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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    しおり
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    しおり
    飴玉を舐める 始がインペリアル家出から戻ってきて、二人の皇子は再び公務に勤しむことになった。始の家出の経緯を考えれば、さすがに隼もこれまでのように逃げ回ることはもう止めるしかない。隼なりに、何とか仕事を頑張る毎日を過ごしていた。
     皇族としての公務をこなしながら隼は時折、終わりをただ待っていただけの日々を思い出す。あの頃は国を動かすための仕事など、そんな無意味なものは必要なかった。
     玉座に座り、流れゆく景色をぼんやりと眺めるだけの、無味無臭の毎日。その空の向こうから近くない未来に訪れるものは、きっと『彼ら』の方だろうと思いながら。
     けれど今は違う。隼の元へ来たのは、『彼ら』ではなく世界の始まりだった。それまで何の感慨も沸かなかった味気ない朝焼けが、驚くほどの鮮やかな色を持って、新しい目覚めの朝を染め上げたのを覚えている。そして、隼の目の前には、ずっと焦がれ続けていた、幻の背中が現実にある。
     その背へ、手を伸ばしてもいいのかと迷っていたら、彼は振り向いて自ら隼の手を取った。
     握られた感触、手のひらの温度。繋がれた部分から、ふっと微笑んだ彼の吐息の振動までが伝わってくる。頭の天辺からつま先まで、その時初めて熱が通ったのだと思った。溶けてしまいそうな熱に、ああ、始まる、と呟いた。
     世界は、息を吹き返した。

    「お、今日も逃げずにやってるな? 感心感心」
     ノックもなしに執務室へ現れた海の腕の中には、ズッシリとした書類の山が見えた。隼はできるだけそれを視界に入れないようにしながらも、思いっきり眉をしかめた。
    「うう、海の意地悪。僕が逃げたら始がまた家出しちゃうかもだなんて脅迫してきたくせに」
    「まさか家出するなんてなあ。あの時は本当に驚いたぜ。しかも始のいない間にまさかのクラス5の出現だろ? 敵さんも久々の大群で来たし、あの時はさすがにちょっとヒヤッとしたわ」
    「志季と柊羽が頑張ってくれたよね」
    「第四艦隊のお手並み拝見ってな。おっと、ほら。手が止まってるぞ、隼」
     はあい、と不服そうに返事をした隼は、再びハンコと書類を引っ掴み、バンバンと乱暴に押した。アンティークな執務卓の上には国璽が無造作に転がっていて、海はそっとそれを見なかったことにする。
     たった一人の皇帝であり、第二皇子でもある隼だが、まさか本当に皇族の仕事を真面目にする日が来るなんて、海は思ってもみなかった。
     しかし、今までの怠惰は当然のことだ。隼の自我が覚醒した時、対の存在がこの世界に生まれることは永遠にないのだと確信してしまった。それはつまり、この世界は終わるだけの閉じた世界だということなのだ。何かをすることは、隼にとっては無駄でしかなかった。
     希望と未来が別の世界から飛来するなど、助けを求める隼のか細い声が届くなどと、思うはずもない。なのに、届いてしまった。奇跡は起きた。そして、始まりの彼は惜しげもなくその手を伸ばして隼を掴んだのだ。
    「皇帝は僕なわけだから、皇族の仕事をするのは実質僕と始の二人だけ。春や海は軍の仕事がメインだし、圧倒的人手不足だよね」
    「お前が働きたくないって仕事から逃げ回ってた三年間、始は一人で黙々とそれをこなしてたわけだが」
    「うっ、やめて、海。その件については僕はそれはもう本当に反省したんだよ?! 始に会えなくて、寂しくて寂しくて毎晩泣いてたんだから!」
    「自業自得ってやつだ。あいつ、意外と長いこと帰って来なかったよな。家出っていうのが飛び出してった理由の半分なのは間違いないが、実際は外宇宙の調査をしてたんだろ?」
    「そうなんだよねえ……」
    「その辺の話、俺はよく知らないが。そこで何か問題でもあったのか?」
     隼はハンコを押す手を止めて、じっと書類へと目を落とした。
     戻ってきた始は言った。そこには世界の壁があったのだと。
     元々この世界は広くない。始まりがいないため、最初に世界が生まれた時以降、その領域は認識されず、広がることはなかった。それどころか終わりだけが存在していたので、世界はどんどん縮小していったのだ。時が経つほどに、まるで風船が萎むみたいに空間がやせ細っていく。
     始はこの世界の形を見て回っていたのだろう。母星であるテールの上からだけでは、見えない場所もある。
     彼が与えた希望のおかげで、世界は再び膨らみ始めた。未来という息が吹き込まれた。しかし長い年月をかけて萎えていた世界はすぐには戻らない。少しずつ、時間をかけて膨らませていくしかないのだ。
    「始……」
    「おーい、しゅーんーくーん! 手を動かさないと終わらないぞ? 始にも会えないぞ? まあ、何かあったのなら早めに教えてくれよな。俺はお前の騎士だから、面倒事処理係みたいなもんだ」
    「ええ? 違うよ。海は僕の騎士であり、そして遊び相手だよ!」
    「わかってます、遊び相手という名のお守役。ともかく、このあと俺は軍部の方に行かなきゃならんから、大人しく仕事するんだぞ?」
     ええーっという隼の抗議をものともせず、海は快活に笑いながら執務室から出て行った。
     ぽつんと取り残された隼は、急に静かになった室内を見渡してため息を吐く。卓から立ち上がり、皇族衣装である白いドレスの裾を引きずりながら、背後に聳える大きな窓まで歩み寄った。
