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    さくらのあなた 宗三は退屈であった。主の使いとして時の政府の施設を訪れたは良いものの、折良くあるいは運悪く遡行軍の襲撃があった。居合わせた刀剣男士として屍転がる建物内を己の本性片手に駆け抜けたのも早や数日前。その後の処理や手続きやらを行うために、しばらくは政府所轄の寮暮らしを余儀なくされてしまったのだ。

    「ああ暇ですねえ本当に暇だ、せめて兄様やお小夜や主がいればこんなに退屈しないで済むのに」

     口に出してボヤいてみても与えられた退屈は代わり映えしない。建物内の出歩きは許可されているし、そもそもが住居用の部屋であるので住環境も悪くない。申請すれば外出の許可だって下りるだろう。

     真新しい部屋を飾り付けるのは初日に終えた。期間限定の住まいと分かっているのだから物を増やす気にもなれない。申し訳程度の写真立てを置いて、着替えをしまい、布団を整えれば終わってしまったのだ。

     あまりモノに執着も頓着もしない性質ではあると自覚はしていたけれど、住んで数日ともなる部屋の殺風景さには我ながら笑いがこみ上げる。

     ウダウダと床に寝転んでいると、ふいに部屋の呼び鈴がなった。来客は無かったはずと訝しみつつ扉を開ければ、なんの事はない宅配便だった。

     あいにくと通販をした覚えはないし、差出人の名前にも心当たりがない。居間に戻り、小包を開けてみて中に入っていたのは謝礼の手紙と桜色の帳面だ。手紙の内容を読んで、ようやく合点がいった。そうか、あの時の。

     遡行軍の襲撃があったあの日、宗三は政府施設の廊下を駆け抜けていた。目についた敵は切り伏せたものの、依然として状態が掴めなかったのだ。敵なのか味方なのか分かりもしない血だまりと、そこかしこに転がる潰れた果実のような肉塊を掻き分け続けた。戦って果てたらしい刀たちの残骸すら散らばっていた。そうして中央への道を進んでいると、ふいに廊下の突き当りに人影を見止めた。見知らぬ審神者とその近侍が袋小路に取り残されていたのだ。

     見たところ練度もさほど高くない近侍は懸命に己が主を守らんと刀を奮い、審神者はそんな近侍を支えようと必死に何かの術式を起動させている。気がついたときには、宗三は審神者たちの間に駆け込み敵をあっという間に切り伏せていた。籠の鳥と己を自虐はしても、住まう本丸において彼は高練度の歴戦の刀であった。

     その後はひとりと2振りでどうにかこうにか、血を撥ねせながら建物を走り抜け続けることとなった。途中何度か戦いはしたものの、その度に宗三は連れをよく助けた。数刻の付き合いとは言えど、彼らを床に転がる肉と鉄くずたちの群れに紛れさせてしまうのはいくら何でも酷い。そう思えば、刀を握る手にも力が増して入った。そうして何とか急ごしらえの政府本陣に辿り着き、宗三も己の本丸と連絡を取ることが出来たのだ。

     その時に別れたきりではあったが、件の審神者と近侍は宗三にいたく感謝していたらしい。とある本丸の宗三左文字が政府に逗留しているらしい噂を聞きつけ、もしやと関係者に事情を話し小包を送った旨が手紙に書いてあった。心からの謝辞と気持ちばかりのお礼に同封された和綴じの帳面。近侍と二人で話し合い、宗三の髪によく似た桜色を選んだのだそうだ。

     宗三の主も、よく彼の髪を桜のようだと言って褒める。散りゆく薄い花びらの舞うさまは、まるで貴方のそれのようだと。顕現してから数年の間、そんな言葉を聞かされ続けている。初めは戸惑ったものの、まあ今では悪い気はしていない。

