「VRおじさんの初恋(TVドラマ版)」に関する重大なネタバレが含まれます。
少し前に「VRおじさんの初恋」というドラマが国営地上波で放映されていた。僕の愛したホナミは坂東彌十郎だった、という例によって前情報ゼロで見た自分はその絵面に衝撃を受けた訳だが、内容は夢見るようでそして切なくだが確かな手触りがあり、あなたがあなたでなくとも自分(キャラ)は恋ができるのか、そもそも恋する気持ちというのは何によるものなのか、そしてどのように心は動くのかなどと久しぶりにいろいろ恋について考えたことであった。原作マンガは未読なのでそちらについては何も言えないのだが、ドラマではアバターの女の子たちも大変可愛く、今そのうちの一人は現大河のちょっと残念な感じの役で見ることができる。というわけで(もないのだが)今回は恋の話を。
恋する柱の名を甘露寺蜜璃とは良くもつけたものだ。自作のコームハニーを引っ提げて隊士に対峙する甘露寺はそりゃもう大概の人にキュンキュンしているが、最終的に結ばれたのは蛇柱伊黒小芭内。甘露寺をしてネチネチしてて蛇みたい、しつこくて素敵と言わしめた彼は他の柱と遜色ない実力者であるが、言ってしまえば無惨戦までは甘露寺後方彼氏面(死語か)の相当性格悪い奴と受け取らざるを得ない描写がほとんどであった。逆に言えば良く最後まで伊黒のあの過去を匂わせもせずに引っ張ったもんだとも思う。あれで伊黒に対する感情が噴き上がりまくってしまったのは自分だけではないでしょう。まあだからこそこの段階でアニオリの性格良くかっこいい描写増し増しにしてきたのだろうが、それはそれとしてそんな伊黒を甘露寺が選んだのは、彼が彼女をただ女性として求めてくれたからではないかと自分には思われてならない。見合いに失敗し結婚相手を探しに鬼殺隊に飛び込んだ甘露寺。彼女の希望は女性として守ってもらい誰かと添い遂げることであったから、あの物語で一人だけ彼女をそういう目で見、遇してきたのが伊黒であったから、だから彼女は彼を選んだのではないかと。鬼殺隊に居ることで彼女は外の世界にはなかった己への信頼を、他人の自分に寄せる感謝と好意を自覚することができた。だからこの際伊黒自体がどういう人間か(当然彼女の価値観に照らしてOKな人物という事は大前提であろうが)というのはここではあまり重要ではないように思われる。だって彼女はどんな属性にだってときめくのだから。言っちゃなんだが(いやすみません)性格も良く頼りがいのありそうな男性は他にもいるではないか。悲鳴嶼とか煉獄なんて最たるものであろう。だが彼らは甘露寺にそういう意味での好意を寄せてはいないと思われ(多分)、一方伊黒は甘露寺が一途に求めたものを正しく与えてくれた。彼らが結ばれたのはだから必然の結果であったと言えるような気がする。運命を感じるでもなく、一目惚れでもなく、自分をひたすらに思ってくれたからその人を選ぶ。靴下をくれて、手紙をくれて、ご飯を食べる自分を優しい目で見つめてくれる。それだけでいいのである。なんちゅう正統派少女的恋愛であろうか。この辺が自分にはひどくリアルに感じられるのであるが、きっかけはどうあれあの時彼らの時が途絶えずに続いていたなら、二人はきっとそれぞれの今まで生きてきた道を伝えあい、それから更に深く愛を育みあう事もあっただろう。伊黒の負ったあまりにも過酷な過去とそれ故の非情にすぎる自責を、甘露寺とずっとともにあった生きる辛さと偽りない他者への慈しみを、彼らはきっと分かち合うことができただろう。代わりのあるはずのない唯一の存在として互いのこころを打ち明けあった時に成就し、そして消えていった想いと命。彼らの分身のような人たちが現代で生きている最終話が自分にはどれだけ救いになったことだろうか。
