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    マドモアゼルのその後「子供でも作ったらどうですか?」
     クロウリーの言葉に彼女は「んぐ」と紅茶を咽そうになった。それから隣りに座る男が、そっと「クロウリー、デリカシーというものを学べ」と静かに、唸るように言う。なんだか彼女はそちらの方が見れない気持ちになりながら「そもそも、どうしてそうなるんですか」と上擦った声で問いかけた。
    「いや、ほら。真実の愛だとか、キスだとか、そういったものが解呪に有効なのは古来より言われていますからねぇ。
     それに、世界を行ったり来たりしたせいであなたの魂も不安定な状態でしょうし。子供でも作れば、あるいはそういった行為に及べば多少はマシなんじゃないかと」
    「無茶苦茶な理論だと言えないところがな」
     ぼそりと、隣りから不穏な言葉が聞こえてきて、聞くんじゃなかったと彼女は震えた。なんだってこう、この世界ってでたらめなことばかりなんだろうか。知っていたけれど。
     まだ春には少しだけ遠いというのに、綺麗に晴れた日差しの中で三人は紅茶を嗜んでいた。最初は彼女だけがクロウリーに呼ばれたのだったが、クルーウェルが「用事がある、付いて行こう」と言って整えられたお茶会。話題はもっぱら彼女のことだった。
     異世界に迷い込んで、元の世界に帰って。それなのにまた異世界へと戻ってきてしまった彼女。またいつ突然に帰ることになるか分からない不安が彼女にはあった。それもあって未だクルーウェルのアプローチに頷けない彼女は、ほんのりと罪悪感が日々募っていくのを実感していた。だからこの話題はありがたいと言えばありがいたのではある、が。
    「あ!相手が居ないと言うなら私がお相手してもいいですよ。私優しいので!
     ……じょ、冗談ですよ、嫌ですねぇ。クルーウェル先生、そんな顔していたらまたフラれますよ」
     確実にクルーウェルの地雷を踏み抜いていくクロウリーに、さすがの彼女も口元がひきつる。なまじ、自分が関わっている話題なだけに。彼女は視線をうろうろとさせて、それから「そう言えば」と口を開いた。ちょうど空気を変えられる話題が一つだけあった。
    「私の居た国では、黄泉戸喫というものがありましたね」
     彼女の言葉に二人が「ヨモツヘグイ?」と声をそろえた。クロウリーの方は仮面で分からないが、クルーウェルの瞳は好奇心にきらりと光っている。それに彼女はちょっとだけドキリとして。それでも取りなすように「えぇ」と頷いた。
    「黄泉の国――死んだ人が行く国なんですが、そこの食べ物を食べると二度と現世には戻れない、というものですね。
     私はこっちのものを食べていても向こうへと戻ったので、とくに関係はないでしょうけど」
     彼女の言葉にクロウリーは「どこの国でも世界でも、似たような伝承があるもんですねぇ」と感心して、クルーウェルは「グレートセブンが一人、ハデスを思い起こさせるな」と頷く。そこから二人は盛り上がって、なにやら専門的な話をしはじめるので、彼女はそっと息をついて紅茶を一口含んだ。
     よく分からない単語を聞き流しながら彼女は窓の外を見る。詳しいことは分からないけれど、でも。少しだけ時間が経って、冷静に振り返ってみればまったく心当たりがないわけではないのだ。
     はじめてこちらの世界にきたとき、彼女は逃げ出したくてしかたなかった。プロポーズを遠回しに断ってしまったこと。考えさせてと言ってしまったからには、ちゃんと自分でさよならを告げなければならなかったこと。そういうことから逃げ出したくて仕方なかった。
     でも、いざ逃げた先で待っていたのは罪悪感だった。素敵な気持ちに応えられない自分にうんざりしてしまって。できれば逃げたくないと、ちゃんと彼とのことを終わらせてから向けられた愛情に応えたいと願ってしまって。
     そして。
    「やっぱり真実の愛なんですかねぇ」
     彼女がぽつりと、窓の外、どこか遠くを眺めながら言うものだから、男二人はそろって彼女を見つめる。そんなことなんてまったく意に介していない様子で、彼女はくすりと笑った。誰に向けるわけでもなく。
    「……レディ?」
     何も言わない彼女に我慢ならなくて、クルーウェルは彼女を呼ぶ。それに、見つめられていたことすら今気が付いた、とでもいうような顔をして。彼女はゆっくりと口元に悪い笑みを作った。
    「王子様が現れたら、もしかしたら解決するかもしれないですね」
     その笑顔に、クルーウェルは可愛らしい男の子みたいな顔で「オレがいるだろう」と言うものだから、彼女はくすくすと笑ってしまった。女泣かせの王子様なんて、お断りですよ、と囁きながら。
    「困ります」
     むっすりと顔をしかめた彼女にクルーウェルは少しだけ意地悪な笑みを浮かべる。どうして、と。それに彼女はぐっと眉間に皺を寄せた。
