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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    マドモアゼルは困惑する 彼女はここ最近の仕事の多さにぐったりとしていた。今日もそうであったのだが、普段の仕事であるオンボロ寮の管理はもちろんのこと、なぜだか学園の清掃まで押し付けられてしまって。だって特別報酬として日払いで御給金をもらえると聞いたら、断らない手はない。学園に来て二週間目、彼女はそろそろメイク道具も満足にそろわない現状にストレスが溜まっていた。
     ユウがフェイスパウダーとアイシャドウ、アイラインとリップは持っていたから借りているが、それだって申し訳なくて、情けなくて。一体どこに、子供からを化粧品を借りるいい大人がいるというのか。ここに居るんだけれど。
     昨日までの休日を返上して(とは言っても業務内容的に休日なんてあってないようなものだけど)、丸二日連続で行った学園の清掃のおかげで、なんとか一揃えは揃えることができた。そうなってくると今度は服やクツ、カバンなんかもほしくなってくる。あぁでも、と彼女は脳裏に浮かぶ笑顔を想った。
    「……今日は奮発しようかな」
     昨日も来たばかりではあるが、サムの店での買い物。彼女はツナ缶と少しお高いショートケーキを三ピース買った。これでいいのだ。むしろこれがいいのだ。彼女は奇妙な満足感に満たされながらサムから商品を受け取った。
     人生でこんなに特別なケーキは、きっと小さい時のお誕生日ケーキくらいなものだ。彼女はこっそりと微笑みをこぼした。
    「小鬼ちゃん、今日は素敵なディナーになるね」
    「ありがとうサムさん」
     ぱちりと小憎たらしいウインクを安売りするサムに彼女は苦笑を返す。この学園は右を見ても左を見ても美形ばかりだから、彼女は若干疲れ果てていた。いい加減にしてくれ、と言いたいほどに。どんなに美味しいチョコレートだって、食べ過ぎれば胸やけするのと同じだ。
     からんころんと軽やかな音が来客を告げる。それに彼女はそろそろ、とお暇しようとして振り返ったときだった。表情は一切変えずに内心で「げ」と呟いた。今最も会いたくないキラキラしたキザな男ナンバーワンのクルーウェルがそこに居た。
    「よく会うな、レディ」
    「えぇ……あの、先日は失礼しました」
     いつぞやの失礼など忘れたかのように微笑まれて、彼女の心はがりがりと音を立てて元気を失っていく。こういう「綺麗なお顔」は遠くから眺めるから疲労回復に効くのだ。近くで見るとその眩しさに目が眩むだけ。
     ぷ、と噴き出してクルーウェルに睨まれるサムに「じゃあ私はこれで」と微笑む。今は一刻も早く顔面偏差値の高い男たちから逃げたかった。仕事で疲れた後はキラキラしい顔の緊張する相手とお話しするのではなく、のんびりとダラけるか、むしろ無心に料理をするのが一番いい。
    「ステイ」
     店を出ようとした彼女の前にクルーウェルが立ちはだかる。そんなのってない。彼女は心の中で泣いた。早く帰りたいのだから仕方ない。
    「まぁそう急ぐな。
     せっかくだ、寮まで送ろう」
    「いや、あの」
    「同じ学園で働く者同士、親交を深めるのも悪くないと思わないか?」
    「……はい、そうですね」
     心の中で「放っておいてください」なんて贅沢なことを考えながら彼女は頷いた。別に彼女だって顔のいい男が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。昔はアイドルや俳優を見てきゃあきゃあ言っていた時代が、彼女にも確かにあったのだ。今だってアイドルや俳優を見て「かっこいいなぁ」と思うことくらいある。
     だがいつからだろうか。
     間近にキラキラしいのが居ても、自分の素朴な顔がさらに地味になるし、見ているとなんだか気疲れするし、そもそもそんな綺麗なお顔の男、気を遣って仕方ないと思い始めたのは。多分昔ちょっとだけ顔のいい彼氏と付き合ってからだ。
     あの時は並んで歩くのがときどき嫌になったものだった。周囲のくすくす笑いを思い出したような気がして彼女はぎゅっと拳を握った。
