エキナセアを束ねて ある昼下がりの頃。某所にある自身の診療所にて、クラリスは未分類のカルテ等を整理しながら来客を待っていた。ここ最近はアジトに詰めていたこともあり放置していた書類は意外と多く、軽く間を潰すつもりでやり始めた作業が終わる頃には疲労を孕んだ息が口から漏れてしまった。こういった雑務は早めに処理するよう心がけているが、いかんせんワンマン運営なので手が回りきらないこともある。直哉や帝の手を借りてはいるものの、事務処理にも種類は多く彼らには在庫や経理面に任せている。直接患者の情報を取り扱うのは、医者であるクラリスの仕事だ。
そんなこんなで山積みになっていた紙面もいくらか減った。己の成果をやや疲れた目で見やったあと、軽く眉間を揉んでいればガチャリとドアが開く音がする。振り向けば少女が一人、こちらを覗き込むように歩いてきた。
「お久しぶりです、師匠。なんだかお疲れみたいですけど大丈夫ですか?」
「あァ、問題はない。やるべきことを片付けていただけだよ」
来客者である少女、零名はその言葉に少し眉間に皺を寄せたが。すぐに表示を切り替えるとクラリスの背を押して近くの応接用の椅子に座らせた。有無を言わせぬ力強さに流されて座ったクラリスは、レイナが何か小さい紙袋を持っていることに気がつく。
「それは?」
「差し入れですよ。キッチン借りますね」
零名はそう言い、勝手知ったる様子で簡易キッチンにするりと入り込む。隙間から覗くと鍋とポットを取り出しているようで、何かを取り出す音と湯が沸く音が次第に聞こえ始めた。懐かれたといえば聞こえはいいが……遠慮をどこかに置き忘れがちな弟子を横目に、仕方なく近くに置いていた書類をなんとなしに眺めて暇を潰していれば。少ししてふわりと香ばしい香りと共にガラスが触れ合う音が近づいてきた。
「はい、お疲れな師匠にとっておきのハーブティーです」
目の前に置かれたのは紅茶のような色合いのハーブティーだった。草木のような香りがするが青臭さはなく、ルイボスティーのような香ばしさを孕んでいる。
「ほう、いい香りだな」
「でしょう?エキナセアっていうハーブなんですよね」
向かい側に座った零名も慣れた手つきで自分のマップに注ぎ入れ、茶菓子がわりのクッキーを並べる。素直に口をつけてみれば苦味や酸味はなく、ほのかに甘くすっきりとした味わいだ。
「中々いい味だ。クセがなく飲みやすい」
「そうなんですよ。ハーブティーとして楽しみやすいかなっと思ってお土産に持ってきました。まだあるんでよかったら飲んでください」
零名は笑って自分のカップに口をつける。紅茶を上手く淹れられるようになりたいと言っていたので手解きをしたが、あっというまに上達した彼女は次はハーブティーに目をつけたらしい。零名がいつも手土産に持ってくる茶葉はどれもハズレはなく、持ち帰ると澪や柊也も嬉々として飲む。いつのまにか相談や手解きの傍らにはいつも湯気の立つ飲み物が添えられるようになったのは、彼女なりに親睦を深めようとする気概の表れだろう。
「それで、今日は何を持っていきたいんだ?」
「あー、再生医療と整形に関するものがあればお借りしたいです」
「ということはある程度見込みが?」
「はい。おかげさまで大体の部位はくっつけられるようになりました」
チョコレートクッキーを齧る彼女は少し得意げに笑った。というのも零名の能力である治癒(ヒーリング)がどこまで応用が効くものかを実験するために、クラリスの患者を度々貸し出しているのだ。和やかな茶会が開かれているが両名共真っ黒なお医者さんである以上道徳や人道なんてものは存在しない。
零名が行っていたのは人体の再生と接合にどれほど能力が関与できるかという実験だ。結論からいえば失った部位を再生することは不可能だが、部位さえあれば接合は可能ということがわかった。
「ただ刃物でスッパリならまだ綺麗にくっつくんですけど、粉砕とかは難しいですね」
「それは……ああ骨の状態の問題か」
