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    【自家通販中】かなめくんはゆめのなかかなめくんのゆめのさきかなめくんとおともだちかなめくんはゆめをみるかなめくんのゆめのさき
     十条要はごく普通の家に生まれた男の子です。優しいお父さん、明るいお母さん、そして大好きなお兄ちゃん。大切な家族に囲まれて、要はすくすくと育ちました。

     でもほんの少しだけ、普通とは違うことが要にはあります。それは、素敵なアイドルになるという夢を抱いていること。そしてこの春から要はアイドルの養成校に通うこと。あともう少ししたらアイドルの卵として、小さくも確かな一歩を踏み出すのです。

    「どうですか、お兄ちゃん!ぼくときたら制服がとても似合っていると思いませんか?」
    「うん、ちょっとだけ裾が余ってるのもよく似合ってるよ」
    「あっ!お兄ちゃんはいま意地悪を言いました!」

     お兄ちゃんはクスクスと笑いながら要の頭を優しく撫でました。要のたった一人の兄は、時折こうして要をからかうのです。せっかく春からは兄と同じく夢ノ咲学園に通えるというのに!如何ともし難い憤りを心に抱いて、要は憤慨します。

     未だアイドルの卵である要とは違い、兄は既にソロアイドルとして実績を上げていました。本名とは似つかない芸名を名乗って、華々しくもステージを駈けていく姿を何度見上げたことか知れません。

     ダンススクールの帰り道で、要は幾度となく空想しました。いつか兄の待つ綺羅びやかなステージで、立派なアイドルになった自分が横に立つのです。

     そうしたらきっと、アイドルが大好きなお母さんは息子たちの活躍を喜んでくれることでしょう。いつも穏やかに家族を見守るお父さんは、にこにこと笑いながら拍手をくれるに違いありません。敬愛すべきお兄ちゃんは、どんな顔で要を見てくれるでしょうか。

     ああ、早く入学式の日になれば良いのになあ。期待に胸を高鳴らせる要の姿に、兄は複雑そうな顔をしていました。この顔のお兄ちゃんが言うことはいつも決まっています。

    「夢ノ咲は、要が思うほど良い場所じゃないかもしれないよ」
    「お兄ちゃん、またその話ですか?」

     お兄ちゃんはいつも、この話になると言葉を濁します。要よりもひと足早くアイドルたちの学び舎に足を踏み入れたわけですから、きっと色んなものを見たり聞いたりしたのでしょう。そしてこの言葉たちが、兄が要を愛するが故の忠告であることにも気がついていました。

    「大丈夫ですよお兄ちゃん、ぼくはちゃんと分かっています」

     過去の栄華はともかく、今の夢ノ咲学園の悪評ときたら散々たるもの。業界のみならず、アイドルを志すだけの要の耳にも届いているのだから相当でしょう。けれど要は、夢ノ咲に進学することを選びました。

    「もちろん不安も有りますけれど……お兄ちゃんが居ますから」

     確定しない未来に不安を抱く気持ちは勿論ある。けれどそれ以上に、要の心には明るい希望もあります。要を愛してくれる人がいるならば、誰より大切な兄がいるのであればそこは天国と呼ぶに足るものでした。

    「お兄ちゃんがぼくを見ていてくれるのですから、いくらだって頑張れます」
    「……うん、そうだな、要の事は兄ちゃんが絶対に守るよ」
    「ぼくだってお兄ちゃんを守るのです」

     ふと目線があって、兄弟はこらえきれないとばかり笑い声を上げた。こんなに幸せで良いのだろうか。夢を追いかけて、愛する家族が側にいて、明日もまた続いていく。玲明学園のことが嘘のようだ。

     そこまで考えて、ふと思考が急速に冷えていく。玲明学園?いったいなんの事だろう。だって要は明日から夢ノ咲学園に通うはずで、そんな学校のことなんて知らない。狼狽える要の耳に、泡がはじけるような音が聞こえた。そうか、ああ。そうだった。