     もちろんその彼氏とクルーウェルなんて、比べるのもおこがましいほどにクルーウェルの方がぶっちぎりで顔がいいのだが。それでも嫌な思い出がフラッシュバックしたせいで少しだけ心が重たくなってしまう。
     サムから何かを買い付けているのをぼんやり見やりながら、彼女は内心で小さく溜息をついた。あの顔を素直に「かっこよくて素敵」と見れたらどんなにいいだろう。あぁでもめんどくさそうな性格をしていそうだなぁ。そんなことを考えながら。
    「待たせたな」
     どこか高圧的にも聞こえる言葉を聞きながら彼女は「いえ」と曖昧に笑った。それを見ながらサムが「小鬼ちゃん、ナイトにしっかり守ってもらいなよ」とにこやかに笑う。なんだろう、この温度差は、と考えながら彼女は「えぇ」とやっぱり曖昧に笑った。
     店を出ればあたりはすっかり夕暮れに染まっている。荷物を、と言われて彼女は少しためらって、しかし引っ込められることのない手を見つめて結局買ったものを預けた。
     並んで歩くが特に話すことも無くて、彼女は今日の夜ごはんを思い浮かべる。白身魚のフライとタルタルソース。ガルニチュールにポテトとにんじんのグラッセ。それからサラダにコンソメスープ。ふわふわのパンを付けて完成。グリムはあぁ見えて好き嫌いをしないから助かる。野菜もしっかり食べてくれる。たまに雑草も食べているのはいただけないが。
    「ところでレディ」
    「……え、あ、はい!」
     ぼんやりしていたせいで一拍遅れで、それもちょっと調子を外した返事をする。それに顔が熱くなるのを感じながら彼女は「なんでしょうか」と取り繕った。
    「クッキー、大変美味しくいただいた」
    「それはよかったです」
     別に見た目にもこだわらなかった、丸いだけのプレーンクッキー。きっとこの人はもっと美味しくてお高いものを食べ慣れているだろうに、それでもちゃんと美味しいと言ってくれるのだな、と彼女は少し微笑んだ。クルーウェルの白い髪にキラキラと映えるオレンジの光が、ぼんやりと優しい空気を醸し出していた。
    「あの、改めて先日はありがとうございました。
     ……それと、失礼な態度を取ってしまってすみませんでした」
     彼女は丁寧に言葉を紡いだ。いくら苦手な相手と言えど、おざなりなお礼と逃げるような謝罪はずっと引っかかっていた。とは言っても広い学園で、生徒でもない彼女がクルーウェルに会うのは少し難しい。だからユウにクッキーを託したのだ。
     そんな彼女を逆光のせいだろうか、ほんの少しだけ眩しそうに見ながらクルーウェルは「気にするな」と囁く。それから少し迷ったような顔をしてから「むしろオレの方こそ驚かせて悪かった」と苦笑する。
    「仔犬に聞いたが……その、オレのしたことは貴女の国では無礼な振る舞いらしいな?」
     はっきりと「何を」とは口にせずにクルーウェルが言えば、彼女はほんのりと頬を染めてから「えーと、それは、郷に入っては郷に従えと言いますから」とやっぱり言葉を濁す。大人同士の会話なんて、一事が万事そんな感じだ。それでも二人は慣れ切っているそれにもどかしさと、照れくささを感じる。
     結局クルーウェルは「そうか」と言ったきりで、彼女もまた「えぇ」と頷いたきりで無言になってしまった。
     お互いに何を言っていいか分からないまま歩き続ければ、いつもは遠いはずのオンボロ寮まであっという間であった。どちらからともなく「それじゃあ」と言おうとした時だ。
    「あっれー!クルーウェル先生じゃん!」
    「寮母さん、今帰りました」
    「ふな~!今日の晩飯はフライなんだゾー!」
    「おい、勉強をするの忘れてないか!?」
     賑やかな声に二人はずるりと調子がずれてしまって。先に笑ったのは彼女の方だった。くすくすと力が抜けた、おかしそうな笑い方は少なくともクルーウェルには初めて見る笑い方であった。
    「みなさんでお勉強会?」
    「そうなんっすよ~。ま、グリムとデュースがヤバいだけで、オレと監督生はヨユーだけど」
    「この前の小テスト、お前僕と同じくらいだったろうが!」
    「ちょーっとケアレスミスしただけだっての!」
    「ビー・クワイエット!
