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    文句の一つも言ってやれ(前)文句のひとつも言ってやれ文句のひとつも言ってやれ季節も幾つか、通り過ぎた。

    振り返れば眩しいくらいの青春だった。いつか終わりが来ることを知ってはいたけれど、気持ちはまだ、はしゃぎたりなかったのだ。隣町まで冒険のつもりで自転車をどこまでも漕いでいく子供のようでもあった。日が暮れるころ、世界の果てまで漕いでいたつもりが、たいして距離を稼いでいなかったことに気づき、世間の広さと、これが大人が作った世界なのだと思い知る。

    日が、とっぷりと暮れた。

    千絵は豪を誘い、零は幼馴染のチャコを誘って、育った町の夏祭りに繰り出す。

    男は自身の隣にいる、めかしこんだ「彼女」を眩しげに見つめ、女は自分より見上げる高さにある、「彼」の眼差しを感じる。

    二組は、恋をしていた。

    文句のひとつも言ってやれ


    千絵が、自分のために浴衣を着てくれたのだ。

    高校を卒業してから二度目の夏祭り。友人として会っていたあの頃とは違い、今では、「彼女」として、そばにいてくれること、自分のためにおめかしをしてくれた喜びを、豪は噛みしめる。
    着慣れない浴衣と履きなれない下駄に苦戦し、疲れた、暑いと文句を言い出す千絵を座らせて、冷たい飲み物を探しに、豪は屋台を覗いていった。

    邂逅だろうか、遭遇だろうか。

    「……豪くんじゃないか!」

    豪にとっては、青春そのものの懐かしい声がした。

    「なんだ、……リーダーかよ」
    「君はいつも嬉しくなさそうに返事をするのだな、久しぶりに会えたというのに」

    一堂零。豪にとって、彼は青春そのものだった男だ。

    「そりゃ悪かったな、ご無沙汰してましたとでも言えってか」

    ぶっきらぼうで無愛想な豪にとって、甘え上手で知らぬ間に人の隣に居座るのが得意な零に、眩しさと羨ましさを感じていた。

    「ご無沙汰するつもりもなかったんだけど、ここ最近なにかと目まぐるしくってね。元気だったかい、君は」

    零が奇面組以外の出来事に興味を引くことが、豪には時折腹ただしく思うこともあった。

    零が隣に女を連れている。


    「おめえのほうは元気そうだな、別嬪さんを連れてよぉ」
    「えー、あたし別嬪さんかなぁ?」

    零の隣にいる女の素っ頓狂な声と、零の隣に女がいるという事実が、豪に胸のざわめきを与えた。

    「浴衣姿の君はなかなかのものだぞ、チャコ」

    そんな豪の気持ちを知らないかのように、零は無邪気に浴衣姿の君、チャコを褒めた。
    先から零とチャコは指を絡ませたままで、豪と会っているというのに繋いだ手をほどく気配もないまま寄り添っている。

    その女どうしたんだよ。

    零に寄り添い手を繋いで屋台巡りをしている女がどうしてチャコで、千絵や奇面組と青春時代をともに過ごした、唯ではなかったのかと豪が思うと、眉間の皺が一層深くなる。

    「えへ、褒めてもらえちゃった。えっと……ありがとね、豪くん」
    「別嬪さんに別嬪さんと言っただけだ、感謝されるようなことは言ってねぇよ」

    チャコが零の幼馴染だということは、豪も以前から知っている。チャコも、それなりに奇面組の連中とは面識があったが、豪の強面と無愛想な態度に気後れするのか、いつもの砕けた態度が出ていない。


    「それにしても随分とフレンドリーな彼女だな。彼氏以外の男に、下の名前呼びかよ」

    零がチャコに絡ませた指に力を込めた。チャコは零の中で何かが変わるのを感じ取った。


    「チャコ、たこ焼き買ってきてくれないか」
    「えー。さっき食べたじゃん」
    「りんご飴、買っていいから」

    あそこの並びの奥の方の店がいいな、たくさん人が並んでいるから、きっと美味しいに違いないと声をかけ、チャコは、どれも同じ味だよと素っ気なく返す。
    零がようやくチャコの手を離したかと思えば、紙幣を渡す際に、チャコの体を零が自分の体で大事なものを守るかのように包むかのようにして回り込む。傍から見たら、兄妹のようで微笑ましいが、豪には普通に横並びになって金を渡せばいいのにと、過剰な接触のように思えた。

    「じゃあ買ってくるー」

    チャコがたこ焼き屋の方向に小走りで駆け出す際に、零がチャコの尻を軽く叩いたのを、豪は見逃さなかった。
    人前で良くもまあ…と、豪は気恥ずかしく呟く。こっちは手を繋ぐのも照れくさいのに。

    チャコの鮮やかな黄色の浴衣が、彼女の上下する肢体の線と、屋台の光と相まって、明るく彩っている。零の方を振り返り、軽く手を振るチャコに、零は嬉しそうに手を振りかえした。


    「私も夜店に行くんだったら、チャコと一緒に浴衣を着れば良かったかなあ」
    「女連れだろ。男の方は身軽な格好でいいんじゃねえのか。どうせ下駄が指に食い込んで痛いだの、小便したくなったから便所を探せだの、めんどくさいこと言いだすぜ」
    「それでも、お揃いっていいなと思うのだよ。ところで……」

