私の憂鬱の始まり私は月城。
弥生家当主である春様の父君と縁を結んだ式鬼だ。
普段は主の傍に控えているが、命を受け、こうして弥生の屋敷へ足を運ぶこともある。
目的はひとつ。
春様への、呪術の指導。
久方ぶりに屋敷を訪れたその日、私はひとつの報せを受けた。
「……新たな、式鬼? あの式鬼と春様が縁を結んだというのですか?」
案内役の者の言葉に、思わず足を止める。
先日、弥生家の結界を破り侵入してきた妖がいた。
私の結界を破るほどの力を持った妖を倒したのが、その式鬼だと聞き及んでいる。
「はい。春様が、ご自身で縁を結ばれたそうです」
胸の奥が、わずかにざわついた。
春様は、まだ幼い。
通常、式鬼を迎えるにしても早くて十二歳。
どんなに才能があれど、式鬼の力は強大だ。
御しきれなくては、己を守るはずの存在は簡単に牙をむく。
式鬼とはそういう存在なのだ。
そんな強大な力の持ち主である式鬼と、果たして幼い春様が共にいて問題はないのか。
春様がお生まれになったときから見守る身としては心配をするのは当たり前のこと。
「月城」
柔らかな声に呼ばれ、我に返る。
「春様」
そこには、以前と変わらぬ笑顔があった。
だが、その隣に立つ影を見て、私は思わず目を細める。
紫の色をした、式鬼。
まだ縁の余韻すら新しいのだろう。霊力の輪郭が、やけに鮮明だ。
「紹介するね! 俺と縁を結んだ、始っていうんだ!」
「俺の名は、睦月始。こいつと縁を結んだ式鬼だ」
始、と名乗った式鬼は、こちらを一瞥しただけで、深く礼を取ることもなかった。
……なるほど。敵意は見えぬが、何か複雑な感情をこちらに向けている気配を感じる。
しかし、その感情が何なのか、出会ったばかりの私では理解ができない。
「春様。呪術の鍛錬を始めましょう」
私は気を取り直し、いつも通りに指導を始める。
「力を流してください。恐れずに」
「……はい」
春様は真剣だ。
だが、やはり呪力は静かに留まり、術は最後まで形を成さない。
春様はやんちゃそうに見えて、根が優しすぎる。
私は、その優しさが呪術においては枷になることを、よく知っている。
春様は、無意識に力を抑えてしまう。
誰かを傷つけぬように。
周囲を驚かせぬように。
呪力は本来、感情とともに流れ出るものだというのに、春様はそれを丁寧に包み込み、留めてしまう。
だから私は、これまで、大きく放つ術ではなく、細やかで制御された術を教えてきた。
春様の性質を、否定しないために。
そのとき。
「違う」
低く、短い声。
始だった。
「俺の方が上手く教えられる」
私は息を呑む。
「君は、誰かに物を教えた経験が?」
「関係ない」
遮られた言葉に、私は口を閉ざした。
始は春様の手元を見つめたまま、淡々と告げる。
「お前は考えすぎだ。ほら前を見ろ。そして、がっとやる」
「がっと……?」
「ぐっとして」
「ぐっと……」
「最後は、ぐわぁだ」
いや、そんな……私は、思考を放棄した。あまりにも説明が雑すぎる。
だが。
「がっとやって……ぐっとして、ぐわぁ……」
次の瞬間だった。
空気が、鳴った。
——否。
鳴った、などという生易しいものではない。
春様の足元から走った霊力が、まるで堰を切った水のように屋敷全体へと広がり、私が張り巡らせていた結界に、正面から叩きつけられた。
「……っ!」
嫌な音がした。
ぱきり、ではない。
ばき、と。
骨が折れるような、致命的な音だ。
「え……?」
春様が、きょとんと目を瞬かせた、その直後。
結界が、砕け散った。
視界の端で、符が焼け落ち、柱に刻んだ術式が次々と霧散していくのが分かる。
「……あ」
私は、反射的に頭を抱えていた。
「……ああ……」
これは、まずい。
いや、まずいなどという言葉では足りない。
(当主が……戻ってくる……)
弥生家当主は、屋敷に張られた結界の変調を即座に察知する。
しかも、先日小さな穴をあけられたばかりで、他の式鬼と共に結界を強化したばかりなのだ。
そんな結界がましてや、完全破壊ともなれば。
「月城……?」
「春様、どうか、そのままで」
私は深く息を吸い、残存する霊力をかき集め、最低限の防護だけを張り直す。
屋敷が崩れなかったのは、ひとえに春様の力が暴力ではなかったからだ。
ただ、純粋に、流れただけ。それが、より恐ろしい。
始は、壊れた結界の痕を見回し、ふむ、と一言。
「ちょっと出しすぎたか」
「ちょっとではありません!」
思わず声を荒げてしまった。
「君は、ここがどこだと思っている! 弥生家の屋敷だぞ!」
「だから?」
「だから ——!」
私は言葉に詰まり、再び頭を抱えた。
(説明が、通じない……)
春様はおろおろとこちらを見る。
「月城、俺、なにか……」
「いえ、春様。春様に非はありません」
断言できる。
悪いのは——。
「……この、式鬼です」
始は悪びれもせず、肩をすくめた。
「結果は良かっただろ」
「結果が良すぎるのです!」
そのとき。
屋敷の奥から、慌ただしい気配が走った。
同時に、空間がわずかに歪む。
「春!」
響いたのは、よく知る声。
「無事か!」
現れたのは、弥生家当主。
普段の穏やかな佇まいは影を潜め、明らかに焦りを帯びている。
私は即座に膝をついた。
「当主、申し訳ありません。私の結界が ——」
「いや、それより、また敵襲か!?」
焦った当主の視線は、春様へと移る。
「……春」
「父上……」
春様は少し不安そうに見上げる。
だが当主は、その頭にそっと手を置き、穏やかに笑った。
「怪我がなくて何よりだ」
「はい……」
それから、私へと視線を戻す。
「月城」
「は」
「後で、詳しく話を聞こう」
(……やはり。これは、長くなる)
私は静かに、しかし心の底から思った。
今日という日を、私はきっと忘れない。
春様が初めて、抑えていた力を解き放ち。
そして、弥生家の結界が砕け散った日を。
同時に。
(……この式鬼)
ちらりと始を見る。
(春様の人生を、大きく変える存在になる)
それだけは、確信していた。
終
今後苦労する月城さん。可哀そうに……。
睦月「俺の春は凄いだろ(`・ω・´)+ドヤァ」