三池書店①ーDeath! Death! Death! Death! I'm the judgement of Dea…ー
ポチッとイヤホンの再生停止ボタンを押して、流れる過激なシャウトを停め、審神者は一人、「三池書店」と書かれた古びた看板を見上げた。
ここは昔ながらの商店街。
昼の3時なのにシャッターが閉まる店も多い、寂れた通りだ。
廃墟と廃墟に挟まれた、廃墟寸前の木造建築に、ニンマリと笑う。
(良さげかも。)
外から店内を覗き、最近の漫画や流行りの小説が置かれていない事を確認すると、審神者は入り口のガラス張りの引き戸を開けた。
♪ピーンポ〜ン ピーンポ〜ン
古びたチャイム音が鳴ると、店の奥に座っていた気難しそうな和装の店主が、新聞から顔を上げ、無愛想な声で「いらっしゃいませ」と呟く。
(これこれこれ!こーゆー店!)
期待度大だ。審神者は心の中でガッツポーズをした。
古いインクと、微かに漂う煙草の匂いの中、店の本棚を一通り見て廻る。絶版になった美術書、哲学書、戦前の子供が実際に使っていたであろう教科書やノート、古文書に、江戸期の黄表紙などが、かなり沢山置いてある。
最高すぎる!
期待に目を輝かせ、スイパラに連れて来られた女子大学生の如き顔をする審神者。審神者も、今は女子大学生であるのだが…。
そう、便宜上「審神者」と言っているが、これは正しくない。この娘は、過去にとある本丸で指揮を取っていた審神者の、生まれ変わりに当たる者である。
そして、同じ時代に、彼女の所有物であった刀も人として転生している、そんな世界の物語だ。
なお、審神者も刀も、転生に際して過去の記憶は全て失っている。
話を戻そう。
審神者は、書棚を悩みに悩んで物色して、一冊の妖怪関連の古書を手に取った。中をパラパラと捲り、おどろおどろしい挿絵にパーッと顔を綻ばせ、続いて挟まっている値札を見て沈み込む。
六万円………。
自分の1ヶ月の生活費と同額…。
こんなの、臓器でも売らなきゃ買えないや…。
泣く泣く本を書架に戻し、別の本を探す。
運良く、江戸時代の妖怪に関して考察した絶版本が手の出る価格で売っていたので、そちらを買うことにした。
「…1980円になります。」
店主に相も変わらぬ無愛想な口調で告げられ、言われた額を支払う。
「…ありがとうございました。」
紙袋に入れた本を渡しながら、ニコリともせず告げる店主に、審神者は微笑んで会釈すると、受け取った本をリュックに仕舞い店を出た。イヤホンを再び着け、再生ボタンを押す。
地を這うような重低音と凶悪なシャウト、嵐のように荒れ狂うギターソロが鼓膜を揺らす。
(ふへへ、やっぱり鋼音はかっこいいなぁ)
ふにゃん、と幸せそうに笑って、審神者はベースラインを辿る。
(はぁ…HIKARIさんのベースライン、えっち過ぎる……癒される…)
唸りを上げる旋律を追いながら、今日はこれを聴きながら買った本を読もうと決意した。
今日はいい日だ♪
帰路につく足取りは浮き足立っていた。
審神者が店を出た後で、三池書店の店主、大典太–三池光世はハーッと大きな溜息を吐いた。
最近、チラホラあの手合いが来る。
映えだかエモだか何だか知らんが、一時期は活字すら碌に読まんような連中が、店内の写真だけ撮って、貴重な売り物の古書を無遠慮にベタベタ触り、何も買わずに帰ってく事がしょっちゅうあった。
見かねて店内撮影禁止にすれば、「古いボロボロの本がめっちゃ高く売ってます。レジの人もタバコ臭くて無愛想なので、BOOK○FF行った方がマシですよ。本当は星1つも付けたくないぐらいです。」と星1レビューを投稿される。
お前みたいなのはBO○KOFFだってお断りだろうよ、FXCK OFF。と心の中で毒付きつつ、タバコ臭くて無愛想なのは事実なので、朝に髭を剃る時、笑顔の練習をしてみた事もあったが、我ながら不気味だったので一回でやめた。
だが、過去に一回SNSで「昭和レトロなエモい古書店」という形でバズってしまった以上、今も時々ああして、ポワポワした何も考えていなさそうな若い女が来る。
