瞬く夜空の小咄まとめ星の瞬く夜に
眠れない夜だった。隣からは健やかなグリムの寝息が聞こえてくるが、それに倣おうにも睡魔はほど遠い。明日は休日だとは言え、あまり遅起きはしたくないのに。
十数度目の寝返りのあと、ユウはそっとベッドを抜け出した。散歩でもすれば、気が紛れるだろうと思ったのだ。何もしないで朝までうなり続けるよりはずっと良い。
「こんな深夜にお出かけかい、ユウ?」
「眠れないから散歩に行くの」
「気をつけてなあ、ランプを持っておいき」
ゴーストたちに手渡されたランプを持って、オンボロ寮のドアをそっと開ける。どれだけ気をつけても、古びた扉は音を立てた。
軋む音を背後に足を踏み出すと、森が静かにざわめくのが聞こえる。穏やかな夜は、星が瞬いてシャンデリアのようだった。息を深く吸い込めば、冷たい夜の空気が肺を満たす。
さて、寮をひとまわりでもしてこようか。そんなことを考えて階段に差し掛かかった。石段が靴音を跳ね返す。鉄の門を開けて踏み出した彼女を静寂だけが迎えた。
地面を踏みしめる足音と、揺れるランプの金具がカチャカチャと鳴っては耳に届く。この寮に住むようになってだいぶ経つけれど、やはり夜と昼とでは印象も違う。開けた草原に足を踏み入れると見知った人影を見つけた。
「おや、こんな夜更けにどうしたことか」
「こんばんはツノ太郎、今日も散歩?出来ればご一緒しても?」
「それは構わないが……珍しいな」
寝付けずに散策に出た旨を伝えれば、フムと考え込む仕草をとる。マレウスがこうして夜中によく散歩をしていることは知っていたので、彼がここにいる事に驚きはしなかった。きっと今日も学園内のガーゴイルを見て回っていたのだろう。精悍な横顔が、低い位置に掲げたランプの光を受けて照らされていた。
「寝付けないのならば、無闇に歩き回るなど余計目を覚ますばかりではないのか」
「そうかもだけどね、何にもしてないよりはマシかなあって」
「ならばこちらで夜空を共に見よう、今日は星たちが澄んでいる」
言葉を受けて見上げると、見事な夜空が目に映る。確かに今日の星たちは何時もよりも美しかった。そのまま立ち止まってくれている彼の横へと並ぶ。何度見てもその背の高さには感心してしまう。
ユウのそんな様子を見止めたマレウスは、ツイと指を空中で動かす。瞬きの間にあらわれたのはテーブルに椅子、湯気を立てた2つのカップ。目をパチパチとさせるユウの視界に、イタズラっ子のような笑みが飛び込んでくる。せっかくの彼の好意に甘えることにした。
フウフウと息を吹きかけながら、マシュマロの浮いたココアを冷ます。ちびちびと舐めるようにして飲むと、喉に張り付く様な甘さを感じた。向かい側のマレウスは、香辛料の薫るホットワインを飲んでいる。カップ1つ持つ様すらおとぎ話の挿絵のようだ。
「ツノ太郎、お酒って美味しい?」
「こんなものより、果実の方がずっと甘い」
そんなことを言って笑うのに、マレウスは手に持ったカップを手放さない。今は同じ学生の身分ではあるけれど、彼はユウよりもずっと長くの月日を生きてきた。重ねた年月の差を思い知らされたようで、飲み干したココアの甘さはやけに染みた。
「あの星キレイだね、前に授業で教えてもらったよ」
「勇ましい狩人の星か、あの話は茨の谷ではまた違った内容で伝わっている」
「そうなの?やっぱり地域で全然違うんだね」
「知りたいのなら語って聞かせよう」
滔々と語られるおとぎ話は耳慣れなくも美しい。優しげな声も相まって、ふと幼い頃に母が読み聞かせてくれた絵本たちを思い出した。母の声はこんなに低くなかったけれど、きっと聞いている自分の顔は今も昔も変わらない。
草原を駆ける勇士、草編みをする乙女、偉大なる大地の精霊たち。心躍る魅力に満ちた登場人物たちは、ユウの頭を舞台にそれぞれの逸話を繰り広げる。ずっと聞いていたいのに、瞼は少しずつ少しずつ降りようとしていた。
