【刀剣】お膳立てされたけど自覚がなかった話【いちおに】 現世遠征という名の休暇が与えられるのは、この本丸では珍しい事ではない。
最低ふたりから最高で十人とかなり振れ幅はあるが、今回は最低人数のふたりが審神者に呼ばれ、形ばかりの任務内容を聞いた後に出発と相成った。
逃げ水が見えるとまではいかないが、それでも相当な暑さだ。アスファルトの照り返しも厳しく、呑気に散策できるような状況ではない。
隣を歩く翠玉の髪を、ちら、と見遣るも、鬼丸は表情を変えぬまますぐに正面へと顔を向ける。
太刀である自分が呼ばれた時点では、共に行くのは短刀か脇差だろうと思っていたのだ。ところが蓋を開けてみれば、今回現世へ行くのは同じ太刀である一期一振だけであるという。
準備の為に部屋へと戻る途中でどこから聞きつけたのか、吉光の刀たちが「自分たちも一緒に行きたかった」と長兄の腕を掴んで甘えていたかと思えば、「でもデートの邪魔しちゃダメだよね」などと、よくわからない事を言い出していた。
言いたい事を言って気が済んだのか「ふたり共、楽しんできてね」と無邪気な笑顔を残し去って行った弟たちの背中が見えなくなったところで、一期は「弟たちが騒がしくしてすみません」と困ったように笑ったのだった。
「鬼丸殿」
ぐい、と不意に腕を引かれ鬼丸は、はっ、と我に返る。どうやら赤信号であるにも関わらず、横断歩道に足を踏み出そうとしていたらしい。
「なにか考え事ですかな」
「……そんなところだ」
必要最低限の言葉しか発しない鬼丸には慣れているのか、一期はそれ以上踏み込んでくる事はなく「少し早いですが先に任務を片付けてしまいましょうか」と提案してきた。
陽はまだ真上には達しておらず、朝食には遅いが昼食には早い中途半端な時間である。今なら店もそう混んでいないだろうと予想し、鬼丸は言葉少なに同意する。
今回の任務は至って単純でありながら、大変面倒くさい物であった。
「人気のスイーツの写真を撮って、実食して感想と、できれば材料も特定して」との審神者の言に対して、人選ミスも甚だしいというのが鬼丸の正直な気持ちだ。
小豆長光や歌仙兼定、燭台切光忠向けの任務だろうと喉元まで出掛かったが、共に任務内容を聞いていた一期が即座に快諾した為、鬼丸は最後まで口を開く事はなかったのだった。
強い日差しを避ける為に街路樹の下へと移動し、審神者に指定された店の場所を確認しようと携帯端末を開く。
これまで片手で足りる数しか使用した事のない地図アプリを、鬼丸が睨むように凝視する事数十秒。
よくわからん、と顔を上げ、おい、と一期に呼びかけるも、つい先程まで傍に居たはずの刀は忽然と消え失せていたのであった。
平日であるにも関わらず絶えぬ人波を縫うように進み、一期は横断歩道を渡りきったところで緩く息を吐いた。そして、鬼丸が居る街路樹の方へと顔を向け、ぴたり、と動きが止まる。
特徴的な色を持つ髪と人にはない角はキャスケットで隠されているとは言え、上背があり体格も良いあの刀を見失う事はないと思っていたのだ。
横断歩道を往復している間にまさか居なくなるとは夢にも思っておらず、一期は慌てて辺りを見回すも該当する姿は見つからない。
鬼丸の傍を離れる際、一声掛けた事は掛けたのだが、返事を聞く前に動いてしまった事を今更ながらに後悔する。
「一体どこへ……」
これが弟たちであれば見た目は子供であるが故に、拐かされた可能性も出てくるが、あの鬼丸が相手である。それはない、と即座に打ち消し、さてどうしたものかと街路樹の下で思案する。
正直、鬼丸も一期も携帯端末の操作には長けていない。
こんな事ならもう少し真面目に使い方を勉強しておくのだったと、額の汗を拭いながら一期は後悔するも後の祭りだ。
『今どちらにおられますか?』
ぽちぽち、と辿々しい手つきでメッセージを送れば、意外にもすぐに既読になり、知らず安堵の息が漏れる。
『お前こそどこに居る』
容易にその口調が想像できる一文に苦笑しつつも、一期は続けてメッセージを送る。
『先ほど鬼丸殿がおられた横断歩道近くの街路樹の下です。鬼丸殿は今どちらに?』
