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    命の温度命の温度駆け抜けるいまそうして二人は命の温度
     ケイトは別に、特段の人間嫌いというわけではない。両親には愛してもらった自負があるし、姉にこき使われることに辟易はするがそれでも家族の情はある。友人といる事だって楽しくて好きだ。

     ローティーンで初めて出来た彼女は年上だった。あちらからの告白に成り行きで交際を始めたが、きっとそれは彼女も承知の上だったと思う。遊びなれてはいるが気遣いのできる人で、ケイトが恋愛的な好意を持つのにも時間は掛からなかった。

     交際を始めてから、最初のデート。ゆっくりと手が繋がれて伝わったのは恋人の温度だ。嬉しいものであった筈のそれに、ケイトは身の毛のよだつような恐怖を感じてしまった。繋がれた手を弾くように振り解いて、思わず道に座り込んでしまう。

     いきなり蹲った彼を恋人はもちろん心配して、背中を擦ってくれた。それだというのに、己の皮膚を滑る他人の温度はケイトにとって耐え難い苦痛にしかならない。駆け込んだ洗面所で耐えきれず嘔吐し続ける。惨めで申し訳ない、気持ち悪くって耐えられない。結局その日はデートを切り上げて帰宅することになってしまった。

     翌日以降も、彼女の指先が触れるたびに吐き気がせり上がるの抑えられなかった。それでも彼女は変わりなく話しかけてくれたし、何でもないように振る舞わせてしまっていることに、ケイトは心から謝罪した。しかしどうにも気まずい雰囲気を修復できず、結局そのまま彼女とは別れる事になったのだ。

     それからケイトは思案する中で、自分が他者の温度を疎ましく思ってしまうことに気がついた。もっと正確に言うならば、恋愛的行為を向けてくる相手の温度を、だ。家族とのコミュニケーションも、友人との触れ合いも平気だ。様々な感情が頭をよぎった中で、脳裏を支配したのは『どうしてこんな事に』という疑問。

     自覚してしまえば残酷なもので、ケイトの日常には困難が生まれ始める。プリントを渡してくれた少し頬を染めた下級生、話しているうちに指先が触れた同級生、よくおまけをしてくれる行きつけのカフェの店員。彼女たちの淡い恋は、そのままケイトの苦痛に変わった。他者からの好意をアダで返すようなこの苦しみが、嫌で嫌で仕方なかった。

     だからナイトレイブンカレッジからの迎えの馬車が来たときに、心にあったのは。あの学園に通える大きな喜びと、誰も自分を知らない環境で何もかもをやり直せるチャンスの訪れに縋るような少しの気持ち。きっとオレは上手くやってみせるさ。そう自身を鼓舞して一歩を踏み出した。それだというのに。

     ケイトは今、恋をしていた。自身を慕ってくれる後輩の女の子を好きになった。そう記してみれば、何てことはないありふれた話だ。けれどケイトにとっては、己の首を絞めるかのような苦しみの始まりだった。だってそうだろう、好きな子が差し出したお菓子を「お腹いっぱいだから」と嘘をつく惨めさを。落とし物を拾おうとしてくれた、優しさを制した遣る瀬無さを。この先もずっと抱えて生きていくのだから。

     そんなことを考えていたのも束の間の日々。ケイトは今、愛しい彼女を裏庭に呼び出して愛の告白に赴いていた。

    「あのさオレ、ユウちゃんの事好きなんだ」

     理性で己をすべて縛り付けられるような、強い人間だったら良かった。この先に彼女を傷つける事なんて分かっていたはずなのに。それでも、他の男が側に立つ姿を想像するだけで目が眩む心地がした。一生じゃなくたって良いから、彼女のかけがえのない一瞬が欲しい。そう思えば止まらなかったのだ。

    「私も、ケイト先輩のことが好きです」

     頬を染めて微笑んでくれる彼女は世界で一番可愛くて、心の奥底で畜生と叫んだ。こんなオレを好きになってくれてありがとう、こんなオレを好きにならせてしまってゴメンね。

     初めてのデートは休日の街へ出掛けることになった。きっとコレが最初で最後と分かっていたのに、身なりを整えるために何度も見鏡を覗いた。浮き立つ心をそれでも止められない自分に、心底嫌気が差す。

     待ち合わせのためにオンボロ寮の前に向かえば、門の前で誰かを待つユウの姿が見えた。動きやすいからとスラックス姿を崩さない彼女が、ワンピースとミュールを身に着けている。慣れぬヒールに悪戦苦闘しているようで、かかとを気にしているのが遠くからでも見えた。いじらしさも全ては今日のためなのだと思えば、ときめく胸が抑えられない。

