水底の小話まとめこの執着を君は知らず、この愛は君に見えない
「そういえば、ユウはさぁ」
「……え、私ですか?」
「そーだよ、ユウ以外にユウはいねえでしょ」
随分と唐突に名前を呼ばれたものだから、ひどく驚いてしまった。フロイド・リーチという人は他者をあだ名で呼ぶことで知られていたのもあったし、まさか彼がこちらの名前を認識していたなどと思いもしなかったからだ。
あまり良い第一印象ではなかったのは確かだ。驚きと少しの恐怖に飛び退いたユウに、フロイドは名前を尋ねることすらなくあだ名を付けた。それは彼の些事に囚われぬ気質を現しているようにも思えたし、他者への無興味を示しているようにも感じた。
よくもまあ、あそこからこうしてアフタヌーンティーを共に楽しむ仲になったものだとは未だに不思議に思う。
「小エビちゃんも可愛いけどさ、オレら仲良しになったんだから名前で良いじゃん?それともユウはイヤなわけ?」
「いえそんな!ちょっとビックリしただけで、うん、嬉しいですよ、フロイド先輩」
「へへ、やーりぃ」
フロイドはその体格からは想像もつかないほどに幼い言動をとる事が多い。話し方も、接し方も、好きも嫌いも心のままに振る舞うのだ。数秒前までは楽しんでいたことも、数分後には放り投げてしまう。
そんな彼のたったひとつだけ変わらない親愛と友好の証は、相手を名前で呼ぶことであるのは理解していたから。こうして名前で呼んでもらえることは、素直に嬉しかった。
そういえば、意外といえばこの茶席もそうだったと思い出す。オクタヴィネル寮は独自の特権としてラウンジ経営を認められている為に、寮生は皆給仕の心得を持つ。そんな場所に数年も住むフロイドは、毎回こうして集まるたびに、とても澄んだ色の紅茶をユウに用意してくれた。
気分屋な彼だから同じものが出てくることは殆どなかったけれど、そのどれもが味わい深い香り高さを持って喉を潤した。今日の紅茶も見たことない色と香りのものではあったが、飲み干せば甘い香りで持って胸に広がる。
「美味しいでしょ?アズールとジェイドに相談したんだあ、ユウの好きそうな味ってどんなかな〜ってさあ」
「少し甘くてとっても好きな香りです、また飲みたいくらい」
「ふーん、ま、覚えてたらねえ?」
気まぐれなフロイドの事だ、きっとこの味を楽しめる日は近日中には来ないだろうけれど。今は何より、彼がこちらの事を考えて用意してくれたというその事実が嬉しかった。
難しい人ではあるけれど、仲を深めてみれば可愛い人でもあるのだ。この先もこうして度々話ができたらなんて嬉しいことだろう。
そんな風にはしゃいでいたものだから、紅茶を飲み干すこちらの喉を、やけに目の前の彼が見つめていたことなんて。常より早いペースでこちらのカップに並々とお替わりが継ぎ足されていたことなんて。ついぞ気がつけなかったのだ。
覚えていたらなんて言っておきながら、あの香りはそれからの茶会に必ず現れた。ケーキの中に、ゼリーの中に、フロートの中にと毎回違う場所に混ぜこまれていたのは彼の移り気らしくて微笑んでしまったけれど。
そしてそれは今日も変わらず、フロイドが差し出す皿の上から香ってきていた。
「今日はクッキーなんだあ、ユウはこの味大好きだもんねえ」
「わあ、ありがとう御座います!」
自分でも大分試してみたつもりではあるが、この味はどうにも出せない。茶葉の選び方が違うのだろうかと尋ねてみたこともあるが、彼らしいふわふわとした回答だった為にやはり正解は分からなかった。
それに茶会に用意されるものはラウンジにも卸していたりする、と聞いたこともあったし、たとえ入手経路が判明しても苦学生の財布では手が出せなそうだ。そんな事情もあって、好意に甘えたままで来てしまったのだ。
口に運んだ菓子は、今日も変わらず甘美であった。礼を言いながらクッキーをつまむユウを、フロイドは心なしかいつもより楽しげに見つめている。