     暗い海の底から引き上げられるように、意識が一気に浮上した。目の前に広がるのは見知らぬ白い天井。要が横たわるのは愛しい我が家の自室ではなく、とある病室のベッドだ。

    「あー……あ、十条かなめくん、ちが、ひめる、です、うそです、うそじゃない、じゅうごさい、じゅうなな?にじゅう……あ、あー……」

     見渡してみても白ばかりの部屋には、要の他に人ひとり見当たらない。部屋にはベッドの他に何もないが、窓の外が暗いことで今は夜中であるのだろうと察せられた。ぱちぱちと瞬きしても景色は代わり映えしないので、今は紛れもない現実なのだ。

    「おとうさんはやさしいです、おかあさんはお星様になりました、おかあさんはいつもぼくをだきしめてくれます、おとうさんはいなくなりました」

     ここには己の他に誰もいないのでさびしいな。誰かとお話がしたいな。涙が出るほどではないけれど、ひとりぼっちは悲しくて要は落ち込んでしまう。猫さんでも鳥さんでもいいから、会いに来てくれればいいのにな。

    「お兄ちゃんはいません、お兄ちゃんはいます、お兄ちゃんはぼくが好きです、ぼくはお兄ちゃんを好きです」

     さっきまであんなにも楽しい夢を見ていたので、静けさは要の身体にしんしんと降るかのようです。なので要は目を閉じて、もう一度眠ることにしました。お腹が空いたような気もしますが、ご飯は朝に食べたって構いませんから。

    「ぼくはアイドルです、うたと踊りは楽しいです、アイドルになりたかったです、アイドルは楽しいです」

     そうして目を閉じていると、段々と眠気がやってきました。肩が寒さに震えたので、布団を首まですっぽりと被ります。またさっきのように、楽しい夢が見れるといいのになあ。そうねがいながら、要は目を閉じました。おやすみなさい、要くん。
    かなめくんとおともだち
    「ちょっとさざなみ!どこを見ているのですか、全然取れてないのです!」
    「いちいちウルセぇなあ、じゃあ自分で取りゃあいいでしょ」

     クレーンゲームのアクリル板に頰がつきそうな程近づいて、要は憤慨の声を上げる。目線の先ではジュンが筐体の操作盤に触れており、その指先にあわせて筐体内のアームがゆらゆらと揺れていた。そうこうしているうちにアームはもう一度景品のぬいぐるみを掠め、持ち上げることすら無く定位置に帰ってきてしまった。

    「さざなみなんかに任せたぼくがバカでした、ぼくはジュースを買ってきますからね!」
    「はいはいお好きにどーぞ」

     ぷんぷんと擬音が聞こえそうな程に肩をいからせて、要は自販機コーナーに歩いて行く。ジュンは要の方をチラリとも見ずに、後ろ手に手を振るだけだ。なんと憎らしくて嫌な奴だろう。肩で風を受けるように早足で歩くと、頬に当たる風が生まれた。せっかくこうしてふたりで遊びに来ているというのに。

     そも、事の始まりはなんてことのない雑談だった。昼休みの時間に要がサンドイッチを食べていると、いつの間にかジュンが目の前に座っていたのだ。別に聞いたわけでも無いのに、ジュンは己の近況を語って聞かせはじめる。

    「おひいさんがいきなりゲーセンに行きたいって言い出して、本当に大変だったんすよお」
    「はあ、そうですか」

     ジュンが少し前に転校してきた上級生に見初められ、特待生への昇格を果たしたのも早数ヶ月前のこと。そしてそのまま、ジュンはめきめきとアイドルとしての頭角を現したのだ。要は人知れず、勝手が違ってはさぞ大変だろうと心配していたのだけれど。全て杞憂だったわけだ。

     それからのジュンはまるで人が変わったかのように、同じ言葉を口にする。今日はオヒイサンがどうだっただの、オヒイサンはわがままだの、オヒイサンには困らされてるだの。まったくよく言うものだと、要はいつも飽きれながらジュンの言葉を聞いている。そんなに楽しそうにしておきながら、困るも何もあったものか。今まで見たことがないほど浮かれた級友の姿に、要はそんな感想を抱いていた。

    「お友達とゲーセンも行ったこと無いなんて~!とか、おひいさん散々に喚きだしちまって」
    「よくそんな暇がありますね、ぼくはそんな猥雑な場所に行ったこともありません。レッスンしてる方がよっぽど為になるのです」