     雑念を振り払うように頬を叩いて、声をかける。気がついたユウの表情が綻んで、こちらに駆けてくる。危ないよなんて声をかけようとした瞬間、彼女が小石に躓く。考える間もなく、手のひらを掴んでいた。何とかバランスを崩さず済んだと安堵するユウとは裏腹に、ケイトの顔は血の気が引くように青ざめた。覚悟したように俯いて、目をつぶる。

     しかし、いつまで経っても吐き気は襲ってこなかった。驚いて顔を上げれば、気恥ずかしそうに笑うユウがいる。握ったままの手からは、彼女の体温が伝わってきていた。

    「……危ないよ、ユウちゃん」
    「はい、ごめんなさい先輩」

     呆然としたケイトがつないだ手を持ち上げれば、ユウがにっこりと笑って指を絡める。小さな爪が桜貝のようだと感想を抱いた。あたたかい、小さい、愛しい。繋がれた手からとめどなく感情が溢れそうになる。

    「ケイト先輩は優しい人ですよね、だってお付き合いするまで手も繋いでくれなかった」

     少し不満そうに口をとがらせる顔に、ケイトは思い知らされた。自分は未だかつて、心の底から誰かを好いた事があっただろうか。相手から向けられた好意と同じぐらいに、自分からも好意を抱いた事があっただろうか。あ、と声が漏れそうなほどの衝撃が身を貫いた。そうか、そういう事だったのだ。

     どうしたって釣り合わない好意に、抱いた違和感と罪悪感が己を刺し続けていた。同じぐらいの愛を返せない自分への諦念と軽蔑。まさか自分が、そんな繊細な感情を抱くような男だったなんて。理解してしまえば呆気ないものだ。

     ようやく、今更になって気がついたのだ。ごめんねと心の中で届かない謝罪を呟けば、ケイトの脳裏に巣食っていた女の子たちが一人ずつ手を振って消えていく。最後に立っていたのは、隣で手をつなぐ小さな後輩の女の子だった。

    「先輩、どこか痛いんですか」
    「あ、ううん、何でもないんだ」

     ユウに指摘されて初めて、頬をつたう涙を見止めた。気遣わしげに触れる指先すらあたたかくて、愛しくて仕方がない。

    「本当に何でもないよ、君が好きなだけ」

     己が誰かを愛せることを、君に出会えて初めて知ったんだ。取り返しようもない過ちがあることを、君の側で自覚したんだ。思わず抱きしめた小さい背中から、見知らぬ命の音が伝わってきていた。
     
    駆け抜けるいま
     何度目かのデートに、ケイトとユウは街へと繰り出していた。商店街では改装があったようで、以前来たときにはなかった店がチラホラと開いている。空き家だった角の建物には、アクセサリー店が出来ていた。物珍しさに通りすがった小さな店は、年若い女性が切り盛りをしている。ユウは先程から真新しく光る看板をチラチラと見ていた。きっと興味があるのだろう。

    「ユウちゃん、オレあの店気になってるんだよね」
    「私も行ってみたいです、可愛いお店ですもんね」

     輝石の国の鉱物を使ったというアクセサリーたちを見ようとして、ふたりで近づく。そしてケイトは驚いて店先で足を止めた。店主の顔に見覚えがあったのだ。どうやらあちらも気がついたようで、余所行きの顔から親しみを込めた表情へと変化する。

    「あれ?ケイトじゃん」
    「……あ、」

     忘れたくとも忘れられない。少し釣り目がちな瞳の、鳶色の髪をした年上の女の子。そこに居たのは、ケイトが生まれて初めて付き合った女性だったのだ。

     ニコニコと笑みを浮かべる店主とは対象的に、ケイトは口をあんぐりと開けて立ち尽くす。そんなケイトの様子を心配してか、ユウは手を繋いで見上げてきた。

    「先輩、お知り合いですか?」
    「わっ何々カノジョ!?小さくて可愛いね〜!アタシはね、ケイトの地元の先輩なんだ」
    「えっ、そうなんですか!」
    「少し前にこっちに引っ越してきてね!いまはこの店の店長」

     気を使われた、と瞬時に気がついた。ただの友達と言わせてしまった。ただの友達にまで関係を戻してしまったのは、自分のせいなのに。けれどもそれを訂正したところで、彼女の気遣いを無下にしてしまう。それに今のケイトにはユウがいる。今更何が言えるというのだろう。