    零はチャコの姿をある程度見えなくなるまで見送ると、豪に向き合った。零はいつもは口角をきゅっとあげる、穏やかに笑ったような表情をしているが、眉のない三白眼と通った鼻筋が端正に見えて、本心が伺えない捉えどころのなさを醸し出す。


    「豪くんは私に言いたいことがあるんだろ?」

    奇面組ナンバーツーとして、普段は零がリーダーで、豪がボスだと、仲間内からはそのように振る舞っていたが、本質的には零が誰よりも気が強く動じないことを、当の豪が知っている。


    「……あいつはなんなんだよ」

    豪は非難をしていた。

    「あいつはなにって……?女子バレー部の冷やかしを一緒にしていた君なら、部長のチャコのことを知っているだろうに」
    「へっぽこなサーブしか打てないあいつのどこがいいんだよ」
    「おや、妬いてる?」
    「うるせえな」
    「君も欲張りだな。千絵ちゃんという可愛い彼女がいるというのに、私にも相手してほしいのかい」

    もっとも、奇面組の連中も忙しくなって、私の事を相手しなくなったな、君ですら。

    口調と表情は穏やかでも、目線は昔から誰よりも強く、睨み返しても零は怯まない。

    「拗ねてるのかよ」
    「そうだね。私から豪くんを取っていった女の子は、ちょっと憎たらしいかなー」
    「気持ちわりい」

    その言葉はそのままお前に返してやろうかと、豪は軽く舌打ちをした。

    「だからって、君はチャコに意地悪を言っちゃ駄目なのだ」

    零の口元は笑っているが、目は笑っていない。

    「悪かったな。俺はもともと人見知りなんだよ」
    「配達先では別人かと思うくらい、愛想がいいくせに」
    「……食ってくためだ、仕方ねえだろが!」

    吐き捨てるように言ったつもりが、思いのほか大きめの声を出してしまった自分に、豪は戸惑った。

    「食ってくため……か。」

    豪の言葉に、零は目線をチャコの走っていった方向に目をやった。


    零には昔、想い人がいた。

    事故を起こした零が入院した病室で、千絵と豪が、あの娘のことをどう思っている?お前、一目惚れだっただろう?と問い詰めた際に、顔を真っ赤にしながら食わせていく自信がないと、零は寝具で顔を隠していた。根は純情で実直な男だ。

    一途だったと思っていた男が、いまはかつての想い人とは違う女の子を連れて歩いている。

    「ところでおめえ……やったのかよ?」
    「なにがだい?」
    「さっきのその、チャコちゃんってのとよ、やることやったのかよ」

    女の子と指を絡ませてからだをくっつけて歩く、女の子を包むように並んで立つ、女の子の去り際に尻を叩く。豪の知っている零は、こんなことをする男ではなかった。

    「……案外、君も下品なんだな」

    あれだけ女の子に触っておきながら、態度は平然としている。チャコと零の間では日常茶飯事なのだろう、きっと、やることはやっているのだと豪は気づいた。


    「その、おめえも大の大人だし、下の事情まで俺がとやかく言える立場じゃねぇけどよ」

    夏の夜。日中の熱気がまだ余韻を残し、眠ったり家で大人しくするのは勿体無いくらいの活気が溢れている。ましてや今宵は夏祭りだ。人の熱も大気が孕んでいる。


    「何が言いたいのかわかりづらいけど、私が豪くんや千絵ちゃんに、そんなこと聞いたことがあったかな?」

    訊いた豪も訊かれた零も、熱をたっぷりと持っている年齢だ。

    「豪くんや千絵ちゃんと一緒のことをしてるのかと言えば、そうなのかもねー」
    「……答えになってねぇよ」

    ここに潔や仁がいたら、笑い混じりに和やかにお互いのガールフレンドのことも言えた。

    「いいんじゃないの、私にも秘密の部分が在ったって」

    大がいたら、豪と零のガールフレンドの関係をそれとなく察して彼が話題を変えていた。
    彼らは緩衝材だったのだ。

    「くだらねえこと聞くなってか。他人行儀になったもんだな」

    豪と千絵はまだ口づけすら交わしていない。千絵から、私のこと好きじゃないのと言われても、豪は手を出せないままだ。
    犯し難い、青春時代をともに過ごした仲間であり、女の子。
    俺が手を付けていいのだろうか、千絵ちゃんにとって、もっと似合いの男が他にいればなどと思うと、自分が乱雑に手をかけて千絵のからだをものにしてしまうことを躊躇ってしまう。

    「質問とは言え、自分の彼女がそーゆーことしているのを想像されるのは、愉快じゃないだろう?」
    「彼女って、チャコちゃんってのかよ?」
    「他に誰がいるんだい」

    お前が大好きだった 唯ちゃんは、何処へ行ったんだ?