その大半は、何も買わずに冷やかすだけ冷やかして帰って行くので、今日のはまだマシな方だが、買われて行った本が辿る末路を考えると胸が痛む。どうせ、今日売ったあの本も、一回も読まれぬまま本棚に仕舞い込まれ、部屋のインテリアの一部として朽ちて行くんだろうな…。
フーッと再び溜息を吐き、煙草を吸いに席を立った。
部屋に帰り、審神者はリュックから先程買った本を取り出した。
紙袋を開ければ、あの古書店の店内で嗅いだ香りが微かに漂ってきてテンションが上がる。
スマホで、最推しの和風メロデスバンド「重金属凶奏隊 鋼音-HAGANE-」の妖怪をテーマにしたコンセプトアルバムを流し、準備は万全だ。
本を開き、冒頭から読み進めていく。
黄色く変色した紙の上に踊る、僅かに文字の凹凸が感じられる印刷。現在では使われそうにない例えや、所々残る戦前の漢字、古びた言い回しが最高に心地良い。
耳元でうねる、最推しバンドの最推しメンバーHIKARIのベースが、妖怪と、古書そのものの持つドロドロとした世界とマッチして、最高に贅沢な時間を過ごしていると思った。
1800円+税でこれが手に入るなんて、安い。
寝食も忘れ本に没頭し、読了したのは深夜の1時過ぎだった。
「最っっっ高…」
読み終えた本を座卓に置いて、満足感の中大の字になって床に敷いた白いラグの上寝転がる。
また絶対あの本屋に行こうと思った。
しばらく寝転がっていたまま満足感に浸っていた審神者だが、おもむろにシャワーと歯磨きのため起き上がる。
寝る準備を終えた審神者は、壁の額縁に入れた鋼音のポスターに「おやすみ、HIKARIさん♡」と甘い声をかけると、ベッドに潜り込んだ。
あれから丁度一週間後、木曜日の午後3時。
店の裏にある庭で煙草を吸っていた大典太は、来客のチャイムが鳴ったので、慌てて火を消し店台に戻った。
「いらっしゃいませ。」
いつも通り、無愛想に声をかける。
来店したのは、ポワポワした学生風の女。ゆるく巻いた栗毛のボブに、肉付きの良い体型、パステルカラーでまとめられたファッションと、白い合皮のリュック。あの時の映え女か!意外な気持ちになる。
ああいった手合いは、一回来て、場合によっては申し訳程度に店で一番安い本を買って、二度と来ないのが普通だからだ。
いや、一回だけ、購入した本に虫の死骸が挟まっていた。気持ち悪いから返金してくれと再来した女はいたが、それくらいだ。
まさか、あれと同じ類か?と一瞬疑ったが、女は熱心な様子で書架をじっくりと眺め、本を丁寧に取り出し、パラパラと捲っては戻す、という事を繰り返している。
一冊の本を手に取り、捲った時に、女の表情に電球が灯った。口角を上げ、目を見開きながら本文を流し読みしている。そして最後に値段を見て、うわぁ、という顔になり、戻した。他の所をウロウロと見て、いくつか本を手に取るが、また先程の本の所に戻って流し読みし、値段を見て頭を抱え、戻す。
何度かそれを繰り返した後、深い溜息をついて女は帰っていった。
いくらぐらいの本なのか気になって値段を見れば1万円強。確かに学生にはキツい値段か、と思いつつ、こちらも商売なので値段を下げる訳にはいかない。
ただでさえ来客は少なく、経営は苦しいのだ。
この本は、この値段を支払ってでも購入したい人間の手にしか渡さない。それが、あの女でなければそこまでの話。売り物とはそういうものだ。
そんな事を考えながら、本を書架の同じ場所に戻した。
季節は、春から初夏へと変わっていた。
あの、妖怪関連の書籍を熱心に眺めていた女の存在も、既に記憶の片隅に追いやられようとしている。
そんな木曜の午後3時、不安げな表情で店を訪ねてきたのは、あの女だった。
恐る恐る、といった調子で以前熱心に見ていた棚に行き、お目当ての物を見つけて心底安心したように破顔する。
ついでに他の本も何点か物色し、最終的に二冊の本を大切そうに抱え、どこか勇ましい表情で店台に運んできた。
