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    思い出万華鏡 2032年の春。賽果市の淡く爽やかな青空にぽっかりと浮いた黒い空間は消化された。立ち入り禁止テープの剥がされたビルの屋上で、ツインテールの小さな魔人は蹲る。彼女は声無く泣いていた。魔人――野々口灯は、幸運で、不幸だった。約20年前に羽入市で発生した空間で行方不明になったひとりの探し人が、既に死亡していることが分かった幸運。「彼はどこかで生きているんじゃないか」と密かに抱いていた願望を打ち砕かれ、20年前のあの日、自分は彼を見殺しにしたのだと知った不幸。その幸運と不幸は、野々口灯の止まっていた時を進めるのに十分だった。
     野々口灯は単身、翌月発生した空間に誰にも連絡を入れずに足を踏み入れた。まばたきひとつ置いて、俯く。解いた髪がさらりと目元を隠した。
    「……はは、なんて単純なんだ、私は」
     野々口は自嘲の笑いを零し、ひとり空間を進む。どこまでも続く海の上を通る全面ガラス張りの道。目が眩むような海と宙に浮く色ガラスのきらめきに目を焼きながら、野々口は色ガラスの中に万華鏡の如き思い出を見た。



     その男と野々口の出会いは機構の廊下だった。
    「すみません、トレーニングルームはどちらでしょうか」
    「……案内しよう。手を引いても?」
    「わざわざ、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
     男はそう言って、豆だらけの左手を差し出した。野々口は男には分からないのをいいことに、複雑な顔をしてその手を取る。男の右手には白杖が握られている。その男は盲人だった。



    「久間、私たちは、盲人まで作戦に参加させなければならないのか?」
     野々口は久間に問う。久間は野々口を一瞥した後、缶コーヒーを口にした。擬似空間発生装置の点検を終えた体に、微かな甘みが染みる。
    「お前が言いたいことは分かる。盲人は魔人と同じく護られる側の存在だと――そう言いたいんだろ」
    「そうだ。『見えるようになる』技能ならまだしも、そうでもないんだろう、あの男は」
    「……俺が説得するより、あいつの訓練を見学した方が早いだろうな。野々口、トレーニングルームをちょっと覗いてきたらどうだ?空間の女神は、折れない精神の持ち主の方に付くみたいだぜ」
     研究者とは思えないような言葉を残し、久間は去る。場に残された野々口はトレーニングルームへ足を向けた。



     盲人は技能訓練を終え、ようやく見学者が出入り口に佇んでいることに気が付いた。定位置に置いた荷物からタオルを取り出し、汗を拭く。
    「野々口さん、見てらっしゃったんですか」
    「……技能を使っている間は見えるのか?」
    「いいえ。野々口さん、なにか光るものを身に着けていらっしゃいますか?その光が私に貴女の存在を教えてくれるのです」
    「この髪飾りか」
     野々口は知人の店で購入した髪飾りに触れた。確かにあの店の商品は、光に当たることで輝きを増す気がする。しかしそれは物が自然に光を反射する程度の光り方であって、決して自ら発光しているわけではない。
     野々口は茫然とした。盲人の動きは、素人目にも分かるほど素晴らしく洗練されたものだった。空気の流れが見えているかのように攻撃の隙間を縫い、抱き込むように抱えた白杖が流水の如くしなやかに敵を断つ。足元が悪くても足を取られることがなく、足払いをかけると舞い上がる木の葉のように避ける。盲人は、間違いなく護られる側ではなく、『技能保持者』だった。
     野々口はトレーニングルームの清掃を手伝う。男が盲人だからではなく、ただ仲間の手伝いをするのと同じように。野々口にとって、それは自然なことだった。モップをロッカーに片付けると、男は野々口に声を掛けた。
    「野々口さん、私と組んでくださいませんか?貴女はとてもよく気の付く方のように思います。私に触れる前に声をかけてくださいました。少しでも段差があると、教えてくださいましたね。貴女が居ると、空間内にひとり取り残されることは無いような気がします。私にも分かる目印がありますし」
    「……構わない。人事にそう言っておこう」
     男は嬉しそうに笑う。ゆらゆらと黒髪を機嫌良さそうに揺らし、男は篠間と名乗った。