「眠いのか、ならこの辺りでお開きとしよう」
「いやだ……君の話を、もっと聞いていたい……」
「何時だって聞かせてやろう、しかし今夜は眠るが良いさ」
「うん……」
言葉の途中で、すでに眠りはユウを招き入れていた。溢さないようにとかろうじてカップをテーブルの上において、そのまま椅子にもたれ掛かるようにして瞼を閉じてしまった。
その様子を見ていたマレウスは、ひと息ついて取り出した小瓶のラベルを眺める。茨の谷で伝わる子供用の眠り薬。まじない程度のものではあるが、魔力を持たないこの少女ならば覿面だろうとカップの中に垂らした。効果は見ての通りだった。
ぐっすりと眠る小さな体を横抱きにすると、夜の茶会の後始末をする。一瞬の間にテーブルも何もかも消え失せてしまって、残るのは静かな草原だけだった。
「ああ、よく眠るが良い愛し子よ」
伏せられた瞼に唇を落とせば、ほんの少しだけ身じろぎをする。魔法で寮室へと送ってやっても良いが、それではつまらない。ユウが手にしていたランプを浮かばせて、道を照らさせる。そう遠くはない道のりを大事な宝物を抱えるようにして、マレウスはゆっくりと歩き出した。
夕暮れの演奏会
「何なんだこれ?ピアノ?」
「ピアノだねえ」
今日も今日とてオンボロ寮の掃除をしている最中に、ひとりと一匹は物置部屋であるものを見つけた。薄汚れた布が掛けられた棚のような何か。使えるものであれば儲けものだと、話し合いながら布を取り去れば下に鎮座していたのは年季の入ったピアノだった。
音楽室にあるものほど立派ではないが、小じんまりとしながらもつくりの良さを感じさせる。鍵盤を叩いてみれば、少し間延びした音が部屋に響いた。
「ずっと放ったらかしだったんだろうね」
「こんな所に置いてあっちゃ誰も弾きやしねえんだゾ」
少し飛び飛びになった音が楽しくて、話しながらも鍵盤に触れる手を止めない。間抜けにも感じる音につられてか、いつの間にかゴーストたちまで部屋に集まっていた。どうやら相当放っておかれたらしく、ゴーストたちも当初このピアノの存在を思い出せなかったほどだ。
「名のしれた名工とやらの作らしいがねえ」
「そうなの?でも調律できる人もいないし、何だか勿体無いね」
「食えねえんなら何だって一緒だゾ」
「グリ坊は食いしん坊だねえ!何だいユウ、調律師を探しているのなら呼んでこようかい?」
「ああそういえば今日は音楽室の点検日だからね、アイツが来ている日だ!」
盛り上がるゴーストたちの話を聞けば、学園のピアノはすべてとあるゴーストが請け負っているのだという。そしてそのゴーストは、オンボロ寮に住まう彼らの旧友なのだと。善は急げとばかりに、ゴーストたちは寮を飛び出していってしまう。1時間ほど経ったあとに、連れてこられたのは見るからに気難しそうなゴーストだった。
「話は聞いたがね、アンタがその異世界からの監督生とやらかい?それで、アンタはピアノが弾けるのか」
「そうです、はじめまして先輩!ピアノは趣味程度に弾けるぐらいで……」
「そうかい、じゃあ調律を引き受けてやるよ」
「えっ!でも代金も払えないのに」
「まあタダとは言わんがね」
ゴーストが出した条件はこうだった。いわく、ゴーストになってから無限とも思える時間は調律や修理だけでは物足りない。暇に飽かせて彼は作曲にも手を出した。異世界の曲を聞くことでインスピレーションを得たいので、ユウに何か曲を弾いてほしい。
大体はそんなところだった。ボロボロになったピアノは見るもいたましいし、キチンと直されるのであればその方が良いはずだ。ユウは少しの間考えて、その条件を呑んだ。