本のタイトルを確認すれば、いずれも妖怪について考察された名著だ。そういえばこの女、最初に買って行った本も妖怪関連だった気がする。
「1万5800円になります。」
1万6千円を受け取り、200円を返す。
本を包んで渡してやると、
「ありがとうございますっ!」
女は満面の笑みでそう言ってきた。
その、あまりに嬉しそうな様子に思わず、
「妖怪、好きなのか」
という問いかけが口をつく。実は自分も、大学院でその辺を研究していたので、親近感が沸いたのだ。
女は、置物のような店主が、突然いつもと違う事を言い出したので一瞬戸惑ったようだったが、
「そうなんですよぉ〜!」
と満面の笑みのまま答えた。
弾む足取りで店を出ていく女に「ありがとうございました。」と普段より幾分柔らかい口調で声を掛ければ、女はニッコリ微笑んで会釈した。
去っていく女の背を見届けた大典太は、店の前に「準備中」の札を出してシャッターを下ろす。
店に戻り、二階の居住スペースにある自室に上った大典太は、タンスを開け、和装から細身のデニムとVネックのリブシャツという装いに着替えた。タンスの脇に置かれた弦楽器用のソフトケースを担ぎ、一階に降りる。そして、下駄箱の上に置いてあったサングラスとマスクで顔を隠し、裏口から店を出た。
電車で向かった先は音楽スタジオである。
「おっ、兄弟!今日は早いんだな!」
中には既に兄弟-ソハヤがいて、ドラムスティックの準備をしている。
ちなみにソハヤは本名だ。ソハヤは産まれた時、かなり早期の未熟児だった。産まれたのがエイプリルフールだったのも災いし、誕生の報を聞いた父は、第一声として「『そ』れは『早』すぎるだろう!」というツッコミを入れてしまう。後に、本当に子が産まれたのだと分かると「『先んずれば即ち人を制す』とも言うしな……。早いのはいい事だ。ハハハ!」と、自らの発言を正当化し、「『生』きてるだけで『丸』儲け」と同様の理論で「ソハヤ」と名付けたのである。なお、大典太とソハヤは、大典太の方が兄に当たる年子だが、このような理由で学年は同じだ。
高校時代サッカーで鍛えた脚で繰り出されるツーバスは、彼の名前の通り、誰も追い付けない速さを誇る。
今日も、調子良さそうにドコドコドコドコと安定したリズムを刻むソハヤに、
「今日もいい感じだな、『SONIC』」
マスクとサングラスを外しつつ、口の端を上げながら声をかければ、
「『HIKARIさん』も早く指慣らし始めちまえよ」
兄弟は、ニッと歯を見せて笑った。
大典太が指慣らしを始めた頃、
「お待たせしました。」
「今日は遅刻せず来てやったぜ。感謝しろよ。」
他のバンドメンバーもスタジオに到着する。
「おっ、『LICKA様』と『HIROくん』のお出ましか!」
軽口を叩きながらツーバスの脚を止め、入口が閉まるのを待つソハヤ。
「…これは、そういう流れなのでしょうか?」
「おれはHIROの方が呼ばれ慣れてるけどな。」
困惑するLICKA-江雪左文字と、ドヤ顔で返すHIRO-肥前忠広。
「重金属凶奏隊 鋼音-HAGANE-」の集合である。
江雪は、まるで仏具を扱うような、澱みない洗練された所作でギターを取り出しアンプに繋ぐと、指慣らしとは思えないような華麗なフレーズを高速で弾き始める。
肥前は、金柑のど飴を口に放り込み、楽器隊の指慣らしが終わるのを待つ。
指慣らしが一通り終わった所でソハヤが、
「そろそろ「銀怪」演ろうぜ。」
新曲の名を告げてきた。
メンバーは各々手を止め頷く。パイプ椅子に座って他のメンバーの様子を見ていた肥前も、腰を上げる。
ソハヤがスティックを叩いて4つカウントし、次の瞬間、ズン!と言う重い音が部屋を揺らした。
「ンンンンン〜〜〜〜〜!!!神曲!神曲だわこれぇ〜!!!!!!!」
審神者は、鋼音の公式SNSにUPされた、新曲の練習風景が撮影された30秒ほどの動画を、狂ったようにリピート再生していた。
「早く全部聞きたい〜〜〜!ンヒィ〜!神曲ゥ〜!!!」
