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    マドモアゼルは見つめる「待たせた?」
    「いや、大丈夫」
     本から顔を上げて彼がふんわりと笑う。それに良かった、と言ってからお水とお手ふきを持ってきてくれた可愛らしい店員さんに彼女はコーヒーを頼む。耳に心地いいジャズ調の音楽を聴きながら彼女は静かにソファに腰を下ろした。
     病院で目が覚めた日からもう一年と少しが経とうとして、ようやく以前と同じ日常を送れるようになっていた。彼女が消えた数か月、周りは大騒ぎだったと言うのに、肝心の彼女自身は何も覚えていないというのだから間抜けなものだ。病院でも警察でもあれこれと聞かれたけど、彼女はぜんぶ「分かりません」としか答えられなかった。
     そもそも、発見されたのだって本当に奇跡みたいな偶然だったのだ。夜中で人通りの少ない通路のわきで、裸足で眠っていた彼女を見つけて救急車を呼んでくれた人がいなければ、きっと彼女は寒さで凍え死んでいた。
     あれから彼女と彼は元のお友達に戻った。理由は色々あって、改善してみる努力もしてみたけど、ダメだった。だから今では月に一回、こうしてお決まりのお店で、お決まりのコーヒーを飲む仲になっていた。
     そうしてみると、彼の方はどうだか分からないが、少なくとも彼女にとっては居心地が良かった。少しばかりリラックスをした様子を見せる彼も、もしかしたら同じ気持ちだったのかもしれない。都合がいいかもしれないけど、彼女はそう思うことにしている。
    「今日は相談したい事があるって、どうしたの?」
     運ばれてきたコーヒーの香りを楽しみながら彼女が言った。本当は今日はこのあと予定があったから、別の日にしてほしかったのだ。それを彼がどうしても相談したいことがある、と言うから彼女はわざわざ時間を作ってこのカフェへと足を運んだのだった。
     まるで気にかけていないような態度に、彼はこっそりと溜息をついて。もうちょっとくらい心配してくれよ、とぼやけば、彼女はそんな重い相談は私に持ち掛けないで、とすげなく返す。
    「一度は恋人同士だったのに」
     拗ねたような彼に彼女はちょっとだけ笑って。結婚まで考えていた、ね。と付け足した。それに彼は「君のそういうところ嫌い」とじとりとした視線を彼女に送る。だから彼女はくすりと笑ってやった。まるで意に介していないかのように。
     別れる時に彼は言った。実は、断られてホッとしていた、と。
     なんとなく付き合いが長くなって、居心地がよくて。たしかに結婚するなら彼女かな、なんて考えてはいたけれど、決定的な何かはなくて。周りがやんややんやとうるさいから、そういうものなのかとプロポーズしたそうだ。
     そうは言っても、フラれたことには変わりないのだから、やっぱり結構ショックだったそうだけど。でも彼女が思うほど深刻じゃなかったんだよ、という言葉を、彼女は今は素直に信じている。
     結局、終わりが近かっただけなのだろう。そう思うことにしたのだ。
    「私はあなたの人がよすぎるところが嫌いよ」
    「……それはどーも」
     付き合っていた頃は「あなたの優しいところが好き」なんて言っていたくせに。彼のぼやくような内心の声なんて、彼女には届いていない。もっとも、お互いさまなのだけど。彼はソファにとっぷりと背を預けて「それで、相談なんだけど」と切り出す。
     その頬がほんのり赤いことや、ちょっと緊張した声をしていることで彼女は「ふーん」と呟いた。意味深なそれに彼はぴくりと眉を跳ねる。なに、と聞いた彼に彼女は「あなたってデリカシーがないのねぇ」と感心したように言った。
    「普通、元カノに恋愛の相談なんて持ち掛ける?」
    「……元カノじゃなくてお友達だから」
     なんでバレたんだろう、という顔の彼に、彼女はなんでバレないと思ったんだろう、と溜息をついた。誰かのことを彼にも見習ってほしいとは思うけど、その誰かが思い浮かばないから、結局「それで?」と話しを促した。