     騒がしいぞ仔犬共!」
     それこそ子犬のようにきゃんきゃんと忙しく話すエースとデュースはぴたりと口を噤む。そう言えば先生が居たんだった、とでも言いたげな顔に、ユウとグリムはすっかりあきれ顔だ。楽しそうなのは彼女くらいだろうか。
    「よほどお行儀から躾けられたいと見える」
    「いやいや、勘弁してくださいよー!」
     苛立った様子のクルーウェルにエースが焦ったように口を挟む。すると一変してクルーウェルは悪そうな顔を作ると「明日の小テストの結果次第だな」と言った。さすが教師。やる気を出させるのが上手いな、なんて彼女は他人事のように考える。実際他人事である。
    「楽しみにしているぞ、仔犬共」
     ふん、と鼻を鳴らして傲慢に笑う姿に彼女は少しだけ、本当に少しだけ、胸がときめくのを感じていた。
     大変不本意ではあるが、ちょこちょこと学園の清掃も別料金で請け負うようになって(というよりは押し付けられるようになって)から、学園内の知り合いが増えた。例えばエースやデュースの所属するハーツラビュル寮。特にトレイとは料理やお菓子作りの話で盛り上がることが多く、トレイに教わったレシピはどれも彼女にとっての宝物だ。
     ケイトに教えてもらったロザリアちゃんは、絵画の中の女の子で、可愛らしくて夢見る乙女であった。掃除をしながら理想の男性について話してみると、お互いまったく好みが違うものの盛り上がってしまい中々作業が進まなかった。
     それから他にも色んな生徒たちや先生たちと交流する日々の中、彼女はふと気がついてしまった。案外、寂しくも悲しくもないものなんだな、と。なんだかこちらに来たのがはるか昔のように思えるが、実際には二週間と少し、なんなら三週間が来ようとしている。
     そう言えば最近、マジフト大会とやらのことでユウがバタバタしているな、なんて考えながら彼女は植物園に踏み入った。
     管理人さんがお休みを頂いたそうで、今日は彼女が代わりに水やりに来たのだ。私の休みは?と呟いた彼女に学園長がわざとらしく「あー、そう言えば私、このあと忙しくって」なんて言っていた。
     そんな学園長の文句をぶつぶつと口遊みながら水をまいていれば、木陰に生徒が一人、ぐっすりと眠りこけているのを見つけた。猫のような耳をつけているくせに、周りの生徒たちよりも幾分か大人びて見えるその生徒は、彼女が少し近づくとあっさりと目を開く。エメラルドの鮮やかで美しい瞳を見て、彼女は思わず息を飲んだ。
    「誰だ……なんで女が居る」
     グルルル、と動物のように喉を鳴らしてその生徒が言う。低く、重たい声に彼女は緊張を覚えた。
    「……オンボロ寮の寮母、って言ったら分かるかしら」
     彼女の言葉に生徒は少し考えるような素振りを見せてから、にやりとわざとらしく笑って「クロウリーの愛人か」と言った。クロウリーという呼び方に彼女は聞き覚えがあまりなかったが、内容からして学園長のことだとすぐに分かった。
     なぜだかこの学園では、彼女が学園長の愛人であるという噂がまことしやかに流れているのだ。彼女は何度目か分からないそれに深い溜息をつく。
    「ねぇ、どうしてみんなソレを疑いもなく信じるの?」
     呆れたような言葉に生徒はくあ、と大きな欠伸をする。自分が言ったくせに欠片も興味がないらしい。彼女はムッとしてツカツカと歩み寄ると、猫のような耳に顔を寄せて「ねぇってば」と少し大きな声で抗議する。
     それに生徒はびくりと体を震わせて、一体お前は何をするんだとでも言いたげな顔で彼女を見上げる。
    「うるっせぇな」
     未だに驚きを引きずった不機嫌顔で生徒が言うのを、彼女は腰に手を当てて見下ろした。グルルル、という唸り声のようなものが二人の間を満たした。
     先に折れたのは生徒の方であった。気だるげに舌打ちを一つして立ち上がると彼女に背を向ける。だから彼女は余計に腹が立ってその背中に言葉を投げつけた。