    そう聞きたくても、零の視線がそれを制するように強い。

    「……文句の一つも言いたげな顔だな、豪くん。でも私はきかないよー。学生時代から純愛を貫いた幸せ者にはね。私なんかより千絵ちゃんと、いちゃいちゃしているほうがいいに決まってる」

    とくに君の臍から下のギャランドゥは凄そうだ。
    そう付け加えて、零はにっこりと笑った。

    「ねえよ。まだ子供子供してるし、胸も尻もボリュームがねぇし、色気もへったくれもねぇからな」
    「それはそれは」

    扇情に零とチャコは身を任せたのだろうか?零の学生時代と変わらない飄々とした口ぶりに豪のイラつきが募る。

    「こんなに浴衣が似合う美人なのになー」
    「誰が色気もへったくれもないですって」
    「いたのかよっ!」

    豪が、ドスの効いた声の千絵を見つけるなりオーバーアクションで飛び退いた。
    高校の時のポニーテール姿であるものの、ファッションデザイナーを志しているだけあって、艷やかな髪には編み込みが施され、うなじは緩くたわみながらも乱れなく纏まっており、細身の曲線に添うように、夏の青のような鮮やかな浴衣を着こなしている。
    零は千絵を見て、いやあ、お綺麗だ!流石だな、千絵ちゃんと誉め称えた。



    「千絵ちゃんも来てたのかい。下駄が指に食い込んで痛かったのかなー?」
    「そうそう。おめかしって大変よぉー。男連中は感謝してほしいもんだわ」
    「豪くんが、男は小便するとこも探さなきゃいけないから大変だってぼやいてたのだ」
    「おめえ、今それをいうか?」


    正直、千絵が会話に参加してくれて助かったと豪は安堵した。

    「ほんとにデリカシーないわね、豪くんは」


    ああ、昔のとおりだ。

    千絵と零は昔から会話の相性がいい。
    知らぬ間に人の隣に居座り、会話が苦にならない零と、なんでも面白がり、手当たりしだいに喜ぶ千絵と。この二人の明るさに助けられ導かれた青春時代だ。
    額に汗することしか自身の取り柄がないと自嘲する豪にとっては、零と千絵が、鏡の向こう側に感じる。あいつらは、俺がどう見えているんだろうな。
    勝手に会話が弾みだす、千絵と零をテレビでも見るかのように眺めては、豪の心に何かが引っかかりだす。

    ただそこにいるだけで、物事をひねりもなげきもせず真摯にうけとめる、実直な女の子の姿が浮かび上がった。


    「よお、ここに唯ちゃんがいたら、なんだか昔の俺らみたいじゃねぇか?」

    千絵と零の会話が止まる。
    豪は会話の沈黙で、零と唯がなぜ連れ立って夜店を歩いていないのか、千絵が理由を知っていることを悟った。


    「……零さん、チャコちゃん遅いんじゃない?探しに行く?」
    「大人だからなー、大丈夫だろうとは思うけど」

    俺の言ったことは無視かよ。
    この二人らしからぬ不器用な話題の反らし方だ。茶番に乗り切れるほど、大人にはなれない。

    「……おい、行くぞっ」
    「どこへ行くんだい?」

    千絵について来いといったつもりが、零が返事をしたので、調子を狂わされる。


    「下手に迎えに行くよりここで待つほうがいいと思うのだ。チャコも迷わなくてすむし」
    「俺は別にあいつには用はねえやっ」
    「ちょっと豪くん、その口の聞き方」

    ごめんね、零さん。千絵がそう言って場を取り繕う。

    茶番が続いているように豪は見えた。大事なところへとどめを刺されぬよう、お互い探り合っての会話だ。

    ケッ!

    豪は二人から屋台のニ、三軒分ほど遠ざかり、生ぬるい熱気を孕んだ、星明かりの届かない夜空を睨んだ。

    零と唯の未来に期待をしていた。


    豪と千絵が手探りでお互いを結びつけた時と同じように。……あの頃のまま、時が進むと思っていた。再び続く零と千絵の会話も祭りの熱気も飛び込んでくる夏の五感も、いまの豪には全部空々しい。

    ぼんやりしている豪の肩に、柔らかい誰かのからだが当たった。

    「よぉ、別嬪の彼女さんじゃねぇか」

    こいつか、すべてをぶち壊してくれたのは。

    「えへへ……ただいま豪くん」

    黄色い浴衣姿の三つ編みの女の子、チャコだ。唯の肉感的なからだつきや千絵の細身のからだつきとはまた違う、よく遊ぶ子供のような筋肉のついた、零と雰囲気がよく似たからだつきだ。手には零からの注文のたこ焼きを持って、小走りで来たのかはぁはぁと軽く息を切らしている。唯とはまた違った天真爛漫さだ。

    「ったく、お似合いだよなぁ、零とおまえさんはよぉ」

    豪は苦笑いをする。

    「知ってるか?零はああ見えて偏屈なとこがあるんだぜ。なにも考えてなさそうな、お前さんのほうが零にあっているのかもな。あの娘よりもよぅ」
    「あの娘……?」
    「知らねえなら知らねえほうがいいや」

    控えめで芯が強くて、ぶれることのない、誰の助けを求めない唯のことを、ずっと豪は描いていた。


    「チャコ!」

    零が、今の彼女であるチャコを見つけるとチャコに駆け寄る。チャコも零の姿を見ると、嬉しそうに駆け寄った。

    色惚けが。

    ほんの十メートル足らずの距離だというのに、もっとそばへと駆け寄る二人を見て、豪は舌打ちをせんばかりに凝視した。

    抱きしめてチューとかしてみろ、久しぶりにコブラツイストでも御見舞いしてやる。
    心の中で豪は呟いたが、零の横をチャコは華麗に通り過ぎ、代わりに、千絵のもとに駆け寄った。