    「人間って、僕を桜に例えるの好きなんですかね」 

     指先で桜色の表紙をなぞれば、和紙特有の浮き出た繊維が感じられる。そういえば、主は暇を明かしたとき本丸の刀たちに小さな手紙を書くことがあった。大抵は日常のちょっとした話やお礼なんかで、特に重苦しい事が書かれている訳でもない。見たがっていた花の苗を取り寄せたとか、昨日作っていた煮物は美味しかっただとか。取り留めないコミュニケーションの一環。己は手紙を貰うばかりで、今まできちんと返事を返したことはそう無かったような気がする。

     少しの間考えて、軽い荷物から筆を取り出した。どうせ暇なのだ、この機に書けるだけ書いてみよう。帳面なのだから手紙にする下書きと思えば筆も軽い。顕現してから数年間の思いと、あることない事を織り交ぜて手紙を書く。この場所にいるのもあと数日の間だ。さて何から書こうかと考えて、宗三は筆を走らせはじめた。

    主へ

     お元気ですか。こちらは驚くほどに元気と暇を持て余しています。ですのでこうして筆など取ってみた次第。改めてあなたへ手紙を書くのは初めてですので、少し緊張も篭った文字です。このか細い文字から、僕の繊細と逡巡が伝わるかとは思いますが。

     外は蕾のほころび始める頃だと言うのに、僕はこの部屋でひとり籠の鳥。こんな無体な仕打ちがゆるされる世の中とは、涙も止まらないというものです。(本当は外出申請が面倒なだけですので、この冗談を真に受けることの無いよう)

     蕾といえばあなた、僕が顕現してすぐの花見を覚えていますか。新刀の歓迎会などと銘打って、皆が酒を飲んで騒ぎたいだけだったのは分かっていましたよ。あなたもずいぶん楽しそうに酒瓶を抱きしめていましたね。

     うちの長谷部が下戸だというのも、あの時に知ったのです。木に向かって「あるじ、あるじ」と話しかけ続ける姿は本当に見ものでした。見知った顔の醜態とは何とも面白いものですからね。話が逸れましたね。

     あなたはあの日、僕を指差しては桜のようだと笑い続けていた。舞い散る花びらはさも宗三のようだと。実はあのとき、僕はそう良い意味ではその言葉を捉えていなかったのです。

     足掻いたとて刀のこの身では、人のようには生きられまい。それこそ終わりは散る桜のように、唐突で避けられないものなのだと。鉄風情が心を得た所で、風に吹かれては落ちる様な儚いものであると。そう言っているように聞こえたのです。

     勿論そんなのは僕の穿ちすぎというものですし、考え過ぎと理解はしていたのです。何でしょうね。顕現したての反抗期だとか、思春期のようなものだったのでしょう。今ではきちんと、あなたが桜のみならず鸚鵡にも文鳥にも求肥にも僕の名を呼ぶような人だと分かっていますから。

     あなたはあまり考えずに枝に咲いた桜色を、僕の髪と重ねて褒めただけ。言葉にすれば簡単なことです。それでもこうして文字に記したのは、あの日の懺悔替わりです。少しの罪悪感を抱くほどには、あなたは僕にきちんと好かれています。存分に自惚れると良いですよ。

     それでは、僕はおやつを食べますのでこの辺りで。今日は和菓子の気分なんです。

    おやつは桜餅を食べる宗三左文字より

    主へ

     今日の手紙では僕の考えたごっこ遊びの話をします。夢、妄想とも言うかもしれませんね。こうも暇だと一人遊びが上手くなるばかりです。いつか存分に語って聞かせてさしあげましょう。

     さて、さっそく本題に移りましょうか。マアなんてことはありません。僕が人間だったなら、どんな風な生き方をしていたのだろうと考えただけの話です。

     僕が人間となると、もちろん兄様もお小夜も人の子となります。僕は毎日をつつがなく過ごす学生。お小夜は小学校に通う育ち盛りの可愛い弟。兄様はそうですね、あまり会社づとめをされている想像はつきませんから。きっと小料理屋でも営んでいるのではないでしょうか。休みの日には僕とお小夜で店を手伝いましょう。