    「あんな何考えてるか分からない男の愛人なんて、なるわけないじゃない!」
     多分彼女の中にたまっていた鬱憤だとか、不快だとか、不安だとか。色んなものがかき混ぜられた結果なのだろう。珍しく声を荒げてから彼女は「年下相手に何してるんだか、」と数瞬前の自分にあきれ果てる。
     当の生徒はちらりと彼女を見てからふっと笑う。
    「そーかよ」
     どうでもいい、とでも言いたげに笑ってのそりのそりとどこかへ歩いていく生徒。それでもなんだか、楽しそうに見えたのは気のせいだろうか。
     彼女は「変な子」と呟いて水やり作業に戻るのだった。

    「あら。クルーウェル先生、お疲れ様です」
     管理人の残しておいてくれたメモに沿って水やりをしていたときだった。なんだか聞きなれた靴音が聞こえて振り返れば、ここ最近よく見かけるクルーウェルが居たのだ。彼女は未だにじんわりと抱えている苦手意識から目を背けつつ挨拶をする。
     そもそもとして彼女は派手な人も、きつい口調の人もあまり好きではない。だけどクルーウェルがそれだけの人間ではないことを知ってしまったから、彼女なりに仲良くなれれば、とは考えていた。もっとも、キラキラしい顔を見るたびに「やっぱり住む世界が違う」なんてことを考えてしまうのだけど。
     彼は「貴女も」と言ってから「なぜここに?」と問いかけてきたので、彼女は手を休めて簡単に経緯を話した。もちろん先ほどの愛人の下りはカットしたけれど。それにクルーウェルは少しだけ難しそうな顔をしてから溜息をつく。
    「いいように使われているな」
    「……まぁ、対価は頂いてますから」
     肩を竦める彼女にクルーウェルは厳しい顔をして、独特な意匠の指示棒をぴしりと手の中でしならせながら「Bad Girl」と言った。それに彼女は目をまん丸くする。そもそも彼女は「Girl」などと呼ばれる年齢ではない。
     とは言えその表情はすっかり教師のソレになっていて、彼女は何も言えなかった。
    「知っているか、この学園の管理のほとんどはゴーストや妖精たちに任せている」
    「はぁ」
     クルーウェルが何を言いたいのか分からなくて彼女は曖昧に頷く。彼女は魔法なんてない世界で生きてきた。ゴーストや妖精と出会ったのだって、こちらの世界に来てからだ。馴染みがない文化のことをさも当然のように語られたって分からない。
     そんな彼女の様子を見てとって、クルーウェルは面倒くさそうにすることもなく口を開いた。説明するのが義務だとでも言わんばかりに。
    「ヤツらに何かを頼むのであれば、必要となるのは魔法石。そして魔力だ」
    「あぁ、グリムくんが首に下げている、あの綺麗な石」
     それなら知っていると呟いた彼女にクルーウェルは僅かに口元を綻ばせて「お利口さんだな」と言った。その表情に彼女は、一体どれほどの女の子たちをこの人は誑し込んできたんだろう、なんて的外れなことを考えた。それくらい彼の表情は魅力的で、うっかりときめいてしまう類のものだった。
     美形の微笑みというのものは、古今東西、良くも悪くも女を狂わせる。
     そんな彼女の内心なんて知らないクルーウェルはすぐに表情を引き締めた。
    「あれはマドルなんかでは替えがたいもの。
     レディ、貴女はそれを知っておくべきだろう」
     そうは言われてもやっぱり彼女はいまいちピンとこない。ただ、ピンとこないなりに考えて、ようは本来機械でやろうと思うと開発費がうんとかかるから、詐欺まがいの契約で人を安価で雇って作業させているようなものかと納得する。元の世界に置き換えながら考えれば、確かに苦言を呈したくなる気持ちは分かる。
     だから彼女はちょっとだけ微笑んで「クルーウェル先生って、見た目に似合わずお優しいんですね」と言った。だってクルーウェルがまったくの親切心で言ってくれたことはちゃんと理解できたから。
    「……は?
