アダムの肋骨 太陽の光は燦々と照りつけ、優美に、丁重に整えられていることがよくわかる蔦が絡まる四阿には白い薔薇が身を誇っている。次元はルパン帝国に買われたも同然の成り行きでこの都にくるまで、全くと言っていいほど縁のなかったものの中でどのように振る舞っていいものかもよくわからない。銃を持てば月の光よりなお冴える少年だが、生憎と、銃が必要な場面ではなく、四阿に案内してくれている女の背を追う彼の目には、年相応の不安が反射していた。
「三世、いるのはわかってますよ。あなたはお父様のお言葉、きちんと聞いてらしたんですから」
どこか絵画のような四阿に、現実に存在する女の声が響くのはどこか妙な感じがすると次元は思う。斑類たる犬神人、その重種。おそらく最後のニホンオオカミの魂現を持ち、父から名を継いだ怪盗アルセーヌ・ルパン二世その人に魂現を理由に買われたことにすら何故、何故、が反響する。そんな次元に構うことはなく、次元が会うべき相手のお目付役だという女は四阿の天井に向けて声を放つ。
いい加減になさい、三世。三世、と呼ぶ声の鋭さに、ようやく血が巡り始めたように次元はなんとか現場を把握し始める、
天井から軽やかに、薔薇の四阿に備え付けられた椅子へ着地した少年は顔貌の造形自体には愛嬌が多いにあるのに王者のマントのように纏う不機嫌のせいで何処か冷たく見える表情をしていて、そんな少年の香りが次元の鼻に届くと鋭い、今まで感じたことのない衝動が次元に生じて、けれど危ういところで次元はようようそれをいなす。
「三世、ブリーリングの話は聴いているでしょう?」
「やだね、重種同士は懐蟲を使おうが孕みづらいことくらい知ってるさ。それに、ボクは孕みたくもなければ納得もしてない」
「あなたの意志はさほど関係ありません、ほら、名乗って」
息を吸って吐くごとに、信じられない恍惚を呼ぶ香りが次元の肺腑を満たす。薔薇ではない、もっと芳醇で、もっと危険で、後戻りなんて許さない峻峭がそこにある。
よろしく、と次元は名を名乗って手を伸ばす。伸ばされた手にルパンの名を持つ少年は鼻を鳴らして、相手にしようともしない。お目付役の言葉も聞こうとしていないから、よほど気に触ることがあったのだ、ということは次元にも理解できた。
「次元、お前ブリーリングの意味知ってるの?」
「少しは、種付けをする側になってもらう、とは」
「ならお前、ボクのこと抱けるの?」
ふと、薔薇の四阿へ花を散らす強さの風が吹き付ける。抱けるのか、次元は値踏みする年下だろう少年の前にひざまづくと、その手をとって自らの頬へと当てた。
「できる」
「……見ず知らずなのに? 大層な経験がある色情魔ってこと?」
「わからない、経験……はない、はらむのも、はらませるのも」
ならなんで、と声に怒りを滲ませた少年の手に、次元は思わずキスをして、した瞬間に引っ叩かれた。痛む頬を庇いながら、次元は言葉を選んで答えを放った。
「オレと子供を作ってくれるのなら、他の誰でもないアンタと、がいい」
「……は?」
肌を嬲る、夏で鎧った風が吹く。そっと、拳の形に握られた手を次元は何度も撫でる。安心してくれ、酷いことは何もしたくない。そんことばを与えるように、次元はルパン三世の手を握る。
この時の、花の季節は薔薇の時期だった。それが永劫忘れがたい記憶として何十年も残ることは、次元は想像してすらなかった。握った手のひらの温度は高い、騎士のような、夫となるもののような、どこか敬虔な口づけを落とされた手を振り払って、突然吹いた強い風に次元が瞼を閉じると、すでにルパンは消えていた。
残り香に酩酊しそうだ。そう思いながら、体の奥の鈍い灼熱に、次元は少し、切羽詰まった吐息を吐いて、四阿から離れた。銃が撃ちたい、そう思おうとしても、思い出す香りに脳の全ては支配されていて、ルパン、と、まだ彼だけのものでない名前と一緒に、次元は風より熱い吐息を吐き出した。