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    I❥Bお誕生日SSまとめ二〇二一年四月八日七月十三日十月一日二〇二二年二月三月四月七月十月
    二〇二一年四月八日 あまり、いい思い出がない。
     例えば、一日待っても帰ってこなかった。
     例えば、一日待って日付が変わるかどうかの時間に、電話のベルが鳴って、一言二言声を交わしただけだった。その翌年、電話の前で一日中待ったが、結局その日はついぞ電話のベルは鳴らなかった。
     代わりに、どこかで買ったのだろうバースデーソングの鳴るポストカードが届いた。次の年は、数日遅れて。それから思い出したかのようにそれは届いた。
     ああそういえば誕生日だったね、おめでとう、リュカ。
     便りに一言書かれていたのを喜んでいたのも馬鹿らしい。たった数分で終わるそれもどんどん短くなって、しまいには日本語で〝たんじょうびおめでとう〟と印刷されたやけにチープな絵柄のカードには、何も書かれなくなっていた。
     それから、しまいには何も、届かなくなった。
     そしてそこで、あの男にとって自分は〝ついで〟なのだと自覚して、それきりだ。
     それきり、好きじゃない日になってしまった。
     
    「なんで言ってくれなかったんだい?」
     サプライズどころかまともに祝う準備もさせてくれないだなんて。
    「必要ない。それにサプライズは嫌いだ」
    「分かった、でも教えてくれなかった事に関してはオレは抗議するよ」
    「何故だ」
     この国に来るまで、SNSとビデオ通話のやり取りだけだったのが仇になったとノアは四月に入って早々思い知った。インターネットでは、自分のパーソナルな部分を隠すことが出来る。自分達が知り合ったSNSでも例に漏れず、出身地や性別、誕生日の情報を任意で隠すことが出来た。本名だってそうだ。最初から全てがオープンなわけではない。
     リュカのプロフィール画面を思い出す。ハンドルネーム、出身国、ベース弾き、趣味は作曲。簡潔に書かれたそこには確かに、誕生日は書かれていなかった。レオンはあんなに、自分から祝ってくれと一日に何回言ったことか。名前の横にも誕生日ケーキの絵文字をつけていた記憶がある。
    「……悪かった。確かにアイドル活動には大事な事だ」
     祝われる為にな。オレの誕生日は四月八日だ。
     リュカの淡々とした声に、返す言葉すら無くしてノアがくしゃりと髪の毛を撫でる。それからちらりとカレンダーを見て、息を吐いた。
     四月八日は、昨日のことである。


     
    「というわけで」
     いつもの席でノアが微笑む。いや微笑んではいるが目が笑っていない。
     ごくり、と朝陽が喉を鳴らずまでが最早様式美だ。
    「今年は絶対に祝ってみせるよ」
    「ああ、うん、それは賛成。……でもリュカはサプライズが嫌いなんだろ?」
     宣戦布告と勘違いしそうな程に堂々としたノアの言葉に同意を示しながらラビが釘を刺す。祝うとはいえ、流石に嫌な事をしてしまえばそれは祝福ではなく、押しつけだ。
    「そう、だからオレ達はサプライズをしない」
    「え、めちゃくちゃ難しくね?てかそれならリュカも一緒に会議したらいいじゃん。プレゼントは何がいいって」
    「リュカがそれに乗ると思う?」
    「思わない」
     逆に聞き返されたレオンが首を横に振る。この一年で彼が随分柔らかくなったとはいえ、あの性格ではまず無理な話だろう。じゃあ、どうすれば? と朝陽が首を傾げる。
    「まずは……外堀を埋めないといけないな」
     形の良い唇が孤を描いて、その手はスマホを握っている。何をするつもりなんだ? と三人が首を傾げる横で、軽やかに画面を指で叩く。暫くすればポコン、と通知音がそれぞれのスマホから鳴った。
     全てのアイチュウが参加しているグループの欄に未読の数字が浮かんでいる。最初は1だったそれが瞬く間に増えていくのをレオンが訝しげに眺めて、そこを開く。
     
     ――そういえばもうすぐリュカの誕生日だね。今年こそはパーティをしたいな。
     ――そうなのか!? いつだ?
     
    「こういうのなんだっけ、誤爆って言うんだよね」
     楽しそうでなにより、という言葉がラビの脳裏によぎり、呆れた顔でレオンがノアを凝視する。朝陽はぽかんと口を開いて画面を見つめていた。
     頭上で乱暴な音がして、やけに大きな音が階段から響いてくる。
    「おい! どういうことだ」
    「ああ、丁度いいところに来たね。座って、相談したいことがあるんだ。レオン、お茶を淹れてよ」
     にっこりと笑いながらノアがレオンに命じる。困惑と怒りがない交ぜになったリュカの表情をテラコッタの瞳が見据えて、そっと首を傾げた。
    「祝われる為の準備をしなきゃ。ね、リュカ」



     とにかくその日は大変だった。まず起きて一階に下りると珍しいことに全員が揃っていて、リュカは驚いた。おはようございます、あの、誕生日おめでとうございます! といの一番に声をかけてきたのは朝陽で、それから次々におめでとうと口にされて、どう答えればいいか分からない。
    「さて、今日も頑張ろう」
     そんなリュカをよそに溌剌とした声でノアが手を叩く。そこからはいつも通り、朝食を食べ、予定を確認し、各々準備にとりかかる。いつも通りの、朝だ。
    「ああ。リュカ」
     はい、これ。誕生日プレゼント一つ目だよ。家を出れば思い出したようにノアが小さな包みを渡してくる。なんだ、と首を傾げれば開けて良いよと言われた。包みを剥がせば、小さなポーチのようなものが入っている。
    「きっと必要になる。例えば……そうだね、荷物が持ちきれなくなった時とか」
     言われた言葉の意味を理解出来ずに、リュカが眉を寄せる。とうの本人は穏やかな顔で、すっかり春だねと金髪を風に預けていた。
     
    「リュカ、誕生日なんだろ? おめでとうのハグだ!」
     教室についた途端、愛童星夜にハグをされた。まさか自分が標的になろうとは思ってもいなかったので、なすがままだ。奏多と晃もおめでとうと言ってきて、それぞれプレゼントを渡してきた。ポップコーンの素、いつか奏多に内容を聞いた事のある本、コーヒー。
    「……すまない、気を遣わせた」
     ノアがあんなことを言ったから、とリュカが謝罪すれば三人がきょとんと目を見開く。
    「ノアって何か悪いこと言ったか?」
    「ううん、リュカくんが今日誕生日だってことは教えてくれたけど」
    「そうだね……寧ろ教えてくれたことがありがたいかな」
     気を遣うだなんて。と言いたげなF∞Fの三人に片眉を上げる。三人とも建前ではないらしいのもやはり困惑してしまう自分がいた。
     よい誕生日を、と三人に言われて曖昧に頷く。その瞬間背後からどん、と押されて危うく声をあげそうになった。
     
