コピアルクと映画の共通点
「今日見るのは何てタイトルだ?」
「えー、『セクシーイカVSギークボーイ』だってさ」
「期待できそうだ」
ディスクを再生機に読み込ませ、ソファに戻る。拳一個分開けた距離が丁度いいと感じる程度には、私はヴァイアスに気を許していた。
テレビの画面には、雑な作りの学校で棒読みで喋る学生たちが平和な日常を送っている様が映し出された。エキストラの数が異様に少なく、セットの作り込みも甘い。最近の子供たちのことは分からないが、自分が学生の頃はこんな会話はしなかった。あらゆる工夫や意図が空回りしている。
私は低品質な映画を見るのが好きだ。きっかけは、退屈なラボの日々に耐えかねて、創作物が執着を満たす代替にならないかと手を出してみたことだ。ゲームの類は得意ではなかったし、仕事で散々書類に向き合っている他で文字を読む気にもなれなかったので、ただ見てるだけで物語をなぞれる映画を選択した。
結果としては、作られた反応では私は満足できなかった。しかし、別の充足感は得ていた。それは作った者への共感だった。見る人の感情をどう動かすか、どう反応を引き出すか、そんな執着にも似た意図に自分を重ねた。映画の出来が酷いほど、製作者の必死さを感じて好ましかった。
「いまの子、君に似てたね」
「そうか? 自分じゃわからねぇな」
「いやらしい目がそっくりだよ」
同じタイミングでグラスに手を伸ばす。ヴァイアスのグラスにはビールが、私のには炭酸水が入っていた。
彼とはたまに、こうして一緒に映画鑑賞をしている。彼も映画を見るのが好きだと判明したときは驚いたが、よく考えてみれば自明だ。こんな虚無で無味乾燥な場所ではそれくらいしかすることが無いだろう。お互いに面白そうな映画を見つけては、彼の部屋に集まった。
画面は間延びした説明パートに入っていたので、横目でヴァイアスの姿を一瞥する。
私は大きいものを無条件で可愛いと思ってしまうが、彼もその範疇に入っていた。愛嬌のある顔立ちや妙な馴れ馴れしさも相まって、とても愛らしい生き物だと思わせられる。
彼はラボの中では貴重な、発話と傾聴のバランスが取れている人だ。何を言っても一言以上返ってくる。乗れる話題の範囲も広い。私はあまり人の話を真剣に聞かないのだが、ヴァイアスの話は割合ちゃんと聴いている。
出会いは最悪だったが、いまでは他者との交流に飢えている自分にとって有難い存在になっていた。
ただ欠点を上げるとすれば、少々こちらの嗜虐心を煽りすぎることだろうか。枯葉のような色合いや大きさのわりに薄い体が、脆さを連想させていけない。不意に弱く柔らかい面を見せられると、抉りたくなってしまう。彼はキズ持ちとしては回復力も生命力もある方ではないし、何より上司の担当の被験者を壊してしまう訳にはいかない。
我慢とはエゴロワ・ロンウェーが最も苦手とする行為だ。昔から衝動的な性格であるし、キズ持ちになってからより顕著になっている。
だというのに、こちらの気を知ってか知らずしてかヴァイアスは何度も私を求めてくる。向こうは性に関する執着をもっているとはいえ、結構な頻度で誘われるのは困る。性行為の延長線上で、傷を負わせる可能性は充分にあるのに。
他の人たちよりはポジティブな反応が芳しいから、なんとか我慢できてはいる。しかし、ひとつ道理を得てしまえば私はきっとやる。友人を傷つけるのは本意でないので、そんな日がこないことを願うばかりだ。
少なくともそれは今日ではないことは確実だ。ヴァイアスはときおり言葉を挟みつつ大人しく隣で鑑賞している。最初の頃は案の定視聴中にちょっかいを出されたが、徹底的に無視を繰り返していたら何もされなくなった。こちらに投げられる視線の頻度が多いのは、温情で許容している。
それにしても暑い。白衣を脱ぎ、下は緩めのスボンに履き替えたものの、背中と腿の裏にこもる熱気が辛い。
「ごめん。もう少しだけ暖房弱くして」
「もう一枚薄着になってもいいんだぜ」
画面が目を逸らさずともニヤニヤ笑っているのが分かる。
「では君の目を潰してから脱ごうかな」
「二度とあんたの面を拝めなくなるのは嫌だなあ」
ヴァイアスはエアコンのリモコンに手を伸ばした。気休めにしかならないだろうが、熱中症になるよりマシだ。
ヴァイアス・ウェインは低温耐性がない。冷えた缶コーヒーを素手で持たせたら取り落とした程だ。キズ持ちの奇妙な体質変化のひとつだろう。キズ持ちは通常、人間よりは体は強くなる傾向にあるが弱体化する場合もあるらしい。私としては、キズ持ちなんてロクでもない生き物は弱くなってもいいのにと思っている。
彼の体の熱伝導に関する実験がしたいと言ったことがあるが、リウビアさんに却下された。あの人はヴァイアスのことを大切に扱いすぎていると思う。被験者なんだから、壊さなければどんな実験をしてもいいだろう。特別な関心でもあるのかな?