     窓の下には宮殿の広い庭園と、その向こうにはテールの街並みが見える。それをぼんやりと眺めながら、隼は始を思う。
     彼が家出と言う名の調査に出かけた時、心が騒いだ。この世界があと少しで終わるところに来ていたのは勿論分かっていたものの、修復が可能かどうかは実の所分からなかった。
     始には世界を作り変える力があるが、こんなふうに隼と一緒にどん底から這い上がる、というのはどうなのだろう。始ならきっと何でもできるし、どんな状況でも彼の意志の前には無意味だ。それが始まりというもので、理なのだと知っている。しかし。
    「始は僕の声を聞き届けて、この世界に来てくれた。……でも、完全な存在ではない」
     隼は自分の手のひらを見た。
     第二皇子の姿をしている今の自分は、もう心の結晶が形を成したものではない。隼が長い長い時を過ごしていたあの部屋は空になった。隼の手を取って、あそこから連れ出したのは始だった。
     束縛から解き放たれた隼の身体は、心の結晶と融合して元の姿へと戻った。だから今ここにいる隼こそが、本体なのだ。
     思えば、始に手を引かれた時が幸福の絶頂だったかもしれない。もう何もいらない、これ以上望むことなんてないと思っていた。手に入れた次の瞬間から不安に苛まれるだなんて、思ってもみなかったのだ。
    「ここにいる始は心の結晶であって、本体じゃないんだ」
     どこかの世界の始。おそらくそこには隼もいて。偶然にもこの世界の隼の声を拾って、心の一部を切り離してまでこちらへ来てくれた。
     だけど彼は、元々は別の世界の隼のものだ。隼の微かな声を聞けるほど能力が高いのなら、きっとそこでは理想の対の姿をしているのだろう。ズキンと胸が痛む。
     勿論、助けに来てくれたことは嬉しい。始に会えた喜びなんて、それこそ言葉にはできない。けれど、そこには制限がある。戸籍も出生届もないのはこの世界で生きるのに不便だろうという建前で、認識操作を駆使して彼に第一皇子の座を与えた。彼をこの世界のルールに縛り付けたいだけの、悪あがきだった。
     ここにいる始は、本体から切り離されたひとひらの存在だ。彼がその力を振るう度、その存在力は失われていく。飴玉を舐めるように、少しずつ、少しずつ溶け出していく。溶けた飴は元には戻らない。そうしていつの間にか消えて、舌の上からなくなってしまうのだ。
     補充などない、一度だけの奇跡。
     ふと、少し前に行ったバレンタインというイベントを思い出した。どこかの世界の自分の知識や想いをふっと知ることがある。始と出会ってからその回数が増えていたのは、始まりと終わりのバランスが調和して安定してきたからなのだろう。
    『バレンタインデー……ね』
     そう呟いた始は、今思えばそのイベントを知っているようにも見えた。
    「もしかして、あれは始の本体がいる世界のイベントだったのかな」
     あの時感じた、違う世界の自分のワクワクする気持ちはとてもあたたかいものだった。
    「あの僕はとても幸せ……なんだろうな」
     羨ましい、と思ってはいけない。その一端に触れられただけでも自分は幸運なのだ。対といいながら、始まりに出会える終わりは実はそう多くはないのだと知っている。
     小さな飴玉を舐め終わるまでのひと時の幸福。それで十分なのだ。だけど少しでも美味しいと感じる喜びを先伸ばしにしたくて、口の中で転がすことができない。ずっと溶けないまま、舌の上に残っていてと願ってしまう。
     けれどもわずかに感じる甘味に、確実に消費していることを嫌でも知る。
    「僕が傍にいると、消費が加速するんだろうな」
     対はバランスを取ろうとする。目には見えない力の交差が起こる。しかし隼は、本来の彼の対ではない。同じ存在ではあるが、違う意志を宿している。それは少なからず始の負担となるだろう。もしかしたら、彼はこちらに来た時既に、世界を書き換えるほどの存在力までは持っていなかったのかもしれない。
     始が家出から帰ってきた直後は嬉しすぎてベタベタくっついて回っていたけれど、馬鹿なことをしたと後悔する。触れられなくても、その背中を追いかけられるだけで幸せなはずだった。
    (手を、繋がれてしまったから)
     手のひらの温度を知ってしまったら、触れなくていいなどと、もう二度と思えない。だとすれば、彼の姿を視界にできるだけ入れないようにするしかない。そんなことくらいしか思いつかなかった。
    「執務室も始と分けたし、僕の執務室とは離れたところにした。寝室も遠いし、昼間は僕が自分の執務室に篭って仕事をしていれば、会う機会が減る……」
     自分で仕向けたことではあるが、気が滅入る。同じ世界に望んだ存在がいるのに、会えないなんておかしい。それでも、姿が見えなくても存在は確かに感じるのだ。今が良ければとばかりに彼の存在を消費したとして、消費し尽くしたあとはどうするんだ。その先のことなど考えたくもない。
     泣きたくなる気持ちを堪えて、隼は再び卓へと戻る。こんな時は無心に判を押すに限る。単純作業は頭を空にして没頭できる。
     その時、ノックもなく執務室の扉が開いた。海が戻ってきたのかと思って顔を上げて、隼は固まった。
    「…………始」
    「なんだその顔。……招かれざる客で悪かったな」
    「えっ、そんなことないよ! 嬉しいよ?! 始お兄ちゃん!」
    「二人きりの時はそれやめろ。鳥肌が立つ」
    「だって始は弟じゃ嫌なんだよね?」
    「断固として拒否する」
     ムスッとした子供っぽい顔に、隼は思わず笑ってしまう。会えないと思っていた相手だが、いざ会ってしまえば他のことがどうでもよくなるくらいの幸せが込み上げてくる。
     抱きついたらきっと存在を消費してしまう。いや、少しくらいならいいんじゃないか。