     真面目な兄様の事ですからね、店は小さいながらも地域に根付いた商売をしているはずです。僕は料理学校にでも通うかたわら、兄様の店で働きもしています。

     週末にだけ働く僕と、店の常連は話でもするのでしょうね。そうしたら主、あなたは常連客のひとりです。電車でふた駅の勤め先に通い、家までの帰り道にある小料理屋についつい寄ってしまう会社員。そんなところでしょう。

     あなたはきっとここでも不摂生でしょうから、僕からのお小言は当然あります。食事とは身体を作る第一の資本と、以前に燭台切も言っていました。だからそうですね、よく来てくださるお客様に小鉢のひとつぐらいはおまけしてさしあげます。好き嫌いせずによく食べるんですよ。

     今日は政府の職員に葉物を分けていただきました。政府管轄の農場で取れたものの、売るには規格外のものを配ってるんだとか。幸いこの部屋には簡素な厨もついていますから、今日は食堂を使わず自炊しようかと思います。何ができたかはまた今度。

    お出汁は昆布派の宗三左文字より

    主へ

     今日はあいにくと雨が降っていますから、外出も出来ません。といっても、食事をしに出掛ける以外は毎朝軽く散歩するぐらいのものなのですが。

     政府運営の修練場は好きに出入りしていい許可を得ていますが、ひとりというのはどうにも味気ない。本丸暮らしのこの身では、修練は常に身内の刀たちとやっていたようなものですから。挨拶を他者に交わせるほど、社交的でない自覚ぐらいは有ります。

     それに雨というのはあまり好きになれません。鉄の本性では水気は好ましくないというのもあります。最も大きいのは、戦において雨ほど好ましくないものもそうないと、僕は思うからです。
     
     奇襲をかける分には足跡や話し声をかき消してくれましょう。音を立てる鎧兜や馬たちの嘶きも雨が覆い隠す。けれどそれは敵方だって同じことです。不確定要素はできるだけ少ないほうが嬉しいと、神である僕だって思います。

     先日僕たちを襲った大規模な遡行軍からの襲撃とて、雨だったでしょう。もっともこれは穿ちすぎの面もあるかもしれませんが。本部に来ていた僕の他の刀や審神者にとっても、悼ましいことでした。遡行軍も偶然雨の日に決行したのかもしれませんが、僕の雨に対する憂鬱な気分は加速するばかりです。これに関しては貴方のほうがお気持ちが強いのでは?なんせ僕の主なのですから。

     大元はひとつの刀である僕たちは、分け御霊となりそれぞれの主のもとへ顕現されます。世界に対して無垢な赤子である僕たちは、周囲の環境に著しく影響を受けます。主や本丸の違いで、同じ刀でも個性があるのはそのせいです。

     つまり僕の雨嫌いは、貴方の影響を受けたのかもしれません。終ぞそういった事はお話くださいませんでしたね。次に貴方のもとへかえる時には、ぜひその旨詳しくお聞きしましょう。憂鬱も分け合えばまだマシなはずですから。

     滅入ったままの気分で一日を過ごすのも癪ですし、今日は読書でもしようと思います。ラジオでも流しておけば、雨音だって薄れるでしょう。良い曲でもあれば教えてさしあげます。

    髪も何だか纏まらない宗三左文字

    主へ

     もうそろそろこの部屋を出る日も近いそうです。早ければ今日の午前中にも迎えが来るとか。この部屋で暮らしたのも半月ほどと考えれば、短いようで長い月日です。

     ということで今日は軽く掃除をしています。身支度をしようにも、もとから備え付けてあった食器やら布団やらの他に、僕の荷物は風呂敷ひとつで収まってしまいましたから。どうにも暇だったんです。

     今はこの帳面と筆だけを出しています。仕舞うのに時間もかかりませんしね。この部屋ともお別れですので、思い出話の一つや二つでも書き記そうかと。半月でもそれなりに感慨はあるものです。

     まずは一つ目、この部屋の間取りについて。この部屋はそう大きくもありません。単身者用というのでしたっけ、もともとひとりで暮らすことを想定した作りなのだそうです。奇しくもこの広さが、近侍部屋の大きさに似ていました。 

