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    とうとう柱稽古編のない日曜日が来てしまう。いや威力がすごすぎた。柱稽古編放映開始以来もう一週/\毎日/\何度コマ送りで再生を重ねているかわからない。公式の新しい供給の破壊力は桁違いでもうずっとこれだけ見ていて自分の駄文作成作業などどうにも手をつけられずに2か月過ぎた(編集はなんとかかんとかやっていたが)。もう情報量えぐすぎ、考える余地が多すぎ、見たものを反芻し脳内で処理するだけで手一杯の内に次の回が来てしまう。残念ながら、誠に残念ながらアニメの放映が終了しこうしてようやっと思い出しながら字を書き始めた次第だが、できることならあのままずっとリアルタイムで浴びるように見ていたかった。ワニ先生の新しい何かが見られるならばそれは心から嬉しいがそれがアニメでも新作は大変に喜ばしい。これが長らく待っていた場面ばかりなので尚更である。毎週高品質で見たことのない新作を見せてくれるという、こんなにも心躍る楽しみが登録もいらなく(電気代程度のほぼ)無料ロハで。TVアニメって考えてみると贅沢だな。ちょっと興奮しすぎだがその中で群を抜いて再生を重ねているシーンがこれである。柱稽古編第5話、不死川の「そうかよ」。は───。原作では「そうかよォ じゃあまずテメェから再起不能だ」と1コマで語られたこのシーン、ここにアニメオリジナルのカット割りが入れられている。のだが、これが。目潰しからのガラス戸バリーンからの足袋で庭に下りてきた不死川に炭治郎がドッカン!!「ふざけんな!!」。ここから炭治郎の怒涛の玄弥弁護が始まるわけだが、あの長口上での熱弁の締め、「再起不能になんかさせるもんか!!」その後だ。目に被さった前髪から表情の伺えない横顔の不死川のアップ。ティロリロリン。ぼそりと「そうかよ」。バーサクモードに入る前の一瞬の静謐。ありがとうアニメスタッフ。ありがとうsktm氏。私はあなた方に感謝する。


    廊下での玄弥との会話から大乱闘に至るまでの一連のシーンは、不死川が不死川たることが明示される最大の現場げんじょうであってあれこそが鬼滅の刃の不死川実弥であると今までのところずっと思っている。鬼になった当初から禰豆子の中に残った人間性に気が付き、周囲もそれを認めて妹と共に手を携え鬼と闘ってきた炭治郎と、鬼になった母親が弟妹らを目の前で殺害し、自分も殺されそうになりながら結局は母である鬼を殺すことになった不死川では見てきた、生きてきた道筋が違いすぎる。どちらが良い悪いではない。炭治郎には炭治郎の、不死川には不死川の経験からくる譲れない論理があり、それは(この時点では)けして相容れないということである。「玄弥がいなきゃ上弦に勝てなかった」というセリフはその後上弦の壱戦で現実として不死川の前に立ち現れてくる訳だが、それをここで提示しておくというのは、その言葉がまだ兄である不死川には伝わらないというのは、そしてそれを切実に実感するのは弟ともう二度と会えなくなるその時であるというのは、ワニ先生もうほんとにワニ先生…という気持ちにさせられて仕方がないですよ。何かがあって感情を爆発させるその前に、不死川の描写には顔を見せないインターバルが置かれることが多い。16巻のおはぎの件、また16巻の無限城「お館様… 守れなかった……」のシーン、そして19巻、昇上砂塵嵐(これを映像で目にするまでまだ1年以上はあるだろうと高をくくっていたのでいきなり劇場で見てしまって言葉を失った。サービスしすぎである)からの玄弥への長い語り掛け。そこにはさまざまな言外の感情が見て取れるけれども、アニメでの今回のそれはどうしようもない互いの分かり合えなさ、炭治郎と不死川、そしてまた不死川と玄弥の思いの衝突を端的に表し、またそれを決して受け入れ得ない不死川の意思を一言でほんとにもれなく伝えてくれた。この一拍置いた「そうかよ」。これがこの人のここまで生きてきた有り様なのだと思う。そういう人である。他人にはどのように思われたとしても。