     そんな葛藤が脳内でぐるぐると渦巻く。
     触れたい、触れたい。触れられたい。
     あのあたたかな熱を、何度でも感じたい。
     手を伸ばしかけた時、冷静な自分が反論した。そうして彼を喪うのか、と。
     急に萎えた心に、隼の腕が力なく体側へ落ちる。アクションをしてこない隼を、始は訝しく思ったのか、ぴくりと片眉を上げた。
    「それで、君の要件は何かな?」
    「用がないと、ここへ来たら駄目なのか?」
    「……っ、そんなことは、ないけど」
     隼のはっきりしない態度が気に触ったのか、始は皇族服の黒いドレスの裾を捌きながらずかずかと隼の元までやってきた。
    「お前、いつまで拗ねてるんだ」
    「え」
    「一年近くテールに戻らなかったのは悪かった。だが、この世界を把握するためには必要なことだったんだ。お前は第二皇子だし、皇子が二人揃って長く宮殿を空けるのは不味いだろう」
     何の話を、と隼は混乱する。どうやら始は、家出兼調査の旅に置いていかれた隼が塞ぎ込んでいると思っているようだ。置いていかれて錯乱して腐り始める辺りまでいっていた相方がいたせいで、隼もそうなのかと警戒していたようだ。
    「……大丈夫、わかっているよ。君と直接会えないのは寂しいけれど、この世界に君がいる限り、どこにあっても僕にはその存在を感じられる。だから、大丈夫だよ」
    「直接会いに来なくなったのにか?」
    「…………!」
     率直に切り込まれて、ガードが間に合わなかった。息を飲んだ隼を見て、始はやっぱりなと呟いた。
    「何があった、隼。理由を」
    「僕に触らないで!」
     伸ばされた手から咄嗟に逃げた隼を、始が呆然と見た。
     あんなに好きな手が伸ばされて、隼に触れようとしたのに逃げることしかできなくて、気持ちがぼろぼろになる。泣きたくなるのを堪えて、隼はもう二、三歩下がった。すると始がその分隼へ近づいたので、慌ててさらに下がる。執務卓をぐるっと一周する形で短い追いかけっこが終わる。
    「隼!」
    「いやだ! 来ないで!」
     始がため息をつく。俯いた隼には彼の表情は見えなかったが、きっと呆れられたに違いない。意味の分からない癇癪を起こされて不快だろう。嫌われたくなんてないのに。
     ぐっと唇を噛んだら、手首を掴まれて引き寄せられた。
    「今、どんな顔して言ってるか、お前はわかってるのか?」
    「……知らない。自分の顔なんて見れるわけがないよ。離して、始。お願いだから」
    「理由を言え」
    「早く! お願い! 君が減っちゃう!!」
    「……は?」
     叫んだ言葉に、始は今度はポカンとした。
     全力で掴まれた腕を引こうとしているのに、それ以上の力でギリギリと締められて逃れられない。始から逃げたくなんてあるわけないし、むしろ捕まっていたいのに、どうして、と隼は叫ぶ。
    「早く離して! 溶けてしまう! 君が、君が……!」
    「意味がわからない。俺が減るってなんのことだ?」
    「僕はまだ、喪いたくない……! うあッ!」
     背中に衝撃が走る。強い力で卓の上に背中から倒された。書類が散らばる音、ペンが転がっていく音、何かが床に落ちる音。肩をしこたまぶつけて痛い。咄嗟に瞑った目の奥でチカチカと星が飛ぶ。
    「落ち着け、隼」
     優しい声がすぐ上から降ってきて、おそるおそる目を開ければ、きらきらと輝く紫が隼を包むように見つめていた。
     恐慌状態に陥っていた身体から力が抜け落ちる。紫から目が離せない。本来ならこの世界にないはずのものだ。永遠に手に入れられないと思いながらも、隼がずっと待ち望んでいた光がそこに在る。
    「はじ、……」
     頬を撫でる手のひらがひどく優しい。あたたかな熱に蕩けて、隼はまた目を閉じた。
     こうしていれば少しずつ確実に失っていくというのに。砂時計の砂のように、こぼれ落ちていってしまうというのに。
    (もう、どうしていいかわからないよ)
     このまま消えたいとさえ思うけれど、始まりより先に終わりが消えることなんてない。
    「もう、泣くな」
     熱くなった目尻を優しい指が拭う。
    (始、大好き。そこにいて)
     口に出せない代わりに胸の奥で叫ぶ。
     奇跡の邂逅が訪れたはずなのに、この胸は切なさに溺れてしまいそうだ。一度きり、一度だけでいいなんて嘘だ。一度でも知ってしまえば、何も知らなかった頃よりもっと酷いことになる。
     だけど、やはり知らなくて良かったとは到底思えなくて、隼は諦めた。ぐったりと身体の力を抜いて、始の熱を忘れないように、手のひらに頬を押し付ける。
    「理由を、話せるか?」
    「…………」
     口を開きかけたものの、色々と諦めてしまった脳は億劫になってしまい、なかなか言葉が出てこない。
    「もしかして、バランスが取れてないのか? ……長いこと、離れていて悪かった」
    「なんで、君が謝るの?」
    「この世界のお前の力は強い。だから、均衡を保つのが思うようにいってない。俺自身、自分の力をコントロールするのがなかなか難くて、な」
    「……違うよ、君のせいじゃない」
     隼が起き上がろうとすれば、始はすんなりとどいた。今度は手首を優しく支えて、上体を起こしてくれる。
    「僕が、少しでも君の存在をこの世界に留めておきたいと思っているだけだから」
     始は意味が分からないと首を傾げた。当事者である彼が知らないはずはないのに、と隼の方こそ不思議に思う。
    「君と僕は、触れるだけでお互いの存在が交わるよね。だから、その分早く君の存在を消費することになる。ここにいる君は本体ではなく、心の一部から分離した結晶だ。それは少しずつ削られていき、いつかはなくなって消えてしまう。だから、」