今日の彼はいつもより上機嫌だ。不機嫌よりもいいに決まっているけれど、気分屋の彼をここまで浮き足立たせたものは何なのだろうか。尋ねるのも不躾だろうかと考えたところで、フロイドが口を開いた。
「実はねえ、ユウが好きなその茶葉、今日が1缶使い切る日だったんだあ」
「そうだったんですね、そんなに先輩とお茶会してたなんて気づきませんでした」
ゴソゴソと取り出された紅茶の空き缶は、やはり見たことがないパッケージだった。キラキラと光る缶の縁取りは、まるで魚の鱗のようだ。この世界ではポピュラーなものなのだろうか。
「ユウはいっつもたくさん食べてくれて飲んでくれたから、結構早めに無くなっちゃった」
「なんか申し訳ないです……私なんて食べるばっかりで」
「アハ、そんなん今更でしょ〜!良いの良いの、おかげで予定よりだいぶ早くなったから」
それは一体何が、と聞こうとして何かが床に落ちる音がした。茶会用の椅子は少し高いために、ユウはいつも足を地面から浮かせて座る。覚束ない足からローファーが脱げ落ちたのだ。
拾おうと目線を下に向けたところで、靴下まで地面に落ちているのが見えた。一体どうしてしまったのだろうと、腰を折り曲げて変化にようやく気がついた。
見慣れたつま先は風を透かす尾ひれに変わり、スカートを押し上げる足は消え失せ、艷やかな鱗でもって陽の光を反射する。
生まれてから飽きるばかりに付き合ってきた二本の足ではなく、見慣れぬ魚のそれへと。足がすっかり変わり果てていたのだ。
あまりの事に声すら出ない。グルグルと回る思考をまとめ切れずに首を上げられない。ふと頭上に影がかかり、場違いな笑い声が降って来た。幾度となく聞いた蜂蜜のように甘い声、これは彼の。
「ユウのひれは可愛いねえ、オレのと少し似た色」
顔を上げる暇すらなく、抱き上げられて目線が合う。背中とひれに差し込まれた手は宝物を掴んで離さない子供のようだ。とろけるように細められた眦は、逃さないと呼びかける月のようにこちらを射抜く。
バランスをとろうと咄嗟に彼の胸板についた手が、先の方から冷えていくのを感じる。ああ、そんなまさか。
「先輩、どうして」
「可愛い可愛いオレのユウ、黙って帰したりなんてしてやんない」
かけられた言葉が鉛のように胸に沈むのと同時に、思考すらボヤケて覚束なくなる。まどろんだ目蓋では言葉すら既に覚束ない。どうしようもない感情は、涙になって頬を流れ落ちた。
「泣いてるの、ユウ?そっか、人間の子供は生まれる時に泣くんだっけ、今日は人魚として初めて息をした日だもんね」
怖くないよ、と慰めるように抱きしめてくる腕がひどく恐ろしい。自分たちは何処で間違えてしまったのだろうか。あるいは、はじめから。
きっともう二度と元には戻れない、そんな確信があった。冷たい唇がまぶたに触れるのを感じて、意識は泥のように沈んでいく。
耳に届く子守唄がやけに優しくて好ましいのが、いっそう悲しかった。
たゆたう微睡みの中
「おやすみ小エビちゃん、いい夢見ようね」
「はい、先輩もおやすみなさい」
就寝の挨拶をかわし合い、額に柔らかく唇が降る。枕代わりに抱き込まれたその数分後には、静かな寝息が聞こえてくる。相変わらず寝付きの良いことだ。
起こさないようにそっと身体の向きを変えて、頭上にある寝顔を見つめる。三日月のような目は閉じられて、笑顔に垣間見える尖った歯も今は見受けられない。まるで子供のように穏やかな寝姿があるだけだ。
そう、子供のような。フロイドとユウの恋はひどく幼気で明るいものだった。
「オレさあ、小エビちゃんの事オンナノコとして好きなの、だからオレと恋人になってくんない?」
「あ、あの、その、喜んで!」
告白はフロイドの方からだった。最近やけに昼食で隣になるとは思っていたが、まさかあんな公衆の面前で告白されるとは露程も思わなかった。咄嗟に出てきた了承の言葉に、ユウは抱きしめられて宙を舞うことなったのだ。
あっけにとられるエースと、慌てたようにグリムの口元を抑えたデュースの顔は今でもたまに思い出しては微笑んでしまう。