     あなたはよく夜中にも書きものをしていましたから、襖を隔てて書類を重ねる音が聞こえていた。休まない貴方に業を煮やした加州なんかは、よく乗り込んで止めていたそうですね。僕は最初からその問答も面倒だったので、書類ごと取り上げてしまっていましたが。

     勤勉とは美徳かもしれませんが、己の身を削るのならただの阿呆ですよ。最近は休むことを覚えていたようですね。あの果実茶は僕好みでした。そのまま夜の仕事なんて、夜の茶会にでも置き換えてしまいなさい。

     次に二つ目、この部屋から見える景色について。引き戸式の窓の外にはベランダがありましてね、その向こうに中庭があります。整えられているから随分と小綺麗なんですが、真ん中に大きな桜の木が生えていまして。これがまあなんと立派なものなんです。

     この建物ができる前から植わっていたとかなんとか、樹齢も大層立派な数字でした。今は春ですからそりゃあもう見事なものでした。咲き誇る花々は図画のようにも色鮮やかです。

     けれど不思議と、中庭を見るたびに僕は本丸へ戻りたい気持ちが増しました。僕たちの中庭に生えていた、あの桜の木を思い出すからです。立派さで言えば政府のものが勝つでしょう、満開の花の荘厳さといったら格別です。ただ僕が見たいのは、みんなで馬鹿のように騒ぎあったあの桜です。それにここには貴方がいない。

     まあこれはちょっと口が滑りすぎましたね。どうか胸にでも秘めておいてください。ねえ貴方、僕の今代の主。僕を桜と称した人。僕はずっと黙っていましたけど、桜と呼ぶならずっと貴方のほうが──

     コンコン。熱心に帳面に向き合っていた宗三の集中を途切れさせるように、部屋の扉を叩く音がする。もう準備ができたのか、随分と聞いていたよりも早い。書きかけの帳面を閉じて、筆と共に風呂敷の中に放り込む。そうしてしまえば、この部屋に宗三が持ち込んだものなど何一つ残っていなかった。

    「移動のご案内に参りました、ご支度はお済みですか」
    「ええ恙なく、これ一つでまとまる荷物です」

     風呂敷包みを掲げて見せた宗三に、政府の職員が成程と頷く。少し背の低いこの眼鏡の男は、宗三がこの部屋に訪れた時から案内や説明を買って出てくれていた。少しでも顔見知りのほうが良いだろうと、配慮してくれたのかもしれない。その好意が有難かった。

     宿舎を抜けて、コンクリート造りの研究施設の前をすり抜け、医療機関の併設されたベージュの壁の建物へ入る。先日の件があってからはセキュリティも随分と厳重になったそうだ。ここへ移動するまでにいくつもの検問所を通り抜けなければならなかった。小さくため息をついたのを見られていたらしい。

    「もうここの地下ですから、エレベーターで下がれば目的地です」
    「守りが強固なのは良いことですよ、けれどお気遣いは有難く」

     微笑んでみせた宗三に、職員の表情が少し柔らかくなる。その言葉通りに、館内は霊力をスキャンする機械が検問所の役割を果たしていた。青い光が身体をすり抜けたあと、エレベーターの扉が開く。あの光が異常を感知されると、そのまま拘束のための術式が飛び出してくるらしい。動き出した箱の中でそんな事を聞いた。

     地下三階まで降りた後に、無骨なリノリウムの光る廊下を進んでいく。使用中を示すランプがいくつも付いているのを目にした。曲がり角の近くにある部屋に、消えていく他所の刀剣男士の背中すら見える。2回ほど角を曲がった部屋の前で、職員が足を止めた。電子キーを操作する音がして、機械仕掛けの扉が開いていく。

     部屋の中にあるのは、金属つくりの長方形をした台がひとつだけ。その上には白い陶製の容器と、青緑をした陶製の容器が載せられていた。宗三は迷いなく二つの陶器へ近づいて、目線を合わせるようにしゃがみ込む。薄暗い照明を受けて光る側面に、宗三の顔が反射した。