    「それで、俺が減ると?」
    「……そう。君は減ってしまうんだ。タイムリミットがある。ああ、でも誤解しないで? 君を責めているわけじゃないんだ。僕の声を聞いてくれて、ここへ来てくれたことは、本当に嬉しく思ってる。それだけは、嘘じゃない」
     視線なんて合わせられなくて、隼は大理石の床をじっと見つめていた。そういえは彼は、隼を救いに来てはくれたが、まだこの世界に留まっていてくれるが、きっとその気になれば、元の世界に戻ることだって可能なのだ。
     急に返答が怖くなって、喉の奥に気持ち悪さが込み上げる。苦しい。長年降り積った体内の汚泥を、今すぐすべてぶちまけてしまいたい。
    「なんだ、お前はそんなことで悩んでたのか」
    「そんなこと、って」
     想像よりもずっとあんまりな答えが返ってきて、隼は絶句した。
    「俺は減らないし消えない。そんな儚いものじゃない」
    「そんなの、わからないでしょ。君という存在の成り立ちを考えれば、これが自然の流れだよね?」
    「減らない」
    「減るよ!」
    「減らない!」
    「減るの!」
     子供みたいな言い争いをして、何をしているんだと頭の片隅で自嘲する。そんな隼に何を思ったのか、始は一歩下がって、突然豪奢な闇色の上衣を荒っぽく脱ぎ捨てた。
     隼が唖然として見ていると、始は前身頃を寛げて、あっと言う間に半裸みたいな状態になってしまった。普段は厚い服の下に隠された胸板や腹部が晒されて、思わず視線がそこへ釘付けになってしまう。
    「物理的に証明してやる。お前も脱げ」
    「……はい?」
     何を言い出すのかと、隼は今度こそ呆気に取られた。その場で棒立ちになっていると、痺れを切らしたらしい始が隼の元へ寄り、ばりばりと白い上衣を剥がしにかかった。
    「えっ、ちょ……は、はじめ…?!」
     二人が着ている皇族服は、多少のデザインは違えど形は同じものだ。慣れた手つきでどんどん服を乱されて、隼は今度は腰を抜かしそうになった。早すぎる展開に着いていけない。
     キャーっと悲鳴を上げている間に前をすっかりはだけられて、執務卓の前に座り込んだ隼の上に始が伸し掛る。
     正面からぎゅっと抱きしめられて、隼は硬直した。露出した胸、心臓の辺りの肌が直に重なり合う。どきどきと鼓動が響く。それからあたたかい熱。触れ合った場所から確かに感じる。お互いを通り抜けて混じる、力の奔流を。
     気持ちよくて、体内で滞っていたものがすべて流れ出ていく感覚に、隼は思わず声を上げた。
    「あっ、あ……、始……っ!」
    「心臓のあたりを直でくっつけるのが、一番効果があるって聞いたんだが」
     感じる、こんなにも近くに彼の力を。
     直接身のうちに流し込まれて、隼は身体が作り替えられていくような感覚に陥る。大きな流れに飲み込まれていく。溺れてしまう。このまま壊されてしまいたい。
     バラバラになった意識も身体も霧散して、彼の一部に溶けていく。存在を壊されてぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。それが堪らなく気持ちいい。
     隼はいつの間にか、しっかりと始の背中へと腕を回していた。縋り付いていたと言うべきだろうか。
    「はじめ、もっと……」
     欲しい、と吐息と共に囁けば、彼はふっと笑った。
    「俺の力は、すぐに消えそうなほど弱いと思うか?」
     隼はううん、と首を振る。か弱さなど欠片も感じない。ただただ力強い存在が、隼を容易く飲み込んでしまう存在がそこにあった。だから安心しきって彼に身をゆだねた。
    「もらっても、いいの」
     どこか別の世界の隼のものだった始。
     その欠片を、捕まえて自分のものにしても許されるのだろうか。
    「……お前が、満足するまで」
     ずくん、と腹の奥に熱が湧き上がった。今すぐ彼を、思うがままに貪りたい。始、と囁いて彼の頬を捕らえた。間近で見る紫の瞳は美しく煌めいて、隼だけを映す。名残惜しく思いながらも目を閉じて、唇を寄せていく。吐息が、近づいていく。
     その時、バタンと執務室の扉が開け放たれる音がした。
    「隼殿下! 以前ご依頼いただいていた例のもの、無事にご用意できました……って、あ、えええ?! 睦月大将閣下?! こ、これは一体……?! お取り込み中でした……?! あわわわわ、大変失礼しました!」
     ノックもなしに慌ただしくドアを開け、けたたましい声とともに入室して来たのは研究開発局・UMA研究局の副主任である太田少佐だった。彼はロスト・エンドの時に縁が繋いだ相手であり、今でも第一艦隊、第二艦隊のメンバー共々親しく付き合いがある。
     第二皇子である隼の執務室に飛び入り入室できる程度には、仲の良い相手であった。しかし、始はそこで我に返ったようで、硬直したまま動かない。逆に色々とやる気になった隼は、残念そうに眉尻を下げた。しかしすぐに、言われた内容を理解してドア前で硬直している男へと微笑んだ。
    「例のあれ、テールにも存在してたんだね。わあ、ありがとう! 僕ね、とっても楽しみにしてたんだ」
    「そ、そそそそそうでしたか! いつでもお渡しできますので、またお声掛けください! それでは私は失礼致します! ちなみに私、偏見などは一切持っていませんし、お二人の仲が宜しいのは十分すぎるほど存じておりますので! お邪魔をして申し訳ありません! あとはごゆっくりどうぞ!」
     バタン、と慌ただしく扉が閉められた。
     乱雑に床へ脱ぎ捨てられた上衣に胸が露になるほど乱れた着衣、あと少しで重なるはずだったお互いの顔の距離。誰がどう見ても戯れの範疇を超えた状況に気づいたのか、始の耳がどんどん赤く染まっていった。
