Sweet time with you! ビルの立ち並ぶ通りを、風が優しく吹き抜ける。風はそのまま晶の髪をさらうと、額がほのかに見えるまでめくりあげた。
「わっ」
「何してるの、ずいぶんとまぬけな顔」
晶の半歩先を行くオーエンが、立ち止まっては意地悪を言う。けれど表情ばかりは優しく微笑んでいるので、晶はちいとも気にならない。むしろオーエンからのひねくれた好意とまで思えるくらいだ。そのことを指摘しては、彼はたちまち不機嫌になってしまうのだろうけれど。
「にやにやしてるけれど、頭のねじでも外れたの?」
「オーエンとこうしてお出かけできるのが嬉しくて」
「ふうん、晶はずいぶんとお手軽なんだね」
オーエンは興味もなさそうにそっぽを向いたが、依然として晶と同じ方向に歩き続けている。オーエンも少なからず楽しんでくれているのだろうか。そうだったらいいなと考えて、晶はほんの少し微笑んだ。
「はい、晶ちゃんこれあげる!」
「はい、オーエンちゃんにもあげちゃう!」
事の始まりは研究所にて差し出された、2枚の招待チケットだ。『スイーツバイキングご招待』の文字が、華やかな菓子達の写真に埋もれている。そんな状況がよく分からず首を傾げる晶と、食い気味にチケットを見つめるオーエンの姿は対象的ですらあった。
「えーっと、これは一体……?」
「僕がお前たちが差し出すものにかぶりつく様な、卑しいアシストロイドだとでも思っているの?」
チケットを差し出した手の持ち主たち、スノウとホワイトはニコニコと笑顔を崩さない。オーエンの憎まれ口を気にする風でもないのは、慣れからだろう。ふたりは寄り添ったまま、かしましくも経緯を話し始めた。
「研究所宛に招待券が届いていたから、二人のために貰ってきたんじゃ!」
「我らピインときてな、可愛い弟と姪っ子にプレゼントしようと思い立ったんじゃよ!」
ふたりいわく、先日シティにめでたくもカフェがオープンしたのだとか。そこで研究所は、カフェの従業員としてアシストロイドを販売したそうだ。結果その礼として、研究所宛には複数枚の招待券が届いた。希望した研究員には既にあらかた譲られたあとで、ここに残っているのは最後の2枚なのだと教えられた。
「ふたりは行かなくていいんですか?」
「我らはほら、フィガロちゃんのお世話があるから」
「フィガロちゃんはこういうとこ行きたがらないしね~」
なるほど、と晶は納得する。どうせなら3人でお出かけをしたかったのだろうが、人混みが苦手なフィガロにスイーツバイキングは辛いだろう。しかもオープン直後の客がごった返す店などもってのほかだ。それならお土産でも買ってこようかな、と考える晶をよそにオーエンは何処かに消えようとしていた。
「オーエン、スイーツバイキング行かないんですか?」
「ようはそれ余り物だろ、僕は施しを有り難がって受けるほど卑しくないよ」
「人聞きが悪いのう、プレゼントだと言うとろうに!」
オーエンだって甘いものが好きなのだから、興味がないわけではないはずだ。けれどオーエンの矜持が状況とミスマッチを起こしているだけなのだ。分かっては居ても晶はほんの少し寂しい気持ちになる。そんな気持ちがそのまま顔に出ていたのか、オーエンは晶の顔をまじまじと見つめた。
「なにその顔、そんなに行きたいなら晶は行けばいいんじゃない」
「せっかくの美味しいものです、オーエンとふたりで行ってみたいなあって」
「……それは懇願?」
「はい、私とってもオーエンとお出かけがしたいです」
オーエンはその言葉を聞いて、思い切りしかめ面になる。苦虫を噛み潰して汁まで啜ったような目元は、何かを逡巡している証拠だった。ややあって、鉛を含んだとも思わせるほどに重たく口が開かれる。
「じゃあその懇願、優しい優しい僕が聞きとげてあげる」
その言葉を発する頃には、もうオーエンは薄く笑いを浮かべていた。きっと彼の中で何らかの折り合いがついたのだろう。だとしてもふたりで出掛けられることに変わりはない。晶は心の底から嬉しくなったし、ふたりをそっと見守るスノウとホワイトもまた微笑ましいとばかりに笑っていた。
大通りをずっと歩いた先に、件の店は建てられていた。白く塗られた壁に、上品な銀作りの看板が掲げられた横に広い建物。そこにだけ大変な人の列ができているので、ひと目でここが目的のカフェだと分かる。列の整理をしている店員に招待券を見せると、すぐに入り口にまで連れて行かれた。