    「キャー、千絵ちゃんひさしぶりっ 」
    「やあだ、チャコちゃんこそ元気ぃ」


    浴衣姿の彼女たちが、ふたり。
    きゃあきゃあいいながら、思春期のむすめのように、お互いの肩やら腕やら平手でぺちぺち叩いたり擦ったりして、再会を喜び合っていた。零は肩透かしを食らって気恥ずかしそうに頭を掻いて、にゃははと豪に笑っている。

    「おんなって、たいして仲良くもねえのに、会えば、ああやってベタベタ触り合うのって、凄くねぇか?」
    「私達もしようか、豪くん?」
    「いらねえ」
    「今日の君は、よくわからないな」
    「……おめーもな」

    旧交を温めあっている「彼女」たちを、「彼氏」たちは、一方は温かく、もう一方は興味のないテレビでも見るかのように見守っていた。




    はい、千絵ちゃん。


    零はチャコが買ったばかりのたこ焼きを千絵に渡した。

    「やだ、いいの?零さん。チャコちゃんと食べるんじゃなかったの?」
    「君はそのままでも充分に可愛らしいが、もっと肥やして胸と尻にボリュームをつけたまえ。豪くんが待っている」
    「やかましいっ!」

    零に豪が、昔のようにコブラツイストをかけようとしたときだった。


    「ねーねー!なにを待ってるの、豪くん?」

    零と同じように、チャコが、豪に絡みだした。千絵より年上の癖に、子供のように無邪気だ。零が女の子だったらこういうタイプになるんだろうか?
    千絵と対象的に、ざっくりと編み込んだ三つ編み、鮮やかな黄色の浴衣に負けない、子供っぽい仕草。化粧っ気のない蒸気した頬。

    ……ほんとに、零と寝たのかよ。

    背は唯よりも高いのに、年は唯よりも上なのに、零とチャコが行為をしている姿を想像すると、兄がいたいけな妹に悪さをしているように感じてしまう。


    「そーゆーことに関しちゃあ、お前さんとあいつの方が先輩なんだよな」

    豪のなかでは、まだ千絵は出会ったときの十四歳で、妹だった。


    「良ければ、ご教授願いたいもんだな、リーダー」

    大好きな女の子のことを聞かれて、耳まで真っ赤にしていた、昔の零。あの時の零と豪は、妹である唯と千絵、女の子たちにおいそれと手出しは出来ない純情な二人だった。

    「なんだかよくわかんないけど、あたしと零と豪くんと千絵ちゃんとで、仲良く教えあったらいいんだね」

    唯は欠け、素っ頓狂なチャコの声だ。唯はそこにいない。奇面組で学校を賑わしていたころの、「俺たち」ではない。


    「四人でダブルデートだね!」
    「……なんだそりゃ」
    「屋台のたこ焼きって高いからさ、あたしんちで集まって、たこ焼きパーティーとか楽しくない?」


    きっとダブルデートはダブルに楽しいよー。

    チャコの脳天気な誘いに、千絵は、あらいいわね、楽しそうと賛同し、零まで、チャコは天才だな、と持ち上げる。「俺たち」は、唯のいない人間関係に塗り替えられたのだ。


    「俺、そーゆーのいいや」

    豪は、彼らに背を向け小さく手を振り、歩き出した。


    「ちょっと豪くん、待ってよ。何処行くの」
    「えー、一緒に屋台巡りしないのー?」

    当たり前のように誘い出すチャコに、追い打ちをかけられたように苛立ちが募り、豪は吐き捨てるように呟いた。


    「悪かったな、俺、タコが嫌いなんだよ。ついでに人見知りだからよ。たいして知らない奴と仲良くしろと言われても、どーしたらいいかわからねえしよ」

    チャコに意地悪を言わないでくれと言った、零の横を通り過ぎる。
    自分から豪くんを取っていった女の子が憎らしいと言いながらも、零は千絵によくしてくれる。……豪自身もそうすることが零の喜びになるとわかっている。わかっているが、豪にとって零の知らない部分を作りあげたチャコが憎たらしい。

    「あばよ、リーダー。落ち着いたら連絡くれや」

    ほんとごめんね、と謝る千絵を遮り、零は、待てよ豪くん!と呼び止めた。


    豪が振り返って、目線を合わせた零は昔のまま、誰が相手だろうと姿勢を崩さない、本質的には誰よりも気が強く目線が強いままだ。
    だが、その隣には、零が肩を抱き寄せた、豪が名前とへっぽこなサーブを打つことぐらいしか知らない、「女の子」がそこにいた。


    「この子は将来、私のお嫁さんになるのさ。この子の誘いを断るってことは、私とも遊ばないってことになるけど、それでいいのかなー?」





    世間の歯車になるより、世の調味料になれと言った男も、性には逆らえない。

    歯車になることを拒絶するより、歯車となって、世間と噛み合い、時には外れ、時には油を刺され、自転車のように地道に漕ぎ、人生の望む場所へ進むことを選んだのだ。


    「……勝手にしろ」

    そこに一緒に連いてきてくれる、女の子がいたのなら、零ですら、豪ですら、食っていくためには、歯車にも調味料にもなんにでもなれる。




    自転車が乗れなかった唯を、千絵と奇面組のメンバーで猛特訓したっけ。あの娘はあれから、自転車でどこまで行ったんだろうか?