     それから誰かと顔を合わせるごとに誕生日おめでとう、と声をかけられた。今までで一番祝われた日だと断言できる。全て授業が終わって持ちきれないほどのプレゼントに困惑していると、やっと登校してきたらしい虎彦と鉢合わせした。おう、誕生日おめでとうだな! と牙のような歯を見せながら笑う虎彦が差し出してきたのは、ラッピングのされていない絵本だった。
    「……Merci」
    「De rien」
     流暢な母国語で返されて軽く面食らいながら、絵本に目を落とす。タイガーキッズの絵本で、見たことの無いものだった。
    「それじゃちょっくら行ってくる!」
    「は? ここに用事じゃなかったのか」
    「ああ、用事なら済んだ!」
     お前に、と虎彦が笑う。また土産持ってくるからな! と手を振って教室を出て行く虎彦をぽかんと見送って、それから、どうするか思案する。
     ――荷物が持ちきれなくなった時とか。
     朝のノアの言葉がよぎる。それからやられた、と頭を抱えた。そういうことかと朝に貰ったポーチを開ける。
     青いマルシェバッグが、出てきた。 



     おーい、と手を振られた。
    「ラビ」
     何してるんだと聞けば、帰ってるとこだけどと笑われる。言いたいのはそうじゃない、先に帰ったんじゃなかったのかと聞いていると言えば、買い出しだよとラビが笑う。その右手には買い物袋がぶら下がっている。
    「すごい荷物だね、持とうか?」
    「いい」
     短く断ればそう、と上機嫌なラビをちらりと見る。嬉しさを隠さない仲間に、眉を寄せた。
    「止めてくれなかったのか?」
    「止める必要ないだろ。というか止める前にノアがやったんだよ、あれは」
    「おかげで落ち着かなかった」
    「わかるよ」
     オレも去年そうだった。あんなに大勢に祝われたのは初めてだったから。ラビが目を細める。
    「ほら、誕生日って誰もが嬉しい日ってわけじゃないだろ」
    「……」
    「でもまあ……あれだけ沢山の人に祝われたら悪くはないかなぁって。その日が好きじゃない日から、悪くない日になれば上等だと思ったな、オレは」
    「そういうものか」
    「リュカも祝ってくれたじゃないか」
    「あれは」
     あれは、普通の人は誕生日が祝うべき日だからだ。そう言いかけてリュカが口を閉ざす。代わりに小さく息を吐いて、頷いた。
    「必ずしも、絶対幸せでないといけないわけじゃない。誕生日に泣く羽目になる人達なんて沢山居る」
     気負わなくていいよ。ただ祝うのは彼らの勝手だっていうのは覚えておくといいかもね、とラビが呟く。
    「エゴだ」
    「そんなものさ」
     家の灯りが見えてきた。
    「ところでリュカ」
    「なんだ」
     楽しそうなコバルトブルーが見つめてくる。
    「今から少なくとも四人分の我が儘がリュカを待ってるけど」
    「……」
     覚悟してね、とラビが低く笑う。諦めがついたリュカが頷いたのを見て、玄関の扉を開けた。
     温かい匂いと、賑やかな音に包まれる。確かに、悪くないなとリュカは一歩踏み出した。
    七月十三日 魔法使いが水色のヘリコプターでやってきて、ただで映画を見せてくれたり五百本のアイスクリームをプレゼントされたり、というわけではないけれど、その日は一年に一度だけ。
     
     学校でクラスメイトにクッキーを配って、おめでとうと口々に祝われながら家に帰れば母と姉が待っていた。温かな食卓と、祝いの言葉。本屋で見かけて欲しいなと零していた魔法使いの少年の話、その翻訳本が素朴なラッピングと共に手元にやってきた時はずっしりとした重さに驚いたし、その日は少し遅くまで起きることが許されたからリビングでそれを読んだ。いつまで経っても開く音がしない扉をたまに気にしながら、父さんはイルクーツクを守ってるからしょうがないんだ、この本に出てくる悪い人達をやっつける人達みたいにだなんて、言い聞かせていた頃もあったのだ。
     それもいつしか、祝われることも気恥ずかしくなり、父が正しいことをしていると思い込むなんて馬鹿馬鹿しい、あいつは家族を大事にしないクソ野郎だと軽蔑するようになった。学校でクッキーを配らなくなったし(そもそも、札付きの不良からクッキーを貰っても嬉しくともなんともないだろう。小さな頃にクッキーを渡していたクラスメイトもすっかり自分を遠巻きに見るようになっていた)姉から今日だけは喧嘩しちゃ駄目よ、母さんとリリヤと待っているからねと釘を刺されて、渋々頷いたものの結局、溜まり場にも行けずイルクーツクの通りをふらふらと歩いて行く人々を眺めて時間を潰さざるをえなくなった。
     あのガルモーシカを奏でるワニのように浮かれはしなかったし、その頃から自分の誕生日が少し豪勢な食事が出る一年に一度の日という認識でしかなくなったと、思う。……自分の見た目が大人に見られがちになったのも、一因だったのかもしれない。
     
    「ラビ、今年は忘れちゃ駄目だからな!」
    「え?」
     七月の初めごろ、真剣な顔をしながら釘を刺してきたレオンに、ラビが首を傾げる。何か予定でもあっただろうか、頭の中でスケジュールを思い出してみるものの、思い当たらない。
    「え? じゃなくて! 七月十三日、誕生日だろ!」
     自分の生まれた日ぐらい覚えておけよな! と誕生日を忘れられた本人のように頬を膨らませるレオンに、ああ! と思い出して苦笑いする。そうだった、もう七月だもんなと頷いて、それから。
    「今年はサプライズじゃないのかい?」
    「サプライズをしてもラビが忘れてて不発になったのもう忘れた?」
    「あはは……本当に悪かったよ」
     呆れた声で睨むレオンに片手を軽くあげながら、もう忘れないよと頷く。絶対だからな、と念を押しながら去って行くレオンの背中を見つめるラビの中で、軽いくすぐったさがこみ上げてきた。
     
     当日。
     セバスチャンが腕によりをかけて作ってくれたボルシチは本当においしかった。それとペリメニやカツレツ、もちろんピロシキも。ダイニングに故郷の匂いが満ちたのに、ラビの胸が幸せとほんの僅かな郷愁の思いでいっぱいになる。五人でそれをたいらげて、それから今朝方、微笑むノアに手渡されたグレーのマルシェバッグ(しろくまのポーチ付きだ)がパンパンに膨れ上がるほど貰った、皆からのプレゼントと、バースデーソングと共に、四人から贈られたプレゼントを開けた。地下スタジオで、皆でメタルを弾いてみたいと強請ってみれば皆以外と乗り気で、流石にシャウトはしなかったけれどいつもと違う爆音の中、とにかく、はしゃいだ。少し夜更かしをしたけれど、また明日ねと各々が幸せそうに自室に入っていって、七月十三日は終わりを迎えた。