     要は呆れたように首を振り、ため息すらついて見せた。要は自分に人一倍の努力が必要であることを知っている。研鑽することを止めれば、ここまで築き上げたアイドルとしての地位は今にも崩れ去ることだろう。ジュンのように努力すれば努力するだけ跳ね返る、素直な筋肉は持ち合わせていないのだ。

     けれど少しの羨望を混ぜたそんな仕草の意図に、ジュンはとんと気がつかなかったらしい。ひとしきり首をかしげた後に、納得したように大きく頷きはじめた。一体何だというのか。

    「じゃあHiMERUも、ダチとゲーセン行ったことねえんだ?」
    「……ぼくをバカにする元劣等生の悪い口は、この口ですか!この口ですね!」
    「いひゃい、いひゃい」

     ギュウギュウとジュンの頰をひっぱり、そのままぐいぐいと広げた。要としては精一杯の嫌がらせなのだが、ジュンは痛がりつつも薄笑いを浮かべているのでたいした効き目はないらしい。その様子がまた要の心を逆立てる。

    「そんな場所行かなくても、アイドルとしては立派に務まります!」
    「まあでも、行ったこと無いんだろ?じゃあさ」

     ジュンがポケットから取り出したのは、近くの繁華街にあるゲームセンターのチラシだ。てらてらと光を反射する紙の下部には、クレーンゲームの無料チケットがついている。小さく書かれた注意書きには、おふたり様グループ限定の文字が踊っていた。

    「何ですか、これ」
    「ものは試しに、オレとゲーセン行ってみませんかっていうお誘い」

     ジュン曰く、道を歩いているときに貰ったのだが、生憎とひとりだった為にチケットが使えなかった。オヒイサンは単体での仕事があり、明後日までは会うこともできない。だったらクラスメイトと行くのも一興だと思った。そんなような事を話すジュンに、要は憤慨する。

     誰が一緒になど行くものか。だって話を聞くに、自分はただの代わりじゃ無いか。オヒイサンとやらが居れば、そちらと一緒に行くくせに。絶対に頷いてなんかやるものか!そう固く心に誓った、その一時間後。

    「ずいぶんと騒々しい施設ですね、動物でも飼っているのですか」
    「そりゃあ筐体やらなんやらが置いてありますからねえ」

     要はジュンと連れだって、学校からほど近いゲームセンターを訪れていた。俗な場所だという認識は変わらないが、ふと気がついたのだ。アイドルである以上、経験や反応の引き出しが多いに越したことは無い。一般的な高校生が遊ぶような体験をすれば、演技の仕事などにも活かせるかもしれない。そう思い立ち、要はジュンを引きずるようにしてこの場所へとたどり着いたというわけだ。
     オープン直後と言うこともあり、内装はかなり綺麗なものだった。筐体のひしめき合う騒音や、排熱する機械の生ぬるさこそあるが、全体的に店内が明るく彩られている。一昔前のドラマでは不良がたむろしていたようなゲームコーナーにも、塾帰りと思わしき小学生が集まってレバーを握っていた。

    「もっと大変な施設かと思っていましたが、小綺麗なものなのですね」
    「不良漫画とは違いますよお、クレーンゲームなんかには女の子も多いし」
    「なるほど……?」

     案内板に導かれるがままにクレーンゲームコーナーへと迎えば、たしかにかしましい声がそこかしこに聞こえた。プライズとして筐体に納められているものも様々で、要はぐるぐると回るようにアクリル板の森をすり抜けていく。キーホルダー、お菓子、フィギュア、タオル、衣服。射幸心を煽るために工夫を凝らされた品々は、見ているだけでも楽しかった。

     壁の端までたどり着き、さて道を引き返そうかとしたところで、要はとあるプライズを見つけた。色とりどりの小柄なテディベアが、山と積まれた一角。どうやらあまり人気では無いようで、他の客も見当たらないような端にその筐体は配置されている。

    「くまがいっぱいです」
    「ここまでみっしり詰まってると壮観すねえ」
    「……さざなみ、これってどうやって動かすんですか?」

     別に特別欲しいわけでは無い。ただ、山と積まれた中に一つだけ残る藍色のテディベアが、やたらと目についただけだ。まるで非特待生の中でひとりきり藻掻くかつてのジュンのようで、憐れんだなんてことは決して無い。気まぐれにクレーンゲームで遊ぼうと言うだけなのだ。ジュンに教えられるがままに硬貨を握りしめ、投入口に落としたのが一時間ほど前。要はいま、筐体の前にジュンを残しジュースの自販機の前にいる。