同じ問いを繰り返し投げれば、既読は付いたが返信はない。おや? と思いつつ催促せずじっと待つ事暫し。
『わからん』
やっと返ってきたその一言に、は? と一期の口から意識せぬままに声が出た。
『わからないって、そもそも何故この場から離れたのですか?』
『居なくなったのはお前の方だろう』
先とは違い間髪入れずに返ってきた内容に、あぁ……やはり聞こえていなかったのか、と一期の肩が僅かに落ちる。
鬼丸が地図アプリとにらめっこをしていた時、一期は気づいてしまったのだ。人波に翻弄され、なかなか横断歩道を渡る事の出来ないご年配の婦人の姿に。
少々お待ちを、と鬼丸に声を掛けつつ小走りにその場を離れ、婦人の手を引いて横断歩道を渡り、そのまま取って返すには間に合わず次の青信号まで足止めをされたというのが、一期が消えた理由であった。
それを今説明するよりも合流するのが先であると、一期はとにかく鬼丸の現在地を知る術はないかとメッセージを送る。
『近くになにか目印になりそうな物はありませんか?』
『有名なコーヒーのチェーン店がある』
『どれですかな!?』
思わず心情が表出してしまったが鬼丸は気にとめた様子もなく、それには触れぬまま『乱が注文時に呪文を言っていた』と大変わかりやすい答えをくれる。
だが残念な事に有名店であるが故に近隣に何店舗もあるような店だ。特定できない、と一期は額を押さえながら、ゆるゆる、と首を横に振った。
『じーぴーえす? とやらで居場所がわかると聞き及んでいますが、生憎と使い方がわからんのです』
『おれもだ』
このような場合でも虚勢や見栄を張らず鬼丸は潔い。
本丸に連絡を入れて助けて貰うしかないかと一期が思い始めたのを知ってか知らずか、鬼丸からのメッセージが追加された。
『できるだけ人けのないところに移動しろ』
説明も何もなく指示だけを寄越されるも、意図が掴めず一期は怪訝な顔で『なにか考えがおありで?』と送れば『そうだ』とだけ返される。
『何をされるおつもりか伺ってもよろしいですかな?』
鬼丸を信用していない訳ではないが、妙な所で踏ん切りが良く思わぬ事をやらかす太刀だ。刺せる釘は刺しておいた方が良いだろうと一期が食い下がれば、僅かな間の後、短い一文が返ってきた。
『お前の霊力を辿る』
『正気ですか!?』
現世遠征の際は時間遡行軍に察知される確率を下げる為、霊力を抑える術式が施される。今の一期からは少々霊感が強い人間並みの微弱な霊力しか感じ取れず、鬼丸は元の霊力が強い為より強力な術式が施されており、ともすれば一期より厳しい状態である。
無茶だ、と止めようとするよりも早く、メッセージが追加された。
『お前の霊力をおれが間違える訳ないだろう』
不意打ちにも等しいそれに一期の顔に一気に熱が集まった。
ふとした瞬間にもどかしく言葉にならない想いで胸がいっぱいになり、溢れ出そうになるそれの正体を一期は掴みかねている。
自分がどのような顔をしているかわからず、一期は今鬼丸が目の前に居ない事に安堵する。
『わかりました。ですが、くれぐれもご無理はなさらぬよう』
既読は付いたが返信はない。
わかってはいましたが、と苦い笑みをひとつ浮かべ、一期は街路樹の下から一歩踏み出した。
ビルとビルの狭間にある小さな公園のベンチに座り、一期は手中の携帯端末を強く握り締める。
鬼丸の事を第一に考えるのならば本丸に連絡をし、審神者が指定してきた店まで誘導して貰うべきだと、それが一番安全で確実なのだと頭ではわかっているのだ。
だが、一期は彼に見つけて貰いたいと、そう思ってしまったのだ。
自分のわがままを優先させたと自覚がある分、時間が経つにつれ自己嫌悪でどんどん頭が沈み込んでいく。
「なんだ、気分でも悪くなったか」
日差しを遮るように一期の目の前に立った鬼丸は、口調こそいつもの淡々とした物であったが、額や首筋からは大量の汗が流れ落ちている。
「鬼丸殿……」
くしゃり、と顔を歪ませた一期に片眉を上げ、待たせて悪かったな、と鬼丸が詫びの言葉を口にした。
「いいえ、いいえ。謝るのはむしろ私の方です……」
ゆるゆる、と首を振り、立ち上がりながら手にしたハンカチで、一期は鬼丸の汗を拭っていく。