    あの時は、眩しいくらいの青春だった。



    なにかはわからない。

    足りないところがあったから、仲間を作ることができたのだ。
    優等生でなんでもできると周囲から思われていた唯が、自転車の乗り方を教えて欲しいと言ってきた時、千絵は彼女の役に立てることができて、心底嬉しかった。
    子供じみた趣味しやがってと冷めた目で零をみる豪が、ドラえもんってどんな漫画だと聞いてきた時、零は絵空事の世界を熱く語りかけ、漫画とついでに怪獣大百科も貸してあげた。

    千絵は唯を。
    零は、豪を。

    子供時代をしっかりやってこれなかった、親友の事情を察していた。

    文句のひとつも言ってやれ








    ずっと続くと思えた学生時代も、年単位で過去の話だ。

    親に捨てられた取るに足らない自分は、居候先で居場所を作るのに必死だった。豪にとっては、同年代と机を並べて本を開き、休憩時間にどうでもいいことを話して時間を潰す日々がどうにも無駄に思えてならなかった。早く社会に出て金を稼ぎ、たまに頭の中を酒精で酔わせて麻痺させておけばそれでいい。本気でそう思っていたのだ、零や千絵に出会うまでは。

    「思い出すわねー、この辺りの土手で唯と自転車の練習したじゃない?」
    「チキンレースもやったけな、馬鹿をいっぱいやったもんだ」

    学生時代を共に歩んだ千絵は今も豪の横のいる。


    「……楽しかったわね、あの頃は」

    取るに足らないと自縄自縛していた自分に、友達がいる楽しさを教えてくれた零。妹分にカッコ悪いところは見せられないと、豪の気持ちにハリをもたらせてくれた千絵。……話す内容が増えた休憩時間と、叔父夫婦との食卓。一緒に遊ぶ友達がいることを喜んでくれたのは他ならぬ居候先の叔父夫婦だった。自転車を操り出した子供のように、世界は広がっていく。

    豪にとって、奇面組は過去の話ではなかったのだ。


    「久しぶりに零さんと会ったけど、なんか大人っぽくなってたわねー」

    零さんて昔から子供だか大人だかわかんないとこあるけどねー。と千絵は独りごちるようにしてラムネを飲みながら歩く。
    夏祭りの帰り道だ。
    夏の空を思わせる明るい青の浴衣の襟から、スッと伸びた白い茎のような細い首、豪の心を明るくする花のような顔。

    ただ見つめているだけでいい。

    千絵が口付けている、ラムネの瓶のなかのビー玉のように、まだ手にも触れていないし、たやすく自分のものに出来るとは思えない。

    「なに見惚れてんの、豪くん。アタシの浴衣姿が美人過ぎて、びっくりした?」

    手をつないでもいいのよと茶化す千絵の言葉を上の空で豪は返事した。

    「……そ……そうだな。浴衣がキツイ下駄が痛いとか言ってる割にはサマになってんじゃねえかよ」

    誰よりも麗しい浴衣姿の彼女との距離は、理性を保ったままだ。

    「さっき物陰でこっそり着崩れ直したりしてたからね。ファッションで食べていこうと思ったら、浴衣の着方ぐらいは心得とかないとおかしいもん」

    いつもの豪なら、馬子にも衣装だなと憎まれ口の一つ二つ飛び出ていた。さっきの零との棘が見えるようなやりとりのことを、豪はまだ気にしているのだろう。

    「チャコちゃんの浴衣の着崩れも直してあげたのよ、アタシ。偉いでしょ」
    「そーゆーとこ、女って偉いよな」

    夜店巡りをする相手が、なぜ、中学と高校時代に零が懸想をしていたはずの唯ちゃんではなかったのかと。
    問いただせるのは、何も零本人とは限らなかった。唯の親友の千絵がいる。唯も豪にとって、共に青春時代を過ごした仲間だった。

    千絵は、豪が零から刺された棘を抜いていないと勘付いている。

    つまらない意地を張って、せっかくの夏祭りなのに喧嘩別れなんかするからよ。それを口に出して言うほど、千絵は野暮ではないし、零と違って豪は他人の心の機微を人一倍気にしてしまう性分であることを、千絵は知っていた。

    「男の人の浴衣も着付け出来るのよ、アタシ!来年は二人で浴衣を着ましょっ」

    空になったラムネの瓶を振って中のビー玉を鳴らした。




    ……もうほっときなさいよ、零さんのことは。そんな気持ちをこめながら。








    来年は浴衣をふたりで着ようか。



    どちらかともなく未来に繋げる約束をしながら、零とチャコは歩いていた。

    「じゃー、あたしのおかーさんに零の着付け頼んでおくね。あたし一人じゃ、浴衣を着れないし」

    まだ親の手がいる自分たちだ。「この子」がいて良かったと、それがどういう良かったなのか自分自身でもわからないまま、零はチャコの手を引いて土手の横を通りすぎた。あの土手を越えた下の河原で、自転車を運転できない唯を皆で教えてあげたことも、昔のことだ。

    「なに見てるの、零?」
    「ここの河原で自転車の乗り方を教えたことがあったのだよ」
    「……誰に?」
    「ともだちさ」


    夏祭りの帰り道だ。夜風が生ぬるく二人を包む。痴漢防止のための煌々と灯る街灯に蛾や虫たちが飛び込んできてバシバシと音を立てる。人ごみではぐれることもないというのに、人気のない道で二人は絡めるように手をつなぎ手のひらはもう汗ばんでいる。体が近い。汗の匂いも体同士の熱も、浴衣や服と一緒にまとわりつく。
    零が褒めてくれた浴衣姿だ、家に着くまで綺麗なところを見せてあげたいとチャコは健気に思う。本当はどこかで脱ぎ捨てたいくらい窮屈だけど、着方が未だに覚えきれないのだ。
    あたし、このままでいいのかな。
    ふとチャコの脳裏にかつてのバレー部仲間の顔が浮かんだ。

