文句の一つも言ってやれ(後)
川が流れていた。
青春時代に、仲間と自転車の練習をした土手に、豪と千絵はベンチに腰かけて座っていた。あの時見た川の流れよりも、時の流れはもっと目まぐるしい。仲間の気持ちは山から海へと辿るように、ずっと同じ方向だと思っていたのに。
文句のひとつも言ってやれ
はみ出しものが、はみ出しものを見つけて、点と線が繋がっていく。
アタシは、はみ出しものじゃないわよと口を尖らした千絵でさえも、人の考えていることに合わせるしんどさだって感じていた。
一見普通に見える彼女にも、心の中で何か人と食い違っている部分を感じていて時として厄介と思い、時として諦めて取り繕うこともあったのだ。
「零さんは自分から、はみ出しものだって言ってのけたんでしょ。教室の隅っこで、はみ出しものを恥じている、あんたたちとは真逆にね」
そこから、夏の夜の街灯に群がる蛾のように、はみ出しものたち、はみ出したいものたちが集って、繋がっていった。
「アタシね、唯やあんたたち奇面組と出会わなかったら、なにがしたいかわからないまま生きていたわ。今度はね、アタシが誰かに光を当てる番よ。零さんが豪くんを見つけ出した時みたいにね」
「……おめえも、零さん零さんじゃねえか」
「あら?豪くんや唯みたいに、零さん信者じゃないわ、アタシ」
「誰が信者だ、誰が」
必死で否定する豪を見て、図星なのだわと千絵は確信した。零が豪にかけた、「はみ出しもの」という魔法を解くには、もう一つ、強い魔法がいるということも。
「……豪くんさえ良ければ、アタシが豪くんの零さんになってあげる」
「はぁ?」
「子供じみてて手こずらせて自由奔放でたまに豪くんとプロレスごっこすりゃいいのよねっ?」
「おいこら、ちょっと待て!」
危なっかしいことを言う女だ。
青春時代に少しの間、こんな男がいたと思い起こしてもらえたらそれでいいと思って、豪は千絵と付き合った。
生きるベクトルは生まれ育った環境からして、すでに違う。俺が手を出していい相手じゃない。
「……豪くん、もう少し歳をとったら、渋い男の人になると思う。年齢が見た目に追いついてないだけよ。しかめっ面もギョロ目も、ギラギラしててカッコいいわ」
「何言ってんだ。馬鹿か、おめえ」
「胸板凄いのね……、日頃配達で鍛えてるからかしら?」
「どこを触ってんだっ」
豪の胸板を触りだした千絵の手を、豪は大急ぎで払った。
その気にさせるなと言うに。俺ははみ出しものだから、キラキラしたお前と釣り合わない、お前の未来なんか当然手に入れなくていい。
「だから、来年の夏祭りも一緒に浴衣を着ましょ?豪くんはもっと素敵になれるはずよ」
例え、来年の約束をされたって。
「馬鹿野郎。来年、おめえは立派なデザイナー先生じゃねえか。俺なんか……」
「……なんか、なに?」
「酒の配達で、一生を終えちまうんだよ」
働くだけ働いて、たまに酒精で頭の中を酔わせておけばいい。女の子の人生なんか手に入らない。物心ついたときから、豪が自分にかけていた呪いだ。
千絵は、はみ出しものの千年王国から、豪の眠りを覚ます方法を、頭の中にいくつか思い浮かべては、目の前の豪を冷静に見つめた。
長期戦の覚悟を千絵はとっくにしていたのだ。
「なんで、俺にそんなに構うんだ」
「豪くんだからよ」
アタシは、零さんみたいに強くない。何人もの、はみ出しものたちを救えない。目の前の、可愛い男の味方になるだけで、精いっぱいだ。
「その強い目も、キツい口調も、不器用だけど確実に仕事するとこも、太い腕も胸板も、奇面組や冷越酒店を土台から支えるためだって知ってるわ」
土手の方から、生ぬるい風が吹く。陸から海の方へと雲を連れて行く。夜も深くなり幾分か冷えてきた。
千絵にどう答えていいか、豪は考えあぐねる。夏祭りや夜の喧騒も少しずつ鳴りを潜め、川の流れる音だけが、二人を包んでいた。
豪は振り返る。
唯だけではなく豪もまた、ここで自転車の練習をしていたことがあったのだ。
自転車に乗れるようになりたかったのは、居候している叔父夫婦の酒店で、配達の手伝いを出来るようになりたいと思ったからだ。
ろくでなしだった実父が、自分に子供用の自転車なんて気の利いたものを買ってくれるはずなどなく、年齢相応の幸せを受けずに生きてきた自分を半分呪いながら、叔父夫婦の自転車の猛特訓を受けていた。
子供用の自転車もなく、大人用の自転車のサドルを一番低い位置にして、何度も転びながら、途中で足をつけながら、そして、少しずつふらふらしながら、二つの車輪をついに真っ直ぐ走らせるようになった。
その時の叔父の顔は涙でくしゃくしゃだったし、叔母は何度も何度も良かったね、豪くんと言っては、肩を抱いてくれた。
配達出来る人間が増えたからか。
今なら豪にもわかる。
子供が出来なかった叔父夫婦にとって、目の前の子供が出来なかったことが出来るようになったのを見て、嬉しかったのだ。子供のこれからに携わることができて、心強く思えたのかも知れない。こんな俺でも……一緒に暮らしていく家族だと思ってくれたのだろう。
ひねくれた俺でさえ、自分の成長を喜んでくれた叔父夫婦のためになら、身を粉にして働いてもいい。
豪が一番よく知っている、愛はそれだった。
自分を見てくれる人間のためなら、なんにでもなれる。
土手を撫ぜるように吹く風が、豪と千絵の間を吹き抜ける。
「俺も……おめえの唯ちゃんというふうにはなれねえかも知れねえけどよぉ」
「あたりまえでしょ、顔見ていいなさい」
豪の遠回しな千絵への「イエス」に、千絵は指で、豪の額を爆ぜてやった。
「痛えな!」
豪は千絵より力があるけれど、わざと千絵の暴力に甘んじる。いつも零が豪のプロレスの技を受けるように。千絵の行動を、唯が気にして、唯と千絵が、軽く小競り合いをするときのように。
「なんでデコピンするんだよ」
「あんたにスキがあるからよ」
唯。あなたはいつでもひたむきだったわね。家族のために寄り道しないで真っ直ぐ家に帰ってた。いま、あなたと似たような人と、アタシは恋をしてるわ。
「アタシが豪くんを幸せにしてあげる」
アタシがデザイナーの道を選んだのは、いろんな形や色で世の中を彩ったり、光の当たらない人にこうしたら魅力的になれると伝えたいからだ。零さんがやってたことと、同じようにね。
……あなたもそうよね、唯?
