Haruko's equation13年ぶりの春子の体は昔より少し細くなっていて、胸が少し垂れている気がすると東海林は思った。
2人は1年ぶりに再会してから、春子は東海林に何度か会いに行った。
何故か家に上がり込んで無言で掃除をしてご飯を作って暴言ばかり吐いて帰っていく。友達でもないし家政婦でもない。東海林も好きだとか結婚したいとも口にしない。
なぜかよくわからない宙ぶらりんな関係だ。
その日も東海林の家へ上がり込み見たいDVDがあると勝手にデッキに入れて再生してソファーで東海林と一緒に見ていた。
「お前これ、ホラーじゃねーか」
「そうです、ゾンビオブライフです」
「ゾンビの生活って…怖いのかほのぼのしてるのかどっちだよ」
「黙ってください」
「ここは俺の家だぞ」
「私の家にはテレビがないので」
どうやら以前と同様スペインバルの一室を間借りして住んでいるようだ。けれどフラメンコや店の手伝いはやめて演歌歌手の仕事に集中しているらしい。
東海林は春子に会えて嬉しいものの、いつかまた離れていくと思うと、告白もできずにいた。実際1年前に気持ちを伝えようとして逃げられた。そして13年前の名古屋でもあんなに好きあっていたのに逃げられた。
余計なことを言ってもう逃げられたくない、ここまできたらもう一緒にいられるだけでいい。
そう思っていたのに。
ゾンビがピクニックをしているシーンを見ている時だった。
目の前のテレビがガタガタ揺れはじめ、天井がドスンと落ちてきたような感覚がしたと思ったら、一気に体が縦に揺れた。
地震だと気づいた東海林は慌ててテーブルの下に隠れようとしたが、春子は動じずまだテレビを見ている。
「何やってんだ!!早く!!」
春子の腕を掴み強引に一緒にテーブルへ潜る。
地震が嫌いな東海林は無意識に春子にしがみついて揺れがおさまるのを待っていた。
そして数十秒たつと、ゆっくりと揺れは収まりテレビもピタリと動かなくなった。
「びっくりした…震度4くらいあったんじゃね?」
「せっかくいいところだったのに、あなたのせいで見れなかったです」
「うるせーな!俺は地震怖いんだよ…学生の頃ちょうど神戸で合宿の時に地震にあってさ…旅館が傾いて死にかけたんだよ」
東海林の年齢的に阪神大震災だと悟った春子は、それ以上何かいうのをやめた。
「そうですね……何もなくてよかったです、では私は帰ります」
春子は立ち上がりDVDを止めて取り出す。
そしてテレビに変えると今の地震について話していた。
ニュースキャスターは淡々と、都内の一部で停電が起きて、電車もとまっていると速報で報ずる。
「あれ?お前のところも停電してんじゃないのか?」
「仕方ないから泊まらせてもらうだけなので、別に好きで泊まるわけではありません」
「わかってるよ、それより風呂は?着替えとかないけど…」
「1日くらい入らなくても大丈夫です、ソファーで寝かせて下さい」
「ソファーは俺が寝るよ、お前はベッド使えよ」
「あなたの加齢臭がするベッドはつかえません」
結局春子は帰ることができず、東海林の家に泊まることにした。最初はネカフェに泊まると言っていたが女1人で危ないからと東海林に止められて渋々了承したようだ。
泊まることが嫌だとは、やっぱり自分とは恋愛関係でいたくはないんだなと東海林は内心がっかりしながらシャワーを浴びに行った。
ジャーとシャワーの音が雨のように鳴り響く、髪を洗いながら東海林は名古屋にいたことを思い出していた。
あの頃は側から見ても恋人同士のように一緒にいて、体の関係もあった、1日が24時間では足りないほど一緒にいることが幸せだった。でも、春子からは好きだとは一言も言われていない。今思えば一緒に住む代わりに体を差し出しただけなのではないかとさえ思えてきた。ずっと一緒にいられると舞い上がっていたのは自分だけではないか。
そんなネガティブ思考がどんどん東海林を襲ってきて気が滅入りそうになる。東海林は体を洗うとすぐにシャワーを止めて脱衣所に向かった。