修理道具が足りないのだとその日は簡単な修理をしただけだったが、その後幾日にも渡る訪問の末ピアノは往時の姿を取り戻した。地元では名修理工として名を馳せるゴーストなのだと言う。学園内の定期点検にあわせてまた来る旨を伝えると、己の仕事を自分自身で讃えて帰っていった。そんな訳で、オンボロ寮の一室は小さな音楽室へと生まれ変わることになったのだ。
かくして、オンボロ寮での小さなコンサートが開かれることとなった。ユウはピアノをきちんと習ったわけではなく、趣味としていた家族に教えてもらった程度のものだったけれど。ゴーストたちは異郷の曲をもの珍しげに聞いてくれた。興が乗ってしまって、歌までついたのはご愛嬌だ。修理工も満足したように頷いていたから、心から安心したものだ。
「最近のオンボロ寮は、いつにも増して楽しげな音が響いているな」
「私がピアノ弾いてるの、ツノ太郎知ってたの?」
「散歩の最中に聞こえたものだからな」
放課後に菓子を頬張っているときに、ふと投げかけられた言葉にユウはむせ返りそうになった。昨夜作ったクッキーを分け合っている最中だというのに。マレウスは時折こうして唐突な事をするのだ。
ピアノがオンボロ寮に置かれてからというもの、楽しくて暇さえあれば弾いていたのは確かだ。図書館にはなぜか楽譜もあったから、借りてきて練習もしていた。オンボロ寮には娯楽が少ないし、頻度もそれなりだったかもしれない。素人の手慰み程度のものであるから、こうして改めて口にされるのは照れくさかった。
それでも普段は鍵盤を叩くだけだ。ゴーストたちに披露したように歌うのは、本当に気持ちが高まった時だけであるし、きっと聞かれていないはずと自分に言い聞かせる。演奏を聞かれるのと歌を聞かれるのでは、また照れくささが違う。
「いや何、歩いているうちに歌が耳に飛び込んできたとなれば、誰だって気になるものだ」
「歌ってるのもきちんと聞いてたんじゃないか! 君、実は相当聞きに来てたね!?」
思わずひっくり返りそうになるこちらとは裏腹に、マレウスはさも楽しげだ。何がそんなに愉快なのか、声まで上げて笑い続けているのが恨めしい。戯れのような強さでもって、指先で彼の膝を叩いて抗議する。まるで子猫にじゃれつかれた時のように、いまだ笑顔なのが憎らしかった。
「何をそんなに恥ずかしがることがある、楽器ぐらい僕だって嗜むさ」
「ツノ太郎が?きっとすごく似合うだろうね」
「弦楽器をな、趣味程度だが……今度聞かせてやろう」
「いいの?楽しみだよ!」
「ああ勿論だとも、だから今日はお前の番だな」
「えっ、えっ?」
話の流れがガラリと変わったことに驚く。マレウスは素知らぬ様子で手に持ったクッキーを食べ終えると、身支度をし始める。まるでオンボロ寮に今から行くのが決定事項かのようだ。下手な反論では丸め込まれると分かっているし、慌てることしかできない。そうこうしている内に、彼は準備を終えてしまったようだ。とりあえず指に挟んだままのクッキーを食べてしまおうと、困惑する心のままにかじりついた。
「君って本当に強引な所あるよ」
「了承したのはお前だろう」
「ああ言えばこう言うんだから」
ユウとマレウスは早速オンボロ寮の一室へと場所を変えていた。珍しく皆出かけているらしく、響くのは二人の声だけだ。適当な椅子を差し出して座らせれば、見事に足が余っているのがマレウスらしい。もう少し大きい椅子があればいいのだろうが、生憎とそんなものはない。1日椅子の上で過ごせという訳でないのだし、今日のところは我慢してもらう他ない。
リクエストはと尋ねても、お前の故郷の歌をと言われては頭を悩ませてしまう。そんなに多くを弾けるわけではないのだ。好きにしてくれと言われている訳だし、考えすぎるのも良くないだろうか。数分唸ったあとに、ユウは指を動かし始めた。