夏の電灯は、誘蛾灯だ。
名前の知ってる虫、知らない虫が、光に誘われ、バシバシと飛び込んでくる。
奇面組を作ったときもそうだったと零は振り返る。
奇面組以外の有象無象の輩が寄ってたかって、珍しいものを見るかのような眼差しを送り、勝手にお前らとは相容れないと忌み嫌い、挙げ句の果てには、もっと面白いことしないのかと無責任に囃し立てる。
……羨ましいのかな?彼らは私たちが。
器用に世間や時流にあわせているふりをして自分を見失っている不満を私たちにぶつけているだけのくせに。
この顔に生まれついて、自分の個性を捨てきれずに生きているだけだ、私たちは。本当は、彼らも私たちもたいして変わりはしないのに。
奇妙な顔立ち、馴染めない奴らと言うのなら、いっそ振り切れてしまえ。彼らが不満や羨望をぶつけるなら、受けてたってやるさ。
大丈夫、この私がいる。
後の四人から見て、零は頼もしい男であり、居場所トラブル刺激的な人間関係その他諸々、静かに生きようとする人間には到底手に入らないものを、他のメンバーに与える男だった。
いつからだろう、零が築きあげたはみ出しものの千年王国に、同じくはみ出したものを持つ、女の子たち二人が寄り添うようになったのは。
「……私が怖いってどうして?」
あの女の子たちも、最初は、奇面組という誘蛾灯に引き寄せられる蝶々のようなものだった。
「零はさ。……いろんなもの、いっぱい持ってるじゃない。でも、あたしには……」
零は自分を良くも悪くも誘蛾灯だと思っていた。悪い意味合いの方が強いかもしれない。世間の流れに逆らい留年をし、その結果、幸せを自ら潰すように生きてきた。
目の前にいる、やっと出来た零の幸せは、零の幼馴染で、同じく留年を繰り返し、素っ頓狂で何とも言えない伸び伸びとしたおおらかさを持つ女の子だった。
「最近、チャコも何かと思い悩むようになってきたな」
目の前の幼馴染も、自分の個性についてきてくれたはずだと、零は思っていた。
「なんでもいいたまえ。私がなんでもしてあげる」
そう言うと、零はチャコの手に持ったりんご飴を自分の手に持ち、さきほどのチャコと同じく、りんご飴を舐めだした。卵を舐める蛇のようだ。
「ごめん、零。あたし馬鹿だから自分の言いたいことよくわからないや」
……もう、あたしは零に、卵のように飲み込まれているんだ。
「心配はいらない、私は君のものなのだ。私の持っているものは君に分けてあげる」
零が口にしたりんご飴のように、初めての性を、零とチャコは分かち合った。零が持っているものは、零が必死で世間と闘い、手にした仲間で喜びで、それに付随するたくさんの感情で。……千絵ちゃんもそうだ、その仲間から豪くんを選んで、やりたいこと見つけて、着付けを覚えて、いろんな人に喜びを与えている。
あたし、零とセックスしただけで、それだけしか持ってない。
幼馴染のチャコと零は似合いのふたりだった。
卒業してから、零は家業の手伝い、チャコは家事手伝いと、家が隣同士の二人は時間が有り余るほどあった。若いうち、楽しめるうちは短いと大人は言うがそれもピンとこない。
休まなくても平気な体、いつまでも遊べる体、とめどなく湧き立つ心。
今も自分たちには、備わっている。
有り余るほどの時間と活力のある心身を持て余している幼馴染の存在をチャコと零は再認識した。手近なところに遊び相手がいたのだ。
自転車の整備をしているのかい、チャコ?私に任せたまえ、簡単な手入れでずっと走れるから。
零、あたしんち来ない?おかーさんいないからお昼ごはん作ったんだけど、健一が食べてくれないの。
ごく自然に補い合う関係だった。
ちょっとした貸しを作り、少し大きめに借りを返す。相手はそのことを覚えていて、何かの折にまた、返しに来る。それを口実にどこかに連れ出すようになる。
ラブホテル行こうか?
借りを返すのが、チャコからの肉体の接触になったときは、最初は頬にキスくらいで止まっていたが、やがて唇どうし、お互いの舌を触りだして蝕みあうようになると、実家で簡単な接触だけではもう歯止めが効かなくなっていた。
休まなくても平気な体、とめどなく湧き立つ心。
小さい頃憧れていた、おままごとの世界が、時間貸しの部屋になって自分たちの世界に組み込まれるようになっていった。
婚前交渉……零の頭の中を何度も掠める言葉だ。誘ったのはあたしだからとチャコは言うものの、この子にも心はある、なんらかのかたちでこの子に報いたいと考えるようになった。
私に出来ないことはチャコにしてもらって、チャコは私が、ずっと守っていこう。
「お前、お隣の子といい仲なんだってな」
父親に言われた一言。ぼかした表現ではあるものの、釘を刺したような口調に零は、父親がチャコと零が深い仲であることを知っていることを感じ取った。
「父ちゃんたちがお隣同士なのに仲が良くないのはわかってるよ」
「は。親は親どうしさ。お前らはお前らだ。……まあ、向こうさんが嫁入り前の娘さんだってことを忘れるな」
責任は取るつもりだから。
真剣に父親と対峙した。それこそ玩具屋を継ぐと伝えたときよりも。
責任は取るつもりだからの言葉に、父親は唇の端で笑う。何がおかしいんだ?との零の問に、父親は、若いっていいなと言葉を返して、続けた。
「まあ、似合いじゃないか。うん。お隣の子のほうが、零、お前には丁度いい」
チャコの目の前に、りんご飴をバリバリと食べる零がいる。
「それ、もうなくなっちゃいそうだね」
「あ~、ついつい食べてしまったのだ」
零も、心ここにあらずなのだろうか。
「いいよ。今日は零にたくさん奢って貰っちゃったし。あたしもお腹いっぱい」
「ところが私はお腹いっぱいじゃないのだなー。チャコ、人気のないとこに行って、キスとかその他諸々しないか?」
「……今日、浴衣だよ。無理だって」
着崩れしたら、あたしひとりじゃ直せないよ。こんなモヤモヤ、いつもは抱き合ったらどこかに行ってしまうのに。
「今日の君は見て愛でるだけだな。それでも私は十分幸せものなのだ」
身長差は十センチもないくらいだけど、チャコの頭を撫でる零の手は大きくて指の関節が目立っていて力強い。
「あたしも頑張って、もっとオシャレするね?おかーさんに教えてもらって、零にも来年は浴衣を着せてあげる!」
「そのままの君でいいよ。無邪気で可愛らしい君でいてくれたら、私はそれでいい」
「だって、たくさん奢ってくれたじゃない。あたし、何もお返ししてないよ」
「君が居てくれるだけで、十分なのさ。……お金のことなら気にする必要はないよ、バイトしてるからな」
零が、欲しいものってなんなんだろう?先回りして人の気持ちに寄り添う癖を何処で身につけたんだろう?