「流石です!やっぱ骨の再生速度は限界あるのでくっつけるだけ綺麗にくっつけて、あとは骨が繋がれば……って感じになりますね」
零名の能力で何が行われているか、調べた結果細胞に働きかけることで驚異的な速度で傷を塞ぐという能力だった。しかしあくまで傷を癒す事しかできず、解毒や部位再生は行えないというのが二人の共通見解だった。
「細胞を動かせるならこう、上手いことコントロールすれば作れたりしませんかね」
「確かに君の能力を活用すればできるかもしれない。だが今のところその能力はヒトが持つ治癒能力に働きかけエネルギーを与えているのであって、ヒトに備わっていない動きをさせるのは難しいだろうな」
「ですよねー……」
未だヒトは失った器官を再生することはできない。技術ではなくヒトがそういう機能を持ち合わせていない為だ。現在研究中らしいそれを常識外からのアプローチでどうにかなればとあれこれ探ってはいたが、細胞ひとつひとつを動かせるようにならなくては到底敵わない夢だ。アニメの中に出てくる自己再生能力をもつ人間をぜひサンプルにしたい……敵幹部の台詞にこれほどまでに共感する日が来るとは思わなかったと零名がぼやけば、クラリスは面白そうにクツクツと笑った。
「少し待っていたまえ。本といくつか印刷していた論文を取ってこよう」
クラリスは空になったカップを置き、間延びした零名の返答を背に資料を保管する部屋に向かう。ひんやりとした書庫はクラリスと仲間達の手によって綺麗に分類分けされていた。その中からいくつか、助けになりそうなものを選んで手に取る。ふと、いつぞや澪に「なんだか楽しそうですね」と言われた事を思い出した。その時はあまり実感はなかったが、確かに医者という対等な立場の人間と言葉を交わすことは少ない。闇医者同士の繋がりはあっても、ここまで懇意に馴れ合うことはない。己の唯一の武器である医術は確かにクラリスの誇りでもあった。それを慕われるのはなるほど、確かに楽しんでいる節もあるかもしれない。
資料を抱えて戻ってみれば、ふっとクラリスの表情が和らいだ。空になったカップと菓子皿を押し除けて零名が突っ伏して眠っている。確かに気合いが入ってあれこれ資料を選んでいたせいか、それなりに時間は経ってしまっていたようだ。大事そうに握りしめたメモ帳には先程交わした言葉が書き込まれており、疑問点などが文の合間を縫うように連なっている。
彼女はあくまで医者であろうとしている。能力に甘えることなく身につけようとしている。だからこそ阿僧祇もクラリスに託してきたのだろう彼女なりに能力をどう扱うべきかを長いこと考えていたようだが、最近答えを見つけたらしい。そのおかげか最近は何を学びたいかを事前に考え、それに則したものを借りにくるようになったのはいい傾向だろう。
昔、まだ零名がクラリスのもとに通い始めた頃。沈んだ表情でぽつりとつぶやいていた。
『私の力は、使っちゃダメなんでしょうか』
その言葉だけで彼女が何を思っているのか、彼女の仲間が何を願っているのかおおよそ健闘はついた。まだ顔を合わせて数度の仲だとしても、自分が人を治す立場にあることへの執着と誇りの持ち方が似通っているのはすぐにわかった。この手の悩みは個人で整理をつけるしかない。だから、クラリスは悩む零名に暖かな紅茶とチョコレートを出してこう告げたのだ。
『君は医者だろう。君が道具になるのではなく、君が道具を使いこなせるようになれ』
「……いい医者になる。君は」
声をかけようとして、やめる。この調子だとろくに休めていないんだろう。家では妹分の世話をしているとすれば、今はここで休ませた方がいい。クラリスは零名を抱え、仮眠室のベッドに横たえる。華奢で幼い容姿だとしても、クラリスの中で彼女は立派な医者だった。あとは自己管理さえ上手くできればいいのだが。
すやすやと眠る零名に布団をかけ、仮眠室を後にする。カップの片付けやまだ手付かずの書類はあるが先程よりずいぶん気持ちは軽くなっていた。診療所にはやわらかなハーブティーの香りがまだ漂っていた。