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    ドライヴ・ユー・クレイジー自分の家がこんなにも静かだとは知らなかったな、と成田は思った。
    正確には、静かなことは知っていたが、それをいたいほど感じたのがはじめてだった。目の前の、聡い果実の名前をもつ子だけが息の音を放っていて、それ以外にはなにもきこえなかった。俺の家ってほんまなーんもないな、と成田は思う。時計もないから秒針の音すらせえへんし。冷蔵庫もコンセント抜いて物置みたいになっとるし。いつのまにかすこしだけ開いている窓から夜風が入りこんで、分厚い遮光カーテンを撫でる。そういやカーテンはあるな。
    「──酔いは覚めたか」
    聡実は絞り出すようにそう言った。まあ、どしたん、目ェ真っ赤っかやで。フローリングの床に腰をおろしていた成田は、同じくなーんにもないフローリングの床にべったり座りこんだかれを心配し、手を伸ばしかけ、そこで気づく。
    「あれ、」
    ちいさな子どもを猫かわいがりするあの声色がはがれて、間抜けにつぶやいた。
    「さとみくん、」
    聡実はあの鋭く、精一杯で、赤く、殺気立った瞳をじいっと成田へ向けたまま、地を這う声でもういちど言った。
    「酔いは、覚めたか」
    おれきみになにしたん?と成田はきいた。なぜか前髪が濡れていて、しきりにポタポタと水が視界に垂れてくる。唾液まみれの首をTシャツの襟首で雑に拭った聡実は、乱れた服を整え、眼鏡の位置を直して、「なんやろな」と言った。見たことのない、くたびれたTシャツにスエットを着ていた。部屋着かな。
    成田は黙った。終わった、と思った。あーあ、終わりや、ぜんぶ。ちょっと笑えた。「あー!」と声を上げる成田を、聡実は他人を見るように見ていた。「あー!ネ」うんうんと頷きながら、成田は、自分の家にものがないことを感謝した。これから目の前の子に謝り倒して、握らせられるだけ握らして、今生の別れを告げて、かれが去ったあと、立ち尽くした自分が部屋中のものを壊してまわるのが手帳に記した集金予定かのように見えた。
    おれってほんまアホ。つーかいま手持ちいくらやったっけ。足りんな。
    正座して、大きく深呼吸して、床に手をついて、深々と頭を下げた。
    「申し訳ない」
    澄んだ大声だった。
    「……顔あげや」
    「二度とせえへん。もう、きみの前に二度と、二度と顔見せんよ。許してくれとも言わんから、やからどうか忘れてほしい」
    「顔あげ」
    「もちろん、タダで忘れろとは言わん。毎月でええかな。あすの飯も、いややなかったら出すから、きみひとりで食うてきたらええ。きみの連絡先も、紋紋も消します。口座だけは教えてな。あんま使てないやつでええから」
    「……顔あげろいうてるやろ耳カス詰まっとんのかドアホ!」
    ものすごい剣幕の怒声とともに、聡実は壁を拳で殴った。成田は相手の思わぬ行動に驚きのあまり反射的に肩をビクつかせ、顔をあげる。聡実は澄ました顔で手の甲をさすり、「えー年してアホか」と言った。
    「そんなんいらんてわかれ、ぼくが、」
    あ、泣いた、と成田は思う。怒ったり泣いたり忙しい。それがうれしい。かれが泣くのを見るのはひさしぶりだった。いつも、感情を押し殺し、丁寧に奥深くに仕舞い込んで、年々それがうまくなるような子だったから。
    「アホか、ほんまに、もー、」
    聡実は顔を歪めてぽろぽろと泣いた。
    「酔いなんか覚めんなや、ばか狂児」