小さい頃は、チャコの方が力も強く背も高く、零の方が弟分のはずだった。無理矢理つきあわせていたおままごとの時も、チャコがお母さんで、零が子供で。自転車の乗り方を教えてあげたのもチャコの方で。
いつの間にか、零はおままごととはまた別の、奇面組という家族を作ってしまったし、自転車の方も、曲乗りの零ちゃんと、チャコに渾名をつけさせるくらいに上手くなってしまった。
大きくなっていく零をあたしは間近で感じていない。奇面組もおそらく新しい職場の人も変わって行く零をたくさん見ているのに、あたしは幼馴染で止まったままだ。
「友達のツテのバイクや車の整備の仕事なんだけどさ。筋がいいって褒められたのだ」
「あんた、もともとは器用だもんね」
「私、いっぱい頑張ったよ?偉い?」
「偉い偉い」
チャコに頭を撫で返して貰うと、上機嫌に零はチャコに話を続けた。もともと饒舌な方だから、整備の仕事の魅力、顧客の様々な注文や、職場の人間模様など、淀みなくチャコに伝えていく。まるで、母に学校での出来事を目を輝かせて報告する子供のように。
零はまた、新しい居場所を作っている。
喜ばしいことなのに、自分のことのように喜べない自分自身にチャコは失望した。先からソワソワと心が落ち着かない。豪と零との間の自分のことを考え込んでしまってからだ。
なんだ、あたし。あたし、零になにかしてあげたいのに、なにしていいか、さっぱりわからない。悩みが零についてのことしかない。あたしは、ほんとにこのままでいいのかな?バレー部の千絵ちゃんはオシャレも出来て、豪くんにもあたしにも優しく出来るのに。唯ちゃんなんて、学年トップクラスで、何でもできて、みんなに優しくて好かれてて、誰よりもしっかりしてて、女の子の見本のような人なのに。
「チャコ、聞いてるのかい?」
「……あ、ごめんなさい……」
零は小さくため息をついた。
「疲れてるよーだね?無理もない。慣れない浴衣を着た上に私が連れ回したからな」
「あの、ごめんね。今日はキス以外のこととか出来なくて」
「なんで、そんなことで君が謝るのだ?」
「だって、あたし。零にどんどん置いて行かれてるよ?あたし、そんなことくらいしか、零を慰められないよ?」
「……そりゃ、君にたくさん甘えていたさ。けれど、それは……」
チャコは零の過去を振り返る。そこには零と似た眼差しの強さを持つ、誰に何と言われようとも思われようとも、自分であり続ける、ショートカットの女の子が居た。劣等生と優等生、はみ出しものと学校のマドンナ、不真面目と真面目。世間からの印象は正反対だけれど、本質は合わせ鏡の零と唯だ。
「私はチャコでなければ、だめなのだ」
零にとって、あたしは二番目の恋だ。
「ありがと。零はこんなあたしのこと、大事にしてくれるもん」
可愛いとか気が利くとか優しいとか、たくさん褒めてくれるのに、彼からの愛を伝える言葉を聞いたのはこれが初めてだとチャコは気づいた。態度ではチャコに愛を示しているのはチャコにも痛いほどわかる。
「こんな、はないだろう?さっきから君はおかしいな。昔はこっちが腹が立つくらい素っ頓狂で、おおらかさを通り越すくらい自由だったのに」
「それじゃあ、あたし馬鹿みたいじゃない」
「……豪くんとのこと、気にしてるだろ」
いつもはとめどなく続く馬鹿げた会話もなく、スキあらば人気のないところでキスをして触り合う事もない、祭りの夜の帰り道。街灯に蛾や虫が飛び交いぶつかる音だけが、二人の耳の奥底に響く。
「そりゃ、気にするよ。奇面組はあんたの大事な家族だもん。」
「豪くんは、根は良い奴なのだ。ただの人見知りなんだけど無愛想なとこが玉に瑕かな」
「あたしが零を取っちゃったから?」
「その件に関してはお互いさまだと思わないか?千絵ちゃんだって、私から豪くんを取っちゃったんだぞ?」
お互い、声を潜めて笑いあう。
「いいな、あんたたち。そんなふうにいいあえる家族みたいな仲間がいて」
「それはどうかな?」
笑顔を零は止めた。
「巣立ちってやつかもしれないね。みんな奇面組に頼らなくてもしっかりやってるよ」
意識して笑っていないと不機嫌に見えると自嘲していた零は、表情をそのままに、顔を天に上げ、街灯に集まる蛾や虫たちに視線を追いやった。
「……チャコ、私と一緒に住もう」
出し抜けに言った零の言葉に、チャコは困惑した。
嬉しい?嬉しくないはずがない。
でもあたし、まだ自分の人生で、成功も失敗もしていない。
自転車よりも速い乗り物はたくさんある。
零が奇面組を作る前、矢鱈と前髪が長い同級生に、原付バイクの後ろに乗せて貰ったことがある。しかも無免許で。
子供のころ冒険のつもりで自転車を漕いでいった距離が、あっという間に後方に走り去る。
なんかずるいな、と零が呟くと、世間からは不良と呼ばれている同級生は、大人が作ったものは適当に利用しとけと笑って返した。ほんとは女しか後ろに乗せないけど、おめえは特別だと、口の端をひしゃげた。
大人や他の同級生から見て、自分とは別の方向のはみ出しもの、不良とレッテルをはられていた彼だったが、零は、単に彼は大人が持て余すほどマセているだけじゃないかと思った。
不良の類いと言われる連中は、力比べやマウント取りの抗争が大好きだ。
人を殴って気持ちいいかい?と零が尋ねると、殴ってやったという気持ちになるのが堪らないという。彼が束ねる集団はそういう奴らの集まりだと。
「おめえも俺たちの仲間に入るか?学校だけが全てじゃねえだろ。一人ぼっちだと居場所がないのは俺たちの仲間も、はみ出しもののおめえも同じさ」
「嫌だね。人を殴ると痛いじゃないか。殴る以外に気持ちよくなる方法もあるはずだよ」
不良の同級生は前髪に隠していた鋭い目を丸くしていた。自身の暴力とそれが持つ権力に、尻尾を巻いたり振ったりしない人間を見たのは初めてだったからだ。
「馬鹿だな、おめえ。喧嘩集団、番組の一人になったら、おめえを馬鹿にするやつもハブる奴も脅かす奴も、手のひらを返すだろうによ」