好きなアーティストの1曲だ。メジャーな曲というわけではなかったが、ユウはこの歌が好きだった。声色こそ優しげなのに、突き刺すような寂しい歌詞を何度も眺めてきた。だからこそ余計に声を振り絞る喉にも気合が入る。
マレウスは黙って聞いていた。時折指で膝を叩くのが横目に見える。分かりづらいけど楽しんでいるんだろう。それが分かるぐらいには、彼との友人生活も馴染んだものになっている。曲を終えて向き合えば、閉じていた目をマレウスが開いた。
「恋の歌か」
「私の国の言葉、分かるの?」
「分からなくても理解できるさ、誰かを請う歌だ」
深い意味は無い選曲だった。どうせ言葉も通じないと選んだけれど、歌詞の意味が伝わっているなら少しむず痒い。たくさんの人に歌いつくされた恋の言葉だ。それでも指摘されてしまえば、自分が彼に告白をしたようで気恥ずかしかった。
俯いたままのユウを他所に、マレウスはふと立ち上がる。何か構えるような仕草をすると、彼の手には瞬く間にヴァイオリンがあらわれた。目の端に映った光景に驚いてつい顔を見上げれば、ゆったりとした態度と口調で彼は笑う。
「さて、演奏の礼をしなければならない訳だが」
「リクエストでも聞いてくれるの」
「お任せでどうだ、悪いようにはしない」
「君のオススメなら信用できるね」
クツクツと喉で笑い声が鳴るのが聞こえる。マレウスは案外、こんな戯れめいたやり取りが好きなのだ。今日は何だか機嫌もいいし、きっといつにも増してそうなのだろう。
チューニングをしているのか、曲にならない音を長い手指が響かせている。生まれては消える短い音に囲まれる様すら、絵画の様に美しいのは流石というべきか。この広い世界を探せば、彼を題材にしたおとぎ話ぐらい見つかりそうなものだ。そんな事を考えている合間に準備が出来たようだ。目線があったのを合図にするように、曲は始まりだした。
祭りの曲なのだろうか。軽やかなテンポとメロディは、如何にも祝祭めいている。例えるなら春の木洩れ陽のような、そんな祝福と喜びに満ちているようにも感じた。曲にあわせて踊る誰かの姿が目に浮かぶようだった。
「お祭りの歌なのかな、それともお祝いの歌」
「まあどちらも、と言ったところか」
「ふうん……曲名は何ていうの?」
「──── だ」
「妖精の言葉以外で教えてよ」
「さてなあ」
どうやら教えてくれる気はないらしい。自分でたどり着けと言ったところか。この人はたまにこうやって意地悪をするんだから。図書室に資料でもあるだろうか。
考えていると、窓の外から賑やかな声がする。寮の住人たちが帰ってきたらしい。その声はマレウスにも聞こえていたようで、帰り支度をはじめた。時計を見れば時間は夜に差し掛かっている。確かにもうそろそろ帰らなければ晩御飯を食いっぱぐれてしまう。
「ではそろそろ僕は帰ろう、邪魔したな」
「素敵な曲をありがとう、また聞かせてくれる?」
「礼なのだから気にすることはない、次の機会はマアそうだな、幾年先になるかもしれんが必ず聞かせてやろう」
「そんなに先?でも楽しみにしてるよ」
クスクスと綻ぶように笑うと、彼は瞬きの間に消えてしまった。いつ見ても便利なものだ。さて夕飯の支度でもするかと立ち上がると、出かけていたゴーストたちとグリムが部屋へと入ってきた。学園の裏山に生えた山葡萄を摘んできたのだと言う。ユウも先程までマレウスといた話をすれば、ゴーストが話に食いついた。
「ユウが聞いたことのない曲かい、もしかしたらワシらが曲名を知っているかもしれないよ」
「本当に?えっとね、こんなメロディだったんだけれど」
節をつけた鼻歌を聞かせれば、ゴーストたちがにわかに色めきたつ。この世界ではそんなにポピュラーな曲だったのだろうか。グリムはポカンとした顔をしているので、ユウと同じで知らないようだ。まるで年若い少年のように盛り上がったゴーストたちが近付いてくる。