     すると彼は少しだけ躊躇ってから、ゆっくりとその人の話しを彼女に聞かせた。優しくて、笑顔が可愛くて。だけどちゃんと自分があって、言いたいことははっきりと言えて。面倒見が良くて、人間として尊敬できるのだ、と。
     その人の誕生日が近いのだそうだ。彼女はなるほど、としたり顔で頷いて。それからやっぱりデリカシーがない、と心の中でぼやいた。
     一体どこの世界に、気になる女の子の誕生日を祝うアドバイスを元カノ(それも結婚まで考えていた)に聞く人が居るというのか。ここに居たんだけれど。彼女はこめかみを押さえながら「どうして私に聞くの?」と尋ねた。
    「だって……君はオレの悪いところも、いいところも知ってくれていると思うから」
     彼の言葉に今日一番、もしかしたら今年一番大きな溜息をついた。そういうところだと言いたいのをぐっと堪えて、彼女は私なら、と言いそうになってやめる。相手は私ではないんだから、と。
    「あなたのいいところも悪いところも知っている私から贈るアドバイスは一つだけよ」
     彼は真剣な眼差しで彼女を見つめた。彼女はちょっとうんざりしたような眼差しで答えた。
    「自分で考えなさい」
    「そんな」
     絶望したような顔をしたって知るもんか。彼女はコーヒーと一緒に苛立ちを飲み込んだ。これでも優しく言ったほうだ。だって、もう喧嘩をしたら仲直りをちゃんとできるか分からないお友達なのだから。
     彼女は恋人としての彼には不満があったけれど、お友達としての彼に不満はないのだ。できるなら長く、細くこの関係を続けていきたいとさえ思っている。……少なくとも、気になる女の子の相談さえなければ、の話しだけど。
     お友達であればきっとそういう相談にも乗るべきなのかもしれない。でも考えてもみてほしい。たとえば気になる人からアプローチを受けて、ちょっといいかも、と思った矢先に、実は異性の友達にアドバイスをもらったんだ、なんて言われたら。彼女だったらきっと、ありえないと言ってビンタの一つでもくれてやったかもしれない。さすがにそれは行き過ぎだとしても、多分二度とデートの誘いには乗らない。
     不格好でも不器用でもいいから、彼自身が一生懸命考えてくれたものがいいのだ。デートの内容も、バースデープレゼントも、アプローチの仕方も。間違っても他の女性の影をチラつかせてはいけない。
     彼女は頬杖をついてしょぼくれる彼を見つめた。それに彼はうんうんと悩んだあとに「がんばる」と小さく呟いたから「そうしてちょうだい」と彼女は返した。その時に彼女が浮かべた笑顔があんまりにも素敵だから、彼は「はやく君にもいい人が現れるといいんだけどなぁ」と笑う。純粋に善意から。そういうところだぞ、と言わないのは彼女の優しさか、それとも意地悪か。
    「いい人なんて……居ないわ」
     ぽつりと言って彼女は窓の外へと視線を投げた。外はクリスマスが近いこともあって浮かれている。腕を組みながら歩くカップルを見て、外国の映画みたいにエスコートされてみたいな、と彼女はぼんやり思った。
     お嬢さん、お手をどうぞ、なんて言われて腕を差し出されて。彼女がそっと手をかければ「今日は冷えるからもっと近づいて」と囁かれて。そんな、日常だと笑っちゃうようなラブロマンスを繰り広げてみたいな、と。
     ただ誤解のないように言えば、別に彼に未練があるわけではない。彼に気になる女の子ができたことも、実はちょっと嬉しい。いつまでも自分を引きずってほしくはないから。でも、だけど。彼女の心にはぽっかりと穴が空いているのだ。
     彼では埋められない、彼女自身でも埋められない穴が。
    「私をお嫁さんにしてくれる人、どこかしら」
    「なんだい、それ。当てつけ?」
     コーヒーを飲みながら、さして気にしたふうもなく彼が問いかける。それに彼女は「違うわよ、ばか」と言った。彼だって分かってたから彼女の次の言葉を待つ。彼女って、こんなに寂しそうな横顔をする人だっけ、と考えながら。