     まとまらない思考を切り裂くように、不意に店内に赤ん坊の鳴き声が響いた。それまでユウと楽しそうに会話をしていた店主が、断りを入れて店の奥へと駆けていく。バックヤードから出てきたのは、赤ん坊を腕に抱いた年若い男性だ。

    「ごめんね、さっきまでご機嫌だったのに」
    「ダーリンのせいじゃないよ、多分眠いんじゃないかなあ」
    「わあ、店長さんのお子さんですか」
    「この前生まれたてホヤホヤでね、抱っこしてみる?」
    「良いんですか?是非!」

     そのままユウは店の奥で赤ん坊を連れてきた男性と会話し始めた。赤ん坊を落ち着かせた店主は、こちらの方へと歩いてくる。ああ、結婚していたのか。その事実はケイトの腹にストンと収まった。

    「もしかして、こっちに引っ越してきたのって」
    「親からは猛反対されたけどね、結局駆け落ちしてきちゃった」
    「そっか、おめでとう」
    「うん、ありがとう」

     そのまま二人は言葉もなく、店の奥で会話を交わすお互いのパートナーを見つめる。冷や汗をかきながら不慣れな抱っこに勤しむ少女と、ニコニコと己の子供が可愛がられるのを見つめている父親。何てこと無い日常の一風景がそこにはあった。

     ケイトは心のどこかで、自分が驕っていたのかもしれないと考えていた。恋してきた彼女たちに抱いた罪悪感も、遣る瀬無さも全ては己の身勝手。彼女たちはきっとそんなものとっくに忘れて、輝く日々を生きている。ケイトがいなくたって、彼女たちは幸せになるのだ。あらためて隣を見遣れば、目線の先にいる夫と子供を愛おしそうに見つめる女性がいた。

    「アタシ今すごい幸せなの、自分の選択になんの後悔もない」
    「オレも、今がすごく幸せ」
    「おっ、言うじゃん言うじゃん」

     もう謝らせても貰えないのだと言うことを、ケイトはきちんと気がついていた。元より謝ったところで、彼女たちの傷が晴れるわけでないのだけれど。傲慢で一方的な謝意が、意味のないものになったところでさして変わりはなかった。

     心のわだかまりに向き合えば、この空間はひどく羨望を覚える場でもあった。全てをかけても良いと思えるほどに、愛する人と築きあげた幸せな日常の城。そんなものを見つけられた先達が素直に羨ましい。

     ぐずるのを終えて宙に向かって話し始めた赤子の先へと、ケイトとの話を終えた店主が向かう。入れ違いにひと通り話し終えたらしいユウがこちらに戻ってくる。

    「お帰りユウちゃん、楽しかった?」
    「ただいまケイト先輩!はい、赤ちゃんすごく可愛かったです」

     向けられた笑顔は何に替えても愛おしくて、思わず胸が詰まるほどの破壊力だ。身振り手振りで感動を伝えようとしてくれるのも、どうしたって可愛かった。

     ああ、オレはこの子が大好きだなあ。許してもらえるなら、ずっと側にいたいけれど。オレは君を傷つけずに大切にしてあげられるんだろうか。君はオレを、好きでいてくれるんだろうか。

    「ねえユウちゃんとオレでお揃いのやつ買おうよ、皆に自慢しちゃお」
    「売ってるものみんな可愛いですもんね、じゃあキーホルダーとか?」
    「それも良いけどオレの希望は、やっぱペアリングかな」
    「へっ、えっ?」

     分かりやすく照れたユウの頬は、まるで熟れた果実のようだ。つついてみれば、柔らかい感触が指に跳ね返る。思わず気の抜けた笑い声が、ケイトの喉から漏れた。

    「スイマセーン、ペアリングの種類ってどんなのありますか?」
    「はいはい、こちらにコーナー出来ておりまーす!」
    「あ、あの先輩、いささか私達には早いような……」
    「好きに早いとか遅いとかないんだよ、ユウちゃん」

     どうしたら良いかなんてまだわからないけれど、それでも君の側にいたい。君が好きだって、そこら中に吹聴してまわりたい。まだまだ分からない君のことを、もっともっと知りたいんだ。

     いつかこの日の事を笑い飛ばしてしまえるように。彼は今この時に懸命だった。
    そうして二人は
     ユウは恋をしていた。淡い思いを抱く、眩しくも青き春の真っ盛り。思う相手の名前はケイト・ダイヤモンド。まごうこと無き他寮の上級生であった。

     身一つで異世界に飛ばされたユウには、寄る辺たるものなど数少ない。相棒たるグリム、保護者代わりの学園長、学園で出会った人たち。今でこそ日常生活をつつがなく送れるようにはなったが、当初は目まぐるしい毎日にベッドに倒れ込むばかりの夜を過ごし続けていた。

