日常からの脱出を決めた日の話「すごいモノができたんだ」
やつれ果てた体に不釣合いなほど輝く瞳をたたえて、かつての同僚はそういった。
研究室は異なっていたが、同じ師のもとで学んだ友であり、ライバルだった。
そんな彼がそういって知らせにきた。
自分のことのように嬉しく、胸を躍らせることは当然のことだろう。
けれど、待っていた現実は、残酷なものだった。
「みろ!お前の写し身だ!」
「――っっ」
水槽の中に呼吸器もなしに漂う。
多くの管に繋がれた肢体。
沈む彼の顔は、押さないながらも確かに自分を写したような姿だった。
「お前の細胞から創り上げた固体だ!もちろんお前と血液も臓器も99%同じにできている」
これで、お前になにかがあってもすぐに代わりのものをお前に与えることができるな。
そういって笑った旧友の瞳には一切の悪意はなかった。
ただ、純粋によかったと喜んでいるようだった。
「違う。こんなこと……」
絶対に違う。
伸ばされた彼の手を振り払い研究室を抜け出す。
何度か廊下を歩く他人の肩にあたりながら自室とかした自分の研究室へ飛び込んだ。
「こんなこと、間違ってる」
幼い頃から、他人とは違っていた。
他人が難しいという問題は容易に解け、わからないことなどなかった。
まるで天から誰かが与えてくれるかのようにアイディアが浮かび、その通りに薬品を混ぜれば成功することが当たり前だった。
天才。天賦の才。神童。神の子。
さまざまな呼び名で呼ばれた。
頭と体が、良くも悪くも他人と違っていた。
「――っゲホッガハッ」
"お前に何かがあってもすぐに代わりのものをお前に与えることができるな"
頭の中で先の言葉がリフレインする。
口元を押さえた掌から受け切れなかった赤い雫がぽたぽたと卓上に散らばった紙に朱色の斑点を作り出した。
「違う」
違う。
違う。
私はこんなこと望んでいない。
こんなことは間違っている。
生命をなんだと思っているんだ。
自分勝手に作り出して、代用品の倉庫のような扱いをすることが赦されるわけがない。
あいつらが残したいのは私の脳だ。
私の持つ知識と才だ。
そのために彼はつくられた。
"私と言う存在"を生かす為に。
けれど……
「そんなくだらないことに、俺の息子を利用させてたまるかよ」
「博士……」
暗転していた視界に一筋の光が射す。
眩しさにうっすらと瞼をあげれば、あのころから幾分成長した彼の姿がそこに在った。
「なに、してるの」
「ん、あ、あぁ。悪い悪い。また雪崩に巻き込まれて気を失ってた」
差し出された手をけらけらと調子よく笑いながらとる。
「……南天のところ、いってくる」
俺が完全に起き上がったことを確認して手が離される。
ぱんぱんと服についたほこりを払っていると、彼は、アンデルセンはそういい残して踵を返した。
「いってらっしゃい」
返した言葉にすこし振り返った息子の顔にはうっすらと笑顔が浮かんでいた。