    「始ったら、こんな白昼堂々僕を脱がして床に押し倒すなんて、大胆だね。でもそんな強引なところも僕は大好きさ」
    「違う。そんなつもりじゃない。結果的にそう見えただけで、俺は隼の力を安定させようとして、」
    「少佐は確実に誤解したよねえ。でも彼はホイホイと吹聴するような人間じゃないし、僕は気にしないよ!」
    「俺は気にする!」
    「それよりも……ねえ、始。僕は続きがしたいんだけどな?」
    「他にも人が来たらどうするんだ。そもそも何で皇族の執務室にノックもなしに入ってくるんだ」
    「君もいきなり扉を開けるし、海も春も皆もノックなんてしないよ?」
    「…………」
    「そうだ。ここがダメだと言うのなら、僕の寝室に行こう。君が留守にしていた期間も含めて、ずっと君に触れるのを我慢していた分、君の存在の力にたくさん触れさせて?」
    「…………っ」
     悩ましげに聞こえるような言葉を選んだのは、わざとだった。息を詰めて首まで赤くなってしまった始が可愛くて、愛しくて、先ほどまで隼をいいようにしていた人とは思えない。隼は笑みを深くした。
    「始。僕に、……くれるかい?」
     こくん、と控えめに頷く丸い頭を見て、どきどきと心臓が鳴り出した。ずっとこの世の終わりのように悩んでいたというのに、現金な心は始に許されて、どこから触れようか、どうやって睦み合おうかだなんて、欲望に忠実に走り出す。
     もう一度だけ始との距離を詰めれば、若干目元を潤ませながら彼は隼を見つめた。懲りない手はダメだと言われたのに、思わずまた始の頬に触れてしまった。じんわりと伝わる熱。引き寄せて、そのまま、今度こそひと口だけでも。
    「よう、隼! 真面目に職務に励んでるかあ~? って、どわああああ?!」
    「……あーあ、いけないんだ。こんな真っ昼間から皇子が二人、仕事を放り出して執務室で密会してるなんて」
     やはりノックもなしに現れたのは、別れてからまだあまり経っていないはずの海と、春だった。海はぽかんと口を開けて、えらいこっちゃと無意味に左右を見回した。春はといえば、ニヤニヤと笑いながら弱みを握ったとばかりに真っ直ぐ始を見た。
     始はそんな春の態度が気に触ったのか、すぐさま険しい顔になって立ち上がる。服は乱れたままだし、胸も大きくはだけているので迫力は削られていた。しかし春の方はそんな始のしどけない姿にちょっと怖気付いたようで、すぐに笑みを消した。
    「言いがかりだ。いちいち食ってかかるな、春」
    「へえ、そう。言いがかり、ね。俺たち軍人がせっせと働いている間に兄弟でイチャつくなんて、いいご身分だね。……ああ、今の君は第一皇子なんだから、ある意味やりたい放題なのかな?」
    「何が言いたい、春」
     瞬く間に険悪な雰囲気になる二人に、隼はポツンと取り残される。ある程度平常心を取り戻した海が駆け寄ってきて、そんな隼を起こしてやった。
    「お、おい隼。こりゃあ一体……。お前、まさか、無理やり始を……」
    「やだなあ、誤解だよ海。何しろ最初に襲われたのは、何を隠そうこの僕なのだからね!」
     きらりんとウインクを飛ばせば、海は「はあ?!」と叫んで始を見た。
    「始に迫られて襲われるなんて激レアすぎるエッセンシャルな体験! 最高にスリリング! 美しすぎる顔をどアップでガン見できる、僕だけに許された史上の楽園……!」
    「あー、うん。なんか、俺が真面目に心配するような方向性の事件じゃなかった気がする……」
     天高くガッツポーズをした隼を見て、海は安心しつつも肩を落とした。
    「そんなら始、無理やりはさすがに隼相手でもよくないと思うぞ? いや、コイツめちゃくちゃ喜んでるけどな?」
    「誤解だ、海」
    「ふうん。隼だけに許された、かあ」
    「お前はさっきから……。言いたいことがあるならはっきり言え」
     再びバチバチと視線に火花を灯した二人へ、どうしたもんかと海が苦笑する。
    「まあまあ春、俺たちはケンカをしに来たわけじゃないだろ?」
    「俺のことは避けるのに、隼のことは襲うんだ?」
    「その悪意ある言い方はやめろ。それに避けているのは俺じゃなくて、お前の方だ。お前が俺を、避けているんだろう」
    「俺は君の騎士なのに、長旅に置いていかれてとんだ笑い者だよ。どれだけ信頼がないのかってね。副官としてはお笑い草だ」
    「それは……。お前には地上に残って補佐してほしかったと言っただろう」
    「物は言いようだね。朝起きて、いつものように君の執務室へ行ったら中はもぬけの殻。君の姿はどこにもないどころか、宇宙の果てだった。呆然としたよ。周りの奴らも何事かと騒ぎ出して、好奇に溢れた目で俺を見るんだ」
    「前日、情報を共有できずに会えなかった件については謝った」
    「晒し者にされた俺の気持ち、考えたことある?」
     止まらない応酬に、海の額から冷や汗が流れた。始に置き去りにされた春が荒れていた時、海はその場にいなかったが、あの隼が引くほどの惨状だったという。苦笑いの葵から話を聞いて、いなくて良かったと言うべきなのか。
    「それなのに始は俺にハグもできないの? 隼のことは襲うのに?」
    「やめろと言っている」
    「やめないよ。あーあ、眼帯の奥の眼がじりじりと痛んでくる気さえするよ」
     そこで海は、ぶちっ、と何かが切れた音を聞いた。確実に猛獣の尻尾を踏みつけた気がする。
    「あー、あのー、お二人さん、そろそろその辺で……。春、俺たちはまた戻らなきゃいけないだろ? なあ、」
    「……わかった。そこまで言うならお前を抱いてやる」
    「君にできるのかな?」