    ……千絵ちゃん、浴衣を一人で着たんだよね。あたしの着崩れまで直してくれた。来年は豪くんと着るんだって言ってたな。


    「ねー、零」
    「どーした、チャコ」

    「あんな喧嘩別れみたいなことして良かったの?豪くんって人と親友だったじゃない?あたしやだなー。いくらあたしが魅力的とはいえ、あたしが元で喧嘩するの」

    チャコには先程の諍いが、自分が火種だということが分かっていた。零も、チャコを自分のものにしてから、彼女の良さである伸び伸びとしたところや、素っ頓狂なところ、何とも言えない大らかさが少しずつ失われていることに気づいている。


    「君もくだらないことを気にするようになったもんだ。腹が減ってる証拠だな。りんご飴をたべるのだ。美容にいいぞ」

    零に渡されるがまま、チャコはりんご飴を受け取り、袋をとって舐めだす。子猫のようなピンク色の舌が、さらに毒々しく赤いりんご飴をなぞりだしていた。チャコの手に持たれている、りんご飴を突き刺した割り箸。えぐるように林檎の内部を突き刺しているのだろう、零はそれに感づくと、チャコが欲しくなりだした。

    モラトリアムの分際で。

    零がチャコを欲しくなるたび、いつもこの言葉が背中にのしかかる。
    零とチャコが、恋仲になるのに、たいして時間はかからなかった。昔からお互い、スキンシップが多かったということもある。高校を卒業してから、チャコは目的もなく家事手伝い、零もおもちゃ屋を継ぐという名目で家業を手伝っていた。会う機会はたくさんあったし、それこそ時間は腐るほどあった。
    大好きだったはずの唯が、幼稚園教諭になるという夢を追いかけ、いろんな資格取得に挑戦し多忙になり、以前よりも奇面組の連中とつるまなくなったということ。仲間たちもそれぞれ家業や進路に忙しく、たまにあっては思い出話よりも、近況報告のほうに会話の花が咲くようになり、彼らが着実に前を向いていっている姿に零自身、戸惑いもあり、以前より彼らとつるまなくなったからだ。
    零の頭の中を何度もよぎる考えがある。奇面組に依存したまま、時を進めるのを恐れていたのは自分だったのではないかと。

    「今日はほら、お互いアタマに血がのぼってるから、また今度豪くんと仲直りしよ?だって奇面組はあんたにとって、家族なんでしょ?」


    きっと元通りだって!


    チャコの声に勢いがある分、元通りという言葉だけが虚ろに響いていた。













    「チャコちゃん?女子バレー部の頃からの付き合いだけど、あっけらかんとしてて、いい子よ?」
    「ケッ、女同士のいい子なんて、当てにならねぇ」
    「……何が言いたいのよ」

    ちょっと休憩をしましょうか。
    唯の自転車の猛特訓した河原で、二人は適当なベンチを見つけて腰を下ろす。

    千絵は最近、豪と出かけてもなかなかすぐには帰りたがらない。

    照れ屋で誰よりも繊細なくせにそれを隠すように粗暴に振る舞う豪が、卒業後自分に告白してきたことを、今でも千絵は胸の奥にしまっていて何度も記憶を温め直している。一緒にいて楽しいと。俺にとっては誰よりも唯ちゃんよりも、千絵ちゃんが眩しいと。

    ファッションデザイナーとかよく知らないけど、少しでも千絵ちゃんの支えになりたい、そばにいさせてくれ、と。


    「豪くんさ、チャコちゃんに零さんを盗られたって思ってるんじゃないの?」

    言いたいことが、山ほどある。

    おつきあいをするということは、時間の共有を誰よりも長く取るということだ。アタシは豪くんという人が面白いからそばにいる。唯に比べて一段か二段落ちる自分だけれど、千絵ちゃんだからそれでいいと受け入れてくれるから、アタシは豪くんのそばにいる。……アタシが零さんの豪くんの時間を奪うはめになっているんだ

    「だって、言ってることが痴話喧嘩よ、あんたたち」


    思えば、零さんは不思議な人だ。子供のようで大人みたいな余裕を見せる。いつまでたっても、「さん付け」をしてしまうくらいどこかに、彼は壁を作ってる。豪くんは、その壁を取り払いたくて懸命だ。

    「零さんのガールフレンドなら、誰にでもやきもち焼いてるんじゃない?」
    「おめえまで、気持ち悪いこと言ってんじゃねぇ」
    「摑みどころないもんね、零さんは。アタシにはわからないな、唯も豪くんも零さんに入れ込んじゃうの」
    「けっ」

    お互いの言いたいことはその辺だ。


    「学生時代にあんだけ唯ちゃんに気がある素振りをしておきながら、なんでなにも進めようとしないんだよ。あいつは」
    「何よそれ。唯があんたに零さんのことを相談したの?頼んだの?」
    「う……、そんなわけねえだろ」
    「でしょうね。ああ見えて唯って男らしいとこあるもん。零さんも唯も、お互いなんとかする気が無かったのよ、放っておきなさいな」
    「女って、あっさりしてるよな。唯ちゃんと親友だったんじゃねえのかよ?」
    「そうよ。零さんが唯のことを弄んで捨てたというなら、文句だけじゃ済まないけど」