    「どう見えないかの説明ですか?いつもお世話になっている野々口さんの相談なので、助けになりたいのは山々なのですが……私は生まれつき『こう』なので、『見える方』が分かるように説明するのが難しいです。――人にずっと暗闇にいるようなものだ、と言われることは多いですが、不思議と光は感じます。恐らく皆さんの言う『見えている』とは違うのですが」
    「うまく想像できないな。暗闇といえば夜を思い浮かべるが、最近は夜でも街が明るいから完全な闇とは言えないし、街灯も無いような田舎へ行っても空には月や星が光っている。私は完全な闇を知らないし、ぬくもりのないただの『光』を視覚で感じ取る以外に知る術は無いように思う」
    「ううん……野々口さん、胎内巡りってご存じですか?とは言っても、私自身も行ったことはないのですが。昔、私の世界はそれのようだと教えていただいたことがあります。本当の暗闇の中を、壁に掛けられた大きな数珠の感触を頼りに進んでいくそうです。私の感覚とは違うかもしれませんが、何か考えの助けになるかもしれません」



    「野々口さん、お久しぶりです。旅行に行かれていたそうですね。どちらに?」
    「胎内巡りに」
     野々口の返答に篠間は目を見開き、幸せそうに笑う。野々口の頭には、今日も光るものがあった。
    「嬉しいなあ、野々口さんは私と一緒じゃないときも私のことを考えてくれている」
    「ば、……うるさい」
     篠間の軽口を否定する言葉を野々口は飲み込む。照れ隠しに『組んでいる人間のことを理解することは生存戦略上重要なことだからだ』と否定してプライドを守ることは簡単だったが、そうやって否定して、この関係のまま終わってしまうことを恐れた野々口は悪態をつくことしかできなかった。幸いにも篠間には自分の赤い顔は見えない。
    「それで、どうでしたか?答えは得られましたか?」
    「そうだな……これからも、お前のために髪飾りを付けようと思った」
    「野々口さん、ずっと付けてくださっているじゃないですか。最近では、どちらから見ても分かるように2つ」
     篠間はそう言って、野々口の髪飾りを指でつつく。それが小さな子供に対するそれに思えて、野々口は篠間の手を払った。
    「やめろ。私は……こんななりをしているが子供では」
     思ったより落ち込んだ声が出て野々口は驚く。篠間に惹かれているのは、自分を子ども扱いしないからではないし、野々口自身、子供に間違われることを気にしたこともなかった。何だ、この有様は。これでは本当に子供のようではないか、と戸惑う野々口の気持ちも知らず、篠間は野々口の手を取った。野々口の爪には、マニキュアが光っている。
    「野々口さんを子供と思ったことはありませんよ。確かに体躯はそう大きくないようですが……子供をこんなに頼りに思うことはないでしょう。貴女を対等な存在として、頼りにしています。貴女と居ると心が安らぐのです。野々口さんが休暇で居ないと知ったときは、久々に心細さを覚えました」
     篠間の寂しさを湛えた瞳に、野々口は胸を掴まれたような心地を覚える。篠間は目が見えない為か、感情が表情によく出る人間だった。篠間の手の感触に、脳が麻痺した。
    「あかり、と呼んでほしい。ともしびと書いて、あかりと読む」
    「本名ですか」
    「そうだ。……お前があまりに『私を頼りにしてる』とか『光ですぐ分かる』とか言うものだから、あまりにそのままの名前で言い出しづらかったんだよ」
     更に加えると、胎内巡りの先で見た一転の光明の希望や「菩薩の胎内を巡って生まれ変わる」という意味が、告白されている――とまではいかずとも、篠間にとって重要な存在なのだと教えられたような恥ずかしさを感じていた。野々口は自分にとっても篠間は大事なのだと、その証に名前を差し出すことにした。
    「あかり。俺の名前はおうじなんだ。往復する寺って書いて『おうじ』。俺も名前を言い出しづらかったけど……二人きりの時は名前で呼んでほしい」
     ふたりは笑った。平和な日だった。



