ゆうゆういんいん「上がっていくか?」
ヴァイアスを部屋まで送り届けると、彼は玄関先でそう言った。
ボクがひとりでラボを探検していると、彼の方から声をかけてきた。存外ユーモアのある相手で、いつの間にか夕方になってしまうくらい盛り上がった。遅くまで付き合わせたお詫びに、部屋まで送ったのだ。そして到着するなり彼に誘いを持ちかけられた。
「いいのかな? ここのルールよく知らないんだけど」
「構わねえよ。どちらにせよ、注意されたところで痛くもない」
どうしよう。
まさかここまで仲良しになっているとは予測できなかったぞ。厚意に甘えずとも、既に寝る場所は確保してある。仮の宿と言えど、帰らないとキルケが心配するかな。
改めて目の前のくたびれた大男を眺める。時間帯と年齢差を考慮しなければ、ただの親切なおじさんという風だが、さて。クツの爪先で床を叩いた。
「奇遇だね。ボクも話し足りないと思ってたんだ」
ドアをくぐった。
中は広めのホテル、手狭な住居といった感じであった。人の家を初めて訪れるときは探索したくなる。好奇心をマナーで抑えながら、落ち着きなくソファに座っていた。
「送迎の礼に、どうかな」
ヴァイアスの手には酒瓶とグラスがふたつ。
「子供を部屋に連れ込んだあげく酒まで勧めるなんて、キミって結構悪い人だったんだね」
「まさか俺が良い人間に見えてたってのかよ」
テーブルに氷、つまみをセットして、ボクの隣に腰を下ろす。
「いいや全く。キミはボクが良い子には見えないのかい?」
ボクはグラスを掲げる。
「いや、まるっきり」
ヴァイアスが酒を注いだ。
木の色をした酒だった。水面に鼻を近づける。暴力的までの発酵と穀物の芳香。
「かなりキツいぜ。無理そうなら薄めて……」
ぐいっと一口、舌の上で転がして喉にくぐらせる。鼻腔いっぱいに酒気で満たされる、消化管が焼ける感覚も慣れたものだった。
「……必要ないみたいだな」
ヴァイアスは苦笑して杯を傾けた。
「そういやこないだ、リウビアと何を話してたんだ」
「リウビア? えーっと、あの背の高い青菜みたいな頭の人だね」
「ハハ、青菜ね。そう、そいつだ。どんな奴だと思った」
会話の内容、彼の表情と動きを、まだ精細な頭で思い出す。ついでに酒を口に入れる。
「つまんない人」
「手厳しいな」
「これ以上ないショックだよ、なんせボクのジョークがちっともウケなかったんだからね」
あの曖昧な微笑が夢に出るかと思わされらくらいだ。
「アレコレ質問しても、平均の上澄みのような回答しか返って来なかったし。友達の少ないタイプだね」
「あんた意外と批評家タイプなのかい」
「と、まあ客観的な評価は別として、ボク個人としては面白い人だと思ったよ」
つまみを齧る。輪切りのサラミは塩気が効いて、痺れた舌に丁度いい。
「あの人は自分の内的な部分は必死に隠してるように見えた。仮面の裏がどうなってるか、気になって仕方ないね」
「若いなァ、若くて怖い」
ヴァイアスは自分のグラスに氷をひとつ入れた。
「ボクからも質問いいかな」
「プライベートに関わらねえことなら」
「リウビアさんとどういう関係なの?」
初めて会話が途切れた。彼は饒舌な方ではないが、こちらの発言には一言以上返してくれる。かなりセンシティブな話題を持ち出してしまったようだ。
「答えたくないと言ったら」
「まだ中身のあるこの瓶で殴っちゃうぞ。ラベルを上にして、側頭部の辺りを」
勢い付けて立ち上がって、切っ先を向ける。
「その小さい体でかい。上手い冗談だ、リウビアが笑わないのも納得だな」
「むう、気概は買っておくれよ」
酒瓶をテーブルに戻して、ソファに体重を預ける。急に動いたせいで動悸がひどい。
「というかこの部屋あっつい!」
上着を脱ぎ捨てる。腕の内側がもう赤くなっていた。いつもより酔いが回るのが早い。
「リウビアは……」
ヴァイアスは片目をつぶり、もう一方の視線は虚空に投げ出していた。
「ただの友人だ」
「ふーん……」
ホントかなァ。ちびり、とまた一口啜る。美味いけど、ちょっと雑味が気になってきた。
いつの間にか、ごく自然に右手にヴァイアスの手が重ねられていた。つまみを取るフリをして抜け出した。
「あんたは、いつも『こう』なのか?」
「こう、とはどういうこと」
「色んな奴に話しかけて、いろんな場所に立ち入って」
「いろんなことが気になっちゃうんだよね。どうしても」
「いい趣味と言えねえなァ」
「趣味というかほとんどライフワークだね。我が人生好奇心と共にあり。ヴァイアスにはそういうのないの?」
ヴァイアスはボクの肩に腕を回して、ぐっと身体を引き寄せた。頬に胸が当たる。
「俺は今、あんたが一番気がかりだ」
困ったなー。
一応ボクはいま男になっている。博士の技術のおかげだ。幸い太腿の性別を象徴するそれは何の兆候も示していない。
別にそういうことに抵抗はない。ただ簡単に一線を越えるほど軽薄でもない。コミニュケーションの一環といえど段階を踏むべきだと思う。
ぐびりぐびりと酒に逃げる。
なンでこういうときにジャギーちゃんとイタルくんの顔が浮かぶんだろ。
ヴァイアスがまた何か囁く前に、アルコールの回る頭と手足で、ボクは______
「ごめんね。結局泊まっちゃった」
支度を済ませて玄関先に立つ。電灯がついてるから、たぶん朝なのだろう。
頭に鈍い痛みがある。柄にもなく飲みすぎた。酒は身を滅ぼしも助けもする、昨夜の出来事で痛感した。
「また遊びに来いよ」
ヴァイアスが見送ってくれる。ニヤついてんじゃあないよ。
「Maledetto!二度と御免だよ!」
ボクはドアを叩き閉じた。