     手を伸ばしてまずは青い陶器に触れると、ゆっくり持ち上げる。からからと音を立てた中身は随分と軽い。そっと青い陶器を置くと、今度は白い陶器に触れた。こちらもまあ随分と軽い。焼かれたとはいえ、こんなにも質量が減るものなのか。

    「小さくなりましたねえ、主」

     冷たい陶器に額で触れても、返事ひとつすら帰ってこない。けれど漂う霊力の残滓で、そうだと痛いほどに分かってしまう。青い陶器に納められていたのは、鉄くずに成り果てた可愛い弟。そしてこの軽い骨壺に納められているのは、紛れもなく宗三の主その人だった。


     半月前のことだ。宗三は主の命を受けて、政府施設へと使いに出ていた。宗三は本丸内でも練度が高く、顕現されてからの期間も長い。近侍を務めることも多くあった彼がこうして使いを頼まれることは、珍しい事ではなかった。

    「では行ってきますけれどもね、お小夜は主が無茶をせぬように見張っていてください」
    「うん、兄様の留守はきちんと預かるよ」
    「そんな無茶しないって!小夜もいるんだもん、宗三も気をつけて」

     それに、替わりとして近侍を預かっていたのは小夜だ。兄として弟が学ばんとする意欲は買ってやりたい。そんな気持ちを汲んでか、審神者も小夜が近侍を務めることを快諾してくれた。帰り道には礼代わりの菓子でも買って帰ろうか。そんな事を考えながら施設内を歩いているときに、それは起きた。

     硬質な何かが割れる甲高い音がして、一気に不浄の気配が撫だれこむ。宗三の他に人通りはない廊下だが、空気が瞬く間に張りつめていくのが分かった。途端に聞こえたのは地響きのような唸り声と、切られた何ものかの断末魔。すべてのピースが合わさって、導き出される答えはひとつ。遡行軍による結界の破壊と、政府施設への大規模な侵入が成されたことを示していた。


    「他所のお小夜、そちらに行きましたよ!」
    「はい、他所の兄様!」
    「宗三さん、小夜ちゃんこちらです!」

     袋小路に追い詰められていた見知らぬ審神者とその近侍を、宗三が手助けしたのも数十分前の事。ひとりと二振りは血濡れた廊下を急ぎ進んでいた。結界に開けられた大穴は塞がれたと館内放送が流れていたが、入り込んでしまった敵を始末しないことには味方の元へとたどり着けない。急ごしらえの行軍でもやり切るほかに道はなかった。

     宗三が何よりも心配なのは己の本丸の事だった。この侵攻が政府施設に限ったものとは考え難いが、錯綜する情報では全容を掴み切れない。とにかくこの施設で指揮が出されている場所へと行く必要があった。

     角から飛び出てきた敵の大太刀を受け流して、壁を使って一気に首元まで迫る。引き抜いた刃が生ぬるく濡れるのを見つめながら、宗三は足を突き動かした。一刻も早く、何よりも速く、それだけが心にあった。


     それでも上の階にたどり着くと、様子は今までのフロアとはかなり変わっていた。未だうろつく敵よりも、打ち捨てられた残骸のほうが多い。どうやらゲート前に急ごしらえの本陣を築いたらしく、敵の数も随分と少なくなっている。急がなければという焦りと、気の緩み。逸る気持ちに太刀筋が揺らいだのを、敵は見逃してはくれなかった。

    「他所の兄様!」

     斜め前の扉を潜り抜けてきた敵の太刀が、宗三の胸元へ迫っているのに反応が遅れた。声を上げてくれた共連れの小夜も間に合わなかろう。この体制では避けきれない。ならばまだ、後ろに控えるひとりと一振りを逃がすためにこの身を散らしたほうがマシだ。正面を切って降り降ろされる刃を受け止めようとした宗三の前に、突如として躍り出るものがあった。

     敵の懐へと弾丸のように飛び込んだ影。己の本丸に暮らす小夜左文字が、宗三の可愛い弟が目の前にいた。しかし、その刃は今にも崩れそうにボロボロの有様だ。完全に不意打ちを食らった敵は、驚いたように唸り声を上げる。そのまま敵の腹部を貫いて、小さな弟が振り返った。だが宗三はその姿に目を見開くばかりだった。