    「野々口。ようやっと篠間とくっついたのかの?」
    「御代川……言い触らすなよ。それにくっついてない」
    「野々口……お前さん、後悔するようなことにだけはなったらいかんよ。人間はあっという間に死ぬ。技能保持者なら猶更じゃ。毎日を惜しむように過ごした方がよい」
    「恋もしたことのないお前が、一丁前に言うじゃないか」
    「恋はしたことがないが、数多くの恋は観測してきたからのう。傍から見た魔人恋愛のお悩み・後悔統計データじゃ。主観的なアドバイスより効くじゃろ?効いてるはずじゃ、こうして篠間と写真を撮るために遥々賽果市から私を呼んだのじゃからの!!」
    「それは、まあ……篠間は、魔人と恋仲になることについてどう思っているだろう」
    「……本人に聞くんじゃな、それは」
    「役に立たないじゃないか!!」
    「お前さんのそれは悩み相談じゃなくて唯の怠惰じゃろ!!!!」
     緊急招集を通告するメールが携帯を震わせた。



     進入禁止を告げる黄色と黒のテープを超え、篠間の手を引いて空間へ歩く。立方体に空間を切り取った箱の周囲には、普段の消化作戦と明らかに異なった緊迫感が辺りに満ちていた。共に手を取り合って空間の消化作戦に当たる仲間が裏切ったというのだ、当然のことだった。同じ班に割り振られた仲間が到着すると、共に判明している状況の説明を受ける。――篠間は、裏切った技能保持者のことが大嫌いだろうな、と野々口は思った。人一倍の努力をして、ようやく普通の社会に溶け込むことのできる彼は、何でもない日常を破壊されることを非常に嫌った。ちらと篠間を見る。篠間は不快そうに、眉間に皺を深く刻んでいた。説明が終わると、各自軽く自己紹介と握手をする。野々口は相手が篠間の手を握る前に、さりげなく誰が手を握ろうとしているのか教えた。
     一通り挨拶を終えた後、野々口は篠間の服の袖を引き椅子に座らせた。篠間の髪紐を解く。ぱら、と黒くしなやかな髪の一本一本が野々口の手から滑り落ちていく。野々口は無事帰ることができるよう縁起担ぎに付けてきた蝶の髪飾りで、その長い黒髪を留めた。篠間は不思議そうに頭を傾ける。
    「私の髪飾りを付けた。緊張しているようだから貸してやる。終わったらちゃんと返してくれよ。それがないと、ちゃんとお前の『灯』になれない」
    「――ありがとう、灯。心強いな。……必ず返す、約束する」
    「ああ。約束だ」
     篠間は野々口の手を探り当て、小指を自らの小指で絡める。10分後、野々口と篠間の班は空間へ突入した。



    「落ち着け篠間!!篠間!!皆死んでる、皆がお前を裏切ったんじゃない!!篠間!!」
     野々口が喉が潰れるほど声を張り上げても、味方に裏切られたと誤解し怒り狂う篠間には届かない。みるみる篠間の体に傷が増える光景に、野々口は恐怖した。騒ぎすぎたのか、野々口に飛んできた技能が直撃し地面に転がる。野々口は起き上がろうとするも、胸部に激痛が走り蹲る。『全滅』という言葉が野々口の頭に浮かんだ。
    (だめだ、せめて息のある者だけでも連れ帰らなければ)
     魔人としての使命が、野々口のボロボロの体を突き動かした。篠間と対峙する操られた仲間たちの躯を横目に、地を這って血と泥と死体の中から生存者を探す。甲斐あって、男性の躯に庇われるようにして抱かれた、息をしている少女を発見した。少女は青い顔をしており、意識が無い。敵の攻撃の多くは男性が受けたようだが、幾つか貫通して少女にまで達していたようだ。野々口は急ぎ応急処置を施す。すぐにでも少女を空間の外に連れ出さなければならないと思った。野々口は篠間の方を見る。篠間は指を失いながらも未だ、仲間だった躯と戦っていた。しかし上半身は無事なものの、脚の傷が酷い。手加減され嬲られているような状態だった。野々口は目を逸らし、決断する。
    (あいつは……連れ帰れない。連れ帰ってもきっと、助かることはないだろう)
     野々口は冷静に、最善を尽くした。
     気が付けば、野々口は賽果市の病院の簡易ベッドに寝かされていた。羽入市に発生した空間は消化することができず、封印されたらしい。羽入市は立ち入り禁止区域になったことを、休憩室のテレビで知った。



