ドン・サウザンドに関する考察ドン・サウザンドに関する考察――愛着と怨恨は表裏一体――
@Kalut_31640227 月城 衛
紅き世界を統べる邪神ドン・サウザンドは、実は愛情深い神だったのではないかと思う。というのも、彼が用意周到な計画を練り長い年月をかけてまでアストラル世界を滅ぼすことに執着していたのは故郷への愛着の裏返しであるように見えるのだ。
例えば、特段気に入っているわけでもない土地であれば、ある日突然そこから追放されたところで恨みなど抱きようもなく、精々「新天地で心機一転頑張ろう」と思うのが関の山だ。また、酷い仕打ちを受けた果ての追放であったとしても、「つらい過去のことなど忘れて自分の人生を取り戻す」と意気込むことはあれど、せっかく逃げ切れたのにわざわざ危険を冒してまで復讐を実行することはないだろう。要するに、わざわざ壮大な計画をもって復讐を実行するというのは、復讐の対象への強い執着がある証拠といえる。
信じていた者に裏切られた場合に傷つく度合いに関しても、さほど情(信頼・友情・家族愛・恋愛問わず)を抱いていない相手に裏切られるよりも強く情を抱いていた相手に裏切られる方が大きいわけで、壮大な計画が実を結ぶまでの長い時間の中でさえ消え入ることのない慢性的な怨恨が根を張り続けるのは対象への強い愛着ゆえと考えられる。
彼の故郷・青き聖地アストラル世界では数千年前にカオス(自分のために生きる欲望の力)を排除する動きがあり、カオスを持つ者たちが追放された結果紅き世界・バリアン世界が形成された。彼もまた当時アストラル世界から追放された者の一人と考えられるが、皮肉にも高みを目指そうとあらゆる欲望を切り捨て続けたばかりにアストラル世界は衰退の一途を辿っていた、つまり彼が手出しせずともいずれは自滅していたはずで、自らの手を汚さずとも故郷から追放された過去に対する報復は果たせていたに違いないのだ。それでもなお彼自身が舞台へ上がったのは、それほどまでに故郷とかつての同胞たちを愛していたゆえに彼らの裏切りを許せなかったからなのだろう。
ドン・サウザンドの最期の決闘で宿敵・アストラルを殺す好機を青き聖地の守護神・エリファスに妨害される局面があったが、数千年来の復讐を妨害された割にはエリファスに対する彼の反応が薄かった。これについては、エリファスが青き聖地の民衆の意志に縛られた哀れな
傀儡であることを知っていたからこそ、エリファスのことはさほど恨んではいなかった(かといって特段好意的な感情を抱いているわけでもなかったが)と考えられる。
一方で、アストラルを殺すことは彼の中で青き聖地を滅ぼすことと並ぶ重大な目標であった。アストラルもエリファスと同様民衆の意志に従順な作り物であったはずだが、やはり直接対峙し彼を封印した張本人であることが関係しているのだろう。民衆に操られ玉座へと祀り上げられた空虚な飾り物の王であったエリファスとは異なり、アストラルは民衆の意志を背負い紅き世界とドン・サウザンドを襲う兵器、つまり民衆がカオスへ向けた敵意そのものであったことを鑑みれば、ドン・サウザンドの復讐心が青き聖地とその刺客であったアストラルに向かっていたにもかかわらず青き聖地を統治していたエリファスには無関心だったことも頷ける。アストラルこそが、ドン・サウザンドの愛した同胞たちによる裏切りの象徴だったのだ。
以上から、ドン・サウザンドは愛情深く、それゆえに裏切りに対しては人一倍恨みを募らせる性質があると考えられる。万が一彼の親友あるいは恋人になることを望む者がいるのならば、私は彼らに忠告しよう――彼を裏切ることなかれ。反転した情は、諸君の首をじわじわと絞めつけ惨たらしい死へと至らしめる真綿となるだろう。
≪終≫