     ラビは、中庭にいた。
     はしゃいでいた余韻がまだ残っているというわけでなく、少し気になったことがあって寝付けなかったのだ。夏特有の湿気が籠もった温い空気を肌で感じながらガーデンチェアに腰掛けて、手入れの行き届いた庭を眺めている。それからふと夜空を見上げれば、ぽつぽつとしか見えない星に目を細めていた。パーティーの終えたシェアハウスはどこも明かりが消えて静かに眠っている。きっとノアもレオンもリュカも朝陽も、今夜の幸せを抱きながら眠りについているだろう。
     ゆっくりと瞬きをして、思案顔でラビは黙りこくっていた。それから僅かに口を開く。
    「いつかは同じ歳になるんだろうけど、その時……オレはどうしているんだろうな」
     独り言のような、問いかけだった。答えるひともいない自問自答のような、しかし確かに、彼に向けた問いかけだった。あの時のように凍てつく寒さでもないし、風もなく花束も揺れて答えることはないけれども。どうしようもなく、聞きたくなってしまった。
    「あいつらと世界を飛び回ってるかもしれない、もしかするとどこかで、別れがやってきてオレもドラムを……それはないな、ドラムはやってると思う、うん」
     分からないな、先の事なんて。自分の手のひらを見つめてみる。所々硬いマメがある、骨張った手。人を殴るしか出来なかった手が今やドラムスティックを握って、意識したことも無い東の国で仲間と音を奏でている。それはラビにとって数奇な運命だったし、他人からしても不思議な話だねと言われるに違いない。ただしそれは、まだラビ自身の胸にしまったままの話だった。
     彼の年齢に近付いて、だからなんのことはないというのは理解している。しかし七月十三日が自分の誕生日であると気がついて、自分の年齢がひとつまた積み重なった事を自覚すると、どうしても脳裏によぎってしまう。またひとつ、彼に追いつきそうだ。
     まだずいぶん先だろ、ガキが何生意気言ってるんだよ。
     彼はきっとそう笑うだろう。少年、今を生きるべきだぜだなんてあのへらへらとした笑顔で、ばしんと自分の背中を力強く叩くのだ。些細なことで立ち止まりそうになりがちな自分の背中を押すように。
    「でも日本に来てから……全部があっという間なんだよ。去年は自分の誕生日を忘れていて、レオンに怒られたな。自分の生まれた日だろ! って。今年もレオンが教えてくれて、もう七月で慌てちゃった。クッキーも久しぶりに作って……朝陽にも手伝ってもらった。ノアは用意周到でね、あのエコパックは人数分あるんだろうな。リュカは張り切っていた。きっと自分の誕生日が楽しかったから……キッチンには入れてなかったけど。レオンはセンスがいいんだ。プレゼント……すごく考えて選んでくれたんだよ」
     だからきっと、すぐだよ。来年も。その次も。
     ラビが肩を揺らして笑う。目を瞑り、息を吐く。返ってくる言葉はない。返ってきたとしたら、それは大事だ。ノアには絶対に言えないし、もし万が一、彼が目の前に姿を見せたなら一ヶ月早いんだよと笑い飛ばして門前払いしなければならない。それにそんなにあっさりと言葉を返されても、反応に困って、今度は悪態しかつけなくなるだろう。
    「…………見ててくれるかい」
     あの世でも草葉の陰でも、どこでもいいから。目の前にケーキや蝋燭はないけれど、願わずにはいられない。目の奥が熱くなって、ああまずいなと軽く俯いた。相変わらず空気はねっとりとしていて、いよいよ蒸し暑い夏がやってくるのだろうと、予感した。夏は苦手だ。暑いし、故郷の寒さが、凍ったバイカル湖が恋しくなる。愛おしい凍てついた景色、あの氷の音。氷の音を思い出すたびに浮かぶ、彼の姿。人はそれを郷愁と呼ぶのだろう。
     しん、と中庭が静まりかえる。ガーデンチェアに座る少年の影はじっと、動かない。
     時折吹く微かな風だけが、長い髪を揺らしている。
    「明日も学校なんだ。そろそろ寝ないと本当に起きられなくなっちゃう。誕生日の翌日にノアに叱られたくはないからね」
     もう一度、空を見上げる。きゅ、と胸が締め付けられて、すぐに視線を落とした。
    「…………おやすみ」
     静かに立ち上がり柔らかな笑みを浮かべたラビの低く、穏やかな声が夜のとばりに吸い込まれていく。
    十月一日 その日のことを、黎朝陽はしっかりと覚えている。何故なら彼が一週間前からまるで新年までのカウントダウンのように毎日言っていたからだ。
     
     ――レオンくんの誕生日まであと一週間!

     ――あと三日だぜ! 当日は配信やっちゃおうかな!

     ――皆忘れてないよな? 明日はオレの誕生日だぜ! 皆祝ってくれよなー!

     思わず苦笑いしてしまうぐらいにモニター向こうの友人は、自分の生まれた日を主張していた。勿論いつもの仲間も、彼の配信でたびたびコメントを残しているのを見かける名前も、通りすがりらしき誰かも、十月一日の零時、彼のフォーラムには沢山のHappy Birthdayが書き込まれたのだった。
     今になってようやく朝陽はあのカウントダウンをしていたレオンの、意図のようなものを察したのだった。全てではなくとも、彼が意識的でなくとも。
     そんなわけでレオンには元からサプライズだなんて不要なのだ。彼が求めているのは、彼にはほど遠い言葉に思える〝根拠〟だった。

    「マジで悩むなぁ……」
     彼のお気に入りだという古着屋で、朝陽は服を両手に悩むレオンを眺めている。右手にカーキ色のミリタリージャケット、左手にトレーナーと、深まる秋に向けて何か一着を手に入れたいらしいレオンはハンガーラックにところせましと並んでいる古着を物色していた。小一時間悩んだ末にようやく二つに絞れたのだがこれだと決めるあと一押しが足らないらしい。朝陽もここにくるまで自信がないなりに少しずつ口を挟んでみたものの、最終的に決めるのはレオンだからと消極的だった。
     鏡の前で左、右と見比べて暫くしてからレオンがよし、と決意したように頷く。そして真剣な顔で朝陽の方を向き直ったものだから、朝陽も驚いて肩を跳ねさせた。
    「……レオン?」
    「朝陽、頼む」
     どっちか決めて、と重大な選択を迫るかの如くレオンがずい、と両手に持った服を差し出す。琥珀色の瞳をまんまるにしながら朝陽が首を傾げる。
    「え、あの、レオンが着るんですよね……?」
    「うん」
    「……オレが決めてもいいものなのでしょうか?」
    「こういうのは自分じゃない誰かに決めてもらうのがいいんだって~! な、お願い!」
     マジで頼む! とずずっと更に差し出されて、朝陽が思わず頷く。差し出された二着を交互に見て、うーんと唸り、そしてこっち、とトレーナーを指さした。その瞬間レオンのぱっと明るくなってだよな、とうんうんと満足げに頷いたのだ。
    「だよな! オレもそっちだなぁって思ってた!」
    「そうなんですか……?」
    「マジマジ! 朝陽も同じで良かった! そんじゃレジ行ってくる!」
     入り口で待ってて、と意気揚々とレジカウンターに向かうレオンの背中はご機嫌、という言葉が似合っている。それを見送った後で朝陽はほっと胸をなで下ろし、服がひしめく棚をすり抜けながら入り口へ向かった。