    「べつに、欲しかったわけじゃ無いのです、たださざなみが、」

     誰にも聞かれないような呟きは、そのままゲームセンターの喧噪へ溶けてゆく。はじめて触れるクレーンゲームは、要にとってあまりにも難しすぎた。悔しげに操作盤を動かし続けたのが四十分ほど前。横で眺めていたジュンが、要と交代してくれたのが二十分ほど前。耐えかねた要が金切り声をあげたのがつい先ほどだ。

     醜い八つ当たりをしたことは分かっていた。ただ、素直に謝るには不要なプライドが邪魔をした。ジュンは要を見かねて、操作盤を触る手を替わってくれたのだろうに。

    「ごめんなさい、ぼくはきみにひどいことを言いました」

     誰も居ないこの場所では、こんなにも素直に言葉が出るというのに。鏡なんてなくても、眉間に寄ったしわを自覚できた。ぼうっと眺めた自動販売機の商品に、ふと苺ジュースが売られているのが目に入る。そういえばジュンは、苺が好きだったはずだ。要は引き寄せられるように、苺ジュースのボタンを押した。続けて自分の為のコーラを買い、両手に握りしめて件の筐体へと戻る。

     ごめんね。ごめんなさい。悪いと思っています。様々な謝罪の仕方を考える足取りは重く、気持ちも沈んでいく。目線も下を向き、タイル張りの床に反射する蛍光灯の光が虹彩に映った。そんな要に向かって、やけに明るい声が掛けられる。

    「HiMERU!これ、取れましたよお!」

     声の先では、あの藍色のテディベアを掲げたジュンが大きく手を振っていた。先ほどまでのことを忘れたかのように無邪気に笑うので、心の毒気が霧散していく気持ちになる。そうこうしているうちに、ジュンも両手にジュースを握りしめた要に気がついたようだ。何かを言われる前に、言ってしまおう。そうしたら今度こそ、まるで友達みたいに。

    「あの、さざなみ――」

     ぱちん。

     大きな泡が弾けるような音は、シャボン玉の断末魔にも似ている。夢は眠りの中で見るものなので、現に引き戻された要は目覚めるしか無い。どこかにある診察室で、要はどうしようもなく現実の中に居た。

    「十条さん、今日のご気分はどうですか」

     知っているような知らないような顔立ちの医者が要に問いかけても、要は答えを持ち合わせない。本当のことはなにひとつ分からない。分かるのは、ここが優しい夢の中ではないということだけだ。

    「ゲームセンターは動物園みたいにうるさいから好きじゃ無いですあれだったら本当の動物たちを見に行った方が楽しいですしよっぽど可愛いですでもくまさんは可愛かったと今でも思うんですこれは嘘じゃなくて本当なんですよ」

     壮年の医者は要の言葉を肯定するでも無く、否定するでも無く、ただ頷いて聞いていた。それがどんな意図を持つかも知らないけれど、随分と静かな人なんだなあと他人事のように思う。今の要にとっては全てが他人事のように遠く、実感が無いのだ。

    「ぼくは完璧なアイドルなので友達はいませんし必要だとも思いませんがもしかしたらほんの少しだけそれに近い人も居たのかなと思いました答えは分かりませんし一度ぐらいは聞いてみても良かったかも知れませんがもうどこにもいないので出来ないですね」

     だって要とジュンが一緒に出かけた事なんてない。ゲームセンターに行った事なんて無いし、好きな食べ物なんて知るはずも無い。何かになれるはずだった二人は、何にもなれずに分かたれたのだ。

     要の心には、小さな藍色の熊が住む。大勢の中で潰されながらももがき続け、這い上がろうとする毛艶の悪い小熊だ。その小熊に寄り添うように、勿忘草色の小熊が訪れることは無い。二人が目指した星は、いまや藍色の熊だけが手にした輝きだ。はて、どうしてそんなことを思うのか?

