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    この町




    「うまい!」
    「うまいよ、母ちゃん!」
    目を輝かせて焼いた魚を小さな箸で口に運ぶ息子に、女は言葉にならない眼差しを向けた。
    幾年かぶりに戻ってきた亭主が投げるように置いて行った金で、女はこれならばなんとか晩餉と呼べるような膳を整えた。
    身のたっぷりした汁。煮た菜っ葉。こうこ。混ぜ物のない飯。欠けた皿には小さな、でも頭も尾っぽもついた丸々とした魚。
    亭主はまだ戻らない。
    今までと変わらない二人だけの夜。
    そう、何ひとつ変わらないような気がした。
    違っているのは膳の上。それから息子の今まで見たことのない顔。
    子供は最後の魚の身を飲み込むと名残惜しそうに自分の皿の上を見つめた。
    それを見て女が声を掛ける。
    「実弥」
    「これをね、こうするんよ」
    女は食べ終えた魚の骨と鰭を子供の小さな碗に入れ、火鉢の土瓶を取ってきた。
    まじまじと見つめる子供の前でそろそろと茶碗に湯が注がれる。
    香ばしい匂いが、ふわりと中から立ち上った。
    「わあ!」
    「ああ、ちょっと待って」
    「…うん」
    子供はちょんと座り直すと言われたとおりに大人しく、しかし少しそわそわと碗を見つめて待った。
    「さ、いいよ」
    碗を取ってそっと唇に当てれば魚の旨味の滲みだした湯気が鼻をくすぐる。
    夢中で子供はそれを口に流し込んだ。
    「骨に気を付けてね」
    「うん!」
    答える暇も有らばこそ、子供は喉を鳴らして魚の汁を飲み干した。
    それから碗を小さい手に抱えたまま母親の顔を見上げてにこりと笑う。
    「うまいね、母ちゃん」
    「また食いたいな、これ」
    「そう、良かったねえ」
    呟いた女の目は、満ち足りた息子の顔を見ながらそっと伏せられた。
    ちょうどその時。
    ガタッと戸が開き、大きな影がぬっと浮かび上がる。
    母と子の小さな背中がびくりと震えた。



    何度も、何度でも




    白い雪に点々と紅い、あれは
    追っていくと、そこには

    どれだけ走ったか。
    我武者羅に山に踏み込んで、気付けば一面の白。
    吹く風と雪の礫が仮借なく体を弄る。
    足元は膝まで積もった雪に埋まり、一足ごとに足袋と袴の隙間から雪が脛の上まで足に張り付いて離れない。
    下駄の足を交互に雪から抜き、懸命に子供は雪の野を漕いで進んだ。
    誰かに。聞いてもらわなければ。誰かに。

    今まであったこともないような力で引っ張られた腕
    戸が閉められる刹那、俺を見て笑った顔

    はっ、はっと短い息遣いが響くのは耳か。それとも頭の中なのか。
    空気を吸い、吐くたびに冷気が肺腑に刺さり、その息のも吹く風に呑まれて掻き消える。
    頬を打つ雪礫。
    痛い、痛い、痛い。

    叩いても叩いても開かない戸
    叫んでも叫んでも応えのない闇
    誰か 誰か

    「あっ!」

    雪にまみれて感覚を無くしつつある足が、もう満足に動かない。
    子供は真っ白な地にばたりと倒れ、深く雪に埋もれ沈み込んだ。
    顔も袂も柔らかい冷気に塗れ、意識のありかが遠くなってゆく。
    視界は白から次第に赤く霞み始めていた。
    聞いて、もらわないと。
    誰かに。

    白い雪に点々と紅い、あれは
    追っていくと、そこには



    木の上から投げつけられたぶつ切りの髪の房  髪飾りのついたまま

    遠くへ消えていった高笑い



    いない もういない 誰も


    誰もいない

    姉さん


    点々と紅い、あれは

    子供は雪にまみれて感覚を無くしつつある腕をよろよろとそれに伸ばした。
    それもまた白い雪にまみれて重く垂れる枝のそこここに零れる紅。
    握りしめれば手の平にも鮮やかに紅が散る。
    頭に霞がかかったように重く、周りの白は一層赤く視界を染めた。

    紅い、紅い、

    血だ

    姉さん、もう離れない、  一緒に、     俺も、一緒に

    その手を、子供は口に運んだ。


    「!!!」

    突き抜けるような酸味が全身を貫いた。
    喉から飲んだものを吐き戻し、子供は背を丸めて激しく咳込む。
    紅が、目の前の雪に散った。
    その途端ぞくりとする冷たさが一気に全身を包む。
    己の息が霧のように顔を包み氷の刃に切り裂かれるような痛みが襲う。
    子供はがくがくと震える体を懸命に動かし、白い吹き溜まりの中からよろよろと頭を上げた。
       …誰か     誰かに


