踊り続ける理由 踊ることは、生きることと同義だ。
好きだから、だとか。
踊っていなければ息ができない、だとか。
誰かが自分の踊りを見て笑顔になってくれるのが嬉しい、だとか。
そんな崇高なものなんかじゃない。
ただ、生きるための金を稼ぐのに、身一つで舞う踊りが適していた。それだけのこと。
はじめて地を蹴り舞ったのは、往来の賑やかな街の広場の片隅だった。
少し前、噴水の前で踊る華やかな女性が居て。彼女が可憐に舞うのに合わせ、宙にきらめく金貨銀貨に胸が高鳴った。
いま思い返しても、もっとましな理由があるだろうと失笑するばかりだ。
けれど、あの時の自分にとって、それがすべてだった。
芸を見せれば──踊れば、ああして金がもらえるかもしれない。
薄暗い細路地の狭間で、乾いた喉にわずかばかり沸いた唾を呑む。あの時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。
希望を、見つけた。そんな気がした。
ぐぅぐぅとうるさく喚いていた腹の虫が静かになって、数日は経った頃のこと。まともな思考など、もはや持っているはずもない状態だった。
高鳴る鼓動を宥めるように息を吸う。
石畳の道の上を行き交うものが寄越す視線はなんとも冷たいものだった。
小汚いガギが。おとなしく細路地に戻れ。
捨てられた可哀そうな子。腹を空かせているのかしら。
目は口程に物を言う。言葉をぶつけられずとも、寄越してはさっと逸らされていく視線が、すべてを物語っていた。
なんと思われても良い。
殴られ、蹴られることを思えば、なんだってマシに思えた。
脳裏に焼き付けた彼女の踊りをなぞりながら、地を蹴る。
路地裏に捨て置かれていた布切れ数枚頂戴してこしらえた衣装を纏い、文字通り見よう見まねで舞ってみた。
すると、どうだろう。
足早に己の前を通り過ぎるだけであった影がひとつ、またひとつと立ち止まり、熱心な視線が肌をチリリと刺した。
ほぅっと感嘆を吐く者に、囃し立てるよう手拍子をはじめる者もいる。
通りの片隅。数日前に店仕舞いをして誰も居なくなった店先は、かつての華やかさを取り戻したように賑やかに変わり、子供の笑い声が花開いた。
誰も、小汚いと自分をこきおろしやしない。
上手いもんだと壮年の男性が手を叩く。
はつらつとした青年が口笛を吹いて盛り上げる。
陽の光のように微笑んだ女性がその華奢な肩を楽しげに揺らして。足元で子供が駆け回っては、時折こちらの動きを真似するように拙い踊りを見せた。
なんとも不思議な心地だ。
あれほど自分を蔑み、憐れみ。目を逸らしていた者たちが、いま自分を中心とした世界の中で笑っている。
ピンッと銀貨をはじめにはじいたのは誰の指だったか。足元に転がったそれを合図とするように、同じ音がいくつも石畳を叩いた。
あがった息を整える暇も無しに、やせ細った腰を折る。
上手かったぞ。よかったわ。親しげに掛けられた声はやがて遠ざかって、後には自分と足元に転がる金が銀貨が残された。
正直、想像以上の反応だ。
もっと見るに堪えないと冷たい視線を寄越されるばかりだと思っていた。
それが、どうだ。かき集めた金貨は両手の平を使っても尚も零れそうなほど。空腹を思い出した腹の虫が声をあげる。気にしないようにと意識の外へやっていた匂いが存分に胃袋を刺激して。じんわりと滲んだ唾が乾いた喉に流れた。
なんだ、チョロイもんじゃないか。
気分が高揚する。こんなに簡単に金を稼げるなら、いままでひもじい想いをしていた自分はなんだったのか。なんだかとてもバカバカしく思えた。もっと早くこうすればよかったんだ。こんなに、簡単なことだったんだ。
想像以上の成果に。生まれてはじめて抱えたその貨幣の枚数に。どうしたって心が昂っていた。
だから、考えもつかなかったのだ。
それが、もっと厄介ごとを連れてくるだなんて、学のない自分は、知る由もなかった。
金は稼ぎたいときに踊って見せれば、容易くに手に入る。
ほんの一度踊っただけでそう結論付けた自分の単純さを、殴り飛ばしてしまいたい。
世の中そうそううまく回るはずがないのだ。そんな明快なことすら、幼い自分はわかっちゃいなかった。
否、身に沁みて知っていた。本当は。
親に捨てられ、あの細い路地の中。薄べったい腹を背につけそうになりながらも、ゴミ箱を漁っては懸命に生に縋りついていた自分は。確かに世の理不尽さをわかっているはずだった。
ただあまりに思い付きがうまくいったものだから、ついつい天狗になってしまった。実態は、きっとそれだけの話。ポキリと折れた鼻は地に落ち汚れ、在りもしないはずの自尊心が崩れ去る音を遠くに聞く。
「あぁ、もう……まったく、とんだ人生だ」
嘆息を吐いた喉が酷く痛んだ。