バスタオルで体をふき、いつものようにパンツ一枚でリビングに出そうになり、慌ててシャツと短パンを身につけてドアを開けた。
そんな東海林の目の前に飛び込んできたのは、キャミソールとパンツ1枚でソファーに横たわる春子の姿だった。
思わず手で目を隠して春子の姿を遮り
「お前どんな格好してんだよ!!」
「パジャマがないので服を脱いで寝るだけですが?」
「服くらい貸すから着ろ!!お前のそんな姿見たくねーよ!!」
そんな無防備でいられたら理性を保てる自信がない、東海林は慌ててタンスからTシャツを取り出そうとすると
「私がこんな格好で寝ていても欲情しないのですか?」
まるで東海林を挑発させるようなことを春子は告げた。
まるで犯して欲しいと言っているような。
でも、わかっている。そう言いながらもこっちがその気になるとするりと交わすのだ。そんな女なんだ大前春子はー東海林は歯軋りをして、春子を睨む。
「あんた、俺をからかってそんなに楽しいのか?」
「そうですね、楽しいです」
無表情で淡々と答える春子に苛立ちが止まらなくて、東海林は春子へ近づきソファーに押し倒した。
「お前いつか痛い目にあうぞ、って言うかもうあってるけどな」
東海林はきつく春子の手首を掴む、けれど春子は抵抗しない。ただ読めない表情で東海林を見つめていた。
それが余計に虚しくて、握っていた細い手首の圧はどんどん弱くなる。
気がつくと東海林はポロポロと泣いていた。
涙が春子の頬に落ちると、春子は黙ってそれを拭う。
「なんでお前みたいな女…好きなんだろうな」
切なさが溢れて床に座り込んでしまう、女の前で泣き崩れるなんてみっともないなと思いながらも、海から上がれず呼吸困難に陥っているような気持ちを押し殺すことはできなかった。
「好き……誰のことですか?」
「お前に決まってるだろ!!」
春子はキョトンとしながら東海林に尋ねた。
「あなたは私のこと好きなんですか?」
「はぁ!?」
「私のことなんて好きじゃないと思ってました」
「はああ??」
斜め下すぎる春子の答えに東海林は目が飛び出るかと思った。
今まで自分が告白しようとしても逃げていたりしていたのに好きじゃなかったと勘違いしていた理由がわからなかった。
「あなたはいつも私に対して怒ってますし、冷たく突き放しても特に傷つくこともないし、そもそも再会した時も何事もなく普通に接してきたのでもうとっくに私のことなど何とも思っていないものだと思いました」
「じゃあ、なんで俺が何かいようとすると逃げてたんだよ!!」
「だから、フラれるんだと思ってました」
「違う!好きだっていようとしてたんだ!!」
「そうなんですか…好き…」
「ん??待って、フラれるのが怖くて逃げてたってことはお前俺のこと好きなの??」
「はい」
東海林の頭の中は洗濯機でグルグルに回したように混乱してきた。
春子の行動と言動がはちゃめちゃで、今までの行動から自分のことを好きだという方程式が一切成り立たない。
「そもそも何で今やたら素直なんだ?」
「それは私が気が動転しているからです」
「動転してるのかよ!ずっとそのままでいろよ!」
東海林は混乱している春子が可愛く思えて思わず抱きしめた。
春子は抵抗することなく、むしろ東海林の背中に手を当ててくる。
「好きならなぜ私が家に来ても手を出さなかったのですか?」
「あのなぁ、俺は紳士なんだよ。そう簡単に手を出せるか」
「私のことなど女と思っていないと思ってました。だから脱いで試してみました」
「お前、いつからそんなあざとい女になったんだよ!」
「あざとくはありません、あなたこそ私が好きなら勿体ぶらずに言ってください」
「その言葉そっくりそのままお前に返すわ」
東海林は笑いながら春子の髪を撫でた。この女に数式など存在しない、答えなんてでるわけない。それならただ答えを作るだけだ。
「じゃあ…お互い好きならもう手を出してもいいんだな」
「本当にあなたは鈍感ですね…」
「だからそれそのままお前に…まぁいいや」
東海林はもう一度春子を抱きしめて、そのあとゆっくりと抱き上げ寝室へと連れて行った。