     このツイステッドワンダーランドへと戻ってきてからしばらくが経つ。クルーウェルはこれまでを埋めるかのように毎日彼女の元へと尋ねて来ていた。そしてお決まりのように「オレのパピーになってくれ」だとか「そろそろオレと付き合わないか」とか。彼女も最初の頃は断ることに罪悪感を感じていたものだったが、今では少しうんざりとしていた。
    「どうして、もなにも。
     毎日毎日尋ねてこられても、お応えできません」
     呆れたような溜息にクルーウェルはくつくつと笑った。一年と少し前。まだ出会ったばかりの頃のクルーウェルみたいな反応に、彼女は「クルーウェル先生も記憶をなくしているんじゃないかしら」と思ってしまう。それくらい、最近のクルーウェルには余裕というものがあった。
     まるで「もう貴女はオレのものだ」とでも言わんばかりの態度に彼女は少しだけ面白くない。たしかに、彼女はクルーウェルのことを好ましく思っている。でもそれとこれとは別だ。だってまだ彼女はクルーウェルの告白に「Yes」と首を縦に振っていない。それなのにこの余裕が、彼女には腹立たしくて仕方なかった。
    「クルーウェル先生、怒りますよ」
    「デイヴィスと呼んでくれ」
    「呼びません」
     ぴしゃりと答えた彼女に、今度はクルーウェルが面白くなさそうな顔をする。あのデートの夜、あんなにもクルーウェルの名前を優しく、大切なものでも呼ぶかのように囁いてくれたのに。
     そっと彼女の顔を片手で包めば、少しだけ険しい表情が返ってきて。そういうところがオレを燃え上がらせるんだぞ、なんて心の中で呟くクルーウェルを彼女は知らない。知っていたところで取り合うつもりもないのだけど。
     いつもそうやって断られるから、クルーウェルは今日こそは、と踏み込むことにする。そもそもクルーウェルという男はいつまでもお行儀よくステイができるほどいい子ではない。クルーウェルは彼女の頬を優しく撫でて「レディ」と促すように囁いた。
    「あの日は呼んでくれたじゃないか」
    「あの日だけって約束したじゃないですか」
     間髪入れずに返って来る彼女の言葉に、クルーウェルは一瞬だけ考えるように沈黙する。まるで見せつけるかのように。それからふっと笑って見せるその顔といったら。悪い男ってこういうことだ、と彼女は心の中で呟いた。
    「一年以上も前だからな。忘れた」
     都合のいいことで。彼女の呻くようなぼやきなんて聞いていないのだろう。あるいは、それすらも楽しんでいるか。彼女は呆れと怒りを込めて溜息をつくと、愛し気に撫でてくる手を軽く払った。そんなことをしている場合ではないのだ、と。
     用事があるので、とスタスタと歩く彼女の後ろを、クルーウェルは優雅に付いて行きながら「ほう、オレもご一緒させていただきたいな」と言った。どうせ彼女のことだ、またクロウリーに呼び出されて愚痴を聞かされるか、もしくはクロウリーに雑用を押し付けられるか、トレインとのお勉強会か。どれにしたってクルーウェルはついていくことを決めていたし、彼女も最近は半ばあきらめ気味に許していた、が、である。
     彼女はちょっとだけ振り返って、じっとクルーウェルを見つめた。何かを探るような目で。クルーウェルがその視線に首を傾げて「オレに見惚れたか?」と聞けば、ふっと笑って「まさか」と答える。
    「これからデートなのに、他の人に見惚れるほど私って酷くないわ」
     くるり。彼女は長いスカートを花のように広げて体を翻す。その、楽し気で、軽快な足取りに。
    「……は?」
     クルーウェルは何も理解できないまま、ぽつんと立ち尽くしてただそれだけを呟いた。

    「Bad Boy!この駄犬が!何をしたらそうなるんだ!」
    「ビー・クワイエット!仔犬共が、無駄吠えをするんじゃない!」
    「リーチ弟!なぜお前はいつもいつも」
     見かける度に鋭い声が飛ぶクルーウェルを横目で見ながら、ユウは「荒れてるなぁ」なんて他人事に呟いた。それにエースが「どうにかしろよ」と言うから「無茶言わないで」とすげなく返す。なんだかこのやり取り、前にもした気がするなぁ、なんて思いながら。
     ことの始まりはこうだ。こちらの世界に戻ってきてしばらく経ったころ、寮母さんを連れてユウは街に出た。あっちこっちで女の子同士のお買い物をして、ふと帰りに立ち寄った公園で黒い犬を連れた、寮母さん曰く「知り合いにとってもよく似た人」に出会った。どうやら面識があったらしく「その節は」なんてことを言っていた。そしてその人はユウと寮母さんが抱える大荷物を見て、オンボロ寮まで運ぶのを手伝ってくれた。そのお礼に、二日前の休日を使って寮母さんはその人とお食事をした。
     たったこれだけ。たったこれだけだったけど、クルーウェル先生が荒れるのも無理はない、とユウは思っていた。だって彼はずっと寮母さんを口説き続けてきたし、今もそうなのだ。それが寮母さん、いくら腹が立っていたといっても、ろくに説明もせず「デートに行くの」なんて。しかもそのあとも訪ねてくるクルーウェルをすげなく追い返す始末。鬼の所業である。