    「誤解しないでほしいんだけど、私はね、お嫁さんになりたかったのよ、ずっと」
     あなたのってわけじゃなくてね、と付け足した彼女に、彼はよく分からないな、と呟く。なろうと思えば彼女ならいつだってなれたはずだ。だって彼は知っている。実は彼女が周囲の男の人から好かれていたことを。
     穏やかで優しくて、笑顔が素敵で。だけど男の人に対して「ここからは入ってこないでね」と言うような態度が男心をたまらなく擽るのだ。追いかけたい、と思わせる何かが彼女にはあるのだ。
     もちろん、彼はそれ以外にも彼女のいいところをたくさん知っている。だから「なれば良かったじゃないか」と思ったのだ。それこそ彼がプロポーズしたときにでも。今更なことなんだろうけど。
     彼女はちらりと彼を見てから、それから「あなたに言ってもしょうがないわね」と首を横に振る。分かってないわね、とでも言いたげな顔で。なんだか別れてからというもの、彼女は彼に少し冷たい気がした。いや、もしかしたら本当はずっとこんな人で、それを彼が見ていなかっただけなのかもしれない。彼は最初からそうだったら、何か違ったのかな、と思って。それからこっそり「そんなこと考えてもしょうがないか」と笑った。
     結局、彼は彼女をちゃんと見てあげられなかった。彼女は彼に自分を見せてあげられなかった。それだけのことなのだ。
     たっぷりのミルクと砂糖を溶かした甘めのコーヒー(彼女に言わせればそれはコーヒーではないらしい)を味わいながら彼も外を眺める。キラキラとしたイルミネーションが彼女との楽しかった思い出を蘇らせる。それはきっと、いつまでも彼の中に残り続けるし、彼女もきっとそうだろうと彼は何の根拠もなく思った。
    「そう言えばあのハンカチ、結局どうしたの?」
     彼が思い出したかのように言うから、彼女はカバンから上品なデザインのハンカチを取り出した。買った覚えのないハンカチ。気が付いたら持っていたもの。両親は薄気味わるがってお寺にでも持って行けと言ったが、彼女は聞かなかった。だってなんだか、とても大切なもののような気がしたから。
    「これ、ねぇ……いったいどこで手に入れたのかしら」
    「正体不明なものでも気にしないところ、嫌いじゃないけどね」
     苦笑をもらす彼に彼女は「だってなんだか、捨てちゃいけない気がして」と呟く。なんだか分からないけれど、彼女にとって必要なもののような気がしたのだ。手放したらもう二度戻れなくなる、と思ってしまうのだ。どこにかなんて、そんなことは分からないけれど。
     彼女はぼんやりとハンカチを見つめて、それから時計にちらりと目をやって慌てた。
    「もうこんな時間じゃない!」
     顔から血の気が引いた彼女を見つめながら彼はきょとりとして。それから「そう言えば人と会うって言ってたね」とのんきに呟いた。そういう、人が慌てているときにのんきな様子を見せるところも嫌い、と彼女は言いながら伝票を取ろうとして。それよりも少しだけ早く、彼が伝票を取った。
    「今日は奢ってあげるから、早く行っておいで」
     急いで、という彼に「そういうところは好きよ」と笑って彼女はハンカチをコートのポケットに入れた。バッグを開いている余裕なんてないのだから。彼はその背中をひらひらと手を振って見送った。さて、あの子ってバースデープレゼントに何をもらったら喜ぶんだろう、なんて思いながら。
     女の子って、どうしてあんなにおしゃべりが好きなんだろうか。すっかり夕暮れに染まった空を見上げながら彼女は自分のことは棚に上げて呟いた。カラスの鳴き声がなんだか脱力を誘う。
     久しぶりに女友達数人でランチをする――だけのはずだったのがなぜかこんな時間だ。もちろんこうなるだろうな、と予想はしていた。だってそういう生き物だから。彼女たちって。とは言え、なんだかすっかり疲れ果ててしまって彼女は公園のベンチでぐったりしていた。そうすると、ワン、と鳴き声が聞こえてきて。
