白い花を君に白い花を君に
「クリスマスマーケットですか」
「そうそう、この辺りの伝統的なやつ!」
ハーツラビュル寮の談話室で、何てことはない世間話が繰り広げられている。エースとデュースを訪ねてきたは良いものの、折り悪く用事の渦中だったのが先程の話。少しの間待って欲しいと頼まれ、ユウとグリムは談話室へと案内をされたのだ。
暇をつぶすものは何も持ってきていなかったので、同じくソファに寄りかかるグリムの肉球をマッサージして過ごす。ごろごろと喉を鳴らしているので、嫌ではないようだ。慣れぬ固さのソファでそんな風にぼんやりしていると、ふいに見知った顔が通りがかった。
「あれ?ユウちゃんとグリちゃん、こんにちは」
「よおケイト」
「こんにちは、何かの準備中ですか?」
通りすがるケイトは、何やら衣装品を手にしていた。ブローチにヘアピン、指輪にカフスボタン。手袋や帽子もあるだろうか。抱えられるほどの段ボール箱に入れられたそれらは、すべて冬の意匠を凝らしてあった。寮で使うのだろうかとも思ったが、如何せん数が少ない。不思議に思っていると、ケイトが隣のソファへと腰を下ろす。
「もうすぐクリスマスマーケットがあるからね」
それからケイトは、この島特有の市について説明をしてくれた。遥か昔にこの島へと移り住んできた者たちが、故郷のクリスマスを懐かしんで市を開いた。様々なルーツを持つ住人たちの文化は混ざり、独自の発展を遂げる。そうして数百年も経つ頃には、名物ともなるマーケットが出来上がっていたのだという。
「そのブローチやらなんやらも着けるのか?」
「冬っぽくて可愛いでしょ、おめかししなきゃ」
「屋台もたくさん出るんでしょうね」
「勿論だよ!ラクレット食べたり、大人はホットワイン飲んだり」
「へえ……」
初期の移民には、輝石の国から来た者も多く混じっていたそうだ。かの国は食へのこだわりが強く、遠く離れたこの地にも子孫たちは食文化を花開かせた。そのせいか食べ物の屋台は特に多いのだとか。
昨年の帰省の折にそれを話題にしたところ、先週頃に実家から子供時代の装飾品が送られてきたとケイトは話す。
「でもやっぱサイズ小さくてさ、グリちゃん着ける?」
「貰えるんなら貰っとくんダゾ!」
「よかったねえグリム」
おそらく小さな子ども用のミトンは、そのままグリムの手にピッタリのサイズだった。手首の縁に白い花の刺繍がレースのように列なっているのが可愛らしい。両手を上げてはしゃぐグリムが嬉しそうで、ユウも笑顔になった。
ケイトはそのまま、ユウの首にもマフラーを巻き付ける。端についた鮮やかなフリンジと、刺繍された白い小花が愛らしい。ケイトが幼いころに着けていたものだというけれど、小柄なユウには丁度よいくらいだ。
「私までどうも有難う御座います」
「お古で悪いけどさ、早めのクリスマスプレゼントってことで」
「いえいえ、とっても嬉しいですよ」
ふと、にわかに玄関ホールの方から話し声が聞こえてくる。どうやらエースとデュースが用事を終えて帰ってきたらしい。同じく声を耳にしたケイトが、トートバッグを手にソファから立ち上がる。
「じゃあオレはそろそろお暇します、またね」
ひらひらと手を振って廊下に消えていく背中をグリムと見送る。手持ち無沙汰なユウとグリムのために、今まで相手をしていてくれたのだろう。相手に対してさりげない気遣いの出来る人だ。
そんな事を思っていると、談話室の入り口から予想していた通りの顔が見える。ハーツラビュルで飼われている動物たちの世話帰りの為か、幾分かラフな格好のエースとデュースが歩いてきていた。
「いやー、今回はマジでごめん!」
「僕たちから呼び出しといて、本当に悪かったな」
「今度からは気をつけるんダゾ!」
グリムが柔らかな肉球で頭を小突くのを、デュースは甘んじて受けている。ぽすぽすと気の抜けた後が響いているので、本気で怒っているわけではないのだろう。やり取りを見守っていると、エースが不思議そうに首を傾げた。どうやらユウとグリムが見慣れぬ防寒具を着けていることに気が付いたらしい。