ふたりが通されたのは窓際の席だった。ふかふかとしたエル字型のソファが据え付けられていて、すぐそばにある窓からは美しく整えられた中庭が見えている。あとは各々食べたいものを持ってこようと分かれたのが少し前のこと。いま晶の前には山と積まれたスイーツたちの皿があり、その向こうにかすかに見えるオーエンはひたすら甘味を咀嚼し続けている。
「お皿が沢山ですね」
「だってこの店の甘いもの、僕がすべて平らげてしまっても良いんでしょう?精々食べ尽くしてやらなくちゃ」
「あっ!その猫ちゃんのゼリー、オーエンも持ってきたんですか!やっぱり可愛いですよね」
「少しは聞く素振りを見せろよな」
山と盛られたオーエンの取り皿とは対照的に、晶の取り皿の上には随分と余白がある。等間隔で盛られたスイーツがすべて猫を模したものである事は、勿論オーエンも気づいていた。しかしあえて言及していない。普段は温厚な晶が猫の話となるといやに饒舌になる上に、大変押しが強くなると身をもって知っているからだ。
「ほら見てくださいオーエン、肉球型のお饅頭ですよ」
「そう」
「猫ちゃんのぷにぷにのお手手そっくりです……きっとパティシエさんは猫が好きなんですね」
「ふーん」
ぺらぺらと喋り続ける晶の口は、いつにも増して止まらない。うっとりとした表情で皿の上を見つめては、堪能するようにひと口ひと口を進めていく。オーエンとてフォークを持つ手を動かし続けているので、もうすぐ皿の底が見えてしまう。さて次は何を食べ尽くしてやろうかと考えるオーエンの耳に、ひそやかな話し声が聞こえてきた。
「カップルかな?可愛いね」
「えー、兄妹じゃないの?服も似てるし」
向かい側の席に座るふたり組の女性が、微笑ましげな顔で晶とオーエンを見ている。気を遣ってか小声ではあったが、アシストロイドであるオーエンの耳には一言一句全てが聞こえている。そしてそれは、もちろん晶の耳にも届いているのだ。
オーエンはそこでふと、晶が何か考えていることに気がついた。目は少しの悪徳に煌めき、口元はほんの少しだけ鳥のくちばしのように尖っている。珍しいこともあるものだと、オーエンは素直に驚く。これは晶がイタズラを考えているときの顔だった。
思考しながらも食べ続けていたせいで、オーエンの皿はすでに空だ。晶はそれを見止めると、いつもよりいくらか幼い声を出してオーエンの手を握った。
「オーエン、ううんパパ!次は何を食べるの?」
えっ、という戸惑いの声と共に女性客が息を呑むのが聞こえた。そもそも晶はオーエンに造られたアシストロイドだ。だからこの声掛けは嘘ではなく、事実でもある。オーエンが自らの手で造りだした、オーエンに心からの祝福をくれる女の子。たとえ悪戯だとしても晶がそう振る舞うのであれば、父たる自分はどう応えるべきか。
「……可愛い晶、次はあっちのアイスを食べようか」
「うん!カイン、じゃなくてお兄ちゃんにお土産も選びたい!」
そう大層な理由をつけては見ても、オーエンとて悪戯は大好きなのだ。整えられた場にのせられるのは癪だが、今はきっとこちらのほうが楽しい。幼い娘にそうするかのように、晶の頭を優しく撫でる。片方の手には皿を手に、もう片方の手は晶と繋いで。ふたりはアイスクリームの並ぶケースへと歩いていった。
「ふふ、あの人たち驚いてましたねえ」
「今日は本当に浮かれてるね」
「大好きなオーエンと美味しいものを食べる日です、嬉しいに決まってますよ」
言葉通り、今日の晶は確かにはしゃいでいた。いつもより長い猫の話に、いつもより弾んだ足取り、いつもよりオーエンを楽しそうに見つめる瞳。言葉にせずとも晶の上機嫌な心が伝わってくる。
オーエンの視界の端に、先ほどの女性客たちがレジに進む姿が映る。ちらちらとオーエンたちをしきりに見つめてくるので、誤解は解けぬままのようだ。その姿に悪戯心がむくむくと育っていくのを、ふたりは感じ取っていた。
「じゃあ次は兄妹ってことにしようか、ほら別の客が来た」
「その後は幼なじみがいいです、その次は恋人とか?」
「馬鹿じゃないの」
こんな浮かれた友人が横にいるからには、オーエンとてあてられてもおかしくはない。致し方ないことなのだ。ガラスケースに映る緩んだ己の頰をかき消すように、オーエンは引き戸に手を掛けた。