事はできるのよ。資格も多いし勉強家で、ただ協調性がないっていうか
    壁を作ってたって感じがしたわね」
    「そう、そうなんですよ!!相変わらず生意気で感情を表に出さないし…マジあいつわかんねぇって感じで…」
    「ど、その大前春子がどうしたんだい?何で知りたいの??あんた大前春子と何かあったの???」
    安田さんは前のめりになり興味津々で春子の事を聞きたがる理由を聞く。
    まるで立場が逆転しているような気がする。
    「えーとですね、順に説明すると…今の社長が色々ありまして…大前春子には気をつけろと
    ある人物に話していたらしくて、それで…」
    「ああ、小山田社長ね。あの人官公庁に会社のお金で違法な接待していて
    大前春子にすっぱ抜かれたのよ」
    あいまいな説明しかできなかった東海林に安田はあっさりと内部事情を暴露した。
    「ええ!?そんなの知らないですよ??」
    「そりゃ社長がもみ消したんだもの、総務部でも口止めされてたから。でももう
    時効よね~。あの人一度降格したけど今じゃ社長だもの」
    「もみ消しって…昔からそんなことがあったんですね」
    愛している会社でそんな汚れたことがあったなんて、今更とはいえ
    正直がっかりしていた。
    「でもね、あの人が社長になったのは裏があると思ってるのよ。宮部前社長を
    裏工作して陥れたとかさ」
    安田さんの眉が歪んでいた、確かにもみ消したとはいえ以前不正を働いた人物が
    社長に成りあがっているなんて東海林も納得がいかない。
    「会社って、卑怯にならないとのし上がれないですよね…」
    ため息をついて、つい本音をこぼしてしまった。
    「そうかね、私はそうは思わないよ。最後は正義が勝つんだよ」
    そう言ってこぶしを東海林に額にこつんと当てた。
    「あたしだって産休取るたびに厄介者扱いされてきたけどさ、がむしゃらに両立させて
    今もあの会社で働いているんだよ。あたしは定年までずっとS&Fにしがみつくよ」
    その言葉がスポンジが水を吸うように深く染み込んだ。
    この人のスタンスが自分とかさなる、自分もこの会社で死ぬまで働きたい。
    そう思っているからどれだけつらくても名古屋や旭川で必死に結果を出してきた。
    その努力が報われやっと本社に凱旋できたと思ったのに、小山田に利用されるためだけに
    ここにいるなんて納得いかない。

    東海林の目が、さっきとはうって変わって真剣な表情になり、鋭い目で安田さんに告げた。

    「俺が、正義が勝つことを証明します」


    「ふんっ、かっこつけちゃって。でも悪くないね。
    あたしもできることがあれば協力するよ」



    ということで、東海林にはもう1人心強い味方ができた。



    安田さんからの情報を聞きつけて、春子にも詳しく話を聞きたいと思い自宅に帰って再び電話をするが着信になるものの応答がない。
    東海林は苛立ちながら通話終了のボタンを押して、乱暴にソファーに投げ捨てた。
    「電話くらいでろよな…」
    春子との連絡が途絶えるたびにまた何処かへいなくなるのではないかという不安に襲われる。
    自由気ままな風来坊のような相手を好きになるとこんなに苦労するのかと改めて思い知らされた。
    仕方ないのでまた翌日かけてみようとその日は旅の疲れも残っていたので早めに寝床へついた。