「それは、キミらが嫌った権力だろ。私は自分と同じようなはみ出しものたちで、自分を曲げて世間におもねっている奴らが、真似出来ない組を作ってみたい」
「出来るかもな、おめえは得体の知れないとこがあるから。おめえのことは気に入ってるけど、おめえは番組には向かねえかもな。殴るのが気持ちいい連中って、殴るのに附随したものも欲しくなる、ここらで一番強いって評判やら、もっと強い奴らとやり合うことや、強い俺たちに抱かれてハクをつけたがるオネーチャンやら。
リーダーになる以上、自分の考えた「組」と、仲間の考えてる「組」が別物になるのも覚悟しとけ」
大げさなことを言うやつだ、とその時の零は思っていた。たかだか友達を作るだけのことなのに。
零が呼びかけた四人の男たち。
零とは対象的な太い眉を持つ、つっけんどんな、いつも怒っているような男。だがそれは自分の領域に入ってくるのを厳しく見極めているようにも見え、一旦彼の心のうちに入ると思った以上に親切だ。そんな彼が不満に思うものはなんだろうと考えた。
剥き出しの出っ歯で、女と見ると、やれ女神だ妖精だと細い目をさらに細める男、彼は節操なしの色好みかと思いきや、対象となる女の子にはきちんと接し、自分もそれなりな中身を持っていたいという潔癖さがあった。
えびす顔の食っちゃ寝が大好きな男。さっきの二人と比べて、彼が欲しているものは今ひとつ何であるかはわかりづらい。食べて寝て……彼の持つ欲求がシンプルであるぶん、こちらの小賢しい考えを見透かされることがある。何があろうと動じないところは、仲間の精神的な大黒柱だった。
おかっぱ頭のおちょぼ口の男。メルヘン趣味でお花畑でふわふわと漂う妖精のようでもあり、女の子よりも女の子らしい。逃避しているように見えても、彼の持つ愛らしい世界観が、気がつけば背後から襲ってくる。
愛すべき仲間を作り、時に自分たちを嘲笑う視線を逆手にとり、脅かす生徒や先生に対し、笑いや吃驚させる行動で、学年内外に名前を轟かせた。奇面組、ここにありと。
そのまま、馴染めなかった世間に反抗するかのように、奇面組たちは留年を繰り返す。見た目は確実に大人に近づいているのに、中身は、はしゃぎ足りないこどものようだった。
自分が作った中学三年生における千年王国は、いつ終わりにできるのか?
世間に対して、彼らが開催したチキンランを終わりにしたのは、学年外からやってきた、二人の女の子たちだった。
奇面組という前輪の動きに対して、彼女たちは後輪のように寄り添う。かと思いきや、歯車で動き出した後輪が、前輪を後押しするかのようだった。
「毎日毎日、周りの人たちは、同じようなこと言って同じようなことやって。みんな同じ顔に見えてきちゃってました、わたし」
前輪を強く後押しするのは、潔いショートカットと、大きく強い瞳を持つ、他の誰にも似ていない女の子だった。
「そうさ、私は奇面組のリーダーだ。他のものと同じことをやっているよりは、この方がはるかに充実してるってものさ」
初めて会ったときから、彼女は零とよく似ていた。
最初は学年の違う「彼女たち」だった。給食のトンカツを盗み食いした零を、デモンストレーション代わりに三輪車で括り付け曳き回しの刑にあわせていたのを、面白がって仲間に加えろと言った彼女たちだったのだ。
奇面組の連中は世間からの玩具扱いには馴れていた。玩具は玩具らしく、人をあやしたり、人の不満を笑いに紛らわせたり、慰めたりすればそれでいい。奇面組の連中は、その事くらい心得ていたし、嘲りや疎外などの傷を持っていた分、他の誰よりも彼らは優しい。
玩具は飽きられたら、捨てられる。それまでの間、せいぜい笑ってもらえればいい。
そう思っていたが、彼女たちは思いの外、奇面組を頼り、なんの因果か、一緒のクラスになり、ともに、月日を過ごすようになっていく。
彼女たちという、女の子の理解者を得た奇面組は、世間の流れに逆らう生き方ではなく、少しずつ、調和をはかるようになっていった。
六角形の三白眼を持つ零と、どんぐり眼で瞳がちな少女、唯と。
眉がなく、掴みづらい性格だと言われる男と、気の強い性格を包むかのように前髪で眉を覆う少女。
対のようでもあり、本質は似ていた。
「あんたたち奇面組と出会ってなかったら、ありふれたお友達で終わってたのかもね、アタシも唯も」
「おめえも、唯ちゃんのこと、ぶりっ子だ変わりもんだと、散々からかってたよな」
「あんたたち奇面組に比べたら、唯なんて可愛いもんよ。でもね、ただ、少ーしだけ……」
唯は誤解されやすかったのかもね、と千絵は呟いた。
土手のベンチで二人で腰掛け、千絵と豪は川の流れを見送る。
美しさなんて、人間の魅力のほんの一部分に過ぎないと、色男組に、零は言った。そんな男が、見た目の可愛らしさだけで心惹かれるとは思えない。
「唯自身が努力家の部分もあるけど、あの子って、アッサリと勉強もスポーツも出来るでしょ?無造作なショートカットも、それが余計に可愛いとこを引き出してしまうというかこう……」
「素材が良いって奴か?」
「そうそれっ!アタシくらいの器だと、認めちゃうもんだけどね」
豪には、千絵が繋げたい言葉がわかる。
奇面組とは別のベクトルの疎外だ。優秀な少女、優秀ゆえに、これもまた、見た目や評判につられた男どもが灯りにつられた夏の虫のように群がってくる。何も持っていない他の女子からのやっかみも恐らくあっただろう。
あの子は真っ直ぐすぎるのだ。
豪の親友が呟いた言葉だ。はみ出しものとして生きていく覚悟を詰め込んだ奇面組の連中の脳みその中に、彼女たち、特に唯の誰からも認められたという存在は眩しい。
もっと上手く立ち回ればいいのにと続けた言葉にも、豪は驚いた。
周りと同じことを嫌い、自分にどこまでも正直であることを願い、奇特にも俺たち奇面組に憧れる少女。
嬉しい反面、自分たちにないものだらけの彼女に戸惑いだってあった。彼女が持つ美貌や優秀さを武器にせず、暗黙の了解と言った、厄介ごとの扉をなんの疑問も持たずに開いていく危なっかしさも。
