風車と南風のゆくえ3@解決瀬野
南
小さな頃から小柄で、背の順はいつも前の方。幼稚園や小学校低学年の内は大体女の子に間違えられた。幼い頃に自覚した女顔が嫌で嫌で、男らしくなりたくて始めたスポーツの数々は体格差故のハンディがつき始めた頃に全て辞めてしまった。
幾ら男らしく振舞っても、クラスメイトに可愛いと言われ続けた思春期、成長期が訪れても体は俺が望む程大きくはなってくれなかった。
惨めで仕方ない、成人して5年も経つと言うのにこの歳になっても尚、男に組み敷かれる程非力だなんて。
絶望の中で見たのは、俺の腕を掴み前を歩くあの人の逞しい背中。いいなぁ、かっこいいなぁ、俺もあんな風になりたかったなぁ。純粋に羨ましかった、素直に憧れた。腕を引くと掴む手に力が入り、ちゃんと付いて来いとあの三白眼が視線だけで言う。たった一回会っただけなのに、ぶっきらぼうな優しさを思い出すと、自分も逞しく強くなれる気がした。だからきっと、呪文の様に繰り返しあの人の名前を呼んだんだと思う。
「風見さ、か、ざみさん…風見さん、かざみ…さ…ん」
「他の奴の名を呼ぶなと、何度言えばわかる!」
虚ろな視線でもう何度呟いたか分からないあの人の名を呼び続けていると、男は更に激しい怒りを露わにし、再び手を振り上げる。その手がまさに今、振り下ろされようとした時だった。
「ーここにいるのか!警察だ、大人しく出て来い!」
「ーーな、け、警察っ?!」
躊躇なく入って来た足音は、俺達の個室の前で止まり、男を煽らない為か落ち着いた、しかし確実に威圧的な声で再度出て来いと言う。突然の警察の登場と背後の気配に驚き動揺した男は焦り、手にしていたカッターナイフを床に落とした。それを見た俺は、なけなしの力を振り絞って、落ちたカッターを蹴り扉の外に追い出した。
「お前っ!南君、君って人は、お仕置きが必要だな!」
「ーや、やだ!ぅッ、か、風見さん!」
男は目を剥き出しに、髪を振り乱して再び俺に覆いかぶさると、両手で首を絞め上げてくる。くぐもった声で風見を呼ぶが、あっという間に酸欠になり意識が朦朧とし出した。すると、低迷する意識の向こうで何かを壊した様な大きな音がして、覆いかぶさっていた男が、急に後ろに引っ張られる様に飛んでった。バランスを崩した俺は、狭い個室の壁と便座の間に嵌る様にずり落ちる。訳もわからず、ぜえはあと息をし、ほんの少し落ち着きを取り戻した所で身体をゆっくりと起こした。
…髪も顔も体も服もボロボロで酷い有様だった。
「ーーー現行犯で逮捕する、連れて行け」
「……」
お世辞にも綺麗とは言えない灰色の床、みっともない格好で座り込む俺の前に、犯人を取り押さえ制服の警察に引き渡した人が屈み込む。未だ完全に落ち着きを取り戻せないでいる俺の目の前に現れたのは、勇気を出すために、諦めるなと自分を鼓舞するために、何度も何度も名前を呼んだあの人…。
「…か、風見さん?本当に…風見さ、ん?」
「諦めずによく頑張ったな」
「…ぅ、ふ、ッ…」
「遅くなってすまなかった、もう大丈夫だ」
緊張の糸が切れた俺は、詰めた息を吐き出し、今になってやっと涙が出始める。頬に涙が伝い、切られたところがピリピリと痛む。すっかり汚れてしまった裾で拭おうとしたら、ばい菌が入ると風見に止められた。立てるかと聞かれ、引き攣る様に泣きながら頷いたけれど、実際に立とうとすると腰が抜けていて上手くいかない。見兼ねた風見は失礼と言い俺の腕を掴んで立たせ、ずり下がったスラックスを整えると個室から連れ出す。
「ーーわ?ぁ、ぁッ」
「ー!!」
何とか数歩踏み出した俺は、やっぱりまともに歩く事さえ出来なくて、膝から崩れる様に下へと落ちる。すると、驚いた風見は易々と俺の体を抱きとめた。清潔な匂いのするシャツが頬に触れる、血がついてはならないと慌てて身を起こそうとしたけれど、それは風見によって阻止された。