「アレ?どうしたの、その冬装備」
「うん、さっきケイト先輩がクリスマスにってお古くれたの」
「じゃあもしかしてマーケットの話も聞いちゃったか?」
エースとデュースの話というのは、そのまま件の市へのお誘いだったらしい。異世界からで文化への見識が乏しいユウと、モンスター故に人間の文化に疎いグリム。どうせなら街の紹介ついでに遊んでしまえというわけだ。
そうして三人と一匹は次の休日に、祭りのただ中にある街へ繰り出していた。譲り受けたばかりのマフラーを身につけて、飾り付けられた道を歩く。
不思議な香りのする屋台や、綺羅びやかな装飾たちが目についた。ユウは街についてすぐに、可愛らしい装飾のヘアピンもを買ってしまった。繊細な白い花のデザインに陽気な気分になって、袋も貰わずそのまま髪につけたのはご愛敬だ。マフラーの刺繍に合わせた白い花。ユウは今日ずっとご機嫌だった。
浮かれ気分のままで見たことのない景色に、目線をあちらこちらに漂わせていたのが悪かったのだ。喧騒から少し離れた公園のベンチで、先程買ったココアを少し飲む。白い息が宙を舞っても、座っているのはユウひとり。お手本のような完全なる迷子だった。
「スマホはグリムが持ってるし……どうしよう」
立ち往生していても始まらないと、公園のベンチにたどり着いたまではよかった。しかしこの先如何すればよいのかが、どうにも思いつかない。ココアの甘さだけが喉に染みる。心なしか涙すら滲んできた目を前に向けたときに、あるものを見つけた。
七歳ぐらいの男の子が、花壇の脇にしゃがみこんでいる。花々の隙間をかき分けては落胆したように肩を落とし、また別の隙間を覗いている。転んでしまったのだろうか、服の裾には土埃が付いてしまっていた。周りを見ても、保護者らしき影は見当たらない。一体どうしたのだろうか。
「僕、何か探しもの?」
「……えっ」
知らない声が掛かったことに、驚かせてしまったらしい。不安そうに少年の緑色の瞳が開かれる。言葉を探すたびに、長い前髪が顔の横で揺れていた。変質者と勘違いされてしまっただろうか。やはり今からでも交番を探すべきか。そう思ったところで場違いに間延びした音が響いた。クルクルキュウキュウ。情けないようにも聞こえる音は、少年の腹から聞こえていた。
「あの、ごめんなさい良く知らない人に……」
「いえいえ、熱かったら言ってね」
場所は変わらず公園のベンチ。少年とユウは並んで座っていた。入り口近くのワゴンで買い足したクッキーとココアをトレーに載せて、二人の間に仕切りを作る。ふうふうと小さな口で、飲み物を冷ましているのが横目に見えた。お礼がきちんと言える、随分としっかりした子だ。
「よかったらこれも使って、せっかく綺麗な服だから」
服についている土汚れを取ってもらうつもりで、タオルハンカチを差し出す。少年の着ているコートは、作りも良く品がある。それに、彼の気持ちとしても汚れたままでいるのはあんまりだろう。ユウの意図を理解した少年が手を伸ばし、差し出されたハンカチを掴んだ。不安そうに見まわしているのは気まずさからだろうか。そしてそのまま、彼は俯いてしまった。
「どうしてこんなに、優しくしてくれるの?」
感じたことが、そのまま漏れ落ちたかのような声だった。心底分からないと言ったように、少年は自身の膝を見つめている。迷子になった子供特有の心細さに、彼が持つ寂しさがにじみ出ている言葉にも聞こえる。こんな時、なんと言葉をかけてやれば良いのだろう。
「私もいま、迷子の真っ最中だからかなあ」
「お姉さんも?」
「私の故郷はすごく遠い所なんだけど、誰も帰り道を知らないの」
思ってみれば途方もない話だ。あるかも分からない、存在すら定かでない懐かしき故郷。常識も身よりも、頼るものなんて何一つ持たず此処に来た。さまよわせた手を首に置けば、マフラーのフリンジに触れる。渡してくれたケイトの笑顔が脳裏に浮かんだ。ああそれでも、手を差し伸べてくれる人たちがいたから此処にいる。