    「始、その言い方はちょっと語弊がある気がするんだが?! おい、春もいちいち挑発するな!」
     仁王立ちで睨み合う男二人に、海がああもうと自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。隼はわくわくしながら行方を見守っていた。
    「男らしい始カッコイイ! ねえ海、どっちが勝つと思う? 僕的にはいい勝負になると思うんだけどなあ」
    「何の勝負だよ?! 君はちょっとそこで黙ってなさい!」
    「えー?!」
     バキバキッと何かが砕けて弾け飛ぶ音がして、海がハッと視線を戻せば、破壊された木製のスツールの残骸が床に無惨に落ちるところだった。
    「…………春、なんで避けるんだ」
     少しだけ悲しそうな顔をした始に対して、春はざあっと顔を青ざめさせて叫んだ。
    「ちょっと! 今、君、俺に絞め技掛ける気満々だったよね?! 避けなかったら俺がスツールの代わりに粉々になってたよね?!」
    「お前が抱きしめろって言った」
    「言い方に語弊がある! それに、俺の言ってる意味とは天と地ほどに差があるよね?!」
     春は定期的に始に構われたい病を発病するが、素直ではないので迂遠な物言いが苦手な始とは大抵すれ違いが起きる。それ自体にはある程度慣れている海だったが。
    「これはひどい」
    「すごいねえ、始! 僕はあのスツールになりたいよ!」
    「これもひどい……じゃなくて、春が『隼ばっかりずるい、俺ともインペリアルハグして』って素直に言えば済む話なのに」
    「あのね、海。エリート人生街道をひた走ってきた者の口から出る言葉としては、そっちの方が難易度高いと思うよ?」
     隼と海が感想を言い合う間にも始と春の攻防は続き、執務室内はめちゃくちゃに荒れていた。書類は吹き飛びインクは零れ、散らばる木片は増えていった。
     これ、誰が掃除するんだと、海は頭を抱えた。
    「逃げるな春!」
    「逃げるよ! 命は大事だからね! 軍事訓練で戦闘経験は十分に積んでいる俺でも、ツキノ帝国第一皇子にして怪物と恐れられる第一位適合者、第一艦隊司令官の睦月始大将閣下と渡り合おうとは思わないよ!」
    「お前はゴチャゴチャと煩い。とっとと黙って俺に抱かれろ」
    「それ、俺のこと確実に絞め落とす宣言だよね?!」
     揉みくちゃになった二人の見た目は、海たちが執務室に来た時よりさらに酷い惨状になっていた。髪はぐちゃぐちゃに乱れ、元々半裸みたいな状態の始の露出度はさらに上がっていた。こりゃまずい、と呟いた海は、終わる気配のない不毛なバトルに介入することにした。
    「……っ、海?!」
    「今回はその辺でやめとけ、始。春もこんなところでヤキモチ妬くな。あとで普通にハグしてもらえばいいからな?」
    「海、余計なこと言わないで! 隼、離せ!」
     始の背後からにじり寄った海は、彼を羽交い締めすることに成功する。隼も海に倣って春をガシっと捕まえて動きを止めさせる。
    「あー、もう。急ぎの書類渡されて戻ってきただけだったのになあ。あのなあ二人とも、ここは執務室だぞ? たまたま来たのが俺たちだから良かった……いや、春のおかげで被害が拡大したけどな! もし他の奴だったらどうするんだよ。ようやくテールが安定してきたってのに、皇族のスキャンダルなんてシャレになんねーだろ。とか言ってるとフラグ回収されそうな気もするが、」
    「ちーーーっす! 隼殿下いらっしゃいますー? 葉月パイセンに頼まれて書類を届けに……」
    「…………」
    「…………」
    「…………」
    「…………」
     シン、とその場が静まり返った。
     タイミング悪く現れた三番目の闖入者はしばらく目を見開いて固まっていたが、エリートの精鋭らしく、何事も無かったかのように失礼します、と言って室内に入ってきた。
     まるで強盗にでも荒らされたかのように物がぶちまけられた執務卓の上に、抱えていた封筒を置く。それから彼は居住まいを正し、春を背後から縛めている格好の隼へと敬礼をした。
    「ノックもなしに失礼しました。第二皇子殿下。葉月大佐の伝令で参りました」
    「うん、ご苦労さま。君が来るということは、諜報局関係の話かな?」
     顔を上げた軍人、諜報局に所属する陽の後輩である荻(おぎ)中尉は、ちらりとその場にいるメンバーを見遣り、その問いに答えても問題ないことを確認してから再び隼へと向き直った。
    「仰る通りです。確認の方、お願いいたします。それでは失礼いたしました!」
     荻は扉の前まで行くと、ちらりと隼たちを振り返って申し訳なさそうにヘラッと笑った。
    「いやあ、お取り込み中ホントサーセンっした! 俺は口の固いよく出来たエリートですし、皇子とも気安くさせてもらってる仲なので偏見とかないっスけど、この時間帯に執務室で乱交するのはちょっとマズいかなって」
     軽い口調で言い放たれたとんでもない誤解に、海が弾かれたように反論する。
    「ら、乱交って……ちょっと待て。待て待て待て、ものすっごい誤解だ! これは肉食獣の戯れっていうか、こっちは命懸けで止めてたんだよ! 俺の皇子のお守りだけでも大変なのに、それが二人も増えた時の俺の苦労、わかる?!」
     荻は何とも言えない表情を浮かべ、もう一度四人を順番に見た。
     乱れに乱れたあられもない格好の第一皇子、それを背中から抱きしめている海、始ほどではないが髪や制服が乱れ、ただ事とは思えない状態の春、そしてその背後へ縋り付くようにしている半裸の隼。
    「うーん。いや、ちょっとよくわかんないッス。でも葉月パイセンの上官である文月少将のことは最高にリスペクトしてますんで! あ、皆様方、このことは決して口外しませんのでご安心くださいねー!」