     帰って来たときの寮母さんがひたすら楽しそうだったことなんて、ユウは見ていないし知らないし、覚えていない。そういうことにしておくと決めた。じゃないと後が怖いから。ユウは正しく口を噤める良い子であった。
    「オレらに八つ当たりすんのやめてほしいわ……」
    「いや、八つ当たりっていうか、普通に叱られることしなきゃいい話しじゃん」
     やれやれ、とエースが首を横に振るから、ユウは呆れたように溜息をつく。クルーウェルの機嫌が荒れに荒れているのは確かだが、そもそもそんなクルーウェルの神経を逆なでするようなことばかりする男の子たちにも原因はある。クルーウェルは理不尽なことで怒るような教師ではないのだから。事実、ちゃんと予習をしてきたユウには「Good Girl」と乱雑に頭を撫でてくれた。少しいつもより力強かったのは、もしかしたらクルーウェルのストレスの表れだったのかもしれない。
     ジャックもジャックで「Good Boy!」と頭を撫でられていたが、彼は少しだけ嫌そうな顔をしていた。そもそもクルーウェル先生が苦手な上に、子犬扱いされるのが不本意なのだろう。そのあたりはきっと、複雑な男の子心というやつだろうな、とユウは他人事のように考える。実際他人事ではある。
     お昼休みに入ったばかりの廊下を歩きながらグリムは大欠伸をする。さきほどのトレイン先生の授業で居眠りをしていた一人である。いや、一匹であると言うべきか。どちらにせよ、グリムが放課後に呼び出されている事実は変わらない。
    「寮母さんもさー、いい加減付き合っちゃえばいいのに」
    「相思相愛にしか見えないんだけどな」
    「どうでもいーんだゾ」
     好き放題言う男の子たちに、ユウはこれだから、と溜息をつく。まったく、女心ってものを分かっていない。ユウは呆れたような視線で見てから、さきほどまでクルーウェルが居た場所を見た。寮母さん、そろそろちゃんとフォローしたほうがいいですよ、なんて思いながら。

     クルーウェルはどっかりとベンチに座って長い溜息をついて。それから背もたれにだらりと体を預けて、お行儀悪く足を組みながら空を見上げる。トレインが見ればきっと、かつてのように顔を顰めたことだろう。
     どうしてこう上手くいかないのか。笑顔で「これからデートなんです」と言った彼女の顔が頭から消えなくて小さく悪態をつく。何が酷い女じゃないだ。クルーウェルにとっては十分酷い女じゃないか。こんな屈辱は初めてであった。
     魔法で煙管を取り出して苛立ちのままにぷかりとやって。ふぅと吐き出した煙は細く長くたなびき、そして霧散していく。それを見るだけで心が落ち着いてくるから不思議なものだ。頭の中で、顔も知らない男に煙を吹きかけて鼻を鳴らす。
    「何がデートだ」
     この怒りは男へのものか、それとも彼女へのものか。クルーウェルはよく分からないまま呟いた。オレの誘いは乗らないくせに。そもそも、あの仔犬が卒業するまでそんな気になれないと言っていたのはどこの誰だ。彼女がそう言うから、その気持ちを尊重して待っているというのに。だいたいにして、このクルーウェル様に口説かれておきながら他の男だと?舐めているのか。
     心の内側でぶちぶちと零していれば、ご機嫌斜めですね、と苦笑がクルーウェルの耳を擽った。一つも悪さなんてしていないかのような顔でクルーウェルを見つめる彼女は、なぜだろうか、それでもクルーウェルの苛立ちをなだめていく。顔を見たら許してやる気になってしまった、なんて。そんなことあってはいけないはずなのに。
     これが惚れた弱みというやつなのだろうか。クルーウェルはくだらないことを考えながら嫌味たっぷりに「やぁ、麗しのレディ」と声をかけた。きっと凶悪な笑みを浮かべているんだろうなと自覚した上で。
    「そうだな、今のオレはとても機嫌が悪い。
     貴女のせいでな、レディ」
    「じゃあお暇しますね」
     にこりと微笑んだ彼女にクルーウェルはぐっと言葉を飲み込んで。それから体を起こし、腕を伸ばして彼女の手を掴む。お暇しますと言いながら、身じろぎ一つしようとしないのだから本当に酷い女だ。クルーウェルは彼女の瞳を見つめる。
     まるで猫のような瞳にクルーウェルは重く息を吐き出した。オレはいつから猫を飼い始めたんだ?クルーウェルの独り言は誰にも拾ってもらえずに心の中で溶けていく。
    「オレのことを嫌いになったか?」
    「いいえ?」
     くすくすと、面白がるように笑うから、クルーウェルには彼女のことが分からなくなる。出会った頃はもっと大人しいと思っていた。そのくせ芯の強さをもった女性だとも思っていた。だけど、こんなに意地悪に笑うようになるなんてまったくの想定外だ。
     クルーウェル先生、と彼女が囁く。クルーウェルの指に己のそれを絡ませながら。それにぞくりとクルーウェルの背筋に何かが駆けあがっていく。まるでいけないことでもしているかのような気分を抱くのは、きっとクルーウェルだけではないのだろう。