    「     お…   い …

    声が風に乗って運ばれてくる。
    雪を踏みしめる足音が遠くから聞こえる。

    「  おー い  

    「おい!!」

    割れるような声。
    雪に焼けた顔が二つ、覗き込むのが見えた。

    「ばけもの  …が   …

    たった一言。
    そこで子供の視界は闇に沈んだ。




    一人の子供を従えた老人がの小屋の戸口をくぐったのはそれから間もなくのことだった。
    その姿を見るや、猟人たちが口々に声を掛ける。
    「煩わせてすまんね」
    「うなされて、様子が尋常じゃねえもんだからよ」
    「いや、呼んでくれて良かった」
    「先生!この子、血が!」
    板間に寝かされて口元から襟に点々と散る紅い染みを見た宍色の髪の子供が叫ぶ。
    力なく開かれた腫れ上がった手も紅に濡れていた。
    薪の爆ぜる音がバチッと響く。
    「ガマズミだ。心配ない」
    天狗の面の老人は一瞥して言い、屈み込むと武骨な手で子供の頬から首に触れた。
    紅く濡れたその口から呻くように息が漏れる。
    「  化け、もの … 
               ねえさ ん  …  
    それを聞いた老人は面の下で白い眉をひそめた。
    「儂が預かろう。薬がある」
    言うが早いか老人は掛けられた荒い毛布ごと子の体を包み、自分の羽織をかぶせると両の手で抱え上げる。
    慌てて傍らの子供が傍らに置かれていた風呂敷包みを掴んだ。
    猟人たちは互いにほっとした顔を隠さなかった。
    「あんたに見て貰えば安心だ」
    「なあ」
    既に男は小屋の外を足早に歩んでいる。その後を子供が追う。
    「あっ」
    思い出したように宍色の髪の子供が振り帰り、取って返すと土間の隅に投げられた小さな下駄を手に提げた。
    そして又吹く雪に霞みかけている師匠の背を追って風の中に踏み込んでいった。


    行こう 一緒に




    「あれ?」
    玄弥は岩柱の屋敷の屋敷の裏に置かれた巨大な松の盆栽の前で足を止めた。
    炭治郎が聞く。
    「どうした?」
    「ちょっと気になる」
    威圧感すら漂わせる目の前の松を炭治郎は立ち止まって眺めた。
    「しかしいつ見てもすごい盆栽だな。まるで悲鳴嶼さんみたいだ」
    「悲鳴嶼さんは真柏って感じだけどな。ちょっと待ってろ」
    玄弥は隠しから小刀を取り出すと目の前の大きな松にざっと目を遣り、先の分かれた小枝に刃を当てた。
    それからちょっと首を傾げてまた色の変わった葉の別の枝を切っていく。
    「玄弥が手入れしてるのか?」
    「まあ、なんとなく」
    「すごい松だな」
    「出したり入れたり結構大変なんだぜ。修行ってほどじゃないけどな」
    玄弥は切った枝の木の肌に沿って指を走らせ、それからシャツの袖で擦るとよしというように頷いた。
    「わかるか?これが何年物か」
    「うーん…」
    「七百年だと」
    「えーっ!?」
    炭治郎は素直な驚きを隠さなかった。
    「すごいな、うちの山にもそこまでの樹齢の木はめったにないよ」
    「結構珍しいだろ」
    「うん、鬼より年をとってるんじゃないか」
    「そうかもな、でもな」
    玄弥は背を曲げて足元から何か拾い上げた。
    小さく窄まった松毬。それを玄弥は広げた掌の上で転がして見せた。
    「この木だってもとはこれだぜ」
    「開いたら水に漬けといて埋める。芽が出る」
    「そして運が良けりゃ、こう」
    そう言ってまた玄弥は視線を目の前の木に戻す。
    「そう思うとなんかすごくねえか?」
    「俺達が生まれるずっと前からあって、俺達が死んでもまだ生きる何かがあるってことが」
    「何か、駄目かもしれねえけど、駄目じゃないような気がしてくるんだよ。こいつら見てっと」
    「あーーっ、うまく言えねえ!!」
    玄弥は逆立つ髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
    「いや!わかるよ、わかる!ような気がする!俺も!多分!」
    慌てて炭治郎が手を振りながら口を挟む。
    それから違った顔で、言った。
    「でも俺はともかく、大事な人は誰にも死んでほしくないよ。生きていて欲しい」
    玄弥はちょっとぽかんとした顔で炭治郎を見、それから顔を綻ばせた。
    「そりゃそうだ。頑張ろうぜ、お互いに」
    「うん!」
    炭治郎は笑い、玄弥もまた屈託のない笑顔を炭治郎に向ける。
    それを遠くの木陰からこちらもまた笑みを浮かべた巨きな影が見つめていたことを彼らは知らない。
    人生薔薇色




