【お題箱】ふたりより 昼過ぎに終わった仕事の帰り道、八百屋の店先で春はピタリと立ち止まる。
まるまるとした緑と黒の果物に呼ばれたような気がしたのだ。
上から照りつける日差しは春の頭頂部や肩をジリジリと焼く。
ずらりと並んだスイカは春の視線を釘付けにしていた。
「兄ちゃん、どれにしようか迷ってんのかい?」
立ち止まりすぎたせいか、八百屋の店員に声をかけられる。
「こんにちは。うーん、その手前で迷ってますね」
「なんだい、その手前か。おすすめだよ」
どうしようかなあ、と悩みつつも今年はまだスイカを食べていないことを思い出す。気になってしまったのは美味しそうだというのもあるけれど、数日前に寮でスイカが話題になっていたのもあったのだ。
ううん、と唸ってから春は店員へ顔を向ける。
「ちょうど食べ頃って、見分けられるんですか?」
「任せな」
重たい野菜や果物を日々扱うからだろうか、逞しい腕をした店員が快活に笑う。
お願いしますと言ってバッグから財布を取り出した。
寮の入り口で駆と出会ったのは偶然だった。
「あれ?」
「春さん、おかえりなさい。四限が休講になっちゃって」
「ただいま。駆もおかえり。そっか、それで早かったんだ」
「ただいまです。そうなんです。補講になると思うんで、スケジュール確認しなきゃってとこですね。……ところで春さん」
駆の視線が下を向く。
「それは、スイカですね?」
「スイカだねえ」
春自身も含めて食べ盛りの男子が十二人いるのだ、ひとつでは足りないだろうと春の両手はスイカで塞がっている。
頷いた春は同じように視線を下げた。
「ところで駆さん」
「はいっ」
「それは、スイカですね?」
「スイカですねえ」
駆と同じ言葉を繰り返した春に、春と同じ答えを駆は返した。
さすがに春と違って抱えたスイカはひとつだったけれど、あまりのタイミングに顔を見合わせ、ふたりで笑い合う。
「もしかして大通りの八百屋かな?」
「いえ、向こうのスーパーです」
「なるほど。だから会わなかったんだ」
同じ時間に帰宅したのに八百屋で会わなかった理由を知る。
二階の共有ルームへと向かいながら、みっつになったスイカについて駆と話し合う。
「春さんは、グラビとプロセラで一個ずつ買ったんですか?」
「そうなんだよね。ちょっと多いかなとも思ったんだけど。駆も、もしかしたら同じかな?」
スイカをふたつ提げた春を気遣ってくれたのだろう、共有ルームのドアを駆が開けてくれた。
ありがとうと礼を言ってから冷蔵庫の空き状況を確認したら、どうにかふたつ分は入りそうな余裕はあった。
誰かいないかと三階へ上がったが、今日のプロセラはちょうど全員出払っているようだった。
どうしたものかと考えてる。それぞれ一個半をわけあっても良かったのだけれど、冷蔵庫に空きはない。風呂場に水を張るのもどうかなと思う。
ふと横を見ると、駆がちょうど顔を上げたところだった。
「春さん、俺、一度やってみたいことがあって」
思いの外真剣なまなざしに、つい姿勢を正してしまった。
シャクリと音を立ててスプーンがスイカをすくいあげる。
熟れた赤い実は瑞々しい光を孕んで駆の大きく開いた口の中へスプーンごと飛び込み、消えていった。
「美味しいですよ、春さんも食べましょう」
並んで座る駆がスイカを飲み込んでから顔を上げる。キラキラとした瞳に春はよかったねと微笑んだ。
「それにしても、一度やってみたいことがこれとはね」
半分にカットしたスイカをまるまる食べたいだなんて、可愛い夢だ。
「スイカ半分独り占めなんて、なかなかできないでしょう?」
たまたま駆と春しかいない今がチャンスと、駆はためらいもなく自分が買ってきたスイカをまっぷたつにした。残りの半分は春の目の前に置かれている。
「確かにね。うちは大人数だし、実家でもやったことはなかったなぁ」
いただきますと手を合わせて春もスプーンを手に取った。
これだけ大きいと完全に冷やすのは難しいのだけれど、その分甘さが引き立っている。たっぷりと水分を含んだスイカはつるりと喉を通っていく。
「うん、美味しいね」
「美味しいですね!」
スプーンを動かす手は止めず、駆は頷く。
春も同じようにシャクシャクとスイカをすくい、口元へせっせと運ぶ。駆の頭くらいの大きさでも、半分まるまる自分で食べるとなるとかなりの量だ。美味しい、美味しいと言い合う声も途中から消え、ふたりして無言でスイカを食べ続ける。
ときどき春が視線を上げると、一心不乱にスイカと向き合う駆が見える。夢と言っていただけあって、幸せそうな姿にこちらも幸せになってくる。
始がいたら春以上に目尻を下げて駆を眺めたに違いない。
突然リズミカルに動いていたスプーンを持つ手が止まり、駆が顔を上げた。
「春さん」
「なに?」
「スイカ半分をひとりで食べるのって、ずっと夢だったんです」
「うん、良かったね」
「春さんとも一緒に食べられて嬉しいんですけど、でも……」
「うん」
駆が言いたいことを春は理解した。
けれど黙って続きを待った。
「でも、皆で食べた方がもっと美味しいかもって、思います」
ほんの少し瞳に混ざる淋しさは、けれど次にやりたいことをもう見つけてキラキラしていた。
「と言うわけで春さん、お願いがあります!」
スイカをあと四つ、プロセラの分も合わせてスイカを買いに行きたい。
駆のお願いは春の予想した通りの言葉だった。駆は自分でスイカを買うつもりだろうけれど、春としては単なる荷物持ちで終わらせる気はない。ここは年長者の財布が活躍すべきだ。
「もちろん。それじゃあ、このスイカを食べたら行こうか」
春の返事に駆は破顔する。
「はいっ! このスイカはスイカで、ちゃんと味わって食べてあげないとですね」
「そうそう。せっかくの美味しいスイカだもんね」
改めていただきますと声を揃えたふたりは仲良くスプーンを握り直す。
十二人がひとつのテーブルを囲んで半分のスイカを食べたその日の夜は、いつも以上に賑やかな食卓だった。