    夏季休暇、聡実は実家に帰省して大阪で免許をとったのだ。短期集中プランで、来る日も来る日も教習所に通う生活は、聡実に向いているのか苦ではなかった。狭路の通行などでややつまずきはしたものの、いちども試験に落ちることなく、二週間ちょっとで免許をとってしまった。
    「おー、ピカピカや、カッコええネ」
    喫茶店で会った成田は、聡実の免許証をまじまじと見て、裏返したり、かざしたりして、そう言ってわらった。東京に出向いているときより心なしか血色がよさそうに見える。きのうはよく眠れたのかもしれない。
    「それはよかったです」
    聡実はその手から免許証を抜きとり、財布にしまう。
    「助手席はいつ乗してくれんのー?」
    ナポリタンを頬張りながら成田はそう続ける。
    「恐れ入ります」
    「恐れ入りますてなに?」
    「僕プリンも食べよかな、ええですか」
    「ええけど、恐れ入りますてなに?」



    実家の聡実の部屋は、一年前に出たときから、小さな置物ひとつとってもそのままだった。風呂上がりに部屋でひとり寝そべっていると、自分が14のころに戻ったような錯覚を覚える。部屋がちいさく感じられる分、歪んだ夢のなかにいるような気分によくなった。とったばかりの免許証を蛍光灯にかざし、裏返し、自分の名前を眺める。
    狂児の免許証を見たことが、いちどだけある。14のときに、いちどだけ。
    甘やかしてもらえると思って軽口を叩けば、せやなーと低い素の声がこちらを見もせず帰ってきて肝を冷やし、かと思えば、んー?と得体のしれない笑みで肩を寄せてきたり、恐ろしかった時代の狂児の、免許証。平静を装ってかれの指から抜きとった、ぬるい免許証。
    寝返りを打って、マナーモードのスマホが青白く光って着信を告げていることに気づく。成田からのLINEの着信だった。迷ってるあいだにも着信が止んでしまうかもしれないから、いつも飛びつくようにとってしまう。黙って耳にあてると、騒がしい音。響くダミ声。聡実は顔をしかめる。
    「もしもし、聡実センセ?夜分遅くにすまんなあ、いまええか?」
    耳慣れない声に驚き、「……あ、はい」と間抜けな返事が漏れた。
    「今度なあ新しい店ができるゆうて景気付けに昼からやってたんやけど、成田のアホが下戸のくせに飲みやがって、ほんま、おいおまえらそれは組長が贈った壺やぞ触んな手ェぶった斬るぞ!、ほんまね、どーいう風の吹き回しか知らんけどアイツ飲んどんねん、成田おまえ座ってろ、聡実センセにはおれがお願いしてんねんいま、あ、でな、聡実センセを呼べうっさいねん。聞こえる?せやなー、成田。ここいらぜんぶウチのシマやし、聡実センセなら危ないこともないやろ、顔だけ出したったくれへん?」
    馴れ馴れしくて遠慮ない滑舌の声がそう述べたてる。だれかわからないが、あのカラオケ大会にいた顔なんだろう。狂児ならこういう頼み事はしないし、こういう頼み方もしない、と聡実は思う。シラフのあの男は、僕をこない雑に扱ったりせーへん。
    ザッ、と衣擦れの音がして、
    「聡実くん、」
    電話口からよく知った声がした。よく知った声だけど、変だった。シャツにこびりついたヤニの匂いが鼻をかすめた気がして、みぞおちがひっくり返りそうに発火した。スマホを握りしめた。
    「助手席乗して」