ベッドの上でゴロンゴロン転がりながら、「もう一度見る」ボタンを鬼連打する審神者。
聞かなくても、30秒の旋律が脳内で無限ループするようになった後は、HIKARIの手元が映し出される場面で一時停止し、まじまじと観察する。
「あぁぁぁぁ〜、この、細身に見えてゴリラな腕!繊細かと思いきや全然そんな事ないゴッツい手!最高!最高すぎる!ベースになりたい!ベースお前ちょっとそこ代われっ!」
とゴロンゴロンした後、ハッとなって、
「…でも、ベースがなければ、HIKARIさんのあの美しい旋律が聴けない…!」
と真顔になる。
「うっ、うわぁぁぁぁぁ〜!ベース様すみませんでしたぁ〜!ごめんなさい〜!謝るのでHIKARIさんの成分が染み込んだネックをぺろぺろさせて下さい〜!うわぁ〜!」
大変気持ち悪い事を言っているが、言っている本人すら訳が分かっていないのである。現在の彼女の知能指数は、3だ。
「ハァッ、ハァッ、最…最っ高だった。あまりにも尊い。尊すぎるッ!これ以上はまずい、これ以上は、推しの過剰摂取で死に至る…。」
そんな事を言いながら、ベッドの枕元に這いずって行き、省電力モードになったスマホを充電ケーブルに繋げる。
「あ〜、勉強しよ…」
スマホの充電がなくなり、少し冷静さを取り戻した審神者は、リュックから不承不承に専門科目の教科書を引っ張り出す。
これが終わったら今日買った本!これが終わったら今日買った本!と自分に発破をかけつつ、習った専門用語の暗記を始めた。
一週間後、また同じ時間に審神者は三池書店を訪れた。
聞き慣れた、念仏のような「いらっしゃいませ。」でワクワクのスイッチがONになる。
いつもの通り妖怪関連の棚へ行き、新しい本が来ていないかチェックするが、新しいものは来ていないようだった。
流石に一週間そこそこじゃ新しい商品なんて来ないよね…。このお店、来客も少なそうだし…。
諦めて帰ろうとすると、
「妖怪関連の本なら、昨日入荷してまだ卸してないのがあるぞ。」
と、ハシビロコウの擬人化みたいな店主から声がかかった。
「値段は高いかも知れんが、見ていくだけならタダだ。」
審神者は、その言葉にパッと目を輝かせ、
「ありがとうございます!」
店台の方へと歩み寄った。
見せられたのは、和綴の妖怪図画。
「うわぁ〜!すごい!」
パラリ、パラリと丁寧にページを捲り、唾が飛ばないようハンカチで口を押さえながら感嘆の声を上げる審神者に、
「学生か?」
と尋ねる大典太。
「はい、そうです。」
ハンカチを口から外し、大典太に向き直って審神者は答える。
「K大か?」
と続け様に尋ねると、審神者は肯定した。
「よく分かりましたね。」
「俺もそこの出身だからな。」
と答える大典太。
ヘぇ〜と頷く審神者。
「あんたも、文学部の民俗学ゼミか?」
と尋ねられ、初めて審神者は否定する。
「私は、生物学部です。あと、まだ2年なのでゼミ配属はされてません。」
社会科が壊滅的にダメだったので、文系には行けなかった旨を説明する。
「私、妖怪の中には絶滅生物も含まれていると思うんですよね。」
審神者は続けた。
「例えば、妖怪『ゆきなめ』は北の方から迷い込んだアザラシですし、カワウソや狸、オオカミなんかも妖怪化だったり、神格化されています。」
妖怪を調べれば、もしかしたら未知の内に絶滅してしまった日本固有種が見つかるかも知れない。見つけてみたい。そんな夢があるのだと審神者は語る。
「でもまぁ、結局の所妖怪が好き、ってのが根元にあるんですけどね。」
テヘヘっ、と審神者は微笑んだ。
「すみません、こんな変な話しちゃって。」
慌てて謝るが、
「いや、あんたは中々面白い事を考えるんだな。」
店主は普段の険しい表情を幾許か緩め、喉を鳴らした。
そこで審神者は初めて、店主が思っていたより若い事に気付く。
和服でローテンションだから、父親と同じくらいのおじさんだとばかり思っていたが、よくよく見ればその年齢は30代前半といったところだろう。