「伊達に二つ三つ、歳は取っていない。奇面組に関わったが最後、隅から隅までまで笑わせてやるさ」
「なによ、それ」
「リーダー……零のやつが、おめえらと出会った頃に言ってたんだよ。アイツもアイツで、おめえらのこと気にかけてたんだな」
可愛い妹分を、奇面組という、ある意味強力な虫よけで、やっかみやくだらない男どもから守って、彼女たちだけでは見れない景色を見せていた。先生や鼻持ちならない生徒たちをキリキリ舞いにさせたり、奇想天外なコンビネーションで笑いのうずに巻き込んだり。
個性を発揮することはこんなにも楽しい。
妹分たちの笑顔で、奇面組たちもまた、大きく活気づいていった。
「あんたたち奇面組って、長男か一人っ子だし、唯については長女だわ、お母さんやってるわでさ、ただひとり妹やってるアタシにしてみたら、たまーに零さん、しんどそーだなーと思うのよねー。そこまで、集団まとめるのに気張らなくていいのにさっ」
「言っとくが、怪奇万年こども男に振り回されてたのはこっちの方だからなっ」
「零さん、わざと万年こどもをやってたりしてね?」
「へ?」
「唯は、おうちではお母さんをやってたし、豪くんは家では子供みたいなこと出来ないでしょ?」
零は必ず、豪がのりやすい話題を口にするし、会話の運びによっては、プロレスの技を繰り出すことも体が覚えているように、豪が組みやすい体位を自然と取っている。当たり前にそれを受け取っていた中学と高校時代だった。
「唯もよく零さんのことを見て笑ってたわ」
「おめえも、よく唯ちゃんのこと見てるよな」
「五年近くも一緒にいてるもの。ある意味夫婦ね、アタシと唯って」
「……女子っていいよな、そんなこと言っても可愛いですむしよぉ」
「ふふふ、いいでしょー。そんだけ一緒にいても、結局行く道はバラバラよ」
「そうだな。唯ちゃんは幼稚園の先生、か。俺たちみたいなクソガキを相手するようになるのかな」
仏頂面が多い豪が、頬の端を緩めて、川の流れに視線をやるのを、千絵は見た。川の流れとともに時間も流れて、人も変わっていく。
頑なに大人になるのを止めようとしていた奇面組も、彼女たちと一緒に歳を取っていき、兄貴分も妹分もやめて、ひとりの人間同士になっていった。
「そしてアタシは、ブランドを立ち上げて大儲けして、冷越酒店に出資して、豪くんはチェーン店作るってのどう?輸入食品とかも並べちゃってさ!ディスプレイは任せてよ」
「おめえ、冒険家だな」
あんな夢、こんな夢、いっぱい繰り広げる千絵に、豪は自身にも可能性があることに気づいた。
「大儲けしたら、お手伝いさん雇ってね!アタシ、料理ヘタだから」
「……俺を幸せにするって言ったのはなんなんだよ」
まあ、メシくらい俺が作ってもいいけどよ。と豪は呟く。五年近くもいた親友と離れ、今度は仲間からお互いを選び、将来の話をしている。
「頼んだわよ。アタシ、豪くんを選んだんだから」
「ちったあ、唯ちゃんを見習え!」
そう言いながらも豪は、横ならびに座っていた千絵が、豪の肩に寄りかかってくる感覚を心地よく感じた。寄りかかられるのは悪くない、たぶん、零も同じ気持ちだったのだろう。
唯ちゃんは、自分に頼ってくる家族がいて、零は奇面組がいて……。寄りかかりそびれたのか?あの二人。
「唯も馬鹿よっ。あの子、中学の頃から口を開けば零さんのことばかりだったんだから」
「おい、初めてきいたぞ、その話」
「好きなんでしょって言ったら、真っ赤になって、憧れてるだけだもんって言うし。零さんは零さんで、そーゆーことに関しちゃ全然スキを見せない人だし!」
「お、おう。アイツそういうとのあるよな」
「あたしだって、唯と零さんがくっついて、豪くんとあたしとで、ずっと家族みたいになれるって夢見てたわよっ」
千絵は、うわあーん、唯っ!と川に向かって叫んだ。そんな千絵を豪は、まあ元気出せやと、頭をポンポンと撫でてやった。
蛾が飛び交う。
一緒に住もう、と零は言った。
街灯に群がる虫たちの羽音を聞きながら、チャコは零の誘いの言葉を頭の中で何度も繰り返した。
「えっと……それって」
「んー。まだ指輪とか用意出来てないうちに先走ってしまって申し訳ないのだが」
「ゆ、ゆびわ?」
「ん?なんだ、欲しくないのかい?」
零が自分のことをそこまでかんがえているとは思ってなかったのだ。
「貰えるものはなんだって欲しいけど」
「チャコは即物的だなぁ。一緒に今度買いに行くか。私は女性が身につけるものに関しては疎くてさぁ」
零に初めて抱かれた日のことをチャコは思い出した。
零がいつも通り、おばさんチャコいるー?って迎えに来て、あたしは自分の部屋の扉を開けて、玄関まで行って。おかーさんは、零くんと一緒なら安心ね、とかいって、あたしと零のこと気づいてなくて。適当に街歩きしたあと、夜になって、それで。小さい頃、お城に住みたいなーって言って夢見てたまんまの、やたらカラフルな建物の前に立ったんだ。嫌ならやめるよ?って零は気遣ってくれたけど、あたしはムキになって、零の手を引っ張った。建物の自動扉に入って、お部屋を借りて。このとき、おかーさんを思い出したんだ。おかーさんはあたしと弟を育てるために一人で頑張ってて。あたし、おかーさんのご飯じゃなきゃ、やっぱり美味しいと思えなくて。今、セックスするためにお部屋を借りたけど、おままごとの続きなのかなんなのかもう分かんなくなっちゃって。零と小さい頃、夏の日にすっぽんぽんで家の水風呂で遊んでたことを思い出したんだ。あの頃は零のお母さんもいたっけ。あの頃は幸せで何も考えてなかった。何も考えなくてもよかった。小さいころにお互いの裸を既に見ちゃってる仲だったけど、大きくなって、学校に通って霧ちゃんが生まれて零のお母さんも死んでしまって、零との距離がどんどん遠くなって、いつの間にか、零は奇面組って家族が出来ちゃって、親しかったのに他人になってしまった幼馴染って変なのって思ってたんだ。