    千絵は、零が卒業式の日に、唯にかけた言葉を思い出した。
    君は賢いし、夢があるし、才能だってあるのだ。うんと羽ばたいていけるからどこへでも自由に行くがいい。




    「あの二人は結局、何もなかったのよ」















    チャコは舌の動きが達者で、零よりもよく喋り、りんご飴を溶かせるのも速かった。その舌の動きで、零を慰めようとしたことも何度かあった。零にとって、その快楽は脳裡から拭おうと思ってもなかなか拭いきれない。チャコと求めあっている間、自分が取るに足らない人間だということを忘れられた。親の庇護のした遊んでいるような毎日で、女の子とたまに抱き合って。

    最初は口づけだけの関係だった。

    零は人の肌に弱かった。チャコの素っ頓狂な励ましと、スキンシップに甘えて気がつけば、母を求めるように、チャコの胸をまさぐっていた。ただの幼馴染がこんなことするだろうか。やさしくしてくれる女の子に縋っている。反吐が出そうだと零は自分を振り返る。


    「それにいいよ、あたし。彼女とかお嫁さんとかそーいうの。あんたを縛り付けるほど、あたし、いい女じゃないもん」

    その言葉を聞くと零は、チャコの顎をそっと持ち上げた。やや不機嫌な零の瞳がチャコの瞳に映る。意識して笑った顔をしないと気難しい表情に見えると零は自嘲するが、チャコから見れば凛々しく涼やかな顔立ちだ。そのままチャコは見とれていると、チャコの額に爪弾かれたような衝撃が走った。

    「痛いっ」
    「他に君と私の関係をどう言い表したら良かったのさ」
    「……なんで、デコピンしたの?零っ」

    額を押さえるチャコに、零は唇の端だけで笑う。


    「君、私から逃げる気かい?」

    零にデコピンされた後は赤くなっていないだろうかと、チャコは懸念する。
    零はあたしに、いつも印をつけたがるから。


    「やることはやってしまったのだよ、君と私は。現に、豪くんたちと離れてしまったあとに、私は君を抱くことしか考えていない」
    「あはは、あたしってそんなに魅力的かなぁ」

    あんたは、自分の胸の中のあの娘を追い出したいだけじゃないの?
    あたしはこの男に、手を握らせて口づけを許して胸も触らせて性器までまさぐらせた。あられもない声も乞われるまま聞かせた。……だからって、なんなんだろう。

    服を着て外に共に出ている時間が、チャコは取り繕っているように感じていた。二人は裸の時間を過ちですまないくらい共有しているのだ。

    「食べられるものなら食べてしまいたいのだよ、君を」

    まぐわっている時間の方が、自分たちの関係なんか考えなくてすむのに。

    「あんたってさ、……見た目と違って情熱的なとこあるよね」


    チャコがとうに絶頂を迎えているのに、零は執拗に攻め続けることが何度もあった。




    「たまに、あたし。零のことが怖い」

    求めあっているあいだ、二人は、自分の中の不甲斐なさを何処かに置き去りにしていた。お互いを道連れにしていたのだ。



    普段言いそびれていたことを言い切ったんだと、チャコが思った時、街灯にたかる蛾や虫のぶつかる音だけが、夜道に響いた。





    歯車が噛み合い出したとしたら、時が進み出したとしたら、ようやく青春時代が自分たちに訪れたとしたら。


    誰かが自分を見つけてくれた時だ。

    世間の調味料になれと、はみ出し者を鼓舞し、集めて、零は奇面組を作った。呪いや魔法にでもかかったかのように、はみ出し者どうしは離れ離れになることもなく、中学三年生の春を人の倍ほどに迎えていた。世間の片隅で誰かの常識や自分たちの未来を疑いながら生きてきた、信じられるのは、同じはみ出しものとして傷を負った仲間たちだけなのだ、それならば。



    はみ出しものの千年王国をここに作ろう。


    未来が自分たちに微笑まなくてもかまいやしない、自分を曲げてまで、世間におもねってなんになるというのだ。
    大丈夫。君たちには、この私がいる。

    一堂零は、与える男だった。

    親に捨てられ居候先に必死で居場所を作ってきた豪を見つけ出して、君みたいな人を探していたのだよ、と口説き落とすような呪文をかけてきたのだ。

    お酒飲むのは楽しいかい?未成年なのにね?人を殴るのは楽しいかい?君の拳は痛くないかい?……ほんとは殴った相手がかわいそうだと思っているのだろう?酔いたいのかい?忘れたいのかい?忘れてもらいたいのかい?君は取るに足らない人間って誰がいったの?そう言ったら楽なんだよね?自分のことを諦められるから。君に見せたい本があるんだ、機械じかけの青い猫のお話だよ。あんな夢こんな夢いっぱいあるけど、みんなみんなみんな叶えてくれる、不思議なポッケで叶えてくれるんだ。絵空事?そうかも知れないね。読んでご覧よ、君が幼いころ、プロ野球中継のほうを優先させられて見せてくれなかった、青い猫のおはなしさ。……だって、君。美術の授業の日に尊敬する人でドラえもんの絵を描いただろう?子供じみた趣味だって君は笑うけど、みんな、ドラえもんみたいに縋りつく相手が欲しいのかもね。夢だけみて生きていたいのかもね。うちはおもちゃ屋でさ、ドラえもんの道具は売ってないけど楽しい遊び道具ならなんでもあるのさ。……あとは、一緒に遊ぶ友達だけだね。豪くん、私が友達だよ。君はドラえもんを見るたび、私が貸した怪獣百貨のキングギドラやレッドキングの名前を聞くたび、私を思い出すんだ。プロレスの相手にもなってあげる、他の誰かの体を触るたび、私に技をかけた感触も思い出すんだろうね。君の今後の人生、何をしても最初に私と遊んだことを思い出してしまうのだよ。



    君は、私の味方だよ、豪くん。


    理屈で愛など手に出来るものならば、我々を認めてくれる人間を、運命は用意してくれてもいいはずだと思わないか?





