Golden Slumbers ――これは夢だ。真島はごく冷静に思考しながら、カラの一坪らしき場所でマキムラマコトと傷ついた立華鉄が、互いに涙を流しながら抱き合っている。もう離れない離さないとばかりに互いの温度を感じあい、言葉を交わす兄妹を、真島は少しはなれた場所から見ていた。聞きなれない異国の響きを持った言葉で、立華はマコトを呼ぶ。おにいちゃん、お兄ちゃんと降り積もっていた切望と感情があふれかえる声で、会いたかったあいたかったと言葉を交わす。たった少しの運命の作為のせいで、無残に千切られたマコトの心は癒えはじめていると、真島は感じた。けれど美しいこの夢は、何処までも残酷だった。振り向くな、振り向いてくれるなと真島は念じる。現実はこうならなかった、立華は拷問の末に死に、マコトは兄と言葉を温度を交わすことは叶わなかった。覆せない現実を侵食するように、優しいだけの夢が早く終われと願うことしか出来ない。
ふと、マコトが振り向く。真島のほうをさして、お兄ちゃんあの人が私を助けてくれたんだ。あの人の名前は――。
マコトの声が真島にとどなかったまま、場面が切り替わる。倉庫で、ソファで膝を抱えて一人泣いているマコトが真島の目の前にいる。夢であっても、真島はマコトに手を伸ばさない。首を振ると、今はもうないまとめた髪の束がスーツに包まれた背をすべる感覚があった。真島はすすり泣くマコトの方に伸びそうになる手を、かたく握り締める。それでも嗚咽して、ただ静かに泣くマコトに伸びそうになる手を、真島は手首を掴んでひきとどめた。夢であったとしても、マコトに触れることを真島は自分に許さなかった。倉庫の温度すらかんじる夢の中、彼女に触れれば感じるだろう温度を求める手を自分の意思で否定する。あの騒乱の一幕、刹那でしかないあの瞬間に感じた既に薄れつつある手の温度だけを永遠に抱える事を選んだのは、ほかでもない真島自身だ。
マコトは泣き続けている。ほんの些細な悪意を見抜けなかったせいで、今は何処へでも飛び立てる翅を千切られた蝶のような女が泣いている。骨がきしむほどマコトに伸びようとする自分の手を、真島は強く握る。現実の彼女は、白の世界に戻った。あらゆる手に押し上げられ、真島はその背を押しすらして。未練か、と真島は自嘲した。薄れる温度が霧散してしまうのを、いまさら恐れてでもしているのか。
マコト、と殺しきれなかった声が喉から漏れる。ゆっくりと膝からあがる濡れたマコトの顔を見て、真島はその身を衝動的に抱きしめていた。生命としてここにある鼓動を感じる、首に手を当てれば、血液の脈動すら感じる。マコトが真島の背に手をまわす気配がする。夢ならさっさと覚めてくれ、と真島は思った。この温度に溺れきってしまう前に、鼓動と脈動を二度と手放したくないと、思う前に。
ふと、また場面が切り替わる。真島は視線だけを動かして自分の姿を見る。白いスーツ、背を撫でる髪束の感触はない。祭壇まで一直線に伸びる赤いカーペットの上を勝手に足が動き、腕を組んで一緒に歩いてるマコトの顔は、顔を覆っているヴェールのせいで曖昧になっていた。病めるときも健やかなる時も、誰もいない祭壇から声が響く。瀟洒で巨大なステンドグラスで出来たマコトと真島のほかには誰もいない空間に、荘厳な声だけが響いている。誓いますか、永遠を。その声に、真島は。
「ねえ、大丈夫? 寝ちゃったの?」
真島はまぶたを開けないまま、また場面が切り替わっていることを察した。冷たいが涼やかな空気、真島は自分が折りたためるアウトドア用の椅子に深く腰掛けていることを知った。横で、マコトがふうふうと何かに息を吹きかけているのを感じる。ああ、淹れてやったコーヒーがあんまりにも熱かったか、と真島の頭にそんな言葉が浮かぶ。
「起きて、そろそろ流星群が降る時間になるよ。――私がどうしても見たいってわがまま言ったから、怒ってるの?」
真島はあえて返答しなかった。マコトはあきらめたように、うつむく気配がした。夢やったらもういい加減に覚めろや、いつまでこんな。そう考えているさなか、マコトがあ、と声を漏らした。ねえ起きて、起きて起きて。しし座流星群だよ、一緒に見よう。マコトが真島を揺り起こし始めて、真島はとうとうあきらめて目を開けた。すでに幾千幾億の彗星が夜天を埋め尽くして最期の光を放っている。燃え尽きるおしまいしか存在しない星々を背にしたマコトを、まぶしくてたまらないような仕草で目を細めて真島は見つめていた。あ、やっと起きた。ねえ立って、一緒に見よう。操られるように、真島はその手に従っていて立ち上がった。空を埋め尽くす断末魔の光が、今は光を取り戻したその瞳に映りこんでいる。真島は目をそらして、マコトに握られた手を握り返さない。
それがこの夢に対する真島にできる、最後の抵抗だった。