     レオンの右手のショッパーが幸せそうに揺れている。我が家に帰れば丁度夕食の時間だろう。レッスンの話や、レオンが雑誌で読んだモテる方法の話を聞きながら、ふと朝陽が思い出したように口を開いた。
    「レオン、バナナケーキとバナナタルト、どっちがいいですか」
    「へ?」
     さっきまで話していた話題から少し離れた問いにレオンは目を丸くする。少し悩むように口をへの字に曲げて、それから口を開いた。
    「バナナケーキ。クリーム多めな気分」
    「伝えておきますね」
     朝陽が頷く。その言葉に何かを察したのか、レオンのベイビーブルーの瞳が一瞬輝いた。
    「え、なに、期待しちゃっていいやつ?」
    「期待しちゃっていいやつ、です」
     そう言ってのければやったー! と道の真ん中で万歳をするレオンにびくりと肩を跳ねさせたが、一瞬のち、二人は互いに笑いあった。
    二〇二二年二月 中庭に面した廊下を歩いていると、みゃおう、と足下で鳴き声がした。
    「ん」
     その声の主は確かこの学園内でよく見かけるネコで、リュカの脚の間をいったりきたり、身体を擦りつけている。
    「どうした、オレは餌なんて持ってないぞ」
     顔を擦りつけてくるネコの愛らしさに思わず笑い、しゃがんでそのふわふわとした毛並みを撫でつけようとする。しかし柔らかな毛並みの獣は、その手をするりと抜け出して、少し離れた場所に行ってしまった。む、と瞬きをして、そちらを見れば尻尾を小さく揺らしてリュカを見つめている。それはこの少年を待っているような視線を向けていた。
    「なんだ?」
     立ち上がり近づけば、ネコは再びリュカから離れては立ち止まる。やはり人間をどこかへ誘うような雰囲気に、リュカは呆然とした。イヌならまだしも、ネコが道案内をすることはあるんだろうか。
    「あおお」
    「わ、わかった、わかった」
     苛立ったような鳴き声に気圧される。中庭を突っ切るように歩いて行くネコについていけば、ぽかぽかとした陽気が背中を撫でた。つい数日前まではこの冬一番の寒さだと言っていたのに、降り注ぐ陽気にはほんの僅かに、春の気配が滲んでいる。
    「一体どこに連れて行く気なんだ、お前」
     呆れたように前を歩くネコに問いかけても、当のネコは尻尾をゆらゆら、軽やかな足取りで歩いて行く。しかし不意に走り出したかと思えば、ひょい、と視線の先のベンチ、その背もたれの向こうへ消えてしまった。なんだんだ、と小さく悪態をつきながら、ベンチに近寄る。これでベンチの上に置かれているものが、用務員が置いているエサ用の皿ならばどうしようか、そんな考えが浮かんだ。しかし、背もたれの向こうにいたのは、空になった皿ではなく、つい先ほどまで探していた仲間だったのだ。
    「な……朝陽」
     ベンチに横たわり、すうすうと寝息を立てている仲間を見つけてリュカが間の抜けた声を出す。正確には眠っている朝陽と、ネコが数匹。リュカをここにつれてきたネコも、仕事を終えたと言いたげにベンチの前で座っていた。その他は朝陽の頭の傍や、足下で丸まっていたり、朝陽の身体を踏まないように歩いたりしている。そんな彼らにお構いなしに、朝陽は腕に何かを抱きしめながらぐっすりと眠っていた。暫く呆気にとられ、呆然とその光景をカーマインの瞳で眺めていたが、やがてぴゅう、と冷たい風が一陣吹いて、はっと我に返った。
    「おい、朝陽。風邪を引く……起きろ」
    「んん……」
     ベンチの前に回り、朝陽の肩を揺する。彼と一緒に気持ちよさそうに丸まり、眠っていた一匹のネコが先に起きて、不満げにそこから降りた。ゆるゆると揺すれば、のろり、瞼がゆっくりと開いた。
    「……リュカ?」
     寝ぼけた声を返してくる朝陽にああ、と答える。緩慢な動きで起き上がった少年の傍らにいたネコはすべてベンチから降りてどこかへ行ってしまった。琥珀色の目はまだ覚醒しきれていないらしく、彼らが走り去る様子をぼんやりと見つめている。しかし、思い出したように、くしゅん、とくしゃみをしたのを見て、リュカは大きなため息を吐いた。
    「まったく……」
    「す、すみません……」
     ベンチに座り直し、しょぼくれる少年の隣に座る。気がついたら寝ちゃっていて、と気恥ずかしそうに頬をかく朝陽はどこか幸せそうだ。
    「しかし、どうしてこんな所にいたんだ?」
     今日は暖かいとはいえ、まだ二月の後半に差し掛かった頃だ。好きこのんで外に出る人間は稀だろう。自他共に認める朝陽ならば、なおさら。
    「え、えっと……お手紙を……読んでて」
     胸に抱えていた紙袋をのぞき込み、ネコや風が持って行ってしまっていないかを確認して、朝陽はほうっと息を吐いた。先ほどよりも少し冷えた空気のせいか、僅かにその唇から白い靄が溢れている。
    「手紙」
    「はい、お誕生日のお祝い、です……ファンの方から」
     恐らくは遠方のファンからのものだろう。I❥Bは元々海外からのファンも少なからずいて、時折、こういった各メンバーの誕生日やイベントの前後は遠くの地からファンレターやプレゼントが届いていた。
    「プレゼントも届いていたんですが、色々チェックしないといけないらしくて……とりあえず手紙だけでも、と先生さんが渡してくれたんです」
    「なるほど……それをここで読んでいたというわけか」
     我慢が出来なくて、と朝陽が苦笑いする。再び紙袋を胸に寄せれば、かさり、と乾いた音がした。ライラック色の三つ編みが幸せそうに、揺れている。
    「だがこんな時期に外で居眠りなんて感心しない」
    「う……すみません」
     リュカの少し怒った声に、びくりと肩を跳ねさせて眉を下げる。ごもっともです、とやはり落ち込んでしまった。
    「お前を見つけたのがノアじゃなくてよかった。あいつなら問答無用で説教だぞ」
    「……あ、う、はい……」
     みるみるうちに声色に元気がなくなっていく朝陽を見遣り、ゆるく首を振る。とにかく、と立ち上がって朝陽を見下ろした。
    「中に入るぞ。ユニットルームなら暖かいだろう」
    「……リュカ、怒っていますか」
     僅かに怯えた声で朝陽が問いかける。暫くじっと、同い年である筈の少年を見下ろして、今度ははっきりと首を振った。
    「怒ってない。ただお前の身体を冷やしたくないだけだ。週末にはイベントライブもあるし、それに誕生日間際に風邪をひくなんて、嫌だろう?」
    「すみません……」
    「それにお前のトモダチが迎えに来いと言ったんだ。ほら、行くぞ……さっきまで暖かかったのに、冷えてきたな……」
     再び吹いてきた冷たい風にぶるりと震えるリュカを見て、慌てて朝陽が頷く。中庭を突っ切るように二人は歩いて、暖かな部屋を目指す。
    「リュカ、ありがとうございます」
    「……De rien」
     二人が去ったベンチの上で、あのふわふわとしたネコが伸びをし、丸くなった。
    三月「嬉しいな」
     不意に投げかけられた柔らかな声に顔を上げる。そこには同居人が湯気をたたせたマグカップを持ち、微笑みながらその深いコバルトブルーの眼差しをこちらに向けていた。
    「何がだい」
     嬉しい、という言葉が何にかかったのかいまいち理解出来ずにノアは首を傾げる。す、とがっしりとした指がそれ、と手元の万年筆を指さす。それは彼、ラビがノアに誕生日プレゼントとして渡したものだった。ああ、と納得がいったノアがそれを見つめ、頷く。
    「とても書きやすいよ。重宝してる」
    「そうか、よかった」
     座ってもいい? と問われてどうぞ、と応える。静かに椅子が引かれ、ことりとマグカップはテーブルに置かれる。彼自体は読書をしようとこのリビングに来たらしくブックカバーにくるまれた文庫本、栞を挟まれたページを開いてそちらに視線を落とした。
     静かだった。三十分ほど前からノアはここで手紙をしたためていたがテレビはつけずにいた。ラビがそれの電源をつけても問題はなかったもののどうやら彼もこの静寂をよしとしたらしくそのまま、読書に耽っている。筆記具を持ち直してテーブルの上の便せんに向き直った。
     秒針の音と、さりさりとペン先が便せんの上を滑る音だけが二人の間に流れる。書いている手紙は故郷の家族に宛てたもので、つい数日前にやってきた誕生日プレゼントの礼だった。おそらくこれが向こうに届くのは随分経ってからで、Eメールの方が圧倒的に早く伝わるのは承知の上だがそれを送った上でノアは、手紙を書いている。
    「手紙?」
    「ああ、故郷にね」
     ラビの問いかけに答えながら、目の前のそれに言葉を乗せていく。プレゼントのお礼、近況、綴るべきものはたくさんある。時折、目の前にある便せんのストックで足りるだろうかと思うほどだ。
    「メールや通話もいいんだけど、昔からそうなんだ。手紙に親しみがあって」
    「そうなんだ?」
     意外そうなラビの声に、顔を上げて笑みを浮かべる。向こうにいたときは日本によく手紙を送っていたんだよと言うノアに、ああ、と合点がいったかのようにラビが頷いた。
    「彼はすぐ返事をくれたんだ。それでも子どものオレにとっては、ひどく待ち遠しかったけど」
     懐かしげに呟いた後、書き終えたのだろう、ノアが万年筆を置く。乾ききらないインクが、照明に照らされて、母国語で綴られた言葉は濡れた輝きを放っていた。書き上げた便せんの数枚を傍らに置いて、さて、と冷めた紅茶を一口飲む。
    「もうひとつ、書かないと」
    「誰に?」
     ファンにだよ。直筆のメッセージをオンスタに上げようと思って。何を書こうか、と考え出したリーダーを眺めながら、ラビも一口コーヒーを飲んだ。彼のこういったまめさも、ファンをひきつける魅力のひとつなのだとつくづく感じる。
    「ラビならなんて書く?」
    「オレ? うーん、そうだなあ」
     唐突に問いを投げかけられて、少し驚きながら瞬きをする。改めて言われてみれば、この場合における感謝の言葉として何が最適なのか、迷う。
    「オレはどうしてもシンプルになっちゃうかも。いつも応援ありがとう。これからもよろしくね、とかさ」
    「いいね」
    「本を読んでいるとさ、色んな言い回しがあるなぁって驚くんだけどいざ使うってなるとハードル高いよなぁって、だから毎回悩むよ」
    「ああ……」
     分かるよ、とノアが頷く。メッセージを書く手を止めて、ラビの言葉を聞く姿勢になっていた。ふと思うことが見当たったのか、ラビが暫く考え込み、口を開く。
    「ノアの歌詞が好きなんだよな」
    「いきなり、何」
     唐突に好意を口にされて、思わず片眉を上げる。そのままの意味だよ、とラビの唇が弧を描いた。
    「真っ直ぐで素直だ」
    「それって素直に受け取っても?」
     もちろんだよとラビが頷き、暫く言葉を探した後、もう一度頷いた。
    「まあお前が素直で真っ直ぐかどうかはともかくとして」
    「ふふっ、どうも、その言葉覚えておくよ」
    「ははっ……あれだな、オレはきっと羨ましいんだよ。真っ直ぐで素直な言葉を使って、誰かの心を勇気づけられるお前が」
     ぽつ、と呟いたラビに、君だって、と言いかける。しかしまだ語りたげな表情を見て、そっと目を伏せた。
    「歌詞を書く時だって凄い悩むし、下手したら結構苦戦するなんてよくある事だろ。響きはいいけどそれがちゃんと正しい……オレたちが伝えたいことなのかとか、そもそも意味を勘違いしている事なんてよくあるし。そういう時にプロデューサーが見てくれて助けてくれるわけだけど」
    「そうそう、星夜が昔教えてくれたことわざが全然的外れで、こっちに来てから分かったなんてザラだからね」
     ノアの少し棘の入った言葉に、自らも心当たりがあるのかラビが苦笑いをする。だからこそ考えるのだ。自分達の母国語ではない言語で、どういった言葉がより伝わるのかを。きっとそれはここにいるノアやラビだけではない、レオンやリュカ、朝陽だってそうだろう。いや、ここで生まれ育った彼らでさえ、ファンに大切な何かを伝える時、考え抜くに違いない。
    「……そういった悩みとか、考えの積み重ねは……いい形できっと伝わる、と思っているよ。それは極論、言葉じゃ無くていいし、それこそオレ達のここにいる理由で伝わるのかもしれない」
    「…………」
     勿論、そうでありたいな。ラビがゆっくりと頷く。飴色の双眸と、コバルトブルーの双眸がかちあって、青が、ゆるりと細まった。
    「日々精進ってわけだ」
    「Of course」
     さて、おしゃべりはおしまい。再びノアがペンを取り、それを少し眺めてラビも本に向き合う。ノアの手の中の万年筆は夜の灯りに鈍く、輝いている。
    四月 ***********************************
    レッスンも終わり、各々がそれぞれの放課後を過ごすために片付けを済ませ部屋を出て行く。夕食までには帰るよとラビはジャージの入ったバッグをかついでジムに向かい、朝陽は蛮と一緒に飲茶食べ放題の店に行くらしい。ノアはどうやら鍵を返すついでにプロデューサーと打ち合わせをするようだった。対して、特に予定もなく、どうしよっかなぁとギターケースを担いでは行くアテを考えるのはレオンだ。来週提出の課題の進捗が頭に浮かんだが、気付かないふりをする。まあ、まだ大丈夫。
    「おい」
     背後からぶっきらぼうに呼びかけられ、びくりと肩を跳ねさせながら振り向く。相変わらず愛想のない表情をさせた仲間がレオンを見つめていた。
    「んー、なんだよ」
     さてはいつもの小言か、とうんざりしながら用件を問えば、カーマインの目を細め一瞬、リュカがむっとした顔をさせる。しかしいつもと違ったのは、ここからだった。
    「少し付き合え」