    高校の友達と会うと親に言って、パーカーを引っ掛けて外に出ると、乾かしきれていない髪が涼しかった。
    Googleマップにしたがって小料理屋の引き戸をあけると、歓声が飛び出す。よくきたセンセ!成田!ほらセンセのお出ましや!オレンジジュース飲むか?もうビール飲めんのとちゃう?うわーセンセと飲めんのアツいわ!そら俺らも歳食うわけや!両腕両肩をとられて奥に連れられていけば、座敷できんぴらごぼうをつついていた成田が振り返った。目元だけが赤らんで、緩んだ顔。
    酔っ払った40代てちょいキツいな、とその顔を眺めて思う。ていうか年取ったな、狂児。
    聡実は自分が苛立っているのに気づき、不思議に思う。店内が暑くて騒がしいからだろうか、はらわたが煮えていた。
    「おお、聡実くん、わざわざごめんな。このお礼はきちんとさしてもらうわ。運転、頼んでもええ?」
    成田はきんぴらごぼうを飲み込んで、箸をもった手を口元のあたりにやりながらそう言った。それからジョッキを半分くらいあける。こいつ、下戸やなかったんか。聡実が呆れて黙っていると、横にいた男が「センセ、成田な」と言う。
    「組のもんは手汗で汚すから嫌やーとか言うてだれにもハンドル握らせへんねん、代行もたまらん言うて、愛しのセンチュリー守るために下戸やって言いふらしてんねん。ほんまガキやろ、大嘘つきのガキや。センセの手ならハンドル握ってええんやて、きっしょい男。愛想つかさんとってくれ、頼みますわ」
    「大嘘つきてひどいわ。ほんまに飲めんよー」
    ジョッキから口を離し、成田は言った。
    「たまに飲める日があんねん。きょうがそれ」
    「センセが免許とって大阪におる日が飲める日なんやね」
    聡実は黙っていた。送ってってン、と成田は聡実を見て言った。わかりやすい酔っぱらいではないけど、僕への接し方で酔うてるてわかるな、と聡実は思った。
    「擦っても文句なしやで」聡実は言った。「弁償もせんよ」
    「文句なんか言わんよ!聡実くん、俺をそんな心狭い男に思てたなんてショックやわー」
    「……帰ろ」
    締めの蕎麦、どさくさに紛れて熱燗、等をすすめてくる面々を振り切り、よれたTシャツにスエット、パーカーを羽織った聡実は、成田の腕を引っ張って店を出た。さとみくんお風呂上がりなん?と成田は引っ張られながら呑気に言う。あったかくせんと風邪引くで。ほんまアホ、と聡実は思う。僕が。酔っぱらいの電話一本で、訳わからん都合のために湯冷めしてまでこの男迎えにきてあげる僕、ほんまアホや。



    助手席に乗った成田ははしゃいでいたが、それでも案外大人しくおさまった。胃の据わりが悪いのか、シートを目一杯引いて、足を投げ出し、首元を寛げる。
    「それじゃ、出します」
    一言断って、右ウィンカーを出す。
    「ちょっと待っとこうか」成田の静かな声に、ちいさく頷いてミラーを見る。「ん、ヨシ」というその声にしたがってブレーキをじんわり離す。そういや僕、免許取ってからはじめての運転やな。変なことに気づいた聡実は、ルームミラーを触り、ステアリングを握り直す。そのひとつひとつを、成田が横目で見ているのがわかった。
    成田は黙って空調を操作し、カーステレオをつけた。ラジオが流れ出す。
    「ワインレッドの心やーん」成田はささやくような声量でそう言って、間奏を鼻歌でなぞる。
    道は静かだった。時折歩いている酔っぱらいを引いてしまわないようにのろのろと走り、成田の道案内で大通りに出る。ここ数週間人の道案内で走ることばかりやってきたから、聡実はすぐに平静を取り戻した。教習所には成田と同じ生業なのかと見間違えるような教官がいたりした。そういう浅黒い教官は、路上に出た女の子を泣かせてしまった話を、助手席で愉快そうにしていたりした。もっとアホな話を見たり聞いたりしていたから、おかしくもなんともなかった。
    「もうちょい出しとこか」
    歌の合間に成田はそう言う。開いた車窓に腕をかけ、聡実の側の腕は腿を叩いてリズムをとっている。
    右折待ちで「対抗の右折車、うしろに直進おるで、気をつけてネ」とか言うので、聡実はだんだん笑えてきた。
    「狂児さん、ヤクザやめて教習所の教官やらはったらどうですか」
    「んー狂児さん教えんのうまい?」
    「うまいゆうか、ぽい」
    「ぽいてなにー」
    僕、本気やで。ヤクザなんかやめてまえ。前をいく車のテールライトを見つめながら聡実は心の中でつぶやく。この人酔うてるから、これ言ってしまっても忘れてくれるかな。
    成田はご機嫌で鼻歌を歌いつづけている。
    「狂児さん」
    信号待ちの間にそう呼びかける。顔を見ると、向こうもこっちを見ていて、「んー?」とかれが首を傾げる。会話ができないとか呂律が回ってないとかじゃないけど、これはけっこう酔ってるな、とわかる。暗い車内で、そういう表情が見えた。
    「僕の乗り心地はどうや」
    そう言ってやると、成田は咽せた。信号が青になり、隣の男がなにかを言おうとして、また咳き込み、気管に入ったのかゲホゲホやっているのを放ってアクセルを踏む。