    深い眠りについていたのに強引に起こされたのは、午前2時の着信だった。
    「誰だよこんな時間に…」
    東海林は手探りでスマホを探し出して寝ぼけ眼のままボソボソ声で電話に出た。
    「もしもし…」
    「夜分失礼します、大前春子です」
    「…あー…………とっくり!?」
    東海林は布団を投げて体を起こし、神経を耳元に集中させる。春子の声で眠気が一気に消えて行った。
    「お前、急にいなくなるし何してたんだ」
    「演歌歌手の営業が忙しかったので、今日は温泉地で歌謡ショーをしていました」
    「マジで歌手やってんのかよ、まぁいいや…今日さ、総務の安田さんて人と話したんだけど覚えてるか?」
    「…安田さん……そんな人もいたような気がします」
    煮え切らない返事に不安を感じながらも、東海林は安田さんから聞いた話をそのまま春子に伝える。
    「ーってことだが、お前本当に小山田社長の不正を暴いたのか?」
    「…そうですね、覚えています。でも広めないよう口止めされていたので黙っていました。だから去年あなたに降りかかった不遇は小山田社長が関わっているのではないかと思いました」
    そう言われて、思い出してくる。あのデータ改ざんの時も春子は最初から「不祥事くさい」と言っていた。あれはただの嫌味ではなく根拠があったのだ、素直に春子の忠告を受け入れていたらー…。やはり何年経っても自分は爪が甘いと思い知らされる。
    しばらく黙っていると、春子の方から会話のパスを投げてきた。
    「それは一旦置いて、こちらの用件を伝えていいですか?」
    「何だよ、こんな夜中にかけてくるって事は急ぎなのか?」
    「そうですね、今から出かける準備をして下さい。S&武蔵野市のある給食センターがS&Fと契約を結んでいますが、そこの所長と小山田社長が大学の同級生だそうです。という事でその給食センターへ行きましょう」


    午前4時、まだ薄暗く外灯も照らされている。
    勤務のために給食センターへやってくる従業員を門の前で捕まえて東海林と春子は話を聞いた。
    所長は特に悪い話もなく、温厚で分け隔てなく接する人らしい。ただ知り合いだっただけで裏で怪しい取引などはなかったように感じた東海林は
    「こんな朝早くきて無駄足だったんじゃないか?」
    諦め気味で呟くと、春子はキリッと睨みながら
    「まだ分かりません、もう少し話を聞きましょう」
    東海林はあくびを口で覆うと、また1人歩いてくる女性に気がついた。20代くらいの若い小柄の女性だ、あの人も従業員だろうか。東海林は怪しまれないように春子を横につけて話しかけた。
    「ちょっといいかな、君この給食センターで働いてる?」
    「はい、そうですけど…」
    「ここの所長さんについてちょっとお伺いしいんだけど…」
    「東海林さん?」
    その女性は東海林の事を知っているかのように名前を呼んだ、東海林は身に覚えがなくて、戸惑う。
    「私です、宮崎の娘です。宮崎七海です」
    「あ…!!宮崎の!?え、君もうこんなに大きくなったの!?」
    「前にお会いしたのって小学生ですよね…東海林さん変わってなくてすぐ分かりましたよ」
    どうやらこの2人は知り合いらしい、春子はそう察したが何やら2人で盛り上がっていて入る隙がない。しかも世間話ばかりされると肝心な所長の話が聞けない。
    春子は話に割るように2人の隙間に入り込む。
    「昔話はそこまでにしてください、私たちは所長について話を聞きにきたんです」
    「所長!?……」
    七海は少し複雑な表情を浮かべた。
    それを春子は見逃さなかった。
    「あなた、今日仕事が終わってから時間がありますか?」
    「はい、今日はとくに…」
    「では私たちと少しお話しさせてください、連絡先はこちらまでお願いします」
    そう言うと、なぜか東海林の名刺を差し出した。
    「何でお前が持ってるんだよ」
    「この間拾いました」
    「嘘をつけ、嘘を!!」
    つい七海の目の前で喧嘩してしまい、軌道修正するために東海林は七海に話しかけた。
    「悪いね、七海ちゃん。よかったら聞かせてもらえないかな?」
    「はい、東海林さんなら…じゃあまた連絡しますね」
    七海は一礼して、職場へと向かって行った。
    「あの子、俺の大学ん時の友達の子供でさ。前に会ったのは12歳だったかな?すげー大人になってたから気づかなかったわ」
    東海林はまるで父親のような目で七海の後ろ姿を見送るっていた。