気まぐれな彼のことだから、明日にも二人の関係は変わっているかもしれない。もしそうなったとしても何年かして大人になったあとに、良い思い出ぐらいには語れるかしら。そんな事を考える程には、フロイドに好意を抱いていたのは本当だった。
そんな予想とは裏腹に、二人のお付き合いは今に至るまで続いていた。フロイドは機嫌が良くとも機嫌が悪くとも、決定的な言葉でユウを傷つけるようなことはしなかった。振り回されることはあっても、笑い話に収まる範疇だ。
それに何より驚いたのは、彼の好意があまりにも幼気だったことだった。膝枕や抱擁をねだられることはあっても、それに色めいた欲の交じることはない。戯れのようなキスは、小鳥のふれあいのようでくすぐったかった。
「オレたちは海から陸に来たじゃん、だから今でもわかんない事ばっかだよ」
「地域が違えば文化もかわりますよねえ」
「そうそう、でも一番わっかんねえのはアレ!なんで恋の次に繋がりを求めるわけ?意味わかんねえ」
その言葉を聞いたときに、ストンと心に何か落ちる音がした。ああ、そういう事だったのか。この人の愛はきっと、人の子供が夢見る純真のままなのだ。
人間であれば大多数が持ちあわせる、欲を抱いて繋がろうとする行為を理解できない。愛という感情と、その行為を繋げられないのかもしれない。
木漏れ日を受けて、風が髪をはためかせる。穏やかな二人きりの昼下がり。腹に顔を埋める頭を撫でてみれば、幸せそうに微笑む。それだけで、いいと思えた。
ふと思考を戻せば、場所はオンボロ寮の自室だった。フロイドが泊まりに来る時は、グリムはいつもハーツラビュル寮に泊まりに行ってしまうから。二人が収まるには少し窮屈なベッドには、彼と自分だけだ。
肩に巻き付く腕を少しよけて、まじまじと彼の顔を見つめる。見慣れてしまった端正な顔、日中は光によって色を変える水面のように気まぐれな人、その口で真っ直ぐな愛を囁いてくれる人。
頬を滑るように指で撫でれば、少し冷たい肌がある。この寝顔を見られるのは、彼の身内を除けば世界に数人といないのだろう。そう思えば、何もかもが満たされて思えた。
「幸せだなあ」
きっと私達は、この先も変わらない。歳を重ねても振り回されて、たまには仕返しして、キスをして抱き合って眠る。そんな日々が自分たちの愛の形だ。
ゆっくりと目を閉じて、眠りの中へと落ちていく。朝起きて最初に目にするのは、きっとこの人だから。横にある体温が、何より愛しかった。
鎖たりえる恋
「故郷に帰る方法が見つかったんです」
「……へえ、良かったじゃん小エビちゃん」
ある日突然、帰るためのすべが見つかった。何時もなら怪しげに飄々とした態度を崩さない学園長が、やけに厳かにユウを呼び出したのはもう3日前のことだ。
本当に良かったですねえ、この機に挨拶をしてまわると良い。学園長のそんな言葉が教育者としての優しさを孕んでいたのは、気のせいではないはずだ。だからこそユウは、今までの感謝を込めて、学園生活で関わった者たちへの挨拶をして回っていた。
気を使ってだろうか、グリムはユウから離れることが増えた。それに放課後にエースとデュースに教わりながら別れの手紙を書いていたのを、うっかり覗き見てしまったから。その優しい好意を黙って受け取ることにしたのだ。
クラスが同じであったり、同学年のものには早々に挨拶を終えた。けれど広い学園ともなれば、顔見知りもそれなりの数になる。だからこそ、中庭に座り込んでいるフロイドに会えたのは全くの偶然だった。
「やけに急だねえ?言ってくれれば良かったのにさあ」
「私にも突然のことでして……」
どうやら先程まで昼寝をしていたようだから、寝起きに話し掛けても良いものかと思っていたけれど。今日は比較的気分の落ち着いた日だったらしい。
「今はお世話になった人たちのところをまわってるんです」
「オレ、小エビちゃんのことお世話したあ?まあ小エビちゃんがそう思うなら止めねえけどさ」
「どちらかといえば……私のほうがお世話してた気もしますね……」