そしてまた悲鳴嶼曰く「好きらしい」とあった伊黒と甘露寺は相思相愛であったので、同じく「好きらしい」と言われた不死川のカナエへの思いも恋と呼んで差し支えないであろう。彼は伊黒と気が合うが、「異性の好みだけは全く合わないと常々思ってい」る。異性の好み。彼は異性を好きだと思っているし、その好みというものもはっきり自覚している。悲鳴嶼さんによれば彼が好きだったのは在りし日の胡蝶カナエであり、甘露寺蜜璃のことはアホっぽくてあんまり好きじゃないと思っている。(ということはカナエはアホっぽくないと認識しているということになるだろうか。)しかも常々。甘露寺を見て、その甘露寺を好きだという伊黒を見て、常々自分の女の好みとは全く違うという事を思っているのである。どんだけ強固な女の好みを持っているのかというね。不死川が恋愛方面かなり鈍いというのは他の人間に関してであり、本人には全く当てはまらないじゃないかとしか思えない。カナエの死から4年はたとうがその妹しのぶについてもまたそうで、彼女は今も不死川に「ちょいちょい声をかけ」られ「顔を合わせると元気か聞かれる」が、それは(カナエの妹なので)なのである。情のこわい子ですわな、良くも悪くも。ところでしのぶの体調を気遣っている人物はもう一人いる。冨岡である。「顔色が悪いことがある」と、これはかなり踏み込んだところまで言及しているが、甘露寺についてもまた助け起こしたり肌の露出を心配するなど細やかな気配りを見せている。お母さんのようですね。冨岡のコメントが多いのはしのぶと悲鳴嶼さんで好意がある人間には言葉数も多くなるという素直な性質がここには見て取れるが、特に悲鳴嶼さんには最大級の賛辞を送っておりこれはぎゆひめなどというものもありなのではなかろうかなどと(洒落です。というかあるのだろうかこのCP。あったらすみません)。こう書いてみると割と女子力高めと言えるような冨岡であるが、またしても悲鳴嶼ノートによれば冨岡としのぶはお互いに「話すのが楽し」いと感じているようである。これはまだ恋ではないね。まだ、といって良ければ。最初に読んだときに思ったのだが可愛い顔してしのぶの言葉はキツい。「そんなだからみんなに嫌われるんですよ」これはキツい。「嫌われている自覚が無かったんですね」これは輪をかけてキツい。それに対しての冨岡の答えは「俺は嫌われてない」であり「馴染めてはいないが嫌われてはいないと信じている」のである。端からみれば毒舌娘とド天然青年の噛み合わない会話にしか見えないが当人たちにとってはこれが楽しいということなのか。正に恋は摩訶不思議、いやまだ恋未満であるが。この男冨岡は(好意的に)話しかけてくれるかが好悪の基準になっているようで(まあ確かに人間誰でもそうだろうが)、恐らく柱で一番話しかけてくれたのはしのぶだろうし、そして彼女は善逸や伊之助にしたようにそれぞれの人間に適切な対応を取ることがちゃんとできるのであるが、冨岡に対してはあまりにもずけずけとものを言う。恐らくそうする彼女はまだただの妹であった頃の自分であり、素であった自分であり、冨岡の前ではしのぶはかつての自分を出すことができるのだといえるかもしれない。そういう彼女には冨岡もまた閉ざした自分の心を外に出してしまうのである。冨岡には言うべきことがあってもどうにも言葉が足りない。それをよく理解しているのもまたしのぶであって、冨岡もまた彼女が真面目で努力家であることをよくわかっている。そのような二人、そして他人には理解しにくいその関係が日々楽しいのであれば、その後があったならばどうにかなる世もあったのかもしれないなかったのかもしれない(わからない)。そんな愚にもつかない妄想をつらつら重ねるここ数年ではある。
まあそんなこんなで恋はなにいろポールモーリア。BGMはPale Blue/Eyes Kenshi Yonezu/The Velvet Undergroundでどうか(双方成就しなかった恋の歌ですまんす)。