     おや、と彼女が足元へ視線を移せば、人懐っこそうなダルメシアンが彼女を見上げていた。白と黒のぶちが可愛いやつだ。彼女はほんのりと口元を綻ばせる。真っ赤な首輪が似合っているその子に「触れてもいいかしら」と聞くと、まるで人間の言葉を理解しているかのように尻尾を振りながら一つ吠えた。
    「お利口さんね、あなたのご主人様はどこかしら」
     彼女が撫でてやれば、ダルメシアンは気持ちよさそうな顔をする。その顔があんまりにも可愛いからつい笑みがこぼれてしまった。そんなに犬が好きというわけでもなかったはずなのに、どうしてだか頬が緩んでしまう。これが動物のパワーか、なんて彼女が考えていたときだった。
    「すみません」
     声が聞こえて顔を上げれば、そこには人の良さそうな顔をした男性がリードを持って立っていた。首輪と揃いなのか、リードも綺麗な赤色をしていた。彼は慌てて追いかけてきたのだろう、息切れを起こしていて。白と黒のぶちが可愛いやつに、「きみ、大丈夫?」なんて言いたげな顔をされていた。
    「いいえ、こちらこそ勝手にすみません。
     ダルメシアンって珍しいですね」
     スタイリッシュで素敵、と言った彼女に男の人は「いいでしょう」と嬉しそうに頷く。だから彼女はくすくすと笑って「えぇ、私も犬が飼いたくなっちゃった」と答えた。それに男性はパッと顔を明るくさせる。
    「犬はいいですよ」
    『レディ、犬はいいぞ』
     男性の声にかぶって低く、落ち着いた、そのくせどこか楽しそうな声が頭の中で弾けた。何かの映画だろうか。彼女は戸惑いながらも「そうなんですか」と小さく微笑む。
    「主人の帰りを尻尾を振って出迎えてくれるし」
    『それに主人のいうことをよく聞いてくれる』
     ひく、と彼女の息が引き攣った。男性の声に混じる、別の声。彼女は確かにその声を聴いたことがあった。記憶の奥底が揺さぶられていく。
     男性はしゃがんで犬の首輪にリードをかちゃりとつけた。その小さな頭を撫でながら。
    「『ボールを追いかける姿は可愛いし、』」
     彼女の目の前が白と黒でチカチカ光る。明滅する光は何を知らせようとしているのだろうか。男性の得意げな顔が、何かに重なっていく。
    「『愛する家族を守る番犬にもなる』」
     あと少し、あと少しで彼女は何かの輪郭を掴めそうな気がした。犬はいいですよ、と締めくくるように言った男性はようやく彼女を見て、それからぎょっとした。すごい顔色ですよ、と。
     事実彼女の顔は真っ青で、今にも倒れそうな顔色をしていた。汗がぶわりと吹き出ていて、異様な状態なのは誰の目にも明らかである。
    「汗が酷い。体調が優れないんですか?」
     心配そうに言われて、彼女は「そうみたい」と言いながらポケットに入れっぱなしだったハンカチを取り出して。
     ぱちん、と。
     赤色が弾けた。
     あ、と彼女は小さく呟く。呆然と、驚いたように。それが聞こえていなかったのか、男性は気にしたふうもなく何かを言って背を向ける。恐らく水を買ってくるとか、なんとか。彼女はなにも聞いていなかったけど、男性は気付かなかったし、たとえ気付いても体調が悪いのだから仕方ないと思っただろう。
     ふらりと彼女は立ち上がって歩き出した。ハンカチだけを握りしめて。どこかへ向かおうと。それがどこか、彼女は未だ明確に分からなかったけど、とにかく歩かなければならない気がした。誰かを探し求めて。その誰かすら分からないまま。
     ただただ足を動かしながら、彼女は胸を押さえて。呼びたい名前があるのに、欠片も思い出せないもどかしさが苦しくて、辛くて。綺麗な横顔だけが、意外にも子供っぽく笑う顔だけが彼女の胸を締め付けていく。