「アハハ、すげえ失礼!どっちでも良いけどねえ」
そんなユウの思いとは裏腹に、会話は始終和やかであった。お日様の晴れ渡るうららかな日だ。そういうこともあるのだろう。
フロイドがひどく気分屋であることは知っていたし、彼自身ですらその持ち合わせた気質に抗えないことは理解していた。せっかくの別れの挨拶は笑顔で終わりたい。和やかなのは大いに結構だった。
「でもそっか、そしたらお祝いあげないとね」
「良いですよそんなの、全然お気になさらず」
「だって思い出してほしいじゃん?オレは小エビちゃんと会えて楽しかったもん」
そばに重ねてあった本の束を、アレでもないコレでもないとフロイドが探り出す。そんな姿を言葉が詰まる思いで見る他ない。この人はそんなにも私との別れを惜しんでくれるのか。そう思えば寂しいような嬉しいような、不思議な気持ちになった。
寂寥感に襲われたまま呆けていると、ふと嬉しそうな声が耳に届いた。どうやら探しものが見つかったらしい。
「あった!ハイこれあげる」
「これは……絵本ですか?」
「そうそう絵本、小エビちゃんにあげたくて持ってたの」
フロイドが差し出してきたのは、こじんまりとした1冊の本だった。小さいながらも装丁は重厚で美しい。パラパラと捲れば、見なれなくもきらびやかな挿絵がページを彩っているのが見えた。
「ありがとうございます、大事にしますね」
「どーいたしまして?珊瑚の海の人魚はソレみーんな持ってるよ、オレもジェイドも多分アズールも」
「じゃあ混じらないようにしなくちゃですね」
「名前書いとけば?オレが書いてあげよっか、『小エビ』ってさあ」
話しながらフロイドはペンを取り出して、本当に記名しようとするので、ユウは慌ててそれを制止する。
改めて絵本を眺めてみると、裏表紙にはご丁寧に名前欄まであった。人魚たちに親しまれている本だというのは本当なのだろう。小学校の課題図書と言った感じだろうか。
「もう、フロイド先輩は最後まで小エビ呼びでしたね」
「可愛いじゃん、小エビちゃん」
「良いですけどね、自分で名前書くのでペン貸してくれますか?」
「小エビちゃんたらクソ生意気ぃ、ハイどーぞ」
投げるようにではあるけれど、きちんとペンを貸してくれる。そんな態度こそ、彼の憎みきれないところの1つだと改めて思う。
せっかくの餞別に適当な文字は書けないと、慎重にペンを走らせていく。視線は真剣に裏表紙を見据えたままだ。
もしこのとき、ユウが少しでも顔を上げていれば。大きな口をいやに吊り上げて、さも愉快そうに笑うフロイドに気がつけていたのに。
「書き終わったー!フロイド先輩、ペンお返ししますね」
「どれどれ?フーン、綺麗にお名前書けてんね」
「大事なモノですからね、中途半端になんて書けませんよ」
「一生残るものだからねえ、ああそうだ『元の世界になんて帰っちゃ駄目だよユウ』」
「『はい、私は元の世界になんて帰りません!』……え?」
次の瞬間に、ユウの身体にまとわりつくようにして、光る文字列があらわれた。鎖のように何重にもあらわれたそれは、ユウの身体に染み込むように溶けて消える。たったそれだけで、決定的な何かが変わったことが分かった。
フロイドが指を鳴らせば、しっかりと握っていたはずの絵本は消え失せ、瞬く間に見慣れぬ契約書へと姿を変えていた。呆気にとられたユウの手から、フロイドが契約書を抜き取って笑う。
「これで契約完了!疑いもせずにいてくれて、ありがとう小エビちゃん」
「え、あの、これは……何です、か?」
「オレと小エビちゃんが、ずーっと一緒にいれるための魔法!アズールのユニーク魔法からヒントもらってオレが作ったの」
その言葉を聞いて、ふと気がついた。あんなにも帰りたかったはずなのに、浮足立つ心を抑えきれなかった筈なのに。故郷の友人の顔も、生まれ育った風景も、恋しい両親の顔も。まったく思い出せなくなっていたのだ。
愕然として何も言えず震えるユウの手を、優しく握りこむ大きな手。振りほどきたくとも、もう片方の手で腰を抱き込まれて身じろぎすら許されない。肩口にあごを載せられて、優しくたしなめるように言葉が降ってくる。