そして意外と、
(かっこいい…)
一瞬見惚れるくらい、かっこよかった。
いや、店主の顔は、一般的に女性受けのする、中性的でキラキラした王子様みたいなタイプでは全くない。むしろ、「魔王」と言う言葉がピッタリ来るような、陰鬱で凶悪で、野生的な顔立ちである。だが、それが良かった。
要は、推しであるHIKARIと同じタイプの顔なのだ。
審神者は、この手の顔に非常に弱い。
店主が想像以上にかっこよく、頬が熱くなりそうだったので、慌てて審神者は本に目線を落とした。
「ち、ちなみにこの本、買うとおいくらぐらいするんですか?」
まだ、どこにも値札は挟まっていない。気になっていた質問を投げかける。
「10万円だ。」
「じゅっ…」
審神者は凍りついた。慌てて本から手を離す。
「いや、いいんだ、読んでやってくれ。」
後ずさった審神者に、大典太は声をかける。
「本は、読まれてこそ意味がある。書架の中朽ちていくよりは、そうやって読まれた方が本も嬉しいだろうさ。」
店主の柔らいだ表情に、再びドキッとした。
本を一通り読み終え、礼を言って店を出ようとすると、普段の機械的な「ありがとうございました。」ではなく、「良ければまた読みに来るといい。」という声がけがあった。
元気良く、ありがとうございますと返事をして、駅に向かう審神者。
夕暮れ空に鳴くカラスの声を聞きながら、あんなにかっこいい人と会話してしまった事に頬が緩んだ。
しかも、また読みに来いとは。
そこでハッとする。
いけないいけない、自分の大本命はHIKARIさんだけだ!
現実世界のかっこいい男性には、大抵裏がある。
それを言ったら、HIKARIさんはバンドマンだから、もっと裏があるかもしれないが、プロ意識の賜物かその辺を一切出してこない。
だからHIKARIさんが好きなのだ。
三池書店の人は、あくまで自分の専門分野に近い所に興味を持っているから優しくしてくれただけ。
可愛くもなければ、体型も太いこんな私が、ときめいていい相手じゃない。
それに、現実世界のかっこいい男性は、基本的にほぼ全員、彼女や奥さんがいるのだ。
あの人だって、30過ぎに見えたし、家に帰れば奥さんや子供がいるに違いない。
改札を抜けながら、ウンウン、と勝手に頷く。周囲から見れば不審だが、審神者は思考に没頭してそんな事には気付いていない。
電車に揺られながら、もしかして、奥さんや彼女がいながら、お客さんの女性に手当たり次第手を出すタイプのお店なんじゃないか、と言う懸念も浮かんでくる。
いや、まさか。
慌てて審神者は、浮かんできた懸念を自意識過剰だと否定した。
そもそも、自分みたいな女性としての魅力がゼロの女に、好き好んで手を出すような男性がこの世に存在するとは思えない。
実際、中学で好きだった人に勇気を出して告白した時は「お前みたいなブス、誰が相手にするかよw」とフラれ、高校で好きになった人には告白するチャンスすら与えられないまま「アイツ、お前みたいなデブに好かれて迷惑だってさw」と友達越しに告げられた。今思えば、どっちも大してカッコ良くなかったのに、この仕打ちだ。
まして、あんなにかっこいい人である。どれだけ仲良くなっても手を出されると言う事は絶対にないだろう。
心のどこかで、逆に安心する。
でも、こんな自他共に認める「デブス」が、あんなにかっこいい人と関わって、本当にいいんだろうか?
審神者は、うーん、と眉間に皺を寄せた。
だけど、あの人、妖怪に関する私の持論を面白そうに聞いてくれたもんね。
と気を取り直す。
実際、大学では同じ漫画が好きだったり、同じドラマを観てる男子は普通に仲良くしてくれる。
大学で学んだのは、好きにさえならなければ、大抵の男性は優しいということ。
これは、お言葉に甘えてしまおう、と思った。
来週もまた、講義が早く終わる木曜になったら、あのお店に行ってみよう。
審神者は、自宅アパートの最寄り駅で降りながら、そう一人ごちる。
紫に染まりつつある空には、一番星が浮かんでいた。