月嵐童物語 外伝其之弐燃えるような赤髪の若者は、あまりの寝苦しさにたまらず目を開けた。彼の寝所は灯りが落とされ、一面の暗闇に包まれている。
身体中が火のように火照り、頭の芯が鈍く痛む。頭は熱を持っているのに、身体の末端は酷く冷たい。まったく、酷く性質の悪い風邪を引いてしまったらしい。一族当主を志そうとする男が風邪をこじらせるとはなんとも情けない……。
赤髪の若者は一つ大きなくしゃみをすると、深い深いため息をついた。
熱のせいだろうか、酷く喉が渇く。身体を起こし、枕元に置かれていた水差しを取ろうと手を伸ばしたのだが、手元が狂い水をこぼしてしまった。たちまち畳に広がる水染みを呆然と眺めているうちに意識が遠くなり、たまらず布団に崩れ落ちる。
まさか、自分はこのまま死んでしまうのであろうか。
燃えるような赤髪の若者は、高熱に浮かされた頭でそう考えた。次代一族当主を志すと名乗りを上げたあの時から血の滲むような厳しい鍛錬を続けてきた。いや、それだけではない。当主就任を果たすため、同じ座を目指す実の兄との関係をも犠牲にしたのだ。それなのに、こんなところであっけなく死んでしまうのだろうか。
うつ伏せに倒れたままに暗い考えに取りつかれていた彼がふと視線を上げると、目の前に二本の人の足が見えた。突然の事に驚き飛び起きた彼の眼前にはなんと、憤怒の形相をした仁王像が立っている。
呆然としていると、恐ろしい顔をした仁王像にいきなり頭を叩かれた。……いや、違う。彼の頭を叩いたのは仁王像ではなく、白銀の髪を持つ彼の実兄であった。
仁王像……ではなく、白銀の髪を持つ彼の兄は、形の良い眉を釣り上げて濡れた畳と彼を睨みつけ、大きなため息をついた。手に持っていた盆を乱暴に床に置くと、半ば畳にはみ出していた彼の身体を強引に布団の中に押し込む。
……兄上。
布団に押し込まれながら、赤髪の若者は思わず声を出した。
……兄上、水を一杯頂けませんか。水差しを倒してしまい……
言い終わる前に、今度は力まかせに仰向けにされ半身を起こされる。ぐいと目の前に差し出されたのは、冷水で満たされた新しい水差しだ。
……全く、何と言う乱暴な看病だろう。
兄が持ってきてくれた冷たい水で喉を潤しながら、彼は思った。だが、当主選抜の件で仲をこじらせてしまった兄が、それでも自分の様子を見に来てくれた事はとても喜ばしい事だ。不器用なやり方ながら彼の容態を気にかけてくれる兄の優しさに、胸がじわりと暖かくなる。
背中に、ぬくもりを感じた。兄がその手で背を撫ぜてくれているのだ。暖かなその感触を感じながら、彼は思った。
明日にはきっと、この熱も下がるだろう。さすれば再び当主を目指す為の厳しい鍛錬が、実兄との競争の日々が始まる。自分を気にかけてくれる優しい兄の姿を見ることができるのは、これが本当に最後になるやもしれぬ。
……だが、あと少し。
あと少し、このままでいたいと。
あと少し、今の時が続いてはくれまいかと。
瞳を閉じて、彼は祈った。
終