    その姿を見て、春子の胸がチクンと痛む。
    この年なら、成人済みの子供がいてもおかしくない。
    東海林にも、もし若いうちに結婚していたら今頃子煩悩な父親になっていたのではないだろうか。

    結婚して子供を産む事が幸せ、そう思う人もいればそうでもない人もいる、自分は明らかに後者だと春子は思っていた。
    けれど、東海林と再会してからその考えが少し揺らいでいる気もする。

    そんな思いを秘めながら、春子はまだ薄暗い西の空を見つめていた。

    8時半に寝不足のまま会社のエレベーターに乗ろうとすると、横からある人物がやってきた。

    社員はこぞって頭を下げている、小山田社長とその秘書に。
    東海林も一礼して後ろに下がった。内心疑念を持つ相手なだけに、礼などしたくなかったが組織として仕方なく頭を下げた。

    エレベーターのランプが光ると小山田社長は中に入っていく、そして東海林の方を見ながら
    「君も乗りなさい」
    優しそうな言葉を冷たい目で誘う、それに乗るかどうか迷ったが東海林はあることを思いつき中に入った。


    ウィーンと音がするエレベーターの中で最初に口を開いたのは東海林だった。
    「昨日北海道へ行ってましてね」
    そう言いながら鞄の内側に抱えていた紙袋を小山田社長に見せつけた。
    白い恋人と書かれたそのパッケージをみて、小山田社長は無言を貫き冷淡なままでいる。
    「よければおひとついかがですか?」
    小さい箱を一つ取り出して渡そうとすると
    「…何をしに行ってたんだ?」
    「旭川支所の部下に会いに行ってました、元気そうでしたよ」
    田中の名前は言わずに、匂わしながら挑発する。
    「結構だ、甘いものは嫌いなんだよ」
    東海林がボタンを押したフロアに着き扉が開く。外に出ると深く頭を下げながら社長を見送る、顔をわざと見せずに。

    「…いつか見てろよ、100倍返しだ」
    どこかのドラマの主人公になりきりそう呟いた。



    次の日の夜、七海とカフェで待ち合わせをした。七海から指定されたカフェは猫をモチーフにした店内でレースのコースターに黒猫のワンポイントが入っていた。こんなところに1人で入ることはできない、側から見たらきっと親子なんだろうと感じながら東海林はメニュー表を見ていた。
    「何これ?ウーピーパイとか台湾カステラとか…はじめて聞いたな」
    「そうなんですか?食品会社にお勤めだから詳しいかと思ってましたよ」
    七海はニコニコしながら丁寧に説明してくれる、こう言った若者向けの流行も知っておかなければいけないと思いながら頭にメモをしていく。
    「好きなの頼んでいいよ、おごるし」
    「本当ですか?でも悪いな…じゃあ1番安いので」
    七海は少し遠慮がちなので、東海林は1番高いプリンケーキパルフェを頼んで、七海と分け合いながら食べていた。

    「そういや、宮崎は元気?しばらく連絡とってなかったけど」
    宮崎は製薬会社の営業マンでバリバリ働いていた、前に会ったのは同窓会で相変わらず元気そうにしていた姿を思い出す。
    すると、七海は少し言葉を濁しつつ
    「あの…癌になって、今闘病中なんです」
    そう告白した。
    「え…!?」
    意外な答えに東海林は戸惑いを隠せなかった。まさかあんなに元気だった宮崎が癌に侵されているなんて。
    しばらく会っていない東海林でさえショックなのだから、娘である七海の心境を考えると居た堪れなかった。
    「でも、手術も上手くいって元気を取り戻しつつあるんですよ。さっきも電話して東海林さんと会うって言ったら、元気になったら会おうぜって話してました」
    あえて明るく振る舞うところが親子だなと感じながら、甘い口を潤すために水を口にした。