     どれほど歩いたのか、息が出来なくて彼女はとうとう座り込んでしまう。あたりはもう濃紺に染められようとしていた。ぽろぽろとこぼれる涙を、どうにもできなくて。会いたくて、抱きしめてほしくて仕方ないのに、その相手が誰だかきちんと思い出せなくて。でもこのままじゃきっと、一生出会えない。祈るようにぎゅっとハンカチを握りしめた。この苦しさをどうにかして、と。
     そう思って顔を上げたときだった。
     不思議と寒さはほとんど感じなくなっていた。晴れた青い空、太陽は中天にかかっている。左右には美しく薔薇が咲き誇る生垣。彼女はその光景を知っていた。覚えていた。
     帰って来たんだ、と彼女は走った。走りながらハンカチで目元を拭った。だって、再会が泣き顔だったら彼が心配してしまう。彼女に犬を飼いたいと思わせたあの人を。
     真っ直ぐ、真っ直ぐ。左右に伸びる道は右側に。だって彼女は右利きだから。走って走って、転びかけてもすぐに持ち直して。だって一秒でも早く会いたい人が居る。まだ忘れてないわよねって言いたい相手が居る。自分が忘れていたことなんて棚に上げて。
     アーチを抜けた先の、パーティー会場。そこには誰も居ないけど、彼女はもう大丈夫だった。ここがどこだか分かっていた。鏡へ飛び込む。とぷん、と音がする。抜けた先にもやっぱり誰も居ないけど、そんなことはどうでもいい。
     部屋を出て、それから。
    「――寮母さん?」
     酷く懐かしい響きだった。たった数か月、一年前に呼ばれただけの。でも、懐かしくて切なくて、愛おしい響き。
    「ユウさん」
     彼女が振り返ってその女の子を呼ぶと同時だった。こっち、と女の子は、ユウは彼女の手を取って走り出した。本当だったら彼女はもう走る体力なんてひと欠片もないはずなのに、それでも彼女は走った。走れてしまった。
     懐かしい風景。空気。道順。気難しい顔が視界の端を掠めていく。珍しいことに驚いた顔をしていて、彼女は笑ってしまった。なんだか楽しくてしかたなかった。子供みたいに笑い声をあげてしまう。
    「ねぇ、これどこへ向かってるの!?」
    「知ってるくせに!」
     笑いながら聞いた彼女に、ユウもやっぱり笑いながら答えた。ホリデーのさなかのナイトレイブンカレッジに、二人の笑い声が響いていく。残っている生徒や先生たちに聞かせるように。幸せをお裾分けするように。
     いったいどれくらい走ったんだろうか。あっという間の出来事だったかもしれないし、実はずっとずっと長い時間をかけていたのかもしれないし。
    「先生!」
     ユウが叫んだ。力いっぱい、どこにそんな声量を秘めていたのかっていうくらいに。そうするといくつか先のドアが少しだけ開いて「うるさいぞ仔犬!」と叱責の声が聞こえてきた。キラキラとドアのあたりが光っていたから、きっと面倒くさがって魔法を使ったのだろう。ぱちん、と小気味いい音が聞こえたような気がした。もちろん、そんな気がしただけなんだけど。それでも彼女はそれにまた泣きそうになって、笑った。
     だって、ようやく見つけた。彼女の穴を埋めてくれる人。彼でも彼女自身でもない、その人を。
     走るのを止めたユウが彼女を見るから、彼女は大きく息を吸い込む。クルーウェル先生、と彼女が叫んだ。部屋の中でガタンと大きな音がする。それにユウと彼女は立ち止まって、顔を見合わせて笑いあって。彼女は「やだ、もう」なんて言って笑った。
     二人で体をくの字に折って、息を整えようとしながら(笑ってしまって上手くはいかないんだけど)廊下で待っていれば、ガタガタと音をさせた後にドアが大きく開く。はぁはぁ、ひぃひぃ言っている彼女たちを見たその顔と言ったら!思わず二人はまた顔を見合わせて笑ってしまう。
     あんなにかっこつけて、澄ました顔ばかり見せていたくせに。意地悪な顔も、切なげな顔も、泣きそうな顔も、愛おしそうな顔も、全部忘れて、クルーウェルはただ、呆然として。それを笑う彼女たちにつられて、クルーウェルまで小さく、少しずつ笑い始めて。
    「は……はは、は、嘘だろ?」