     要は何にも分からないけれど、大切なことだけは分かっている。けれどそれを知る人はこの世に誰もいないので、要は今日も優しい夢の世界へと思いを馳せるのだ。
    かなめくんはゆめをみる
     目を覆いたくなるような悲惨な地獄、それが十条要の学び舎たる玲明学園の現状だ。特権を認められた特待生が暴虐の限りを尽くし、その標的となる非特待生は憎しみを積み重ねていく。止める側であるはずの教師すらみな素知らぬフリで目を逸らすのだから、救われない話だ。

     要は自身が思考を不得手とすることに気がついている。自分なりに努力はしているし、求められるアイドルとしてのイメージを崩さぬようにつとめている。しかし肝心な所で、ほろほろと崩れ落ちるようなミスをしてしまう。

    (ああ、ぼくは不出来なアイドルだなあ)

     それに要のすぐそばにはお手本のような完璧がいたから、尚更その気持ちは強まるばかりである。

     風早巽。玲明学園の革命児とうたわれるアイドルの名前だ。彼は要が持ち合わせないすべてを持っていた。良くまわる頭に、異様なまでの求心力、豊かな表現を可能にする身体能力、穏やかで優しいこころ。

     彼になりたい。彼になれれば要はもっともっと素晴らしいアイドルになれる。そして要が巽になれば、誰もが巽のようになれば、巽の背負う重荷を分け合っていける。それはとても素敵な事のように思えた。

    「巽先輩、聞いて頂きたい話があるのです」
    「ええ、俺で良ければいくらでも聞きましょう」

     だから要はあの日に、その素敵な思いつきを現実にすることにした。聡明な兄は要を立派なアイドルと信じてくれるし、良い未来へ導こうと苦心してくれている。そんな兄を騙すことは心から忍びなかったが、要にはそれでも叶えたい夢があったのだ。

     きっとこれからこの学園を変えてみせる。要は素晴らしいアイドルになって、皆に愛されるようになる。そうして巽のような優しい人が、心から笑える世界を生み出すのだ。そうすれば未だ顔も知らぬ兄とて、要を褒めてくれるだろう。そう無邪気に信じていた。

     それなのに。
     あの日の講堂で要が目にしたのは、この世の罪過や責苦すべてを煮詰めたかのような阿鼻叫喚だった。怨嗟に満ちた怒号が聞こえた気がする。要の名を呼ぶ兄の叫び声が聞こえたような気がする。全てが悪い夢だったかのような気もする。

     永遠に終わらない暴力の中で、降り注ぐ手足の隙間から壇上に倒れ付す美しいみどりが見えた。透き通るような森の色、新緑の色、風早巽の色。何者にも代えがたい美しいあの人が、無遠慮にも汚されていく。

    「あ……、たつみ…………にげ……」

     耐えかねて伸ばした手は、誰にも届かなかった。空を切った指先すらも暴徒に踏みつけられて、埃にまみれてしまったのだ。にわかにパイプ椅子を引きずる音が聞こえて、衝撃と共に訪れた暗転。十条要の玲明学園での思い出はそんな幕引きを得た。

     ふとパチリと目が開いて、要は見知らぬ景色を目にした。少しベージュがかったカーテンが風にはためき、そよそよと優しく髪の毛を撫でる。驚いて起き上がろうとしても、右手が誰かにしっかりと握られているので叶わない。

    「HiMERUさん、もどられたのですね」
    「巽先輩」

     要の右手を握りしめていたのは、至るところに包帯を巻かれた巽であった。よく見ると彼は入院着を身に着けていて、車椅子に座っている。そして要は自身も入院着を身に着けていることに、遅まきながら気がついた。

    「ここは病院ですか」
    「はい、HiMERUさんはあの講堂での一件からひと月近く眠り続けていました」
    「そんなにもですか」

     巽は今の状況がいくらか分かっているらしい。きっと要よりも早く意識を取り戻していたのだろう。痛々しい怪我のあとは未だに全身に残っているが、彼が今も息をしていることに要は安堵した。

    「車椅子、足を怪我したのですね」
    「お恥ずかしながら、アイドルとしては致命的な傷を負いました」
    「きみのせいじゃない」
    「ええ、誰のせいでもない」

     地獄では誰もが呵責を受ける亡者です。亡者が苦しみに喘いだとて、誰が彼らを責められましょう。歌うように続けた巽の声はどこまでも穏やかで、彼が心からそう思っているとわかる。