    「それで、所長のことで気になることがあって…」
    先に本題を切り出したのは七海だった、東海林はいつまでも落ち込んではいられないと気持ちのスイッチを入れ替える。
    「所長のお孫さんが、父と同じ病院に入院していたんです。
    それで偶然院長さんと立ち話しているのを聞いたことがあって…」
    前のめりになって続きを聞こうとする東海林に、七海は少し戸惑いつつも口にした。
    「お金ならいくらでも用意できるから、早く手術して治してくれ、って…」
    「お金なら、いくらでも…」
    「そうなんですよ、所長とはいえそこまで大金をすぐに用意なんてできないし、もしかして会社のお金を…なんて考えてしまって。現に最近所長は車を外車に変えたりしてて余計に疑ってしまいます」
    「何だそれ、めちゃくちゃ怪しいじゃないか!」
    東海林は曲げていた体を真っ直ぐに伸ばして声を荒げた。すると、隣のテーブルにいた20代ほどの女子ふたりがじっと東海林を見る。
    まずいなと思い、咳をひとつコホンと吐き
    「ごめん、声が大きかったな…そりゃ七海ちゃんも気になるよな。うちの会社が七海ちゃんの働く給食センターと契約結んでて、それで気になることがあったからさ…今の話も併せてちょっと調べてみるよ」
    「調べるって…どうやって?」
    「私立探偵を雇ってるから、昨日いた女だよ」
    本当なら春子もその場に連れて行来たかったが、用事があるからと断られた。
    とりあえず今聞いた話を春子に話そう。

    東海林は七海と別れて、家でゆっくり春子に電話で報告しようと帰路に着く。



    マンションにつき、玄関の鍵をあけて中に入る。
    誰もいない暗い部屋を照らすために照明のスイッチを押してリビングに目をやるとー。



    部屋がぐちゃぐちゃに荒らされていた。

    部屋がみるも無残な状況になっていて、東海林はしばらく呆然と佇んでいた。
    引き出しは全て開けられて床にはメモや封筒が散乱している。テーブルに置いたままだったコップは床に転がりテレビ台の中にあったDVDやブルーレイも開封された状態で放置されていた。

    状況が整理できなくて、とにかく警察に連絡を…と思うが手が震えてスマホ画面をタップが出来ない。
    気がつくと無意識に春子に電話をしていた。

    「もしもし」
    「警察ですか?あの、部屋が…誰か来て……めちゃくちゃにされて…」
    「…何があったんですか?落ち着いて下さい」
    「あの、ウーピーパイが…じゃなくて、家に帰ってきたら荒らされてたんだよ」
    「……本当ですか?」
    「そっか、これ泥棒だよな?やっぱり警察に…」
    「警察に電話するのは待ってください、私が行きますからあなたは何も手をつけずとりあえず人のいるところにいて下さい、そのまま1人で部屋にいるのは危険です」

    そう言って通話は切れた。
    まだ動揺を抑えられない東海林はとりあえず一旦家を出た。人のいるところと言われ、マンションの向かいにあるコンビニに入る。時間潰しにと雑誌を手に取るが、手が震えてページがめくれない。
    頭の中で通帳はちゃんとあるか、春子との写真は盗まれてないか、そんなことばかり頭に巡らせていた。

    数十分後に春子がやってきて、2人で部屋に戻る。
    改めて見るととにかく酷い状態で、目がくらくらする。

    春子は手袋をして何かテープを取り出した。
    「指紋を調べます」
    「…そういや、資格持ってるとか言ってたな」
    「あなたの指紋以外のものがあればいいんですが…とりあえずそこのテーブルの椅子に座っていて下さい」
    東海林は言われた通り座ってその様子を見ている。
    まだ心臓がバクバクしていた、泥棒に入られたことなど初めてで思った以上にショックを受けている。

    数分後、東海林の指紋も見ると言って調べられ照合してみた結果、東海林以外の指紋は見つからなかった。
    「とりあえず無くなったものはないか確認しましょう。個人情報が書かれているのものはご自身で確認して下さい、私はテレビ前のものを整理して書き出します」
    「ああ、頼むよ」
    何だか気の遠くなる作業だが仕方ない、東海林と春子は手分けして部屋を片付けながら紛失物がないか調べる。
    その中に健康診断の葉書を見つけた、よく見るとまだ今年はがん検診を受けていない。宮崎のことをふと思い出してしまい手が止まってしまった。