    車に乗ってる間に酔いが回ったのか、店を出たときよりも目に見えてふらつく成田を支えて家にあがったのは聡実だった。昔から変なところで好奇心が抑えられないタチなのだ。きみ、おとなしそうに見えて暴走するタイプでしょ、と新歓で隣に座っていた先輩に言われたことを、手を使わず靴を脱ぎ捨てながら思い出す。占い師か。入った部屋はがらんとしていて、分厚い遮光カーテンしかなかった。コンセントの抜かれた冷蔵庫、粉っぽい埃の匂い、そういうのに絶句していると、聡実の肩から離れた成田はよろよろシンクに寄り掛かり、プラコップを取り出し水道水を汲んで一杯飲み干した。かれは一息ついて、「……なんもなくてつまらんやろ」と言った。
    「はいお水。飲む?」
    カルキ臭のする水を黙って受けとった。プラコップを差し出していた成田の指に触れた。わざとだったかもしれない。成田をじいっと見つめ返しながら、水を飲んだ。それからはあっという間だった。なんや、簡単。そう思った。こんなに簡単やったけ。僕ら。成田に手をとられ、なーんもないまっさらな壁に背をつけて聡実は思った。
    Tシャツをたくしあげて、聡実の脇腹に鼻をつっこんだ成田の頭がよく見えた。一本、白髪があった。染めたりしてんのかな。成田の顔を両手で掴むと、後頭部に回し返された手が熱かった。いつのまにか床にへたりこんでいた。体勢を変えようと思って脚をかれの腿に回し、跨ろうとすると、めちゃくちゃバランスを崩して鈍い音がした。
    「っー!」成田がシンクの角でしたたかに頭を打って、痛みに悶絶する。プラコップが倒れ、聡実の飲みかけの水道水が上から降ってきた。あっという間だった。爆発しそうな20代の性欲で頭が冴え渡っていた。
    こういうのがお笑いやろ、と聡実はここにいない浅黒の教官に言ってやった。



    土下座する成田を怒鳴りつけ、壁を殴り、ひと通り泣いて涙の引いた聡実は、掠れた声で「25下に手ェ出す大人は可哀想やで」と言った。
    うん、と成田は黙って頷く。かれの濡れた髪はそのままだった。風呂上がりで湿っていたはずの聡実の髪は、とっくに乾いていた。
    「軒並み狂っとる」
    「うん」
    「だれからも相手にされへん人生で狂ったんや」
    「せやねん」成田は頷いた。「聡実くんしか相手してくれる人おらんねん」
    ──それで狂うてしもた。
    聡実は、やけに素直なその声を聞いていた。時計もないから、自分たちの話し声以外、本当になんの音もしない部屋だった。壁が厚くて、四方から静寂が迫ってくる。
    それで狂うてしもた?14のガキだった自分なら、真っ赤になって黙ったかもしれない。聡実はそう思う。
    「惨めな男やな」
    そう言われて、成田は笑う。赤い目元。白髪が一本ある頭が濡れている。よれたシャツ。40も半ばに差しかかったただの男。こいつ、たまに僕のこと赤子か猫見るみたいな目ェして見んねん、と思った。僕が相手してんねんから、一生狂っとけ。そうも思った。好きだった。もう10年近くずっと、目の前の男が死ぬほど好きだった。
    半順序星人 Link Message Mute
    2024/05/12 19:43:11

    ドライヴ・ユー・クレイジー

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    #狂聡狂 免許取りたてのさとみが酔っ払いきょーじを助手席に乗せる話 左右はおまかせで頼みます
    ※カ!ファ。映カ!ごちゃ混ぜ準拠 バーチャル関西弁です

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