過劇「げェ」
「よォ」
いた、ヴァイアスが。
今日も今日とてラボを冒険していると、二番目に会いたくない奴に出くわした。
「随分な挨拶だな。外で流行ってるのか?」
「この嗚咽は苦手な人用です」
談話室にはボクらの他には誰もいない。空いた席に座るのも癪なので、ヴァイアスの斜め前に立ったままでいることにした。
「あの夜のこと忘れたのかよ。あんなに求め合った仲だろ」
「あのようなこと記憶から消したいよ。一方的だろ」
ボクは人を観る目には自信あったけど、男を見る目はないかもしれない。
「また付き合ってくれないかい。もっと良い酒を用意する」
「断る。基本的にボクは女の子の方が好きなんだ。お酒だって節制する」
ヴァイアスは何が可笑しいのか、乾いた笑い声を上げた。
「ツレねえな。寿命を待つだけの老いぼれの退屈を慰めてくれよ」
「娯楽が酒と肉体しかないの?」
「否定できないのが悲しいな」
「ここの環境じゃあ仕方ないねえ」
お互い頷くように溜息を吐く。
「ヴァイアスはここから出たいとは思わないんだ」
青白い照明に沈む男に問う。
ラボには面白い物、人がたくさんある。でもほんの少し、ふとした瞬間、気が滅入る。白い壁と天井が安心以外のものを押し付ける。
「ないな」
即答だった。常日頃から用意していたような答え方。
「俺にはもう無いよ、自由も居場所も」
ボクは考えた。考えたのだ。偏見を持たぬよう意識はしている、否定から入らぬよう留意している。何度も論理と文法をほどいた。それでも結論は。
「何言ってるの、キミは自由でしょ?」
ヴァイアスの開いた目と口が、理解不能と訴えていた。間抜けな顔、ボクも同じ気持ちだよ。
「物理的に縛られてるのでもあるまいし。キミの手足は頭は口は、動かせるんだよ」
両腕を広げ天を仰ぐ。ヴァイアスは苦々しく微笑んだ。
「被験者はラボからは出られない。そう決められてる」
「規則で定まってるからやっちゃいけないワケないじゃん」
不可能だろうと断行は可能だ。
「破ったペナルティは後からついて来るものでしょ。従わされてるんじゃなくて守ることを選択しているだけなんだよ」
何も言わないので続ける。
「居場所がないってのもよく分かんないな」
首を傾げる。片足を離して体を傾ける。
「居場所ってのは居ても良い場所じゃなくて、いま居る場所だよ」
しまい込んでいたカードを吐き出す。
「今のキミの居場所はボクの前だけど、本当は誰の隣にいたいんだよ」
さあ教えておくれ。
上位者の上位者らしくない表情が浮かぶ。彼のあの顔を見たとき、好奇心が疼いた。彼らの想いと関係に明確な回答がほしくなった。
ヴァイアスは俯いて、両の目を手で抑えた。
「眩しいなァ……」
絞り出すように呟く。
その姿があまりにも侘しくて、枯葉のように吹けば消えそうで。
「……喋りすぎた。ごめん」
頭皮に爪を立てる。
「若者の青い言葉は無視してくれよ」
ボクなんかが人の想いに口出ししてはダメなんだ。そう決めていたのに。
「いや、あんたは間違っちゃいないさ。ただ……」
ただ?
「あんたの光は俺には障る」
談話室を後にした。
「カルロくん」
「キルケ」
一番会いたくない奴が現れた。
「良い紅茶と菓子が手に入ったんだ。茶会をしよう」
「やった。キルケの入れる紅茶は美味しいから」
悔しいが。
「はは、嬉しいなあ。……どうしたの、早く行こう?」
意識せず内に立ち止まっていた。ある疑問に強く気が向いていたから。
「ねえキルケ」
「なあにカルロくん」
「ボクの存在は人にとって毒かな」
キルケの口角がニィと伸びた。
「劇薬だよ」
そうか。あれは副作用か。
「だからキミは爛れてんだね」
ひどいなあ、とキルケはカラカラ笑う。
「……僕はカルロくんの傍にいたいな」
「知ってるよ、盗み聞き野郎」
キルケを追い越して歩を早める。
「カルロくんは何処にいたい?」
足音と声が追ってくる。
「ボクは、まだ見ぬ場所に立ちたい」
歩くことすら叶わぬ日が来るまで。