    すると後ろから、大きな声で春子が何かを読み上げた。

    「オフィスの女王様、アンアンフェア、エッチの品格…」
    「わーーーーっ!!」
    東海林は声を張り上げて春子の口を押さえた。そうだ、よく考えたらDVDやブルーレイの中にはアダルトなものも紛れ込んでいたのだ。
    「お前わざとだろ!」
    「いいえ、確認するのに読み上げただけです」
    「こっちの方が個人情報やばいだろ、もういい俺がやる!!」
    東海林は春子の手にしていたDVDを取り上げる。
    「別にこんなもの持っていて当然でしょう。むしろない方が不自然です」
    春子の平然とした態度に少し苛つきを覚える。
    ずっと昔とはいえ過去に関係があった男の性欲処理なんて気にもならないのだろうか。

    春子はそんな東海林の様子もお構いなく今度はソファー近くを片付けていった、よく見たらゴミ箱もひっくり返されている。

    「ところで…泥棒に入られるようなことをした覚えはありませんか?」
    「そんなのねーよ…」
    全く身に覚えがない、と言い切ろうとした時にふと頭に浮かんだのは今朝の出来事だ。
    「そう言えば…今朝小山田社長に会って、北海道へ行ってきたって挑発したんだった…」

    「は?バカですかあなたは??」

    東海林の話を聞いた途端春子が怒りを露わにした。
    「敵にわざわざ探りを入れていることをバラしてどうするんですか?あの人はまたあなたに何かしてきますよ。これもあの人の仕業じゃないんですか?」
    「ま、まさかこんな犯罪紛いのことなんて…」
    「私は不正を暴いた時、あの人が雇ったチンピラもどきが襲いかかってきました。まぁ護身術で撃退しましたが。あなたなんてそのフワフワした頭一撃で仕留められますよ」
    「マジで!?そんな事あったのかよ…お前は大丈夫だったのか?」
    「今は自分の心配をしなさい!!」
    「…お前、俺のこと心配してるのか?」
    「していません」
    「してないのかよ!!」
    「でも…会社内では私はあなたを守れません、自分の身は自分で守ってくださいね」
    そう言われて正直背筋がゾッとした。
    よく考えてみればデータ改竄も小山田が指示していたのだ、また何か罠にはめられてクビにされる可能性はあるはずだ。

    黙ってその場から動かない東海林が気になったのか、春子は東海林の胸に手を当てた。
    「…生きてますね」
    「いや、こんな時にそんなボケはやめてくれよ…」
    東海林はまだ気持ちの整理がつかずうまく突っ込める自信がなかったのでそう言い返したらー。


    突然体に電信柱がくっついてきた。


    背中に手を回して胸に顔を埋めている。
    こうして、春子のぬくもりを感じたのはいつぶりだろうか。
    東海林は誰かに寄り添いたい気持ちを全力で春子にぶつける。
    春子の匂いや感触があの頃を蘇らせる、ずっと一緒にいたあの数ヶ月がいつまでも体と心に残って離れてくれなかった。


    こんな状況にこんな事を言ってもいいのか迷ったが、東海林は春子に気持ちを伝えた。


    「なぁ……俺たちあの時みたいにまた一緒にならないか?」
    「今は無理です!!」

    はっきりと断られるとは流石に思っていなかった。何せ春子の方から好意を持っているかのような態度を取ってきたからだ。東海林も多少の自信がなければこんなことを口にする事はできなかった。
    これは、振られたということなのか…?
    東海林は頭の中で言われた言葉を並べて考える。
    今は無理、今は……じゃあいつかはOKだということだろうか…考えても答えが出なくてつい春子に結論を問う。