     なぜ、そうなる」
     面食らった様子のクルーウェルに彼女は少しだけ首を傾げた。
    「だって、別にクルーウェル先生には関係のないことでしょう?
     それをわざわざ教えてくださるのって、あなたが優しいからでしょう」
     至極当然のような顔で言った彼女の顔を信じられないものでも見るかのような目でクルーウェルは見つめた。それからちょっとだけじり、と後ずさる。
     心に抱くのは恐怖か戸惑いか、あるいは。
    「レディには親切に。紳士の務めだ」
     貴女の国ではどうか知らないが、と吐き捨てるように言ってクルーウェルは背中を向けて外に向かった。なんで植物園に行ったのかなんてすっかり忘れ去って。
    『悪い男ね』
     クルーウェルは人生の中で何度も言われてきた。実際己でもそう思っていたし、今でも思っている。少なくとも優しい男であったことなんて、人生の中ではほんのわずかな瞬間だけだ。威張れたことではないが、彼は自信を持ってそう言えた。
     だと言うのに、彼女は、オンボロ寮の寮母はよりにもよってクルーウェルのことを優しい人だと言ったのだ。
     顔は彼の目から見てもそれなりに整っているとは思うが、薄化粧で素朴な印象。最近は最初の頃よりもしっかりメイクをしているようだが、それでも必要最低限のもの、という印象がどうしても拭えない。
     服だってシンプルなワンピースで、よく言えば清潔感のある、悪く言えばそれ以外に褒めるところが見当たらない。これは学園長のセンスを問うべきなのかもしれない問題ではあるが、それでもメイクから見るに彼女の趣味もそう変わらないだろう、とクルーウェルは考えた。
     どこを取っても「おっとりしていそう」「人が良さそう」という感想ばかりの彼女。女性であるから紳士として最低限の優しさを振り撒きはするが、決してそれ以上でも以下でもない。
     ただ、そう。
     この世界に来たばかりだというのに、学園長に対して「雇用契約ははっきりさせてください。さぁ、一マドルがどれくらいの価値なのかの認識を擦り合わせるところから始めましょうか」と噛みついたところは買っていた。なんて女だ、と思わず口元を綻ばせる程度には。だってあのディア・クロウリーに噛みつく女、中々居ない。少なくともクルーウェルの知る限りでは。
     チワワの皮を被っているくせに、心にド―ベルマンを飼い慣らした女。クルーウェルにとって彼女はそんなイメージであった。
    「面白いとは思っていたが」
    「ドハマりしちゃったんだね、小鬼ちゃん」
    「……おい、いつから居た」
     学園内にあるベンチに座って、青空の元でお昼のサンドウィッチを頬張っているときだった。「ナイショさ」と嘯きながら無断で隣に腰掛けるサムに、クルーウェルはぎゅっと眉間にしわを寄せた。もちろんサムはそんなこと微塵も気にしないが。
    「惚れ薬、融通しようか?」
    「いらん。欲しかったら作る」
     涼やかな顔に反して大口を開けてサンドウィッチをばくりと齧りながらクルーウェルは素っ気なく答える。しっし、と手で追い払う仕草をしてもサムは「つれないな、小鬼ちゃん」と笑うばかりだ。
     遠くから学生たちの騒がしい声が聞こえてくる。クルーウェルは午後の授業のことを考えながら、隣りの男は努めて気にしないようにした。気にしたところで精神衛生上よろしくないだけだ。
    「用がないなら帰れ」
     冷たく言ってからクルーウェルは最後の一口を咀嚼する。彼は本来優しい人間ではないのだ。
    「んー。まぁいいけどね。
     筋肉の小鬼ちゃんが彼女に面白いことをしているのを伝えたかっただけだし」
    「筋肉……アシュトン・バルガスのことか?」
     ぴくりとクルーウェルの眉が跳ねるのを見ながらサムは笑った。この二人のソリが合わないのは学園でも有名な話だ。もっとも、バルガスの方はまったく気にしていないし、そのぶんクルーウェルの地雷を踏み抜きまくっているのだが。