「必ず見つけてくれると信じていました。ですが貴方にばかり負担を掛けてしまいました」
疲れた様子など微塵も感じさせない鬼丸だが、触れた一期にはわかるのだ。
極限まで感覚を研ぎ澄ませた状態を維持し、ここまで辿り着いた鬼丸の身体も精神も疲弊しきっているのだと。
「任務は達成できませんが、もう帰城しましょう」
伏し目がちにそう進言してきた一期に鬼丸が再び片眉を上げる。
「迷子になった挙げ句、任務も達成できないなど、こんな姿お前の弟たちには見せられたもんじゃないな」
思いも寄らぬ鬼丸からの挑発的な言葉に、一期は勢いよく顔を上げた。
「鬼丸殿もそうですな」
言葉同様、挑発的な笑みを浮かべていた鬼丸にそっくりそのまま言葉を返した一期は、相手に負けじと挑発的な笑みを浮かべて見せる。
「先は詳しく聞きませんでしたが、そもそも鬼丸殿はどうしてあの場を離れたのですか?」
そこははっきりさせておかないとなりませんな、と一期が強気に出れば、鬼丸は唇をへの字に引き結んだ。
「……おれの事はいいだろう。早く店へ行くぞ」
途端に口が重くなった鬼丸を咎めるような目で見ていた一期だが、ふっ、と目元を和らげ、わかりました、と小さく頷いた。
「このような炎天下で言い合うのも不毛ですな」
そう言うが早いか鞄から簡易転移装置を取り出した一期の手を、鬼丸が、ぐっ、と押し止める。
「待て。お前の弟たちも楽しみにしていただろう」
これまでも何度か本丸で現世のスイーツの再現がされており、今回も新たなスイーツが加わると乱を筆頭にはしゃいでいたのは一期も知っている。
「それでも……」
鬼丸の手に反対の手を重ね、一期は、ふわり、と笑んだ。
「今は貴方の事が最優先です」
わざと焚き付けるような言葉をぶつけてきたのは、偏に吉光の刀たちを落胆させたくないとの思いからであったのだろう。思惑が外れたからか鬼丸は再び唇をへの字に引き結び、僅かに視線を逸らしている。
不器用だけど優しい刀であると、一期は改めて思ったのだった。
本丸に帰城後、手入れでは直らないと宣言された鬼丸は、一期の手によって問答無用で布団へと押し込められた。
一期は任務の失敗を弟たちへ詫び、審神者にもそのことを報告したが、それはしゃーない、と笑って済まされた。
聞けばふたりの行動はトレースされており、審神者や近侍、幾振りかの短刀はその時の状況を把握しているとの話に、一気に一期の顔から血の気が引く。
「いち兄がおばあさんの手を引いてた時にね、鬼丸さんはキャッチセールスに捕まってた人を助けてあげてたんだよ」
「いや、あれは目の前であーだこーだやられて目障りだったんじゃねーかな」
乱の説明に御手杵が笑いながら茶々を入れれば、そんな事ないよー、と乱が可愛らしく憤慨してみせる。
「でもその後、助けた人がお礼がしたいってグイグイ来て、何度断ってもしつこいからそれで鬼丸さん、人混みに紛れて逃げちゃったんだよね」
だが、人混みに紛れようにも頭ひとつ以上飛び出ていれば、逃げるのも容易ではなかっただろう。
とにかく厄介ごとから遠ざかろうとするあまり出鱈目に歩き回った結果、迷子が出来上がったという訳だ。
「いち兄の事はボクから鬼丸さんに説明しておくね」
善行を自ら説明するのは気が引けるだろうと慮った弟の発言に、一期は「世話を掛けてすまないね」と困ったように笑うしかなかった。
乱の背中を審神者と近侍である御手杵、一期で見送り、誰からともなくため息をつく。
「せっかくのデートだったのに残念だったな」
まぁ元気出せよ、と御手杵に背を叩かれ、一期は盛大に噎せ返った。
「は? いや、デーと……!?」
ひっくり返った声を上げる一期を前に、審神者と御手杵は顔を見合わせる。
「あんた……任務をうっきうきで承諾したからお膳立てした甲斐があったなぁって主と話してたんだが、そうかー……自覚なしかぁ」
眉尻を下げ、うーんそうかー、とひとり何事かを納得してから、なんでもねーわ忘れてくれ、と御手杵は無茶な事をさらりと言い放ち、一期はなにか言わなければと懸命に考えるも、結局なにも言葉は浮かばず黙りこくるしかなかった。
2023.08.03
2023.08.05 修正