多々夕
初めて屋敷に上がり主と言葉を交わした隊服の青年が子供としばしの遊戯の後御前を辞して。
座敷に端座した白髪の女が徐に口を開いた。
「……冨岡様は」
それから一息置いて隣に座る夫の顔に目を遣り、続ける。
「よろしかったのですか?」
「うん」
その言葉に病みが若い顔を侵し始めた黒髪の夫は穏やかに笑んだまま応えた。
既に子供らは己の室へ引き取り、今はただ涼やかな風だけが広く開け放った広間を通り抜けてゆく。
ゆっくりと陽射しは陰り、軒の影が長く差し込みつつまだ陰に染まらぬ畳は光を反射して暖かくそこに落ち着いていた。
「義勇に、私の言葉がどれほど届いているだろうかと思うよ」
まだ、男は微笑んでいる。
その顔を乱すものなどこの世界に存在しないかのように静かに。
「だからこそ、あの子には柱になってもらいたい」
「深い傷を癒すことなく闘い続けるあの子に」
「その位に居ることでほかの柱と交わり、あの子が当然に受けるべき尊敬を隊士より受け、守るべき配下のもののために然るべくその持てる非凡な力を使う」
「そうして、その中でいつか出会うだろう」
「何かに」
白髪の妻女はその大きな目で夫を見つめ、その言葉を低く繰り返した。
「何か… 」
「そう、私にもはっきりとは分からない何か」
「そこできっと」
病んだ男は夢見るように言を紡ぐ。
「きっとあの子は自分自身を、確かな生きる拠り所を見つけるだろう」
「だからね」
「これが、私があの子にしてあげられるたった一つのことなんだ」
滓離縁
子供は布団の中でうとうとと瞼を閉じようとしていた。
母は部屋の隅で油に火を灯してせっせと運針を繰り返し、間合いを取って布を引き伸ばしながら、眠りに落ちてゆく息子に愛おし気な眼差しを向ける。
狭い一間に更けてゆく夜。いつもと同じ一日の終わり。
その時いきなりガラリと戸が開いた。
暗い戸口に更に黒々とした大きな影がぬっと浮かび上がった。
「よう、志津」
思いもよらない、だが確かに聞き覚えのあるその太い声。
「久しぶりだな」
「でかくなったじゃねえか、そいつ」
入ってきた男が布団で寝ている子供に顎をしゃくる。それからずかずかと部屋に上がり込んで女の前に立った。
わずかな灯りに男の顔がちらちらと浮かんで見える。
女は体を固く強張らせ、我知らず針を刺したままの縫いさしをぎゅっと握りしめた。
その顔を見、ニヤニヤとした笑いを顔一面に広げて男は言う。
「あんときは悪かったなあ」
「こうして見りゃ俺に瓜二つじゃねえか。こいつは紛れもねえ俺の子だ」
時ならぬ大声に寝息をたてていた子供の目はパッと開けられた。
布団の前に立つ見知らぬ大男に上からじろじろと眺め回され、跳ね起きた体がびくっと震える。
男はでかい体を子供に屈めるとぐっと顔を近付けた。
「よう、父ちゃんだぞ」
酒臭い息が子供の顔に匂ってくる。
何?何だ? …父ちゃん?こいつが?
目の前がぐるっと回ったような気がする。
…それでもその顔はたまに水に映して見る自分にそっくりで。
「名前は何てんだ?」
走って母親の背中にしがみつき馴れ馴れしいその大男を零れるような大きな目で睨みながら子供は答える。
「…さねみ」
「へえ女みてえだな。まあいい、来いよさねみ。抱っこしてやるよ」
「志津も来な。仲良くしようぜ」
そう言いながら、思わず後じさりした子供をかばうように前に出た女房の腕をつかんで引き寄せようとした。
女の手から握っていた布が落ちる。
子供は咄嗟に飛び出すと父親と名乗る見も知らぬ男の腕を小さな拳で何度も叩いた。
そして丸太のような太い腕を母から引き離そうと必死でしがみ付く。
「離せ!」
「何だぁ?」
男は子供がしがみ付いたままの腕を強く振り払った。
拍子に子供は振り飛ばされ、下に転げ落ちて玄関の土間に叩きつけられる。
「 う… 」
「実弥!」
母親が裸足で下に駆け下りその倒れた小さい体を胸に抱き寄せた。
男は上から苛々とした顔でそれを見下ろす。
「手前ぇ、親父に向かって何晒してやがる!」
「あんた、やめて!」
子供は母の腕の中で今まで経験したことのない酷い体の痛みにうっすらと涙を浮かべ、しかし目は男を睨みつけると叫んだ。
「うちから出てけ!」
「実弥!」
「何だとこの糞餓鬼!」
今にも再び子供に上げた手を振り下ろしそうな男を見、母親は両腕で子供を抱え背を丸めて土間に蹲った。
悲痛な叫び声が喉から溢れ出す。
「やめて!やめて下さい!」
「どんな育て方してんだお前はよ!ええ!?」
「やっぱり俺がきっちり躾けねえと駄目だなあ、お前は」
自分も裸足で下に降りると男は女房の帯を掴んで乱暴に引っ張り起こし、その手から子供をもぎ離すと土間に投げた。
それから男は震える女を小脇に抱えて部屋に上がり込み、畳に押し倒すと上に屈み込んで着物の裾を捲り上げへそから下を乱暴に剥き出した。
足袋も履かず他に何もつけない白い腿と叢がゆらゆらと揺れる灯に露わにされる。
それから男は自分も裾をまくって尻っぱしょりに帯に突っ込み、褌をずらすと股間のものを手に握って扱きだした。
それは忽ちむくむくと膨らんで男は顔に下卑た笑いを浮かべた。
大きく女の股を開かせるとそこに黒々と怒張した己の一物を宛がいながら男は嘯く。
「ずっと男日照りだったんだろ。久しぶりに楽しませてやるよ。なあ志津?」
端座会
「その…善逸…言いにくいんだが」
「なんだよ炭治郎。はっきり言えよ」
炭治郎は決意した目で言った。
「紙を、使い過ぎだ!」
「は? ……神?」
「紙だ」
「え… 紙って何の」
「か・わ・や・だ!」
「……は? ………はぁぁぁあ?」
口をあんぐりと開けた善逸は気を取り直して続ける。
「えーいいじゃん、紙くらい好きに使わせてくれよ~」
「お尻くらい清潔にさせてよ~」
「知ってのとおり、我が家の暮らし向きはそんなに裕福じゃないんだよ」
諭すような目で言う炭治郎。
「節約するところは節約して将来に供えないと」
「俺がいなくなったら善逸が大黒柱になるかもしれないんだから…
「話は全部聞かせてもらったぜ!!」
バカでかい声が割って入った。
「これを使え!!善逸!!」
伊之助は自信満々に手に持った太い荒縄を突き出した。
末尾が「み」の男子名は当時少なくない。恭吾の周囲ではそうではなかったようである。