    「今日はいつも以上に騒がしいと思わないかい、小鬼ちゃん」
     この学校で騒ぎが起こるのはもはやいつものことである。しかし、確かに言われてみればいつも以上にざわめきが大きいのはクルーウェルも気が付いていた。
     しかも普段であれば昼時は忙しい購買の店主、サムが店を放ってここに居ることも違和感があった。つまり、それだけ重要か、もしくは客足が遠のく何かがあったか。
    「早く助けてあげないと泣いちゃうかもね」
     面白そうに目を眇めるサムにサンドウィッチの包みを投げつけて、クルーウェルは舌打ちしながら立ち上がった。一体何が起こっているというのだ、と騒ぎの方へと足早に歩きながら。

    「……なんだ、これは」
     地を這うようなクルーウェルの低い声に、周囲に居た生徒たちは「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。
     人だかりの中心。そこにはたしかにアシュトン・バルガスが居て、そして彼は学園にいくつか備えられているベンチを持ち上げていた。その状態で「どうだい、オレの筋肉は」なんて笑っている。素敵ですね、と答える寮母は哀れなくらい真っ青な顔で答えながらベンチにしがみついていた。
     そう、座っている寮母ごとベンチを持ち上げていたのだ。
    「バルガスいいぞー!」
    「すげぇ、あれ魔法使ってねぇんだろ!?」
    「バルガス先生、その状態でスクワットしてよ!」
     やんややんやと喝采が上がるのを、クルーウェルは頭が痛くなるような思いで見る。全員レディの扱いがなっていない。男ならば女性をおもちゃのように扱うことがあっていいはずがない。散々女性を誑かして来たことなんて忘れてクルーウェルは舌打ちをした。
     ぱちり、とクルーウェルと寮母の視線があう。
     クルーウェルは色味こそ白と黒で落ち着いているものの、目立つ格好をしている。すぐに見つかるのも当然だ。彼女はクルーウェルに助けを求めるような視線を送っていた。
     それに男心がくすぐられなきゃ嘘だ。
     クルーウェルは「どけ、仔犬ども」と言いながら、モーセの海割がごとく道を作る生徒たちの間をツカツカと音高に歩いて魔法を使う。すると彼女はふわりとベンチから浮き上がるではないか。
    「えっ!?な、なにこれ!?」
     予期していなかったできごとにうろたえる彼女は、そのままふんわりと宙を漂うように優しくクルーウェルの元へと運ばれていく。そしてクルーウェルがバルガスの元にたどり着いた頃、すとん、と軽い音を立ててクルーウェルの腕の中に収まっていた。所謂お姫様抱っこと呼ばれる状態で。
    「ケガはないか、レディ」
     今までにない近さで問われて、彼女は頷くのがやっとだった。今喋ったら声が震えている自信があった。
    「よぉ、クルーウェル。お前もオレのような筋肉をつけるつもりになったか?」
    「何をどう考えたらそうなるんだこの脳筋め。
     女性への扱いがなっていないな、アシュトン・バルガス」
    「そのお嬢さんだって喜んでたさ」
    「それだからお前はフラれる側なんだよ。
     かわいそうに、生まれたての仔犬のように震えている」
     その震えは恐怖ではなく羞恥心であることなんて、クルーウェルはちゃんと分かっていたがあえてそう言った。はやし立てた生徒たちに女性はか弱い、守るべき存在だと教え込むために。あと、顔を見られないようにクルーウェルの方へと背けているが、真っ赤に染めている可愛い顔を自分だけが見ている優越感に浸るために。
     周囲の生徒たちに罪悪感がほんのわずか芽生えたのだろう。彼らはクルーウェルの視線から逃れるように俯いたり、あらぬ方を見たりしている。そんなことで自らの罪が消えるわけがないのに。
    「オレはフラれる側ではない、が。
