c'est la vie 揺らめく視界、それに揺蕩っていると、マッドドッグは街の入り口に立っていた。跨っていたはずのディオはどこにもいない。けったいな事柄に巻き込まれたのだとマッドドッグが気づくのにはそう時間はかからず、とりあえず情報収集だと待ちに一歩踏み込むと、鋭い銃声と鈍い断末魔がやけに静かな街の空気を揺らがせた。
マッドドッグは決闘の場へゆき、思わず息を呑んだ。鈍い金の髪は整えられている、そして格好は見慣れきって残影さえ見るあの煤けたポンチョではない。
どんな悪夢だよと思わず口にしたマッドドッグは、保安官のなりをしたサンダウン・キッドに視線を注ぐことしか、できずにいた。
◇◇◇
「よう、酒を一杯くれ」
「い、いらっしゃい。お、お、お代はいいから」
「あ? 商売してんだろあんた」
「ま……保安官殿が全て支払ってくれるんだ。街の人の分も、旅人の分も」
「……そうかい、ならそいつに甘えるとするかね」
マッドドッグは比較的酒精の弱い酒を注文して、酒場の空気を探る。町民だろう人間は無数いるが、満員に近い酒場には不自然な緊張感がある。酒を舐めるように飲む男には怯えがあり、酒を何杯も煽る男には明瞭な不安があった。
マッドドッグはなんとなく、ここは自分のいた荒野でないことに気づいた。己の荒野とするにしては、サンダウンの様子がおかしいのだ。水の都合で不本意ながらサクセズタウンにもう一度赴いた時、マッドドッグは保安官からサンダウンのあらましを聞いた。腕の立つ保安官であったこと、それゆえに街の秩序が壊れ全てを捨てて荒野に身を投じたこと、その全てを。
「なあ、あの保安官の名前は?」
マッドドッグは怯える店主から半ば強引に言葉を引き出す。聞きなれない名前と、魔王というあの保安官を指す言葉に宿る悪感情にマッドドッグは言いようのない不快を感じた。
ひとつも乱れのない規律の体現者であり、規律を外れたものは町民であれば相応の罰を授け、無法者であればその腕でもって墓場へと誘う。かわいそうなこってとつぶやいたマッドドッグに、店主はそうだろうと忙しなく声を上げたが、言葉の宛先が勘違いされていることに、気づいているのは生憎マッドドッグ一人だけだった。
◇◇◇
宿を取り、マッドドッグは愛銃の整備をしていた。あのキッドはマッドドッグの宿命ではない。だが、マッドドッグをこのイカれた街に呼んだのはあのキッドであると、マッドドッグには確証のない確信がある。
夜風にあたろうなどという、適当な理由をつけてマッドドッグは銃をホルスターに入れて宿を出た。そしてその足を、無法者の墓場へと急かす。
墓場にはいっそ重苦しい静謐があった。そして、一人墓場の穴を掘る男に月光はささない。
「よお、保安官」
「………………」
「酒場の礼を言いたくてなあ、一人か?」
「……見たままだ」
「へえ、そうかいキッド」
保安官はスコップを地面に刺して「それは私ではない」とはっきりとした声を放つ。ならお前はなんだと言ったマッドドッグの言葉に赤く染まった目が値踏みをするように数度瞬いて「私は魔王だそうだ」と守るべきものに、守っているものに死を望まれる男は静かに言葉を紡ぐ。
決闘を望んだ保安官の言葉をマッドドッグは突っぱねなかった。同じ声だったせいだろうか、そこ宿るらしくない懇願が、マッドドッグの宿命とは決定的に違う存在であるのにマッドドッグをうなづかせた。細い月の光はひどく頼りない。マッドドッグは保安官の作業をしばらく見守っていた。己の墓を掘る男の顔を、目に焼き付けるために。
◇◇◇
心底を貫くような太陽が、邂逅などしないはずの二人を射抜く。所在なく転がるタンブルウィードがマッドドッグの視界を掠め、決闘の行方を見守り固唾を飲む町民の顔には、いっそ醜悪な感情のひび割れが幾重も走る。
魔王。そう呼ばれる保安官の顔は、マッドドッグがキッドと呼ぶ賞金首と、違う諦念違う眼力こそたたえていたが、双子のような、マッドドックの宿世と鏡合わせの男は、至極冷たい、どうせを孕んだ視線をマッドドッグへ注いでいた。
「……人が信じられねえか? キッド」
「……ずいぶんと、「私」を気安く呼ぶものだな」
「へっ、なんだよただのおしゃべりだろ。それともなんだ? 俺に負けるのが怖いってのか」
褪せない憎悪で染まりきった赤い瞳の本当の色を、マッドドッグは知っている。憎悪に染まらなかった姿さえ、知っている。
一つ間違えれば、マッドドッグの知るサンダウンキッドも魔王と化していたのだろうか。この燃え盛る夕日のように、異なる理由でたましいを焦げ付かせたのだろうか。
けれど、けれど。そんなことはマッドドッグには関係がない。追うべき宿敵、獲るべき首。憎らしくもおおそよ全ての感情を注いでしまう男は、目の前のサンダウンではない。
マッドドッグは男に背を向けた。それで全てを察した魔王と呼ばれるに相応しい存在となった保安官もまたマッドドッグに背を向け、一、二、と声を出して枯れた土を踏み締める。六つ、その声が空気を揺らしたその刹那、高らかな蛮声が一つ響いたと町民たちは錯覚した。そして荒野に倒れ伏した者の名を、町民たちはうわずった声を出して呼ぶ。解放されたんだと喜びに満ち満ちた声にマッドドッグは背を向けて、街から離れるために足をすすめる。
歪であったがゆえに強大な守護者はもうないことには、後から気づけばいいだろう。せいぜい代わりの保安官が来るまでに、一時の花の爛漫を謳歌すればいい。キッド、と呼んだ声のか細さは、マッドドッグ自身が鼻で笑った。視界が揺らぎ、街は消え、目の前にはディオがいる。行くぞと言って、またがった愛馬を急かしながらマッドドッグは燃える夕日を睨みつけ、宿命と決めた男の足跡を、夕陽の光の跡を追う。
全てを憎んだくせに力を使う理由が正しすぎたんだよ、あんたは。そう唇からこぼれた言の葉は、大地に伏した魔王へのひどくささやかな墓標であった。