    「私がデートのときにどんなハンカチを持って行ったかご存知ですか?」
     からかうような瞳に、クルーウェルは精一杯顔に力をこめる。だって、クルーウェルは怒っているのだ。それなのに、嬉しい顔なんて晒せないじゃないか。
     わざわざそんなことを言うということは、きっとそういうことだ。クルーウェルは自分の贈ったハンカチを思い出して、心の内に優越感だか満足感だか、訳の分からない感情が渦巻くのを感じた。
    「酷い女性だな、レディ」
     ようやく、それだけを言ったクルーウェルに彼女はふわりと微笑む。えぇ、そうなの。となんでもないように答えながら。こんなに酷い女だと知っていたら、クルーウェルは好きにならなかっただろうか。そう考えて、クルーウェルはこっそりと苦笑した。どうせ一緒だった、と。
    「ねぇ、クルーウェル先生。よかったらホットドッグでもどうかしら。
     サムさんのおすすめなの」
    「……他の男の名前を出すなんて、本当に悪い女性だな」
     絡めた指で彼女を引き寄せながら、少しだけ意地悪な顔をして。唇を寄せようとしたクルーウェルに、彼女は笑顔で空いている方の手のひらを差し込んだ。それはまだダメよ、と言いながら。
     ゆっくりと沈んでいく夕陽を見ながら彼女は本を開いた。
     文字が見えなくなってしまうまでは、ここで待っていよう、と。

    「ディナー、ですか?」
     温室の花たちに水をやりながら彼女が聞き返せば、クルーウェルは「そうだ」と頷いた。それからそっと彼女の手に触れて「その花にはあまり水をやりすぎるな」と注意する。
    「ピザの美味い店を見つけたんだ。
     よかったら貴女とと思ってな」
     肩を抱いて微笑むクルーウェルの手を、慣れた様子でぱしりと払って。それから彼女は「ピザ、いいですよね。好きですよ」となんでもないように答える。相変わらずな彼女にクルーウェルは顔色一つ変えず「それはよかった」と囁く。
     それを聞きながら彼女はそっと距離を取って「でも」と口を開いた。途端にクルーウェルの顔が渋面を作るから、ほんの少しだけ罪悪感がわいてしまう。
    「さすがにユウさんやグリムくんを置いて行くのは」
    「レディ、あいつらは仔犬と言ってもこれまで一人と一匹で仲良く暮らしてきた。
     貴女が一日くらい寮を空けたところで」
     大丈夫だろう、と続けられなかったのは、彼女が元の世界へ戻ってからしょげかえってしまったユウをクルーウェルも知っているからだ。寮母さんに教えてもらったんです、と玉子サンドばかり作って食べていた彼女の栄養を本気で心配したのは未だ記憶に新しい。
     クルーウェルとて教育者のはしくれ。さすがに生徒の精神を不安定にさせるような行ないは慎むべきだろう。だが、男としてはデートにくらい誘いたい。たとえ恋人同士にはまだなれないとしても、だ。苦悩に揺れるクルーウェルを彼女はじっと見つめて、それから困ったように口を開いた。
    「……返事をするのはユウさんたちにお伺いを立ててから、でもいいですか?」
     わずかに苦笑した彼女にクルーウェルは信じられないものでも見るような顔をする。だいたいこういうときは断られることが多いのだから仕方ないのかもしれない。いいのか、と半信半疑で問うクルーウェルに彼女は普段の行ないを少しだけ反省する。
     別に彼女だって、好きでクルーウェルにすげなくしているわけではない。ただ、そう。まだ彼の恋人になる勇気と覚悟がないだけだ。
    「もしも不安なら、仔犬二匹を連れてでもオレは構わない」
     真剣な眼差しで言うクルーウェルに彼女は少しだけ目を伏せて。それからそっとクルーウェルの指先を柔らかく握って「クルーウェル先生」と囁きかける。それにクルーウェルはひゅ、と小さく息を飲んだ。
    「先生は、私と二人で行くのは嫌かしら」
    「いや……まさか……オレから誘ったんだ、そんなはずはないだろう」
     珍しくしどろもどろとした態度を取るクルーウェルに彼女はほんの少しだけ笑みを見せた。よかった、と囁いて。
     まるで恥じらう乙女のような顔で、睫毛が頬に薄く影を作るように目を伏せて。つやつやの唇でそんなことを言うから、クルーウェルは胸の奥から何かがこみ上げてくる。それがなんと呼ぶべき感情なのかは分からなかったけど。
    「レディ、あんまりオレを誘惑してくれるな……」
     頼むから、と口元を手で隠してクルーウェルが呻くから、彼女はくすくすと笑った。
    「そんなつもりじゃないわ」

     結局ユウに「クルーウェル先生と食事に行きたいんだけど」とお伺いを立てれば、食事に、と言ったあたりで「いってらっしゃい!」と元気よく返ってきた。とっても素敵な笑顔と一緒に。
     グリムは「ピザ―!オレ様もピザ食べたいんだゾ!」と大騒ぎしていたが、ユウの「私が作ってあげるから。ツナも乗せようよ」の言葉に大人しくなってしまった。なんだかその様子に寂しさを感じるやら、頼もしさを感じるやら。彼女はちょっとだけ溜息をついてしまった。