「これで小エビちゃんはオレから離れられないし、オレの言うことには逆らえない」
「あ、だって、そんな」
「家族に会いたいならオレとジェイドが家族になるよ、故郷が恋しいなら珊瑚の海が帰る場所になる、だからねえ」
ずっとオレのそばにいて。
未来が違っていれば、甘い告白になり得た言葉は。今この瞬間に、自由だったはずの彼女の脚を重たく縛り付ける鎖になり果てていた。
宝の在処は沈む
バリン、と音を立てて何かの崩れるのが分かった。今回も飽きずに彼女が逃げ出したのだ。あの結界は強固である代わりに、ある一点だけが非常に脆い性質を持っている。それこそ、魔力を持たない非力な少女の拳でも割れてしまうほどに。
部屋を見に行けば、予想通りに壁と結界の崩れているのが分かった。むき出しになった壁の向こうには、暗い海の世界が広がっている。
室内の机の上には高等魔術の解説書が数冊ほど落ちていた。どうせ使えないだろうと高を括ったのも悪かった。以降は書庫への立ち入りも制限する必要がありそうだ。
「毎度毎度、小エビちゃんはよく飽きねえなあ」
興味のない魔術書を指で放って、フロイドは部屋で独りごちた。ああ本当によく飽きない。何度もこうやって逃げようとする彼女も、何度でもそれを連れ戻す自分も。
だって初恋だったのだ。小さな背中を目で追いかけた。自分よりはるか下にある目線が愛おしかった。耳に残って響き続けるような声が好きだった。
だからこそあの日、自分を置いて故郷に帰ろうとした彼女を許すことができなかった。
良く言えば純粋、あけすけに言ってしまえば愚鈍な彼女は、フロイドが好意の殻に包んでいた生臭い欲に気がつけなかった。プレゼントに擬態させて、こちらが差し出した契約書を喜んで受け取ったのがその証拠だ。
「呼吸と、声と、あとは足?他にもあったかなあ」
彼女がこの箱庭から抜け出そうとして失ったものを指折り数えていく。フロイドとて恋しい相手をいたずらに傷つけたいわけではない。しかし、交わした契約は『フロイドから二度と離れようとしない』内容のものであるのだから。それに背くならば、きちんと相応の罰を与えなければならないのだ。
まずは肺。二度と陸で息ができぬように。けれど替わりに己とお揃いのエラを与えた。
次は声。彼女を憐れんだ小魚たちと再度共謀など出来ぬように。替わりにフロイドは彼女にたくさんの歌を贈った。
その次は足。勝手に砂の上を駆けて行くことのないように。すげ替えたひどく可愛らしい、見た目ばかりの華奢なひれは彼女によく似合った。
奪う替わりに、きちんと与える。失くすばかりでは彼女も可愛そうだ。いなくならないようにキチンと見極めて組み替えていく。日々フロイドのための女の子に作り替えられていく様を見つめるのは、いつだって気分が良かった。
鼻歌交じりに、穴の空いた壁から海へと泳ぎだす。たとえばほら、逃げ出したフリをして近くの沈没船で必死に息を潜めている愛しい女の子を迎えに行くために。
わざと何もない箇所を壊してまわっては、少しずつ彼女の隠れている樽へと近づいていく。お楽しみはいつだって最後に取っておくものだ。
「小エビちゃん、みいつけた」
「ッ、ァ」
「今回はよく考えたねえ、えらいえらい!でもそんなえらい子の小エビちゃんに、お仕置きしなくちゃいけねーんだよなあ、悲しいね」
ヒュウヒュウと音の出ない喉を鳴らして、必死に逃げようとしている。その様がかえってフロイドの加虐心を煽り、支配欲をも強めていく。きっと死にものぐるいなのであろう抵抗だって、片手一つで抑え込めてしまう。
暴れて傷ついてしまわないように、両手を握りこんだまま小さい身体を抱きしめる。己の長い尾ひれが彼女の短い尾ひれを撫でるさまは、なんだか背筋がゾクゾクした。
「ずっとオレと一緒にいようね、小エビちゃん」
ああ、光など届くはずもない海の底では彼女を見つめるのは己だけだ。今日も明日も、これからもずっと。