    「お小夜、貴方その姿は、」
    「時間がないんだ、聞いて兄様」

     元の色が分からないほどに血濡れた衣には、血のように噴き出している瘴気が纏わりついている。身体のいたるところに刻まれた傷は深く、そして何より本体たる刀は形を保っているのが不思議なほどに欠けてひび割れていた。もう助からない、誰が見ても分かるほどの損傷であった。小夜はそんな宗三の驚愕にそっと目を伏せて、前を指さした。

    「主は、ゲートの前に……」

     小夜が言葉を紡いでいるときだった。鉄の折れていく音があたりに響いて、人の身を形作る術が解けていく。宗三は消えていく弟に手を伸ばし、思わずその胸へとかき抱く。安らかに眠るような笑みを浮かべて、小夜は最期の言葉を遺した。

    「兄様、主に会ってあげて」

     場に響く刀の折れる音に、共連れの見知らぬ審神者と小夜が目を伏せたのが見える。掛ける言葉を模索しているようにも思えた。宗三は懐から手拭いを取り出して、欠片を落とさぬように包んでやった。可愛い弟の遺した、優しい願い事を聞いてやらなければ。一度だけ目を固く閉じて、宗三は悲しむ間もなくすぐに立ち上がった。


     それから数度ほど敵を切り伏せた後に、ようやく一行はゲート近くまでたどり着いた。入り組んだ通路の先に、誰かが張った結界の端が見える。あちらでも宗三たちの姿が見えたのか、結界ギリギリまで近づいて中の者が手招きをしていた。どうやらあそこで間違いないらしい。

     潜り抜けて中へと入ってきたひとりと二振りを、中の者たちは慌てるように迎え入れてくれた。簡素ではあるが手入れの道具もあるらしく、持ってくるように指示する声も聞こえる。

    「さあ早く中のほうへ、急場しのぎだが手当ぐらいはできる」
    「ありがとうございます!あの、先ほど此処から救援に来た小夜左文字の主は……」
    「ああ、4番ゲートの……っておい!手入れしなけりゃだめだ!」

     4番ゲートから小夜と主は訪れた。それだけ分かれば充分だ。心配する審神者らしき男の声を振り切って、宗三は駆け出す。やはり本丸にも襲撃がきていたのだ。早く見つけ出さなくては。そんな不安を他所に、審神者はすぐに見つかった。ゲートを取り囲むように人だかりが出来ていたからだ。

     近づいてきた宗三左文字を見止めた周囲の人影が、さっと道を開ける。おそらく彼が主を探しに来た刀だと気づいたのだろう。息を切らせてたどり着いた宗三にも、そこまで近づけばすべてが見えていた。

     ソファの上にクッションが置かれて、その上に乗せられている頭。首だけになった宗三の主が、目を瞑ってそこにいた。纏わりつく血が少ないのを見るに、先ほどまで取り囲んでいた人影が拭ってくれていたらしい。よく見れば道を譲ってくれたのは、演練場で何度も会ったことのある審神者たちだった。

    「あなた、こんなに小さかったんですね」

     呟くように落とされた言葉は、そのまま場へと溶けていった。いつもならばここで返事の一つは帰ってくる頃合いなのに。ああ、もう二度と返事もしてもらえないんだな。宗三はやっと、そのことに気が付いていた。

     吹き抜ける爽やかな春の風が、宗三の頬を撫でる。頭上からは咲き誇る桜が、風に乗せて花びらを散らしていた。鑑識や後始末も終わったことで、宗三はやっとわが家たる本丸へと帰ることができた。

     荷物の少ない風呂敷を広げると中身を端に寄せて、真ん中に白と青緑の陶器を置く。一つは主の骨壺、もう一つは浄化の済んだ小夜を納めたものだ。

     遡行軍に攻め込まれた宗三の本丸は、主の執務室に陣を張って迎え撃っていたそうだ。完全に不意を突かれたことでゲートと手入れ部屋や資材庫すらも占拠され、手当もままならぬほどに追い込まれた。

