君を見れば食欲旺盛君を見れば食欲旺盛
グゥ、とラギーの腹がかすかに鳴った。何の脈絡もないそれに、幸い隣で笑うユウは気づいていないようだ。ランチの量が足りなかったかとも考えるが、カツサンドにあんぱんにジュースにデザートに……と食べ盛りらしい量は摂取した。しかし腹のすく感覚はまとわり付いている。首をひねっていれば、流石にユウもラギーの思案に気がついたらしい。
「デュースが授業中に爆発した話、あんまり興味ありませんでした?グリムのお腹が最近すごく柔らかい話とかしますか」
「いやいや全然そんなこと無えスよ、でもグリムくんのお腹の話は聞きたいかな」
「そうですか!実は最近シャンプーを変えて、グリムの毛並みが艶々のふかふかになったんです」
鼻を鳴らしてみれば、少女の艶のある髪から香るのは嗅ぎなれない匂いだ。ユウとグリムは同じ寮で暮らし、風呂も一緒に入っているとは聞いたことがある。自分の暮らしに過不足はないが、彼女と四六時中共にできることは素直にグリムが羨ましいと思った。
そこまで考えて、ふと思い立つ。羨ましいとは何だ。今の話に自分が羨むような要素はあったか?まあ確かに、のびのびとした館に2人とゴースト数人だけというのは開放感があって憧れるかもしれない。そう結論づけて、空いた腹には見ないふりをして会話へと意識を戻した。
ところが、ラギーの不調はそれからも続いた。そしてそれは、決まってユウがいる時だった。初めはこの子と会話をするとヤケに腹が空くなあ、ぐらいの認識だったのだ。それがいつの間にか遠くに見かけるだけで、話題に出るだけで、果ては考えるだけで腹が鳴るようになった。自分はこんなに食に貪欲だっただろうか。確かに彼女は柔らかくてかじり付けば甘そうだけれど。
「馬鹿かお前、そりゃ恋だろ」
「恋」
「腹の足しにもなんねえ惚気聞かせやがって」
呆れたように舌を打つレオナがそっぽを向く。投げられた言葉はラギーには予想外のもので、オウムのように繰り返してしまった。最近ラギーが何時にも増して食事を取るのを、レオナは訝しんでいたらしい。上述の通りに話せばこの有様だ。それにしても恋、恋か。幼い頃は生きるのに必死で、そんな事にかまける余裕は無かった。近所に住む優しい年上の女性に懐いたことはあるが、アレはどちらかと言えば憧憬に近かったように思う。
レオナはそれきりラギーの不調には興味を失くしたようで、パンに齧りついている。これ以上はこの話題に乗ってくれることは無いだろう。けれど、言われたことで腑に落ちるものはあった。そうか、いま自分は恋をしているのか。あの子が欲しいと思っているのか。
それからラギーはどこか上の空で、気がつけば放課後になってしまっていた。今日は部活動も休みだから、無心に身体を動かすこともできない。済まさなければならない用事も特にない。暇を持て余して道を歩いていれば、中庭に座る見知った背中が見えた。
「こんにちはユウくん、お一人?」
「ラギー先輩、こんにちは!グリムが呼び出されてるから、今は日なたぼっこ中なんです」
「まあ良い天気っスからねえ、お隣失礼しますよっと」
「どうぞどうぞ、ここは絶好の陽当り良好スポットですよ」
ニコニコとふやけた笑顔を見ると、腹がキュウとなる。空腹ばかりに気を取られていたけれど、胸の動悸も早くなるではないか。スラムでは過ぎた空腹が死に繋がるからこそ、身体の不調ばかりにかまけていた。学園に通う内はそう危険も無いだろうし、この機に情緒の面を育てるべきだろうか。
暖かい日差しの下で、ユウは気持ちよさそうに目を瞑っている。そんな日常のひと仕草を見ただけでも、言葉を忘れてしまう。今までどんな事を話していただろうか。苦し紛れの天気の話なんて古典的だ、すでに挨拶は済ませた。マジフトの話をしようにも、彼女はそんなにスポーツが好きなのだろうか。儘ならない心のままに、挨拶をしたきりラギーは黙り込む。なにかを悩み続けるラギーの様子に、ユウはそっと下から彼の顔をのぞき込んだ。
「先輩、具合が悪いんですか」
ふいに瞳がかち合って、抱えきれない思いが溢れた。その無防備な喉に鋭く歯を立てたい。透けるように白い肌の甘さを知りたい。骨も余さず食らい尽くしてやりたい。ああ、きみをすべて食べたい。恋は飢えだ。渇望の満たされることを、永遠に乞い願うしかない。思わず引き寄せた手首はあまりに細くて、目眩がした。
「……先輩?」
見上げるようにして首を傾げる動作すら愛しくて仕方がない。惚れた弱みとは言うけれど、こんなにも弱々しい自分をラギーは未だかつて知らなかった。