     陽気な声で、チャラい諜報局員はパタンと扉を閉めて去って行った。
    「我ながら見事なフラグ回収。お疲れ様、俺」
    「おつかれさま、海。さすが僕の騎士だね! 惚れ惚れするタイミングだったよ」
    「そりゃどうも。お褒めに預かり光栄……っていうか、とんでもない不名誉だったけどな!」
     隼と海が始と春を解放しても、二人はもう暴れなかった。心なしか青い顔をしながら力なく俯いている。表向き品行方正で通っている二人としては、乱交と言われたのが堪えているのかもしれない。
    「……悪い、海。どうかしてた」
     あからさまに憔悴した始に、海が苦笑する。
    「ホントにな? 始はまずその誤解しか生まない服装を直そうか。隼もだよ。それから春、お前も酷い格好だ」
     パンパンと手を叩かれて、三人は言われた通りに身なりを整えた。そして散らかりに散らかった執務室を黙々と掃除し、いつの間にかティータイムへと突入していた。ティーテーブルの上には海が入れた紅茶と、お茶菓子のクッキーが添えられている。四人はのんびりとソファに座っていた。
    「ところで、春と海は戻らなくていいのか?」
     ティーカップを傾ける始を、春がチラリと見る。険悪さが嘘のようにカラッと消えているのはいつものことだ。素直になれない者同士は面倒くさいなと海はクッキーを一枚摘んで口に入れる。
    「俺も海も、本当はすぐ戻らなくちゃいけないんだけどね。彼らも少しは自分の脳みそを使って考えればいいんだ。丁度いい機会だよ」
    「春は手厳しいな。まあ、実を言うと俺も同じ意見なんだけどな」
     ロスト・エンドとクーデター未遂事件によって、軍上層部の一部腐敗や権力にかまけていた実態が白日のもとに晒された。あれから三年以上の月日が流れたが、『彼ら』の襲撃は勢力を弱めてはいるものの、残念ながら今でもなお続いている。
     大軍の襲撃の最中に内輪揉めなど、恥以外の何物でもない。そんなわけで身分が明かされた第一皇子の元、軍全体の規律と統率の見直しがされ始めたのだ。春は第一皇子の副官にして、その明晰すぎる頭脳の持ち主ということから、あちらこちらと呼ばれては忙しく顔を出しているらしい。軍を掌握しつつあると言っても過言ではないが。
    「はあ、でもまあ結構長居しちまったな。おい隼、陽からの書類は大丈夫なのか?」
    「うん、大丈夫。問題ないよ」
    「そういえば、太田少佐からも報告があったよな」
    「ああ、海と春が来る直前に始と僕が仲良くしてたタイミングで来た報告のことだね」
     にこやかな隼の発言に、始は眉間に皺を寄せ、海はぶっとクッキーを喉に詰まらせた。
    「目撃者は、二人か……」
    「げほっ、ごほっ……、春?! 目が怖いぞ?!」
     こほんと大きく咳払いして、海は始と隼を窘める。
    「結局何してたんだか知らないが、君たちは皇族なんだからな?! 必要なことでも他人に誤解を与えるようなマネを、こんなとこでするんじゃありません!」
    「はあい。ごめんなさい」
    「……考えが足りなかった。反省してる、海」
    「まあ二人とも、信用できる相手だからいいけどな。……それから隼、良かったな」
    「……うん!」
     海は、隼が始のことについて何かしら悩んでいることを知っていたので、気安く戯れていた二人を見て安心したのだろう。それを隼は心強く思う。だからこそ、飴を大切に舐めたいと思ったのだ。
     今この幸せな時に、少しでも長く皆と居させてほしかったから。
    「で、太田少佐の方は何かあったのか?」
    「確か……、何かが揃ったとか言っていたような」
     始も気になったのか、記憶を掘り起こしながら小首を傾げた。
    「僕の個人的なお願いでね、『タコ』という生物を探してもらっていたんだ」
    「タコ? 聞いたことないなあ。始は知ってるか?」
    「……同じものかどうかはわからないが、そういう名前の生き物を知っているな」
    「おお? 未知の生物か? ここは物知りな春先生の出番だな。見解をどうぞ!」
     海から話を振られた春は、盛大に眉間に皺を寄せた。嫌悪感を隠しもせずに、拒否反応を示す。
    「……海、君はわかってて俺に話を振っているのかな?」
    「え? 何が?」
     あっけらかんとした裏表のない笑顔に、春は毒気を抜かれてはあと息を吐き出した。
    「この会話の流れからいって、十中八九どこか別の世界の生き物の話でしょ。俺はそういうものに興味がないって、前に言ったよね?」
    「確かにお前は以前、自分の理解が及ばない範疇のものは苦手だと言っていたな」
    「違うよ、始。知っても意味がないものに割ける頭のリソースはないってこと。それはただの浪費だ。俺は無駄が嫌いなことは知ってるだろ」
    「ふむふむ。で、春の本音のところは?」
    「ああ~、なるほど。世界の話をする隼と始についていけなくて、春は仲間はずれにされるのが面白くないんだよな!」
    「ちょっと隼、海! 勝手な解釈するのやめてくれる? 迷惑なんだけど」
    「ははっ、悪い悪い。んで、そのタコだっけ? 何でそれを探してるんだ? 隼」
    「うん、いい質問だね。少し前、チョコレートのイベントをしたでしょ? そのあとにもう一つ、ふっと頭の中に浮かんだイベントがあったんだ」
     ああ、あれか、楽しかったよなあと海は破顔した。
    「それが、タコにまつわる何かってことか?」
    「そうなんだよ。それを小麦粉と混ぜてまあるく焼くとね、とーっても美味しいんだって! だから、この世界にも似たような生き物はいないのかなと思って尋ねてみたんだ」
    「太田少佐、無茶振りされたなあ。ある意味UMAを研究するよりハードルが高いんじゃ」