    「シャシン?」
    「ああ」
     写真、Photo。聞こえてきた単語と母国語をつなぎ合わせながら、玄関に向かって歩いていく。写真をプリントしたいが店が分からないと言ってきたリュカの表情はどこかそわそわしている。
     中々自分からはカメラのレンズの前に立とうとしない彼が珍しく写真をプリントしたいというからには、何か理由があるのだろうとレオンは思案する。例えば――。
    「なんかのオーディションでも受けんの」
     そう、ドラマや舞台のオーディションだ。経歴書と写真。しかしそれならば十中八九、マネージャーである速水か、プロデューサーが用意してくれる筈だ。その為にここにはスタジオもあるし、カメラマンだっている。レオンの問いを聞いたリュカもゆるく首を振って、ノン、と短く否定した。
    「送りたいだけだ」
    「どこにさ」
    「フランスに」
     リュカの言葉を聞いた瞬間、ああ、と合点がいった。羽田からパリへ十二時間、パリからオルレアンに向かい、トラムに乗って訪れたあの葡萄園。リュカの故郷。
    「パピィとマミィは元気にしてる?」
    「あぁ、あれからパピィの体調に問題はないと聞いている。マミィが手紙を寄越してくれた」
     誕生日の祝いと一緒に。そう呟くリュカの表情はレッスン中とはうって変わって、柔らかい。レッスン中だってその半分、いや三割ぐらいそうあって欲しいと思いつつも、そっか、と安堵する。そういえば四月に入ってすぐ、リュカ宛に小さな小包が国際郵便で届いたのをレオンは思い出していた。それを受け取ったリュカのカーマインの双眸が驚いたように僅かに見開いて、そしていそいそと自室に戻ったのを見たのだ。その中身がなんであるのかは知る由もないがあの優しく自分を出迎えてくれた、仲間の育ての親からのものならば良いものだったのだろう。
     とにかく、何故リュカが写真をプリントしたいのかという理由は明らかになった。