「ごめんね、ユウくん」
合わせた唇は頭が馬鹿になりそうなほど柔らかくて甘い。口先では謝罪をしておきながら、腹の奥底では獲物を前にした獰猛な獣が唸っている。
一寸遅れて、彼女の顔が熟れた林檎のように赤らんだ。悪い男の前でそんな可愛い顔をしてはいけないと、誰も教えてやらなかったのだろうか。逃げ出そうなどと考える暇も与えてやらない。無意識に舌を舐めずって、指先をそっと絡ませた。
余さず見せて
ラギーとユウが交際をはじめて暫く経った。毎日顔を合わせて言葉を交しても、愛しさも恋しさも留まることを知らない。彼は恋を知って馬鹿になったと言われれば否定はできないが、如何せん日々が幸せだらけだ。余計なことを言う外野にはきちんと落とし前をつけさせて、ラギーの楽しい毎日は今日もつつがなく続いている。
「ユウくん、まだそんなに恥ずかしい?」
「こればっかりは、その」
「まあ良いんスけどねえ」
お年頃な学生の交際ともなれば、それに付随する行為にも勿論発展する。男女の営みとは良く言ったものだ。はじめて行為を交わした日には、興奮と支配欲とが恋情で支配されてそれは大変なものだった。迸りそうになる加虐とを努めて身の内に押し込めた、あの日の自分は何度思い返しても偉い。
そんなこんなで、今夜も二人は事を推し進めようとしている訳である。静かな部屋に、話のタネにと付けていたラジオだけが虚しく響く。優しげに喋るパーソナリティーは明日の天気について伝え続けているが、耳をすべり抜けるばかりだった。オンボロ寮の一室の中、ラギーは既にスラックスのみの至って簡素な出で立ちだ。ユウの方も服を脱がねば始まらないと、ブレザーとスカートを置いたまでは良かった。しかし、この初心な恋人はいつまで経っても色めいた雰囲気には馴れないらしい。早々に衣服を脱ぎ始めたラギーとは対象的に、恥ずかしがった彼女は途中で手を止めてしまった。シャツ1枚の出で立ちは余計に扇情的だとは思うが、それよりも羞恥が勝ったらしい。だからそう、ちょっとした好奇心からのイタズラだったのだ。
「こっち向いてユウくん、そういい子っスね、せーの愚者の行進!」
「えっ」
突然ユニーク魔法を使い始めたラギーに、ユウは驚いたようだ。今まさに情事が始まらんとしているのに何故、と言いたげだった顔はすぐに焦りへと変わる。ラギーの手の動きにつられて動く己の手が、未だ閉じたままの衣服へとかけられたのに気がついたのだ。慌てて手の動きを止めようにも、魔力のない彼女はかけられた魔法を解くことは出来ない。そして、こう言ったときのラギーが言って止まるような男でないことを誰よりもユウは知っている。結果、声にならないような息を漏らしながら、シャツのボタンは外されていくほか無かった。
ラギーは目の前の恋人をジッと見つめながら、手を動かしていく。女性用のシャツはいつもとは勝手が違うな、なんて思いながら一つまた一つと手を掛けていく。白い胸元がはだけていくごとに、彼女の顔が羞恥で赤く染まっていく。恥ずかしくてたまらないといった様子なのに、その手は止まることがない。付けたままのラジオからは、題名も知らない流行歌が流れてくる。まるで自分ひとりの為だけに開かれたストリップのようで、背筋にゾクゾクしたものが奔るのを感じた。そうこうしているうちにシャツは全て開かれて、ゆっくりと床へと落とされる。それを合図にするかのように、ラギーはユニーク魔法を解いた。
「きちんと脱げたねえ、良い子良い子」
「いけしゃあしゃあと……」
「ほら、こっちおいで」
ベッドに腰掛けるラギーが、隣の空間を叩いて呼ぶ。ユウは何か言いたげに逡巡していたが、ため息をついてその隣へと近づいてきた。先輩のすけべ、なんて呟かれた言葉に尻尾が逆立つような興奮を覚える。そんな言葉を吐いては逆効果だと、妙なところで幼いこの少女は知らないのだ。
細い肩を掴んで、抱き寄せる。華奢な首からは目眩がするほどに甘い匂いが漂う。性別の違い故なのか、惚れた弱みなのかは分からないが、とうに嗅ぎなれてしまった愛しい香りだった。
「ねえユウくん、まだ怒ってる?」
「次やったら本当に許しませんから」
「はあい」
抱きしめたままの腕を、背中へと滑らせる。下着の金具に触れれば、肩が強張るのが伝わってきた。ああ、可愛い。今すぐに食い散らかしてやりたいのをグッとこらえる。夜はまだまだこれからなのだ。手始めに戯れのようなキスをして、金具を指で弾くように外した。