掠れてしゃがれた声が蚊の鳴く声量で響き、言葉の尾が震える。
放り投げられた所為で打ち付けたのか。擦りむいたのか。身体の至る所が痛んだ。だどももう、起き上がる気力すら湧いてこない。
ただ砂利を噛むのは嫌で最後の力を振り絞り肩を返せば、うっそうとした森の木の葉が嘲笑うように揺れるのが見えて、苛立ちが僅かに眉間を寄せた。
このまま、死ぬんだろうか。
それも、いいのかもしれない。
それが、いいのかもしれない。
どうせ、ろくでもない人生だ。
ここいらが潮時なのだろう。
幼い頃から懸命に縋りついては見たものの、まるでよくなる兆しは見られなかった。
そういう運命なのだ。きっと。
幼いあの日。はじめて地を蹴り、腕を広げ。舞って見せた日。
これからの人生は少しくらいよいものになるだろう。自分で、金を稼げる手段を覚えたのだ。足元に転がる金貨銀貨に、それはそれは胸が躍った。行く先が明るくなってゆく心地がした。
けれどふたを開ければ稼いだはずの金貨銀貨はショバ代を払えとガラの悪い輩に9割奪われ。それでもまた舞って見せればいいのだと場所を変えて踊ってみたとて、結果は往々にして同じ。金は溜まるどころか、日に日に得られる数すら減らし。雨も寒さも防げる寝床を得るだなんてのは夢のまた夢。
それでも、身一つでできる芸なんて――稼ぐ手段なんて、他に知らなかった。
生きるために。飢え死なないために、舞う。
いくらガラの悪い輩に絡まれようと。金を奪われようと、殴られようと。
自分にあるのはそれだけだった。自分自身で生きていくために、必要なことだった。
──それも、今日までみたいだけど。
乾いた笑い声に肩を揺らす。
折れてでもいるのか。肋骨が変な痛みを走らせた。それに、悶絶する体力すらもう枯れ果ててしまった。
酷い人生のなかでも、今日は一段と最悪な一日だった。
踊り場を定め、ぼったくりもいいところな場所代になけなしの金を払う。
そうして得た場で踊っていたまでは、良い。
いつも通りそれなりに足を止めてくれる客はいたし、なんなら収入なんて普段よりも多いくらいだった。
でも、よかったのはそこまでだ。芸を見せ終わり、炉端に転がる金貨銀貨をかき集める。この稼ぎなら今日は少しくらいいいものが食べられるだろう。久しぶりのごちそうだ。なにを食べようか。そんな風に浮かれてしまったのが、運の尽き。
気分上々。鼻歌まじりに通りを歩いていたところで、見るからに悪人面した男数人に絡まれた。
あとは、お決まりの流れだ。
お前にあたられて怪我をした。金を寄越せ。はじまりから終わりまで使い古された台詞。どうせ、あの場所を貸した男たちとも浅からず関係があるんだろう。怪我なんてしてないだろう。ぶつかってきたのはそっちだ。むしろこけたのはこっちじゃないか。言いがかりはよしてくれ。そういってさっさと脇をすり抜け去ろうとして、むんずと襟を掴まれた。
あれよあれよという間に路地裏に連れ込まれ、殴られて。街外れの森なんぞに不法投棄よろしくポイっと投げ捨てられ、今に至る。
もちろん、稼ぎはすべて彼らの手の内。
正真正銘の一文無しだ。
この怪我の具合じゃしばらくは踊りで稼ぐなんてできそうにもない。
そも、動けそうにだってないのだ。
文字通り、躍ることは生きることと同義であった。
「わっらえねぇ……」
笑えない。でも、笑うことしか、できやしない。
肺が痛んで、四肢が悲鳴をあげる。
イヤな汗がじっとりと背を濡らしたけれど、構うことすら面倒だった。
微かな木漏れ日を目蓋に受けながら、努めて長く息を吹く。
少しは残ってる空腹感も、そのうち感じなくなるだろう。
そうして少しずつ、少しずつ死地への旅路を行く。
もう、それでいい。もう、疲れた。十分頑張っただろう。
そう、確かに思うのに、微かに残った悔しさが胸の奥底でとぐろを巻く。
──いやだ。こんなところでみじめに死にたくない。たらふくご飯を食べて、雨も風もしのげる場所に腰を落ち着けて暮らすのだ。そうして、踊ることは生きることなんて馬鹿げた言葉を言わずに済むようになるんだ。
震える指先を握り締め、歯を食いしばる。
痛む肺を膨らませ、数秒。息を止めたまま軽い反動をつけ、肩を返せば冷や汗がこめかみを流れた。
ドッと臓腑から吐き出た呼気が砂煙をたたせ、眉を顰める。それでも構わず身体に鞭打ち立ち上がろうとして――
「おい、お前。大丈夫か」
声が聞こえた。
低く耳朶を叩くそれは、焦り上擦っているのにどこか落ち着いて聞こえて。張り付いたくちびるを割り開き、応える。
しにたくない。たすけて。
きっと、うまく音にならなかったそれは、ふつりと切れた意識の海に呑まれて。ただただ遠く、懸命にこちらを呼ぶ声だけは、やっぱりどうにも優しく鼓膜を揺らした。