    「だけど彼は、『用意ができた』と言った。つまり、類似する生物が見つかったということ?」
     仏頂面のまま春が疑問を挟む。隼はそれに笑って答えた。
    「どうやらそのようだね。元々僕らは『彼ら』との戦いに明け暮れていたから、テールの生態系なんかについては長い間調査できていない部分があってね。『彼ら』の動きが大人しくなったこの機会に、母星をちゃんと調査しようということになったわけさ」
    「それは俺も知っているよ。その会議に混じったこともあるしね。ずっとここで暮らしていて、今は守る対象だっていうのに、あまり知られていないことが多くて正直驚いてる。俺も士官学校にいた頃までは、上へ登り詰めることしか眼中になかったから」
    「おっ、春が食いついた」
    「うるさいよ、海。これは別の世界の話じゃなくて、俺たちの星の話でしょ」
     言い合う海と春を眺めながら、その領域はずっと空白だったのだと隼は胸の内で呟く。縮小した世界に、海の奥深く、深海の底はなかった。元々存在しないものなのだから、誰も知らなくて当然なのだ。
     ちらりと始を見る。彼がタコを知っていたことに、隼はやはりと納得する。彼の記憶の影響を受けて、この世界にも新たな生き物が生まれ始めているのだ。
     隼の知らないところで始の力が作用していることに、驚きとともに畏怖を覚える。もうこの世界の主導権は隼にはない。自分はただの傍観者となったのだ。
    「始は、バレンタインも知っていたのかな?」
    「……ああ。毎年チョコレートを貰ったりやったりしていたな」
    「そっか」
     彼の元の世界へ嫉妬してしまう。これでは春のことを揶揄えない。
     だけどもう、この始は隼のものだ。返してなんてやらない。
    「タコとやらを丸めて焼けばいいのか? 興味あるな。全員誘って食べようぜ! 春も食うよな?」
    「……この世界のものでしょ。勿論食べるよ」
    「わあい。じゃあ皆でタコパだね!」
    「タコパ?」
    「タコヤキパーティー。略してタコパって言うんだって!」
     和やかにお茶会の時間は終わりを告げ、海と春は軍部へと戻って行った。
    「さてと、僕はハンコ押し作業の続きをしなきゃね」
    「普段からそうやって仕事してもらえればいいんだかな」
    「始の家出で反省しました。これからはちゃんとやります! その気になれば僕はできる子だからね!」
    「自分で言うな。最初からやれ」
     苦笑する始に、隼は笑顔を返す。
     だってそこに、未来があるのだから。
     そんな呟きはきっと始へ届いただろう。
    「昼間は悪かったな。いろいろ先走りすぎた」
    「ううん。僕の方こそ何も言わなくてごめんね。でも、もう本当に大丈夫だよ。始に迫られるなら大歓迎さ!」
    「バカ」
     そろそろ自分の執務室に戻る、と言った彼の手を取って引き止める。
    「どうした?」
    「始。……ちょこっとだけでいいから、くれる?」
     何を、とは聞き返されなかった。
     肩を抱き寄せれば二人の距離はゼロになる。昼間のように始の頬を包み込み、顔の角度を傾ける。彼の唇へ自分のそれを触れ合わせ、舐めた。
    (────あまい)
     ぶわりと力が満ちるのを感じる。優しいそれは心地よく、心を満たしていった。
     ペロリともう一度舐める。今まで怖くてできなかった行為だ。薄く解けた唇の中へ、隼は舌を伸ばす。舌先で彼の舌を擽るように舐めれば、抱きしめた肩が震えた。
     あまいあまい、猛毒のようだ。そして隼は、この毒で死にたいと思っている。
     短い口づけが終わり、熱が離れていく。完全に離れる前に、熱を分け合った唇から吐息が零れた。
    「……隼。もしもこの先、俺の存在が失われていくようなことになったら、そうなる前に世界そのものを作り変えてやる」
     ぞくり、と背筋に這い上がるのは畏れか喜びか。
    「うん。約束だよ、始」
     扉の向こうへ愛しい姿が消えるのを見送り、隼は執務室から繋がっているレストルームへと駆け込んだ。喉の奥が苦しくて、先ほど口にした紅茶が逆流してくる。何度か嘔吐き、洗面台のボウルの中へ、胃の中のものをすべてぶちまけてしまった。
     水で流しながらちらりと見たそれが普通の吐瀉物で、汚泥じゃなかったことにひどく安心した。口を濯いでから顔を上げる。正面に吊り下げられた鏡には、見慣れた自分の顔が映っていた。
     しかしその顔は、自分でも見たことがないほどの歪んだ笑みを浮かべていた。

     始はどこにも行かない。
     隼のために、世界を無かったことにするとまで言ってくれた。ずっと、隼だけの飴玉でいてくれるのだ。
     隼にとって、世界が終わるというのはあの始が喪われることに等しい。最早、真の意味での世界の終わりなどではない。そして彼は、終わる時は一緒にと隼の手を取った。
     こんな幸せなことがあるのだろうか?

    「約束だよ、始。……その時が来たら、僕の手を引いて連れていってね」


     執務室に戻った隼は、もういつもの顔に戻っていた。あの鏡だけが、歪な世界の姿を映し出していた。

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    2024/11/07 22:14:41

    飴玉を舐める

    人気作品アーカイブ入り (2024/11/12)

    #隼始 ツキ帝2、バレンタインの後の話。ちょっと暗め。
    *2後の話なので、階級が1つ上がってます。
    *設定を色々捏造しています。

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