それからいろいろあって、今あたしを求めている零は、小さい頃の裸を見た頃の零とまた違う体、頭の中身になっちゃってる。零は男の人だってこと、おかーさんはもう知ってるのかな?昔と変わらず優しいけれど、あたしにキスするとき舌も入れるし、胸も触るよ。初めてそんなことされたとき、吃驚したんだから。なんとなく、みんなが恋をしたがるのがわかった。そして、おかーさんに言えないことが出来てしまった。あたしが学校でからかわれても、留年しても、あたしはあたしで平気だったのに。水風呂に入って無邪気に裸をさらしていた頃じゃなくなるんだ。自分の部屋の扉を開けて、家の扉を開けて、ラブホテルの扉を開けて、鍵を貰って、部屋に辿り着くまでの間、他の扉の向こうで、みんなどんなことしてるんだろう、ああ、これから同じことをするんだと思うと、喉から心臓が飛び出そうになって。
今から、まぐわう部屋の扉の前に立つと、この扉を開けたらもう、おかーさんの知ってるチャコじゃなくなるんだな、と思っちゃった。
「おばさん……チャコのお母さんにも、改めてご挨拶しないとな」
零の声だ。今日は、いろんなことがあり過ぎて、気がそぞろになっていると、チャコは我に返った。
「うちのおかーさんに?いつも挨拶してるじゃない」
「その挨拶じゃないのだ。やることをやってしまったし、いい加減、筋を通さないと駄目だろう?」
お嫁さんとか彼女とか、そんな言葉で零を縛り付けるほど、いい女じゃないと、先ほど、零に言った言葉を、チャコは反芻した。零はチャコの幼馴染だった、仲のいい幼馴染だった。
「うちの父ちゃんも、私達のことを知っていたのだ。勘のいいおばさんが気づかないわけがない」
おかーさんは、わかってて、零とあたしを送り出したんだろうか。
「……親って凄いな。こっちのことはお見通しなのだよ。二人はこういう仲だってこと伝えなきゃな」
「あの、一緒に暮らすってさ?あたしが一堂家に住むの?……なんか、あまり環境変わらないよね?」
ラブホテルで借りた部屋、時間貸しのおままごとの延長の世界。おかーさんにすぐ会える距離だと
、チャコは安堵した自分を妙に感じた。
「二人の部屋を借りないか?」
「……借りるの?おもちゃ屋一堂はどうするの?」
「あそこは父ちゃんの城だよ。私も外の世界を見たいと思ったしさ」
「それじゃ……」
「やはり聞いてなかったか。バイト先で、正社員にならないかって言われたんだ」
水浴びをしていた子供の頃の零、霧ちゃんが生まれて、お母さんを取られてしまった頃の零、お母さんを亡くした後チャコと疎遠になってしまった頃の零、そして奇面組を作って先生や鼻持ちならない生徒をキリキリ舞いにしていた零。
また、違う零がチャコの目の前にいる。
「……なんかずるいな、零ばっかり。あたしのこと置いてけぼりじゃない」
まぐわう部屋の扉を開けて、二人で抱きしめあったとき、零はチャコの耳元で、幸せにすると誓った。チャコから見て、零は実直で律儀な男だ。奇面組のリーダーをやっている以上、零にとっては隠したい性格だった。
「喜んでくれないのかい?贅沢は出来ないけど、おもちゃ屋にいた時よりも、自由になるお金が出来るよ。子供の頃おままごとしていたのが、まさか本当にそうなるとは思わなかったけど、私は君となら、やっていける。君もそうだろう?」
零が怖いと思ったのはこういうとこだ。チャコは抱かれた時のことを思い出す。初めて女を抱いたのが嘘だと思うくらい、優しくて心地良い反面、カラカラに乾いたスポンジが水気をまだまだ欲するように、チャコの体に顔を埋め、腕は蛇のように巻きつけて、印をつけるように、腰の動きを止めようとせず、チャコの身も心も欲していた。
チャコと恋仲になって間もないころ、零は一人の友人を訪ねた。
「金がいるのか?どうして?」
前髪でギラギラした眼を隠した、不良の同級生が、零に問う。彼も零同様に「組」を立ち上げ、リーダーとなり、番組と言う仲間とともに、中学三年時代を幾度か繰り返していた。時の流れを同じく繰り返した者同士。同じ奇面組を頼らずに、他の組のリーダーを頼る自分に零は違和感を感じた。
プロボクサーになるという夢を持つ彼は、ボクシングジムに通い、着実に歩みを進めている。奇面組もそうだ。世間のはみ出しものであった彼らも、少しずつ、自分たちの個性と世間への欲求が、歯車のように噛み合いだしてきている。
「仲間もみんな卒業できたし、お望みの結末だろ。お前も、おもちゃ屋でのんびりやってりゃいいじゃねえか」
自分の考える「組」と仲間の考える「組」が別物になるのは覚悟しとけと、彼は言っていた。そんな大層な。あのときはそう思っていたのだが、集団はいきものだ。長年一緒にいた分の感情も募り、それぞれの欲求も見るところも違ってくる。
「さては、女でも出来たか?」
あのショートカットのマブいのとだろ?と彼は続ける。
番組リーダーの同級生と同じく、誰もがそんなふうに、零と唯のことを考えていた。零が表情も変えずに違う相手だと訂正すると、彼は、周りが思うことと実際は違うもんだなと返し、相手が誰かは追求しなかった。
「……で、一緒になりたいと。お前、そう言うキャラだっけ?」
「裸を見せあったんだから責任取らなきゃ駄目だろう?」
「案外、お前さん根はクソ真面目なのね」
「クソ真面目だったら、留年なんて回り道せずに、普通に社会人でもなんでもなってるさ」
「……へえ。変わったな、お前」
世間に対して開催していた、奇面組のチキンラン。いくつまで子供のままでいられるか、何年、はみ出しもののままで許されるか?強い個を持った名物集団も同じように時を止め、いつしか、歯車の外れた自転車がなす術がなく投げ出されたように、世間からも諦められた自分たち。
それでも、認めあう仲間さえいれば、世間というものに馴染まなくても大丈夫だと。
いつの間にか何年かの月日を中学で足踏みしていた。自分が奇面組に欲していたものはなんだったのだろう。人と違う自分を誇れと言った癖に、結局、誰かに認められたい、受け入れられたいのだ。
