そろそろお盆の時期である(うーんディレイ通常営業)。時節柄おはぎの話でもしてみようか。ほら、これは大変自然な導入ですね。おはぎと言えば餡、餡は小豆を炊いて作られる。知っての通り餡を炊くには茹で零すであるとか濾すといった過程が付き物であるが、なかんずくこし餡を拵える際にはその作業は煩瑣を極める。ある程度以上の世代の女性には普通であろう様に(恐らく、というのは他の女性に確認したことがあるわけではないので)、私の母親という人はその小豆を濾す用のさらしを二重にして中表に縫った専用の袋を持っていた。お汁粉や水羊羹やおはぎを作る際にその袋は必ず登場し、それを捧げ持つのが(何故か)子供の頃からの私の仕事であったのである。両手で大きく開いた袋に茹でられた小豆を鍋から母親がお湯ごと注ぎ込む。向こうも注意はしているのだろうが、もうもうと上がる湯気の熱気には中てられ両手でしっかり持ってさえ煮た小豆は相当重い。普通にきつい。もとより真夏には尚更である。結論から言えば私はその作業が嫌いであった。完成した甘味に魅力がなかったわけではないが、そこは子供のこと、生クリームやチョコレートの方がよっぽど吸引力が強かったのが本当である。まあ今となってはこのような餡つくりではあったが、かつての子供はその甘味の完成をどれほど目を輝かせて待ったことであろうか。ところで鬼滅の刃小説にもおはぎを作る描写がありますね。「夢のあとさき」のなかで寿美を馬鹿にした大家の息子をぶん殴って雲隠れした玄弥を迎えに行く不死川。その帰り道母がおはぎを作ったから食べようと兄は弟に言うのである。
このようにごく滑らかに不死川に話を移行していくのであるが、そのおはぎ作りを俺と貞子も手伝った、そう不死川は言い、そこから推測すれば不死川の妹たち、寿美と貞子のうち年上が貞子という事になろうか。いっぱいあんの?と聞く玄弥に肯定する兄。まあ「俺寝るの好きだ 腹減らねぇから!」と玄弥が言う位には恒常的に腹を空かしている不死川家ではあるのでそこまでたっぷりの数はなかったと想像されるし、わざわざ濾して減らすほどの量の小豆もなかったのではないかと思われる。さっと描かれたワニ先生の玄弥を負ぶう不死川少年の挿絵は微笑ましく、玄弥は可愛らしい。また別の小説「風の道しるべ」には匡近が不死川に剣突を食わされながらも食い下がっておはぎを勧める
行がある。そう、匡近は激しくウザがられながらも抜かりなく不死川の好物をチェックしている。良いねえ。粂野匡近という人物は本編では一言のセリフもないのでこの人の人となり、また不死川との関係の在り方については勢いこの小説に依拠するより他ないのであるが、この「風の道しるべ」にはワニ先生が直接書いた幾つかの不死川のセリフもあるそうで、ある程度まで作者の手が入っているとはいえるかもしれない。というか公式にはこの小説版鬼滅の刃、「吾峠先生全話監修」の筈ではある。ですよね。前も書いたが道しるべにおけるそのうちの一つ「俺は自分を可哀想だと思った事はねぇ」というセリフ、原作のラストにおける「自分のことが不幸だなんて思ったことは一度もない」というキャプション、これらが私はとても好きである。重い経験を重ねてきた不死川ではあったが彼は自分のことを不幸だとは決して思わない。そうしてどんな境遇に置かれたとしても他人のことを「不幸」だとも「可哀想」だとも決して思わないのだと思う。発する者によってはそれは大変不遜な断じ方になるだろう。道しるべで対峙した下弦の壱、姑獲鳥(というだけでもうこれでもかという狂った母性の象徴)が「可哀想」な子供を自ら作り出し、それを支配することで自分の庇護欲を満たしてきたように。
まあ小説版の一節ではあるがこれらの記述を参考にするならば不死川にとっておはぎとは即ちかつてあった家族との絆であり、今は亡き兄弟子との思い出のかたみであると言えよう。であればそれは正しく冨岡にとっての羽織と同じ立ち位置にあるものだとも言え、彼とは違い形あるものとして身に着けているわけではないがそう考えると炭治郎のやったことはまた違った意味を帯びて見えてくる。知らぬこととはいえ、不死川の記憶のかなりセンシティブな部分に炭治郎は無造作に踏み込み、無遠慮に表に引っ張り出し晒してみせたのだ。他のキャラにも似たようなことをやっている炭治郎はそれまでの経緯によりキャラの目を覚まさせたり逆に逆鱗に触れたりしてい、この場合には不死川はあれだけ激怒したのだがそういう事情も預かり知らずに不死川の喜ぶことをしてあげようと無邪気に笑いあう水の兄弟弟子たち。小説版にはこの時の炭治郎と冨岡を書いた一作もある。「笑わない君へ」である。(これは柱のコメディで煉獄さんのメガネメガネがイラストで見られる例の名?作。)ここで彼らは「ひとしきり、不死川とおはぎの話題に花を咲かせ」ており、またもやここでも不死川はこし餡派か粒餡派かの話になって「不死川は粒餡が好きそう」と二人して結論を下す冨岡と炭治郎。どうして…。いや、本編に話を戻してキャプションのこれ「誰か止めてあげてください 喧嘩になるから」、この作者の突っ込みをアニメでどうするのかと興味津々であったが、結局これは「ヤメトケ バカ!」と鴉に言わせる処理をされていた。なるほど。この隠された不死川の事情とそれを知らず自分の主張を繰り広げる炭治郎という手法には覚えがある。そう、最初の裁判の時の柱合会議で炭治郎は不死川に禰豆子の件で猛烈に反発し、その言葉は炭治郎には全く想像もつかないところで不死川の過去を的確に突いていたのだった。
FBを読んでも思うが鬼滅の刃の原作の「正史」にはっきりと描かれなかった要素は数多くあり(原画展でお館様の過去設定を出されたときはうおっと思った。)、しかしこれがなくとも原作は完成されていて読むのに何らの差支えもない。著された正史だけを読んでも十二分に楽しめるけれども、もしもっと踏み込もうとするならばこの作品にはいろいろな背景へとつながるとば口が用意されており更に広い世界を垣間見ることができる。だから勝手に思わずにはいられない。そこに描かれたキャラクターにも一個の人生があると感じさせてくれるこの人たちの話をもっともっと読んでいたかったなあ、と。そういう作品の一つが打ち切りという形で読めなくなってしまったので猶の事心に沁みる。寂しい。