     要は神の名を口にする巽を見たことはあっても、仏の在り処を口にする巽を見たことがなかった。なかなか珍しい姿だな、と素直に感心する。そして未だ握りしめられたままの巽の右手がほんの少しだけ動いたのを、要はしっかりと握りこんだ。

    「ぼくは君です、だからきみの怪我はぼくの怪我です」
    「HiMERUさん」
    「いつまでも待ちます……ぼくの怪我が治らなくては、ぼくは歩いてゆかれないのですから」

     要の瞳と巽の瞳がかち合って、お互いの瞳にお互いの色がうつる。混じり合った色彩は境界などわからずに、まるで元から一つだったかのようだ。

     巽は一度だけ目を伏せると、またいつものように目を開いた。穏やかな微笑からは喜色が見て取れるので、要は首を傾げてしまう。そんなにもおかしなことを言っただろうか。

    「何だか嬉しそうです」
    「ええ、俺はいま嬉しいんですよ」
    「そうなのですか?よく分かりませんが良かったのです」

     こうして言葉を積み重ねて行けば、いつか巽の事が全部わかってしまう日が来るのかもしれない。だって二人はこれからも、ユニットという名の仕組みで運命を共にするのだ。穏やかな風が二人の間を抜けていくのを、要は心地よく感じていた。

      ◇

     穏やかな新緑の季節に、木漏れ日が降り注ぐ。男は陽光に目を細めながら、車椅子をそっと押し続ける。車椅子に乗せられた愛しい弟は、虚空に向かって楽しそうに話し続けていた。

    「巽はよく分からないことを言いますね、楽しいならいいですけど」
    「要、今日はいいお天気だよ。あの木の根本まで散歩しようか」
    「まずはリハビリ?先生が優しいと良いのですが……怖いわけじゃありませんよ」

     弟の名前は十条要。あの日に講堂の舞台上で徹底的に打ち砕かれた、幼く愛らしいアイドルだ。
     今日は比較的意識がはっきりとしており、様子も落ち着いているということで特別に外出許可が出た。とはいっても遠出は出来ないので、こうして病院の中庭を散歩するぐらいなのだが。

    「ご飯をたくさん食べるとかは?カルシウムをいっぱい取った方が良いと思うのです」
    「要、今日は暑くなるから帽子を持ってきたよ」
    「ヨーグルトならぼくも好きです!ジャムがあるともっと美味しいです」

     初夏の日差しが容赦なく照りつけては、じりじりと頭皮が熱を持つ。兄が帽子を被せても、要はひどくごきげんだった。今日はどんな夢の中にいるのだろうか。

    「じゃあ一度、ぼくのお兄ちゃんに相談してみましょうよ」

     いきなり出された己の呼び名に、男の動きが止まる。幸せな夢を見る弟の中に、自分が存在しているなど露ほども想像していなかったからだ。こう成り果ててもなお、弟が自分を慕ってくれているなど考えも出来なかった。

    「お兄ちゃんはすごいのですよ、頭が良くて何でも知ってて」
    「要、」
    「きっとお兄ちゃんなら良い方法を知っています、巽先輩もすぐに良くなりますよ」
    「ちがう、ちがうよ、要」

     本当に自分が何でもできるのならば、弟がついた嘘など簡単に見破れた。風早巽に近づかせたりなどしなかった。あの日の講堂で、お前を守ってやれた!

    「俺は、役立たずのお兄ちゃんなんだよ」
    「はい、自慢のお兄ちゃんなのです」

     広場に続く道に、少年の笑い声だけが響く。穏やかな風は少し勢いを増して、茂る葉たちを鳴らしては駆け抜けた。二人の他に誰も、二人を見ているものは無かった。


    みなも Link Message Mute
    2022/07/06 0:38:04

    【自家通販中】かなめくんはゆめのなか

    ※暴力
    夢をみる十条要くんの話

    【追記】同人誌版の自家通販をしております。宜しければどうぞ https://booth.pm/ja/items/4131136

    8/28のブリデにて「十条××は夢を見た」「風早巽は夢を知る」の書き下ろし二つを加えて、製本版を頒布します。
    動向や詳細などはイベント近くにTwitter https://twitter.com/minamotsumotsu にてお知らせします。

    #あんさんぶるスターズ!!  #十条要  #HiMERU  #風早巽  #漣ジュン

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