「滑稽だろう?人と違うことを誇りにしていた奇面組リーダーも、普通の幸せを望むなんて」
「何が、幸せかなんて、まだ俺にはわかんねえな。頭で考えずにヤッちまえば良かったんだよ」
「なにをさ?」
「女の方も勿体ぶってやがるけど、本音は、いらっしゃいませーだっつの。おめえが行かないのなら、俺が、あの娘を……おっと冗談だよ。睨むな」
人手が足りないんだってさ、お前も猫の手くらいにはなるんじゃねぇの?と、彼は自身が行きつけの修理工場を紹介してくれた。
久しぶりの外の世界だ。
そこにはまた、学びや発見や、自分の至らなさや、畏れやら、情やら、喜びやら、悔しさやらが、たくさん渦巻いていた。
至らなさに躓いて、おとなしくおもちゃ屋に戻った方がいいのかと、気持ちが下向いた時に、手を差し伸べる大人がいた。後で礼を言うとお前はいいやつだからと返された。少しずつだけれど、自分を受け入れてくれる場所が出来た。
振り返れば奇面組も、そういう場所だったのだろうか?お互いを認めて受け入れて、自分と世間を擦り合わせる自信がついたら、次の場所へ、自分の欲求に向き合って。
「世間じゃそれを夢っていうのかもな」
落ち着いたようだな、と番組のリーダーは零を見遣って笑った。
「君の夢はプロボクサーだってね……人を殴るのは楽しいかい?」
「まだ、お前には教えねえ」
「私は、どんなに振り回されても、やっぱり人が好きだな」
零の中に渦巻いていた、黒い感情。卒業後、仲間が自分を取り残していったという自分勝手な依存。
今まで私に甘えておきながら、担ぎ上げておきながら、自分たちが道を見つけたら、何処かへ行ってしまう。君たちを私がどれだけ愛していたかも知らないで。ひどい仕打ちじゃないか、私にも心があるのさ。
愛とは、結局なんなのだろう。
認めあい受け入れあう場を作った奇面組リーダーの、夢は、自分をありのままに受け入れてもらうことだった。
「あの子も、上手く行っているといいな」
奇面組とはまた別の、自分の半身。ショートカットで眉を隠した強い目をした、まっすぐなあの子だ。零が奇面組という居場所を作り、はみ出しものものの千年王国で、彼らに安らぎを与えている頃、彼女は、その細腕で必死になって、家族の太陽になっていた。零と唯はお互い、自身を礎にして、組や家族を守っていたのだ。
唯ちゃん。まだ君自身、遊びたい年頃なのに。たくさん迷って悩んでいいはずなのに。
唯が、家族の事情に振り回されず選んだ進学の道。幼児教育に新たな夢を見出して、奇面組を発見したときと同じ希望に湧いた瞳を見ると、零は、存分に羽ばたくといいと伝えることで精一杯だった。
困ったときには私を頼るといいさ、私はいつでも奇面組のリーダーだから。
迎えに行こうと思ったときもあった。食わせてやることも考えていたが、結局、彼女の気持ちを確認しないままだった。卒業してから、いや、初めて出会ったときから、彼女は零に頼らず自分で歩いていける女の子だったのだ。奇面組にも彼女にも、一番頼っていたのは自分だった。今の自分に何が出来るだろう。
奇面組も唯も遠い。
今度こそ、自分に愛を注いでくれる人間が現れた時は、この身を賭けても全てを捨てても、幸せになってやる。
零は唇を噛みしめた。
二人がそこにいる。
零は、次に作るのは、本物の家族だと決めていた。零の本気の求愛に、チャコは棒立ちになったままだ。
「いいの?ほんとにあたし、何も出来ないよ?」
零は、本当にあたしでいいんだろうか?零が望んでいるのは、子供の頃みたいに、やったー!なんだか楽しそうー。なんてバカみたいに飛び跳ねて踊る姿だったのかなと、チャコは零を見つめて言葉を続けた。
「ガッカリしない?」
本当に欲しいのは、あの子だったんじゃないの?
「もちろん。君が居てくれたらそれでいい。落ち着いたら豪くんたちを呼んで、君が言ってた、たこ焼きパーティーをしよう。私の仲間は君の仲間なのだ」
もう、零は答えを出している。あの子のことを出したところで、いつもの笑みを浮かべ、もちろん大事な友達なのだと言うだろう。
見た目と違って情熱的で、実直で律儀な性格のくせに、そんな自分を隠したがる。徹底してはぐらかす。
「そうだね……」
「不安なのかい」
漠然とした、零が怖いというチャコの気持ちが積み重ねる。
「君を幸せにすると約束しただろう?大丈夫、私がなんでもしてあげる。親も説得させるさ。自転車の整備だって任せたまえ。いや、チャコは後ろに乗っているだけでいい。私に任せて、君はそばにいてくれたら……」
「あんたはどうなのよ、そんなに与えてばっかりで、あんた全然報われないじゃない」
「…………………………えっと」
チャコの言っている意味がわからないかのように、今度は零が立ち尽くす。
「私を、選んでくれないのか?」
「ごめん。あたしが子供過ぎるんだよ。零が先回りしてなんでもしてしまうくらい、あたし、何も出来ないんだ」
あの子だったら。唯ちゃんだったら、賢いしなんでも出来るし、いつも零を助けることが出来たのかな?あたし、いつも零にしてもらってばっかりだ。
「そんなことはないよ」
「あるよ。零に抱いてもらってるとき、自分のなかのどうしようもないのが無くなっていくから安心してた。零もあたしも小さい頃から知ってるものどうし、お馬鹿で中身がガキンチョのままでずっとそのままでいいって思ったんだ」
零は、チャコを見る。その昔の、奇面組を遠くに感じだした自分の心とチャコの心が近しいものに思えた。
「あんた、しっかり居場所を作ってさ。誰からも好かれてさ。前向いててさ……あたし、取り残されてる」
チャコの目尻に滲んでいるのは涙、なのだろうか。零から見てチャコは、素っ頓狂で伸び伸びとしたおおらかさを持っていて、鬱屈した気持ちとは無縁の人間だと思っていた。
「タイムマシンで楽しいところばかり、やり直せたらいいのに。なんてね。そうなったら、零は奇面組のところに行っちゃうね。あたし、零を独り占めに出来ないからそれもヤダな」