     そんな愚痴をこぼしつつクルーウェルにイエスの返事をすれば、彼は優し気な微笑みを浮かべるものだから、彼女はそこでも溜息をついてしまって。どうかしたか、と尋ねられても何も答えられなかった。
     週末の仕事終わり、クルーウェル一押しの穴場にあるベンチ。そこで待ち合わせをしたのだが、待てども暮らせどもやってくる気配がない。今日は早めに終えることができる、と言っていたはずなのに。
     いつも約束の時間よりも少し早く迎えに来るクルーウェルにしては珍しいことだった。レディに早く会いたくて気が急いてしまった、なんて言い訳が彼の常套句だ。一体何人の女の子をその言葉で喜ばせてきたのか。彼女は何度内心でそう言ったか分からない。実際に言わなかったのは、彼が困ったように、そしてバツの悪そうに笑うのが目に見えていたからだ。
     ゆっくりと夕陽が沈んでいくのを見つめながら、彼女はどれくらいの時間が経ったのだろうか、とぼんやり考えた。スマホを買えばよかったなぁ、なんて思いながら。そうすればこんなふうに、連絡も取れずにもどかしい気持ちを抱かずに済んだはずだ。
     ふと、彼女はカバンの中に文庫本を入れっぱなしにしていたことを思い出して取り出す。トレインに勧められた流行り物の小説だ。夕陽が柔らかな明かりで、ほんのり薄暗く手元を照らすから彼女は表紙を捲った。文字を追いかけることができることに気が付いて、彼女は本を読もう、と決めた。
     きっと何か事情があることくらい彼女にも察せられた。だから、文字が読めなくなるまではここで待とうと。文字が読めなくなったら帰ればいい。
     はらり、はらりとページが捲られていく。どうやら推理小説らしい。軽妙な掛け合いに隠された本音はなんだろうか。いまいち没頭しきれないまま、彼女はぼんやりと文字を追っていった。
     だんだんと暗くなっていって、彼女の顔と本の距離がどんどんと近づいてく。夕陽はほとんど沈んでいた。それでも彼女は「まだ読めるわ」と内心で呟いてページを捲ろうとして。
    「レディ!」
     焦ったような、必死な声が聞こえてぱたん、と本を閉じた。駆けてくる足音が聞こえて振り返れば、汗を浮かせて走ってくるクルーウェルが居た。クルーウェル先生、と自分でも聞こえるか聞こえないかの声で彼女は呼ぶ。そうすると、なんだか少し、嬉しい気持ちになれた。
    「そんなに走って。大丈夫ですか?」
     彼女の前まできて止まると、クルーウェルは珍しく息を乱して「大丈夫じゃない」と呻く。それでもなんとか息を整えて、彼女の目の前で跪いた。そっと取られる手をそのままに、彼女はいつも通り薄墨色を湛えているのであろう瞳を見つめた。
    「すまなかった。本当に。言い訳はしない」
     悲しげな瞳が彼女を貫いた。叱られた子犬のようなその顔と言ったら。
    「――やだ、そんなに謝られたら、怒れないじゃないですか」
     うっかり苦笑をこぼす彼女にクルーウェルはさらにらしくもなく、しょげた顔を見せる。申し訳ない、と呟きながら。だから彼女はとびきり意地悪に微笑んだ。
    「待たせたお詫びは高いですよ?」
    「もちろんだ……もちろんだとも」
     怒るでも、呆れるでも、泣くでもなく。クルーウェルの心を軽くしてやるように微笑む彼女が愛おしくて、クルーウェルの胸の奥が切なく締めつられていく。抱きしめたい、キスをしたい、そう願うのは欲張りだろうか。クルーウェルは彼女の手の甲にゆっくりと唇を寄せた。
    「貴女の気が済むまで、付き合わせてくれ」
     見上げるクルーウェルの瞳が切なくて、熱くて、じれったくて。彼女は「十二時の鐘が鳴るまで」と小さく答えるのだった。
     ナイトレイブンカレッジの教員寮に、今日も夜の帳が降りる。月と星の光が頼りなく照らすその館では、それぞれのドラマが繰り広げられている。数十年とこの寮で暮らしているモーゼス・トレインもドラマの当事者になったことがあれば、傍観者となったこともある。もちろん彼が預かり知らぬところでドラマが繰り広げられ、後から聞くこともあれば、聞くことすらなかったこともある。
     トレインはゆらゆらと炎が揺れる燭台を片手に、明かりの消えた暗い廊下を歩いた。魔法の明かりで照らしても良いのだが、トレインは殊更この炎の灯りを気に入っていた。それに一流の魔法士というものは、やたらめったらと魔法を使うものではない、とも思っていた。こういった小さなことを魔法で済まさないこと。そういった丁寧さが時に魔法士としての力量として評価される。
     トレインは自室へ戻る途中にある、一つの部屋の前で立ち止まった。ドアは締め切られているが、その先にはセンスの良い家具が置かれたシンプルな部屋が広がっているのを知っていた。少し前にもその部屋でワインをいただいたのだ。忘れるはずがない。