奇妙な体質といえば、あの力もそうだろう。強制で他者と性行為に及ばせるあのフェロモンのような力。私は初めて会ったその日に使われた、節操なしにも限度がある。私の執着は他者に関する欲求であるから、そこを書き換えられるのはかなり不快だった。というか私は人から強制されること全般嫌いだ。自分で納得して許容したことしかしたくない。
とりとめのないことを考えてはいるが、映画はちゃんと見ている。いまはイカの触手が派手な女生徒の首を折ったところだ。こんな薄味の作品に対して考察や感じ入ることなどない。映像を処理するところとは別の、暇な脳の領域を動かしているだけだ。
白髪の教員が粘液をまとった触手に絡みつかれた。腹を締め上げられ、苦悶の形に顔を歪めている。
リウビアさんに似てるな。そう思えど口には出さなかった。
つい思い出してしまう。リウビアさんが私の部屋に来てくれて、キズを使っていたけどつい耳を弄ってしまって。リウビアさんのあの声、顔、腕の中で硬直する身体。あの時の私は、珍しく性欲が鎌首をもたげていたのだろう。誘われてもないのに自分から手を出してしまった。私のキズの作用でふにゃふにゃしてるだけでも可愛いのに、耳を舐めただけであんな反応されたら。嫌でなければまた相手してくれないだろうか、もっと溶かしてやりたい。
そこで思考を止めた。他の人がいるときに変な気分になるのは良くない。特に、少年がギークな知識を駆使して巨大イカと戦うような映画を見ているときは。変な性癖持ちだと勘違いされるかもしれない。
その後はホバー移動するイカのCGに疑問を投げたり、脈絡なく挿入された濡場に口出ししたりしながら淡々と鑑賞した。
どんな酷い映画でも時間が経てばラストに向かう。クライマックスの気配を感じ取り、私は腰の位置を直した。ベターな展開をベタベタに重ねて、王道を踏み外して足を挫いたようなストーリーだった。実に満足の行く拙い出来だ。
体が真横に傾いた。何かが乗っかっている。寄りかかるというレベルじゃない、完全に体重を掛けられている。
「ぐえ……。重いよヴァイアス」
退く気配がない、返事もない。仕方なく私はキズを出した。ヴァイアスの体を起こし、向こう側の肘掛けに頭を乗せた。
腕がだらりとソファの座面からはみ出す。寝てしまってたのか。
寝顔は実に心地よさそうで、まだ赤い頬が酩酊気分そのままに眠りこけていることを表した。
どうして人間は、キズ持ちも眠るときは目を閉じるのだろう。どうしてほとんどの活動を休止してしまうのだろう。どうしてこの人は、私が起きている横で眠れるのだろう。
左手をヴァイアスの首に添えた。親指に力を込め、気道を潰すように締める。じわじわり、と表情が険しくなっていく。夢の中でも首を締められているのかな? もしかしたらイカの触手に襲われているかもしれない。
ヴァイアスの首は太くて片手だと少し厳しい。私は右手をポケットにしまった。左手も離す。いつの間にテレビの画面はエンドロールを映していた。
危なかった。よくぞ自分で我慢できた。あとちょっとでリウビアさんに怒られるところだった。尊敬する人に怒られるほど辛いことはない。その尊敬する上司の指を折ったことはあるわけだが、怒られてはないので特に反省はしない。
再生機からディスクを取り出してケースにしまい、テレビの電源を消した。
キズでヴァイアスを持ち上げ、寝室に行く。ベットに寝かせ、毛布をかけてやった。眠りを妨げなかったか顔を覗き込んで確認する。また催すと困るのですぐに目を逸らした。
ちょっと考えてから、私はヴァイアスの隣に寝転がった。毛布はかけず、枕に頭を乗せて。起きたら喉がガビガビに乾燥してそうだな。またとりとめのない思考に耽りながら、私は眠りに落ちていった。