    縁側の安座の足の指に細い鑢を掴み、手の爪を磨っていた冨岡が思い出したように言う。
    「炭治郎と栗花落は憎からず思いあっているらしいぞ」
    「あァ?」
    部屋の隅で煙管に紙縒りを差していた不死川が少々胡乱な声を上げた。
    「禰豆子が秘密めかして耳打ちしていったんだ。こっそりと」
    「へェ」
    「女は何故だかこっそりとした話をするのが好きだな」
    「そうかァ?」
    女にこっそりとした話をされたことなどここ暫くない不死川は釈然としない顔をした。
    「で、なんでそれを俺に言う」
    「ただの世間話だ。それに情報は多いに越したことはない」
    「何の情報だよ」
    「さてな」
    爪を磨り終えた富岡はさっと屑を掃うと室に入り障子を閉めた。
    鑢を棚に戻し火鉢の前にとすんと腰を下ろして手をかざす。
    「忍ぶれど、という事だろう。伊黒と甘露寺のように」
    「テメェがそれを言うのかァ」
    この朴念仁にも伝わっていたのかと不死川は複雑な想いに駆られた。
    全く俺は。
    「お前が胡蝶の姉に向ける顔もどういうものか、お前以外には皆わかっていた」
    「胡蝶の妹がふざけた口きいてテメェといちゃついてたみてぇにかァ?」
    片方の男もようやく反撃に出る。
    「いちゃついてなどいないが」
    「へッ」
    言いながら不死川は立ち上がり、色の染みた紙縒りを火鉢の炭に投げた。
    ぽっと火が上がる。
    煙と焦げた匂いが傍らの男らの鼻をつんと突いた。



    またね




    壮年を過ぎたるとは言うべきか、老女と呼ぶにはあまりにも若く齢も読み切れぬ小さいが背筋の伸びた佇まい。
    黒々とした髪を後ろで束ねた女は一息つくと茶を一口含んだ。
    その伏せられた大きなまなこを、それを引き写したようなまなこの持ち主を二人の男たちは期せずして思い起こしていた。


    「我々の役目はここまでです」
    「我々の亡き後、これからの世に生きてゆく者たちが呼吸と技を末永く伝えて行かれん事を祈念致します」
    「不死川さん!冨岡さん!そんな事を言わないで下さい」
    「そうです!」 
    遠来の客を上座に据えた産屋敷家の年若い当主が声高く叫んだ。
    その脇に控えた二人の妹たちも声を揃え、兄と同じく抗議の表情を浮かべる。
    「どうか最後の我儘をお許し下さい」
    冨岡は懸命な彼らの顔を見、心苦しい思いを抱きながらも後を引き取る。
    「死は唯の終わりではないと今ここにない者たちが教えてくれました」
    「そして自分達の守ったものが自分達の守ったものを支える力を信じられる事」
    「何よりもそれが我々の生きるしるべとなるのです」
    「それに」
    不死川はニヤッと笑って付け足した。
    「いつまでも上にやかましいのがいちゃァ皆もやりにくいでしょう」
    「そんな…」
    しばし。
    居並ぶ人々の間に静寂が流れる。
    上座の女はまた一口茶を飲むと、言った。
    「しかと承りました」
    「一族の社の者たちも皆お指図の通り次第を手配し、受け入れを滞りなく進めております故ご安堵を」
    「お婆様も…」
    「輝利哉さんも安心なさいませ」
    「鬼はもう居りませぬ」
    女は、今ここにない己の娘のその面差しに生き写しの幼子たちに悠揚たる眼差しを向け、そしてかつての娘のように対面の男たちにひたと目を据えて、言った。
    「お二人は余人の持つこと能わぬ強き御心で誰も為し得ぬことを果たされた」
    「これからも心のまま、どうぞ憂いなく生きて下さいますよう」


    饗応を固辞し用向きを終えて産屋敷家を後にした男たちは、当の屋敷が目に入らないところまで来ると肩を緩めて伸びをした。
    「宇髄がいたらどやされただろうな」
    「だから日をずらしたんだろうが」
    「あのまま居たら輝利哉様にも嘆き口説かれるところだった」
    「飯食い損ねたなァ」
    「どこか寄るか」
    「おぅ」

    久々にいろいろ蔵出し。アニメがかなり大らかにやってるので下駄はもうセーフにすることにした。
    同時期に今上宅と大魔王宅の盆栽の扱いの差を見てしまいふふっとなった記念。


    るげ Link Message Mute
    2025/12/17 22:48:04

    わかることとわからないこと

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    👹の二次
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