    その相容れない、自分の意図を悉く阻んでくる炭治郎への激情(その後の唐突なおはぎがまたどれだけ神経を逆撫でしたかというね。いや、炭治郎はあれでいいのである。今回不死川サイドからの見方で書いているが、炭治郎サイドから見れば不死川の言動こそが常に自分の理解の範疇を越えているのだろうから。炭治郎って嗅覚である程度の原理の理解はできるが、細部は彼独自の見解が加味されるのがまた良い)。それにしても悪ィ顔させるよなあ。最高。「死に晒せ!!」も良かった。アニオリだが死に腐れよがありならこれはありだろうと思わされるセリフではあった。そして結構炭治郎の蹴りが効いている描写も良かった。あの突きを緩衝するには手でカバーするだけでなく自分もそれに合わせて飛ぶ必要があったと思うが、それにしても炭治郎の判断と反応の速さ、柱と並んで無惨と闘おうという実力の片鱗を間に間に挟み込んで来、それを不死川はちゃんと(身をもって)理解している。それが、「特に俺への当たりが強く」という接し方になってもいるのだろう。柱稽古編第1話の廃城でのバトル、これもアニオリだがその冒頭で隊士に「邪魔だって言ってんだよ」と不死川は吐き捨てる。もちろん隊士の力量を量って下がらせ守ろうという意図ではあったろうが、彼はしかし半ばは普通に「邪魔だ」と思っているのだと思う。自分が呼吸の威力を最大限に使って鬼を斬るのに実力の足らない彼らは足手まといだと。お館様には礼儀を尽くすし仲間内では整然と話す彼だが、「とにかく鬼、鬼、鬼、鬼という。鬼を倒すために邪魔なものはいらないし害をなすものを排除する。」(2024-05-13 ORICON NEWS)というのはsktm氏の不死川評だが、頷ける気がする。鬼というものがこの世にあったればこそ不死川家のあの惨劇は起こったのであり、鬼がこの世にある限りまたあのような惨劇は続く。身内が鬼になるという事がどういうことか、兄弟は誰よりも知っているはずであった。その鬼を喰ったという弟に対する怒髪天を突くが如くの凄まじい怒り。「何の為に俺がァ母親を殺してまでお前を守ったと思ってやがる」という、結果に後悔はしていないとしても、しかし絶対に何一つ得心など行ってはいないだろうその究極の局面を19巻で不死川は淡々と背中で語る。己の中の灼ける様な焦燥を、弟が命の危機に瀕したその刹那まで己の内に固く秘めたまま。己の死期に、己の大切な唯一の人間の死期に臨むまで相手にその真情を零し落とすことができなかったのはカナエも同じで、それは彼らが兄姉だからという事も大いに関係しているだろうし、その精神を突き詰めれば有一郎に行き着くのだろう。弟にも父にもネガティブな思いは言葉にしないまま逝ってしまった煉獄。あれだけ裏表のない炭治郎でさえ、禰豆子に自分の想いをすべて伝えているわけではない。全く違うベクトルではあるが巌勝もある意味では兄としてそうである。妓夫太郎は最後の最後で妹を突き離そうとしたが梅がそれをさせなかった。甘露寺、彼女は恐らくまだ大切なものを理不尽に永遠に奪われた経験がないのだろう。彼女が直に向き合っていたのは自分自身である。そしてまた鬼滅の弟妹たちはどうだったろうか。何度拒絶されても兄の背を追う事を止めなかった玄弥。兄との距離を感じ死の間際にやっと真意を告げられた無一郎(不死川兄弟とまさに真逆の立場である)、あれだけ言いたいことを言っていたしのぶが姉を失い自分がその立場になった時に「妹たちの前ではいつも笑顔で」その思いを固く封じ込めることになった(それはきょうだいの立場だけの観点ではないが)こと。それから冨岡。姉を失ったその辛く強く自分を責める気持ちを彼はまだ錆兎には打ち明けることができたが、その錆兎を失って冨岡は心を表に出すことができなくなる。もう、彼には誰もいなかったのだ。


    あー久々に好きに書いたな。今回書いて出しで読みにくい事この上ないが興奮のあまりとどうか許されたい。半分程に削れたはずではある。


    7.11 追記
    匡近と縁壱を書かなかったなあ。どこまでも兄、粂野匡近。どこまでも弟、継国縁壱。あ───。
    るげ Link Message Mute
    2024/07/07 2:03:56

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    👹つれづれ
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
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