     その状況下で、ひとつの決断が下されていた。折れたものは即座に審神者のもとへと持ち込まれ資材とされ、残っている刀の回復へと充てられる。鉄くずになるよりは、振るわれる刃となり一つでも多くの敵を切るが本望。そうして最後の最後まで残っていた一振りこそが、小夜だったのだ。

     審神者の打ち取られた後に、小夜は本丸が戦闘に至るまでのデータを持ち出していた。それは全て審神者の遺言だったそうだ。とにもかくにも小夜は致命傷を負いながらも、己の主の首とデータファイルを手に宗三のいる施設までたどり着いていた。混乱の続く政府施設で、持ち込まれた記録は大いに役立ったと聞かされている。だからこそ、こんな形で宗三のわがままは叶えられているのだ。


    「みんなで本丸の桜がみたいんです」

     身の振り方を尋ねられた時に、宗三はそう答えた。敵の侵入による瘴気は未だに色濃く、審神者と小夜の残滓すら完全に浄化が成されたわけではない。しかしかの本丸によって持ち出された情報と、施設内の宗三の奮戦が戦況を動かす切っ掛けになった事は間違いがない。宗三に命を救われた、あの新米審神者も口添えをしてくれたらしい。すべてが清められるまでの期間中は、政府施設内に逗留することを条件に宗三の帰宅は叶っていた。

     あと一時間もすれば、政府施設で世話をしてくれた職員と、この本丸の担当職員が宗三を迎えに来る。それまでは好きにしていいとの事だった。


     抜けるような青空の下、ぼんやりと桜を眺める。風がひときわ強く吹いて、宗三の髪を揺らした。

    「貴方は僕のことを桜みたいだって言いましたけどね、アレは逆だと思うんですよ」

     風呂敷の上に置かれた陶器を撫でて、話しかける。横には場に似つかわしくない一斗缶が置いてあって、中で紙と薪が燃えている。荷物を手繰り寄せた宗三は、次々と一斗缶の中へ放り込んでいった。

     いつか皆で撮った写真、誉の褒美にと与えられた質の良い筆、借りたまま返せなかった審神者の蔵書。最後に書きかけの手紙が記された帳面を手に取って、数ページほど捲る。そしてそのまま、火の中に放り込んでしまった。

     一斗缶の中に投げ入れたものがすべて炭になったころ、宗三はふと立ち上がった。火の始末をきちんと終えて、火種の無いことを確認する。そして宗三の手の中には、己の本性たる刀が握られていた。

    「咲いたと思ったらすぐに散って……挙句僕を置いていくんですから、貴方のほうがよっぽど桜みたいなひとです」

     クツクツと肩で笑って、顔にかかった髪を振り払うように空を見た。ひときわ高く流れている大きな雲。皆がいるのは大体あのあたりだろうか、まあまだ間に合うだろう。煙はとうに届いているはずだから。

    「お手紙は先に届けて差し上げましたから、お返事は直にいただきますよ?ねえ、桜の貴方」

     そのまま勢いよく振りかぶられた刃が、地面に叩きつけられて半ばから折れる。真っ二つに分かたれた刀身が地に落ちるのと同時に、宗三の肉の身すらも砕けていく。指の先から自我が解けていく心地がして、思考が白んでいくのが分かった。そうしてひときわ高い金属音が響くと、後に残ったのはくず折れた刀身だけ。

     その時だった。春には似つかわしくない突風が吹いて、嵐のように渦を巻いた花びらが場のすべてを覆い隠す。風がようやく止んだときには2つの陶器も、一斗缶の中の灰も、折り重なった刃も。まるで攫われてしまったかのように、すべてが消え失せていた。
    みなも Link Message Mute
    2022/06/18 23:37:11

    さくらのあなた

    刀剣破壊描写/めっちゃ死体出る
    お互いを桜の花のように愛している審神者と宗三の話です。

    #宗さに

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