     駅前に小さな写真店があることを覚えていたのは偶然だった。ちょうどその隣に趣味が合う古着屋があったからだ。こぢんまりとした店で、ガラスのショーケースには骨董品のようなカメラが並んでいた。店の中は明るかったが、特に用事がなければ入ろうとは思わなかっただろう。
     ガラスの扉を開ければからんからんとドアチャイムの乾いた音が店内に響く。カウンターにいたアルバイトと思わしき青年は、異国の風貌をした少年二人をちらと見やり、とりあえずの挨拶を寄越してくる。入り口から見えるのは、ショーケースに並ぶカメラと、三台ほどのパソコンのような機械と、カウンター、そしてその奥にある大きな機械だけだ。
    「すみませーん、写真をプリントしたいんですけど」
     躊躇うことなくレオンがカウンターの店員に声をかける。あそこからご注文ください、と並んでいるパソコンを指さされた。レオンがそこへ向かうのに慌ててついていく。店内には自分達以外には誰もおらず、隣席の椅子を寄せて二人でひとつの画面を覗き込んだ。画面の中にはメニューが表示されている。
    「写真プリント、っと。そういえば何の写真をプリントするんだ?」
    「携帯で撮ったやつだ」
     リュカの返答にじゃあこれだな、と白いコードを引っ張る。それをリュカのスマートフォンの端子に繋げば、すぐに読み込みが始まった。数十秒の読み込みの後、ぱっとリュカの撮った写真の一覧が画面に表示される。ほら、選べよ。とレオンがリュカに促せば画面をじっと見つめ、ぽつりと呟く。
    「桜がいい」
    「桜? なんで」
    「この前見た満開の桜が綺麗だった。パピィとマミィにも見せたい」
     なるほど画面には今月の初め頃に撮ったであろう、桜の写真が並んでいる。デフォルトのカメラすらあまり使わないリュカにしては、沢山撮っているほうだ。よほど綺麗だったのだろう。
    「他も送るだろ?」
    「……いや、考えていない……」
     桜の写真を選ぶのに集中しだしたリュカのぼんやりとした返事にマジかよ、とレオンが渋い顔をする。すぐに自分の端末をポケットから引っ張り出して、隣の機械に繋げた。同じメニューをクリックして、読み込みを始める。先ほどよりも読み込み時間が遅かったが、無事に端末の中の写真が羅列された。順番に画像が表示されていくのを眺めながらレオンが口を開く。
    「いや、あのさ、桜だけじゃぜってー寂しいって」
    「確かに……すぐに散ってしまうからな。去年の紅葉も入れるか」
    「No good……」
     思わず出た母国語は聞こえなかったのか、リュカは黙りこくってコロコロとマウスのホイールを弄って写真を吟味している。その隣では呆れた顔をさせたレオンが、自分が撮ったものや仲間や先輩に送って貰ったものの諸々をざっと眺めていた。
    (あ、これ……めちゃくちゃ覚えてる)
     ベイビーブルーの瞳がある一枚を見つけ、思わず指を止める。あの暑い夏の一日、参加したフェスで撮った五人の写真。皆やりきった後で、少し疲れは出ているが満面の笑みだった。それを迷わずクリックする。
    (あとはこれと、これも。うーん、これリュカに見つかったら怒るだろうな)
     ふと目にとまった一枚はリュカの、ブロマイドを撮っている様子の写真だ。カメラマンに指示され慣れない様子でポージングするリュカをからかってやろうと、撮った一枚。
    (ま、いいか)
     それもクリックする。なるべく厳選して、十五枚ほど。カートのマークをクリックしながら、隣に視線をやる。
    「リュカ、選べた?」
    「ああ、やはり桜と紅葉にした。日本の四季は見せがいがある」
    「ああ、おう、でさ、リュカ。自分の写真は?」
     レオンの言葉に、リュカがきょとんした顔をさせる。その表情に馬鹿リュカ、と普段は言われることの多い言葉をぐっと飲み込んで、もう一度、あのさ、と身を乗り出した。
    「近況報告なんだろ」
    「まあ、そうだ。誕生日祝いの礼が主だが」
    「リュカのパピィとマミィは、リュカのことも知りたいんじゃないの? 元気にしてるのかな、とかさ、ちゃんとアイチュウやってんのかなとかさ!」
    「…………」
     ああ、もう! と小さいながらも悪態をついてレオンがリュカが握っていたマウスを軽く奪う。ころころ、と警戒にマウスホイールが転がっていく。
    「一枚ぐらいそういうの入れたほうがいいって」
    「そうだが……お前のように事あるごとに自撮りをしない」
    「喧嘩売ってる?」
     もうこのさい宣材写真でもなんでもいい、とやけになりながらリュカの端末に保存されたものを見ていく。プライバシー、という言葉が浮かんだが今更だ。
    「入れた方がいいか」
    「当たり前だろ」
     リュカの問いに間髪入れずに答えて、しかしレオンは一瞬口を噤んだ。遠く故郷の家族。あまり手紙も書かない上に、〝自分の〟写真一枚すら添えたことがないことに気がついたからだ。
    「レオン?」
     それでも。
    「ほら、自分で選べって、ここらへんとかさ、日本っぽいじゃん」
     レオンの指さした写真は地方遠征の写真だった。栃木県日光東照宮。プロデューサーが連れて行ってくれた場所で、彼女が観光を楽しむ五人を写真に収めてLIMEで送ってくれていたものだ。幸いなことに保存していたらしい。
    「…………」
     言われるがままに写真を選ぶリュカを横目に、そっとため息を吐く。
     それでも、本来ならばこうした叱咤をする資格のないように思える自分でも、リュカにはあの優しい老夫婦に、リュカの今を教えることをして欲しかった。
    「なら、これにする」
    「どれー?」
     これだ、とリュカがカーソルを合わせる。五人を撮った写真で、真ん中で朝陽がにこにこと笑って手を振っている。一番手前にいるのは自分で、さっきまで奥の社を見上げていたであろうノアがこちらに視線を寄越している。一番奥のラビは相変わらず四人を見守っていたし、リュカは右端で腕を組んでいた。
     それはまさしくあの時の、〝今〟だった。
    「……お前がメインじゃないのな。オレすげー目立ってるじゃん、一番手前でさ」
    「いつもこんな感じだろう。いや、朝陽はいつもより随分はしゃいでいるが、オレは好きだ」
    「いいんじゃね」
     レオンが笑みを浮かべる。リュカも、ああ、と頷いた。