「随分とめでたいものを聞かせてもらったんだね、そりゃあ花嫁さんの歌だよ!」
「は、はなよめ……?」
楽しげに聞かされた言葉に呆気にとられるしかない。なおも困惑するユウをおいて、興味を持ったらしいグリムとゴーストたちの話は進んでいく。いくつになっても恋の話は心浮き立たせるものなのだ。
「具体的には何の曲なんだ?」
「それこそうんと遠い場所から来た花嫁を、妖精たちが歓迎して祝う曲さ」
「いやあツノの坊っちゃんも隅に置けないねえ!」
クルクルとダンスすら踊りだしそうな周囲を他所に、ユウの頬は温度が上がるばかりだ。曲名をやけに濁すと思ったのだ。ああ、明日からどんな顔をして会えば良いと言うのか。目をつぶってみても、マレウスの楽しそうな笑い声がこびり着いて消えない。
今夜はきっと眠れない。それならばせめて、次会うときの言葉を考えよう。赤い頬を手のひらで隠してユウは決意した。
たまゆらの午後
音もなく黒い衣を翻して、部屋に背の高い男が現れた。マレウスは静かに足音すら立てず、窓際まで歩いていく。その部屋にはすうすうと寝息を立てて、ぐっすりと眠る身重の女がいた。窓際の安楽椅子で陽射しを受けて眠ってしまったのは、マレウスの妻であるユウその人だ。
チラリと目配せをすれば、部屋の隅に控えていた近衛が礼をして扉の向こうへと出て行く。規則正しい足音は、警護のためにと扉の前で止まった。館中に強固な守りの魔法を張り巡らせてはいるが、用心するに越し過ぎる事はない。それにユウが使用人や近衛の者たちと会話することを楽しみにしているのも、マレウスはきちんと知っている。今部屋を後にした彼は、実家の妹がこの前剣術大会で優勝したそうだ。慣れぬ場所に嫁いできたのだ、そういった交流は大事にさせてやりたかった。
隣まで近づいても、ユウは起きる素振りすら見せない。この館が彼女の安心できる場所になっているのだと思えば、むず痒いような安息が訪ねてくる。しかし何時までも窓際にいるのは眩しかろうと、壊れ物を触るようにそっと抱きかかえる。部屋の中ほどにあるソファに身を預けさせて、マレウスも隣に腰掛けた。
健やかな寝息を確認して、膝掛けを被せてやる。閑静なこの屋敷は、笑顔を響かせる彼女が眠ってしまえば静けさだけが広がっている。距離を詰めて寄り添えば、ユウの呼吸の音が伝わってきた。感じる吐息は1つなのに、この体が抱えるのはふたり分の命なのだと思えば不思議なものだった。
ふと遠くに目をやれば、窓を通して開けた庭が見える。わざと草原にしていた場所ではあるが、この機会に整えてしまうのも良いかもしれない。長椅子でも置けば親子で揃って座れるだろうか。たとえばブランコなど、子供が喜ぶような遊具のほうが良いのだろうか。きっと我が子と一緒にはしゃぐ妻の姿も見れるだろう。そこまで考えて、クツクツと喉を鳴らす。空想に耽るのも偶には悪くない。
わずかに首を傾げれば、夢の世界から未だ帰らないユウの寝顔が目に飛び込んだ。前髪が閉じた目蓋にかかっているのを払ってやる。垣間見えた額に唇を落とせば、可愛らしい音が鳴った。何の変哲もないこの昼下がりこそが、マレウスには得難いような幸せの渦中だった。
「健やかに生まれてくるが良い、そうしたら色々な事を教えてやるから」
父親になる男は、未だ見ぬ我が子に話しかける。ああそうさ、見せたいもの聞かせたいものも山ほどあるのだ。いつの日か、お前の母上様に教えてもらったようにしてやりたい事もうず高く積み上がっている。
今日の執務は全て終えている。偶にはこんな日があっても良いだろうと、マレウスはそっと目を閉じる。このソファに三人で座る日が待ち遠しい。胸を高鳴らせて、ユウへとことさら寄り添った。