チャコも、零と同じく、取り残された人間だったのだろうか?零にはもう、チャコをどうにかしてあげることしか浮かばなくて、あれほど心を砕いていた奇面組の仲間も、唯とともに遠いものになっていった。
「大好きな人に抱いてもらえただけで良かったのにね。お嫁さんとか彼女とか、あたし、あんたのなにもかも……」
逃がすまいと、印をつけるように抱いた女の子。女の子の方も、自分を必要としてくれていると思っていた。零がチャコに破瓜をしたとき、彼女は気丈で、痛がりも泣きもしなかった。
「あんたのなにもかもを貰えるほど、大人じゃないもん」
子供なのは、私のほうだよ。
零は言いかけた言葉を飲み込んだ。おままごとが大好きで、小さい頃に裸で水風呂に入った仲で。無邪気なままのチャコを、子供のままのチャコを愛していた。涙とは無縁だと思っていた。奇面組のリーダーをしていた時の自分のように。
「あー、ごめん。あたしらしくなかったね」
チャコは自身の滲んだ涙に気づき、ゴシゴシと手の甲で拭いだした。その動作はバツの悪いことに気づいた、無邪気な子供のようだった。
「それを望んだのは、私なのだ」
零は、チャコの頭を撫でる。
「私が、明るくて無邪気な君ばかりを期待していたからだよ。本当の君は賢くて優しいからな」
チャコの本音を拾えなかった自分を零は悔いる。なんという子供なのだろう、私は。
「どんどん私に甘えていいのだ。だから……」
続きの言葉を聞くため、チャコはお告げを聞くように、目を閉じた。
零はどこまでも、あたしを甘やかす。与える男、飲み込む男。何もできないあたしのままでいいと言ってくれた。
「だから、チャコ。私を選んでくれないか」
自分がしてほしいことを、零は言わない。あたしがあんたを甘やかす器じゃないからかな。あたしが自分をきちんと育てなかったからかな。
「もう、選んでるよ」
「嘘だ」
零が先回りして、人に与えてしまうのは、自分がしてほしいことを、人にしてしまうからだ。
「逃げないよ、あたし。嘘をついてると思うなら、舌を取ってもいいよ」
チャコは、そのまま目を閉じて零に向き合った。分からず屋には体で分からせるしかないかのように。
「…………あ」
零の唇から、ため息と声が漏れる。今日は、見て愛でるだけだと思っていた恋人が、自分の頬に手を当て、そのまま、唇を重ね、舌を貪り出した。
「……急にどうした?チャコ」
「舌に触ってやったの。あんた、あたしにいっぱいエッチなことをするくせに、あたしにあんたの心を触らせてくれないもん」
チャコは、舌とともに恋人の心をこじ開けることが出来たら、どんなにいいかと思っていた。人を愛することで、自分を愛されたい零がいる。無条件に人を愛するくせに自分に対してはおっかなびっくりだ。そんな柔らかいところを、身体を開くだけでは、触らせてくれなかった。
奇面組のリーダーは、自分を愛してくれなかった世間へのちょっとした復讐で、同じはみ出しものへの何より強い勇気づけで、自分を頼ってくる人たちへの最高のサービス精神で。
リーダーはメンバーがいてこそで、自転車は歯車があって初めて車輪が回るわけで。
……零は、愛する人がそばにいないとだめなんだ。
チャコは、もう一度、閉じた零の唇を自身の舌でこじ開けた。
同じはみ出しものや守る女の子たちのためなら、零はどこまでも道化になれる。
だから、唯ちゃんは、零を選ばなかったのかな?唯ちゃんは、零がどこまでも与える男だってことをわかってて、卒業したあと、零をひとりの男の子に戻してあげたかったのかな。
「愛してる、零。あたし、おかーさんもなにもかもを捨ててもいいくらい」
唯ちゃんは、零が本気の恋をすると、今までの個性を捨てても、社会に馴染んで相手のために生きようとするんだって分かってて、零を奇面組リーダーのままにすることを選んで、恋を進めなかったとしたら。
あたしは、奇面組リーダーの一堂零を、殺してしまったんだ。
土手にもう一組の恋人がいる。
「さて、そろそろ帰るか」
川の流れを土手のベンチで腰掛けながら見守っていた二人も、豪の声を合図に立ち上がった。
「たこ焼きパーティー……」
「え?」
「行ってもいいかも知れねえな」
「ん?何の話よ??」
「おめー、リーダーたちが、屋台のたこ焼きは高いから、たこ焼きパーティーしようって言ってたじゃねえかよ」
「あー、そうだったそうだった!」
「あの時、めちゃくちゃ乗り気だったくせに忘れたのかよ。ほんとに女はスグこれだっ」
豪の呆れた声に、千絵はケタケタと笑った。
「ほんと、豪くんって細かいこと覚えているわね」
「うるせえ」
「なに?チャコちゃんたちにぶっきらぼうに返しちゃったの、気にしてるの?可愛いー」
「そんなんじゃねぇ!……その、リーダー、いや、零たちと仲直りというか、その……」
豪がリーダーを零と言い換えた。奇面組が、それぞれに成長をしていく。今度全員が揃うときは、かつて、高校で見せたときとはまた別の表情を見せていくのだろうか。
「ところで、豪くん。……たこ焼きの作り方、わかる?」
「はっ?し、知らねえ」
「チャコちゃんも零さんも、そういうの下手そうだし、こうなったら、豪くんが頼りよ?頑張ってね?」
「おいっ!」
唯がそこにいない人間関係。
豪も千絵が空元気とユーモアを混ぜていたことをわかっていたし、千絵も、何もなかった零と唯を受け入れている。
「言っとくが、俺は零みたいに器用じゃないからなっ」
「知ってるわ。不器用だけどわかりやすい男のほうが、アタシ好きだもん」
そう言うと、千絵は豪の頬に軽く口づけをした。
「………ちょ!ちょっと待て!!」
「唇はまた今度ね。お互いたこ焼き食べたあとだから、きっとソースの味がするわ」
千絵はいたずらっぽく豪に微笑み、豪はつられて、千絵の手を引いた。
「帰ろうか」
二組の恋人が、帰路につく。
この夏歩いた道が、また来年ともに歩くのか、それは誰にもわからない。