     注文してから二十分ほどで写真は出来た。それを送るための蝋引きの小さな包み紙と共に会計を済ませてそれを受け取る。お前も何か頼んでいたのか、とリュカは驚いてレオンの受け取ったそれを見やっていた。いそいそと店内の作業スペースで、写真と、一言を添えたメモをそれで包む。ご自由にお使いくださいと備え付けられたマスキングテープで封をした。
    「それじゃ、これ」
    「は?」
    「ついでに届けといてよ、リュカのパピィとマミィに」
     頼むぜ、と軽い調子でリュカに押しつける。ああ、見たら駄目だからな、プライバシーだから! と念を押すレオンにリュカが眉を寄せた。
    「なんだこれは」
    「この前はお世話になりましたって、レオン君からのほんの気持ちですってだけ!」
     帰ろうぜ、とレオンが店の扉を開けて外へ出て行く、慌ててその後を追うリュカの背中に、ありがとうございましたーと店員の声が投げられた。
     空を見上げる。随分暗い。まだ日が長くなったとは言いづらかった。
     腹減ったぁと伸びをして、レオンが歩き出す。リュカはレオンから押しつけられた封筒を持ちながら、僅かに怒りを滲ませている。
    「おい、中身はなんだ」
    「どう見ても写真でしょ、変なものじゃねえから安心しろってば」
    「なら見るぞ」
    「駄目だって、それはリュカにじゃなくてリュカのパピィとマミィに宛てたものだからな!」
    「くそっ」
     そう言われてしまえば見るのを断念してしまうのが彼の真面目すぎるところである。してやったり、と澄ました顔をすれば、ぶつぶつと抗議しながらリュカはそれを鞄にしまった。
     おそらく、リュカの出す手紙と写真はすぐには届かないだろう。船便であれ航空便であれ、日本からあののどかな葡萄園は遠い。
    「届いたって連絡来たら教えろよな」
    「……しょうがないな」
     少し冷えてきた帰路を二人、歩いて行く。おそらく家には、皆が待っている筈であった。
    七月 随分暑くなってきた。昼間はすっかり夏の熱気で、今はその名残がのろのろと引いてくる頃合いだ。それも完全にとは言わず、むわりとした息苦しさがある。
     一足先に帰宅した朝陽がポストの扉を開ける。配達員が暑い中投函して回ったのだろう配達物や、一軒一軒ポスティングしたのであろうチラシが重なり合っている。それらを手に取り、いそいそと家の中に入った。
     靴を脱いでリビングに向かいながら自分宛てのものが無いかチェックしていく。殆どが所謂ダイレクトメールで、恐らく送られた当人もちらりと確かめて興味が無ければそのままシュレッダーにかけられるものだろう。
     最後に確認したのは少し厚めの封筒だった。誰へと宛てられたものだろうと封筒を裏返すと、特徴的な文字列が並んでいる。朝陽には読めないが、これを読める人間はこの家に一人、いた。