     立ち止まってじっとそのドアを見つめるトレインに、足元のルチウスが「どうした」とでも言いたげに見上げた。早く部屋に戻ろうとでも言いたいのだろう。ぴしりとふさふさの尻尾で叩かれてもトレインはその部屋の前から立ち去れなかった。とんとん、と。控えめにノックをするが返事はない。それに少しだけ溜息を吐き出してトレインはドアを開けた。
     月明かりだけが差し込む、真っ暗な部屋。炎で照らせば、空のワイン瓶が転がり、食器はテーブルの上にだされたままで。床を見れば皿やグラスがいくつか割れたまま転がっている。彼ご自慢のシャツやネクタイもその辺に放り出されていて、几帳面に手入れを怠らない彼らしくない様子にトレインはそっと顔をしかめた。
    「……招いた覚えはない」
     野犬の唸り声のような威嚇は、ソファのあたりから聞こえた。目を凝らせばソファの下、床に座り込んだ男がぎらつく瞳でトレインをじっと見つめていたのだ。それにトレインは「やれやれ」と呟いてから魔法を使って部屋の明かりをつける。きゅう、と眩し気に絞られた瞳は不快そうな色をしていた。
    「オーバーブロットでも起こすつもりかね、デイヴィス・クルーウェル」
     トレインの静かな声に、クルーウェルは何も言わずに視線だけを寄越した。こんなに鋭い視線を投げられたのはいつぶりだろうか、などとのんきに考えるトレインは気にした風もない。手を叩いてぱんぱん、と乾いた音を出せば、魔力がキラキラと舞って部屋を整えていく。
    「余計なお世話だ」
    「学生時代であれば聞いてやったが、今は教師であることを忘れないように」
     トレインの言葉にクルーウェルはぐっと口を引き結んで押し黙った。夜くらい一人の男に戻ったっていいだろう。そう言ってやりたかったが、それを言ってはいけないことくらいは今のクルーウェルにも察せられた。
    「学園で君が無理をしていることは分かっている」
     こつ、とトレインが一歩踏み出す。すると魔力がきらりと足元から吹き出て、そのまま乱雑に放り出された衣服類に絡み付き、綺麗に整えていく。その様子をぼんやりと見ながらクルーウェルは「相変わらずだな」と呟いた。
     トレインは妙なところは魔法を使わずに手ずからすることにこだわるが、面倒なことは全て魔法任せだ。もっとも、それができるだけの技量と魔力があって初めて実現することではあるのだが。
    「お説教か」
    「あぁ、そうだ」
     なんでもないように頷くトレインにクルーウェルは舌打ちをする。いっそ放っておいてくれたらどんなにいいだろうか。そうもいかないことくらいは分かっていたが、それでもクルーウェルは願ってしまう。今はまだ、この悲しみに溺れさせてほしいと。
    「彼女が消えて一週間。
     ホリデーだからと自堕落な生活を送るとは教師として恥ずべきことだと思わんかね」
    「休みなんだ、放っておいてくれ」
    「ホリデーが明けた後に使い物になるなら放っておくがな」
     トレインはそこで言葉を止めた。見回した部屋はようやく綺麗な状態に戻っていた。もっとも、床にお行儀悪く座り込んだ男は変わらずだが。見てられないな、と思いながらトレインはゆっくりとクルーウェルに歩み寄った。威嚇するように睨みつけてくる様は、まさに野犬のようではないか。
     トレインは足元のクルーウェルを見下ろし、それから口を開いた。情けない。たったそれだけを呟くように言って。それにぴくりとも反応しないのだからなおさらだ。
    「迎えに行く覚悟も、呼び寄せる覚悟も、君には何一つないと言うのか」
     クルーウェルの目がゆっくりと見開かれる。なにを。掠れるような声を聞き流してトレインは名前を呼んだ。
     デイヴィス・クルーウェル
     その響きにクルーウェルはくらりと眩暈を覚えた。震える呼気をゆっくりと肺から押し出すように吐き出す。クルーウェルの胸に去来する感情はいったいなんだろうか。
    「欲しいならば手に入れろ、と私は教え込んだはずだが」
     静かな瞳がクルーウェルを貫く。表面だけが冷たく、その奥には燃え上がるような、焦がすような熱が秘められた瞳が。
     そうだった。クルーウェルは確かにこの男から、この教師から、そうやって教えられて生きてきた。知識も、名誉も、何もかも。欲しいのならば取りに行けと。待っていても与えてくれる人間などいないのだと。教師になった日の夜、目の前の男はたしかに言った。
    『デイヴィス・クルーウェル。君が掴んだものだ。手放さないように』
     記憶がぶわりと溢れかえるから、クルーウェルは一つ残らず飲み込む。どんなに仔犬共に腹を立てても教師としての責務を投げ出さなかったのはなぜか。何度躾けなおしても過ちを犯す仔犬を見捨てなかったのはなぜか。覚えの悪い仔犬に時間も根気も知識も何もかもを注いできたのはなぜか。
     クルーウェルが欲っして、手に入れたものだからだ。
    「何を遠慮しているのか、怯えているのかは私のあずかり知らぬところではあるが。
     そんな情けない後輩を持った覚えはない」
