白糸の葬式「此処だよな?」
足を止め、御旗眞理は隣の兄に確認する。手の端末から顔を上げた兄は頷いた。
ことの始まりは先日問題を起こし、自宅謹慎中の白糸結から自宅に来てほしいというメールが来たことだった。メールの宛先はあの場にいた5名。うち長谷川悠吾は妹との約束で、舟橋千代は入院中のため断り、残りの水鳥川伊咲、御旗眞央、御旗眞理の3名が古びたアパートの一室の前で立ち尽くしていた。冬の空気を纏い始めた風が冷たい。
「送られてきた住所の建物の名前と同じだから、合ってると思う。インターホン鳴らしてみよう」
そう言い、御旗眞央は目の前の色褪せた金属扉の横のインターホンを示した。眞理がかちりと押すと、軽い音が聞こえてくる。しかし、扉の向こうで何かが動く気配が無い。
「出ませんね」
「――まさか」
伊咲の言葉に眞理が青ざめる。白糸は自殺した自分の死体を見付けさせるために、我々を呼んだのではないか?眞理の表情を見て、眞央も僅かに顔をしかめた。伊咲が二度目のインターホンを鳴らそうとしたその時、背後から件の人物の声が聞こえてきた。
「こんにちは。来ていただけたのですね、ありがとうございます。今開けますね」
三人の注目を浴びて尚「あれ、すみません、手が塞がっているので鍵を取っていただけませんか。上着の右ポケットに入ってます」などとのんきな声をあげた青年は、白糸結その人だった。
「お前謹慎の意味知ってるか?」
「買い出しと風呂以外の用事では外出していませんよ」
「風呂も付いてないのかここ」
「一応耐震性の検査はしているみたいですよ」
「当たり前だ」
三人は白糸の淹れた緑茶で体を温める。白糸が四杯目を淹れ席に就くやいなや、眞央は話を切り出した。
「早速だけど、要件を教えてくれないか」
「あれ、説明してませんでしたか。白糸の家系図と『天の羽衣』の修練書を焼くので、一緒に見送って欲しいんです。プチ葬式ですよ」
暫しの静寂。秋の風がカタカタと何かを揺らす音を聞いた後、最初に口を開いたのは伊咲だった。
「焼く」
「はい、大家さんと久間さんからは許可を得ています。大家さんには落ち葉掃除を押し付けられてしまいましたが……もう終わっていますし、燃やすのに丁度いいから良かったんですが」
白糸が湯呑みを傾ける。頬に少し、赤みが宿った。どうやら聞き間違いではなかったようだ。何代続いているかは知らないが、家系図と技能に関する情報はそうそう燃やされていいものではないだろう。――少なくとも、先日「先祖程強くなれない」から事件を起こした目の前の男にとっては、命に代えても守りたい宝物だったはずだ。
「自殺する為の身辺整理なら断る」
明確な眞央の言葉に、白糸は気だるげに机に肘をついた。
「ああ……自殺する気は失せました。数日前、久間さんから電話がありまして。先日のあの決闘のトレーニングルームのログを解析すると、私の技能反応……『天の羽衣』の反応が消えたらしいんです。私が父から受け継いだ技能は、天の羽衣は……もう私の中にはないんですよ」
「調子が悪いと技能が使えなくなることもあるらしいけど」
「いいえ。謹慎が明けたら分かると思います。私はきっと、二度とトレーニングルームで……空間で、飛ぶことはできない。もう、イメージできないんです。あの翼で空をどうやって舞っていたのか。久間さんからその知らせを受けたとき、すとんと納得してしまったのです。だからこんなに身が軽いのか、と。長年感じていたもやもやとしたものがすっかり消えてなくなったんです。……不思議ですね。あんなに空を自由に飛ぶ両親の姿に追いつきたくてならなかったのに、もう決して追いつけないのだと知ると、落胆より開放感の方が大きいんですよ。……こちらが『天の羽衣』の修練書です」
白糸が何度も修繕した形跡のある古びた書と巻物を開いて見せる。外観に違わず筆で流れるように書かれた中身を理解することは難しい。顔を見合わせている面々に白糸が読み上げるのを聞くと、時代錯誤的な内容でやはり別の意味で理解することはできなかった。眞理は頭痛を覚え、聞き流して白糸に目を向ける。背筋が凍った。白糸の、話す内容と指でなぞる字がまるで違う。白糸も読めていないのだ。読めていないのに、白糸の口から出る言葉に一片の淀みも無い。これ一冊を完全に、寸分違わず丸暗記しているのだ。洗脳されたかのように。
「そしてこれは、白糸の家系図です」
次に白糸は巻をテーブルの上に広げる。誰に聞かれたわけでもないが、白糸は大切そうに指で名をなぞり、一人ひとりの性格や志、そして死に様を語った。両親の前で指を止め、湯呑みに手をやる。
「技能って、人為的に作れるんですね」
伊咲の言葉に、白糸は首を傾げた。
「どうでしょう。人工技能よりは再現性が悪いと思いますよ。そもそも技能保持者でないと技能が発現しませんし、必ずしもイメージと性格が一致するとも限りませんので……イメージを補強する為に『白糸の技能』として語り継いでいたんでしょうね」
そう言いながらも、白糸は広げた巻物を巻く。窓の外でカラスが鳴いている。上着を手に立ち上がった。
「さて、では行きましょう」
「自分の葬儀に出席している気分です」
「やめてくれ」
集めていた色とりどりの落ち葉に火を点ける。白糸は古びた本と巻物を手に、前に進み出た。
「後悔は無い?」
眞央の言葉に、白糸が答える。
「ありません。私が最後の白糸ですので、これらが無くて困る人間もいません。願わくば、次に似たような技能を得た人が妙な決まりに苦しめられること無く自由に空を飛べますよう願います」
そう言って、白糸は焚き火の中にそれらを放り込んだ。乾燥していたのか、あっという間に燃え移り火に包まれた。ゆらゆらと揺れる炎と上がる煙を眺め、白糸が呟いた。
「……やっと、ただの結になれる」
結の様子を見ていた伊咲がぽつりと呟いた。
「技能を失っていたら、配属先が変わるのでしょうか?」
「まだ分からないけど、そうなるパターンが多いんじゃないかな。技能開発部にも非・技能保持者はいるけど」
そもそも、空間管理機構から去る可能性もあるけど。眞央がそう口にしなかったのは、空間管理機構から自ら去る結の様子がうまく想像できなかったからだろうか。
「追い出し会しましょう。結ちゃんさんの奢りで」
「えっ」
ぼんやりと浸っていた結が振り向く。
「そうだな。暴れるのを抑え込むのも大分骨を折ったし、それくらいして貰わないと」
「そんなに暴れたんですか」
「記憶ないのか?」
「あまり」
しゅんとする結の姿に、もうあの時の悲痛な姿はない。
「マジで?これはいいものをご馳走して貰わないと」
「この一か月、本当に大変だったんですよ。絶対失敗できませんでしたし……ああ、舟橋さんと久間さんも呼びましょう」
「そうだな。肉はやっぱり和牛がいいかな?これとか良さそう」
「あはは。大人はお酒も欲しいかも」
「本当にやる流れなんですか?それ位で許してくださるなら安いものですが……はあ」
結が肉のリサーチをする眞理の手元を覗き込む。修練書の最後の1片が燃え尽きた頃には、もう誰も焚き火を見ている者はおらず、秋の空にどこまでも煙が昇ってゆくだけだった。