     玄関の扉が開け閉めされる音の後、ただいま、とラビが顔を出す。あまりに早い猛暑の訪れにうんざり、といった表情を見つめながら朝陽が声をかけた。
    「おかえりなさい、ラビさん」
    「ああ、先に帰ってたのか……ただいま、朝陽」
     お水をどうぞ、とコップに注いだ水を差し出せば礼を共にラビが受け取る。一口、それを飲むラビにそれと、とあの封筒を差し出した。
    「あの、お手紙が届いていました」
    「ん? どれどれ……」
     家についた安心感と飲んだ水の冷たさにようやく表情を和らげたラビに封筒を差し出すと、深いコバルトブルーの双眸が軽く見開かれた。コトリとコップがテーブルに置かれ、がっしりとした手が朝陽からそれを受け取る。差出人の欄を数秒見て確かめた後、その指がもどかしげに封を開けようと封筒の肌を撫でた。ええっと、と小さく声を漏らしてキャビネットに歩み寄り、その引き出しを開ける。シンプルなデザインのレターオープナーを取り出してラビはついにその封を開けた。その様子をまじまじと見つめながらも朝陽は黙ったまま、自分用の湯飲みに口を付けている。
     なんとなく、誰からの手紙かは察しがついていた。恐らく家族だろう。封筒に書かれたラビの母国の言葉、それからカレンダーが示す月日。名探偵でなくても答えに辿り着くのは容易い。
     封筒から現れた便せんの束――妙なことに、遠目から見てもデザインがいくつか違っている。 にラビは視線を落として読みふけっている。その目元がほんの僅かに紅潮しているのは火照った身に残る熱のせいか、それとも喜びのせいだろうか。
     手紙に夢中になっているラビの邪魔をしてはいけないと思い立ち、朝陽が席を立つ。引かれた椅子の音にはっと我に返ったのかラビがこちらを見やった。
    「あ、ごめん。夢中になっちゃった……家族からの手紙で……」
     はにかみながらラビが謝ってくるのに軽く首を振り、朝陽が笑う。家族からの手紙は、だいたい嬉しいものだ。特にこうして故郷から遠く離れた地で暮らしているひとにとっては。
    「お祝いですか?」
    「そう、いろんな便せんに父さんと母さんと、姉さん、リリヤ……あっ、ボリスにギルシュ……はは、あいつらそんなガラじゃねえだろ」
     メモの切れ端のようなものが二つ紛れ込んでいるのにラビが苦笑いする。それからいくつかの家族の写真と、もう一枚、一面の氷に覆われたあの湖の写真を見て、そっと青い目を細めた。ふと写真の裏を見てみると、何か書かれていたらしくそれを目で追う。
    「В этом году озеро Байкал……だって。変わらないなあ、ここに来る前に見たのと一緒だ」
     ほら、見て。ラビの指が写真を摘まみ、朝陽に差し出してくる。バイカル湖。一面が凍り付き、オブジェのように重なり合った氷塊は光を吸い込んで青く輝いている。写真でも美しい場所だと思えるのならば、きっとそれを目の前にしたとき圧倒されるに違いない。そんなことを考えながら、朝陽は頷く。
    「きれい、です。青くて、きらきらしていて」
    「……なんだか照れるなあ」
     別に自分の場所じゃないんだけどね、そう零してラビが肩を揺らす。それからもう一度、その写真を眺めてから暫く何かを考えるようにゆっくりと瞬きをし、さて、と伸びをした。
    「手紙は後でゆっくり読むよ。そろそろ皆帰ってくるだろうし夕飯の準備でもする?」
    「あ、本当ですね……お手伝いしましょう」
     朝陽の返答に頷き、便せんの束と写真を再び丁寧に封筒に入れる。部屋に置いてくるよ、と言い残して階段を上がるラビに、はい、と朝陽は答えた。
    十月 イギリスからの手紙だった。五人が日本に来てから何度目かの、数少ない便りだった。
     ベイビーブルーの目が封筒に書かれた住所をじっと見つめる。その文字列をなぞれば町並みと家がありありと、自分でも思い出せた。少し迷って、目の前のローテーブルに置く。小さな息を吐いてから、レオンはごろりとカウチソファに寝転がった。
    「読まないのかい」
     そこに放置された手紙と、読みかけだった漫画を開くレオンを交互に眺めてノアが問いかける。
    「んー、後で」
     仲間の気のない返事にそう、と頷きながらノアがティーカップに口をつける。仲間に淹れてもらったミルクティーは、いつもの通りにほどよく甘く、美味しい。
     とりあえず聞いてみたものの、ノアも答えは分かっていた。恐らく、レオンはイギリスから届いた手紙の封を開けたことがない。今日のように住所を確かめて、少し迷った後で「後で」と自室に持って行く。それが初めて来た時にノアが何と書いていたんだいと聞いてみると、まだ読んでないんだよな、と気まずそうに返された。急ぎだったらEメールでも送ってくるでしょ、と興味なさげに付け足す彼を見て、ノアは首を傾げたものだった。
     レオンのその態度の理由が分かったのは、それからもう暫くしてからだ。
    「確かに『レオン』宛だけどさ」
     何通目かの手紙の表裏を繰り返し眺めながらレオンが笑う。それからやはりローテーブルにそれを伏せて、暫く見つめた後でこう続けた。
    「オレ宛じゃない気がするし」
     その言葉に否定も肯定も出来ずに、その時もノアはそう、と相槌を打った。その手紙は確かにレオンに宛てられ、海と陸を越えてこの日本にやってきたものなのだが、それが本当にレオンに向けて書かれたものなのか、それとも別の、彼の家族が知るレオンに向けて書かれたものなのか、ノアには判断がつかない。
    「オレ宛てじゃないものを読むのって、悪い気がするじゃん」
     扱いに困ったような、それでいて吐き捨てるような声だった。
     恐らく、レオンがこちらに来てから届いたいくつかの手紙は、封も破られないままどこか、引き出しの中で重なり合って、地層のように眠っているのだろう。それらが読まれる日が来るのかどうかは分からない。明日かもしれないし、もしかすると数十年後、すっかり忘れ去られていたそれを彼が思い出した時かもしれない、もしくは、一生開かれないまま。
     ノアにはそれが良いことではないように思えたが、しかしレオンが納得いかないまま読むのも違う気がしていた。
     そんなわけで、また引き出しかどこかに読まれない手紙の層がまたひとつ重なる予感を抱えたまま、その場は過ぎ去っていった。

     色鮮やかな地層、または、ミルフィーユ。
     目の前のそれを数秒見つめ、ノアは目の前のマネージャーを見やった。いいわね、素敵ね、と上機嫌に五つの層を手際よく作った後、それを色のついた輪ゴムでとめる。
    「坊や達によ」
     速水が告げ、ノアが受け取る。
     ――ノア様。
     層の一番上、淡い水色に箔押し加工が施された封筒に書かれた自分の名前に目を細め、それを指先で撫でる。
    「さすがに英国紳士の手紙が多いわね。プレゼントはいつも通り?」
    「ああ、セバスチャンが車で受け取りに来るよ。明日でいいかい」
     ノアの返答にわかったわ、と速水が付箋を貼る。お願いするよ、と付け足し、飴色の視線を彷徨わせるノアに速水は首を傾げた。
    「どうしたの」
    「いや……少し思うところがあるだけさ」
     珍しく言葉を濁すノアにあら珍しいと速水が片眉を上げる。その様子にああ、と軽く声を漏らして、悪いことじゃないよ、と言い繕った。
    「剛は手紙を書くかい?」
    「この業界にいるとねえ、挨拶って重要なのよ。取引先の偉い人にLIMEでハッピーニューイヤーは通用しないわ」
    「ふふっ、そうだね」
    「王子が聞きたいのはそこじゃないわね。そうねえ、あまり。それよりも電話しちゃうわ」
     電話する速水を想像し、ノアが肩を揺らす。ねえ、聞いてよ! と親しい人に電話する彼女は容易に想像がついた。
    「手紙って一方的でしょ。特に貴方達に宛てられたものは」
     速水の指がノアの手の内の、五つの層を指差す。ノアが頷き肯定すれば、速水の口元に笑みが浮かんだ。
    「私達が思っている以上にそれは悩み抜かれた末に出されたものよ。まず出すかどうか、どんな便せん? 何を書く? もしかすると読んでもらえないかも、なんて思いながら書いている子もいるかもしれない」
    「…………」
    「言葉を選ばずに言うとエゴの塊よ。でもだからこそ、そこに書いてある言葉は紛れもなく坊や達に宛てられたものよ。それって素敵だわ」
     速水の言葉に頷き、表、裏、と封筒を眺める。淡い水色のそれは触り心地が良かった。

    「レオン」
     リビングで雑誌を読んでいたレオンに声をかける。ん? とオレンジ色の髪を揺らして、仲間はこちらを向いた。
     はい、とそれを手渡す。手紙の束、いつもより心なしかぶ厚い、地層またはミルフィーユ。ノアが差し出してきたものを見て、ベイビーブルーの双眸がぱちりと瞬く。
    「君のだよ、レオン。これは君宛ての手紙だ」
     ノアの言葉にレオンは一瞬ぽかんと呆けた顔をさせしかしすぐにそれを受け取って、ありがと、と、鮮やかなその束をじっと見つめていた。
    くろてら Link Message Mute
    2022/10/01 12:14:55

    I❥Bお誕生日SSまとめ

    TwitterであげていたI❥Bのお誕生日SSのまとめ。
    2022年はちょっとしたテーマを決めていました。来年どうしようかな。
    #二次創作 #アイチュウ #IB

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