     ケイトはそんな中で出会ったひとりだ。恋のはじまりを思い返してみても、驚くほどに単純な理由しかない。見ず知らずの己にも気さくに接してくれた。優しいだけではない強かさの二面性に目を惹かれた。柔らかい髪の毛に触れてみたいと思った。それだけだった。それだけで、ユウはあまりにも呆気なく恋に落ちたのだ。

     だからこそ、ケイトが明確に自分と距離を保っていることにも勿論気がついていた。目を合わせれば微笑んでくれるし、近寄ればあの明るい声で名前を読んでくれる。けれどケイトはエースたちの頭を触れるように、ユウに気安く触れてくれることは決して無かった。

     最初は気のせいかとも考えた。しかし、すぐにそれは確信へと変わった。ケイトはユウが差し出した菓子を受け取ることも無ければ、彼が落としたペンを拾おうとしゃがみこんだユウの指すら制して止めた。

     もしや自分は嫌われているのだろうか。そう思えば目の前が真っ暗になる心地がしたが、いつもほんの一瞬だけ唇を噛みしめるケイトの様子にそうではないらしいことを知った。辛くて悲しい気持ちを抱いているのはふたりお揃いらしい。どうして彼がそんな顔をするのかは、ユウには分からないままだったけれど。

     決別が訪れないのはユウにとっては寿ぎで、あるいはこの苦しい日々がこれからも続くことの証左だった。決定的な拒絶をしない癖に、思いを遂げられるほどの触れ合いをくれないなんて酷い人。それでも、ユウを目に移す度に喜色に染まるあの澄んだ緑を嫌うことなんて出来やしなかった。

     ある日、何気なく見た窓の外にケイトの姿を見つけた。体力育成の授業後だったのだろうか、クラスメイトと連れ立って運動着姿で歩いていた。水飲み場で頭から水を被った髪の毛には、ポタポタと雫が滴っている。今日は猛暑日だそうだから、さぞ暑かったことだろう。そんなことを考えて眺めている内に、あ、と声が漏れた。

     クラスメイトから差し出されたタオルを、ケイトが受け取り水気をふき取っていく。そしてケイトは、そのタオルを躊躇なくクラスメイトの頭へ被せた。何事かを話しながら、二人は笑いあい小突きあっている。あんなじゃれ合いはきっと彼らの間では日常茶飯事なのだ。

    「良いなあ……」

     ああ、良いなあ。羨ましいなあ。無意識に口をついて出た言葉だった。一度出てしまえばとめどなく思いが溢れていく。良いなあ、良いなあ。私がただの同級生だったら触れて貰えたのかな。先輩への思いに気づかなければ、こんなにも胸焦がす思いを知らずにいられたのかな。好きな人の温度を知りたい。好きな人に触れてみたい。たったそれだけの事が、ユウには途方もない難題に思えた。

    「ユウ!もたもたしてると置いてっちまうんダゾ!」
    「ごめんねグリム、今行くから」

     名前を呼びかけられて、意識が場へと引き戻される。今は昼休みで、食堂へ向かう真っ最中だったというのに。昼食を食いっぱぐれては敵わない。やいやいと騒ぐグリムの頭を撫でて、歩を進める。それでも胸にこびりついた羨望は、その日ずっと消えることはなく巣食い続けた。

    「あのさオレ、ユウちゃんの事好きなんだ」

     だからそんな言葉は、本当に思いもよらなかった。放課後の裏庭で、囁かれたのは愛の告白。茹だりそうな脳みそからやっとの事で絞りでたのは、捻りもない返事だ。

    「私も、ケイト先輩のことが好きです」

     その言葉を聞いたケイトは、花がほころぶように笑顔になる。むにむにと唇を噛み締めては見つめてくる瞳を見て、ユウは気がついてしまった。ああこの人は、私を思い出にするつもりなのだ。私を確かに好いていながら、未来を諦めてしまっている。事実飛び跳ねんばかりに声を弾ませてデートの約束を取り付けたケイトが、その日もユウに触れる事はやはり無かった。

     その場を去って辿り着いた自室で、制服を脱ぐこともおざなりにベッドへと倒れ込む。皺になろうと構いはしない。思い合っているはずなのに、何もかもを諦めてしまっているケイトが悔しくて仕方なかったのだ。そして心から嬉しそうに逢瀬の約束を交した彼の笑顔が、どうしたって愛しかったのだ。