「でもいろんな人に優しくしてもらって、恩返しがしたいのかな」
「オレはお姉さんに何にもしてないよ」
「実は今も友人とはぐれててね、誰かとお話したかったんだ」
「お姉さん、迷子になってばっかだね」
流石に驚いたのか、少年が顔を上げてユウの瞳をじっと見つめる。先ほどまで悲しさに沈んでいた緑色も、今は呆気に取られたような揺らめきを称えていた。いまいち話に締まりがなくなってしまったが、少年が前を向いているので良しとしたい。
「オレは買ったばっかりの、ヘアピン落としちゃったんだ」
「それで探してたんだね」
「うん、いつもお姉ちゃんたちのおさがりばっかだから」
なけなしのお小遣いで買ったものだったのだと、彼は話してくれた。嬉しくていつもはしないような回り道をして帰路にも付いた。そして自宅の姿見を見た時には、もう無くなっていたのだと。それで昨晩通った道を片端から確認していたのだそうだ。
「でもいいんだ、きっとお別れする決まりだったんだよ」
妙にさっぱりとした顔で、彼は諦めの言葉を口にした。それでも気にいっていたのだろうに。でなければあんなに必死に探したりしない。
ユウは少し考えて、自分の髪についていたヘアピンをそのまま少年の髪へ移した。驚いた顔をした彼と目が合う。きっと替わりにはならないだろうけれど。ユウはそっと微笑んで、柔らかな前髪を分けてやった。
「お姉さんに悪いよ」
「じゃあコレは貸してあげるだけ、今度会ったら返してね」
「いつ会えるの?」
「今日よりは明日の、いつかかな」
まだ納得していない様子の少年が、ユウが引き下がる気がないのを見て頷く。まだ会って少ししか経っていないけれど、この素直さがそのまま彼の魅力なのだろうと分かる。
場を引き裂くように、少年のポケットから電子音が鳴った。帰りが遅いことを心配して、両親が電話を掛けてきたらしい。慌てた様子で立ち上がった彼に手を振る。小走りで去った少年は、一度だけ振り返って声をあげた。
「借りただけだから、返しに来るからね!」
夜の闇へと消えていく背中を見送れば、あたりには静けさだけが残った。どうやらココアは持って帰ったようで、トレーには手つかずのクッキーが残っている。ハンカチもあげちゃったな、もっと綺麗な柄の持って来ればよかったかも。袋を開けてクッキーにかじりつくと甘い感触が広がる。食べ続けて最後の一枚を咀嚼し終えた瞬間、不意に見知った声が聞こえてきた。
「ユウちゃん!」
「ケイト先輩、こんばんは」
「もー、こんな所にいた!」
そこにいたのはケイトだった。私服姿で随分と雰囲気も違うためか、何だか違和感を覚えた。エースたちは偶然街に訪れていたケイトに、ユウが迷子になっていることを話したらしい。見つけ次第連絡を入れる約束をして、分かれたと話してくれた。そんなこともつゆ知らず、ユウは暢気にクッキーをかじっていたわけだ。
「すみません、とんだご迷惑を……」
「見つかったなら良いよ良いよ、はい連絡完了」
素早い動作でスマートフォンの画面を操作して、ケイトがメッセージを送る、合流できるよう計らってくれたらしい。あまりに申し訳ないので、大通りで何か飲み物でも奢ろう。そう提案しようとしたユウの顔を、ケイトがふと覗き込む。そのときにユウはようやく、ケイトに抱いた違和感の招待に気が付いた。いつも上げられている前髪が、今日は下ろされていたのだ。気分でも変えたかったのだろうか。
「そーだ、ハイこれ」
そんなユウの心中を知らずに、ケイトはユウに向かって手を差し出す。ポケットを探った手の上に乗せられていたのは、白い花の装飾が付いたヘアピンだった。ユウはこれに見覚えがある。だってこれは、さっきあの少年に。呆気に取られたユウの髪を、手袋越しのケイトの指が耳にかける。至極優しい手つきで白い花はユウの髪へと収まった。
「今日よりは明日の、いつかだからね」
いったい何が起こっているのかわからなくって、ユウは言葉も告げられない。いたずらが成功したような顔で、ケイトが目を細めて笑っていた。