     羽入市の空間がどんなに凄惨な現場だったとしても、多くの人間の躯と日常をまるっと呑んで返してくれなかったとしても、今月も新しい空間は発生し、魔人は常に人手不足だ。
    「今回一緒の班になりました、○○と□□です。よろしくお願いします。……あの、作戦中調子が悪くなったらすぐに言ってくださいね。」
    「気遣いありがとう。よろしく」
     そう言って、野々口は同じ班になった技能保持者と握手をした。どこか遠慮がちで、しかし確かな決意を抱いた熱を帯びた手。若いな、と野々口は思った。自己紹介を聞きつつ、野々口は空間内での行動の流れを幾つもシュミレートしていく。野々口は外見こそ子供だが、中身は残酷なほどに冷徹な大人だった。野々口は髪飾りに触れる。野々口は今日も、髪飾りを付けるため髪型はツインテールだ。
    (単騎で特攻する必要のある技能の者はいない。バラバラにならなければ安定して空間を攻略できる班だ。リスクがあるとすれば攻撃の――)



    「野々口さん?!どうしたんですか、手下を目前にして動かないなんて」
     焦る同行者の声、荒い息遣い、何かが激しくぶつかり合う音。戦闘の邪魔にならないよう足を後ろに引くも、何かに足を取られ野々口は転倒した。激しく身を打つ鼓動。立ち上がろうと地面に手をつくも、パニックに陥っておりうまく力が入らない。同行者の名を呼び、野々口は助けを求めた。
     何も、見えない。



    「空間干渉力は正常に機能しています。空間内で目が見えない、というのは心因性のものでしょう。診断結果報告書を書きます。見えるようになるまで、消化作戦は免除していただけるでしょう。お大事に」
     礼もそこそこに、野々口は機構の診察室を退出する。気が付けば、往寺とよく話したベンチに腰掛けていた。野々口に影を落とす木々が、風と共に揺れる。ぼうと眺めていると、影が溶けて見えなくなった。空を仰ぐと暗い雲が視界いっぱいに広がっている。降りそうだ。しかし野々口は、その場を動く気にはなれなかった。
    「往寺……お前なのか?お前が、同じ世界を私に見せようとしているのか?」
     野々口の網膜に焼き付いて離れない、あの日の篠間の怒りの表情と地獄に置き去りにした蝶の髪飾りで髪を纏めた後ろ姿。あの時、何もかも捨てて篠間に駆け寄らなかった己を野々口は呪った。一瞬浮かんだその選択肢を、唾棄すべき愚策として破棄した己の冷静さを呪った。
    「あの時、一緒に死ねばよかった……!!!!」
     野々口はあの日の選択を、心の底から後悔した。己の選択は決して間違いではなかった。しかし、自身の望みとは正反対のものであったのだと、身を以って知った。自分は、往寺を導く灯であることを、自ら捨てたのだ。野々口は空と共に泣き出してしまいたかったが、周囲の目を考えるととてもできなかった。そんな自分をより深く嫌悪した。



    「空間の女神は、折れない精神の持ち主に付く」
     野々口は立ち止まった。空を仰ぎ、目を閉じる。瞼越しでもちかちかと爆ぜる、海やガラスの光。ざざざざと足元を波がうねる音。野々口は瞼を上げ、穏やかに微笑んだ。歩みを進める野々口。飾られていた白磁の人魚のオブジェを撫で、壁のガラスに叩きつける。いとも簡単にガラスは割れ、ごうと強い風が吹き込んだ。野々口はオブジェを廊下に投げ捨て、眩しく輝く海に自身も捨てた。海は野々口を呑み込んで尚、穏やかに輝いている。
    碧_/湯のお花 Link Message Mute
    2020/06/20 21:58:30

    思い出万華鏡

    野々口灯の記憶は万華鏡のように
    ##廃棄空間

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