     そんなユウの様子をジッと見ていたグリムが、ノソリとベッドの上へ上がってくる。何も聞こうとせず、ただ自身の毛づくろいをし続ける優しさが有難い。いつもならむず痒いと逃げ出してしまうユウからの柔い抱擁も、グリムも今日ばかりはと黙りこくって受け入れていた。

     無言の時間をいくらか過ごして、ユウは顔を上げる。パチパチと瞬きした目にはベッドサイドに置かれたランプの光が眩しい。綺麗なまま、誰かの思い出になんてなりたくない。このまま受け入れてしまうつもりは毛頭なかった。

    「ねえグリム、今度のお出かけにこの前買ったワンピースを着ていこうと思うんだ」
    「良いんじゃねえか?タンスの肥やしにならずに済んで服も喜んでるゾ」
    「うんその通りだ、ありがとうグリム」
     
     ふなぁとひと鳴きして、グリムはベッドに寝そべってしまう。薄桃の透けた腹に布団を掛けてやって、ユウはクローゼットを勢い良く開けた。この前買ったばかりのワンピース、好意で貰ったレースのハンカチ、箱に入れたままのとっときの靴。収めたままだった衣装たちを、ソファの上に次々と並べていく。ケイトが見惚れてしまうほどに着飾ろう。たとえ一瞬だとしても、今を生きよう。聞き分けが出来るいい子になって、自室で冷め冷めと泣くのは懲り懲りだった。

     来たるデート日の朝に、ユウは何度も姿見に自身を移していた。後ろ髪もきちんと纏まっている。ワンピースに皺もついていない。汚れもほつれも無い。ゴーストたちはそんなユウの様子を、まるで我が子の晴れ姿のように喜び飛び回っていた。

    「綺麗だよユウ!まるでどこぞのお姫様みたいに華やかだ!」
    「儂らの孫もこのくらいの年かねえ?ひ孫の代かもしれんが」
    「なあにグリ坊はこっちで面倒を見る、気にせず楽しんでおいで」
    「オレ様そんなガキじゃねえんダゾ!」
    「みんな、ありがとう」

     やいやいと騒ぎ立てる同居人たちと話していたら、いくらか心も落ち着く。いつの間にか集合の時間までも迫っている。行ってきますとひと声かけて、ユウはオンボロ寮の門を抜けた。

     きょろきょろと辺りを見渡せば、見慣れた人影が向かってくるのが見える。なんてことないシャツ姿の筈なのに、ケイトだと言うだけで胸の動悸が激しくなる。手を振れば遠くから応えてくれているのが分かった。

     すぐさま近付こうとして、ユウは道の途中に小石を見止めた。それに気づかないフリをして、ケイトまで近づいていく。これは少女の一世一代の賭けだった。たった1度でもいい、綺麗なままの記憶に成り果てたくない。この人の癒えない傷になれるのなら、身を賭すその価値はある。小石に足先を掛けて、揺れる視界に地面が近づいていくのを感じた。痛みはいつまで経ってもやって来ない。

    「……危ないよ、ユウちゃん」

     ユウの手をしっかりと握り止めたのは、他でもないケイトの手だ。予想に反してケイトは、ユウの指先を離そうとはしなかった。そしてケイト自身がそれに驚いているらしい。ぐるぐると渦巻きそうな目には安堵と混乱と、それから懺悔を感じる。きっとこの人は何かに、あるいは誰かにずっと謝り続けているのだろう。ユウに触れられなかったのは、自責の念ゆえか。

    「はい、ごめんなさい先輩」

     それでも良いと心から思えるほどに、ユウの心は満ち足りている。年頃の青年らしく節くれだった長い指先からは、夢にまで見た温度を感じた。ケイトの目を見据えれば、少し潤んだ緑がこちらを見つめている。

     彼がどれだけの過ちを悔いていたのだとしても、構いはしない。振りほどかれない限りは、この手を放すつもりは更々ない。ねえ、思いの花咲く前に消えてしまった見知らぬ貴方たち。この人は私が連れていくから、貴方たちもさようならをしましょう。

    「ケイト先輩は優しい人ですよね、だってお付き合いするまで手も繋いでくれなかった」

     私はもう少しだけ、この人のために何もわからないふりをする。この愚かしくも優しい人の傷が塞がるまでは、本当の事はお預け。きっと最後にはあの言葉で綴じるのだ。

     そうして二人は、素敵な恋をしました。
    みなも Link Message Mute
    2022/06/18 0:38:44

    命の温度

    恋するケイトと監督生♀の話です。
    モブがとってもよく喋る。
    監督生=ユウ。

    #ケイ監

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