     信じられない、と言いたげにクルーウェルは彼女へと歩み寄った。微かに震える手をクルーウェルが彼女に伸ばせば、それに応えるように手を重ねられる。ゆっくりと二人の指が絡み合った。いつかのプラネタリウムのときのように。
    「嘘の方が良かったですか?」
     潤んだ瞳がクルーウェルを見上げるから、参ったとでも言うかのように「まさか」と声を紡ぐ。その声がほんの少し震えていたことはもちろん彼女にはお見通しだったけど、彼女は何も言わなかった。
     二人が静かに見つめ合うから、ユウはそうっとその場を離れる。なにごとかと集まって来たみんなに「しー」と人差し指で合図して。だって今、とっても大切な場面なのだ。物語で言えば、ラストシーン。ハッピーエンドへと繋がっていく、大事な場面。
    「しつこいオレに呆れて……帰ったのかと」
    「まさか」
     彼女の頬をクルーウェルがもう片方の手でゆっくりと撫でる。それに彼女はくすぐったそうに、心地よさそうにした。
     もしももう一度会えたら。クルーウェルは何度も何度も、それこそ寝ている間も考えた。名前を呼んで、ハグをして。頬を撫でて、それから「やっぱり貴女のことを諦められない」と言って彼女を困らせて。一度も出来なかったキスをして。会えたらしなければならないことがたくさんあったのに、それなのにクルーウェルは胸が詰まってそれ以上何もできなかった。まるで恋を覚えたばかりの少年みたいに。
     クルーウェル先生、と彼女が囁く。その瞳には確かにクルーウェルが映っていた。ずっとずっと、何度願ったか分からない光景にクルーウェルはとうとうふるりと唇を震わせた。だって彼女の瞳に映る自分があまりにも情けない顔をしているから。
    「一年も前だけど……私、彼と別れてしまって」
     慰めてくれる?
     彼女の言葉に、彼がなんて答えたか。それはきっと、語るだけ野暮というものだ。

     ――もうこんな時間?
     お話していたらあっという間だね。そろそろ私も行かなくちゃ。
     え?その後の二人?……そうだったね、それを話さないことには終われないよね。ごめんごめん。
     そうだなぁ、すごく手短に言えば、その後も紆余曲折あって、その先生はうんと苦労したんだけど。そう、その後もフラれ続けたからね。どうしてって……それはまぁ、女の子には色々あるからね。でもずっと口説き続けた結果、ようやく首を縦に振ってもらえたの。
     彼女が白いドレスを着て、ヴァージンロードを歩いてくるときの顔!もう卒業生みんなに見せてあげたいくらい!あんなに甘い顔、私はじめて見たかも。あ、もちろん彼女はきっと毎日だって見ているんだろうけど。
     まぁ、つまりはめでたしめでたし、ハッピーエンドってこと。
     あ、グリム、こっち!エースには会えた?……まだかかりそうなの?もう、デュースを待たせてるのに。
     ごめんなさい、私ほんとに行かないと。エース……失礼、トラッポラ先生に用事があって。そう、先生の知り合いなの。ふふ、どういう知り合いかは本人に聞いて。
     ――そうそう。一つ言い忘れてた。
     もしも二人の話しをもっと詳しく聞きたいのなら、クルーウェル先生に聞くといいよ。きっとすっごく渋い顔をしながら教えてくれるから。
     もしかしたら、甘い顔かもしれないけど、ね。
    宇喜たると Link Message Mute
    2022/06/30 17:54:41

    マドモアゼルは見つめる

    #not監督生 の  #クル先夢 です。

    ※シリーズ通してクル先がかっこよかったりかっこ悪かったりしてます。
    ※夢主はネームレス寮母さんです。
    ※デフォルト名(ユウ)の女監督生がいます。
    ※捏造てんこもりです。
    それでも良ければどうぞ。

    #twst夢

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