     ほんのわずかに口元を持ち上げて。静かに瞳を眇めるトレインにクルーウェルは「ほざけ」と呟いた。まるで憑き物でも落ちたかのような顔で。
    「学園長が調べても分からんことをやってのけろ、と?」
    「それくらいやってできないようであれば、私の生徒を任せることはできんな」
     トレインはあの好奇心で輝く瞳を思い出す。まるでネコのように瞳をくるりと光らせて質問をしにくる大きな生徒。そのくせ、ときどき小さな女の子のように不安そうな顔を見せる生徒。この世界を知りたいと言った、あの顔がトレインは忘れられないでいた。
     あの若い好奇心がトレインは妬ましいとすら思う。忙しない日々の中で、色あせてしまった視界のなかで、トレインが長らく忘れてしまっていたあの、美しい心。妬ましくてつい意地の悪いことを言ってしまったが、それでもトレインはあの娘を好ましく思っていた。
    「酒に溺れて無為な時間を過ごすか、それとも手に入れるために灰になるまで燃え尽きてしまうか。
     好きな方を選ぶといい」
     言いたいことを言ってすっきりしたのだろうか。トレインは体を翻して部屋を出ていく。その背中にクルーウェルは何か言ってやろうとして、それから口を噤んだ。今は何を言ったところで、きっと聞き流されてしまうだろうから。

    「トレイン先生、今日はお誘いありがとうございます」
     ゆったりと微笑んだ彼女にトレインは僅かに目を眇めた。ルチウスのぐるぐると鳴らす喉の音を心地よく聞きながら。彼女の目の前には紅茶とお菓子がお行儀よく並べられている。
     生徒たちが授業をしている間の静かな食堂で、彼女とトレインはお茶を嗜んでいた。遠くから聞こえる掛け声も、教師の声も。どれもこれも彼女には愛おしいものであった。ちなみにここに来る前、どこかの教室から「この駄犬が!何をしている!」と怒鳴り声にも近い声が聞こえた気がしたが、優しい彼女は聞かなかったことにした。きっと彼女にはそんなところを見られたくないであろうことくらい察せられたから。
    「まさかこんなに早く帰って来るとは思わなかった」
    「帰って来ると、信じてくださっていたんですか?」
     トレインの言葉に彼女は少しだけ目を見開いて言葉をこぼした。あのクロウリーですら「まさか帰ってくるなんて」と驚いていたというのに。意外そうな彼女にトレインはくつくつと笑った。
     そっとトレインが視線を窓の外へと向けるから、彼女もそれに倣う。見えるのは底抜けに明るい青空だ。遠くの方で箒に二人乗りをしている生徒が見えて、彼女は楽しそうに目を細める。
    「私が信じていたのは、私の教え子だがな」
     ぽつり、と。まるで最初の雨粒が頬に落ちるような、そんな呟きだった。彼女は「え?」と小さく聞き返したが、優雅に紅茶を飲むトレインは何も答えなかった。
    「ところで、君は覚悟が決まったのかね」
     ころりと話しが変わるから彼女は少しだけ戸惑ってしまって。それから俯きがちに「どうでしょう」と苦笑した。人間というものは、そんなにすぐには強くなれない。そういう生き物だ。
    「まだ、不安はたくさんあるんです」
     彼女はティーカップの中に視線を落とす。静かな瞳は、けれどかつての迷子のようなものとは少し違った。ちゃんと愛を知っている大人の女性としてのものだった。
     彼女の過ごした、自分たちの居ない一年はどんなものだったのだろうか。物語の空白を誰かに語ってもらいたくなるのは、きっと誰だってそうだろう。トレインは気になりながらも、無粋な男にはなりたくなくて口を噤むことにした。
    「例えば、またふとした瞬間にあちらに帰ってしまうのではないか、とか」
     困ったように笑う彼女は、決して戻りたいなどとは思っていないのだろう。それこそがあの男の求めたものだ。それで十分ではないか。トレインはそう思うが、もちろんそういう問題ではないことも分かっていた。
    「例えば、彼って本当に私でいいのかしら、とか」
    「ほう?」
     聞き捨てならない疑問にトレインは思わず声を上げた。それに彼女は小さく微笑んで「だって彼、とても……人気でしょう?」と言葉を濁した。たしかにその通りであるから、トレインは自業自得だなデイヴィス・クルーウェル、なんてことを内心でひとりごちた。
    「きっと私じゃなくても素敵な女性はたくさんいて……私でないといけない理由なんて、本当はどこにもなくて。
     いつか、たくさん居る女の子の内の一人になってしまうんじゃないかって、臆病になってしまうんです」
    「……そういった経験でも?」
     あえて、トレインは踏み込んだ。きっと優しくて気の利く男ならそんなことを聞くことはないのだろう。それでもトレインは聞いた。好奇心からか、悪戯心からか、それは彼自身にもよく分からなかったけど。
     彼女は小さく迷ってから、静かに頷いた。ずっと昔よ、もう。そんなふうに嘯いて。
    「今でも傷が癒えていないのであれば、昔かどうかは関係がない」