     むぅ、そうか。怖がらせたのなら謝ろう、お嬢さん」
     バルガスはそう言って彼女の手を取る。その時両手が塞がっていたクルーウェルにできたことは「ステイ!」と言うことだけだった。もちろんバルガスがそんなもの聞くはずない。
     そして肝心の寮母は恥ずかしいやら照れくさいやら、怖かったやら安心したやらで何がなんだか分かっていない。
     バルガスの肉厚な唇が彼女の手の甲に軽く触れた。
    「え、」
    「お嬢さん、オレを許してくれるかい?」
     感触に顔を上げた彼女の顔は見る見る真っ赤に染まっていく。それはもう、ゆでだこのように。
     もちろん彼女だってそれがあいさつ程度の意味しかないことは分かっていた。分かっていたが、それでもクルーウェルと系統が違うとは言え美形の男に手を取られてキスをされるなんて、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
     ん?、と促されて彼女は蚊の鳴くような声で「はい」と答えるしかなかった。
    「そうか、それはよかった!
     よしお前ら、せっかく集まったんだから鍛えてやろう!」
     彼女の返事を聞いた途端にバルガスはくるりと背を向けて生徒たちに向かって言い始める。その背中に苛立たし気な舌打ちが投げつけられているなんて、まったく気が付かぬまま。
     生徒たちも機嫌の悪いクルーウェルよりはマシか、と言わんばかりに慌ててバルガスに走り寄って行った。残ったのは実は事の成り行きを不安そうに見守っていたユウとグリム。それからエースたちハーツラビュルの面々だった。
    「大丈夫ですか寮母さん!」
     駆け寄ってきた面々を見ながら、寮母はまだほんのりと朱の差した顔で「えぇ」と困ったように笑う。ちょっと驚いちゃっただけ、なんて言いながら。そのわりには先ほどからクルーウェルのベストを握って離さないのだが、彼女は気づいているのだろうか。
     クルーウェルはもう少し抱えておくか、と内心で呟いた。今日の午後は授業がないし、オンボロ寮まで送ってもいい、と付け足すのも忘れずに。
    「災難でしたね」
    「ホントに。あれは女の子には刺激が強すぎるよねー」
    「俺たちにするのはいいんだけどなぁ」
     毎年何人まで持ち上げられるかで盛り上がっているのを見てきた、ケイトとトレイは二人して苦笑を浮かべながら寮母を労わった。それにエースは「たしかに、オレらだったら笑い話だよな」と言い、デュースもまた頷く。
    そんなやり取りを流し見ながらクルーウェルは「仔犬共、そろそろハウスだ」と言った。それにリドルが「あぁ、予鈴がそろそろ鳴りますね」と呟く。
    「やべ、もうそんな時間!?」
    「次はトレイン先生だぞ!遅れたらやばい!」
    「走ろう!ほらグリム、行くよ!」
     バタバタと慌ただしく去って行く一年生たちにリドルは呆れたように溜息をついた。それにケイトが「まぁまぁリドルくん」となだめる。
    「俺もそろそろ行くかな。
     足がこんなだし」
     苦笑しながら言ったトレイにリドルは気まずそうに「そうだね」と答える。その頭を優しく撫でるあたりが、寮長に甘いとエースに言われる所以だとケイトはこっそりと呆れる。
     あっという間に人気がなくなって、そこでようやく寮母は自分がずっとクルーウェルのベストの胸元を握りしめていたのに気が付いた。
    「す、すみません!皺になってますよね」
     慌てて手を放して寮母が謝るが、クルーウェルはなんでもないように「気にするな」と言いながら歩き始める。彼女を抱えたままで。それに慌てたのは寮母の方であった。
    「く、クルーウェル先生……?あの、降ろしてください」
     戸惑ったように声をかけるも、クルーウェルはやっぱり「気にするな」と言うばかりだ。それも今度は少しだけ意地悪な笑みを浮かべて。
    「でも、重いでしょうし」