    「もう開放してあげたら、零さんのこと」

    豪の横に、千絵がいる。

    はみ出しものの千年王国に近づいた、物好きなお姫様、それとも、はみ出しもののまま目覚めようとしない眠り姫のように時を止めた豪たちを、目覚めさせにきた王子様のような女の子だ。

    「あの頃はもう終わってしまったってこと、二人とも認めたくないのよね」
    「けッ!くだらねぇ。どうせはみ出しものだぜ。俺たちゃよぉ」
    「大くんは、あたしと同じ専門学校で楽しくやってるわ。仁くん、今度、卒業制作で作ってるコース料理の味見させてくれるって。……そうそう、潔くん、今度番台に座らせてもらえるみたいよ。夜学行きながら頑張ったかいあったわよね!」

    千絵が奇面組の他のメンバーの近況を矢継ぎ早に並べ立てる。

    「はみ出したままでいいじゃない、普通の幸せを他のメンバーみたいに受け入れたら?」

    時を止めたまま、成長するのを恐れるように、千絵に手を出そうとしない豪。無理やり区切りをつけた零。

    「……手当たり次第面白いことして、そばにいてくれる女の子と遊んでつきあって。普通の幸せの何がいけないの?」
    「その普通のことすら難しいんだよ、はみ出しものの奇面組の俺たちにゃ……」
    「奇面組のリーダーにこだわってるのは豪くんのほうじゃないの」

    どんぐりのような瞳をさらに丸くする豪に対して、千絵は続けた。



    「ああ見えて、零さんフツーの人よ」

    自分で浴衣を着付けて自分で髪を整え、すっくと首を伸ばし、豪を見つめる千絵。その美しさと言い切った彼女の強さに、豪は息を呑んだ。

    「俺たちより三つも下のくせに……言うようになったじゃねえか」

    何を好きこのんで、俺のような不細工な面構えの男と一緒に居たがるのか、わからないくらいだ。

    「唯の影響よ。あの子は自分の気持ちにいつだって正直だもの」


    豪は思い出した。卒業後に千絵に思いを打ち明けた時のことを。俺にとっては、誰よりも唯ちゃんもよりも眩しいと。……千絵は、人一倍優秀な唯に比べられて軽く拗ねることはあっても、決してくすぶったり妬んだりすることはなかった。
    豪は、誰よりも零よりも、千絵のことを明るく感じるようになっていったのだ。


    「唯は真面目過ぎたのね。お家のことがあったから、遊ぶことも考えないで、いつだって自分にまっすぐだったんだわ」

    アタシは甘やかされて育ったからねーと、千絵は豪に向かって舌を出す。

    「アタシね、唯が転校してくるまでは学校が息苦しかったの」
    「うそつけっ。毎日学校で笑い袋みてえに笑ってたじゃねえか」
    「そりゃ面白い顔のあんたたちがいるんだもん」
    「おめー……」
    「学校は勉強するところー、みんなと仲良くしなきゃだめー、選んだ友達でなんとなく自分のクラスでの位置が決まっちゃうー……」

    はみ出しものの千年王国に足を踏み入れたお姫様たちも、十分にはみ出しものだったのだ。

    「中学を卒業するまでの建前の世界、次は高校があって……その次はと思うとウンザリしたもんよー」
    「……おめえはおめえでしっかりとやってるじゃねえかよ、将来のデザイナー先生よぉ」

    お姫様の輝かしい未来に少しの間だけ自分が交われたらそれで良いと思っていた。豪は千絵を自分のものに出来るだなんて思ってみてもいない。


    「そーでもないわ。今の専門学校に行ったら、自分の壁にぶち当たってばかりよ?覚えてる?アタシが課題に煮詰まってもうデザイナーなんか無理だって思って、冗談半分に、豪くんのお嫁さんになったら解決しちゃうなんて言ったことあったわよね」

    手も握れないと思っていたお姫様が助けてくれと手を差し伸べてきたとき、豪は。




    「……俺なんかを逃げ道にしてどうすんだ」


    自分を見つけ出してくれた、零に千絵。彼ら二人の強さを知っているからこそ、幸せであってほしいと思っていたものの。

    「甘やかせてくれないのね、豪くんは。唯と同じように苦労をたくさんしているからかしら。そうそう、ひとつ言わせて貰うけどさ」


    俺は、誰かを認めてやったことがあるのだろうか?







    「豪くん、アタシね。バレー部よりも、あんたたち奇面組と唯といるときのほうが、青春そのものだったの」




    こまつ Link Message Mute
    2019/04/25 17:41:53

    文句の一つも言ってやれ(前)

    #奇面組 #チャコ零

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