     つっけんどんな、それでもどこか暖かな言葉に彼女はこっそりと笑った。もしもあのとき、トレインやクルーウェルが彼女の傍に居てくれたら。きっと彼女はこんなに面倒な女になっていなかった。そんなことを考えながら。
     そんな彼女を見つめながらトレインは言おうかどうか迷って。それからゆっくりと口を開いた。朝を恐れる男が居る、と。
    「夜ではなく、ですか?」
     突然の言葉に彼女はきょとりとして問い掛ける。それにトレインは「あぁ」と低く、掠れる声で頷いた。膝の上のルチウスは心地よさそうにまどろんでいた。
    「大切なものを失うのは、いつだって朝なのだ」
     その言葉に。彼女は何を言っていいのか分からなくて、途方に暮れた顔をして。ほんの少しの沈黙の後に「そうかもしれませんね」と小さく頷いたのであった。

    「なんだここ」
     目が覚めたラギーはぱちくりと目を瞬かせた。鬱蒼と生い茂る森の中。それは分かった。とはいえ、周りを囲む木々はどれもそうそうお目にかかれないような大木ばかりだし、見たこともないような花やキノコなんかがあちこちに生えている。売ったらなんマドルになるかな、なんて考えるのはラギーの習性のようなものであった。
     ラギーの目の前を光が掠めていく。小さな、小指先ほどの大きさをした光る玉。よく見ればそれはいくつも飛んでいて、光っては消えて、消えては光ってを繰り返している。ホタルか何かかと思って捕まえてみれば、実態はないようで、まるで雪のようにじわりと手のひらに消えていった。
     いつもどおりサバナクロー寮の自室で寝間着に着替えて寝ていたはずなのに。そんなことを考えながらラギーは立ち上がった。丁寧にアイロンを当てた制服を纏った体に異常は特に見受けられない。目の見え方も、耳の聞こえ方も正常そうであった。
    「どうしたもんっすかねぇ」
     ただの夢と片付けるには奇妙に意識がはっきりとしている。ラギーは何かの魔法にかけられたかな、なんてのんきに考えた。そしてじっとしていても仕方がないとばかりに足を動かす。木々から足れた蔦が邪魔だったが、歩く支障ほどにはならなかった。
     これだけ鬱蒼とした森なのに、なぜか生き物気配が感じられないことにラギーは首を傾げた。虫の鳴き声も、鳥の歌声も聞こえない。生き物の足音だって。死者の国って、こんなところなのかもしれないと思うのに、なぜかラギーはこの場所を居心地よく感じてしまっていた。
     一体ここはどこなのだろうか。ラギーが少しだけ立ち止まって辺りを見回したときだった。見えるか、見えないかの先のところ。一人の少女が呆然と立ち尽くしていた。
    「――おーい!あんた、そこで何してんスかぁ!」
     声をかけなければ。そんな衝動に駆られてラギーは腹の底から張り上げるような声を出した。それに少女はびくりと体を震わせて、それからゆっくりとラギーの方へと振り返る。だからラギーは驚かせないようにゆっくりと距離を詰めていった。
    「オレ、目が覚めたらここに居て。あんた、なんか知らないっスか?」
     近づいたことで幾分か声量を落としてラギーが問えば、少女はふるふると首を横に振った。よくよく見れば魔法士養成学校の制服を着ており、その子もまた魔法士の卵であることはすぐに分かった。
     艶やかなよく手入れされた髪に、うるりと潤んだ瞳。瑞々しいチェリーのような唇。ラギーはその子が育ちのいい子であることを一目で察した。
    「オレ、ラギー・ブッチ。あんたは?」
    「わたし、は」
     鈴の音のような声だった。細く、小さな声。よく見ればその少女は体も小さくて細かった。力を入れなくたって、ちょっと扱いを誤っただけでぽきりと折れそうなほどに。ラギーはユウやスラムの知り合いを思い出しながら、女の子ってこんなに弱々しそうな生き物だったっけ、なんて思ってしまった。
    「ま、なんかよく分かんないっスけど、仲良くしましょうや」
     シシシ、と笑ったラギーに。少女が小さく頬を赤らめた理由なんて、彼はまだ知らなかったし、そして朝には綺麗さっぱり忘れることとなる。
     だって、大切なものは決まって朝に失うものだから。
    宇喜たると Link Message Mute
    2022/06/30 18:04:57

    マドモアゼルのその後

    #not監督生 の  #クル先夢 です。

    ※シリーズ通してクル先がかっこよかったりかっこ悪かったりしてます。
    ※夢主はネームレス寮母さんです。
    ※デフォルト名(ユウ)の女監督生がいます。
    ※捏造てんこもりです。
    それでも良ければどうぞ。

    #twst夢

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    2022/07/15 17:57:29
    辛いことがあったときに読むと心が研ぎ澄まされる気がします。心の栄養剤
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