    「女性は羽のように軽いものだと知らなかったか、レディ」
    「いやいや、いや、そういうのって比喩じゃないですか」
    「事実だ」
     重さなど感じていないかのように涼やかな顔で、モデルのように背筋をピンと伸ばしてクルーウェルは歩く。それもそのはず。だって彼は魔法を使っているのだ。今の彼にとって寮母一人くらい、羽は言いすぎにしたって、絵本のように軽やかなものである。
     そんなことを知る由もない寮母はそれでもなお「お願いですから降ろしてください」と言い募った。クルーウェルはその言葉にほんの少しだけ考える素振りを見せて(彼の中ではとっくに答えなんて決まっている)、わざとらしく眉尻を下げて見せる。
    「レディ、オレは深く傷ついた」
    「――はい?」
    「あの脳筋の手は振りほどかないのに、オレの手は振りほどくのだな」
     そのとき、寮母は思った。この男、ズルくないか、と。
     言葉に詰まった彼女を見ながらクルーウェルは言葉を繋いでいく。
    「オレは寮まで送ることすら許されないのか?」
     顔を覗き込まれて寮母は「ひ」と小さく悲鳴を上げた。腕の中で身体を捩る彼女にクルーウェルは少しだけ傷つく。今まで女性に顔を寄せてそんな反応をされたのは初めてだった。プライドが傷つけられたと言い直してもいい。
    「わ、わかりました、から、あの、」
     顔を背ける彼女はよく見れば照れているようすが少なからずある。それにクルーウェルは気を取り直して「それでいい」と言った。先ほどまでの傷ついた少年のような顔なんて、あっという間にどこかに放り投げて、である。

     地面に降り立ったとき、彼女はほっと胸を撫で下ろした。緊張と恥ずかしさのあまりオンボロ寮までロクに口を利くこともできず、ただクルーウェルが何か言うのを「そうなんですね」「へぇ」「なるほど」と相槌を打つのがやっとだったのだ。だからこの解放感といったら。
    「ありがとう、ございました」
     クルーウェルの顔を見ることすらできず寮母は言った。だからそれにクルーウェルが満足そうな顔をしているなんて気づいていない。
     クルーウェルにとって一番癪だったのは、オレの手は振りほどいたくせに、あのアシュトン・バルガスは受け入れるとはどういた了見だ、というところだ。クルーウェルにとってバルガスは女心をこれっぽっちも理解していない脳筋。数々の女性を手のひらで転がし、悪い男だと言われてきたクルーウェルにとっては屈辱だったのだ。
     クルーウェルはとどめとばかりに寮母の柔らかそうな頬へ指の背をあて、そっと上を向かせると「気にするな、レディ」と微笑む。
    「ひ」
     じり、と後ずさって寮母が小さく悲鳴を上げるから、クルーウェルのプライドはまた音もなく傷つけられる。
    「あ、あの、本当に、本当にありがとうございました。
     今度お礼します。本当にすみません」
     なぜ最後に謝られねばならない。
     クルーウェルが抗議の声を上げるよりも早く、彼女はバタバタとオンボロ寮へ帰ってしまう。一人取り残されたクルーウェルの、その背中の哀れさと言ったら。
    「……」
     ぎゅ、と口内の内側を噛んでクルーウェルは心に誓った。
     絶対オレに惚れさせてみせる。
    宇喜たると Link Message Mute
    2022/06/20 13:27:55

    マドモアゼルは困惑する

    #not監督生 の  #クル先夢 です。

    ※シリーズ通してクル先がかっこよかったりかっこ悪かったりしてます。
    ※夢主はネームレス寮母さんです。
    ※デフォルト名(ユウ)の女監督生がいます。
    ※捏造てんこもりです。
    それでも良ければどうぞ。

    #twst夢

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