    「じゃあいつならいいんだ?明日、明後日?それとも来月??」
    素っ頓狂な顔をしている東海林を少し呆れて見つつも春子は返事をした。
    「この問題が解決したら…です。今はいちゃいちゃしている暇などありません、むしろ私が関わっていると知られたら余計にややこしい事になりそうです」
    「え!?じゃあ解決したら付き合ってくれるのか!?」
    東海林は都合の良いところだけ切り取り突然元気になった。さっきまで泥棒に怯えていたとは思えないほどだ。
    「それはまだわかりません、解決するかもわかりませんし…とりあえずあなたはしばらく1人で行動するのは謹んでください。あと、会社でも何かあれば1人で行動せず私に話してください」
    さっきの抱擁はどこにいったのかと思うほど冷静に話す春子だったが東海林にはあまり深く耳に入っていなかった。

    その後、深夜まで確認作業は進んだが結局何もとられてはいなかった。春子は泊まって行けという東海林を無視してタクシーで帰ってしまった。やはり今は一線を超えては行けないのか、東海林はがっかりしつつも解決すればまた春子と一緒になれるという希望ができたおかげで、1人になったあとも気分良く眠ることができた。


    翌日、会社に行きメールチェックをすると安田さんからメッセージが届いていた。
    封筒のアイコンをクリックして内容を確認する。
    「話したいことがあるので、12時の昼休憩の時に5階の相談室に来てね♡」
    なぜか最後にハートマークが付いていた。何のお誘いだよと少し口が緩みつつも東海林は行きますと返事した。
    そして12時になり周りに気づかれないように、わざと食堂の階までいき仕事で忘れていたことがあったと誤魔化しエレベーターへ戻り5階へ移動した。

    「遅かったね、あたしを待たせるなんて100年早いよ」
    安田さんは相談室の椅子に座ってお弁当を食べていた。
    「ここって飲食禁止じゃないですか?」
    「細かいことはいいんだよ、バレなきゃ」
    相変わらず大雑把な人だ、でも仕事に関してはキッチリしているからやっぱり不思議な人だなと東海林は思った。
    「私のはちょっと怒られるレベルの違反だけどね、あの人のやってることはかなりやばいみたいだよ」
    そう言って隣の椅子に置いている鞄から封筒を取り出して書類を見せる。

    「ちょっと調べて見たんだが、うちの会社の取引先…社長の知り合いや身内が多い。それで、リストの中に架空の会社が入ってる。この『デリープテント(株)』って会社。電話番号も住所もでたらめだったよ」
    その聞き覚えのある会社名に、どこで遭遇したのか記憶の糸を巡らせる。
    「確か…田中の金の振込先がこんな名前だったような」
    「田中?誰のことだい」
    「田中は旭川支社の部下だった奴です、こいつも社長に命令されてデータ改竄したんですよ」
    「ああ…あの時の、あんたも大変だったね」
    そして安田さんは目を細めて何か考え事をしているようだった。それが気になった東海林は安田さんに話しかけてみる。
    「どうしました?他に気になることがありますか」
    「いや、どうしてそこまでしてあんたを陥れようとしてるのか…って思うんだよね。もし大前春子の事を恨んでいるなら本人にやり返せばいいのに」
    そう言われて納得した、なぜ春子ではなく自分を陥れようとするのか。もしかしたら、社長は春子にとって自分が大事な相手だと思っているのだろうか。それなら合点がいく。
    もしそう思われているのならちょっと嬉しいだなんて考えてしまうが、それだけだろうか。もしかしたら他に理由があるのかもしれないー。
    安田さんは、俯きながら考え込む東海林を水筒のコップ越しから見つめて
    「もしかしたら、あんたにも恨みがあるのかもしれないね。気をつけなよ」
    そう言っていつのまにか食事を終えていた。



    安田さんの忠告が思ったより胃にずしっときたせいか食欲が湧かず、食堂でもコーヒーだけ飲んで過ごした。安田さんからもらった書類は先にデスクへ戻って鞄の中にしまっておいた。持って歩くのも逆に怪しいと思ったからだ。