「少し我慢してくれ」
「ー血が付く!」
「黙っていなさい」
「え、な!ちょっと、汚れちまうから!」
「構わない」
何を思ったのか、風見は俺の胸の傷を確認すると、そのまま腕を引いて背中に担ぎ上げたのだ。所謂おんぶってやつで、何年ぶりだかのそれに酷く慌てた俺は風見のうえでバランスを崩しそうになる。直ぐに大人しくしてろと言われ、情けなくも広い背中にしがみつく事になった。なったのだけど…この広い背中の安心感たるや。つい余計な事まで口走ってしまう。
「なぁ…俺、あんたの事呼んだんだ」
「…そうか」
「そうしたら、本当に来ちゃうんだもんな。あんたスーパーマンか何か?」
「…私は、君が思うほど善良な人間じゃない」
余りにも嘲笑する様な響きを持つ風見の言葉に、訳もなく一瞬息を詰めた。この人は、何を抱えて生きてるのだろうか。こんなにも逞しくて意識の強そうな人が、現在進行形でぼろぼろになっている俺より、沢山の傷を背負っている様に感じたのは何故だろう?
「あれだな、あんたヤイバーだな」
「はぁ?」
「知らないの?仮面ヤイバーだよ」
「何で私が…」
正義の名の下に仮面を被って戦うヒーロー、しかしてその実態は…あんたの正体は俺だけが知っている。
「あんたが何を抱えて戦ってるのか知らないけど、俺はあんたが正義の人だって知ってるよ」
「…君は、強い男だな」
ほら、今だって、あんたは俺が欲しい言葉をくれるんだ。俺が笑ったら、風見もふと笑った様な気がした。体制を整えて首に腕を回すと苦しいと言われ、それでもきゅっとしがみつくと、また思い出した様に涙が出た。風見の頸あたりに額をくっ付けて、思わず怖かったと呟けば、無傷じゃないけど無事で良かったと言われ、俺は真面目かよとまた笑った。
救急車に乗せられて、簡単な処置を施された所で、頭を打ったと言うとそのまま病院へ連行と相成った。部下だか同僚だかにテキパキと指示をし終えた風見は、救急車に同乗し付き添ってくれている。簡易ベットに寝転がった俺は、ふと湧いた疑問を風見に投げてみた。
「ねぇ、公安って痴漢退治までやるもんなの?」
「そんな訳ないだろう」
心底呆れ返った顔で見下ろされ、居心地が悪くなった俺ははもぞもぞと蠢く。虫かと言われたので、向かいに座る風見の膝を殴ってやった。
「相手は君の名を知っていたと言っていただろう、もしかしてストーキングでもしてるのかと気になってな、どうせ交番に連れて行かれる所も見ていただろうし、近いうちに手を出してくると予想していた」
「…そんなもん?」
「人の執着とはそう言うものだ」
同じ線を使っているし、気になって朝だけ少し様子を見張ってたと言う。風見の声を聞いていると何故だか酷く安心する、ついうとうとと微睡み始めてしまい、必死になって目を開けようとしていると、眠っていいぞと穏やかな声がした。
「なぁ、気持ち悪かったら断ってくれていいんだけど」
「なんだ?」
「手ぇ、握ってて、いい?」
風見は何だそんな事と言って、どうぞと手を差し出してくれる。それが妙に嬉しくて、うへへと笑った。そっと重ねた手はやっぱり大きくて、温かくて、節くれ立って無骨で、戦う男の手だった。
「へへ、あんたやっぱかっこいいね」
「…気持ち悪いな」
「ぁ…ごめん」
気持ち悪いと言われ気分が沈む、遠慮がちに乗せていた手を引こうとすると、風見は違うと言った。変な笑い方だと思ったんだと言い、また手を取って今度は握ってくれる、その手の力強さが嬉しかった。風見に眠れと言われたら、何だかもう眠気には逆らえず、全身の力が抜けてあっという間に意識を手放した。
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風見さんに無事に助けてもらえましたか?
にっか