    そして休憩終わりのチャイムが鳴り、営業部のフロアに戻ってみると、なにやら不審な動きをする人がいた。それは宇野部長だった。
    「部長、どうしました?」
    東海林は気になり声をかけると、あたふたした様子で
    「おい、引き出しに置いてあったSDカード知らないか?」
    よくみると部長の机はファイルや書類がバラバラになっていた、酷く動揺した様子を見て大事なデータが入っているものだと察する。
    「とにかく、みんなで探しましょう…」東海林は先陣を切って部長の机の周辺、ゴミ箱や机の下などを覗いてみる。だがそれらしきものは見当たらない。

    他の社員も一緒になって探していると、奥から低い声が聞こえた。

    「何をしているんだね、君たち」
    その冷淡で突き放すような声ですぐに社長だということがわかった東海林は立ち上がり一礼する。
    「たまたまここを通りがかったのだが、ただならぬ様子じゃないか?」
    「はいっ、それが部長がSDカードを紛失して…」
    部下の1人が考えなしに言ってしまい
    「こらっ、紛失したんじゃない!!きっと盗まれたんだ!!」
    部長が自分の不備をごまかすために事を大きくさせた。
    「盗み??それは困ったねぇ…君たちの中にまさか犯人が?」

    「そんなことはありません!!ここで盗みだなんてあるわけないじゃないですか」
    東海林は歯向かうように社長に告げた、自分のこともそうだが、仲間たちを安易に疑う態度に腹が立った。
    社長は東海林の前まで歩み寄ると、東海林の鞄に目線を移す。
    「それなら持ち物検査でもしたらどうだ、やましいことがなければ見せられるだろう?」
    そう言われて思わずどきっとした。さっき安田さんからもらった資料が鞄の中にあるからだ。封筒に入ってはいるものの封はしていない。まさか安田さんと話していたことも知っているのだろうか?東海林は困惑してすぐ返事ができなかった。そんな様子を冷笑するように
    「どうした、できないのかい?」
    社長は圧をかけるように東海林へ告げる、東海林もこれ以上不自然な態度を取っていれば余計不自然に見えるからと、鞄を手にして中身を取り出した。
    定期に手帳にメモ帳に万年筆…サラリーマンなら誰もが持っているであろう荷物の中に気づかれないよう仕事でつかうパンフレットと一緒に封筒を取り出した、その時だった。
    パンフレットに挟まっていた小さな四角い薄いものが床に落ち、社長の足元に倒れ込んだ。
    それを先に拾ったのは社長だった、そして右手の親指と人差し指で掴むと東海林の目の前に突き出してきた。
    「これが、紛失したSDカードじゃないかね?」
    フロア全体がざわめき、部長が確認するためか駆け寄り表面に小さく貼られたテプラを確認する。
    「これ、私の探していたものです!!」
    興奮気味でカードを受け取ると、東海林の方を睨みながら
    「東海林、これはどういう事だ!?」
    東海林は何も言えず黙り込んでいた、これは濡れ衣を被せられたとしか思えない。
    「東海林課長、お昼の時一度ここに戻ってきたんですよね?」
    誰かがそう言うと疑惑の目が一層降りかかってきた。
    安田さんの事を言える訳もなく、言い訳すればするほど怪しまれそうでただ黙る事しかできない東海林を嘲笑うかのように、社長は
    「仕方ない…これはここだけの話にしてあげよう。ただし君はしばらく謹慎だ」


    東海林は机に出されたものを鞄へ戻し、そのまま荷物を抱えて会社を出た。


    しゅ Link Message Mute
    2021/01/04 15:10:48

    ビジネスか恋か、それが問題だ 前編

    支部でシリーズで書いていたものをまとめました、完結していないので
    とりあえずシリーズで。

    ドラマでもやもやしたところをまとめました。


    #ハケンの品格 #二次創作 #東春

    more...
    ビジネスか恋か、それが問題だ
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品